はてなキーワード: ベテランとは
賛否はあるけど、やはり死ぬべくして死んだと言っていい感じだろうなー。
いや、彼を批判する気は無いし、むしろ応援してたからとても残念だ。
でもエベレストを単独&無酸素で登頂するってのは、一般人が地図も水も持たずに登山するのと同じくらいリスクがあること。
進んで死と近づきつつ登ってた事は否めない。ただそれが彼のスタイルだしそれを補うくらい準備もしてただろうから仕方ない。
けっこーブログも見てて凍傷で指切断したりとかも知ってたけど、それでも登るし死なずに降りて来るし、いつかは登頂するんだろうなぁと思ってたのに残念な結果になりました。
折しも新潟の五頭連峰で遭難してる親子のニュースを見て、ヤマケイ文庫の『ドキュメント 道迷い遭難』を読んでいたところ。
遭難しないようにしよう。
TRPGパラノイアとそのルール解釈宗教論争で揉めてる話です。
まず自己紹介をすると僕は生粋ではないにしろTRPGが好きでパラノイアはTS版の出る前の第2版の頃から知っているプレイヤーです。いきなり専門用語を出しましたが最後まで読めばわかります(です・ます調はここまで)
僕の好きなTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム・平たく言うと卓を囲んで冒険のごっこ遊びをするゲーム)に「パラノイア」と題された米国生まれの人気タイトルがある。
TRPGファン界隈ではとても有名なゲームシステムで、その秘密は1980年代当時の本国・米国を皮肉ったゲームデザインにある。
このゲームを説明すると、自然物が排除され全てがコンピューターに管理された封建主義の巨大施設で暮らす国民が、自国内で発生したトラブルを解決するSFゲームだ。
面白いところはPC(プレイヤーキャラクター)は施設で産まれ育ち自然界を知らない設定なので、例えばゲーム中に外の世界に任務に行き木を見かけることがあったとして「あの木で休もう」などと発言すれば、「木とはなんですか? 貴方はなぜそれを知っている?」と仲間に言及され、略式処刑されるシステムにある。
またPC達は皆、与えられた任務とは別の反逆的な思想を持たされており、任務を邪魔するような役割を与えられていたりして達成できないことがままある。もし妨害していることが明らかにされると、それも処刑対象だ。しかしPC達にはクローンが数体用意されているため中途で死んでも記憶をコピーされ冒険に復帰できる。
パラノイアのコンセプトは間違いなくPvP(参加者同士の戦い)である。
通常のゲームではGM(ゲームマスター)の用意した邪悪な竜をPCが協力して倒すがパラノイアはPCをPCが倒す。ルールブックにもそう書かれ推奨されている。人気タイトル故に版がいくつもあるが、少なくともこのゲームを有名にした第2版ではそうであった。当時のベテランTRPGプレイヤーもやはりパラノイアをプレイする以上は仲間同士で争っていた。
そして、このことがいまファン内で論争を招いている。もはや宗教論争といっていい。卓内で宗派の違う者を歯に衣着せぬ言い方でボロクソに言っている。僕はそれをとても虚しく思う。
ややこしい話だが、パラノイアは版がいくつもあるばかりかシステムの応用版も公式から出ており、それらのファンである程度住み分けが出来ている。それらの説明は割愛し、今回趣旨としたい大きな宗派は主に「第2版属派」と「TS(トラブルシューターズ)派」に絞る。
この2つはイスラムの2大宗派と酷似し、源流は同じにも関わらずそれぞれが独自に文化を形成している。
前者を「属派」としたのはこれがまたややこしい話だが、肝なのでしっかり説明する。少し歴史の話になる。
