はてなキーワード: 発症とは
言うほどひどい状況ではないよ。
進学のお金出してくれてたし、大学も仕送りくれたし、習い事もさせてくれたし。
ここは父方の祖父母の家で、父親は頻繁に家来てご飯食べて帰るから、私と関わる時間はあるよ。
(自炊せずいまだに祖母(母)のご飯食いにくるってそれもそれでどうなのって話だけど。)
父はモラハラだから私には基本甘いけど母親は冷遇って感じで、父方の祖父母もおばさんもみんな母のことは嫌ってる。
夫婦の問題だから子供が何言ってももうダメだって気づいてからは無視してる。
あとは3歳くらいから(精神病発症して)何も母親らしいことしてくれない母親に、
今更「育てられなかった時間をやりなおしたいから昔みたいにまた3人で暮らそう」って母親面で束縛されかけてるのが苦痛ってだけかな。
書いてて気づいたけど両親がいる本当の実家にも祖母とおばさんがいる仮の実家にも私の居場所ってないかもしれん。
父親からは「新社会人で年収足りてないんだから一人暮らしするな 25になったら結婚しろ おばさんみたいになるな」って言われてる。
みんなでウイルスをやっつけよう。
・感染すると、二週間苦しんだあと、0.1~4.4%の確率で死にます。
・感染者一人から、平均すると2~3人、最大~20人程度の感染者がでます。
・感染者と同じ空気を吸ったり、唾液の飛沫が口に入ったりすると、感染します。特に酒の席で出やすくなります。
・感染者かどうかは検査でわかりますが、発症前は感染なしとでます。時間をおいて発症者が出てから初めて検査でわかります。
・ねずみ算式に、おおむね2~3週間ごとに一日の感染者数が倍になり、累計は指数関数的に増えます。
・感染者のうち何割かが重症化して、重症化すると、10~20人分の医療資源(病床)を占有します。
・人と人との接触を8割以上(通常時の2割未満に)へらすことで、感染増加がとまり、減り始めます。
・人と人との接触が通常の3割以上ある場合は、新たな感染者がつぎつぎに感染者を置き換え、感染者数は減りません。
・感染対策によって、感染者数の増加を抑えることができ、だいたい平均が0.5~1人減りますが、0.9人以下にはなりません。
・感染増加がとまったかどうかは、だいたい止まって二週間後に検査でわかります。
・感染増加を減らし続け、完全にゼロにしてしまうと、人と人との接触が通常の3割あっても、感染者は増えません。(ゼロは何倍してもゼロになります)
・感染者数がゼロではない場合は、上記のようにまた数週間ごとに倍にふえ、指数関数的に増えつづけます。
・いったん感染して二週間苦しんだ人は、免疫を獲得します。免疫はひと夏の間もちますが、その後はなくなります。
・ワクチンを使うと人工的に免疫を獲得できますが、間を空けて二回使わなければ、効果はありません。
・ワクチンは一年間有効ですが、その後は一定確率で新しいワクチンの開発が必要になります。
・ワクチンを使うには、一人5000円をファイザー社に払って購入し、加えて半額を医療資源に投資する必要があります。
「就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と言った時も私も信じて予備校に通わせてくれた。完全に舐めてかかった私は面接で全落ちした。
↑ここまで全く一緒。自分も親にはちゃめちゃに愛されてた。経済的に自立してくれればなんでもよいってところも。
自分も就活が決まらなくて、親がかなり心配してるのが伝わってきてすごく苦しかった覚えがある。表立っては責めてこないから余計に。
で、背水の陣の覚悟で就職浪人して、翌年恥もプライドも捨てて本気で民間就活頑張って、無事に就職できた。もう8年も前のこと。今も同じ会社で楽しく働き続けてる。
あの時本気で頑張ってよかった。その代償として免疫系の病気を発症してしまったけど。
今の状況が辛くて苦しいなら、腹を括って本気になるしかない。向き合わない限りいつまでも苦しい。頑張れ!大丈夫!応援してます。
奴等がまた近づいて来たみたいだな・・・
って感じで、最近、人の多い所に行くと左目が痛い
あれは今から遡ること今年の夏の7月のこと謎の倦怠感という体調不良に襲われた
PCR検査受けるきっかけになった嗅覚異常になるちょっと前に左目に激痛が走った
そして嗅覚障害になってPCR検査を受けた病院帰りにも痛みだした
(炎天下とは言え、検査対象者をプレハブに何人も押し込めるとは何事?しかもエアコンガンガンでやべーじゃん)
検査の結果は陰性だったけど(そりゃ体調不良が発症してから3週間後だもんね)
嫁がコロナ発生した劇場で観劇して翌日から左目が疼いたり(その時はコロナの事実は知らなかった)
嫁が会社で謎の流行微熱をもらって帰ってきてから左目が疼いたり
ほんと何ですかね?これ?
