はてなキーワード: 稲盛和夫とは
減税して若い子の給料と消費を増やすか、生活コストの低い地方で暮らせる人を増やすために若い子が上京しないように大学進学率下げちゃうのが近道だと思うよ?
世の中、同級生と結婚する人が多いのに、大学進学したら人間関係リセットになるからね。
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
不要論って言っても、
「そもそも、大学自体がエリート教育なんだから、一部の上澄みだけで良くね?50%もエリート教育したら質が下がるか、船頭多くして船山に登るかのどっちかやろ?」
という感覚です。
全部いらないって言うより、「それ大学出る必要あった?」と思う人多すぎ問題です
リーマン・震災・民主党政権の時代を見ちゃってるせいで、今の子ほど性善説でモノを考えられなくなってる気がするが、同時に
とも思うから、ズレてることに安心感も感じててフクザツな気持ち。
ひねくれ者は俺より上の世代だけでいいよ。
この間、「大卒そんなにいらなくね?」みたいな話をしたけど
受験自体が選別なんだから、もう早い段階で見切りつけさせた方がいい
高卒を政治的(学校の先生の雇用を守るため)に増やした背景を知ったときから「なんかキナ臭いな」と思ってた。
誰でも入れるしょーもない大学はより選別機能及び大学(大卒)の価値を暴落させてる。
高校時点で「学問や大企業戦士は難しそうだな」という人を一定数作ったほうがお互いのためよ
「高校野球の引退試合や、独立リーグは野球をプロ養成でもあるが、大半の人にとっては【野球を諦めさせる場所】である」
と言われてる。
大卒がそんなにいらないことに加え、中卒・高卒でもいい人が学問から切り替えて、働けるようにしづらくしてるのも、またね
夢は叶えられない人に与えるのは、むしろ残酷な呪いでしかない。
呪いになる前に夢を諦めさせる・切り替えて新しい進路をちゃんと作る方がはるかに大人の仕事で、教育的だと思うんだけど…こういう意見ってウケないのよね。
大学の授業料が高すぎるから、自然淘汰によって変わっていくとは思うけど
ちなみに、「大学の授業料、欧州に比べると高い問題」もこれも闇が深くて…大学が無料・安い国は税金で大学が運営されてたりするらしい。
つまり、大学無償化とか授業料抑えろって意見は、いらない大学を淘汰した後に言わないと、無駄な税負担が増えるだけ…というオチになりかねない。
いらない学校を淘汰した後でやらないといけないんだけど…民主党がこの政策に熱心で、その裏に日教組という支持母体がいることを知ってたら「こんなもん利権だろ」って、秒でわかる話。
で、社会党も民主党も(多分、支持母体も)資本主義や市場経済がわからんから、
金で客を選別できなくなるとね…どんなやつでもサービスを利用できる分、現場負担がえげつないことになるのよ
と言ったけど、アレは高校無償化しちゃった人たちにこそ当てはまる言葉。
八百屋は果物で儲けてるのだが、果物を快く買ってくれる人は客層がいい。
つまり、「大卒や高校を淘汰したほうがいいよ」というのは別に学生のためだけに言ってるんじゃないのよ。
仕事が楽になれば、学校の先生になりたい人を増やせるから…政治的じゃない人は先生も生徒もみんな得する。
仕事って客で大変さ変わるもん
ぼくが、
と言ってるのは、そこよ。
無償化して職員がクビにならない状況がハッピーかと言うと、違うのよ。
仕事は客層悪くなって大変。
逆に、客もサービスが改善されない不便または追加料金で別サービスに加入するしかなくなる。
「学校は偏差値で入れる入れないがあるんだから、市場経済とは切り離されてるし、そうあるべきだ」
と言いたい人もいるかとは思うけど…親が授業料払ったり、参観する以上は切り離せないのよ。
いや、全員高卒にしたり、無償にしなかったらDQNやその親まで見なくてよかったかもですが…しちゃったから
