はてなキーワード: 経営管理とは
しわ寄せはこっちに来る。これ全部管理側の問題ってするのはどこかおかしい。
全部管理者(経営管理者)の問題に決まってる。残念ながらというのが正しいが。
どこかおかしいと思ってる人は、「従業員」という意味を全く理解していない人だ。
管理者の問題じゃないと仮定出来たら、それは思いっきり矛盾する。
何と矛盾するかといえば。原理上、少しでも役員をクビにできる可能性があることになる。
なぜなら少しでも人事管理上のことに、「従業員」が何かをできることになるからだ。
そんなことは1000%ありえない。
「従業員」とは会社の主要な部品ではない。取り換えのきく部品だ、という事実が見えないのだろう。
だから「従業員」ができるのは、せいぜいオーバーワークだから、何か対処しろと管理者にいう
ぐらいしかない。
それでもいやなら辞めればいい。
実は従業員の自由は辞める自由しかない。それ以外ははべて管理者の作業依頼方針、だ。
それに賛同するなら続ければいいし、やなら辞めるだけだ。
え?それだと生活できないって?
私もそう思うよ。
(追記 : 別のエントリで簿記の言葉の意味を解説しました。→ http://anond.hatelabo.jp/20151113140308 )
これは簿記のエッセンスをまとめたとか書いてあるが、簿記でもないし、会計学でもないし、なんだかわけのわからない謎の話になっている。どのあたりが謎なのか説明していくと・・・。
明治時代に福沢諭吉(1万円札のひと)が『帳簿記入術』として紹介した、一連の経営管理の技術が、『簿記』と略された、という説が有力です。
という冒頭から怪しい。"帳簿記入術"でググってみると、このブログしかヒットしないんだよね。福沢諭吉が紹介したのは、「帳合之法」であって、『帳簿記入術』という言葉はどこからでてきたの?たぶんこの人の造語だと思うんだが確証はない。
「経営管理の技術が、『簿記』と略された、」というのもなんだかよくわからなくて、自分の理解では、簿記は単に帳簿記入が略されて簿記になったか、あるいは英語のBook Keepingが略されてぼきになったという話をきいたことがあるくらい。「経営管理の技術」をどう略したら簿記になるのか?「ぼ」も「き」も含まれて無いのに。
「簿記は『財務諸表』を正しく作るための一連の技術」というのは、ずれている。財務諸表を作成するために仕訳を切るけれど、会社の経済的価値の増加や減少を勘定項目ごとに分けて帳簿に記入するというのが簿記という言葉の意味なので。財務諸表を作成するのが簿記の最終目的のような書き方はおかしいですね。
デジタル大辞泉の簿記の説明を読んでほしい。財務諸表という言葉は一言もない。
「財務諸表のようなもの」は主要簿(仕訳帳と総勘定元帳ね一応)から誘導的に導出することができるけれど、簿記と財務諸表は独立別個の存在なので、簿記が財務諸表の従属物のような書き方をするのは間違い。
画像の「会計学の説明の、『正確な財務諸表を作るための簿記技術についての理論』」というのも、少し正確さが足りない。この説明だと、会計学が簿記の理論を支える点を説明しているけれど、それ以前の話もあるので(認識や測定の話の前の包括利益などの話もあるし、企業結合会計などはそもそも簿記外の話だ)、会計学には簿記の理論的な話も入るけれど、そうではないものもある。部分集合といったらなんとなくわかってもらえるだろうか?
同じ画像の「財務諸表の要件」という言葉は、何を意味しているのか私にはわからなかった。
会計学の基本
で、次の項に進むと・・・。
「例えば、例で見てみましょう。」って意味が重複している。
収益の認識基準の話に飛んでいくんだけど、簿記の話で大事な話はいくつもあるのに、なんでこんな損益会計の話に飛ぶのか?