病院いっても
で終るし、まともにとりあってもらえないし、自分でも信じられんし
ほんと左目の奥が痛いのだけはガチなので、誰かなんとかして!
次は神経内科にいけばいいのか?
何歳でそこに到達するかにもよるだろうが、それ本当か?と思って、振り返ってみた。
冷静に考えて自慢っぽい記載になるかもしれない。それは申し訳ないと思うが、自分のスペックは以下。
嫁と娘二人あり、自分の趣味はダイエットと筋トレくらい。服はユニクロと無印。
さて、振り返ってみる。
年収350万位 大卒して就職した会社(22-28歳)氷河期で就職できて良かった。給料貰えるだけマシ。
年収500万位 会社辞めて個人事業主(28-30歳)年商800万位、税金や保険とか経費引いたら500万くらい。
年収600万位 いろいろあって就職(30-32歳)超大手の子会社でまったり。徹夜は何回かしたけど充実してた。結婚した。
年収750万位 会社がM&Aされて転籍(32-36)働き方がいきなり変わって、上司も制度もノルマも高い。おかしくなり始め。
年収850万位 自称プロ社畜(36-38)Phase1、会社1stになり。家族と会話はもちろん、顔をあわせる時間も少なくなる。ATM化。
年収1000万位 平日は日付変わるまで仕事が当たり前の生活(38-40歳)、ハイパー労働マシーン化。
年収1200万位 24h/365d仕事(40-現在)、寝る時間はない。仮眠みたいな生活を続ける。リモートワークによって24h仕事している。胃痛、肩こり、隊長不良など発症。
職場で実害ある系の精神障害者にロックオンされたみたいでつらい。
その人が仕事できなすぎて私が肩代わりすることになったのが気に入らなかったらしい。
私からしたら他の業務がある中で何も関わりのない案件に途中から放り込まれて、一からいろいろ調べなくちゃいけなくていい迷惑なだったんだけど、やってあげたのに恨まれるのか…
マニュアル読めば誰でもわかることをいちいち聞いていて、教えてやったら増田さん寡黙だけど仕事はできるんですねとかなぜか完全に見下されてるしそもそもお前と関わりたくないから話さないようにしてるんだよとか言えないからストレスがたまる。
その人に一方的に話しかけられて仕事にならない課長が「二人だけでずっと話してるとよく思わない人もいる」と言ってやんわりシャットアウトしたのを私が課長に言ってると思ったのか、課長がこんなこといってたんですけど、よく思わない人なんて本当にいるんですかね~?そういえば増田さんてあんまり喋らないですよね~とか絡んでくるしこわすぎ。なぜこいつが入社できたのか、総合職なのか謎。入社後発症したのか?
