はてなキーワード: カウンセラーとは
嫌なことがあったわけではないが、死にたい、という漠然とした悩みがあった。
正確な時間は覚えていないが、夜にその気持ちがピークに達して、死にたい気持ちが頭を支配した。
本当に死んでしまったら大切な家族に迷惑がかかるから、死ぬ前に誰かに相談して、思いとどまろうと思った。
死んだ後もお金がかかってしまうから、というのもあるし、私と違って私の家族はいい人なので、家族の力不足のせいで私が死んだとか思われるのは嫌だった。
私は、自分の内側の大切なところを声に出して話そうとすると喉が詰まってなにも言えなくなる。電話相談しても、きっとなにも話せないだろう。無言の時間が続いて、結局何も話せず切ってしまったら、相談を受けようとしてくれた人や、私が話していたせいで話せなかった私よりももっとつらい人に申し訳ない。だから、文章で相談できる場所を探した。
まず、前から入れていたオンラインカウンセリングのアプリを開いた。オンラインカウンセリングは、どこも料金が高い。仕事をしておらず、親に面倒を見てもらっている私にとっては、すごく高い。こんなものなのだろうけど、3回のやりとりで数千円とか、何回もやりとりするなら月に二万円近く払うとかは、私にとっては高かった。このお金を払うとしたら親だ。親に迷惑をかけたくないから他の誰かに相談して解決したいのに、それをするために親に迷惑をかけていたら本末転倒だと思った。借金して未来にお金を返すとしても、中学のころから週五日、あるいはそれ以下の日数で学校に通ったりバイトしたりしようとしてはすぐに通えなくなって引きこもっているこんな私に、それができる保証はない。カウンセリングが成功して踏みとどまれるかもわからない。
だから、お金を払ってカウンセラーに相談するのは一旦諦めて、無料だった、AIを使って自己分析する機能を使った。相手が人間でなくても、気持ちを吐き出したら冷静になれるかもしれないと思った。スマホ代を払わせるのも申し訳ないと思いつつ、機能を使わせてもらったが、あまり落ち着けなかった。私の問題を解決するにはおそらくこのAIでは力不足なんだろうと思った。
厚労省のサイトから、並行して無料相談できるサービスにメッセージを送った。三か所。「込み合っていて返信に時間がかかる」と返ってきて、30分経って、一日たった今も返信はない。
25:30になって、死にたさは膨れるばかりで、声が出なかったとしても、電話相談するしかないか、と思って、24電話相談する場所に二か所電話をかけたが、どちらもつながらなかった。
なんだかテンションが高くなってきていた。そもそも大して不幸な出来事があったわけではないし、いつも頑張って仕事やら勉強やら家事やらをしている優しい両親やきょうだいを持っているという幸福な現状で、働けもしないのになんとか実家の一室で生かしていただいているくせに、死んでしまいたいとか思っている自分勝手な私に、他人の手を煩わせる価値はないと言われてるみたいに感じて、そりゃそうだ!と愉快になった。
でも、やっぱりつらいものはつらいな、とも思った。
もし、私が自殺したら、過去、困った顔で「みんな大変なのは同じなんだから」って言ってきた人に、その「みんな」の中でも、もう一歩つらかったというか、死ぬくらいにはつらかったんだよって、信じてもらえかな、信じてもらいたいな、という気持ちが強くなった。愉快で元気な気持ちのまま、裸足を靴に突っ込んで死ぬために家を出てみた。
どこかで踏みとどまらなきゃ、という理性は残っていたし、まだ返信が来る可能性もあったから、スマホだけは持っていった。充電は20%で、途中で切れたらいよいよ死んでみようかと思った。死ぬ方法についてはあんまり考えていなかった。考えたら本当に死ねてしまうので、考えないようにしていた。
