はてなキーワード: 職人とは
新潮社のトマス・ピンチョン全小説の『V.』を読み返していたら、ちょっと気になる箇所があって、これは原文ではどうなってんだろうと、図書館で原書を借りてきてみました。そしたら、あれ、もしかしてこれ、この翻訳ひどい?
というわけで、原文と翻訳を照らし合わせたうちで、これはいくらなんでもという箇所を以下で検証していきます。
この段落はニューヨークの下水道に巣食うワニを狩るパトロール隊として雇われているプロフェインという男が第五章で書かれたワニ狩りのことを回想しているというところです。訳文とそれに対応する原文を引用していきます。訳文の引用は『V.』上巻の217,218頁から。
フェアリング神父の教区を抜けてイースト・リヴァー近くまで、独りで追っていったワニのことを、プロフェインは振り返ってみた。
He thought back to the one he'd chased solo almost to the East River, through Fairing's Parish.
「抜けて」とありますが、第五章を読めばわかるようにプロフェインは教区を抜けていません。ここのthroughは「~の間を通って」の意でしょう。
ちなみにフェアリング神父は下水道でネズミにキリスト教を布教しようとしていた人物です。
そいつは、みずから歩をゆるめて追いつかせ、自分から求めるように撃たれていった。なにか取り決めでもあったのか。プロフェインが酔っぱらってか欲情してか、頭がポワンとしていたとき、ワニの足跡だらけの泥の上で、契約を交わしたのか?
It had lagged, let him catch up. Had been looking for it. It occurred to him that somewhere--when he was drunk, too horny to think straight, tired--he'd signed a contract above the paw-prints of what were now alligator ghosts.
「なにか取り決めでもあったのか」という訳文に対応する箇所がない。
これに対応するらしき原文はこのあと出てくるのですが、なぜここに置かれているのかわかりません。それ以外にも問題がありますが、それは後述。
It occurred to him thatが訳されていない。
tiredが訳されてない。
of what were now alligator ghostsが訳されていない。
この段落ではこのalligator ghostsなるものがどういう存在なのか、このあと縷々綴られていくので、これを落としてしまうのはちょっと。ここは訳すなら「今や幽霊であるワニたちが、かつてそうであった存在の」となるのでしょうか。あまり自信はないですが。
プロフェインはワニに死を与える、ワニは彼に職を与える、それでイーヴン、恨みっこなしと。
Almost as if there had been this agreement, a covenant, Profane giving death, the alligators giving him employment: tit for tat.
Almost as if there had been this agreement, a covenantが訳されていない。
上に出てきた「なにか取り決めでもあったのか」が訳文なのかもしれないけど、this agreement, a covenantとわざわざ言い直して二回言っているのを「取り決め」の一語にまとめるのはどうなんですか。しかもcovenantなんて「(神との)聖約」という強い意味の語なのに。そんな語がワニ相手に使われているというのがこの文のミソだと思うのですが。うーん。
プロフェインにワニは必要だが、ワニはなぜプロフェインが必要だったのか。その原始的な脳の回路に、記憶と理解が生じていたのか。子供のころ自分たちはただの消費財で、財布やハンドバッグになった両親や親戚のおじさん、おばさんたちと一緒に、世界中のデパートで、あらゆるガラクタと一緒に陳列されていたことを覚えていたのか。
He needed them and if they needed him at all it was because in some prehistoric circuit of the alligator brain they knew that as babies they'd been only another consumer-object, along with the wallets and pocketbooks of what might have been parents or kin, and all the junk of the world's Macy's.
息の長い原文を切って日本語として不自然じゃないようにしているのでしょうが、かえって意味のつながりが見えにくくなっているような。
おかげで分かりづらい。これでは「必要だったのか」「生じていたのか」「覚えていたのか」と三つの疑問文がただ並列されているように見える。せめて「生じていたのか」「覚えていたのか」を「生じていたからなのか」「覚えていたからなのか」にした方が良いのでは。
the world's Macy'sを「世界中のデパート」としているのは明らかに誤訳です。メイシーズは基本的にアメリカにしか展開していないようですし、なによりもこの挿話の元になった都市伝説はニューヨークのメイシーズで、ペット用に売られた赤ちゃんワニがトイレに流されて下水道で成長していたというものだったわけです。なのでthe world'sはここでは「ここらの界隈の」みたいな意味ではないでしょうか。
あと英語の仮定法を日本語の疑問文で訳すというのは翻訳のテクニックとしてアリなのでしょうか。いや、アリならアリで全然いいんですけど。ただの素人なのでよくわかりません。
トイレを通って、地下の世界に流れてきたのは緊張の中の束の間の平和に――いずれは子供の、見かけだけ動きのあるオモチャに戻っていくしかない、それまでの借り物の時間に――すぎなかったのだろうか?