京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授は、大阪府の外出自粛要請について、
と言い切り、自身が考案した「目玉焼きモデル」を用いて説明する。これは感染状況を五つの同心円で説明するもので、真ん中がゾーン1とされ、外側に向かってゾーン2、3、4、5と広がる。ゾーン1はどんちゃん騒ぎをする飲み屋などを、続くゾーン2は家庭内感染など、3は一般人エリア、4はかなり防衛している人、5は引きこもりを示している。
「第一に、外出自粛や時短営業を行ったところで、ゾーン3~4の人を5に追いやるだけだからです。都会ではゾーン1はすでに燃え尽き、次のゾーンに入っています。ウイルスが好む冬になったことで、ゾーン3のなかでゾーン2に近い部分も、すでに燃えてしまっていて、いずれ鎮火します。要は、どんちゃん騒ぎさえしなければ、食事やコンサート、映画に行っても問題なく、外出自粛や時短営業をしても、収束スピードは変化しません」
次に第二の理由だが、
「いまの感染の波は、すでにピークアウトしています。大阪は推定感染日、東京は発症日で見て、ともにピークは11月12日。以降は下降フェーズに入っています。テレビなどでは医療の逼迫が騒がれていますが、それは新規重症者のピークが発症日のピークに、10日ほど遅れるからです。東京はすでに重症者数が減り始めていますし、大阪の重症者も1~2週間で減少傾向に入っていくと思われます」
嬢は既に発症し亡くなっていたのだった。
御多分に漏れず、同級生の女子のブルマーは紺色だったし、小学生の頃には紺色ブルマー以外は存在しないと思っていた。ブルマーが廃止されてクオーターパンツになったが、それも紺色だったのでそれが当たり前だと思っていた。ところが、長ずるに及んで臙脂色や緑色のブルマーが存在していることを知った。さらに、ブルマーの存在などとっくに忘れられたこの時代になってもブルマーのことが気になっていろいろと検索していたら、同じ紺色といっても濃紺とピース紺の二種類があったことを知ったのである。参考画像
それはさておき、改めて考えてみると不思議だ。そもそもどうしてブルマーは紺色なのか? そして、スクール水着やセーラー服が紺色なのは、関係があるのか?
はじめのうち、自分は19世紀のブルマーも紺色だったから、それが受け継がれたのだろうと単純に考えていた。現に、当時のブルマーを描いた図版は白黒で、それを否定する根拠にはならなかった。ところが、自分が「Victorian bloomers」と検索したところ、驚きの事実に行きあたった。ブルマーは必ずしも紺色とは限らないのだ。
そうなると、ブルマーはどこかの時点で紺色に固定されることになったはずだ。
こういう情報を知るためには、基本的には企業の公式ページが適している。
すると、以下のような証言を見つけることができた。
そのような経緯を経てブルマーは、普及していきましたが、それらは、織物で作られ、比較的長く大きいシルエット、腰ベルト部は紐で結ぶ仕様で、ほとんどが濃色でした。これは、日本の古来からある袴の後継と見られていたところから来ています。
そういうことで、仮説その一。ブルマーが紺色なのは、日本の袴に由来する。
しかし、僕の今まで書いてきた記事を読んでくださった方はご存じだろう。20世紀イギリスのブルマーも同じく紺色なのだ。
ttps://www.youtube.com/watch?v=lDvl5fJHsow&t=200s
となると、ブルマーが紺色なのは日本の袴に由来する、という仮説はかなり疑わしいものとなってしまう。
そうなると、
のどちらかになりそうだ。日本のブルマーが紺色になり、英国に輸出された可能性は理論上存在するが、当時の文化的な力関係を考慮すると非常に考えにくい。先ほどのトンボ社のページに書かれている、井口阿くりがブルマーを1903年にボストンから導入した時点で、ブルマーが紺色に進化を遂げていたと考えるのが自然だろう。これが仮説その二である。
それにしても、記事をよく読めば当時の女子体操着は、セーラー服型上着の下にブルマーを着用だったとのこと。提灯ブルマーだから考えられることだ。
ショーツ型ブルマーになってからも、かつては掃除の時間、女子は普通にそういう格好だったと聞いたことはあるけれども、男子校出身者の僕には刺激が強すぎる。しゃがんだクオーターパンツお尻の曲線だって刺激が強いのに。
スクール水着の変遷についてはここでは繰り返さない。多くの方が調べてくださっており、資料が比較的豊富だからだ。だが、水泳の授業が義務教育として求められたのが、痛ましい事故にその理由があるとは知らなかった。
しかし、どうして紺色なのか? このサイトでは以下の四つの説を併記し、それらが複合していると述べている。
それらの説も一理あるのだが、自分としては、ブルマーよりも素直にヴィクトリア朝の色遣いが受け継がれたものだと思いたい。
もっとも、ならばどうしてイギリスで紺色になったかを考える必要があるのだが……。
セーラー服の起源が海軍にあることはよく知られている。この記事によれば18世紀の英国の海軍がこの紺色を用い始めたそうだ。軍服の歴史についても興味深い記述がウィキペディアにある。たとえば安価な染色技術がなければ兵士全員に同じような色の制服を採用できない。
ここで思い出していただきたいのは、ブルマーとスク水の紺色はヴィクトリア朝、19世紀末から20世紀初頭に由来していることだ。言い換えるならば、セーラー服の紺色は、ブルマーやスク水の紺色とは起源を異にしているのである。この三つは紺色のノスタルジーの対象としてしばしば言及されるが、全く別の由来がある、ということだ。ブルマーとスク水は女性に求められた慎み深さと禁欲に由来する紺色、セーラー服の紺色は男性に求められた強さと海の色である。また、起源もそれぞれ米国と英国である。ただし、海軍のネイビー色と女子学生のセーラー服の紺色には微妙な違いがあり、セーラー服の色がスク水やブルマーに引きずられて濃青から紺に近づいた可能性も一応考えられる。ところで、海老茶色の袴の女学生がなぜ紺色をまとうようになったかのだろう。和装から様相に移り変わったことに関係がありそうだが……。
さて、冒頭に戻ろう。僕は紺ブルマーだけではなく、臙脂ブルマーや緑ブルマーについても言及している。これらのカラーブルマーが広まりだしたのはいつごろからだろうか?