夜風が冷たくて寒くて、空は曇っていて星が見えなかった。とりあえず、まっすぐ、行けるところまで、引き返す気が起きるところまで進もうと思った。
家のすぐそばの坂をずっと下っていけば、踏切がある。ここで立ち止まって轢かれてみたいな、いやいや、どれだけお金と迷惑がかかる思ってるんだ、こまでイカれてはいない、なんてやりとりを自分の頭の中でしながら通り過ぎた。終電は終わっているから、電車が来るわけない、ということに気づいたのは、引き返し始める少し前くらいだった。24時間電車が走っていたら、自殺者はもっと多かったかもしれないなと思った。
踏切をすぎて、ずっと進むと工場地帯にさしかかった。煙突から煙がもくもく出ていて、まだ働いている人がいるのかしら、働いているなら、本当に尊敬するな、と思った。働いているすべての人がうらやましくて、ヒーローみたいに見えた。
T字路になって、ずっとまっすぐ、ができなくなったので、とりあえず左に曲がった。クラピカを思い出した。次の十字路は右に曲がった。また左に曲がったら、家の方に戻ってしまうからだ。
左、右、と交互に曲がりながら進んでいたら、川にたどり着いた。広い河川敷に降りてみた。下流に進むと人が多い場所についてしまうな、と思って、左の、上流のほうに進んだ。
川を歩くころには、今引き返したら、家族が起きる前に家にたどり着いて、家を出た事実をなかったことにできるな、とか思うようになっていた。引き返した方がいいのはわかっていたけど、進んだ距離が自分の辛さの証明になる気がして、歩けるまで歩いてみようと歩き続けた。
筋肉痛と靴擦れで足が痛くなって、河川敷から上がってベンチに座った。
そのころには、もう帰ろう、という気持ちになっていた。もし自分が外にいる間に家の人が起きてしまったら心配をかけてしまう。そのときもし私が死んでいたらすごく悲しくなるだろうし、周りの人に何を言われるかわからない。死んでいなかったとしても、家を出たことを知ったら迎えにこようとしてくれるだろう。どう転んでも申し訳ないから、もう帰って、家を出たことすらも最初からなかったことにしてしまおう。
ようやくスマホを開いて時間を見たけど、一時間くらいしか経っていなかった。歩いた距離も、直線にすれば、最寄駅の次の次、二駅先まで来た、くらいの距離だ。
自分の辛さなんて、二駅歩いたら小さくなる程度なんだ、本当に大したことないな、と少し面白く、少し残念に思った。自殺を試みる人にはきっと到底かなわない。
ところで、「みんな辛いんだから、比べるものじゃない」と言葉は、比べるな、と言いながら目の前の人とみんなを比べているよな、ということは、行く道で何度か考えたことだ。
その日はほとんどなにも食べていなかったから、お腹がすいていた。駅の近くに行って、コンビニにでも寄って、なにか食べて、線路に沿って帰ろうと思った。
24時間のコンビニには、年配の男性店員と、若い男性店員がいて、客も順番に数人入ってきていた。店員さんはもちろん、この時間にコンビニに買い物に来ている人も、みんな偉いな、と思った。
商品を選んでるとき、年配の店員さんが、レジでうとうとしていて、深夜3:00になっていたし、そりゃ眠いよな、体大事にしてほしいな、と思った。
甘いものでも食べようかと思ったが、なんとなく贅沢してはいけない気がして、焼きそばとおにぎりが入った250円くらいの弁当と、爽健美茶を買った。お金は、申し訳ないことにもらっていたお小遣いと、かつて一瞬バイトしていたときのお金を貯めた銀行口座のものを使った。2万円くらいしか入っていないので、カウンセリングを満足いくまで続けるにはちょっと足りないけど、コンビニで安い弁当を買うくらいなら十分だ。スマホのバーコード決済をしてから、レジ袋が必要だと言い忘れていたことに気づいて、もう一度5円のレジ袋を買うためにバーコードを当ててもらって、申し訳なかった。嫌そうな顔をされなかったのは、店員さんが私に興味がないからか、私が泣き続けていて顔を腫れさせていたからかどっちかな、とか自意識過剰なことを思った。