And the soul's passage down the toilet and into the underworld was only a temporary peace-in-tension, borrowed time till they would have to return to being falsely animated kids' toys.
トイレにジャバーっと流されて下水道に流れ着くという事態を「魂の道行き」なんて大げさな言い方をしているのが、面白いところなのになんで訳されていないのか。あとダッシュをいれて「――いずれは子供の(中略)借り物の時間に――」と挿入するくらいなら原文の語順通りに訳したほうがわかりやすいように思えます。
もちろん自分から望んでのことではない。望みは、もとの自分たちの暮らしにある。それを叶える完璧な形は死ぬことだ。死んで、ネズミ職人の歯によってロココ様式の死骸になることしかない。そしてそのまま、教区の聖なる水に浸食され、あの日、あのワニの墓場を明るく満たした光のような燐光を発する、アンティークな骨細工になっていくしかない。
Of course they wouldn't like it. Would want to go back to what they'd been; and the most perfect shape of that was dead--what else?--to be gnawed into exquisite rococo by rat-artisans, eroded to an antique bone-finish by the holy water of the Parish, tinted to phosphorescence by whatever had made that one alligator's sepulchre so bright that night.
to go back to what they'd beenが「もとの自分たちの暮らしにある」でいいんでしょうか。このあとに続く文に則して意味をとるなら「暮らし」では変では? それに原文はto go backなのに「帰る」という意味が訳文から感じとれないです。
さて、ここから先が問題です。ここは第六章の中で非常に重要な段落の中でも、さらに重要な一文だと思うのですが、まともに訳されていなくて頭をかかえました。
まず、ダッシュで囲まれたwhat else?が訳されていない。
「しかない」という形で間接的に訳されていると言えるかもしれませんが、それでもこれを落とす理由にはなりません。
exquisiteが訳されていない。
tinted toが訳されていない。
by whatever以後の節を「燐光」にかけて訳していますが、これは英文解釈的に無理なのではないでしょうか。また、そのせいなのか原文の語順がぐちゃぐちゃにされてしまっています。なぜeroded to an antique bone-finishとひとまとまりなっているのを千切って「浸食され」と「アンティークな骨細工」をかけ離れたところに置いているのでしょうか。
原文を素直に読めば、ワニは死後、gnawed-齧られてrococo-ロココ彫刻になって、そのロココ彫刻がeroded-浸食されてan antique bone-finish-骨仕上げのアンティークになり(bone-finishというのは妙な言い方ですが、matte finish-つや消し仕上げをもじったような表現だととりました)、そのアンティークがtinted-染められてphosphorescence-燐光になると読めます。
つまりワニの死後、時間の経過によってワニがどのように変貌していくかの推移を追うことができるように読めるわけです。しかし翻訳ではそのように読むことはほぼ不可能です。
さらにこの段落の一番最後に来るのは原文ではwhatever had made that one alligator's sepulchre so bright that nightなわけで、ここに意味上の大きな負荷がかかっていると思えるのですが翻訳では「燐光」の前に置かれて目立ちません。
これでは、4コママンガのコマの順序を入れ替えてしまったために、オチの意味がわからなくなっているようなものです。
ここのところをわたしなりに試しに訳してみたので、ここに置いておきます。
そして、その望みの最も完璧な形とは死ぬこと――他に何があろう?――であって、そうして工匠ネズミに齧られて精妙なるロココ彫刻とされ、教区の聖なる水に浸食されて骨仕上げのアンティークになり、何ものかに染められて澄んだ緑色の燐光と化すのであり、そしてその何ものかこそ、あの晩、あのワニの地下埋葬所をあんなにも輝かしく光らせていたのだ。
(phosphorescenceという単語を見ていたら、どうしても『宝石の国』のフォスフォフィライトの顔がチラついてしまったので「澄んだ緑色の燐光」としてしまいました)
とにかく第六章にはここ以外にも訳されていない語、節、文がたくさん出てきます。他にも誤訳、誤訳とは言いにくいけどおかしい訳もままあります。誤訳ではなくてもあまり使われない珍しい単語が使われていたり、凝った表現がされていたりするところが、平易な分かりやすい、いいかえれば、ありきたりでつまらない日本語になっていたりします。
いったいなんでこんなことになっているのでしょうか。ピンチョンが好きでこの『V.』も何度も繰り返し読んできたというのに、今まで読んできたものは何だったのかという気分で、ショックが大きいです。
共訳者の一人、佐藤氏は何十年もピンチョンの研究、翻訳をされてきた人で、こんな訳をするとは思えないのですが。それとも、このころ『重力の虹』の翻訳に集中していて実は『V.』にはあまり関わっていなかったとか? しかしもうひとりの小山氏もイギリスの大学院に留学して英語の著作もある人だそうですし。学生に下訳させて、ろくに直さずに出版したとか? まさか。
ただ原文を横において検討したのは第六章だけなので他の章はちゃんとしている可能性はあります。わたしの英語力では全文チェックするなんてとうてい無理なので、誰か英語を読むのが苦ではなくて、現代アメリカ文学に詳しい人に『V.』全編の翻訳をチェックしてみてほしいです。
逆じゃね?
