はてなキーワード: 発症とは
女子高→大学(もしくは女子大からの就職)→それまで男をあまり知らなかったのでいつものように自信満々でぶつかって行ったら男性のスタミナとか戦術にボコボコにやられる→ミサンドリー(男性嫌い)発症→フェミニズムに傾倒
というパターンが多すぎる
id:poko_penさんにidコールを頂いたので書きました。
総務省は電磁波使用に対しては促進的立場であり、総務省が主導で行った研究や収集したデータにはバイアスがかかる可能性があると思われます。また電磁波を利用して生活しているほとんどの現代人においても「できれば否定されてほしい」バイアスが働きます。また、ある時点での科学水準で「論理的に起こるはずのない」問題が数十年後に明らかになるようなことは決して珍しくないと思います。
よりニュートラルと考えられる環境省の出している資料(https://www.env.go.jp/chemi/electric/material/minomawari.pdf)では(総務省Websiteからもリンクがありますが)、携帯電話基地局など(無線LANを含む)では「携帯電話基地局などからの弱い高周波電磁界が健康への有害な影響を起こすという説得力のある科学的証拠はありません」との見解を示している一方、携帯電話では脳腫瘍のリスク上昇との因果関係は確立されていないものの、長期間の使用と脳腫瘍のリスク上昇との関連についてのデータが少ないことから、「携帯電話使用と脳腫瘍リスクのさらなる研究が必要」としています、とあります。
また同じ資料内に「現時点では、質の良い証拠は不十分で、症状の発症において無線周波電磁界への長期的なばく露が果たす役割について結論を導くことができません」としています。
アメリカ合衆国保健福祉省のNTP study(https://ntp.niehs.nih.gov/whatwestudy/topics/cellphones/index.html)では「携帯電話で用いられているものと同様の電波の高いレベルにばく露した雄ラットは、がん性の心臓腫瘍を発症したという明確な証拠がある」ことがわかっています。
僕が言いたいのは、Wi-Fiおよび生活上使用される電磁波の小児の発達や健康に対する影響に関しては、判断するための十分なリアルワールドでの科学的データがあるとは言えない(例えば携帯電話が使用されるようになって20-30年しか経っていないのに40-50年後の影響は不明)ので、少なくとも「ばかげてる」と一蹴するのは非科学的態度だということです。影響がないことは証明できませんが、少なくとも、総務省が言うように「影響があるという証拠がない」は「影響がない」と大きな隔たりがあります。問題とすべき影響がない可能性が高いことを示すデータを集めることはできますが、それには数千人を前向き研究で数十年綿密にフォローする必要があります。
共同通信「GoTo利用者は「発症」2倍 トラベルで東大チームが初調査」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7d0b4387b2dab685dff1034968ebecbbb658f78
政府の観光支援事業「Go To トラベル」の利用者の方が、利用しなかった人よりも多く新型コロナ感染を疑わせる症状を経験したとの調査結果を東大などの研究チームが7日、公表した。PCR検査による確定診断とは異なるが、嗅覚・味覚の異常などを訴えた人の割合は統計学上、2倍もの差があり、利用者ほど感染リスクが高いと結論付けた。
研究チームによると、GoTo事業と感染リスクの関係を示す調査は国内で初めて。政府は8日に事業延長を盛り込んだ追加経済対策を閣議決定するが、継続の是非が改めて問われそうだ。
有意性薄くて読んで「はいはい釣り釣り」だと手練れのインターネット老人ならわかるんだけど、問題はこれがリテラシー皆無の人間たちの間で共有されちゃうこと
明日足をすべらせて溝に落ちるかもしれないし、暴走自動車に轢かれるかもしれないし、難病発症して寝たきりになるかもしれないし、
知らない人に職場に放火されて丸焼けになるかもしれないし、降ってきた隕石が頭に当たって痛い思いをするかもしれない。
どうして可能性に蓋ができると思うか。可能性はいつでも牙を剥いて襲いかかってくる。備えよ。可能性が味方であることは少ない。
うがい・手洗い・マスク・ワクチンは恐らく全て効果があり人と人との接触を実質減らしたような挙動を示すと思う
なんならイソジンや口ゆすぎもあり得ない話ではない可能性があるが会食濃厚接触での発症は防ぎ切れんと思う
逆に内臓に負担をかける酒、疲労している状態での深夜の会食、低気温時の外出がハイリスクなのも個人的には腹落ちする
個人的にはラーメンが効果あると思うので今日は一杯食いにいくことにする
