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はてなキーワード: 藤野とは

2021-07-21

kuzumimizuku 「正解」というと「ひとつだけ」「それ以外は間違い」感も出てしまうけど、ルックバックが受け手によって様々な正解がある作品であることは既に話題性から明らかで、正解がひとつなら万人には刺さらないとは思う。

ちょっとだけ疑問に思ったので。

正解がある話の場合基本的に作者の神経が行き渡っていて、それを読ませる伏線と読者の文脈一般的国語能力があれば誰でも答えにたどり着けると考えている。さらに言えば作中に正解があるからこそ一定の答えにたどり着けもする。

この人が言うところの万人受けについて考えてみたいが、いわゆる一つの要素につき多義解釈可能からルックバックは正解の多様性を生んだと考えているのだろうか? はたまた、クエスチョンがいくつも用意されていて平たく面として序列的に解析可能と考えるだろうか? いずれでも実は正しく、そしてもしかすれば間違っているように思えてならない。

第一に、ルックバックは一つのシチュエーションから多義解釈可能で、例えば殺人事件一つとっても藤野心証をただ単に害した事件という表層的なもののみかたから、藤野の旅立ちの一歩への断絶とも読めるし、京本との断絶から藤野未来マンガへとつながったという一つのシュチュエーションにも読める。そして、京都アニメーション放火事件ともかけてある。平行世界の二人が橋渡しされて、今に帰ると読んでいる人もいる。少なくともこのどれもが作者の意図範疇内にあるように個人的には感じている。したがって一要素が多義であるがゆえに万人受けする作品である、という言い方は正しい。一方でこうした出来事網羅的に表記して見比べることで全体像を浮き彫りにすることも可能で、それぞれの要素をすべてカバーしているから万人に受けたと言いかえることもできる。例えば先程の皮相的な悲しみがそれに当たるし、単純に京本藤野ライバル作家メタといった、表面上のわかりやすいところだけをさらう層にも刺さったという見方可能だ。この作り方は宮崎駿で言うところのポニョ千と千尋に等しい。表面的なところだけ見てもファンタジック作品として通用するが、反面深堀りすればいくらでも見えてくる、という重層的な作品ととなっている。この重層的という一言を前述では「多義」と「箇条書き・ベタ面」として表現した。

箇条書きにできる能力があれば多義性も特定できるし、表層面も見ることができる。そしてそれは紛れもない「正解」だ。分解すれば誰にでもわかる二面の正解が用意されているがゆえに、物語には正解がある、という立場を取りたい。

ルックバックに「正解」はあるのか?

正解はあるよ派

タツキに決める権利があるよ」

多数派正義だよ」

批評家が決めるよ」

IQが110以上ある人たちにとっては答えなんてそもそも1つしかないよ」

物語テーマが最も濃厚に伝わるにはどうすればいいか考えれば分かるよ」

「もしも妄想じゃなかったと言うなら4コマの貼ってある窓が映る漫画的な意味がないよ」

「もしも平行世界じゃなかったと言うならふさぎ込んでたやつがいあんなふざけた4コマを描いたんだよ」

京本存在しないよ」

存在しなかったのは藤野の方だよ」

「起こった悲劇は変えられないよ」

作品リアリティが突然下がることはないよ」

「都合が良すぎると疑問に思わない人はメンタルを病んでるよ」

エロゲをやりすぎてるから漫画普通に読めなくなるんだよ」

「正解がないと延々と不毛な議論が続くから正解があるべきだよ」

「正解がないと考察した俺が馬鹿みたいだから正解があるべきだよ」

正解はないよ派

タツキにさえ決める権利はないよ」

物語感想考察は読者の所有物だよ」

多数派が選んだのが正解の不在だよ」

「正解がないことが正解だよ」

漫画クイズじゃないよ」

「劇中の描写だけで一つに絞るのは不可能だよ」

タツキが答えを一つだと言っても出された作品がそうじゃないならそうじゃないよ」

物語意味必須だと思う人は現代アートとか大嫌いだろうね」

創作意味必須だと思う人は現代アートとか大好きだろうね」

可能性のゆらぎを描写している作品に一つの解があると思うのが間違いだよ」

「正解があると延々と話し合えないから正解はないべきだよ」

「正解があると他の考察してたら俺が馬鹿みたいだから正解がないべきだよ」

愛だよ派

「とにかく愛の力だよ」

「愛は平行世界を超えるよ」

「愛は現実を超えるよ」

LGBTだよ」

友情だよ」

京本の一生洗ってないちゃんちゃんこはい匂いがしそう」

「間に挟まりて~~~」

統合失調症差別だよ派

病気の人をだすのはよくないよ」

「俺は傷ついたよ」

唐突すぎるよ」

地震で殺したら災害に絡められるから安易殺人鬼を出したのが逃げだよ」

「完全にあの事件モチーフだよ」

「異常者が起こした事件をダシにしてステレオタイプみたいに扱うなよ」

「俺がでてたよ」

百合の間に挟まれた~~~」

なんでこんな流れになってるの派

普通に楽しめばいいよ」

「正解があってもなくても名作だよ」

キャラ可愛いよ」

「背景が綺麗だよ」

マウントの道具に使ってるやつが多くてウンザリだよ」

「お前ら漫画読むの下手すぎるよ」

話題になりすぎだよ派

「正直大したこと無いよ」

京アニ事件と絡めて無ければ凡作だよ」

「あの映画パクリだよアレアレ

「俺が描いてた作品パクリだよ」

「この程度で騒げるやつが羨ましいよ」

所詮漫画だよ」

「俺はつまらなかったよ」

「こんなのより俺の作品もっと評価されるべきだよ」

作品は描いてないけど俺がもっと評価されるべきだよ」

ルックバックって統合失調症批判してなくね

そもそも藤野犯人悪者とは言っていないし、京本が死んだのは自分責任だと思っている。

そして、実際に復讐するのではなく、空想世界事件を予防(≠復讐)するだけ。

そもそも蹴りを入れたのも統合失調症患者を悪としているわけではなく、自分京本美大入学させた責任を果たすにはどうすべきか考えた結果。(懲悪ではない)