「実は会計の基本的なルールについては法律には定められていません。
各種税法
」
というのも、誤解を招く書き方になっている。企業会計原則とか、財規とかは(狭義の)法律に含められないけれど、だからといって内閣府令を法律ではないと強調して表示する意味があるの?各種税法に財務諸表の作り方が載っているという話は聞いたことがない。税務会計が財務会計に影響を与えているという話は知っているけれど(いわゆるトライアングル体制)、財務諸表の「作り方」は税法で定められていない。(税務署に申告・提出する書類は財務諸表に含まれない。)
「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準(GAAP)」は、「一般に公正妥当と認められる会計原則」を指していると思う。会計処理と狭めているのは理解ができていない証拠。こういうテクニカルタームの間違いがこれ以降もあるし、しかもその語の説明も変なのがこれからも続く。
画像の税務会計の「収める」は「納める」。この画像はトライアングル体制の説明でよく見かける概念図なんだけど、トライアングル体制の説明で中央にGAAPを持ってくるのは見たことがない。GAAPってアメリカ由来のイメージなので、別の文脈で説明するべきものだろう。
「J-GAAP」でぐぐっても、なんかそれらしいURLは無い。これも造語では?(追記:どうやら"J-GAAP"ではなくて、や"JGAAP"を意味しているらしい。US-GAPPは間にハイフンを入れるが、JGAAPは、"JGAAP"または"J GAAP"と表記するので、間にハイフンを入れるのは間違い。)
めんどうくさくなってきたので、このあたりで終わり。多分全体の1/3くらいの部分までで、どう読んでも変だろうという箇所を指摘した。残りの2/3の部分も、いくつもひどい点があるんだけど、それを指摘していくと時間が大変かかって、かかる割に報われないと思うので終わりにする。匿名ダイアリーの文量制限にも引っかかるだろうし。興味があれば誰かやってください。もちろん会計がわかる人がやらないと墓穴を掘ることになるんですが。
ざらっと見た感じだと、経営学部の学生が講義課題でレポートを書いたとして、ぎりぎり「可」がもらえるかどうかかな?というくらいの内容だと思う。簿記の話というタイトルなのに、中身はそうではないものが混じりすぎているし、テクニカルタームを間違えていて説明も間違えているし、全体の構成もどこに突き進んでいるのかよくわからないもの・・・。
初めて簿記や会計を学ぶ人は、もうちょっとちゃんとしたものを読んだほうが良いよ。最初から間違えて覚える必要はないわけだから。
http://anond.hatelabo.jp/20131012170647
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
退学しましたが、文転して、別の大学で文系の学問を初歩からやっています。
今は精神面から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。
ずっと、心に整理がつきませんでした。
最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。
そして、こんな記事を見ました。
http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117
高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。
大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。
臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。
給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。
それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するときの連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダーを担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。
別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。
前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。
その実験のときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。
パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。
退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気は悪化しました。
幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています。
パキシルという薬は、うつ病に代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。
その生徒は、授業も時々欠席する方でした。
それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症が寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。
退学してから、すっかり引きこもりになり、これからはリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。
高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。
なぜそうなるのか考えてみる。
これは本当に深刻なレベルの人が多い。
正直な話、大学すら出ていないとなると会話が通じる自信がない。
『トートロジー』『加藤周一』『構造主義』『リーマン積分』『尤度比検定』『緑の革命』
このどれか1つすら知らない人ってのは、正直会話できないと思う。知的レベルが低すぎる。
頭のよさどうこう以前の、「硬い文章なりを読みこなしたり調べたりして理解する」っていう過程を踏んできていない人間に議論なんて絶対無理。
「本当に頭のいい人の文章は分かりやすい!」って聞いて、「じゃあなんでお前の理解できない数学の本があるんだよ」ってのがスッと理解できない系の人には話が通じない。どれだけ簡潔で理路整然としてても受け手に理解力がなかったり理解しようという力が無かったりすると話なんて通じない。
そりゃ、日常会話は表面的にってならできるかもしれないが。
装備なしにエベレスト上るようなもので、知識なしである程度以上の会話ってのはできない。
エベレストに自然体では登れないように、人間の脳みそってのは高度な思考を自然にできるようにはできていない。
これがわからない人が多い。
たとえば、アルコールで酔っているときに、数学なり解けるだろうか?意識としてはどんなにクリアに思えてもできない。
それと同じで、脳みそが正常に働かない状態の精神状態や脳みその状態で考えようとしても、無理。
③未成年
こうなると、まともな思考は厳しい。殆どできない。
中二病にコツコツしたトレーニング方法を教えても意味が分からないだろう。
④男女差
差別するつもりはないが、女は男に比べて単純な空間把握とかができない。なので、話にズレが生じてくる。
また、感情の処理も男に比べて女はできない。
人類が生み出してきた『議論』って手法は男の脳みそに合わせて作られたフシがあるので、女には厳しい。
女独自の思考方法もあるし女の思考力がすぐれないとは思わないが、現状作られたフォーマットには女は適さない。
たとえば、スポーツというフォーマットでやってしまうと女が男に平等な舞台で勝つのは厳しいように、議論っていうのはちょっと女には向かない。筋肉と同じく女は脳みそは伸ばしにくい(もちろん、音楽とか感性とか経営管理とか、そういうのは明らかに男より優れる部分も多いと思う)
スポーツが男の仕事だとすぐ納得できるならば、議論も男の仕事と考えてほしい。女は同じ土俵ではまず勝てない。
⑤議論と交渉の差がわからない。
議論ってのは、ある一定の知識を前提に合理的に話を進めていけばいいんで、そこに感情とかいらないんだけど。
交渉となると話が全然違う。
この場合、Bがかつ。勝っているのは議論ではなく、交渉。
なぜBが勝ってしまうのかというと、「話を破たんさせている」から。
Aは正しい正しくないは別として、話を積み重ねていけば、エアコンの温度を下げるっていう行動にある程度の意味合いを持たせうる。Aは議論を吹っかけている。
たいしてBは、「この話をまとめると嫌なことになる」→「話を崩壊させてしまう」という手法を取り出す。Bの話に正しさとか論理とかまったくないんだけど、Bは自分の感情を通すために交渉を吹っかけている。
そもそも、議論に感情が出てくること自体がおかしいのだけど、Bのように知的レベルが低い、あるいは知的レベルが高いけど交渉でご破算にさせてしまうっていうのに味をしめている人は、Bのような態度に出る。
一度暴力でものを通してしまった子供は、ずーっと暴力でものを通そうとして成長が無くなってしまう。それと同じで、交渉に頼って学ぶことを辞めた人間はこうなってしまって、話が通じなくなる。
http://anond.hatelabo.jp/20130301010727
まあもともと藤田田の個人商店だったんだし、上場後も米マクドナルド以外にはモノ言える株主もいないし、
優良無借金企業ということは、裏を返せばメーンバンク不在、メーンバンクによる経営管理も働かなかった訳で。
そもそも一時期外食日本最大手だった企業が、上場先に東証1部じゃなくナスダックを選んだ、という点自体がオカシイ。
いろいろな規制が煩い東証1部じゃなく、コーポレートガバナンスが緩くても上場できるナスダックを選んだ、というのが真相。