現在、正統第2版派はほぼ死滅している。これで遊んでいるサークルはTRPG界でも深みにいる層だ。30年も前の版だから当然かもしれないが。
故に第2版は現在から10年ほど前に無料で有志(と呼ぶと怒られそうだが)によってウェブ上に少し改変されたものが公開された。それをもとに、いわゆるゆっくり音声などで実況したセッション動画が投稿され、その斬新なゲーム性から人気を博した。
だからもう大変なことになっている。なにがっていえば、まず前者の主なファンは動画サイトに在住したTRPGに触れたことのない者が多いことだ。そして、後者は根っからのTRPGファンである。
TRPGというのはGMが裁量権を握るもので、サッカーを例に出せばラインを越えればどちらのスローインかというジャッジもGMの仕事だ。
しかし、愚かながらパラノイアにおいてはゴールのラインを明らかに越えてもGMが面白くなければノーゴールとしてよい。ルールブックにもそう書かれている。
そのルールに則った文化が醸成された結果、動画では派手な爆発が好まれ、必要以上に略式処刑を繰り返すものが多く、パラノイアを初めて動画で知った者は仲間を爆破すればいいのだと刷り込まれる。そして、さあやるぞとルールブックを買う。
次の問題は、現在ルールブックはTSしか販売されていないことだ。そうなってくると、パラノイアをプレイしようとした生粋のTRPGファンの間に爆破プレイヤーが流入してくる。そして、セッションが荒れる。するとTS派は初めて怒りを覚える。「あいつらのせいで面白くない」これは実際にTS派が言っていた言葉だ。
今度は私達の番だといわんばかりにTS派はなんとPvP否定に傾倒していく。なんと他のTRPGと同じ様に、真面目に任務を遂行する文化が出来始めたのだ。
そして、TS派の重鎮が「第2版属派のはパラノイアではない」と新規TSプレイヤーに呼びかける。こうして2つの宗派は思想が離れた。
実のところ、TSのルールブックにもPvPを推奨はある。僕はあると思っている。しかしTS派のある重鎮は「いや、どこにも書いてない」と言う。
これはどちらが正しいということはなくて、どちらでも解釈できる書かれ方をしているためだ。宗教を例に出した理由がここでようやくわかっていただけると思う。
ルールブック(聖典)の解釈を巡り対立構図ができているのだ。TS派の中にもPvP肯定派がいたり、属派の中にそもそも派閥を意識していない者がいたりなどの点もまたリアルである。
先に述べたとおり、TRPG、ことパラノイアはGMの裁量次第のゲームなので、GMがPvP否定ならばゲームはそうなり逆も然り。
その時は途中で脱退するわけにもいかずとても窮屈な時間を過ごさせられる。
ゲームデザイナーは普遍的なSF・TRPGのデザインに辟易してギャグで仲間内で楽しく盛り上がることのできるゲームとしてパラノイアをつくったといわれているのだが、昨今のこのプレイヤー状況はどうにかならないものだろうか。
驚いたことに、担当者は、費用を追加する話しかしなくなり、それを厳しく指導することが
できないマネージャ体制なので、どんどん悪い方向に状態が進んでいく。
そのため(予想はしていたが)、この業績悪化ですでに裏リストラが始まっている。
社員を降格させることで、経費削減を、こっそりと進めている。人事の言い分は、こうだそうだ。
売り上げが減っているんだから、仕事も減っている。だから、高給を与えるポジションは
減るはずだという理屈だ。
ならば、まず最初にするべきなのは、マネージャの数を減らし、減給するのが先ではないだろうか?