東京で安くこき使える社畜がどうして生まれるかと言うと、大学進学のために上京する人が多すぎるからです
これも「東京に大学って固まってるよね」と気になって調べたんですが…やっぱダントツで多いんですよ。
ところが、東京の大学に進学して、借金したまま東京で就職・バイトするから…社畜問題に行き着く。
これぼくも香川県までの道中を青春18きっぷで行ったからわかったけど…完全にセルフレジしかないような駅のコンビニが地方にはあるんです。
ところが、首都圏は必ず人のレジがいるし、そもそも自動がないとこもまぁまぁある。
ホリエモンが言う「社畜がいるから自動化が進まない」は首都圏のお話
で、
「首都圏で自動化が進まない・技術が発展しないから嫌な仕事から人々が開放されない理由」
を掘り下げていくと、技能実習生もさることながら、安くこき使われる学生バイトと、若手フリーターが多すぎる問題…もっというと「大卒多すぎ問題」に繋がってるのです。
最近、
その愛弟子である胡錦涛さんもそのマインドを受け継いだのだろう
オープンマインドだった 胡耀邦・趙紫陽の時代(藤村 幸義)2011年4月
最近の中国は経済発展こそ著しいが、自由闊達な雰囲気はあまり伝わってこない。それどころか政治の民主化は遅れ、メディアへの規制は強まるばかり。経済面では国有企業の勢力が再び増している。なにか時代に逆行している印象もある。
これまでの経済発展方式を転換すると言いながら、実際には大胆な改革に踏み切れずにいるのも歯がゆい。改革・開放政策に着手してから30年余り。中国はいまいちど、この政策に着手したころ、胡耀邦・趙紫陽がリーダーシップをとっていたころのオープンで溌剌とした雰囲気を思い起こす必要があるのではないか。
胡耀邦に初めて会ったのは、北京空港だった。筆者が特派員として北京に赴任してまもない1979年の半ばころだったと記憶している。すでに前年末の党中央委員会議で、中央政治局委員・党中央宣伝部長への就任が決まっていたが、我々外国人記者の前には姿を見せていなかった。
背が低くて頭は三分刈りくらい、なんとも貧相な男が、突然筆者の前に姿を現した。にこやかに笑っている。すぐに、これがあの胡耀邦だと分かった。つまり、筆者が復活後の胡耀邦の姿を見た最初の外国人記者だったのだ。気がついた他の記者たちが寄ってきて、たちまちのうちに人垣を作ってしまった。
その後はとんとん拍子で出世していく。1981年6月に華国鋒のあとを継いで党主席に就任した(1982年9月には党主席制の廃止に伴い、新しく導入された総書記に就任)。
筆者がその自由闊達な人柄に直接触れたのは、1984年6月、日本経済新聞社が人民日報との交流をスタートさせ、北京に取材代表団を送り込んだ時だった。人民大会堂で、胡耀邦と会見するチャンスを与えられた。初めて会った時の貧相な感じは消え、頭髪も長く伸ばし、威風堂々としていた。
中国首脳との会見では、相手側に一方的に喋りまくられ、こちらから質問するきっかけを作りにくいのが通例だった。しかし我々は違った。儀礼的なあいさつは最小限にとどめ、日本経済新聞社の初代北京支局長だった鮫島敬治氏と筆者がタッグを組んで、次々と質問を繰り出した。
これに胡耀邦も応えてくれた。会見は予定時間を大幅に超え、1時間半にも及んだ。「今後10年間に外国から500億ドルの外資を導入してもいい」と、手に持った鉛筆を振りかざしながら、対外開放に積極的な姿勢をアピールした。
このやりとりがよほど気に入ったらしい。最後に胡耀邦は、同席した人民日報の秦川社長の方を向いて、「ことし秋に人民日報と日本経済新聞が共催してシンポジウムを開くように」と指示したのだった。秦川社長も驚いた様子だったが、すぐに同意し、その場で日中経済シンポジウムの開催が決まってしまった。