藤野犯人の素性を知らないので、犯人人生をどうにかする、という解決法はなく、藤野個人で考えられる予防方法としては直前の蹴りしかない。

正直そこまで統合失調症患者批判する文脈が無かった気がする。交通事故と同じ扱い。

普通に統失もっとやばい奴として扱っている作品はたくさんあるし、京アニ事件報道の方がよほど統合失調症患者を悪として扱ってたと思う。

その京アニ事件引用しているのが悪いと言われたらその通りだが、ルックバックの主題はどう京アニ事件を乗り越えるかってところにあったと思うから仕方ない。

その乗り越え方としても、統合失調症を悪とする方法勧善懲悪ではなく、あり得た世界でも京本漫画を描き続けて欲しいと言われたから、と非常に前向き。

ルックバック自体統合失調症ヘイトを加速させる要素は無く、あくま京アニ事件という事実引用しただけに過ぎないと思う。

anond:20210719195613

[]ルックバックの本当のネタバレ犯人タツ

マンガが得意な小4女子藤野

ひきこもり京本マンガの絵が自分より上手なのにショックを受けるが、そこから本格的に絵の勉強を始める。

努力をして画力も上がるが、小6の途中で京本との才能の差を感じて筆を折る。

先生卒業証書を渡してくるように頼まれ藤野

この先生のやる気のなさから京本不登校の原因はいじめで、それを放置する学校姿勢が透けて見える。

京本から藤野マンガ作品へのリスペクトを熱く語られる。

自分より上だと思っていた相手からの意外な言葉有頂天になる藤野

ここで藤野漫画の賞をとる話を考えていると嘘をついて京本を騙し、支配関係を作る。

自分学校に行っている間に、京本作画をさせて読み切り作品作成。共同名義で漫画の賞に当選読み切りも7本掲載。連載も決まる。

しかし、京本藤野に「無理 ぜったいムリ!」と反対されながらも藤野から離れて美大へ進学。

その後、京本学校事件に巻き込まれる。

藤野事件の後で思い出すエピソード

「だからもしさ もしウチら漫画を連載できたらさ すっごい超作画でやりたいよね」

中略

「じゃあ私ももっと絵をウマくなるね!藤野ちゃんみたいに!」

京本藤野よりも作画が劣っていると思い込んでいる。

「おー 京本も私の背中みて成長するんだなー」

と強がる藤野

一旦はあきらめた漫画を、入賞することができたのは、

京本読み手として、藤野の良い所を引き出す力があってこそ。

そして圧倒的な画力

京本がいなければ漫画家で成功することはなかった。

藤野自身が一番知っている。

しかし、編集者にも京本にも「京本は背景だけ」と話す藤野

別れる時も京本の才能、人格を認めずに支配関係を崩そうとしなかった。

いままでは自分支配していたが、離れてしまっては、京野は自分の才能に気がつき、利用されていたことを知る時が来る。

藤野犯人キックで倒すハッピーエンドでも藤野京本

最近また描き始めたよ!連載できたらアシスタントになってね!」

京本を再度、支配下に置こうとする。

ここでの犯人の言説に注目したい。

犯行動機は、京都アニメーション事件のように、自分作品盗作されたと盲信、というのとは少し違う。

男は

大学内に飾られている絵画から自分罵倒する声が聞こえた」

と話す。

男が犯行の時の台詞

「ちげーよ!!俺のだろ!?元々オレのをパクったんだっただろ!?ほらな!!お前じゃんやっぱなあ!?」

男の聞いた罵倒する言葉

「お前の作品はパクりだ」

という内容であったろう。

作品盗作していると批判されるのは、無名人間に向けられるものではない、作品が世に出ている人に対してである

では男は誰か?

成功した作家

そこには藤本タツキ自身の姿が現れる。

天才と称される藤本タツキの苦悩。

作品の中での人殺しは止まらない。

anond:20210722115509 タグ追加

ルックバックは別に創作賛歌ではないのでは

京本が死んでひたすら悲しい、その悲しみを消化しきれていない、ラスト以降藤野は悲しみから立ち直れるかわからない、強い喪失感が描かれている、という風に読める。というか私はそうとしか読めなかった(ただ後述するように、創作賛歌とも読めるのでタイトルは言い過ぎなんだが)。よくできたマンガだとは思うけど、これを読んで心を折られたりやる気をだしたりするのは違和感が強い。人生を共にした友は理不尽に失われたけど主人公は立ち直って自分の好きなマンガ描いていくんだ!とだけ読むのはポジティブシンキング過ぎるんだよな。

そもそも作者は私の読みも可能なように描いているとは思うが、強いてその根拠を挙げるなら、

1.京本の部屋で泣いて以降藤野の表情は描かれていない(ので、ラストでもどんな顔で机に向かっているかからない。漫画を描けているかすら不明)。

2.ラストコマ藤野のうなだれ方が他の同じ構図のコマと比べて大きい。悲しみに沈んでいるように見える

3.ラストコマは同じ構図の最も近いページのコマに比べて大して景色が変化していない(なので、事件後の藤野未来が描かかれていない)

といったところ。

作者は創作賛歌とも読めるようにこのマンガを描いている(例えば、2.はより深くマンガに集中しているともとれるし、3.は明確にどれくらい時間がたったか描写されていないので、立ち直ってしばらくたった後、ともとれる。1.は立ち直ってマンガ描きの日常に戻ったことを意味している、ととることは可能)というのはわかるんだが。まあ、解釈の幅を残すように描いているとは言えるだろう。悲しみを乗り越えて生きていくんだ!よりも悲しみとともに生きていくしかないんだ、人生は決定的に変わってしまったんだ、の方が私は好みなんだよ。

2021-07-20

キチガイだと思ったらキチガイだったときどうすればいい?