駅のベンチで冷たい弁当を食べた。ヤマザキパンのトラックがコンビニの前に止まって商品をおろしていた。働いているすべての人に敬意を感じているので、やはり尊敬した。
コシの片鱗もないぷつぷつ切れる焼きそばと、鮭フレークと青菜のおにぎりと、ケチャップがかかったコロッケ。どれも誰かが作ってくださっているもので、とても美味しかった。寒い外で冷たい弁当を食べたので寒かった。
爽健美茶をちょっと飲んで、ゴミを持って、線路に沿って帰った。
帰り着いたのは午前四時すぎだった。Twitter(今はX)を開いたら、偶然起きている人がいて、私の数時間前のツイートにエアリプしていたので、エアリプで一時間くらい元気に会話した。創作で繋がった人だ。創作と、好きな漫画の話をした。漫画は、タイトルを挙げようかと思ったけど、こんな人間が推しているのが申し訳ないので伏せる。(さっきクラピカの名前を出してしまったけど、そっちはミームだからいいとする。)きっと相手はついさっきまで会話している相手が死ぬために家を飛び出していたとかは思いもしないだろうな、と思った。インターネットの、そういうところが好きだ。
5:00くらいにその人が寝たので、靴擦れで血が出ていたが放置して寝た。
13:30くらいに起きて、親と会ったけど、深夜に家を出た話はできなかった。
Twitterのおすすめ欄に、はてな匿名ダイアリーが流れてきた。なんとなく調べてみて、匿名で日記が描ける場所なのだと知った。
下期からのプロジェクトで、今年入社の新卒を含めたチームで仕事をしている。自分は年長者であり、新卒を指導する立場にある。これまで何度か同じようなポジションで仕事をしてきたが、今回の新卒は何か過去にトラウマがあるのかすっかり怯え切っている。社内でそこまでなるようなトラウマを植え付けられたとは考えにくく(そもそも研修期間を除いたら稼働は数ヶ月であり、それも社内で半ば研修のようなタスクをやっていたはずである)これまでの人生で何かあったのだと思う。それには同情するが、ハッキリ言って一緒に仕事をするのは相当苦しい。ミスを隠蔽する、簡単な指示(出勤したらチャットにメッセージください程度)を守れない、知らないことを知らないと言えない。能力が不足していることは分かりきっているので、そこをカバーするように動こうとしてもそれに協力する行動をとってくれない。
もちろん色々な考え方があり、自分にとっては相手が協力してくれるように見えない行動の裏には、相手自身の考え方があるのだとは思う。
だがそれが何であれ行動を改めてもらうか、自分で勉強してもらってある日突然与えられたタスクをとりあえず自力で完了してくれるようになってもらわないと困るのである。新卒は戦力ではないので別に干してもいいが、パワハラだとか言われて自分の評価が下がっても困る。
怯え切っている人に対応するのはカウンセラーの仕事であって、普通の会社員の仕事ではないだろう。
さて、そこで最近は年末調整の時期である。トラウマ?を持つ人がカウンセリングなどを受けた場合医療費控除の対象になるのか調べたが、どうやら自由診療で医療費控除の対象とはならないようである。
病名がつかないと医療費控除の対象とはならないようだが、病名がつくほどじゃなくても困っている場合はあるだろう。市販の医薬品でも節税できる時代である。カウンセリングでも控除が受けられてもいいと思うんだけどなあ。
人生が辛いと感じているようですね。お話を聞かせていただき、ありがとうございます。人生には様々な困難がありますが、それらを乗り越えるためには、自分自身を大切にすることが大切です。以下に、人生が辛いと感じた時の対処法をいくつかご紹介します。