あと平安貴族などが風が吹き荒ぶ木造建築で貴族と平民が数メートル空けて平民は地面に向かって貴族は隙間の細いすだれ越しに喋ってたのは感染症を防ぐ効果があったというのは十分あり得ると思う
煙と一緒にマイクロ飛沫も吸える韓国式焼肉屋のような会食卓やアクリル板ではない対面できる御簾のような器具が今後登場しうると俺は見ている
再感染あるでこれ
つーか感染・非感染が完全な2値じゃなくウイルス量が少ないと超軽症・無症候のまま何度でもマイクロ感染・回復して終了する
高濃度で一気に吸い込むと発病というか免疫が負けて自覚症状が始まる
抗体があれば軽症で済むかもしれんが免疫があってもウイルス量が多いとダメというかピークが重くなる
恐らくワクチンが無事完成・大量供給されて一定の性能が証明されても全世界の総ウイルス量というか感染能が十分減るまで人と人の接触を発病しないレベルに低く保ち続けないとダメ
満員電車に乗ってる奴らはみんなマスクに助けられて超超軽症無症候で徐々に市中に広まってると思う
一般人に説明する時の感染症のモデルは「免疫があればすぐにやっつけられるので感染・発症しません。免疫がないと抗体が出来るまで不利な戦いなので発病してから治癒します(何でも治癒するとは言っていない)」というのが多いがこいつはそんな風にハッキリと分かれない
ソースはすべて俺
(https://anond.hatelabo.jp/20201206212309 の続き)
父さんもいつも苦言を呈している件ですね。
そこは私も共感できる点があります。私も外で人との距離が2m以上とれるような状況ではマスクは外してます。かなりの人が、外の開かれた空間でもマスクをして歩いているのを見ると「なんでこれが常識になっちゃったんだろう…」とげんなりします。意味のない対策なら油断につながるぶん、やらないほうがマシだと思います。
そういうときにマスコミには「何が効果があって、何が意味がないのか」をちゃんと発信してくれる役割が求められるのに、テレビ見ててもフェイスシールドや次亜塩素酸水噴霧のような効果の薄い対策で予防してる感を出してるのが目に入ることがあり、嫌な気分になります。
過激化して、実効性を考えずに自粛を押しつけてくるような自粛警察は嫌ですね。もし店の営業を自粛してて資金が底をついたら、100%首が回らなくて死ぬよりは、クラスターにならない可能性も高い営業のほうを選ぶのは当然です。そこで責めるべきは店ではなくて、7兆円の予備費があるのに補償しようとしないし財政出動もしようとしない政府です。
感染発生を責めるような輩も百害あって一利なしだと思います。経路の隠蔽に繋がるのでコロナの解決を遠ざけるだけです。
ただ、そういう自粛警察のような過激な輩に取り合っててもあまり実のある話はできないと思います。
コロナに対して慎重/大胆の派閥グラデーションがあったとして、ざっくりとわけて私は慎重派、父さんは大胆派にいると思います。慎重側の過激派に自粛警察がいるのと同じように、大胆派の過激派にはコロナパーティーをやるような連中がいますが、そういう人のことを話題にしたり怒ったりしたところでなんにもならないですよね。それと同じです。
極端な人たちのことは無視して、もうちょっと実のあるところで意見を交わしたいです。
父さんは、「自粛警察が目に余る」から「コロナは煽りすぎだ」という立場を取っているんでしょうか? もしそういう心の動きがあるとしたら、それは逆張りに足を踏み入れてしまっていると思います。
恐怖を煽って注目を集める偽予言者がいる一方、逆張りも注目を集める手法のひとつです。先日のメールで貼ってくれた小浜逸郎はまさに逆張り論客の典型でした。もしあのようなデマまみれの意見にうっかり共感してしまったとしたら、それは「逆張りに心を引っ張られてしまっている」というサインだと思います。だから私は先日のメールで、「自分の歓迎したい情報かという観点で受け入れるか決めているのではないかと心配しています」と書きました。
受け入れにくい意見だとは思うけど、本当に、これは真剣に考えてほしいです。
新型コロナは未曾有のパンデミックだから、今までの人生の知識の延長や直感では見誤ることもたくさんあります。情報から耳を塞いで自分の知ってることだけで判断してたら、鰯の頭を掴んでしまいます。かといって、慎重派も大胆派も怪しい情報をもっともらしく叫んでいて、油断するとそういう情報で間違った判断をしてしまう。身を守るには、信頼できる情報源を選り分けて、検証できないような流言飛語や思い込みを排除して、慎重に自分自身の知見をアップデートしていくしかないと思います。そういうプロセスが、科学と呼ばれています。今のコロナ禍というのは、我々ひとりひとりの科学的な態度を試されている状況ではないでしょうか。