[B! 創作] 『ルックバック』で並行世界とか言ってるのはアホです - esbee's diary

これを読んだ僕は

「うわーやべー!キチガイだ!念の為ブコメ確認してキチガイだったら非表示にしなきゃ!」

と慌てて彼のブコメページへと飛んだ。

まず注目したのが彼の自分ブログへのセルクマである

esbee 2021/07/20

書きました。タイトルの通りです。『ルックバック』で安易に「並行世界」とか言ってる人はあほなので、無視しましょう/さっそくあほが見つかったな…… 藤本タツキ 創作 マンガ sf セルクマ

おお……自慢気にセルクマ。そして「俺と違う意見のやつはアホ」を釣りではなく本気でいっている証拠追記まで……。

ショッキングだ。

釣りなら良かったがどうやら本当にキチガイらしい。

その前後ルックバックの感想に対するコメントが続く。

やたらと上から目線である

ちなみにコイツルックバック自体へのブコメがこれ

esbee 2021/07/19

チェンソーマンアニメ発表会の質疑応答で、「タツキは絶対ニートになるからどうするか」を家族が話し合っていて凹んだというエピソードを思い出してフフっとなった マンガ 人生 創作

これだけで性格と頭の悪さが伝わってくる。

ダニングクルーガー効果の好例であることはもはや疑いようもないだろう。

「俺、藤本タツキめっちゃ詳しいぜ?」マウントが実に気持ち悪い。

駄目なオタク典型である

まだ中学生であることを願うばかりだ。

これで30を超えていたらもはや人格全てが再起不能というほかない。

そして、遂に恐ろしいブコメが見つかる。

彼のクソブログ記事についたコメントへの返答ブクマである

ブクマで返答という文化IDコールじみていてとても気味が悪い。

コイツ自身ツルハシを持って暴れ出さないか不安すぎる……。

まあそれは置いといて。

並行世界によって作中の現実や我々の現実が変化するなどの影響を受けていない”救われた世界4コマが返ってきたでしょ。藤野京本の思いが引き寄せた4コマでそれぞれの世界と繋いだって読むと楽しい"

に対して

esbee 2021/07/20

あー確かに!すいません、そこは思いこんでました。死んだ京本事件の前に偶然描いた四コマかもしれないですけど、はっきり描写してないですね。並行世界にもとれる風にしている。さすがタツ先生は巧いな

オー……ノー……だズラ……。

散々「平行世界というやつはあほ!おっ!あほが見つかった!またアホだ!」と騒いでおきながら突然の手のひら返しである

というかこの発想がまったくなかったのに平行世界否定したというのが凄い。

それは単に「他の人は3つぐらい仮説を持ったうえで作品に挑んでいたので色々言っていたが、自分けが1つしか仮説を思いつかないまま得意げにそれを絶対視していた」という自白しかない。

それでもまだ自慢気に語っている。

ダニングクルーガー効果が凄い。

いやむしろ、こういう状況を一言で表せるダニングクルーガー効果という概念が凄いのだろう。

凄い。

小山田ですら顔を赤らめて自分ブログを消しにかかるようなシチュエーションながら、彼は「またあほが見つかったぞ」の追記さえいまだ消していない。

どうやら脳みそが30年ほど時代に追いつけていないようだ。

こんな哀れな男が見れるのははてなブックマークだけ!

こういうアホが見れるのが魅力なのだから非表示にするのは勿体ないな!

とういわけで私の非表示数は未だゼロである

非表示チュートリアルと称される例のキチガイ達も未だに表示しっぱなしだ。

健康には良くないと思う。

anond:20210719125034

夏だからオカルト要素を入れましたなのか

SF要素で時間を巻き戻したのか

ドラマとかでよくあるよな。

妄想とか夢だった、みたいな展開の後で、その妄想世界のモノが主人公の手に届くとか。

マンガだしなー、アセチレン・ランプの頭のローソクがそれまでマンガ記号で火が付いてたのが、ある日突然他のキャラに奪われたり、可燃性のものに引火して大爆発しちゃったりしたのに比べれば全然かわいい」で流してた。

ちなみに並行世界妄想か、でいうとこれは妄想くさい。

キックを放つの京本を助けたいと決死覚悟がないといけないだろうし、そのためには友達関係になってないとそういう気持ちにはなってない。

バタフライ・エフェクトでは主人公最初から恋人一目惚れしていたし記憶を保持できるからいいが)