自分たちを既得権のように守り、ビジネスの結果に責任のない個々の担当者の収入を減らすことを
なんのためらいも無く進めている、自分の信念もない、今のマネージャ達には呆れてしまう。
惻隠の心の大切さをベテラン達から指導されること無く昇格してしまったマネージャがいるビジネスユニット
そう聞くと、そんな組織にいたいと思う人は、どこにもいない。
が、それを見抜いている人は、ほとんどいない。
それは君の職場だよと言ったら信じないだろうけど。
写真教室で知り合った先生と個人的にやり取りをするようになり、色々教えてもらったり、機材購入時にはアドバイスをもらったりしていた。
最近、知り合いの経営するフォトスタジオが深刻な人手不足に陥り、私にカメラマンのピンチヒッターの話がきた。まだ具体的なことはひとつも決まっていなかったし、採用になるかどうかも分からない状態だったけれど、先生に少しだけ相談をした。
そうしたら、同業者とはもう付き合えない、ライバルだ、応援もしないと切り捨てられてしまった。インスタのフォローも外された。インスタに載っていた、先生が撮影した私の写真も削除されていた。
確かに私の考えが甘かった。先生以外の、ベテランのプロカメラマン何人かに褒められたりもして、調子に乗っていた。スタジオの話がきた時も、プロに可能性を見出されたと思って、浮ついていた。本業も別にあって専業で写真を撮ることができるわけでもないうえに、たかだか2年程度の経験で出来ることではなかったのだ。そのことについては、深く深く、反省している。
先生の写真が本当に好きだった。先生に写真の評価をもらいたくて必死で撮っていた。ひとりで写真を撮っていても、気持ちの上では先生と撮っているくらいの感覚でいた。先生ならどう切り取る、先生ならどこで、先生なら、と。こう書くとちょっと気持ち悪いかもしれないけれど、先生からもらえるSNSの「いいね」が、日々の生きがいとか、支えみたいになってたんだと思う。
私は主に家族のことで多くの悩みや迷いを抱えていて、世界は私の敵だくらいに思っていた。だけど写真を始めたら世界はあまりにも美しかった。何を見てもたいして感動なんかしなかった私が、見るものひとつひとつに感動しながら写真を撮っていた。生きるのが楽しくなった。周りにも、最近とても楽しそうだと言われて、自分の人生もそう悪くないと、少し思えるようになっていた。
もう先生は私の写真を見てくれない。私をモデルにして撮影した写真を削除したということは、顔を見るのも嫌だということなんだろう。
今でも綺麗な景色とか感動する場面に出くわしたら、写真が撮りたくなる。でも先生に見てもらえない写真を撮ることが悲しくて悲しくて、シャッターを切りながら涙が止まらない。先生を心の中に抱えながらじゃないと、撮れない。重いですね私。
先生は、スタジオの仕事を受けるなら、10年たったら来いと言っていた。いつか認められる日を目指して写真を撮り続けるべきなんだろうか。スタジオの仕事を受ける受けないに関わらず、もう謝ることすら許されない状況になってしまったけれど、写真を撮ることも含めて何もかも諦めるべきなんだろうか。
18歳のころから7年間好きだった人にフられた。というか浮気されてた。しかもわたし本命じゃない。どう考えてもセフレです。本当にありがとうございました。
ずっとわたしの片思いで、去年やっと好きになってもらえて、好きって初めて言ってもらえたときはちょーうれしかった!夢みたいだった!むしろ夢なのでは?あれから今日までの出来事はすべて夢だったのでは?夢だったらよかったのに。
GWに海までデートに行った。最高にたのしかった!帰ってからも撮った写真みてずっとウキウキしてた。空も海も見渡す限り水色でねえ、きれいだったよ。
幸せだぜ〜となっていた翌日に、彼が浮気してるのを知った。SNSはこわいな。自分はうまく隠してても他所から漏れるもんね。
浮気に気づいた瞬間、手が震えて、頭がゴーンと殴られたみたいにぐわんぐわんして、ちゃんと歩けなくなった。
このまま知らないふりをすれば、これからも彼と一緒に居られる…けど、これ以上尊厳がボロボロになったら耐えられない、平気じゃない、と思って「別れよう」って伝えたら「きみの幸せのためにはそうしたほうがいいのかもね」って。
はあ〜!?はあ〜〜!?きみのために、とかほんと腹立つ。原辰徳。幸せにしようなんて考えたことないくせに勝手に幸せを願うなよ!!わしの幸せはわしが決めるんど!!
はあ〜〜めちゃくちゃショックだったのに不思議と涙でない。ただ、ご飯が全く食べられない。やったぜダイエットチャンス。しかしうんこもでない。つらい。
あと仕事に集中できない。いつも仕事バリバリウーマンなんだけど、気づくとぼんやりしてる。ご飯食べてないからそうなるんやで。無理にでも食え!な!でも食べたくなーい。
虚無だ〜。失恋って多くの人が通る道だろうけど、つらいねえ。こんなふうになるんだねえ。これからどうすればいいかなあ?たーすけてくれ〜。
【追記】
誰も見てくれないか、ボコボコにされるかどちらだろうな〜って思ってたからすごくうれしい!優しい言葉をくれる人も、おっさん扱いしてくる人も、みんなありがとう。声をかけてくれたことがうれしいです。
ちなみに原辰徳は高校のとき仲良かったみどりちゃんがよく言ってたのがうつったやつです。なので、鯖さんが教えてくれたエントリはみどりちゃんが書いた可能性…?みどりちゃん元気ーー??