同じように見下す意味でクッキーでも作ってろと言ったんだとしたら状況にもぴったり合う。
それでも「菓子でも売ってろ」じゃなくて「フリマで売ってろ」な辺り、女はプロ職人にもなれねーだろな見下しがあった事は否定できないが。
ってそんな講師がご機嫌なジョークから始まる英会話ラジオが面白いです。
あのさ、
そんでね、
折り畳み傘をなくしちゃったと思ったら結局は見つかったんだけど、
あの傘を持っていくか持って行かないか考えるリソースがもったいないから、
何も考えずにいつも折り畳み傘をカバンにしのばせて盗んだバイクで出掛けたら、
万事解決よ!
人は「確かに」って言うとき「カニ」の事を思い出すってことは止められないと思うの。
でさ、
もう私は蟹とか面倒くさいので、
職人も騙せちゃうぐらいなハイクオリティのカニかまぼこで丁度いいわ。
あれで十分よ!
本当のカニに見立てるって手間の掛かった和食をみてドン引きしちゃったわ。
そんでね、
スティーブジョブズが毎日黒い服とジーンズを着ていたって話は多分ウソだと思うわ。
でも結局、
今日は何色の折り畳み傘を持っていこうかしら?って悩みが発生するのよね!
何だっていいじゃないって思うし、
傘もさいいけど、
なのにさ
事務所の人からの差し入れでおかず持って帰れとかってたまにあるじゃない、
ビニール袋に入った、
一見鈍器にも見間違えるル・クルーゼの重い鍋持って帰れというのかしら?
これどうするのよ?って
もうしわけないんだけど。
あるときは一升炊きの炊飯器を炊けたご飯がパンパンになったままで渡されてどうしようかと思ったわ。
さすがに一升炊きのご飯の物量は食べきれないので、
これでも召し上がれ!
うふふ。
昨日買ってまた食べるのを忘れていたおにぎりが
またモズのはやにえみたいにならないうちに食べれたので、
それおにぎりも食べちゃいました。
いけないいけない!
やっぱこれよね!ってご機嫌よ!
私はデトックスウォーターの専用容器はお洒落なやつとかは使ってない麦茶入れで作ってるんだけど、
ちょっと別の小瓶が欲しいわ。
季節先取りよっ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
twitterでバズってた50代男性の女性編集者への煽り文句「クッキー焼いてフリマで売ってろ」について。
言った側が意図したことって、たぶんアメリカとかの片田舎の主婦もしくはその文化を真似た日本の専業主婦層が、旦那の稼ぎで優雅に暮らしつつ空いた時間で趣味のお菓子作りして、それを利益度外視の近所のフリーマーケットとかで他の主婦たちと仲良く売るみたいな景色のことだよね。
文脈からも、「編集という厳しい仕事を覚悟をもってする気がないなら、家庭に入って趣味で楽しく女らしくしてろ」みたいな性差別意識丸出しのいかにも昭和のオッサン的発想だとわかるし。
それが「クッキー職人を馬鹿にするな」とか「女だからクッキーって言ってだろ」とか、はたまた「男の作家さんは自分でクッキー作って配ってるぞ」みたいな反論してる人がたくさんいて、嫌味というか当初の目的としていたような差別意識そのものが多くの人に伝わっていなくてびっくりした。
いや、伝わってる人もいるんだろうけどコメントしてる人の反論が全く噛み合ってないのが驚きだ。
そもそも「余暇にクッキーを焼いて近所の主婦と楽しくフリマ」という高度成長期の専業主婦像というのが通用しない世代がネットの主流になってきたのだなあとしみじみと思う。
お昼いつも行く私の好きなゴルゴンゾーラの美味しいパスタ屋さん。
そこに何故か納豆のパックがあるの。
もしかしたらそんなセットなのかも知れないわと思いつつ、
で、ちょっと待って!