京本の「藤野先生!」って展開が妄想くさい。←まあ、現実ルート京本も都合の良い存在でなんだかって思ってしまうんだけどね。

まあ藤野妄想癖説と京本犯人統合失調症説を採用してもある程度は展開できるとは思うが。

それならマンガの冒頭から誰かの夢みたいな押井守展開もありえる話になってしまう。

ルックバック 断絶のない京本さん

私について、はじめに書かなければならないといけことは統合失調症当事者であること。

ただ、寛解状態であることも付け加えておきたい。

はじめてのアノニマスダイアリーであるし、ワードサラダで読みにくかったらごめんなさい。

ルックバックについては、何回も読み返していないけれども藤野さんの悲しさに共感できる話であったと思いました。

それ以上のことは、頭が悪いのであまりうまく感想は書けません。

この作品を読んだとき加害者が出てきましたが、京都アニメーション事件を想起させたのと統合失調症の特徴だなと思いました。

加害者の描画と作品についてそれ以上の印象はあまりありませんでした。

なぜかというと、私のひねくれた性格によりなぜ絶賛されるのかというのをずっと考えていたからでした。

ところが、この作品コメント統合失調症という言葉を用いた酷いものがあり憤りを感じました。

私は気質には易怒性がありますが、落ち着いて、簡単統合失調症という言葉を使うのは悲しいとコメントしました。

昨日はそれ以上のことは、この作品について考えていませんでした。

今日の朝に、ブログ名蟹の話さんが話題になっていました。内容は当事者としての憤りを感じる文章でした。

私としても共感はできる内容だと思いますコメント欄を見てみようと思って見るとやはり酷いと思えるようなコメントがいくつかありました。

私は、はてぶコメントにもう一度悲しいと書きたいと思いましたが、こうしてこのアノニマスダイアリーに書くことにしました・

ここから話が変わりますが、最近特に怖く感じることがあります。それはネット上で沢山みられる攻撃性です。

最近インターネットテレビを見ますが、そのコメント欄は酷く攻撃的です。

その他にも、ここ数日著しく攻撃性が強くなっていると思います

それが特に怖いです。

私は、小学生中学生、そして職場で辛い思いをしてきました。

今では私の気質に若干の問題があるのかもしれないと感じていますが、

統合失調症発症後に、その症状を知っているひとからキ〇ガイやら頭がおかしいと言われることもありました。

その後もうまくいっているその人物に、正直呪いたいと思うことはごくまれにあります

だがほとんどそのようなことを考えることはありません。とくに有名な人物ではありませんし。

それ以上に、人間というものが怖くてしかたありません。

また、少しだけ話が変わります

数年前に隣に住む男性刃物をもって街にでたことがあり事件になりました。

その男性の通勤する姿を見る方はいなく街で見かけることはなく、ずっと家にいた人物だったようです。

その男性は病気があるかはわかりません。

そしてひきこもりが必ず事件を起こすとは限りません。

私は家族仕事をしていますが、正直うまくいっていません。

今年中には転職しなければならないと考えています

障害者雇用就職活動しますが、もしうまくいかずに、

私がひきこもって社会と断絶したときに、

なにかを起こしてしまいそうだということに今恐怖を感じています

比較的症状の軽い統合失調症当事者の方々は、

社会との断絶がないように、なにかをしていただけたらと思います

また、重い症状の方々には、

どうか社会から断絶しないような援助がなされることを望みます

うまく書けなかったけど。まだ書きたいと思うことありそうだけど。

終わります

anond:20210719231615

平行世界から四コマが届く、もアリだけど

京本が亡くなった世界にも元々京本自身四コマを描いてて、だから風が吹いて窓に貼った四コマ京本の部屋から流れてきたっていう解釈も出来るんだよな

 

京本大学に行ってやりたかたことが背景の画力向上とかだけじゃなくて、藤野に追いつきたかったっていう部分だったんじゃないかと思う訳で

話を最初の方に戻せば藤野四コマに感動して、その隣で四コマを連載し続けた京本はその画力の凄まじさで藤野を圧倒したけれど、本人が言う通り遅筆気味で、

それでも藤野と並んで学生新聞四コマ投稿し続けたあの頃が京本にとっても原動力で、そして何より藤野人間セリフコメディを描いていたのに京本はずっと引きこもった生活から見える景色しか描いて来なかったか

学生新聞に横に並んで四コマを描かれていた状態原動力とするならば、卒業式の日にもらったあの四コマへ回答を出したいだろうから

から、少し進歩した自分なら描けるかなと思って亡くなった世界京本自身が亡くなる日の何日か前に描いたのかもしれない。

 

から卒業式の日に引きこもり自分揶揄して、引きこもりすぎて骨になった自分オチに描いたあの四コマへのお返しに、あの日、「背中を見ていろ」と言った藤野背中ピッケルが刺さってて「お前の方が背中を見ろよ」と言いたかったのかもしれない。

そしてタイトルも「背中を見て」なので、これは京本自身の「必ず大きくなって帰ってくるから、むしろ追い抜いてやるから」という気持ちが乗った四コマ漫画とも解釈できる。

 

そういう現実視点希望解釈の出来るSFの悲しい到達点が合流する部分があるから、あの作品はとても面白いのかもしれない

 

そして何より全て藤野幻覚で、最後に貼ったあの紙も本当は何も描かれていない、もしくは全く別の四コマが載っている、かもしれないのも面白さな訳で

どちらにしても藤野はあの四コマを見上げて誰かの背中を見続けるんだろう。景色を見続けるのだろう。思い返すのだろう。

自分の隣に居た天才の背を追いかけていた日々を思い返すのかもしれない。

それが白紙四コマだったとしても。

[]2021年7月19日月曜日増田

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2021-07-19

ルックバックの5分解説

藤野ちゃんちゃんこ藤野京本サインをしたもの

長いので忘れている人がいるかも知れない『超重要ポイント』なので一応。

京本藤野に大ファンだと告げたあと背中サインを描いてくれといったちゃんちゃんこ藤野大事に飾っている。

これを見ると藤野は、京本からの『藤野の才能に対する信頼と期待』を思い出す。

カラテ藤野漫画を描いてない

カラテをやり込んでいる方の藤野漫画を描いてない。

これから漫画を描く。

論拠は「小学校時代漫画賞に出すと言ってたのが嘘から出た真になったこと(見栄っ張りの一言で済ませてもいいが、京本背中を押されるような才能が自分にあるのならば漫画を描き続けている自分でありたいと思う姿を前借りして宣言してる感じ」。