そもそも、資金調達する必要のないマクドナルドが、上場すること自体必要なかった。
>真実を追及する学問を衰えさせ、株の乱高下にかまけて目の前の生活にひいひい言ってる愚民しか育たぬようにする
>世界規模の大学職業訓練校化は、どうやら世界政府の陰謀らしいがなw
単純すぎるモデルに見えるがあながち間違いじゃないかもしれん。
外国の投機筋や国内の大土地所有者にとってはそういう人間が多ければ多いほどよい。
余剰なホワイトカラーをブルーカラー化する。経営管理層に立つ人間をできる限り少なくする。
貧富の差が以前より拡大するが、国が下層から租税を毟り取り、上層(法人とその所有者)を優遇することで、
日本国内にカネは残る。これは国外の投機筋にとって都合が良い。
なぜかって?運用可能な状態が続くからだ。ここで専門外の経済理論を展開して弱点を晒すつもりはないが、
運用可能な状態が続けばいずれバブルも再び起き、自然災害や戦争も起きる。その時に一儲けすればよい。そういう心理なのだ。
国の構造が置き換わり始めていることに気付け。
ショック・ドクトリンに負けるな。
地区 | 事業所数 | 従業者数 |
---|---|---|
大田区 | -41.9%(×) | -42.7%(×) |
浜松市 | -39.6%(×) | -32.5%(×) |
東大阪市 | -31.7%(○) | -25.8%(×) |
全国平均 | -37.3%(×) | -25.6%(×) |
※あくまで「とあるゼミ」について。 他は存じあげません。 教えて下さい。 お願いします。
論文とは「問い」である。(率直な疑問をテーマにしてこそ良い論文になりやすい。)
論文には以下の構成がある。※この日記は序論の「問題」と「研究目的」に対する考察(PLAN)でしかない。
問題と研究目的や研究方法の提示、用語の定義を述べる必要がある。
引用文献だけではなく、使えそうで読んだ(参考にした)本を述べる。
近年、娯楽コンテンツをテーマにする流れがとあるゼミ内であったようなので、注意点を述べる。
これは、社会的背景に迫らなければ動機以上に有意義なテーマにならない、ということである。
疑問に思う(QUESTION)→「考察(PLAN)」→調査(DO)→考察(CHECK)→発表(PRESENTATION)の流れでは「PLAN」に該当するプロセスで基本だが、大抵の大学生は多忙を理由にして調査への過度な期待をして失敗を繰り返しているという意味で最重要プロセスでもあると考える。
失敗の例として具体的には「自分の研究がなにをいいたいのかがわからなくなる。」といったものがある。
そこで、対策として社会的背景へ迫るPLANの例として娯楽に対する考察を以下に提示する。
そもそも、娯楽の意義を知らなければならない。無論、娯楽はストレス(抑圧)発散のためにある。
社会的なストレスとは労働といった規範に関連するもの。学生は学業が社会的なストレスになる。
知識の外部性を最初に指摘したのはマルクスだった、といえば牽強付会に聞こえるかもしれないが、彼は労働についての断章と呼ばれる『資本論』の草稿(経済学批判要綱)で次のように書いている
自然は機械をつくらない。それは人間の頭脳や手の生み出した器官であり、知識の力が対象化されたものだ。固定資本の発展は、社会的知識がどれほど生産の直接的な手段になり、社会的な生活の条件がどれほど一般的知性によってコントロールされて生産に適応しているかを示している。
これはネグリ=ハートが『帝国』で、マルクスが「非物質的労働」を視野に収めていたことを示す証拠として引用した文章だ。これに続く部分で、マルクスは社会的知性が科学技術による生産の条件だとものべている。そしておもしろいことに、こうした社会的知性は生産だけではなく消費によっても生まれると説いている
池田信夫 blog : マルクスとソーシャルメディア - ライブドアブログhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51671941.html
知識の外部性、社会的知性、一般的知性 というものがあることがわかる。
おそらく書籍を読解していく上で【知性やイデオロギー】等の違う言い回しで多くの似た概念に出くわすと思う。※注意は必要だが、以降は「規範」として解説する。
私たちは幼少より社会的な規範や市場的な規範を様々なものを通して学ぶ。
娯楽も例外ではない。例えば、女の子はおままごとを通して家庭の内部規範を、男の子はロボットやヒーローのおもちゃで外部規範を学んでいく。
ここから、「娯楽コンテンツは虚構的である。つまり、それ自身に本質的価値はない。」ということがはっきりわかった。
実をいうと、「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意思を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。