その納豆の着地地点がないんだけど!
まさか!
そんなことしたらGACKTと検索しようものならサジェストされる次のワードにスタミナと出てくるほどなGACKTも驚愕する、
すたみな太郎ばりなせっかくのスタミナのスタミナによるスタミナのためのうな重パスタがスタミナ切れになるじゃない!?
納豆かき混ぜている間に、
納豆は1677万回かき混ぜるのが一番美味しいと言い放ってやまない、
納豆かき混ぜ職人でお馴染みの食通のラーメンじゃない方の山頭火さんもビックリするほどかき混ぜられたそれは、
実際納豆エピソードに定評のある方は山頭火さんじゃなくて北大路魯山人さんの方だったことはココだけの内緒の話。
それでその納豆を
ついにはその紳士どうやって食べるかと固唾を呑んで、
実際には私はパスタは飲み込んでいたけれども、
どうやって食べるのか気になって横目で夏子していたの。
そしたらよ、そしたら、
その紳士!
直接食ーうんかーいって思わず笑っちゃいそうになったわ。
パックごと食べるとは!
うふふ。
ヒーコーは欲しいわね。
ヒーコー飲んだあとは軽く水で流すぐらいな感じでお水も一緒に頂いてね、
意外と歯の着色するんだって。
イチゴとブルーベリーのダブルベリー使いでベリーマッチな感じ、
割引ブルーベリーだったのでお得だったわ。
さぞ涼しげな寒天かんが出来そうよ!
甘み一切無くてもいいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず大きな組織になると長く場に勤めた人が実権を握り権力をかざすイメージがあった。昨晩、Aさんという職人に会う機会があったので飲みに誘ったついでに聞いてみた。
だが意外回答、新参や部外から怒られる(?)事もしばしばあるらしい。Aさんも権力もあり班の仕事を仕切る立場であり社長にも発言力もあり賞状も得ている。
言っちゃ悪いけどヤクザの組員みたいな顔つきで、その班を完全に支配している風貌だった。
最初は酔っているのかと思ってだが派閥争いやら臭い話が匂ったのでそれ以外聞くのはやめた。相手が暴力団だろうとキレて胸ぐら掴んで叱咤激励する謎のパワーが『働く』という行為に発生するらしい。(正直わからん)
まあ会社の職人界によって異なるが経験や実績で権力や実権が握れない可能性もあり正攻法や正論じみて仕事しても、よくわからん所から滅茶苦茶に怒られることも多いのだ。色々と記事をまとめている途中だが本当に働くのは難しい…
A群
概念覆す
田村R
B群
うーんこれは、B群。
なぜなら声優の口から発せられないラジオネームに価値はないから。
だいたい、A群の人たちはふつおた送んないじゃん
ふつおたで採用されること>(超えられない壁)>ネタコーナーで採用されること
だからな
なぜなら、ネタコーナーは面白いことを書けばいいだけなのに対して
だから私はファミリーマートの108円のお菓子をよく買っています。
みずみずしいトマトソース、濃厚なのにしつこくないモッツァレラ、ふわっと香るバジル、絶妙な焼き加減。
ピザ職人見習いのあの子が、はらぺこアルバイトのために作ったまかないのピザ。
クリームソースの上にシーフードが散りばめられた豪華なピザ。他にも具材が載っていたと思うが今はもう思い出せない。メニューには載っていないオリジナルのピザ。
はらぺこ達によって瞬く間にピザは無くなった。みんなでうまいうまい言いながら食べた。その様子を見て、あの子はとても嬉しそうだった。
そう言ってピザ職人見習いのあの子は笑った。○○○はあの子のニックネームだ。
いつも一生懸命なあの子が作ったピザ。仲のいい仲間達と食べたピザ。
結局『海鮮○○○物語』は新メニューに加わらなかったし、あの子はやむを得ない事情で店を辞めてしまったし、あの店はもう存在しない。
本当に美味しかったよ。あの味も、あの店で過ごした思い出も全てが懐かしくて、もう二度と戻らないと思うと泣きそうになる。
かつての私は、黄色い声援と共に男性アイドルに目を輝かせていた同級生が嫌いだった。
見た目もたいしてカッコよくもない(と思っていた)し、当時聴いていたマイケル・ジャクソンやクイーンをはじめとした洋楽のように、私にワクワクを与えないと思っていた。当時の記憶から類推するに、彼らの容姿や歌が嫌悪とともに目に映っていたのは、"色恋を絡めた男性性をアイドルに求めるファン"というフィルターがあったからだったように思う。
