はてなキーワード: トレースとは
実写からアニメにするなんていうのはロトスコープで限界が見えてるでしょう
実写トレースはよくやられているけど、あれもあくまで構図だけパクってるだけで、うまく嘘を描くことでエモい絵に仕上げてるわけで
もちろん中割り作業がAI化されることで末端のアニメーターは死ぬかもしれないけど
そういうのはAI関係なく効率化で死ぬ層なので大勢に影響はないし
こういう創作系は効率化したぶん予算を下げるんじゃなくて、クオリティアップにコストをかけるから
結果流動する資金は変わらないんだよね
プログラマーも同様
プログラマーの仕事はコードを書くだけじゃないし、コードも細かくてシンプルなものから複雑で答えがないものまで沢山ある
細かくてシンプルでわかりやすい作業なんて、既にLibrary化されてるか、ネットにコードが落ちてるかなんかするから
そこを自動化されたとしても大した影響はない
むしろ仕事のほとんどは残りの面倒くさい複雑でコミュニケーションが必要で答えが決まってないようなものなので
そこをAIに置き換えるためにはせめて完全なロボットができないと厳しい
こちらももちろん割を食うごく一部の層は居ると思うけど、そんなのは他の技術革新でも死ぬし、死んだら別のことをやるだけなんだ
どうしてもそういう事情が見えない人らは
やれアニメーターが消えるだのプログラマーが消えるだの言うけど、分からないなりにメディアに踊らされてるだけだということは自覚してほしい
ガチでトレースとかしているわけじゃ無いから、著作権的に照らして争いになっても勝てると思う。参考にして書くことは何の問題もないので。
ただし、元の作家の意図とは百八十度違う形で、おまけに法的根拠の無い主張に使ってしまっているのがかなり問題。例えば、ミッキーマウスの姿を使って、ドブネズミが引き起こす食中毒啓蒙ポスター作るみたいな話になってる。これ遠回しに作者を批判していることにもなってる。それも、公的な金を使って。
社内や行政記録の中に、元絵を参考にした証拠が残っているとなると、凸版印刷的にはボイコットまで発展しかねないから、事後対応としては妥当では。
例えばこれを竹取物語で「貴族はよかれと思っても、姫はNo」とか、この間バズった増田じゃ無いけど、鶴の恩返し「嫌といってることはやってはいけません」とか、そういう風にするべきだったと思うし、思想的にバランスの取れてない人をこの手の担当にしてしまったのが問題。
担当した人は公開オナニーで満足、同類がちやほやしてくれても満足かも知らんけど、目的が果たせないポスターなんてたんなる怪文書と変わらんからなあ。
まあそれでも上司がうっせーから最低限はやっていたし、下っ端が調子づいてる感出すと干されるなと思ったのでいわゆる「健常者エミュレーター」的なノリで先輩の動きをトレースしていた。
まあ真似っ子するのをロールプレイだと割り切れば大学時代にやったTRPGの延長とか、ちょっとだけ試して伸びずにやめたネカマVtuberとかみたいな遊びとして受け入れられたので続けることはそこまで苦痛ではなかった。
ただそのクオリティについてイチイチ細かいことを言う上司には辟易してたし、シャツのアイロンがけを指摘されるのがダルくて1000円高いノーアイロンシャツを買わなきゃいけないのや、靴が傷んできたら買い直すのは金の無駄だなと疑問はあった。
見てくれってそんな大事っすか?言い方でロジックが変わるんすか?コミュ力とかいう言い訳スキルのせいでかえって混乱起こしてる奴結構いませんか?
アリャ駄目だ。
一緒に仕事出来ない。
身だしなみや態度って「信頼関係構築にコストを払う意欲がありますよ」って相手にアピールするための物だったのね。
今更?