ひとりひとりにお返事しようかと考えたけど、はてなでは馴れ合いが嫌われるからな…こちとら10年近く住んでるベテランだ。この村のことには詳しいんだ。
・ベテラン店員の意見を全く聞かず、大学構内という特殊な市場を理解せずに売り場を構成する店長の無能さ
・それを容認し、セクハラ、賃金や労働問題にまともに対応しない本社への批判
・扱いが微妙な作品の著作権を巡って、勝手に著作権放棄の書類を提出するという行為に対する怒り
主にこの三点だと思う。
一般的な書店がカフェ化したりオシャレになることへの批判は一切ないよ。
でもなぜかこの元増田は「書店が変わるのは生き残るため!本社を批判してるのは時勢を読めない奴ら!」って息巻いてる。
先生たちは私の給料のショボさとか勤務時間がいつまでとか知らないから平気でサビ残とか責任ある仕事とか学校図書館関係ない仕事を振ってくる
私の給料と勤務時間をなんとなく知ってる人でも「学校で働いてる以上やらなきゃ駄目なのよ」って言われてあれこれやることもある
私は意識低いから特に何もない時はサボりにサボってやらなきゃいけないこと先延ばしにしてだらーっと過ごしてるけど
意識高い仕事が生き甲斐なベテラン司書は毎日夜遅くまでせっせと本の修繕したり本のポップ作ったり新しく買う本選んだり買った本のデータをパソコンに登録したり図書館だより作ったり家に持ち帰って続きの作業したりしてるみたい(私もごくまれに持ち帰り仕事はする)
今の学校はかなりゆるいのでだいぶサボれてるけど次の学校に行ったらこうはいかないんだろうなと思う
他の市や県ではどうなのか知らない、フルタイムでもっと給料もらえてて時間になったらキッチリ帰宅するのが普通だったりするのかもしれないから全国的にこれが常識!って言いたいわけじゃないけど
でも働き者の司書が丸善のあの人みたいにバリバリ創意工夫して給料以上の働きしてるのが私の観測範囲では当たり前でそれができない私はクソだなって思ってる
体力気力がなさすぎるので思うだけで努力はしないけど
それにしても丸善のあれ、あんなに話題になるくらい異常なんだな……
そうは言っても給料上げてもらえるわけじゃないし
金曜日は運動会だから朝7時過ぎくらいに来てね、帰るの夕方になるからね、100m走のゴールテープ持つ係やってあとの時間はずっとビデオ回してね、お茶出しの手伝いもよろしく、えっ金曜日の勤務時間は9時~14時……?でもこの係って決まってるからやってね、って言われたらハイって言うしかないんだよなあ
https://nyawaraban2014.amebaownd.com/posts/4135126
自分も数年前に大学内の類似施設で似たような問題に直面して数年解決を試みたけど
自分の実力だけでは解決は難しいなと思ったので、諦めて業種替えした。
最初の転職活動で年収が100万円近く上がったのには唖然としたけど。
自分が好きになったことにつけ込まれる業界で働くより、自分を評価してくれる業界で働いた方が金銭的には
業務を発注するには業務内容の把握と評価を適切にできる必要があるが、大学側に書店運営を
誰もが(財務課が)納得する「委託費用」に評価の重きが置かれることになりがち。
大学全体として正規職員以外の職位者には歪んだ指定制度の名残か最低賃金(以下)で雇いたい傾向が強い。
非常勤教職員、ポスドク、委託先スタッフ、下手すれば実質労働時間で割ると最低賃金下回るのでは?