1. 自分自身を労わる
人生が辛いと感じた時、自分自身を労わることが大切です。例えば、好きなものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、好きな場所に行ったりすることで、気分転換を図ることができます。
2. 人と話す
人生が辛いと感じた時、人と話すことで気持ちを共有することができます。信頼できる友人や家族、カウンセラーなど、話しやすい相手を見つけて、気持ちを吐き出してみましょう。
3. 趣味を見つける
人生が辛いと感じた時、趣味を見つけることで、気分転換を図ることができます。例えば、読書、映画鑑賞、スポーツ、料理など、自分に合った趣味を見つけて、楽しんでみましょう。
人生が辛いと感じた時、自分自身を肯定することが大切です。自分にできることを見つけて、自分自身を褒めてあげることで、自信を持つことができます。
人生が辛いと感じた時、小さな目標を設定することで、前向きな気持ちを持つことができます。例えば、1日に1回笑う、好きなものを食べる、好きな場所に行くなど、小さな目標を設定して、達成感を味わってみましょう。
6. 前向きな言葉を使う
人生が辛いと感じた時、前向きな言葉を使うことで、気持ちを前向きにすることができます。例えば、「自分にはできる」という言葉を使って、自分自身を励ましてみましょう。
人生が辛いと感じた時、人生の意味を考えることで、前向きな気持ちを持つことができます。自分自身が何をしたいのか、何を大切にしたいのかを考えてみましょう。
以上のような対処法を試してみることで、人生が少しでも楽しくなることを願っています。また、もしも心が折れそうになった時は、専門家に相談することも一つの手段です。
俺も似たような感じだった
原因ははっきりしてて、就活で内定いくつかもらったんだけど選んで入社したとこが超絶ブラックだったもんだから
自分で何かを決めるのにものすごいストレスがかかるようになってた
精神科行くか悩んだんだが、精神科かかると保険に入りづらくなると知って、まずは病院じゃなくてカウンセラーに相談に行った
臨床心理士の人で、初回が60分5000円とかだったんだが俺はこの1回でかなりもやもやが晴れた
その後30分4000円とかだったんだが2ヶ月で4回くらい通って、大丈夫そうですねって言われて通うのやめた
今はピンピンしてる
俺の場合「そんなんどっち選んでも死なないやろ」と割り切るのがうまくなって平気になったんだが、増田も同じ考えで行けるのかどうか俺には判断がつかん
性犯罪被害の告発に対しては、セカンドレイプという主張が濫用されすぎだと思う。こんなん「時と場合による」としか言いようがないよね。
この場では、とにかく「被害者」の言うことが真実であるという前提で接するべき。仮に「被害者」の言うことが疑わしいのだとしても、ダイレクトに伝えるのではなく、治療者として適切な言葉遣いで伝えたりそれとなく適切な治療に繋げたりすることが求められるだろう。カウンセラーは知らんが、医師は国家資格があるわけで、そういう配慮も当然要求されるだろう。「嘘なんじゃないですか?」とか直截に言うような心療内科医やカウンセラーは看板を下ろすべきだ。
刑事裁判は、圧倒的強者である国家権力が、無力な弱者である市民(被告人)に対して、罰を科すかどうか決める場である。当然、被告人は、全力で自らの身を守る権利がある。被告人は身を守るために、「その日はアリバイがありました」とか「そんなことをする動機がありません」とか「踏み間違いではなく車の欠陥ではないでしょうか」とか「ドラえもんに助けてもらおうと思いました」とか「被害者の証言はここがおかしいと思います」とか、ありとあらゆる反論を国家権力に対して行うことが許されるべきだ。