かくて1984年11月に「中国の対外開放政策と日中の経済・技術協力」をテーマにした日中経済シンポジウムが北京で開催された。筆者は当時、国際部デスクだったが、数カ月ほどその仕事を離れ、シンポジウムの準備にかかりっきりになったのを覚えている。シンポジウムのパネリストには、いま日本航空再建に采配を振るっておられる稲盛和夫・京セラ社長(当時)にも加わってもらった。
シンポジウム終了後には、胡耀邦と再び会見できた。年に2回も会ったことになる。メディアが単独で年に2回も中国首脳と会えたというのは、異例中の異例だった。
胡耀邦はこの時、韓国との直接貿易について「南北交流の進展を見ながら」との条件付きながら開始を示唆した。いまや中韓の貿易は大きく発展しているが、当時としてはかなり大胆な発言だった。我々との2回目の会談に胡耀邦も気を許したのかもしれない。
胡耀邦は1987年1月に総書記を解任されるが、日中経済シンポジウムは継続され、1988年11月に北京で第3回目が開催される。この時に会見したのが、胡耀邦の後任として総書記に就任した趙紫陽だった。
趙紫陽も胡耀邦に負けず劣らず、あっけらかんとしていて、オープンマインドだった。ブルジョワ的との批判を恐れずに、いち早く背広を着こなし、ゴルフ場にも通った。
ある時、明の十三陵近くのゴルフ場で趙紫陽とばったり顔を合わせたことがある。アウトの3番か4番だったろうか、ゴルフ場スタッフが駆け込んできて、「中国の偉い人がプレーするので、ちょっと待っていてほしい」と要請された。しばらくすると、趙紫陽がパターを手にしてやってきた。せっかちな仕草で、最後までボールを沈めずに、次のホールへと移動していってしまった。
会見では終始、ハイテンションだった。すでにこの頃になると、批判勢力の攻撃にさらされ、趙紫陽の政治的立場はかなり苦しくなっていた。会見が始まって間もなく、趙紫陽は付き人にビールを持ってくるように要求した。外国人との会見で、中国首脳がビールを飲むというのは、おそらく前例のないことだろう。約1時間の会見中にコップ2杯を飲みほした。ビールに力を借りなければ、思い切ったことも言えなかったのであろうか。この会見の半年後に、趙紫陽も天安門事件にからんで失脚してしまう。
●改革に前向きだった両首脳
胡耀邦失脚の際に、日中経済シンポジウム開催を独断で決めてしまったことが失脚の一つの理由になった、との報道もあった。しかしその後もシンポジウムは隔年開催で続けられ、日中交流の促進に役割を果たした。
胡耀邦、趙紫陽ともに、中国の古くからの悪弊を取り除き、新しい枠組みを作り上げようと一生懸命だった。やや性急なところがあったにせよ、常に前向きの姿勢を失わなかった。
中国はいま、経済成長の維持、インフレ抑制、投資から消費中心への構造転換、という3つの難題に直面している。ところがこの3つの中で、どうしても優先しがちなのは、経済成長の維持である。国際金融危機に際しても4兆元という巨額の財政投入によって、成長率を維持しようとがむしゃらになった。
その結果、GDPが日本を抜いて世界第2位となるなど、世界から大いに注目を浴びたのだが、半面でその後遺症ともいえるインフレに手を焼いている。ましてや、投資から消費中心への構造転換になると、対策が後手に回りがちで、ほとんど効果をあげていない。胡耀邦や趙紫陽のあの改革へのチャレンジ精神をいまいちど、思い返すべきだろう。
特に胡耀邦は清廉潔白なことでも知られていた。昨年4月、人民日報は温家宝首相が執筆した、胡耀邦を評価する論文を掲載している。その中で温首相は、「70歳を過ぎた胡耀邦が、食事や睡眠の時間も惜しんで人々の暮らしぶりを知ろうと、対話などに努めた」と胡耀邦の地方視察に同行した時の思い出を披露している。暖房が効かない宿舎に泊まって風邪をひき、高熱を出したが、それでも仕事を続けたという。胡耀邦がいま存命ならば、腐敗・汚職が蔓延している最近の中国政治に何と言うだろうか。