藤野漫画を描くのは読者のため

楽しんで読んでくれる人がいるか漫画を描き、そうじゃないと辞める。

論拠1「藤野歩のチャンチャンコの次のページから始まる回想」

論拠2「京本に褒められなかった藤野世界には、『次回作を望む読者』存在しない」

カラテ藤野大学孤独京本を助けた世界から落ちた四コマは「先に描かれた方の世界でふさぎ込む藤野」へと届く

この作品世界線の数は2本。

一つは小学生の時に京本藤野リアル出会世界で、もう一つは大学で始めてリアル出会世界

物語で先に描かれた並行世界時系列

藤野が描いた4コマ全てが京本の部屋に滑り込む→二人が出会う→藤野キョウが産まれる→分かれる→美大京本死ぬ藤野が落ち込む→『4コマ漫画裁断する』→『1コマ目だけが平行世界へと届く』~~ここからしばらく平行世界側の描写~~『平行世界から4コマが届く』→復活する

次に二人が出会わなかった世界時系列

『平行世界からコマ目だけが京本の部屋に滑り込む(4コマ全部が連なった方は代わりに消える)』→二人が出会わない→読者を失った藤野カラテに打ち込む→カラテ京本を助ける→漫画を描いていると藤野が嘘を付く(多分あとで本当になる)→京本藤野元ネタ4コマを描く→『4コマが二人が出会った世界で落ち込む藤野のドアの下へと滑り込む』

んなSFあるわけねーだろという人へ

この作品にはSF否定解釈存在し、途中から描かれていた平行世界は「もしも小学校時代藤本がドアの前で描い漫画が1コマ目だけ描いてやめていたり、アホらしくなって指でちぎって1コマだけになっていた場合ありえたif世界」と解釈することが可能となっている。

また、藤野が復活した場面については、「藤野自身がふと自分のありえた可能性について自嘲的に描いた4コマを通して初心に帰ったら?」という解釈によるSF的な力を借りること無く実現できる。

つの可能性が描かれている時点でSFだというなら、それはそう。

藤野京本-藤本="京"野=京+今日

今日=7月19日

7月19日+ルックバック=7月18日

7月18日の「京」

多分これでググったもうでてくると思う。

「連載できたらアシスタントしてよね」

最後は俺が一番好きなシーン。

連載が出来た方の藤野は、二人が出会った世界で生まれ藤野キョウ。

アシスタントしてよね」という言葉を単に背景美術とだけ考えると生存した世界京本アシスタントはしていない。

でも彼女は平行世界を超えて「藤野キョウ」最大のピンチに最高のアシスタントをすることに。

フィクションは一つだけ大きな嘘を」なんて言う人がいるが、この漫画でもしもたった一つだけ「超自然的な」ことが起きるポイントとしてここが選ばれているのだとしたら、最高だね。

天才コイツ

anond:20210719214131

藤野京本の話だからそりゃ狂人はただの狂人しかならんよ、読み切り視点ゴロゴロ変わると話が分かりにくくなるし、何を伝えたいのかもブレるし

描くとしたら狂人視点の別の物語になるが、おそらくは凶悪モデル糖質オッサン主人公はキツいわな……

ルックバック』は藤本タツキ先生の極めて私的決意表明しかない

藤本タツキルックバック』のネタバレ

先に断っておくと,今から私は極めて(藤本タツキ氏に対して)無神経なことを書くつもりであり,その点については先に謝罪しておく.ごめんなさい.じゃあなぜわざわざ書くのかといえば,既に以下のようなコメントネット散見される状況ならまあ書いてしまってもいいかと思ったから.

https://twitter.com/imaitetsuya/status/1416946323043979267?s=21

ルックバック』、すごく面白くてすごい作品だったんだけど、あの事件をこうやってすばらしいエンタメ昇華することやその世界共振して祈りや救いのような気持ちに包まれること、になんというかすごい恐ろしさのようなものも感じる気持ちもあってうまく考えがまとまらない。すごく面白くはあった

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355

masa_bob どんなに才能があったとしても2年前の実在事件Don't Look Back In Angerと言って公表する権利があるのかが気になったことはブコメしておく

world24 ”Don't look back in anger”は遺族しか言えない言葉だと思うけど。なんか事件が読者には「エモさを強調するもの」として消費されちゃってるな。


端的に言ってしまえば,藤本タツキ先生はその事件の「遺族」だったんではないの,という話である.それがどこまで文字通りの意味でそうだったのか私は知らないし特に知りたいとも思わないが,マンガの描かれ方からして私はそう読み取った.

この作品倫理的な危うさを感じてしまう人が一定数出てきてしまうのは理解できる.作者情報ゼロで読んでいたら私もそう感じていたと思う.そのような目線で読むと,この作品はまるで読者に対して「事件からもう二年も経ったんだし,うじうじしてねーで前向こうぜ」と語りかけているようではないか.何様のつもりだ.

でも,このマンガタイトルは『ドンルックバック』ではないのだ.作者はルックバックしているのである.作者自身過去を.

このマンガは,作者自身リアルな経歴に対する自己言及の量が度を越している.ちょっとした遊び心のあるセルフパロディといった次元で片付けられるものではない.