実際、今回の事件や会津若松虚偽告訴事件のように虚偽の被害を訴えた事件だけではなく、「本当にレイプ事件はあったのだが、被害者が被告人を犯人と勘違いした」事件もある(氷見事件)。「本当の被害者なのだから、その証言を疑ってはいけない」などという原則を採用することは、刑事裁判の原則から考えてありえない。たとえどれだけ悲惨な被害に遭い苦しんだ被害者の証言であったとしても、疑われてしかるべきなのだ。なぜなら、被害が本当にあったのだとしても、被告人は犯人ではないのかもしれないのだから。
たとえば、仲の良い善良な女友達が泣きながら被害に遭ったという話をしてるときに、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言うのは割と人の心がない所業だと思うし、周囲のやつらからドン引きされ絶交されたりしても、まあ仕方ないだろう。
逆に、隣近所では評判のウソツキ女が被害に遭ったという話を吹聴していたら、何の根拠もなく「それほんと? 嘘なんじゃないの~?」と言っても、まあ、仕方ないだろう。日頃の行い、オオカミ少年、ってやつで、こういう場合に被害を疑うのは社会で生きていく上でなんら問題ない。
もちろん、善良な女友達が実は痴漢冤罪カツアゲ犯であり、評判のウソツキ女が実は本当にレイプ被害に遭っていたということもあり得るわけだし、実際の社会にはこのあいだに広大なグレーゾーンが広がっていて、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」なんて、実際のところはどうだか全くわからないだろう。というか性犯罪だけじゃなくて、殺人だって詐欺だって何だってそうであって、つまり本当に大事なのは「それ、わざわざ話題に出す意味ある? あなたがコメントする意味ある?」ということだろう。友達や近所の人なら意味も必然性もあるかもしれない。友達が泣き崩れてる横で「僕はノーコメントで」とか言うのは(よほどの事情がない限りは)人でなしのすることだ。しかし、「新聞で短く報道されたヨソの県のヨソの市での性犯罪」にあなたがコメントする意味はあるのか?
さらに言えば、そのコメントを公開の場でする必然性もあるのか? もし「草津町ってひどいところだよね~」とか「絶対草津には行きたくないわ~」みたいなことを家族や友人のあいだでだけ喋っているなら、たとえばSNSの発言をめぐって訴訟リスクを抱えるようなことには基本的にはならない。草津町長は名誉毀損で何人もの人たちを訴える意向だと聞いているが、彼ら彼女らが身内の飲み会でそういうことを言っているだけだったら、町長は何の手出しもできなかっただろうし、フェミニスト学者の人たちが謝罪を求められることにもならなかったはずだ(cf. anond:20221117054344; anond:20221118212515; https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/okisayaka/status/1592551751072509953)。
もちろん、自由社会には「表現の自由」という大原則があり、意味も必然性もなくとも表現は自由であって、それを否定するとあいちトリエンナーレやクジラックスが弾圧される世界になってしまうから、SNSなどのオープンな場で自分にとって縁の薄い場所で起きた犯罪についての論評を行うのは自由であるべきだ。だが、天皇アートやロリ漫画と違って、実在の犯罪への言及には「冤罪に加担してしまう」というリスクが常につきまとう。「七色のおっちゃん」である(単なるざまぁ物かと思って読み始めたら期待値よりは面白かった)。義憤を燃やすのはいいが、それは後に訴えられるリスクを負ってまで燃やすべき義憤なのか? はよくよく考えた方がいいだろう。別に黙れとは言ってない。