ふじむら・たかよし 1944年生まれ 67年日本経済新聞入社 北京特派員 論説委員などを経て2000年退社 現在 拓殖大学国際学部教授 著書に『老いはじめた中国』(アスキー新書)『中国の世紀 鍵にぎる三峡ダムと西部大開発』(中央経済社)など
横だが、まずは精神科で落ち着かせるための薬を出してからだな。措置入院も必要かもしれない。
薬で例えば90度に上昇している頭CPUの温度を40度ぐらいにすることができれば頭の回転もまともに戻ってきて判断もできるようになろう。
薬とかいわばCPUに冷凍スプレーぶっかけるだけといえばだけだが、それでも冷凍スプレー程度の効果はある。
ただ、例えて言うなら強引に冷凍スプレーでもぶっかけてるだけの状態で、オーバーヒートするプログラムを止めないとならない。
というか、起業の中止。一度サラリーマンに戻って再起か、そのままサラリーマンとして行きていくことだ。
ただ、基本言うことを聞かない人間は言うことを聞かない。強引に精神病院に入れるための法的な方法までは知らん。
まず第一に逃げること。距離を置くこと。彼は彼ということで半分見捨てておくこと。
典型的な失敗した起業だ。起業だイノベーションだと抜かしているやつは大半の起業の末路なんてこんなものだというのを見ないふりをして、
「僕と契約して魔法社長になってよ」と抜かして、魔法社長になる素質の頭の足りないやつを探してウロウロする。
魔法社長の希望が絶望になるエネルギーが日本を救うとでも思ってるかの如くねぇ。
少し落ち着いてきたら、野口誠一という人の本が良いとおもう。潰れた社長を見てきて、どういう事業のやり方が悪いかを色々書いている。
なにか夢見ていたことがあったのだろうが、いろいろ至らんことがあったんだろう。うまくいく事業にするなら、京セラの稲盛和夫関連もよいか。
それから、社長なんざ「俺はこうだと思う!」という信念のもとに突き進む存在。一方で、そういうこう思われたいという感情は慢の感情と言って、うまく行かなかったら苦しめる要因。
その慢の感情について述べていて、かつ、それを落ち着けるために瞑想を勧めている書籍を薦める。小池龍之介、草薙龍瞬。
この2名自身も相当激烈な感情の元周りと自分を傷つけて、そうして落ち着くすべを身に着けた人。
瞑想ってあれは脳の休息だと思う。弟さんは疲れすぎたんだ。
もうちょっと科学的に取り扱おうとしているのなら久賀谷亮の世界のエリートがやっている最高の休息法だ。
まあ、ただし、あくまで脳の休息として取り扱っていて、「こう思われたいと思ってきて頑張ってきたが、満たされなかった感情」まではあまり取り扱ってない。科学になじまんしな。
あと、多分弟さんは君の話を今や聞かないだろうから、薬で落ち着かせるのが先決だ。後半はまあ、図書館ででも借りて読んどいて、落ち着いたときに示してやればいい。
金曜日を待つ。
こういうのはよく外国人が「悪」としますが、日本人はあまり「悪」とは自ら言ったりしません。外国人に言われて、ハッとすることはある感じ。
僕はこれは単なる国の文化の差であり、トレンドみたいなものだと思っています。
何なら真逆の意見の本もよく見るし、ビジネス本では王道でしょう。憂鬱でなきゃ仕事じゃない、とか、仕事こそ自分を磨く、とかとか。稲盛和夫的な。
まあ両極端な意見でどちらも正解だと僕は思う。その違いは「幸せは人それぞれ」ということくらいなんじゃないかなあと。
ホセムヒカも正解。稲盛和夫も正解。極端なだけ。金のために嫌な仕事をしてても幸せな人は、自分を幸せにするお金の使い方を知ってる。金曜日を待って仕事をしても幸せな人は幸せな週末の生み出しかたを知ってる。そんで日本人は意外とこういう人がいる気がする。
この動画でも言ってますが、自分が本当にしたいことがしたいことは何か?をよく知り、そのために嫌な仕事をしているのならアリという考えが日本では主流ではないのかな。それも幸せの一つの形だと思う。