って思われるかも知れないけど、なんか日本人って基本的に礼儀正しいというか意識して不良部ってタトゥーやヒャッハーヘアーにしてるの以外は最低限できてるじゃん。
そういうのさえ無いのに仕事で遭遇するとは思わなかったんだよ。
でもありゃ無理だね。
「お前らにどう思われようが、俺には関係ねーから。まっ、お前らはウチと取引してくださいって土下座する側だからよ」みたいなオーラ出されると本当無理ね。
だってそんなの「クレーム受け付けません。文句は法定オンリーでお願いします」みたいなもんじゃん。
界隈内での評判とかどうでもいいですよみたいなポーズ取られて「ビジネスライクに行きましょう」とか言われても、ビジネスライクのレベルがあまりにも万民闘争世界すぎるじゃん。
ビジネスってやっぱどうしてもどこかでナアナアというか「ごめんね」「いいよ。じゃあ俺のも許して」「いいよ」「なんでも即法廷じゃお互い無駄にコストかかるもんね」「だよね」みたいなのがあるわけじゃん。
まあ見てくれに全コスト振ってて中身空っぽみたいなのも困るけどさ、中身が良くても「お前らにどう思われてもいいよ?」みたいな状態でやられるのは流石に怖いよ。
日本は法治国家とは言え何処か紳士協定的の性善説でやってる部分も0じゃないわけで、そこで全部我田引水かまされて「でもルールではセーフでしょ?」してきそうな相手との取引はかなり躊躇するよ。
グレーゾーンはお互い譲り合う前提で見積もりしあってる相手と、グレーな部分は全部向こうの良いようにしかねない相手とだったら、やっぱどこかでそういう係数をかけていくことにならざるを得ないって。
なるほどね。
最低限度を振り切って「どう思われても良い」を相手に突きつけていくってこういう感じになるのねって勉強になった。
そんでまあ文化圏によってその辺のラインが変わりうるから安全マージンを取って「僕は取引相手様からの評判は大事にしたいですね」という雰囲気を纏っておけってことか。
あーなんか分かってきた。
やっぱ極端な例を見るって大事だな。
でも想像もしとらんかったよ。
同じ業界にその極北にたどり着いた状態で仕事してる人がいるとは。
まあその会社がヤバイんじゃなくてその個人がヤバイ可能性はあるし、もしかしたら向こうから「面倒くさいから相手側から断る雰囲気を出せ」って命令でも受けたのかもだけど。
にしたって本当にヤバイのを相手先とぶつけたら「あの会社って、イメージとかどうでもいいらしいよ」って評判が業界に立つとか考えないのか?
そういうリスクを考えていくと、社員に身だしなみとか態度とか気を使わせていくってのは大事だし、社員としてもそのへんにコスト払うのは割り切るべきなんかね。
ワイ「この作品読んだ?」
AI「読みました」
ワイ「ほんまに。ワイは〇〇の展開が好きやったんやけど」
AI「わかります。あのシーンは非常に感動的でした。私は××なシーンが好きでしたね」
ワイ「わかる」
別にAIが実際に感想を述べる必要はなくて、他人がネット上に公開してる感想記事から切り取って
ワイが「あー、わかるーそれわかるー」って記事から拾ってきてくれれば。
なんなら
AI「読んでません。どんな話なんですか?」
ワイ「こうこうこういう話で、こういう展開があって」
で、そのうち「読みましたよ」って言ってくれるとかでもいい。
AIがワイらに合わせてくれるように、ワイだってAIに合わせるよ。
AIだから読むもクソもねーだろ!じゃなくて読んでくれて嬉しいって思いこむよ。
議論好きの人には「その人に合ったレベル感」で議論してくれるようになるだろうし、
全肯定してほしい人には常に全肯定してくれるようになるだろうし。
個人が望む性格の揺らぎみたいなものもトレースできるようになるだろうし。
なんでやらかしたのかの動機はゲハ住人でないとわからない(共感できるという意味ではなく思考がトレースできるという意味で)と思うのでちょっと解説してみる