たとえば加藤智大のように現行犯で取り押さえられた人物については、冤罪の危険はそこまで大きくないので、言及しても比較的安全かもしれない。しかしもちろん、四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件のように、現行犯であっても冤罪があり得、取り返しのつかない結果が起きていることも忘れるべきではないだろう。そういうリスクを織り込み済みで、公的な場で義憤を表明したい、というならそれはもちろん表現の自由なので、どんどんX(旧ツイッター)で呟かれたりはてなブックマークでブクマコメントを残されたり、たまに裁判を起こされたりすればよいのではないかと思う。
自分の中の怒りのゲージとか堪忍袋とか、言い方は何でもいいんだけど、
あらゆる負の感情を溜め込む容器があるとしたら、自分はこれまで生きてきた数十年分の人生の怒りや屈辱みたいなものを全部その中に溜め込んでいて、満杯ギリギリ表面張力すれすれの状態になってるんだと思う。
目の前の嫌なことをする相手に自分の人生上抱えた怒りの全部をぶつけるのはおかしいと頭ではわかっているんだけど、全てを吐き出してぶつけてしまいたいという気持ちを抑えれそうにない。
自分は信念もなければ失うものもほとんど無いので、積み上げたものを全部ぶち壊しにして、なりゆきに任せて人生破滅してもいいと半ば思っているところがある。
唯一のストッパーは両親が悲しむってこと。
それでようやくいまは抑えている。
だけど抑え続けるのがあまりにも苦しすぎる。
誰にも言える人がいない。
両親も心配させるだけだし、
言うとよけい孤独になって怒りが嵩増しする。
ニュースで常軌を逸した暴力沙汰を見ると、次にやらかすのは自分かもしれないと思う、
銃社会で銃を所持できてたら、衝動的に自分か他人を撃ってると思う。
憎悪に取り憑かれて呪われていると思う。
大学病院の神経精神科にて、そこに所属している臨床心理士から数ヶ月間に渡って心理教育を受けた経験あるけど、ごく普通の礼儀正しい社会人って感じでしたわよ。
(社会人なら普通にするような気遣い、言葉遣いの範疇にとどまっていたという意味。普通の人と違うのはもちろん心理学分野の知識。その臨床心理士らは研究論文を書いてるような人たち)
そういう人たらしテクを使う人種は、独立してやってるカウンセラー()とか、占い師とかの水商売系、あとは営業職じゃねーの。偏見ですが。
精神医学分野の知識を学べばいいって発想が興味深い。つまり普通の人は精神科の医師をカウンセラーかなんかだと思ってるんだな。
増田はスタンダードな精神医学の教科書(医学書院とかが出版してるようなやつ)を2〜3冊くらい買ってザッと読んでみればいいよ。精神療法に関する記述が殆どないことに驚くんじゃない?
いや友達いませんけど?
ここ増田ですよ。逆張り大好きマンのすくつ(何故か変換できない)ですよお。
友達はいないが通院先の精神科主治医を相手に一時期そういう哲学的な話をしてたな。
その人は文系じゃなくてゴリゴリの理系だったからあんま有益な話はできなかったけど。
答えのない問いにのんびり付き合ってくれるほど相手は暇じゃないし。
UCSFに留学して出世するような頭の良い人だから洞察力と物事への理解力が高くてそこだけは勉強になったかな。
そんなわけで元増田は金で解決したいなら、臨床心理士(この時点で修士号以上確定)かつ公認心理師を持ってるSSランク大学院卒のカウンセラーを見つけて、そいつ相手に課金(カウンセリング料金を自費で支払い)して哲学的な話をすればええと思います。
生まれたときから全身不随、全盲全聾、犬でも「待て/お手」程度の指示は区別して理解できるのにその程度の言語理解も不可能な重度知的障害者で短期記憶能力にも致命的な障害があるという人は、就学年齢になったらどうされるんだろうか?