他人がどうこう言おうと、自分は今幸せか?ということに感度を鋭く持っておきたいと思う。
てか、イヤな仕事を誰もしなかったら誰がその仕事をするんだよ。意地悪な捉え方をすると、自己中心的な話だな、と思ったりもするんだよ。
「瞑想」――言葉だけは誰しも聞いたことあると思う。なんとなく、座って目を閉じて心をリフレッシュできるもの?というくらいの一般認識はそこそこ広まっているとしていいのだろうか。
かくいう私も今年になってから始めたのがこの瞑想。寝る前に15分くらい実践している。例として挙げるには恐れ多いけれど、アップルコンピュータの創始者であるスティーブ・ジョブズ氏や、京セラの名誉会長でありJALを再建させたことも記憶に新しい稲盛和夫氏も実践しているらしい。
今やブームになっているとまでは言いがたいが、知っている人はやっている、心身のリフレッシュ方法だ。瞑想とはいったい何なのか?その実践方法と瞑想による効果について私なりにお伝えしたい。
細かな歴史や背景については検索すればいっぱい出てくるのでここでは省略するが、発祥はもちろんインドの仏教からだ。しかし、現代人の多くが実践している瞑想はそういう宗教的な目的ではなくて、強いて分かりやすく言えば、雑然とした頭の中をすっきり整頓させることを目的としてやっている。
まずこの「雑然とした頭の中」について理解するための方法として、あなたにもぜひ試してみてほしいのだが、「10秒間、何も考えないでみる」をやってみてほしい。いかがだろうか。みな、「気づくと何かを考えて」いないだろうか。たった今、自分で何も考えないと決めてかかったにもかかわらず、気づくと何かしら考えているのだ。
つまり、人間の思考というのは一見自分が制御しているようで、実際はそうではないことが分かる。あなたに今思い浮かんだその思考は、あなた自身の制御によって浮かんだ思考ではない、という点だけはまず基礎知識として知っておいてほしい。
この自らの意思とは無関係に自動的に湧いてくる思考のことを自我と呼ぶ。人間のストレスや精神的な苦しみはこの自我によってもたらされる。つまり、自我=自分自身と捉えてしまうことによって、日々嫌な思いや嫌な気持ちを味わってしまっていると理解していただければと思う。
お釈迦様ですら、この自我のことを悪魔と呼んだくらい、人間にとって厄介な存在なものなのだ。瞑想とはそんな自我と関わりのない時間をもつための手段のひとつになる。
基本はリラックスして座る、鼻でゆっくりと呼吸する、呼吸に集中する
瞑想をする理由が分かったらあとは実践あるのみとなる。実践と言っても学校の勉強やビジネススキルアップのように小難しいことは一切ない。基本は、
リラックスして座る
鼻でゆっくりと呼吸する
意識を呼吸に集中させる
の3つだけ。本を読んでみるとマントラを唱えるとか色々あるけど、要点としては変わらない。最初のうちは自宅のベッドなど静かな場所でやった方がいいだろう。慣れたら昼休み中のカフェでもできたりするそうだ。
基本はリラックスして座る、鼻でゆっくりと呼吸する、呼吸に集中する
座り方も写真のようないかにもな座り方があるがそれにあまりこだわらなくてもいい。大事なのは自分が本当にラクできる座り方であること。ラクに座れたら、次にゆっくり鼻から息を全部吐く。吸う時は鼻に任せる感じで、またゆっくりと吐く、これを繰り返す。
最後に何より難しい「意識を呼吸に集中させる」だが、自分の呼吸を五感で感じるつもりでスーハーする呼吸音に耳を傾け、肺に入る空気を体で感じる。慣れるまではこの呼吸に集中するのが難しく感じるが、集中してしばらく続けるとコツがつかめるはずだ。
■頭に浮かぶ雑念とは戦わない
無事、瞑想の態勢に入れたあなたに改めて伺いたいが、いかがだろうか。慣れるまでは先ほどの「思考の大群」が頭に押し寄せては来ないだろうか?