これらのどれ一つとして人間の自然な本能ではなかった(もちろん、今でもそうではない)。したがって「従業員」という概念が—また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ—永遠の真実という揺るぎないものに根ざしていると思いこむのは危険である。
「経営の未来」に従業員の未来を見る - アンカテhttp://d.hatena.ne.jp/essa/20080310/p1
「従業員」という一見当たり前の概念についても長い歴史で観ればつい最近確立された規範であり、社会問題を伴う。
つまり、「娯楽という概念」にも労働を代表する外部の概念が抑圧・弊害や規範として間接的に関わってくるため、視野を広めて(ここでは労働をキーワードに)考察をすることが重要ということである。
(※今回は閲覧できるようにwebをソースにしましたが、実際はキーワードに関する書籍を読解し、参考・引用してください。)
娯楽コンテンツについて調査するならば、調査対象においての労働観(学業観)、社会観、消費観を知る必要があるだろう。
むしろ、引用するしないに関わらず参考文献範囲を研究テーマの外側まで広げていかなければ、根源的な問いに対する調査の切り口が見いだせない。
娯楽コンテンツを研究テーマにした場合は袋小路に入ることになる。
しかし、研究テーマの外部の考察をすれば必ず研究に活きてくる。まず発表に際して学生間での質問に引けをとることはなくなる。
一見言わなくても分かると思われることも、しっかりと問題の本質、動機、仮定、構造の説明ができるかどうかは別問題ということである。
原著は1981年。もう絶版なのでアマゾンで購入。川北稔先生が、「イギリス近代史講義」のなかで、イギリス衰退に関する代表的な議論として紹介していたので。
本の主張は単純。イギリスの産業衰退は文化的にビルトインされてたってこと。「世界の工場」として華やかなりし頃だった1851年のロンドン万国博覧会のときすでに、反産業の気風が高まっていたということ。騒々しくなく、あくせくせず、保守的で、物質的利益を追求せず、汗をながさない。そんな「ジェントルマン的な精神」が英国の産業を破壊したっていう議論。
英国企業の経営者達は、「重役協会」にみられるような経営管理という世俗的な役割から超然としたグループを形成し、変化への対応や、利益の追求を嫌い、政治的、社会的活動などの非事業的な分野へいれこむのが美徳とされた。産業界への社会的地位は低いままで、オックスブリッジに見られる一流大学では産業界で「使える」ような応用的な知識は蔑まれ、優秀な人材は全然集まらなかった。これは、製造業の役員の名刺にはほとんど必ずドクターとついているドイツや、職人的技巧が敬われる日本と比べると、まさに20世紀英国では他のどの国よりも、産業界での経歴が低く評価されたのである。
本書では、このジェントルマン的精神のせいで衰退した英国産業についても多く触れている。経営陣が保守的だったために、ドイツのIGファルベンや、アメリカのデュポンに完全に敗れた、プランナ=モンド社(ICIの前身)。経営者が政治の世界にいれこんだために、オランダのロイヤル・ダッチにに会社を買収されてしまった英国のシェル石油など。そんな中で、唯一金融業だけが繁栄を続けたのは、そこが実際の生産とは一歩離れた場所にあり、世俗的な空間とは一歩はなれた「きれいな」空間で優雅にビジネスができるからであり、ジェントルマン的な精神と親和性が高かったのである。
本書の問題点はあげようと思えばたくさんある。「衰退」へ向かった歴史的流れを説明するはずなのに、やたら20世紀後半の「現代的な」資料ばかりが目についてしまうこと。引用の仕方がけっこうかなり怪しいこと(ケインズが金儲けを否定していた、と言う箇所とか)。本当に英国の反産業主義が他のどこよりも根強かったと言えるのか(大量生産に批判的なエートスは震源地のアメリカでも当時見られた)。そもそも文化決定論って自体、星占いと同じようにイエスともノーとも言えるわけで。
ただひとつ、現代に生きる日本人として、今日的なレッスンをあげるとするならば、衰退の色が見えはじめた時の英国政府・産業界がとった行動である。本書では、国内での過当(と言われた)競争を排除すれば雇用も減らず産業競争力は強くなると考えていた当時の英国の事例を紹介している。1890年代に始まった英国の企業合同や、30年代の市場配分協定など。結局、当時民間で行われた合併の波も、経済全体に利益をもたらすことはほとんどなかった。逆に、それは英国の保守的気風に棹を指し、産業界を革新からますます遠ざけ、産業衰退にさらなる拍車をかけることになったのである。
またもν速大勝利、スネークが小沢マンションの中国人女子留学生入れ替わり制を突き止める。朱朱季季
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1263475685/651
651 : 硯(西日本):2010/01/15(金) 05:59:20.52 ID:bUC2ikHi
295:名無しさん:2010/01/11(月) 08:54:02