私は文中のクレーム入れてくる教授を「書店に関心があり心身になってくれる良いお客」というよりは
ベテランが積み上げてきた取り組みにフリーライドする組織の無意識なブラックカスタマーに思えてくる。
取り組みを評価はしても金は出してくれないもの。教授は大学運営に強く関わる一員ですから。
毎年の委託費を「管理コストは毎年下がっているはず」で委託費用値下げを強行してくるとこも当然ある。
あと、大学事務職の傍流には残念の最先鋭な人たちが集まりがちよね。介護手数料を委託費に上乗せしてほしいわ、大学上司氏。
大学内の図書販売や図書館サービスを受託する大手書店系や何とか流通センターは
契約の獲得にあたり、独自性や高レベルなサービスではなく、低価格で何でもやります路線で
契約を勝ち取り続けてきた。大学側に価格以外の評価が持ててないことが一因ではある。
契約価格が上昇したのは最低賃金の上昇分と委託価格にかかる消費税が増税したときくらい。
それでも利益確保をしようとすると、しわ寄せを現場におしつけがち。
書籍の販売は再販制度があるとは言え、万引きで吹けば飛ぶような利益。
コンシュルジュやセレクトショップ形態で独自性を出したところで本の価格に上乗せはできない。
必然的に一番高価な維持費である人件費を削減していく傾向は避けられない。
ましてや大学の書店は生協加入者に1割引きで販売しているので尚更。
維持運営させていくには人を最小人員、最低賃金昇給なしでは事足りず、場合によっては
フルタイムを減らして週20時間以下スタッフの割合を増やし、かつ売り場面積縮小で賃貸料削減も検討する。
教科書・参考図書発注もこれまでの発注履歴からある程度システム化して、業務効率化で乗り切ればよい。
買切りは高リスクなのでできる限り避ける。
あいつら突っ立って、いらっしゃいませ言って品出しすれば良いんだから、たまには苦労して成長しろ。
ちっ、せっかく成長の機会与えてやったら粘りがないから辞めるとか言い出した。
好みで発注しやがって。
せめてリニューアル初期の立ち上げ時にベテランが面倒見てやるのは最低限の義理だろ。とかね。
残念ながらよく聞くはなし。なんか悪い宗教にでもはいっているのかしら。
これまでの日本社会は結婚や出産で正規雇用を退職せざるをえなかった女性が非常に多く、一度退職すると
再度の正規雇用はおろか、30代を超えてからはフルタイムのパートですら見つけるのに苦労する状況があった。
そのため、最低賃金であろうが文化的な匂いのする図書販売や図書館スタッフは大変人気があり、早稲田大学文学部卒や
数十人規模のチームマネジメントをそつなくこなす女性を掃いて捨てるように扱っても応募が絶えない状況が続いてきた。
本を扱う会社は文化的であるというより、文化的であることを取り繕える場所って言ったほうが適切な気はする。
ベテラン書店員が高待遇を得るためには店の売上に常に貢献し続けていく必要があるかと思います。
長年の経験による発注スキルと取材されるレベルの高クオリティなフリーペーパーは一体どれだけ
売上に貢献できたか、広報活動たりえたか。そして本社、大学でその経済価値を共有されていたか。
ベテラン店員の「こだわり」が店舗運営上の障害になりうる場合もあります。
買切商品を100冊独断で発注して1割引きの条件下で販売し「ほとんど売り切れた」として利益でましたか?
海外文学の棚は売り場面積あたりの売上を従来からどれだけ上げる見込みですか?
フリーペーパーについても頒布コスト書店・大学持ちの同人創作活動になってませんか?