私も始めたばかりの頃は、あまりにこの思考が邪魔すぎてとても瞑想どころじゃなかった。しかし、ここで超大切なコツをひとつ。その邪魔な思考を決して消そうと思ってはいけない。なぜなら、その消そうとしているあなたの思いですら、あなたの思考から出てきているものだからだ。
非常にややこしく感じるかもしれないが、ここではそういう思考に決して立ち向かってはいけない。ただただ、浮かんでくる思考を、映像を眺めるかのように傍観し続けてほしい。
■まずは1日15分から。何が変わるかは人それぞれ
瞑想はやり過ぎはいけないと言われている。また、非常に集中力を要するものなので、最初はタイマーをセットして15分を目安に実践してみるといい。上手くやれれば最初の1回目から効果を感じることができるかもしれない。他にも、実践している人の声として、
つまらないことで怒らなくなる
考え方がポジティブになる
熟睡できるようになる
自信がつく
などがある。私も始めてから3~4ヵ月ほどだが、昼間の集中力は明らかに向上した(気がする)。科学的に集中している時間を計ったわけではないので断言はできないが、実感できるレベルにまでは十分向上している。
したたか酔っぱらって気持ちいいので世のため人のためになるけど、普段は絶対言わないことを書く。
今、僕のいる会社を含め世の中は、開業者を倍以上に増やそうとしているけど、この記事を読んでいる君がそれを少しでも考えているなら、
決して起業なんてしてはならない。
特に、今のベンチャーブームにのっかて起業しようと考えている人は絶対にやめたほうがいい。
それはなぜか?今ベンチャーブームに乗せられて起業を考えている人のレベルはたいてい中途半端だからだ。
三桁の起業家とそれ以上の数の起業家になりたい人たちと会ってきた、彼らは大体こんな具合に層別されている。
大抵が社会に適合できなさそうなギーク(IQ MENSAレベル 常人では理解できないスピードで思考するため単体では会話にならない)と、
その人間の言葉を翻訳するビジネスマン(IQ120位、ギークの言葉が理解できる数少ない人間であると同時に、常人にも回転数が合わせられる、MBA・コンサル等)の二人以上のチームになっている。
そして、大抵はビジネスマンが自分の立身出世のため、ギークをそそのかし、
ギークはギークで大金を使って自分のやりたいことをするために起業する。
彼らは、基本的にリスクを取らず、市場が見えて、サービスインするまで、
どこかの大企業や研究所に属していることも多いために、ギリギリまで僕らのアンテナに引っかかってこない。
彼らの目的は、「名声を得、大金を得て好きなことをする」ことだ。だからこそ、VCはいとも簡単に騙される。
事実ギークが作る商品の技術力は高くて、MBAが作るビジネスモデルは完璧だ。
だから社内稟議はスイスイとおるし、融資部の許可もおりやすい。
結果として、ぶち上げてから数年で国内でも新しい分野に台頭し、第一人者になるか
大失敗をしたベンチャーの烙印を押される形で世の中に知れ渡る。
どちらに転んだとしても、彼らは目的が達成された時点で早々にビジネスをたたみ
次の好きなことか、起業前と同じくらいの条件のところに転職する
②ローエンド起業家
こういう人たちは、開業して、美容師・レストランオーナー・コンビニオーナー等、特定の業種の経営者になる。
この層が起業する際の業種の特徴は3つ、
①ビジネスモデルを新たに考える必要がないこと、②技術職であること、③ちょっと調べればめちゃくちゃ割にあわないとわかる業種であること。
つまりは、正直、起業することそのものが正気の沙汰ではないようなそういう業種に進出できちゃうくらい
度胸があって、考える力がない人たちだ。
こうした人たちは、たいてい、誰かの影響を受け起業を決めて
行政機関や銀行の窓口相談を利用して、(かなり独りよがりな)事業計画書を書いて
ビジネスを立ち上げる上で多くの起業が失敗するといわれているけど、そうした層の大半はこの人たちだ。
