個性を生かすとか、付加価値をつけるとか、そういう(経済的)価値の観点は基本的にはよいものなのだけど、価値の観点と倫理の観点は必ずしも一致しないと思う。
たとえばかつては土地の価値を高めるために森林をビルに変えようという動きがあった訳だ。だって生活者にとっては森林よりビルの方が価値は高い訳だから。
あるいは優生学の思想はまだ根強い。俺も結婚して、嫁の胎内にある胚が障害を持っていると知ったら、多分生まないよう勧めるだろう。障害を天からの授かり物と言えるほどの経済的余裕も情動的余裕も俺にはない。
いまでこそ我々は環境保全や多様性を代替不可能な価値としているが、それらは既に、誰かが直接利用可能な、普通の価値ではなくなっている。かなり高度な、倫理性や経営管理の観点を帯びた価値と言えるだろう。そうなると、価値と倫理とは階層が違うところにあるということになるだろう。
だから、価値を高めることが即倫理的に望ましいとは言えないのだということに注意しなければならない。むしろ無批判に価値を高めることは倫理的にはマズイということが起こりうるので(ビルとか出生前診断とか)、価値と倫理は別だということを念頭に置かなくてはならない。
じゃあ価値って何だ、倫理って何だ、ということを言われるとちょっと「それは各自のセンスを常識と付き合わせて獲得してください」としか言えないけど。