要するに「男性アイドルに恋愛性を持った夢を抱くファンが大多数を占めるコンテンツ、キモっ」ということである。
そんな私が、ファンが気持ち悪いという理由から嫌煙していた男性アイドルというコンテンツに目覚めたのは、ごくごく最近のことである。
YouTubeプロモーションの一環として、某大手事務所のデビュー前のグループが豪華なPVを引っさげて鮮烈に登場したのである。煌びやかで美しい楽曲とPV、プロモーションCM中に見せる溌剌とした笑顔とは対照的な凛としたパフォーマンス、デビュー前にも関わらず華のあるそのグループに興味を持ってから、その"沼"に沈むまで、さほど時間はかからなかったように思う。
2018年3月からYouTubeチャンネルを開設し、ネットでの活動を解禁した5つのグループはそれぞれに素晴らしさも放つ輝きも異なり、企画の多くは彼らアイドルを身近なキャラクターとして認識させ、その一喜一憂に私は心踊らせた。どのグループも個性的で面白く、日々更新される動画は心の癒しとなっていった。
その中でも、一際私の心を掴んで離さなかったのは5つのグループの中で最も平均年齢の高い、所謂お兄さんグループであった。
落ち着いたビジュアルながら、歌、ダンス、アクロバット、舞台と様々なジャンルで高いレベルを維持し、キレのあるパフォーマンスは数多の先輩からも高い評価を得ているという職人のような6人グループ。キャラも濃く、個人でも多方面で活躍し、YouTube企画内でもほぼ全員がMCなどをそつなくこなす安定感ある彼ら。すぐさま過去の動画を含め、すべての動画を視聴した。
すべてのパフォーマンスは、5グループの中で最も長い結成期間が培った強い絆と固い結束に基づいた"6人だからこそ"の唯一無二の輝きがあった。
6人で掴み取る夢のデビューはもちろんの事ながら、メディア露出、ライブ、舞台など、彼らの活躍に期待し、また、気付けば様々な形で応援をしていた矢先。
突然の増員が発表されたのである。
"6人だからこそ"の夢は一瞬にして崩れ去ったように思えた。増員発表以降、気持ちの整理がつけられず、YouTubeを見るのをやめた。Twitterやニュースサイトなどで集めていた最新情報も見なくなった。本人達からの、本心でのコメントが欲しくて、渇きで死んでしまうのではないかと思うほど、心が枯渇した。増員メンバーは3名おり、みな年下で、最年少は15歳という事も、私が胸ときめかせた"6人だからこそ"のパフォーマンスに影響するのでは...と不安になった。何日経っても「彼らの気持ちは?」「彼らが望んだのか?」「あの6人の作り上げる世界はもう見れないの?」「強みであったアクロバットのクオリティはどうなるの?」「なんで?なんでなの?」といった焦りに似た混乱がこびりついて離れなかった。
それほどまでに、"6人"が作り出す世界は私を魅了していた。
単独ライブ、映画、舞台の情報も増員とともに解禁され、日に日に露出が増える彼らが恋しくて堪らないけれど、急激な変化に心がついていけない日々が続いた。
幾つかある彼らのオリジナル曲の中でも、特に好きな曲があった。以前に行われた単独ライブのパフォーマンス映像で心惹かれた楽曲であった。迫力あるアクロバット、キレと安定感のあるダンス、男前な歌声、振り付けに込められた7人目の意味...魅力をあげればキリがないパフォーマンスの素晴らしさ。何度見ても飽きない彼らのイキイキとした姿がフラッシュバックし始めるようになった。
そして、彼らの輝きを拝めない日々に、ついに私は根を上げた。この飢えは辛すぎる。6人が頑張ってきた積み重ねの先にある今を見逃し続けることは出来なかった。
9人体制になってからの未視聴動画や購入したものの読めていなかった雑誌、ファンクラブ限定のブログ、地上波出演の録画映像を貪るように摂取した。新しく加わった3人の過去の活躍や魅力も調べ、出来うる限りの手段で"9人になった彼ら"を受け止めようとした。