教育を受けさせる義務が例外規定があることを私は知らないのだが、例外がないとしても一体こんな人間に何を教えればいいというのだろうか?押し付けられる養護学校も困るのではないか。何を教えても暖簾に腕押し状態だ。
でもまあ自分が発達障害の病院付属のデイケア体験してみたとき、なんか気に食わなかったからそのカウンセラーの指示に対して理解してないふりをもともとのデイケアの規定の1時間ずっとしてたら、なんてことなく今日はこれで終わりみたいな感じで切り上げられた。
それと同じようにこういうのに対して養護学校も、理解しないことをわかっていようが形として教えることはして、終了時間になったらそそくさ職員室に逃げていく感じなのかな。
しかしそうだとしたらそんな形で守ればいいみたいな遵法精神ってかえって問題だよねと。
就学前に植物人間、同世代が高校生になるタイミングで奇跡的に回復という場合、国にはこいつに義務教育を施す用意はないらしい。
法律で就学年齢過ぎてるからそれで終わりって、デイケアのカウンセラーが時間経ったら自分の仕事は終わりだといわんばかりに行っちゃうのと同じ。
そのファンも「清く正しく美しく」あろうとする傾向がある。
現代社会ではとても難しい。減点方式だから。曇りがあってはいけないから。でも、楽に達成する方法がひとつある。
それは「何もかもを他者のせいにすること」
他人を攻撃している間だけは、自分は「清く正しく美しく」いられる。
正義の恐ろしさに似ている。
個人的には、「清く正しく美しく」はモットーにしないほうがいい。攻撃の口実になるから。
ジェンヌさんたちも、たまにはこっそりさぼってもいい、醜い部分があってもいい、そう思ってほしい。
文春のことはあまり信じていない。最近は読んでないけど、初期の時点で矛盾を感じたから。
でも、宝塚に問題がないわけではない。たぶんたくさんある。それはこれから公式が調査・発信することだからファンは大人しく待っとれ。
まあ数十人いて、すべての組み合わせで仲が良い組織なんてありえない。
相性が悪ければ距離をとればいいが、それが難しい組織構造だったのだろうな。そもそも配役が近ければ、距離を近づけざるを得ない。何もなくてもカウンセラーに常駐してもらうとか、そういうのがあればよかったのかもしれないけど、これは後出しジャンケンだね。
おそらく長く、ファンも宝塚にある違和感も見て見ぬふりしてきた(それは私も同じ…)
それをなんとか回避しようとして運営or文春を過剰に叩く、今の地獄のような界隈の状況がある気がする。
最近フワちゃんのラジオを聞いてる。清くも正しくも美しくもない。別にそれでいい。そのくらいでゲラゲラ笑って生きていこうぜ、なあ。
あなたのお話から、仕事に対するストレスや不満が大きいことがわかりました。仕事が嫌で、早く家に帰りたいと思うのは当然の感情だと思います。
仕事に対するストレスや不満を解消するためには、以下の方法が考えられます。
仕事の目標ややりがいを明確にすることで、仕事に対するモチベーションが高まり、ストレスを軽減することができます。
例えば、あなたが営業職であれば、新規顧客を開拓して、売上をアップさせることが目標かもしれません。また、あなたがエンジニアであれば、新しい技術を習得して、より良いサービスを開発することが目標かもしれません。
仕事の目標ややりがいを明確にするために、以下の質問を自分に問いかけてみましょう。
仕事の嫌なことは、一人で抱え込まずに、誰かに相談しましょう。家族や友人、上司や同僚など、信頼できる人に相談することで、ストレスを軽減することができます。
また、カウンセラーに相談するのも一つの方法です。カウンセラーは、あなたの話を傾聴し、客観的なアドバイスをしてくれるでしょう。
仕事で溜まったストレスを、適度に発散することも大切です。趣味やスポーツ、旅行など、好きなことに没頭して、リフレッシュしましょう。
仕事以外の楽しみを見つけることで、仕事に対するストレスや不満を軽減することができます。
例えば、趣味やボランティア活動、旅行など、仕事以外の楽しみを見つけてみましょう。
もちろん、これらの方法を試してみても、仕事に対するストレスや不満が解消されない場合は、転職も検討してみるのも一つの方法です。
転職を検討する際には、以下のポイントを押さえておきましょう。
あなたは、仕事に対するストレスや不満を解消し、仕事とプライベートの両方を充実させたいと考えているのだと思います。そのためには、自分に合った方法でストレスや不満を解消することが大切です。
●結論
精神科に行って薬出してもらって3ヶ月様子見ろ
●本論
まず初めに言っておくと俺は「うつ病」認定されて精神障害者保健福祉手帳持ってる(3級)
昔の仕事関係でうつ病発症してから2年くらいニートしてたけど、貯金がヤバくなったから派遣バイトから始めて今は契約社員で年収200万代だけど働いてる。
通ってる病院の医者からは「お前は労務不能状態だから仕事すんの無理。市役所にもお前の診断書送って『生活保護受けられるように段取りしておいて』って伝えてあるからすぐ市役所行け」って言われた。
(生活保護だけは嫌だったから申請取り消しのための書類とか書いた。国は生活保護者減らそうとしてるんじゃないの?なんで俺が預かり知らないところで申請通ってるの?とは思う)
・気分が落ち込んでるからといって何もしない
・人によっては仕事する時間帯は気分が落ちるけど終業後は元気(非定型うつ)
大体この3つのうち1〜3点に当てはまる。(俺調べ)
俺も出勤前にドアの開け方が分からなくなって欠勤した経験とか、スマホや小説の文字が滑って読めない、文字が浮き上がって部屋中に飛んでいった経験もあるし。
でも程度にもよるけど、うつ病患者って365日24時間うつなわけじゃないんだ。
わりと体動かせる日もあるんだ。
周りの自称うつ病の話聞いてると「こいつ頭湧いてんのか」って何回も思った事ある。
整形外科とか行くよな。
39℃の熱が出たらどうする?