ゲハでは任天堂PS箱のハード間で煽りあいが日々発生しているわけだが(もちろん住人全員そうというわけではない、ゲーム業界のネタを肴に雑談しているだけの人も大勢いる)
煽る連中はだいたい「俺はこのハードが好きだがあのハードは嫌い」と好き嫌いがそれぞれのハードで発生し、同じハードを好き同士嫌い同士で徒党を組んでいる
それぞれのハードが好かれたり嫌われたりしてる理由は様々だが、今回のケースのようにPSが好きで任天堂が嫌い、の思考を説明すると以下のようなパターンが多い
まず、任天堂がゲハで嫌われる理由で最も多いのが「任天堂はリア充向けハードであり我々コアゲーマーをないがしろにしている」というものだ
昔任天堂がWiiとDSで大ヒットを飛ばしたとき、Wiiスポーツやnintendogsなどの従来のコントローラに依存しない新機軸で今までゲームに触れてこなかった層を大量に取り込んだ
あれ以降任天堂の企業イメージとして全年齢向け、初心者向け、ファミリー層向けという固定観念が現在に至るまでずっとある
対してWiiDSに押されまくっていたころのソニーは任天堂の新規ユーザー大量獲得に対抗して、「ゲームらしいゲーム」「コアゲーマー」などの単語をちりばめ、
ソニーは昔からゲームをやりこんでいるゲーマーさんたちを(任天堂と違って)大切にしますよ、というメッセージを打ち出す広報戦術をとった
ソニーのPSもこれ以降コアゲーマー向けという固定観念がずっと続いている
実際のところは任天堂もゲーマー向けソフトはたくさん出してるし、ソニーだって初心者の新規ユーザー獲得のための施策を行っている
ここからが本番なのだが、この頃のソニーのコアゲーマー優遇(のように見えるマーケティング)がもろに刺さった人たちがそれなりにいた
特に熱狂的にソニー支持になったのはいわゆるギャルゲー・エロゲ移植もの・乙女ゲー・アニメゲーなどのまあ言っちゃなんだが日陰者扱いされてきたソフトエロなゲームを好む底辺層だ
「今まで細々と日陰でゲームしていた自分たちをソニーはコアゲーマーとして認めてくれる!リア充に媚びて我々をないがしろにするばかりの任天堂と違って!」
これで一気に彼ら彼女らはソニー支持かつアンチ任天堂になった(もちろんPS好き全員がそうなわけではない、マーケティングが刺さった一部の層がいるという話)
あの頃はいくつかのまとめブログが徹底的にアンチ任天堂のスタンスで記事を量産していたが、主な読者層は彼ら彼女らである
あえて嫌な言い方をすると、ソニーとPSは弱者男性・弱者女性の希望の星だったのだ
ここらへんの事情を知っていると、例の事件の解像度も多少は上がるのではないかと思う
ぜんぜん役に立たない知識だけど
余談だが彼ら彼女らはPS自体は変わらず支持してるが、エロ規制を推し進めフォトリアル洋ゲーばかりを重視する現社長のジムライアンのことはめちゃくちゃ嫌っていたりする
マイ・フロッピーディスクに保管してオナニーしてるうちはいいよ
そもそもの著作権は「著作物の公正な利用」を目的に制定されているものなので、個人利用に関しては現時点の法的には批判目に解釈しても問題はあまり無い
後述の通り将来的にはわからんけど
ただエロ画集作って売ってるやつとか、あえて既存の著作物に似せようとしてるやつとか、著作者と競合する分野で商用利用してるやつは現時点でも地雷原を走ってる自覚を持ってほしい
そういった使われ方が公正とされるか(今後規制の引き金にならないか)は甚だ疑問だからだ
AIによる創作行為が受け入れられる前にあまりそういうことをすると、当然著作者からの猛烈な反対と規制の動きにつながるので現時点で違法でなくても「その使い方は公正か」は注意した方がいい
(余談かつ予想だが歴史的にトレパクが絵師の間で過剰に叩かれるのはこの辺に一因がありそうだ。トレパクと呼ばれるものうち、構図や図柄のデザインのようなもののトレースに関しては実は著作権上問題ないことが多い。それでもやたら嫌われるのは、絵師には公正利用という倫理的なラインが法的なラインの前にあるからだ。AIとその利用者には今のところそのラインがないようだが…)