この時になって、『6人だった時点で彼らは完成していた』と思い込んでいた事に気がついた。長い下積みを経験し、後輩のデビューを幾度となく見送ってきた6人は、高いスキルとパワー、その愚直なまでの努力で彼らの世界を完成させたのだと信じていた。完成したパッケージで、満を持して世に出るものだと信じて止まなかった。増員メンバーはその世界を壊す存在で、元々いた6人は今まで作り上げてきた世界を壊されてしまったのだと思っていた。
増員メンバー3人は強い個性と6人が持っていなかった輝きを持っていた。あるメンバーはメリハリあるトーク、圧倒的な親しみやすさ、メンバーみんなに対する熱烈な愛情を感じる言動でグループの見せ場を増大させていた。また別のメンバーはモデル経験も豊富なスマート高身長イケメンながら、可愛げのある天然炸裂のキャラクター、クールに見えて笑いも作り、今までのグループには無い独特の雰囲気を醸し出している。弱冠15歳の最年少メンバーは子供っぽい溌剌さがあり、落ち着いた雰囲気だったグループに新たな風邪を吹き込んだ。年上のお兄ちゃんに寵愛される息子のようなキャラながら、グループのレベルを僕のために下げさせないとまで言っていた。
そして、私自身が何より驚いたのは、増員によって元々いた6人がより魅力的に映るようになったことだった。
底抜けに明るい彼は濃いキャラクターを引っさげた切り込み隊長としてパワーアップし、知的な彼は年下が増えたことで賢いお兄さんポジションを確立し、顔が良いリードボーカルの彼は人数が増えたことで美しい歌声がより目立ち魅力的に見えるようになり、ロイヤルな彼はメンバーのトークスキルが拡充されたことでセクシーボイスで繰り出すお茶目な一面をより見せるようになり、一見すると無骨なエースの彼はグループのレベルの指標となる存在として圧倒的な存在感を見せるようになり、元々の可愛らしい性格とのギャップを強く引き立たせ、3枚目キャラで最年長の彼はMCなどのまとめ役での優しさ溢れる進行が目立つようになり、時折見せる恥ずかしさを微塵も感じさせずにやり切る突き抜けたリアクションも他の追随を許していない。
こんなに魅力に溢れた6人だったのか、と増員後に気付かされたのであった。
9人体制では初めての単独ライブや、その後のアイドル番組で行ったパフォーマンスも勿論チェックした。語彙が吹き飛ぶほど心が震えた。とにかく最高だった。"あんなに好きだった6人"を軽く飛び越えて"9人だからこそ"の世界が色鮮やかに広がった。元々いた6人をもっともっと好きになった。増員メンバー3人も大好きになった。こんな化学反応が起きるとは想像もできなかった。
この時になってやっと、増員発表後の『凄まじい不安感』について思い返すことが出来た。
あの不安感は、『大切な思い出を無かったことにされてしまうんじゃないか』という気持ちだったように思う。それは、増員によって"変わってしまった存在"が今までと同じグループ名を冠して、これまで6人が築き上げてきた歴史を上塗りしてしまうのではないか、これまでの6人の努力をなかったことにしないで!という気持ちからくる不安や悲しみだった。
だが、事実は想像と大きく異なり、6人の歴史も努力も尊重された上で、「9人で乗り越えてみろ、君たちならできるだろう?」と言わんばかりの高いハードルが用意された"だけ"であった。過去からの延長線上の現在に用意されたそのハードルは、今まで数多くの高いハードルや立ち塞がる障害を乗り越えてきた6人と新たに加わったパワフルな3人に対する絶大な期待の表れであり、『立ち止まるな』という激励なのだろうと思った。
そして、私の抱いていた『綺麗な思い出のまま壊れないで存在し続けて欲しい』という思いは、大好きな6人に立ち止まることを求め、進化や飛躍を拒絶し、彼らの成長を信用してない姿勢だったのだと気付かされた。
増員発表から3ヶ月が過ぎた。
高いハードルに臆すること無く、凄まじいスピードで走り続けている彼らからは、想像もできない世界の広がりを日々与えられている。
今はまだ荒削りのチームワークやパフォーマンスは、見る度にその精度を高めている。
結成8年目を迎えようとしているグループが、新鮮な感動を生み出し続けている。
彼らはこんなに強かったのか、と都度驚かされる。
未来の活躍に期待は膨らむ。もっと色とりどりの世界を彼らなら見せてくれるはずだと、心から信じられる。
彼らに出会えて、本当によかった。
弟子になるには?