文化的評価が高くとも経済的な実績を明示化できないと従業員としての評価には繋がりにくいと思います。
今回のような話は「なんとかぜんゆうなんとかどう」で働いていたスタッフから類似した話をよく聞いてきました。
他の大手書店系でもちらほら聞きます。それでも自分が関わっていた頃よりもクソっぷりの純度が上がっていて
http://b.hatena.ne.jp/entry/363523680/comment/uunfo
「本が売れないと騒いでる出版社の人達は見て見ぬ振りをしてるみたいだけど」
単純に疑問なんだけれど、この人は出版社の人間が何をするべきだと思っているんだろう。
言うまでもなく、出版社と書店は別の会社だ。つまり、出版社の人間が書店に対して「あの人を店長にして待遇を改善し裁量を持たせろ」みたいに口を出すことは基本的にできない。「あなた方の経営方針最悪ですね」とか営業の場で言えるわけがない。品揃えに対して「うちのこの本をもっと置いた方が売れますよ」とかはそりゃ言うけれど……例えば岩波の人間が「岩波文庫ちゃんと置いてください」と言っても、お店が「置かない」「その分の棚は用意しない」と方針を決めてしまったら難しいんじゃないかなあ。少なくとも長期的な交渉になる。棚を頻繁に大幅に変えるの大変だしね。
出版社の営業関係者の間でも「あの店のあのベテランが辞めてしまった」と溜息をつくことは、けっこう前からけっこう多い。大きめの書店でも知識のある店員がどんどんやめて、経験の浅いバイトとごく少ない社員で回しているところが多くなっている。版元関係者にとっても悩ましいのだ。
そういう話をするべき相手は、出版社ではなく丸善雄松堂の親会社である丸善CHIホールディングスとか更にその親会社の大日本印刷とかなんじゃないかなあ。
できない話ばかりしてんじゃねえって言われそうだけれど、この状況で出版社の人間が書店にできること、するべきことって何だろうなあ、と思ったんですよね。
社長が、マネージャ達に下がり続ける売り上げをなんとかしろと激を飛ばすレターを出した。
しかし、我々統括者チームが首になったときには、過去最高売り上げと利益を出し
つまり、因果応報、自分に跳ね返ってきてるだけだから、それに気がつかないと何も変わらないだろう。
施策を考えたり、調整能力が高かったりの仕事の結果は評価されない。
上司に気に入られるように、立ち回る人が出世する傾向が強くなり、多様性がなくなっている。
結果として、組織の力が落ちている。
なんといっても、今は、個人の実績や能力は評価せず、その人の腰掛けているソファを評価する制度になっている。
ようするに、大昔に流行った、学歴主義(その人を評価しないでその人の着ている服を評価)に原点回帰している。
座らせているソファなので、退化しているが。
もともとは、ベテランの年収を減らして、目立たないようにリストラ、または、固定費削減を進めるための制度だが、やりすぎてしまった。
急激な入れ替えのために、組織による教育ができなくなり組織力が落ち込んでしまった。
バレー部にたとえれば、2年生、3年生が全員いなくなり突然1年生だけになってしまったようなものだ。
どこかのWebの記事に
「50歳過ぎた社員は新しい価値を生まない」空前の人手不足でも進むバブル世代のリストラ」
という記事があった。
50代以上は、お荷物という傲慢な態度にはびっくりするが、安定した権力の座に長くいると魂が落ちぶれていくのは、やむを得ないのだろうか。
昔のリーダーのほうが気骨があったような気がする。
Web上で、いかにも経営改革進めていますよという、投資家向けのアピール記事でしかなく
会社を追い出される、ひとりひとりの心の声は聞こえず、また、一人の退職は、悲しむべきできごとだが数百人のリストラは、統計上の数字でしかない。
少なくとも私は、この記事読んで、今後、一生、絶対に、○勢丹と○越では買い物しないと神に誓った。
経営の失敗の恥ずかしい話を、投資家向けのアピールの為に記事にする経営者の素養を疑う。
私の父親が、この人じゃなくて、本当に良かったと思った。
スーパーの例はエンジニアなら待ち行列で考えればわかるけど、一番ボトルネックになる会計を3-4並列で行えるようにして一番無駄な時間であるレジに並ぶ時間を減らしているので、ユーザーに利益がある。セルフレジもあるけど、あれはバーコードを読み込ませるのを素人にやらせてるので、結局レジに並ぶqueueを減らせていない。あれを素早くこなすのはある程度の訓練が必要で、新人とベテランの動きを見ればすぐにわかる。会計に関してはATMなどでユーザーがある程度の訓練を受けている前提があると思う。お年寄りも郵便局のATMは余裕でこなしてるし。バーコード読み込みから会計まで含めて完全自動化が一番だとしても最適化とユーザーの利益の現時点でのちょうど良い解かもしれない。