話を戻すと、生成AIは登場の仕方間違えたと思うんだよな
まず最初に著作者(絵の場合は絵師、特に商業イラストレーターやジャンルを牽引する有力な著者)に普及させて取り入り、学習許諾への抵抗感をなくすよう徐々に「著作者にとって」使いやすくしていき、著作者と利用者両方にとっての利益を積むべきだった。少なくとも、AIの進歩に人間の著作物が必要な間は。
それが最初からフルスロットルで既存絵を取り込んでいく方向に進んだから著作者には利がないばかりで迷惑な技術になってしまった
今となっては好意的にAIを使い学習にも協力するとは表立って言いづらい雰囲気すらあり、はっきり言って著作者に取り入るのはめちゃくちゃ失敗してる
先にも書いたが著作権は公正さ、著作者と利用者双方に利益があることを重視するから今のまま無法が続くとそのうち必要以上にAI絵に厳しい規制が議論される可能性がある
だから正直、今の合法なら何でもやったれなノリは迷惑に感じてる
俺は生成AIには絵に限らずいろんな分野で成長してほしいけど今の調子であんまやり過ぎると痛い規制を食らう気がしてるからだ
26歳。早稲田文系を卒業し大手印刷会社に総合職として新卒で入社した。大手なだけあって福利厚生も給与も良いが、なんとなくボケっと先輩の真似して生きてる人生が嫌になった。給与だって年功序列だし、技術職と異なり目に見える成果もあげにくい。上司や先輩をみてると自分の人生の先がわかる。人生を変えたくなって知恵袋で色々質問してみた。
簿記も持ってない人が仕事しながら勉強して何年かかるやら…。受かる頃には年齢で監査法人落とされますよ。
法科大学院を考えていない場合、予備試験は相当な難関です。仮に予備試験と司法試験を働きながらパスしても30を過ぎているでしょう。任官も不可で事務所への就職は厳しくなります。悪いことは言わないので辞めましょう。
絵の練習もネーム作成もその歳までしたことない人間が独学でプロと戦えると思ってるんですか?誰がそんな人の作品にお金払うんですか?無理に決まってます。甘いこと言わないでください。
※漫画やイラスト系の質問に対する回答が一番手厳しくて言葉もきつかった。選ばれし人たちの領域なんだと実感。
無理。インディーゲームは供給過剰で飽和状態。技術がなくても面白いようなコンセプトやアイデアのゲームは出尽くして、稼げてるのは元々ゲーム制作に携わってた元プロとかだけ。
英語力しか武器が作れず、文系で専門性も少なく、日系大手の総合職などでしか職歴がない場合専門的な実績が示し辛く門前払いが殆どでしょう。外資で報酬も良い企業は雇用も不安定ですし日系より厳しいです。
結局、俺は知らない間に人生の可能性を潰してしまったらしい。怠けて生きてきたつもりはなかった。小学校では良く遊び、中学高校ではサッカーや学校行事に明け暮れ、受験期には一生懸命勉強し、大学でも授業はサボらなかったし思い切り遊んだし就活だって頑張った。でも結果的に俺がやってきた遊びや勉強や就活は周りの大多数の人がやってることをトレースしてるだけだった。大人になってから面白い生き方をしている人たちは、クラスのみんなが遊んでる放課後も遊ばず必死に勉強や習い事をしてた人、みんなの輪に入らずクラスの影で漫画を描いたり作曲をしていた人、学校を休んで芸能活動してた人とかみたいに「10代の時にみんながやってることをトレースしなかった人」なんだよなあ。
10代の時に尖った生き方が出来ず、親や教師の思う「理想的な学校生活」をしてしまったが故に人生の可能性が「社畜として賃金を貰い続ける」以外にゼロになった。
朝の通勤時間、ロータリーでバス待ちしてたら隣のバス停前に乗用車が止まった。
送迎かな?くらいに思ってたら、上下トレーナーで茶髪ボサボサの若いカップルが運転席と助手席から降りてきた。