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB
来歴・人物 [編集]
鹿児島県生まれ。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を経て、1955年鹿児島大学工学部を卒業、がいしメーカーの
松風(しょうふう)工業を経て、1959年、社員8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、10年後、株式上場。
ファインセラミックスの技術で世界的な企業に成長させた。1984年には第二電電(DDI、現・KDDI)を設立した。
グループ全体で売上高が1兆2000億円と成長を遂げた。1984年、財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を
創設した。また、若手経営者向けの経営塾「盛和塾」を非営利にて主宰し、若手経営者の育成も行っている。
独特な経営管理手法「アメーバ経営」が有名である。1997年には臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた。
また民主党幹事長小沢一郎と旧知の仲であり、大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として
知られている。とりわけ京都市を地盤とする前原誠司の有力な後援者である。小沢一郎が2008年9月21日に
民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。 2005年、立命館小学校こども顧
問委員に就任。母校の鹿児島大学に寄附し、稲盛会館を寄贈した他、稲盛アカデミーへの援助を行なうなど、
朝子夫人は、「韓国農業の父」として知られる禹長春の四女である。 実弟の稲盛実氏は、鹿児島県で
個性を生かすとか、付加価値をつけるとか、そういう(経済的)価値の観点は基本的にはよいものなのだけど、価値の観点と倫理の観点は必ずしも一致しないと思う。
たとえばかつては土地の価値を高めるために森林をビルに変えようという動きがあった訳だ。だって生活者にとっては森林よりビルの方が価値は高い訳だから。
あるいは優生学の思想はまだ根強い。俺も結婚して、嫁の胎内にある胚が障害を持っていると知ったら、多分生まないよう勧めるだろう。障害を天からの授かり物と言えるほどの経済的余裕も情動的余裕も俺にはない。
いまでこそ我々は環境保全や多様性を代替不可能な価値としているが、それらは既に、誰かが直接利用可能な、普通の価値ではなくなっている。かなり高度な、倫理性や経営管理の観点を帯びた価値と言えるだろう。そうなると、価値と倫理とは階層が違うところにあるということになるだろう。
だから、価値を高めることが即倫理的に望ましいとは言えないのだということに注意しなければならない。むしろ無批判に価値を高めることは倫理的にはマズイということが起こりうるので(ビルとか出生前診断とか)、価値と倫理は別だということを念頭に置かなくてはならない。
じゃあ価値って何だ、倫理って何だ、ということを言われるとちょっと「それは各自のセンスを常識と付き合わせて獲得してください」としか言えないけど。
NEC、7月からクラウドサービス 基幹業務、ネット経由で提供
NECは22日、基幹業務システムをネット経由で提供するクラウドサービスを7月に始めると発表した。情報システムやソフトの機能をインターネット上に保有する「クラウドコンピューティング」の技術を活用した。顧客企業は経理や人事、販売管理といった経営管理システムを自前で構築しなくても安く利用できる。NECが、企業経営を効率化するための基幹業務を、データセンターからネット経由でサービス提供するのは初めて。
7月に始めるサービスの名称は、「クラウド指向サービスプラットホームソリューション」。システムの種類を3種類に分類。企業規模や利用形態に応じて、一般的な「SaaS型」、個別企業に特化した「個別対応型」、複数企業で共有できる「共同センター型」から、自社に最適なシステムを選べる仕組み。
利用料金は個別見積もりとなる。中小・中堅企業から大企業まで幅広い業種の利用を見込み、「2、3年後に年間1000億円を売り上げたい」(藤吉幸博執行役員常務)考えだ。
開始に合わせ、システム構築を担当するSE(システムエンジニア)を、提案から保守・運用まで一貫して担える「サービス要員」として育成する。2012年までに、グループ会社を含む1万人のSEをサービス要員に移行させ、企業向けの提案力を強化する。
1万人のサービス要員のうち、2000人は顧客に業務手順の改善を提案する「ビジネスコンサルタント」、残りは、システム構築から保守・管理の段階で提案する「プロジェクトマネジャー」とする。