スーパーなんかの主婦パートメインの世界のベテラン主婦パートが
若い男性正社員より立場が強い、ってのはよく知られてる事でしょ。
キモいと言われ続けて25年になるベテランですが、経験上キモいと言われないコツがあるような気がしています。それは、
多数派に属すること
です。
キモいと言われる人は群れで生きることが苦手だったりします。群れの外にいると「敵」認定されるので、攻撃されます。それがときには「キモい」という言葉になったりします。
まずは他人から攻撃されないポジションを獲得することが重要です。
周りの人間の力関係を観察してみましょう。群れがいくつかに分かれていることがわかると思います。そういうときは一番強そうな、一番規模の大きい群れに属することが重要です。そこに属してしまえば、あなたへの攻撃は群れへの攻撃と認識され、強い味方たちがあなたの代わりに敵をやっつけてくれます。逆に弱い群れに属してしまうと、あなたはいい標的になってしまうでしょう。もちろん群れに属さず孤立していると四方八方から攻撃されてあなたは死にます。
「キモい」と言われたくないなら、プライドを捨てて強い人たちと群れることです。頑張って。
ただし、私のようにキモさが限界突破している場合はどの群れにいても無駄なのでそういう人は悟りを開きましょう。おおらかな心を持つことです。
ららぽーと新三郷のある埼玉県三郷市で市議会選挙があった。昨年7月23日。ここの自民党系21世紀クラブは以前、議員が万引き。ところが・・・
自民党公明党、がこの議員をかばいまくる。まるで麻生財務大臣のように。
「芳賀浩議員は、2010年3月20日に、市内商業施設において商品を商品を窃盗した容疑で、現行犯逮捕された。報道によれば、本人も犯行を認めているところである。
芳賀議員の行為は、公職である市議会議員にあるまじき行為であり、本市議の意思として、芳賀議員の速やかな辞職を求めることを決議する。」
という決議案である。共産党、市民派クラブ、民主党(当時)らが賛成。
ところがこの議案を提出することに意義がかかり、提出することに反対多数で否決されたのである。
反対したのは、公明党三郷市会議員団、自民党系21世紀クラブ、自民党新政会(現・政志会)で結局議論もされないまま廃案。
さすが自公。笑。
本人側に事情があるのかもしれない。
即刻辞任すべきだ。
理解出来ないのは辞職勧告決議案に自民党と公明党が反対した事である。
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埼玉県警吉川署は20日、三郷市高州、同市議芳賀浩容疑者(67)を窃盗容疑の現行犯で逮捕した。
発表によると、芳賀容疑者は同日午後1時15分頃~3時15分頃の間に、市内のホームセンターでヘアカラーやポリ袋、
ラップなど日用品66点(計1万2314円)を万引きした疑い。芳賀容疑者はカートに商品を入れたままレジを通らずに店外に出て、
駐車場で持参した袋に商品を詰め替えたところを、同センターの女性保安員(58)に取り押さえられた。芳賀容疑者が店内で
きょろきょろするなど挙動がおかしかったため、見張っていたという。
芳賀容疑者は、2009年7月の市議選で7選を果たしたベテランで、市議会最大会派「21世紀クラブ」の代表。議長や市の
監査委員も務めた。調べに対し、「魔が差した」などと容疑を認めているという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100320-OYT1T01022.htm
さっそくDMMのVRエロ動画をいくつか買った。一番感動したのはベテラン女優つぼみの凄テク我慢したら中出しできるっていう作品。
未亡人のつぼみと屋外セックスする作品がオールタイム・ベストAVの俺にとって、この作品は感動的だった。
何よりも、つぼみの顔が小さすぎる。顔が小さいという印象はあまりなかったのだが、とにかく小さい。小さい顔の中にチャーミングなパーツが配置されていることの美しさを再認識することができた。
次に、耳もとを刺激してくるのがすごい。手コキ&乳首責めをしながら耳もとで囁いたり、チュパチュパしてくれる。これが本当にくすぐったい。
催眠オナニー用の音源やはやりのASMRでは何も反応しなかった俺が、つぼみの凄テクに踊らされてしまった。これは「つぼみが耳もとを愛撫してくれている」という視覚的な確信があってこそなのだろう。
そして、おっぱい。おっぱいが細やかに揺れる。普通のAV体験では「揺れてんな」としか思わなかったにもかかわらず「うっわ!すげえ!揺れてる!」って感じ。感動。喜び。そして射精。
俺がつぼみのVRエロ動画で感じたことは、実際にセックスをすればより鮮明に感じ取れることだ。しかし、女性に縁がない上に風俗に行かない男たちにとって、VRエロはかなり刺激的で、人生を変えてしまう可能性すら感じた。