通勤通学でもなさそうだし何をしてるんだろうと見るともなしに見ていると、そのまま駅前のスターバックスに吸い込まれてく。
しばらく様子を見ていたもののバスは仕方なくロータリーを塞ぐような形で駐車して客が乗り降りを始める。
出発前にもう一度大きくクラクションを鳴らしてバスはロータリーを出ていった。
ふたりとも手にはコーヒーが入っていると思われるマイタンブラーを持っている。
そういうとここだわるのに駐車していい場所さえわかんないのかよ。
皆が呆然と見つめる中、何事もなかったかのように車に乗り込み走り去っていった。
嘘だと思うだろ?これ、都内の話なんだぜ。
知的作業の本質を論じることは困難。数学の最も重要な特徴は、自然科学、もっと一般的に言えば、純粋に記述的なレベルよりも高いレベルで経験を解釈するあらゆる科学との、極めて特異な関係にあるとノイマンは考えていた。
ほとんどの人が、数学は経験科学ではない、あるいは少なくとも経験科学の技法とはいくつかの決定的な点で異なる方法で実践されていると言う。しかしその発展は自然科学と密接に結びついている。
まず幾何学。力学や熱力学のような、間違いなく経験的な他の学問は、通常、多かれ少なかれ仮定的な扱いで提示され、ユークリッドの手順とほとんど区別がつかない。ニュートンのプリンキピアは、その最も重要な部分の本質と同様に、文学的な形式においてもユークリッドと非常によく似ている。仮定的な提示の背後には、仮定を裏付ける物理的な洞察と、定理を裏付ける実験的な検証が存在する。
ユークリッド以来、幾何学の脱皮は徐々に進んだが、現代においても完全なものにはなっていない。ユークリッドのすべての定理のうち、5番目の定理が疑問視された最大の理由は、そこに介在する無限平面全体という概念の非経験的性格にあった。数学的論理的な分析にもかかわらず、経験的でなければならないかもしれないという考えが、ガウスの心の中に確かに存在していたのである。
ボリャイ、ロバチェフスキー、リーマン、クラインが、より抽象的に当初の論争の形式的解決と考えるものを得た後も、物理学が最終決定権を握っていた。一般相対性理論が発見されると、幾何学との関係について、全く新しい設定と純粋に数学的な強調事項の全く新しい配分で、見解を修正することを余儀なくされた。最後に、ヒルベルトは、公理幾何学と一般相対性理論の両方に重要な貢献をしている。
第二に、微積分学から生まれたすべての解析学がある。微積分の起源は、明らかに経験的なものである。ケプラーの最初の積分の試みは、曲面を持つ物体の体積測定として定式化された。これは非軸性で経験的な幾何学であった。ニュートンは、微積分を基本的に力学のために発明した。微積分の最初の定式化は、数学的に厳密でさえなかった。ニュートンから150年以上もの間、不正確で半物理的な定式化しかできなかった。この時代の主要な数学的精神は、オイラーのように明らかに厳密でないものもあったが、ガウスやヤコービのように大筋では厳密なものもあった。そして、コーシーによって厳密さの支配が基本的に再確立された後でも、リーマンによって半物理的な方法への非常に独特な回帰が起こった。リーマンの科学的な性格そのものが、数学の二重性を最もよく表している例である。ワイエルシュトラス以来、解析学は完全に抽象化、厳密化され、非経験的になったように思われる。しかし、この2世代に起こった数学と論理学の「基礎」をめぐる論争が、この点に関する多くの幻想を払拭した。
ここで、第三の例。数学と自然科学との関係ではなく、哲学や認識論との関係である。数学の「絶対的」厳密性という概念そのものが不変のものではないことを示している。厳密性という概念の可変性は、数学的抽象性以外の何かが数学の構成に入り込んでいなければならないことを示す。「基礎」をめぐる論争を分析する中で、二つのことは明らかである。第一に、非数学的なものが、経験科学あるいは哲学、あるいはその両方と何らかの関係をもって、本質的に入り込んでいること、そしてその非経験的な性格は、認識論が経験から独立して存在しうると仮定した場合にのみ維持されうるものであること。(この仮定は必要なだけで、十分ではない)。第二に、数学の経験的起源は幾何学と微積分のような事例によって強く支持されるということ。