クラウドサービスはサーバーなどの機器やソフトを自前で保有しないことから、運用コストを大幅に削減できる。また、新システムへの移行が容易なことから、システム更新も簡単にできるメリットがあり、利用企業が増えつつある。NECが基幹業務システムのクラウドサービスに乗り出すことで、ライバル企業も追随する動きが加速しそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090423-00000004-fsi-bus_all
たとえば、こんな記事なんだけど、具体的には何がいいたいのかぜんぜんわからん。
基幹業務システムをインターネット上で提供、とかいうのをクラウドっていってるけど、それは過去のASPであり、SaaSとかであり、名前があまりにバズワード化したので、こんな言葉を使っているわけだが、具体的に何がいいたいのかわからんので×。
すいませんね。はてな匿名ダイアリーとか増田とか、そんなこんな、どういう空気か存じ上げないものですから。なんか、ココの雰囲気になじまない内容だったらすいません。
表題の日立製作所はひどいという話です。私は同社の取引先でメインフレーム・コンピュータを導入している組織なのですが、日立のメインフレーム・コンピュータって馬鹿高いんですよ。
同じ程度の性能の日本IBM機の約3倍。日本IBMもアメリカで売っているのより2、3倍高いっていうから世界水準からすると目茶苦茶高いわけです。それでもって、普通何億もするコンピュータなら、なぜ高いのか理由を説明する責任があるじゃないですか。日立って一部上場企業で名門企業でしょう。でも営業担当者は、こちらの説明要求を無視するんですよ。また、うちの上司に酒を振舞ったり、銀座のクラブに接待したり、タクシー券握らせて、いい気持ちにさせているんです。そんな、営業活動に乗るうちの上司が悪いとも言えるんですけど。
何か、都合が悪いことになると、酒を振舞っているその上司のところにチクって、やり口が汚いです。奴ら。悪い意味で政治的に立ち会うっていうか。真面目に仕事をやって欲しいです。
ハードウェアが高いんですよね。しかも、外部の人から聞くと、日立は複数の価格体系をもっていて、相手の足許を見ながらうまく使いわけているみたいですよ。情報・通信グループの経営管理部っていうところがいろんな事業部署を仕切りながら価格コントロールしているみたいです。なんか、メインフレームのシステムって簡単にはベンダーを変えることは難しいから、その弱みにつけこんで、「取れるとこから取っておけ」ていう感じみたい。
公共系のお客さんが多いから、結局、日立は税金を食い物にしているんですよね。国税庁の方、システムの専門家を雇ってでもこの過剰な利益構造を暴くべきです。会計検査院の方、もしこの情報を目にすることがありましたら、しっかりイニシャル・コストとランニング・コスト特に後者の方をしっかり精査してくださいね。
民主党の先生。社会保険庁の攻撃のつぎは、ITゼネコンですよ。NTTデータ、日立、彼らが税金をどれだけ食い物にしているか、国会に証人喚問してしっかり明らかにしてください。
日立はハードウェアに保守料にとるのはいいとして、システム自体にも保守料をとり(明細なし)それに、保守SE人件費もユーザ持ち。それからプログラムは使用料をレンタルというかたちで月額払い。それらもかわいらしい数字ではありません。数億から数十億単位ですよ。
説明しろっていっても「中央処理装置一式 ○億○千万円」って人を小馬鹿にした明細を出してくるんです。日立の中央研究所って国分寺駅から徒歩5分くらいのところにちょっとした大学のキャンパスくらいの面積であるんです。そこなんか、売却するべきです。目白の下落合に会社の迎賓館みたいな施設をもっていて、VIP相手にワイン・パーティをして取り込んだり。目白は学習院の旧寮を買い取ったとか。そんな政治的な施設は全部、市場に放出して、しっかりとしたリストラをして、合理的な価格でコンピュータを官庁や自治体、研究施設に納入すべきです。国民の税金を食い物にするのはいい加減にして欲しいです。
日立製作所だけじゃなくて、日本の大企業は大なり小なり、そうやって官庁に食い込んでいるっていうこともあるかもしれません。少しづつでもいいので、税金の無駄使いをやめて、合理的な価格決定基準が進む方向にもっていかないと。日立をはじめ、大企業は既得権益を守る方に力を注いで、世界的な技術力競争からは、ドロップアウトします。国力は落ちるばかりだと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20080720205422
http://anond.hatelabo.jp/20080720223049
http://anond.hatelabo.jp/20080720230624
■ちょいとした結論【官公庁ユーザとしてどうするのが適切だろうか】
http://anond.hatelabo.jp/20080721002901
☆丁寧なレスをいただきました。
http://anond.hatelabo.jp/20080721015612
そして、それを読んで僕の結論
■落としどころはこんなところでしょうか
http://anond.hatelabo.jp/20080721034021