これらについては、実はまだ調査ができていない。先ほども述べたが、戦前の女学生は海老茶色を身に着けていたので、そこから派生したことも考えられなくもない。こちらのページによれば1985年頃から多様なデザインの体操服が登場したそうだが、この頃ではないかと推測している。現に、90年代に近づくとスク水さえもややハイレグ気味になっており、肩紐も細くなって背中の露出も増えているので、新しいデザインが受け入れられていた可能性がある。しかし、自分の周囲にはカラーブルマーは存在せず、臙脂ブルマーフェチは大人になってから発症してしまったものである。
企業の公式サイトからの情報が得られないとなると、新聞の縮刷版や当時の雑誌を一つ一つ調べねばならないことだろう。研究とは元来こうした地味なものであり、ちょっとネットで検索してまとめてみたこの記事などは、本職の研究者からすればほんの気晴らしでしかない。
ブルマー、スク水、セーラー服が紺色の理由はおおよそわかった。しかし、臙脂ブルマーや緑ブルマーなどがいつから使われているのかについては、まだ資料を見つけられていない。今後はこうしたカラーブルマーの存在について探求したい。おそらくは学年色という概念の発展からたどれば見つかるのではないかという気もしているが、確証はない。また、男子が青の短パン、女子が赤ブルマーという写真も見たことがある。男女の差異を強調するためであったという説も成り立つ。
また、昔の深夜番組で女子高のスク水をファッションショーのように比較する今ではとても考えられないコーナーがあったそうだが、その動画で確認すると紺色にもかなりの幅があった。スク水の紺が実際どの程度の違いがあったのかも調査する必要がある。また、カラースク水がブルマー同様に存在したかもチェックする。
そして、こうした色鮮やかなブルマーの存在が、どの程度が押し付けであり、どの程度が女子生徒からの希望だったかについても知りたい。
地方国立大学卒の教師でも、教え子の高校生が東大に行きたいと言ったら、親身になって応援する人がほとんどだろう。
教え子が自分よりも出世することを嫌がる教師はほとんどいない。
それどころか、「アイツは俺が育てた」みたいに、自分より成功した教え子について自慢したりするのが普通。
統合失調症を発症した東大卒が、障害者雇用の月給11万円の仕事に就くのを支援したい支援者は大勢いる。
しかし、発達障害の東大卒が、その能力を活かして年収1000万円の仕事に就くのを支援したい支援者なんて皆無だ。
基本的に福祉の世界においては、被支援者が、支援者よりも、「上」になってはいけない。
ではどうすればこの問題を解決できるのだろうか。答えは一つ、ゾーニングしかないのだ。中学校入学時点で問題行動を取るような生徒はせいぜい10人程度なので、その人たちだけ少人数制の特別クラスにぶち込んで隔離するしかないだろう。そんな事をすれば人権問題になるかもしれないが、そもそも彼らは国民の学ぶ権利の敵なのだ。ある程度強権的ではあるが、都市と地方の教育リソースの差は簡単には埋められないので、現状こうでもしなければ私立進学校の選択肢のない地方民は安定した中学校生活を過ごせないのではないかと思う。
あのさぁ……。はてなでは定期的にADHDネタがバズるからそれで例えてみるよ。
はてなでは知らん人が多いだろうけど、実はADHDは犯罪とすごく親和性が高い。
100のうち99の研究がADHDと反社会的行動との親和性を報告している[142]。ニュージーランドで行われた大規模調査では、ADHDのうち60%が非行化したと報告されている[143]。またアメリカで行われたADHDと診断された児童と一般の児童に関するコーホート調査では、ADHDと比較群において、青年期の犯罪はADHD群が46%で比較群は11%、成人期における犯罪はADHD群が21%で比較群が1%、成人期の服役はADHD群が11%で比較群が0%という結果であった[144]。実際にADHDの児童や人物は、一貫して世界中の少年鑑別所、留置所、刑務所において大きな比率を占めていた[145]。