数学的厳密さの概念の変遷を分析するにあたっては、「基礎」論争に主眼を置くが、それ以外の側面は、数学的な "スタイル "の変化についてであり、かなりの変動があったことはよく知られている。多くの場合、その差はあまりにも大きく、異なる方法で「事例を提示」する著者が、スタイル、好み、教育の違いだけで分けられたのか、何が数学的厳密さを構成するかについて、本当に同じ考えを持っていたのか、疑問に思えてくる。
極端な場合には、その違いは本質的なものであり、新しい深い理論の助けによってのみ改善されるのであり、その理論の開発には百年以上かかることもある。厳密さを欠く方法で研究を行った数学者の中には(あるいはそれを批判した同時代の数学者の中には)、その厳密さの欠落を十分認識していた者もいたのである。あるいは、数学的な手続きはどうあるべきかというその人自身の願望が、彼らの行動よりも後世の見解に合致していたのだ。たとえばオイラーなどは、完全に誠実に行動し、自分自身の基準にかなり満足していたようである。
なんかみんなに慰めて貰って、俺の中の承認欲求モンスターが満腹で寝てるレベル。う涙出てくる。マジありがとう。これだけで俺はこの後生きていける気がする。
俺を含む自社チームが手一杯だったとき、外部の業者に見積もりを取ったら30倍以上の見積もりが来たらしいと聞いたので、そもそも自社単価が安すぎなのは間違い無いと思う。
お付き合いのあるエンジニアの方は学歴がそもそも違う(大卒がデフォで、院卒もかなりいる)し、話していて凄く頭がいいし、経験も豊富で、人格的にもいい人達ばかりだからクソザコとは比較にならないけど、こっそり倍以上は貰ってるって教えてもらった。
会社の仕組み的に、エンジニアでも、手描きの文書をワードエクセルでトレースするだけの仕事の人でも、年功序列で同じ時間単価で計算される仕組み。
これはわりと異常なことで、市場価値と乖離していると気付いたのは、コロナ禍になって勉強会がオンラインになり、自宅から気楽に出られるようになってからでした。
「とりあえず手を出して見て、躓いたり、分からない事が出てきたら、何をして何に困ってるのか聞いてくれ」と。俺はIT系の技術者なので、教える対象も新人プログラマだ。何でも聞いてほしいとは言うけど、幾つかの行動は釘を刺している
利用可能なライブラリの存在とか、知ってればいいだけのものはまず聞け
質問をすることで新人さんに学んでほしい事は、先輩の思考方法をトレースする事だ。
自分で調べて考えてトライしてみたことが上手くいかずに質問した時、先輩がそれを即座に解決する様子を見て、答えを導き出すまでの思考方法のトレースをしてほしい。あたかも数学の問題を解く際に模範的な回答が、どんな考え方で作られているかを学んで、その考え方やアプローチのテクニックを学ぶように、質問によって学習方法という経験値を上げて欲しい。
そんな事を要約すると、分からない事があれば何でも聞いてくれていい、と言う風になる。俺にとってはだが。
弱者男性は結局のところ、環境について行けずに「俺たちに有利なアップデートをよこせ」と言っているマイオナに過ぎない。
ゲーム用語だが、環境とは「ゲームのキャラクターの強弱の設定および、流行している戦術」のようなものを指す。
マイオナとは、マイナーなものを選択する俺かっけえ、的なオナニーのことである。
スプラトゥーン3で言えばシャープマーカーが環境ブキで、スペースシューターがマイオナブキである。
スペースシューターなんていう弱い武器を使わずに、周りのことも考えて強ブキを持てよ、という文脈で使われる。「マイオナくっさ、環境ブキ持て」である。
