2018-05-12

写真先生を怒らせてしまった

2年ほど前から趣味写真を始めた。

写真教室で知り合った先生個人的にやり取りをするようになり、色々教えてもらったり、機材購入時にはアドバイスをもらったりしていた。

最近、知り合いの経営するフォトスジオが深刻な人手不足に陥り、私にカメラマンピンチヒッターの話がきた。まだ具体的なことはひとつも決まっていなかったし、採用になるかどうかも分からない状態だったけれど、先生に少しだけ相談をした。

そうしたら、同業者とはもう付き合えない、ライバルだ、応援もしないと切り捨てられてしまった。インスタのフォローも外された。インスタに載っていた、先生撮影した私の写真も削除されていた。

かに私の考えが甘かった。先生以外の、ベテランプロカメラマン何人かに褒められたりもして、調子に乗っていた。スタジオの話がきた時も、プロ可能性を見出されたと思って、浮ついていた。本業別にあって専業で写真を撮ることができるわけでもないうえに、たかだか2年程度の経験で出来ることではなかったのだ。そのことについては、深く深く、反省している。

先生写真が本当に好きだった。先生写真評価をもらいたくて必死で撮っていた。ひとりで写真を撮っていても、気持ちの上では先生と撮っているくらいの感覚でいた。先生ならどう切り取る、先生ならどこで、先生なら、と。こう書くとちょっと気持ちいかもしれないけれど、先生からもらえるSNSの「いいね」が、日々の生きがいとか、支えみたいになってたんだと思う。

私は主に家族のことで多くの悩みや迷いを抱えていて、世界は私の敵だくらいに思っていた。だけど写真を始めたら世界はあまりにも美しかった。何を見てもたいして感動なんかしなかった私が、見るものひとつひとつに感動しながら写真を撮っていた。生きるのが楽しくなった。周りにも、最近とても楽しそうだと言われて、自分人生もそう悪くないと、少し思えるようになっていた。

もう先生は私の写真を見てくれない。私をモデルにして撮影した写真を削除したということは、顔を見るのも嫌だということなんだろう。

今でも綺麗な景色とか感動する場面に出くわしたら、写真が撮りたくなる。でも先生に見てもらえない写真を撮ることが悲しくて悲しくて、シャッターを切りながら涙が止まらない。先生を心の中に抱えながらじゃないと、撮れない。重いですね私。

先生は、スタジオ仕事を受けるなら、10年たったら来いと言っていた。いつか認められる日を目指して写真を撮り続けるべきなんだろうか。スタジオ仕事を受ける受けないに関わらず、もう謝ることすら許されない状況になってしまったけれど、写真を撮ることも含めて何もかも諦めるべきなんだろうか。

  • アホくさ そんな器の小さい奴を先生と呼ぶ必要など無い カスを調子に乗らせるな

  • 芸事の世界では、弟子が師匠の能力を超えると、師匠が怒り出し、弟子を破門する。 なんて日常茶飯事じゃないですか。 もう、あなたはとっくに師匠の腕前を超えているんですよ。 ...

    • N=0

    • 元増田です。 超えるなんてことが、あり得るのか分かりません。ですが、写真は撮り続けようと思います。ありがとう。

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