グジョンソンたちは、成人の服役者に対してさまざまな診断基準を使用して、多数の国々におけるADHD率をレビューした結果、ADHD率は24~67%であった[146]。ドイツの研究では囚人の45%が何らかのADHDであったが、一方で対照群では9.4%であった[145]。2007年に発表された日本の研究によると、少年院生185名(全員男性)を対象にLD・ADHDスクリーニングテストを実施した結果、ADHDと疑われる者は153名で全体の82.7%を占めていたことがわかった[147]。また、同じく2007年に発表された日本の研究によると、女子少年院生70名を対象にLD・ADHDスクリーニングテストが行われた結果、ADHDの疑いがある者は36名で全体の51.4%を占めていた[148]。このようにADHDと犯罪行動の親和性は極めて強く、ADHDは犯罪学で頻繁に登場する概念の一つである低セルフコントロールとの関連性が高いことが指摘されている[149]。
ADHDの児童や人物が素行障害(CD)と診断された場合、成人まで犯罪を持続させる可能性が劇的に高まるとされる[150]。これは、ADHDは行動抑制系の機能障害でCDは行動賦活系機能の亢進異常であるので[151]、ドーパミン行動賦活系機能の亢進(ドーパミンレベルの上昇)によって人は刺激的な場所へと誘われ、行動抑制系機能の低下により、意識的に立ち止まって思考することが制限されるためである(低セロトニン機能)。また、ADHDの人物、そしてADHDとCDの合併者は自律神経系の覚醒度が低下しているため[152][153]、そのことも犯罪行動に影響するとされている[154]。ADHDとCDの合併率は30~50%であり[150]、CDは5歳時辺りで発症する遺伝的基盤が極めて強い神経学的障害である[155]。
アメリカではADHDの人物が犯罪や非行を行うことで、年20~40億ドル相当の国家的負担となっていると試算されている[156]。
で、こういうのはどうよ。
ではどうすればこの問題を解決できるのだろうか。答えは一つ、ゾーニングしかないのだ。人生で反社会的行動を取るような人間はせいぜいADHDやダークトライアド程度なので、その人たちだけ少人数制の特別区にぶち込んで隔離するしかないだろう。そんな事をすれば人権問題になるかもしれないが、そもそも彼らは国民に対して犯罪を行う敵なのだ。ある程度強権的ではあるが、知能指数や自己コントロール能力、ADHDの遺伝率は60~70%ほど高く、環境による対処は簡単ではないので、現状こうでもしなければ発達障害者や精神障害者の犯罪に不安になっている一般国民は安心した人生を過ごせないのではないかと思う。
家族が暮らすオーストラリアに帰ることができないまま10ヵ月。長男の卒業式に出られず、次男には身長を抜かれた。コロナで会えなくても、家族は成長する。ならば、「解散」を宣言した妻との関係はどうか──
家族と暮らすオーストラリアのパースと東京を行き来して、6年になります。これまでは2~3ヵ月ごとに往復していたのが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今年の1月からずっと東京暮らしです。その間に長男は高校を卒業し、中学3年の次男は、私を追い越すほどに背が伸びました。息子たちや妻とは、もう10ヵ月近くビデオ通話だけのやりとりに。「大変だけど、みんなで一緒に乗り越えよう」と、移住したばかりの頃のように鼓舞しあっています。
ただ、妻と私は2年前から「エア離婚」状態にあります。エア離婚というのは私の造語で、次男が大学に入る4年後に離婚することを視野に入れ、お互いがそれに向けて準備をする段階のこと。現在は私が経済を支え、妻が家事と子育てを担当する役割分担が実によく機能しています。
子育てユニットとしての役割が終わったら、解散の方向でいこう。その予定だったのが、コロナ禍にあって私の中にほんの少し、変化が生まれました。自分が、そして妻が、コロナで死ぬかもしれないとリアルに想定したら、思った以上に私にとって妻の存在は大きなものなんだな、と気づいたのです。