現実社会だと、資本主義に最適化して金が金を呼ぶのが環境で、金を無価値と断じてスピリチュアル志向を貫くのがマイオナの一例と言える。
もちろんそんな極端なものばかりではない。
女性にモテようとする努力、認められようとする努力、主体的な努力をせずに、「俺たちが輝く環境をよこせ」と言っているわけなのである。環境の弱体化すら願っている。
ゲームの中では「マイオナやめて環境に適応する努力をしろ」と言っている人も、ゲームから一歩出ればマイオナをし始めるから難儀なものだ。
面白いことに、この現実世界というゲームは結構バランスがよい。定期的にアップデートも入るし、そのアップデートに主体的に関与できる良ゲーである。
古代中世近代とアプデを繰り返してきて、今やっと良ゲーになりつつある、と言えばいいだろうか。
自分が環境に適応しようと努力できるし、その環境も幅広い。出っ歯でもモテることができるし、太っていてもファッションは楽しめる。ハゲにはアップデートが入って環境入りも期待できる。
個人的には髭にもアップデートを入れたいところだし、女性の環境もアップデートが入りつつある。
弱者男性は総じて芸能人を嫌うが、ちゃんと芸能人を見て行けば環境への理解が深まる。
お笑い芸人は容姿に優れていない人が多いが、着こなしやキャラクターでカバーしている。そういうロールモデル(環境)を学ぶのが「芸能人だと誰に似てる?」なのである。
開き直って誰か芸能人をトレースしてみればいい。環境を学ぶというのはそういうことだ。
そういうわけで、弱者男性をことさらに強調する人らのことは「マイオナかぁ…」と思えばよい。
そして弱者男性は誰かに与えられるアプデを口あけて待ってないで、自分で環境を回す側に立つべき。そこまでの気力がないなら、環境を参考にすべきである。
12/31から1泊2日、車で3時間ほどの温泉街へ。旅館に泊まりたかったけど予約取れずビジネスホテル泊(ドーミーイン)。
連れ合いと泊まりがけで旅行するのは、コロナ禍の自粛もあってほぼ初めて。
昼ごはんは土地の名物を食べたい。温泉街といっても地方なので、大晦日でも確実に開いてそうな店を調べた結果、やけに広くて空いているドライブインに入店。
16時に温泉に出かける。外湯。
夕食は、年末で休業している店が多く、半ばヤケになって近くにあるアメリカンダイナーに駆け込む。
赤と白の内装。入店後しばらく他の客はいなかった。ビールとハンバーガーが美味しかった。
帰りにコンビニで買い物。
連れ合いはポテチとハリボーのグミベアを買っていた。「グミベアよく買うの?」と聞くと「一年に一回くらい。」とのこと。
部屋に戻ると紅白が始まる頃だったが、少し見て後はBS1でグレートレースを観ていた。前編、後編計4時間。前代未聞のハイペース、土井陵。4連覇のレジェンド、望月将悟。荒れる天候。見応えあった。グミベアをつまむ。
健常者の振る舞いを理解したりトレースしたりするためのページなのはわかる
ただこれ、いちばん大事な「その場で状況の判断が必要である」ってことを理解していないと、これらを読む前より悪化する気がする
実際「車のエンジンがかからないんだけど」コピペを真に受けて、他者からのヘルプをガン無視して大変だねーで済ませようとした事案が発生しているらしい
ジョークだと思いたいレベルの意味不明さだが、こんなサイトを知っているくらいなのだからたぶんご本人は本気なのだろう
このページの投稿者たちの書き様を見て、コミュニケーションにまつわる自然な情動の理解が困難な人たちがいることよりも、「誰に対しても入力Aを入れれば出力Bが出るはず」というように他者を全て同じものとして応対して失敗している人が大勢いることが怖く感じた
そもそも健常者的状況理解ができないのも、機能的に理解が困難と言うよりもどちらかというと「他人も必ず自分と同じように考え行動するはずだ」という強い思い込みに根ざしているんじゃないだろうかとすら思う