この人たちは稲盛和夫や松下幸之助が言っていることを本気で信じていて、自己啓発本が大好きな人達と
今でも、日本が右肩上がりに成長していくという確信を持ったたちの悪い行政機関周りのエセコンサルに
数年前までは明確にこの2者に起業家は分かれていた。
だが、最近この傾向に変化の兆しが見えた。それが意識高い系起業家志望者だ。
具体的には、学生・フリーター・メーカーで管理部門や開発部門にずっといた。という類の方々。
面白いのはたいていが、そこそこ有名な私立大学を出ている人が多く、また修士までとっている方が少ないことだ。
ひょっとしたら受験等で苦労しなかったために経て失うものが余り無いと感じているのかもしれない。
彼らは起業は良いものだと信じている反面、リスクを忌避し続けるという性質を持つ、
彼らは起業する前に自分が起業して食べていくのにはどの程度の投資が必要かを事前にスタディし、
余りにも割に合ないことを学ぶ知性を持っているからだ。
こうしたギリギリの均衡状態にいる世間知らずたち、起業志望者は昔から一定数いた。
このベンチャーブームのおかげで、僕みたいな起業支援者の言葉を真に受けて、起業をすれば自己実現できるし、
「起業はいい経験だから失敗しても誰かがそれを評価してくれる」という幻想に取りつかれた起業家が多く生まれた。
彼らはかわいそうなことに、孫正義 やら ちきりん やら Jobsやらの言葉が自分にも100%当てはまると本気で信じている。
そしてリーンプロダクション、「Stay Foolish」な精神で、実際にとんでもなく稚拙なビジネスモデルで起業して、自らの将来価値を大いに既存している若者が
徐々に増えてきている。
ただ、こうした起業家志望者に伝えたいことが一つある。
起業家支援者の中で、起業を勧める人間がいたら彼らの言葉に耳を貸してはいけない。
起業家に貼られるレッテルは昔のままだし、社会的信用なんて成功するまで0に近い。
それなのに、起業を勧めてくる奴には裏がある。
そこそこの知性があるからこそ騙されてしまう、起業家志望者は多くいる。
それでも起業したいなら、せめてMBAくらいは取って履歴書の見栄えを良くして転職の準備をして、
あわよくば、ハイエンド層の仲間入りをしてから起業してほしい。
たぶん教養を、分野を問わない知識の定量的集積に「すぎない」と考えてる人はあんまりいないよね。
本1冊にしたって、カントと浅田彰と稲盛和夫とマンガとケータイ小説では人それぞれ重み付けが違うだろうし、逆に「そんなものを読んでいるなんて教養がない」と言う人だっているわけだし。
やっぱり、なんらかの方向付けや傾向があって、それによって何らかの能力や権力が生まれるような、組織的な知識や見識の編成…って感じがするね。
とはいえ、増田のいうマウンティングみたいな形で、誰か他人との上下関係を競うゲームに直接使える、高級な知識資源のことだけを「教養」というには、あまりに貧しい気もする。
さて(今よみなおしたら元エントリの冒頭で元増田も言及していたけど)フランス社会学で有名なブルデューという人は、70年代フランスでのいろいろな職業と、文化的選好を下のような図にしてマッピングしてる。ここで彼は「教養というのは、単なるお金(経済資本)とは違う種類の資本=文化的な資本だ」というようなことをいってるのね。
http://www.ofda.jp/sakaushi/text/2004a/_img/fig03.jpg
この図では、聞く音楽、乗ってる車、好きな番組、休暇の過ごし方…なんかがさまざまな職業のクラスタとむすびつけられているね。そして、図の左にいくほど「文化資本+/経済資本−」、右にいくほど「文化資本−/経済資本+」となっている。つまり、金持ちじゃなくても教養があるのが右側、金持ってるけど教養には欠けるのが左側、というわけ。