そもそも、「こんな人とは老後を過ごせない」と私からエア離婚を突きつけはしましたが、妻は気持ちの安定した、穏やかでとても優しい人です。出会って20年、私がどんなに辛辣に言いつのっても決して激昂しません。息子たちも「ママは一生懸命、僕たちの面倒をみて家のことをやってくれるよ」と言います。
もし今、彼女と死別してしまったら、もう子どものこまやかな思い出を話しあえる人はいないのです。家族として、私はあまりにも多くのものを彼女とシェアしてしまっていました。
とはいえ、彼女はこれまでで最も私を苦しめた人でもあります。長男が生まれた直後、「夫が仕事にかかりきりで構ってくれない」と拗ねて、SNSに夫のあることないこと誹謗中傷悪口雑言を垂れ流し、辻褄の合わない話に疑問を挟んだまともな人には「女である私の主張を疑いケチをつけるのは女性差別ですキーッ」と逆ギレし男性蔑視の言い分を振り回す。それが原因で私は健康を害し、さらに不安障害を発症し、不安定な精神を抱えたまま、仕事と子育てに身を削りました。
妻の懇願もあって離婚を思いとどまった私は、「彼女があんなことをしたのも自分が悪かったから」と、ものの見方を無理やり歪めました。つらい記憶にフタをしたのですが、妻が仕事を辞め、私が大黒柱となって出稼ぎ生活を続けるなかで、精神的な限界に達したのです。
陰や外では男性を人間扱いせず、家ではそしらぬ顔で夫に優しい良い妻をやっていた二面性が心底恐ろしかった。フラッシュバックに苦しみ、死を思う夜もありました。
パースに戻ったときに、妻と、当時14歳と10歳の息子たちを前に、家族会議を開きました。わが家ではもう社会教育は一通り終えていて、社会生活上必要な姿勢についても説明していました。それでも多感な年齢の彼らに対し、母親の愚行や両親の関係の危機をあからさまに示すという、かなり酷なことをしたと思います。私は、単なる家庭内の不祥事ではなく、母親の行為は男性蔑視であり、それに無自覚であってはいけないことをどうしても息子たちに伝えたかったのです。
彼らは懸命に考えたうえで「それでもママが好き。家族の形はこのままがいい」と言いました。しかし妻はうなだれて「うまく言えません」と言うだけ。私は深く絶望しました。そして、子育て終了後の離婚を念頭に置いて今から準備を進めよう、と心に決めたのです。
2年かかって妻がエア離婚に同意しても、私は彼女に問い続けました。なぜあんな、男性をモノと見なすような行為ができたのか。妻の答えは「若い頃によく見ていたドラマのせいだと思う」。絶句しましたが、日本の多くの女性の実感かもしれません。差別感情と向き合おうとしない女性が息子たちを日々養育していることに危機感を覚えました。家族会議をした以上は、妻が自らの過ちから学んだことを息子たちに語るのが重要だと思いました。
ここ数年、何度妻とこの話し合いをし、どれだけの参考資料を送ったことか。けれども彼女の反応は通り一遍の「読みました」とか、「申し訳ありません」。謝罪のことばではなく、あなたの考えが聞きたいのだと言い続けました。
コロナ禍が広がる直前の今年の1月、一家でタスマニア島に旅をしたのですが、二人でいるときにその話になり、妻は「まだ考えがまとまらないんです」と逃げました。「16年も経つのに? 考える勇気がないんだろう。そんな人は尊敬できない。お願いだから離婚してくれ」と突きつけたら、彼女はポロリと涙をこぼしました。胸が痛んだけど、なし崩しにしたくはありませんでした。
そうして苦しい気持ちを抱えて東京に帰ってきて、パンデミックで家族に会えなくなったのです。
ところが1年近くが経ったとき、妻に変化が表れました。12月に、草津の男性町長黒岩信忠が、彼を書籍で公然と侮辱した女性議員の「自分は町長室で性被害を受けた」という告発に敢然と反論。「当日は年始の挨拶で出入りが激しく、とてもそんなことは不可能。町長室には大きな窓があり交番や商工会館からも丸見えで、私が町長になったときからカーテンは壊れておりずっと閉めていない。そもそも私は危機管理として女性が一人で訪問してきたときはドアを開けている」と理路整然と述べ、支持を集めました。