登場人物名称藤野」+「京本」=「藤本」.京本大学は明らかに作者の出身大学だし,『シャークキック』は明らかにチェンソーマンである

https://twitter.com/12_Popo_36/status/1416781566928244742

ルックバックに出てきたシャークキック名前の由来

チェンソーマン)↔シャーク

(ファイア)パンチキック

って考察があったけど

チェンソー対義語シャークなの完全にシャークネードで笑った


から,私はこのマンガ藤本タツキ先生自伝だと思って読んだ.おそらく先生は,あの事件自分の中のおよそ半分くらいを奪われたのだと思う(藤本の「本」=京本).それがどこまで文字通りの意味なのか,藤本先生に「では君は当事者なのか」と踏み絵を迫るが如く問い詰めることは,それこそとんでもなく無神経な行為となるので私は望まない.先生がこのような形で自分の思いを弔うことを選択したのだから,ドヤドヤと首を突っ込む権利こちらにはないと思う.

では仮に当事者だったら許されるのかとか,事件に対する関係性を濁したままで許されるのかとか,ああいったトラウマ的な事象表現として扱う際の手つきとしていかがなのか,とかいった問題は,私は詳しくないのでここでは触れられない.こーいう問題系ってホロコースト表象不可能性に関して『シンドラーのリスト』や『ショア』と絡めてめちゃくちゃ論じられてきた話でしょ.誰か詳しい人論じてくれ.

ともかく,このマンガ藤本タツキ先生の極めて私的回顧録かつ決意表明であって,それ以上の何かは特に込められていないのではなかろうか.

https://tomoko.fanbox.cc/posts/2500517

まりルックバック』という作品はそのまま藤本タツキ先生メメント・モっている状況、葛藤を描いたもので……ラストシーンは「充分にメメント・モったのでここからはやっていきをやります」というお話なんだと思った。

↑この記事には概ね同意するが,特に読者が「べき」を感じる必要性はないと思う.何か規範的なものを論じているわけではなくて,藤本タツキ先生の「やっていきますうおお」という日記が半ばフィクショナルな漫画作品として結実したものに過ぎない.そのマンガ的技巧の卓越さに驚嘆しようが,あまりの圧倒的な才能の発露に心を折られようが自由では.

メタ的なことばっかり書いてきたが,以上を踏まえての私なりの『ルックバック』に対する感想シンプルである

チェンソーマン』で一番好きなのはアキくんです.高校編楽しみに待ってます

P.S.

加害者の描かれ方について苦言を呈するコメントに対して,「そもそもこのマンガはそういうテーマを扱う話ではないのだからその指摘は的外れ」という指摘もちょっと的外れだと思っている.まだ二年しか経ってないんだぜ.今の段階で,そもそも遺族に加害者側へ多少の同情をするよう強要できるのか?

ルックバックのあれは京本を外に出そうが出さまいが漫画を描くことは変わらなかった、と藤野確信するのが重要であってパラレル妄想なのかは別にどっちでもいい訳ですね

ルックバックを読んで普通の人はどうすればいい?

朝起きて読んだ後は流石だな!すげえ漫画だ!ってなったしチェーンソーマン第2部がとても楽しみになって。

昼は感想見てまわって、マシーナリーともこさんの感想はなるほど!ってなったんだけど。

これ読んでやる気が出たって感想結構あって、ちょっと違和感を感じた。

主人公藤野さんは幼少期から漫画を描いて、一度諦めかけても運命的な一言で書き続け売れっ子漫画家になっている。そんなある種特別な人が前向きになるシナリオを見てほんとにやる気になるのはそれこそ…特別な人なんじゃないか

普通の人、はては創作をしない人はやる気になんかなるわけない。やる気になったって言葉を言ってるだけなんじゃないかと思った。

ちょっとそんな感想イラッてきつつ仕事中ずっとこの作品のこと考えてたんだけど、普通の人がどうするかはちゃんと作中に描いてあった。

作品の中で京本さんを救うIFが描かれる。それはあくま悲劇に対する対抗だけのために描いたのかもしれないけれど、京本さんを救うのは普通の人になっていた藤野さんなんだよ。

そう、あれはIFだけど現実でも起きている事実だ。勇気ある人が現実でも大なり小なり誰かを救っている。

こうなってくると、最後のシーンは救いのようにも諦めのようにも見える。漫画家は、誰かを物理的に助けることはできない。心を救うことしかできない。

藤本タツキルックバック』を読み解く

振り返る藤野

全てはタイトルに集約されている。振り返るとそこには二人の思い出があり、しかし振り返ったところで藤野京本を救い出し、かつ知り合うことなどできず、京本藤野マンガをやめるというあやふやな決意を振り返らせてくれている。振り返ることがすべての起点になっており、かつ振り返れば君がいるという演出上の意味も含んでいる。実際に藤野はことあるごとに京本を振り返っており、フラッシュバックの折にも背中京本のことを感じている。ところが藤野背中をより感じていたのは京本の方であり、彼女美大受験後も藤野漫画を買い続けてサイン入りのはんてんを部屋に飾っていた。

二人のメンタリティ

ルックバックは振り返るという意味の他に、背中を追いかけるという意味も含まれている。京本藤野背中へのサインを書かせ、藤野を追いかけたいあまりに、せめて画力では随一になりたいと美大受験を決意する。この思いはすれ違って藤本に伝わり、藤本は一度は美大受験をやめるように進言する。この背後には藤野京本よりも自立していない内面が潜んでいるが、それは前項の通り藤野メンタリティにつながってくる。つまり藤野は常に過去思考型で未来を見ずに下を見て過去を見るタイプだったが、京本は上に憧れて未来を見るタイプだったということだ。

未来志向と過去思考

京本が常に未来を向いていた理由は、京本メンタルが常に引きこもっていて外の世界を知らなかったからであり、拡大思考しか存在し得なかったためだ。一方で藤野は冒頭の豊富人間関係から一度はマンガすら諦め、空手(手に何ももってない、という比喩)に逃げて失う方向へと舵を切っている。この一見した外面とは裏腹な藤野の内向性は、ラスト付近まで京本との「もしもの未来」を連想させる。マンガコマをよく見ると、京本が全く何事も連想できない人間であることに対し、藤野はすべてを戯画化できる想像力を持つ人間であることがわかる(この発想は作家は不幸なときでも不謹慎ときでも作品ネタにしてしまえるのではと考える、といった問題だけでなく、藤野自体いか京本に憧れられたか、という内面裏付け付与している)。