・田中みずきや勝海麻衣は特段試験を受けたわけでもなく面接のみである
・最初は空を塗る程度のことしかさせてもらえないので画力も必要としない
・一般的にも職人の世界に入るにあたって最初から出来る必要はない
つまり絵が満月から見て下手だから弟子にするわけがないというのは間違いで
湯島ちょこは条件を満たしている
冗談で言っただけなら弟子にした事実を無かった事にできるのか?
丸山が弟子になるか?と述べた部分については双方に争いがなく事実と認定していいだろう
ここの理解のズレがこの話の肝だと考える
・丸山清人は冗談なのだから弟子だった期間は一瞬たりとも存在しないとの主張
・湯島は冗談だと思えなかったし取り下げの話があるまでは弟子だったとの主張
民法では以下の条文がある
1 意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。
ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
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江戸時代に江戸に出てくる連中は、(1)参勤交代による武士階級(2)地方農民の次男三男で職人・商人の丁稚になるもの(3)売春婦として売られた女性、くらいしか思い浮かばない。
(1)は家族帯同は一部の上級者のみ。(2)(3)はそもそも家族をなすことが少ない。
日本人の核家族が一般化したのは、戦前の満州・大連に赴任した官僚・会社員あたりからであったと記憶しています。
また、地方から都会への人口移動が本格化したのは高度成長以降です。
平均寿命が短かったのは主に乳幼児の死亡率が高かったからで、大人まで成長した人は、戦争や災害を除けば、60~70くらいまでは普通に生きていた。
・喘息もちなのに寂しすぎてハムスター(アレルギー源)を飼ってしまって呆れられる。寿命で見送ったので次を飼うのはやめた。若い頃結婚して子供生んだあと離婚しているので子孫はどこかにはいるけど会いにこない。50すぎて再婚し結婚式もあげたがその人が人生を少ししかいっしょにすごしていない女に年金の一部を奪われるのがいやだといいだして結局離婚された。まあそんなもんかって感じ。その後親(90代大往生)の葬式にタクシー代などがないし宅配の受け取りをしてくれる人が他に居ないから出席できないといって断ったことで姉(既婚)に怒られたけど生前見舞いにいけたからいいや。もうこのまま生きていくだけ。(70代)
・出版社勤務。一度鬱になったけどなんとか治った。その後同業他社に転職したので調子がいい。お金をためて終の棲家用のマンションを買った。本が好きだが積みすぎてうっかり二冊目を買ってしまうのでメ○○○マ○カ○がサービス終了したのが悩み。あとパソコンや電気配線が苦手なのが不便。最近は歌舞伎がおもしろいとおもうけど、仕事の都合や健康上の理由でチケットの日に劇場にいけず空き席をつくってしまうのが悩み。まあしょうがないか。(40代)
・頭がいいのにものすごく気が弱い。大学ごろからストレスがマックス(肉食系の大学の肉食系の学部に入った。今でいう、手足切断絵をみせられる美術系大学みたいなとこ)。そこでメンタルの持病を得てしまったが、いい薬がでてきたので年上の職人系の人と30後半に結婚できた。40前半に一人子供を生んだ(初産)。でも気弱なのでしつけがうまくできない。毎回、窓からおしっこを庭にむけてする子。近所から苦情がでると言っていさめているが、止めてくれない(入学前)。育児とは別に同居の舅がちょくちょく嫌がらせを言ってくる(と思っている)。ダメだと思うと実家にもどったこともあった。増田はたぶん今は離婚でお一人さまになってるのかなと思っている。できれば婚姻継続しててほしいけど。(40代)