経済学でいう「資本」には「蓄積保存でき、何かに投資でき、自己増殖できるもの」という含みがあるけど、ブルデューさんは「教養というのは、実はそういう点でお金に似てるんだよ、でも、それは必ずしもお金持ちという意味での裕福とは結びついていないけど、やっぱりそれ固有のパワーを持ってるんだよ」ということを実証的に明らかにした。日本的な言い回しなら「名家と成金の違い」といえば体感できるよね。
教養=文化的資本には階級の表示機能があるし、だから、階級を再生産することもできる。やっぱり趣味が近い人間はそういう人間同士でつるむものだから、そのクラスタの中での「当たり前」な知識や所作や価値観をお互いに共有・強化しつづけることになるし、そういうクラスタに属する家族では、子どもも自然に同じような教養のセットを身に付けるよね(文化資本の継承・相続)。婚姻選択のときにも「いくらお金持ちでも一代限りの成金の家にはウチの娘(息子)はやれませんな」みたいなのがあるし。
つづくかも。
民主党分裂に危機感…小沢氏出馬見送り論浮上
民主党代表選(9月1日告示、14日投開票)は、菅首相と鳩山前首相の30日夜の会談で「トロイカ体制」の構築で一致したことにより、首相と小沢一郎前幹事長の全面対決回避に向けて最終的な局面に入った。
党内は、小沢氏の最終判断を注目している。
鳩山氏は首相と首相公邸で会談後、記者団に「(鳩山、小沢、菅の3氏に輿石東参院議員会長を加えた)『トロイカ+1』で行こうではないか、という思いを首相からいただいたので、明日、私が責任を持って小沢先生に伝え、首相と会談していただく」と述べ、「菅・小沢会談」での事態打開に期待を示した。
鳩山氏が調整役を務めるのは、党内に「小沢氏の出馬は党分裂につながりかねない」という懸念が強まっているためだ。
一方、首相が鳩山氏との会談で「トロイカ+1」という表現で小沢氏の処遇に含みを持たせた背景には、いくつかの伏線があった。
輿石氏は30日午後、党本部でひそかに首相と会談し、「トロイカ復活が必要だ」と首相に求めた。
民主党の有力支援者で、小沢氏にも近い稲盛和夫・京セラ名誉会長(内閣特別顧問)の意向も影響したとみられる。鳩山氏は30日夜、首相との会談に先立ち、稲盛氏と会食した。関係者によると、稲盛氏は「対決を回避すべきだ」という考えを鳩山氏に伝えたという。
小沢グループでは、「鳩山・菅会談」まで主戦論が強かった。山岡賢次副代表は30日夕、国会内で開いた会合で、「小沢氏と首相の話し合いがあるといううわさが流れているが、そういうことはない。明日(31日)、各グループ一斉に足並みをそろえて選対を発足させる」と述べ、小沢氏の出馬の流れは止められないという見方を強調していた。
しかし、菅・鳩山会談の後、小沢グループ内には戸惑いが生じている。小沢氏の側近は30日深夜、「不出馬の可能性もある。相当高いポストでの処遇ということかもしれない」と語り、小沢氏がポスト次第では出馬を見送るという見方を示した。一方で、30日夜、都内のホテルで開かれた小沢グループの会合では、「鳩山氏の調整には応じず、小沢氏は出馬するべきだ」とする中堅議員もいた。
首相を支持する前原国土交通相のグループも30日夜、都内のホテルに集まったが、前原氏は「首相と小沢氏の対応を見守ろう」と呼びかけるにとどめた。首相の側近議員は「トロイカ体制ということは、小沢グループも含む『派閥均衡』の人事になるだろうが、了とするしかない」と語った。「国会議員票では小沢氏が上回るのではないか」という見方も出ていたためだ。
ただ、首相を支持する枝野幹事長は周辺に「譲れたとしても代表代行までだ」と語り、党の資金や公認権を預かる幹事長ポストは渡せないという考えを示している。
なんだか、鳩山が稲盛に流されていつも通り暴走してるだけだと思う。山岡は小沢の腰巾着っぷりにますます磨きがかかって相変わらずでキモいし。
どうせ、鳩山は小沢本人と対面したら黙りこくるか、菅を殺る気満々な小沢に流されて、↑の発言をコロッと(都合良く)忘れて「全面対決で行くべきだ!」とか言い出しそう。