ルックバック

美大を境にして二対の関係消失し、孤独な部屋の風景のみが描かれる。そこには十分に背中を映した背景が使用されており、京本の姿はやはりない。しかしこの情景は実は(おそらく)藤野が思い出している孤独執筆作業風景であり、実は自分自分自身と常に戦って今に至ったのではないか、という思いがあった。実際にクラスメイトから無視され始めた彼女はほぼ一人で漫画家への道を成立させた。もちろん、この際述べた背景は他のアシでも描ける、という台詞強がりに過ぎない。こうしたいきさつから彼女の部屋には微妙な変化が見られる。最初クラスメイトに囲まれているのに孤独藤野の姿、後に京本と一緒に執筆する姿、後にまた一人に戻る姿だ。最大の変化は初心の頃に書いた4コマだろう。京本の部屋に投げ込まれ4コマ藤野は死後回収して自室に飾る。このことは京本ライバル関係であったと同時に仲間であり、しかし同時に合否を決める編集でもあったという現れに見える。ともあれ彼女孤独小学生から友情を知る中学生へと移り変わり、社会人で死を知って再び孤独でないことを知る。この描写を読者目線に変換すると、常に藤野背中を見る、という意味ルックバックという意味を成立させている。

犯人エピソード

自分罵倒する声が他人の絵から聞こえた、という下りは二人の微妙関係に適切ではあるが、実は藤野心象風景である「実は自分が殺したようなものだ(家からさなければよかった)」とリンクしている。よってあの話はデウス・エクス・マキナ的な殺しではなく、実質藤野心象風景京本を殺したと解釈したほうがスムーズに読める。ちなみに京本の部屋から最後に出てきた4コマは、藤野京本を助けるというものであった。つまりここで京本彼女を救うという妄想が受け入れられており、自分を救ったのはむしろ京本であったという逆説的な心境に至って立ち直るのである

並行世界説を否定しているわけではなく、当作はどちらかといえばその読み方が自然にできるようにしている。ただし現実は入れ替わらないことから、そのままちぎったマンガ京本の部屋に入り、救助するマンガが今の藤野の元に降りてくる、という演出ではないか個人的には感じている(※『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のオマージュだとしても)。最後漫画藤野がつるはしを背中に受けているマンガであり、彼女の代わりにつるはしを背負い続け、その重荷を目の前に飾っている。

戯画と写実と

マンガは極めて戯画的な分野であり、絵画ないし背景美術は(デフォルメも含んでいるが)写実の分野だ。現実性と写実性は漫画重要ファクターであると同時に、写実が戯画を殺し、戯画が写実を陳腐化させることも往々にしてありえる。そしてこの関係は補完関係でありながらも潰し会う関係であり、二人の関係はまさに一つの漫画だった。そうして我々が彼女たちの背中を見る時に、マンガのものをその背後に見るのである

また、以上の事実から藤野が主役であり、京本が「背景」であるという関係から京本が主役になりたいと切に願い、藤野背中を追いかけていた経緯も明らかとなる。故に彼女の死後の部屋にはたくさんの藤野の連載作品放置されている。

京アニ解釈は他の方が遥かに詳しく、こちらが書く意味はないと判断してのこと。

※誤字指摘ありがとうございました。

Background、良い解釈だと思いました。

anond:20210719182259

藤野にとってあまりにも都合の良い存在、とは感じたけど、おけけパワー中島って別に「持ち上げグルーピー」はどうでもいい要素な気がするなあ

「憧れの人と対等に話してる」ってのが重要で、もっと批評するような関係でもおけけパワー中島概念は成り立つでしょ

藤本タツキの読切り漫画はすごい。これは疑いようがない。しかし好きと言わない、言えない人がいるのも分かる。これはこの作者の持ち味とも言える、露悪的な部分がやっぱり残っているから。

たとえば藤野が(小学生の未熟さを表したとはいえ自身漫画力を得意げに語るシーン。あ、この後コイツは落とされるな、ということが明白で、恥をかかせる気満々の意地の悪さにも感じられる。(ただ、この悪意は何より作者本人に向いているようで、それも居心地の悪さにつながり得る。悪意の根拠不明から。)

しかし全体を見た時の完成度は言わずもがな、こんなものを見せられたら、特に創作に関わる人間には刺さるとしか言えない。

読んだ

なんか当時のことを思い出してしまうな

盗用されたって思考は極論だと思うけど、その過程にある嫉妬とか努力じゃどうにもならない壁とか承認欲求不満とか、容疑者側にちょっと同情してしまった自分がいた

から藤野が「私が殺した」って言ったとき、作中では引きこもってた彼女を外に出したことが原因とされてたけど、藤野そもそも京本嫉妬してたわけで、私が殺したってセリフ自分が当時抱いてた感情リンクした

正確には、自分も殺していた可能性があったかもしれない、という思いだが

藤野の方は最終的に、自分の絵で喜んでくれる人のために負の感情とか絵を描くという途方もない作業を受け入れたみたいだけど、そういう風に良い方向へ向かえずにいる人間は無数にいるんだろうなって思った