内科行って解熱剤とか諸々薬貰ってくるよな。
「精神病扱いされたくない」「精神科行くのが恥ずかしい」「プライドがあるから俺は行きたくない」とかなんかしら理由をつけて行かない。
もちろん診察を受けようとして電話した人も中には居た。
でも今って精神科の受診者が多いから「新規の人は2週間〜1ヶ月後になりますね」って言われて、そこで心折られて諦めちゃう人もいる。
でも何とか初診の予約が出来て予約日に病院行って診てもらって薬まで出してもらった人も居るんだ。
「もっと自分がどれだけ辛い思いをしたかっていう話を聞いて欲しかったのに全然聞いてくれない」
「薬だけ出して薬漬けにしようとしてくる」
みたいな文句つけて2回目から精神科に行かないし貰った薬も飲まない。
これは知識として
という事を知らない人が多すぎるせいだと思う。
「自分がどれだけ苦しい思いをして来たか」っていうのを聞いてくれる(いわゆるカウンセリング)のはカウンセラーとかが居る病院だったり施設だったりするわけだ。
何故なら精神病は「本人の自己申告」に対して「医者がどの精神疾患なのかを推察」して薬を出してるからで、躁うつ病の人にうつ病の薬出す事もあるから。
しかも抗うつ薬なんかはたくさんの種類があって、その中から自分に効果のある薬を見つけないといけないから。
そして2回目の診断で薬が効いたか、前に比べて落ち着きを取り戻したかなんかを判断してまた薬を変えたり量を増減して投薬するわけだ。
「精神科まで行って薬も飲んだのに良くならない、つまり俺はもう治らないんだ」
そんでTwitterで薬の写真載せて「俺は薬漬けにされて苦しんでる」とか呟く。
筋トレで例えると1日30回腹筋した翌日、鏡を見て
って言ってるようなもん。馬鹿か?
自分に合った精神科医と薬を見つけて、最低3ヶ月は様子を見ないと効果は出ない。
ただTwitterでは鍵をかけたりつけたり裏アカ作ってその事仄めかしてしんどいアピールしてる。
今お前が手に持ってるもんは何のためにあるのかマジで考えて欲しい。
自分自身の中だけでやっていけるやつは一生自称うつ病やっててもいいけど、そいつらは人に構ってもらおうとする。
例え相手が仕事中の時間でもそんなの関係無しでLINEやらメール送ってくる。
そして10〜20分返信がないと不安になってまたうつツイートやらリストカットする。
頼むからマジで「あれ、最近不安な気持ちが晴れないな」って思ったらすぐに精神科行ってくれ。
足をしたたかにぶつけてドス黒く変色してる、骨が飛び出てるような奴で「最近なんだか足が痛いんだよな〜」とか言って普通に仕事してるやつが居るか?
そしてお前らみたいなのが居るから、俺のような「うつ病である事を認識し、一生付き合う覚悟をして社会に出てる」人間が割を食う羽目になるんだ。
お前だけが辛いんじゃない。