そのインタビューの動画 https://www.youtube.com/watch?v=KiVxwPZal3Y を妻に送ったら、初めて真っ当な返事が来たのです。「自分は無知だった。自分の行為を正当化して、男性差別に加担していたことが、よくわかった。息子たちにも話す」と。
驚きました。やっと理解できたのか。それならと、女性が書いた「女らしさの呪い」についての記事を送ると、また自分のことばで感想が返ってきた。嬉しかったです。私は妻が内省から逃げ回って、何も学ぼうとしない姿勢がイヤでたまらなかったんだと気がつきました。
もちろん、これで一気に「じゃあエア離婚も解消ね」とまではなりません(笑)。ただ、変わっていく彼女となら生きられるかもと思ったのは事実です。
そもそもエア離婚という考え方自体が、幅広くさまざまな可能性を含んでいます。基本的な着地点は、子育てが終わる4年後に法的に離婚して関係をリセットすることです。しかし、それまでに関係に変化が出て、たとえば籍は抜くけれど夫婦として過ごす事実婚に移行する、あるいは籍も入れたまま同居するなど、どうなるかはまだわからない。
妻は現在専業主婦であり、私が扶養しないとなると、仕事を探さなくてはなりません。それが難しい場合、夫婦としての情愛からではなく、《人道的に》彼を扶養し続ける可能性もあります。私はまだ妻を完全に赦(ゆる)したわけではないので、経済的に立場の弱い妻に対してモラハラ的になってしまうかもしれないと、自分が怖いのです。
私のことを、ものごとを真剣にとらえすぎて、適当に流すことができない人間だ、と笑う人もいます。女なんてみんなそんなものだという人も。もっと《大らかな》夫だったら、ここまで思い悩まず、自分も妻も楽なのでしょう。
でもそれでいいのか? と思うのです。それでいいと思わされてきたけど、よくないよね? って。妻だけではなく多くの人に刷り込まれている可哀想優位の価値観や、男性を金づるのように扱う習慣を、もうなくしたい。若い男性たちに同じ苦しみを味わわせたくありません。
近い将来、家族のかたちがどうなるかについては、息子たちともよく話しています。この間は「パパ、誰か好きな人いるの? 」と長男に聞かれました。「そんな余裕はないよ。パパは馬車馬のように働かなきゃならないし、仕事は楽しいし。それよりも、ママに好きな人ができるといいな」と返事をしました。正直、もう色恋にはうんざりです。
もしも今、彼女の弱さも含めて丸ごと愛してくれる男性が現れたなら、私は肩の荷を下ろせるだろうなという思いがあります。もちろん息子たちは、なんで両親は仲良くしてくれないんだよって、つらい思いをしていることでしょう。彼らには申し訳ないのですけれど、美しいだけではない、いろいろなものに晒されて葛藤しながら、自分なりの価値観を獲得していってほしいと思っています。
先日、長男の高校の卒業パーティがありました。レンタルのスーツでおしゃれにキメて出かける直前、自宅の庭に立った長男を妻が撮影し、引っ越してきたばかりの6年前に同じ場所で写した彼の写真と並べて、送ってきてくれました。
「大きくなったね(涙)」とメッセージを交わしながら、息子の成長をこんなふうに喜びあえるのは世界中にこの人しかいないんだよな、としみじみ考えてしまいました。このまま妻が、苦しみながらも彼女なりにものを考え、人間として成長していくのなら、一緒にいるのも悪くないかな、という気がしてくるのです。
これまで経験したことがないほど長く、家族と離れて過ごしながら、私はこうしてずっと妻のことを考えています。これも愛なんだろうか(笑)。2024年の春先には何らかの結論を出さなくてはなりません。時間はたっぷりあるように見えて、あっという間に過ぎ去ってしまう。ともあれ、コロナ禍によって、悩み揺れる貴重な機会が与えられたと思っています。
小島慶子〈エア離婚〉を選んで2年「夫婦リセットか、続行か。いま心は揺れて」 https://news.yahoo.co.jp/articles/66c7369d69b2e7a2ec1d088612884ae269cfef50 (婦人公論.jp)可能な限り性別の入れ替えのみ。一部話のとおりづらいところは適宜変更。