ルックバックがわかりづらくて頑張って読み込まないといけなくて辛い

ジャンプ+に先日載った藤本タツキ先生読み切りルックバック

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355

なのだけど、読んでた時にイマイチ話の流れがよくわからなくて一体何がどうなったの?ってなってしまった。

で、何回か読み返して多分話の流れが以下のようになっているのだろうと思っているんだけど、ここにたどり着くまでにかなり時間がかかってしまって正直面白いとか凄いとか思う以前に辛かった。

自分理解したつもりになっている話の流れは以下の通り。

と、いう事で、まぁ、こういう理解をすると、藤野京本の死をどう消化して、今、漫画を描く事に相対しているのか、という辺りの強い何かを感じるわけなんだけども、この理解に至るまでに何度も読み返して要点を書き出して俯瞰して確認したら、そういう事なのか、と気づいた感じになってしまって、最初に読んだ時に全然からなかったのが辛かったって感じ。

で、自分が何がわからんかったのかを振り返ると、どうも連載を打診された所辺りの所で誰がいつどこで何をしたのかがわからなくなったのよね。というのは、

というように読めてしまって、一体この漫画で描かれていたのは何なんだろうと混乱してしまった、のではないかと思う。

俺、漫画を読む能力低かったわ。皆ちゃん理解できててちょっとうらやましいわ。

こんなつまんねぇ事書いてしまってごめんな。

2021-01-30

日本人は、かわいそうな立場の人たちが、ただかわいそうな立場でいるうちは同情もするが、

そのような人々がひとたび自分たち人権について主張しだすと、「身の程知らず」「わがまま」などと非難しだす。


こうして,国家イデオロギーとしての「公共の福祉」は,市民包摂する日本イデオロギーとなっていった。

その社会的背景には,「救癩思想」があると藤野教授は言う。それは,当初,国家側の救癩運動団体が流布したものであり,

隔離された環境に不満をもたず,ましてや,隔離に対して人権侵害などと抗議せず,隔離を受け入れ,

国家施策国民税金によって療養生活を送れることに感謝して日々を送ることを求める論理である

とはいえ,この「救癩思想」は,体制側の思想としてのみならず,広く社会全体の思想として浸透していた。

上に見たように,国会議員が,患者代弁者たる間は患者のためとして活動していたにも関わらず,

ひとたび患者が自ら声を上げようならそれを拒絶する態度に如実に表れている。

さらに,「救癩思想」は,ハンセン病差別特有のものではない。あらゆる差別共通の「思想である

被差別者が人々に憐れまれるかわいそうな状態にとどまっている限りは,憐れみ同情されるが,

ひとたび,彼らが人間としての権利を主張するや否や,「身の程知らず」「わがまま」といった非難対象とされるのである

2019-05-18

しょーがくせいなみの感想

藤野陶芸市に行ってきた。

お気に入りだった底浅幅広の器の端が欠けたのもあったし、妹から久しぶりにあう親へのプレゼントは?みたいなことをせっつかれて。

おっさんが一人、普段1番使わなそうな時間を使うことにした。

藤野陶芸市は、藤野に在住する陶芸家が中心となった市だ。なので市場のようにぎゅっとしたのと違って、各工房がそのまま出店になっている。

地図を見るといい感じに散らばっていてディズニーランドアトラクションを回るようで楽しそう。そう思っていた。駅から降りるまでは。

昼に藤野駅に降りたがバスがない。次は13時といきなりサドンデス落とされた形で、案内所でもらった地図から見た目1番近い場所グーグル検索すると30分。歩いているうちに抜かされる感じはないし、いくか。歩き始めて、橋を超えていきなり坂にぶつかった。

ここ登るのか。諦めの境地で突き進むとなぜか坂が終わらない。グーグルマップでみると道が蛇行しているではないか。もしや…

かくして最初のお店につくときは息も絶え絶えでしばらく魂が抜けていた。

広場みたいなとこで楽曲団による演奏をやっていて、それを遠耳に藤野地ビールであるクラフトビールを飲んだ。六百円といい値段したけど2杯もつい飲んで。いい風が吹いていてとても美味しかった。

ちょうどいいお皿を見つけて即決すると陶芸家のひとに夏みかんもいただくなんて嬉しいこともあって。

さあ2拠点目に行こうか。そう思ったら4キロ先だった。バスもやっぱり一時間は後。歩くしかなかった。

山の中に目が浮いていたり、全宇宙遺伝子表現したモニュメントがあったり芸術の道を延々と進んで。

やっとついた先で、まず休憩所を探した。ハーブティーをおばあさんが百円で売っていたのでお願いするとティーポットと一緒にでてきた。青空喫茶に風がよく合う。ごちそうさまでした。

すっごい美人徳島藍染めを紹介してた。

次の拠点までまた歩いた。

途中でベトナムかき氷売ってる路地のひとに誘われてまた休憩。杏美味しかった。

神社の露店では強く吹いた風に浮きかけたテントがしっと掴むなんてハプニングもあって。

まだこの先に山荘があるんです〜と親切そうなお店の人に地図を渡されたらいくしかなかった。

また歩いた。

蔵を借りてLPを流しているオジサマに出会った。ドイツアンプ世界一ーと延々と語ってくれた話は楽しかったが確かに音は良かった。

そんなこんなで。

徒歩16000と全然大したとこないはずなんだけどやっぱり皿が重いんだと思う。

すごく眠たい。満足感ある疲れが残った。

藤野陶器市に向かうところ。

電車の待ち合わせまで30分高尾で待ちぼうけていたら、反対側のホーム小売店カウンターこっち側を向いてることに気づく。

熱い押しだった高尾ピーナッツパンを購入。

(゚д゚)ウマー

濃厚なアーモンドパンに塗らなくても噛むだけで入ってくる。

午後ティーと合わせれば、暑くもなく寒くもないホーム椅子でダラダラするのはちょうどいい。

ごちそうさまでした。

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