もちろん、私も自分が物事を正しく見れるとは限らないし、うっかりあやふやな知識で間違ったことを言っちゃうこともあるとは思います。でも、その不安を持っているから尚更、今述べたような「思い込みを排して、信頼できる情報源で知識をアップデートする」科学的な態度を意識しようと思ってます。
たとえばなにか知らない情報があったら、厚労省の公式情報や、出自のはっきりした感染症の専門家の言及を確かめています。西浦先生・忽那先生あたりは経歴・実績が確認できているので、彼らが言っていることならそうそう間違いはないはず。あるいはよく知らない人だとしたら、科学者として弁えた伝え方をしている人か? Twitterで他の専門家も受け入れられる反応をしているか? といったことを見ています。今回たくさん紹介したリンクも、なるべく「これなら信じてもいいだろう」と考えられるものを慎重に選びました。
父さんにも、是非そういう注意深い検証をしてほしいと思います。
もしそういう検証作業の気力が起きなかったら、言ってください。「こうなんじゃないか」と聞いてくれたら、判断に足る材料探しを手伝います。
わからないことが多い現状、リスクをどう判断するかは人によるし、私が口を挟むことではないので、そうしたいならそうすればいいと思います。ただ先程書いたとおり、今の父さんは逆張り側に振れすぎているように見えるので、判断基準は本当にそれでいいの?というのは心配です。
率直に私の考えを述べると、「知り合いの知り合いに感染者が出たら深刻に考える」というのは、「真夜中のいろは坂で、並走している車がガードレールにぶつかる音がしたらブレーキを踏み始める」と言ってるのと似たように聞こえます。第3波がどれだけ大きくなるかは世界中の誰もわからない。発症までは2週間を見ておくので、「感染者が出たら」というのは2週間後にならないと判明しない。ブレーキを踏んでから崖に飛び出すまでの制動距離に、そこまでの余裕はないんじゃないかな…というのが私の意見です。
以上です。
長いメールだけど読んでくれてありがとう。いろいろ飲み込みづらい話もしたけれど、適切な情報源をもとに考えて持った信条なら文句は言いません。思い込みではなく事実と科学的知見に基づいた判断というのは全ての基本だと思うので、そこだけはわかってもらえると嬉しいです。
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送ったメールは以上。
父からの返事までは期待しないけど、心を閉ざさず読んでくれるといいのだけれど。
病院抜け出したコロナ患者 偽計業務妨害などの疑いで逮捕 埼玉 | 新型コロナウイルス | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201202/k10012741791000.html
この件。
症状が出る前にピークが来て発症後数日で感染させる恐れはほぼ無くなるので
発症後しばらくして重症化するリスクを本人が理解しその責任を負うなら退院を認めていいのではないか。
逆に見た目健康そのものでもウイルスを出しまくっている場合が考えられるので、飲食店などでマスクを外して喋る人間にはもっと制約が必要。
(追記)
ちょっと前の記事だけど忽那賢志さんのブログが分かりやすいのでウイルス排出期間について参考までに。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200505-00177013/
私は約10年程前に、発達障害(自閉症スペクトラムとADHD)と診断をされた。
何故こんなに同僚の司書達と比べて、仕事が出来ないのだろう?と
気持ちの沈む日々だった。
ここには書ききれない程に膨大だったので省略。
涙がこぼれそうになる程、悔しい思いもする。
他の利用者の態度に、腹が立つこともある。
でも、今の私にはここしか無い。
歯を食いしばって、ここに通っている。
いつか、図書館に復帰する日を思い描いて。
でも例えば著しい精神的苦痛によってうつ病などを発祥させた場合、傷害罪が成立する場合もあるよね。(パワハラやストーカーなどでよくあるケース。)
ここで言う「精神的苦痛」と「不快にさせる」は全く別の概念なのよ。程度の問題とかじゃなくて、概念から違う。これは「怪我をさせる」のと「痛みを与える」のが違うのと似ている。
この意味での「精神的苦痛」を与える「表現」は、どうやら憲法学的には「表現とは見なされない」というのが定説らしい。(自分もにわかだから最近知ったし、上記のような説明はツッコミどころだらけだろうけど。言われてみれば「人を殴るのも表現だ」は通用しないよね。)
「精神的苦痛」による傷害の他には、名誉毀損とかも具体的な罪状なので、これもまた「不快にさせる」表現とは概念から異なるんだよね。
えっちな表現についてはまず立法的な議論も必要だとは思うけど。とりあえず人を「不快にさせる」表現というのは、はすみとしこみたいな「ヘイト」表現とは概念からして異なるのよ。
こういうことを言うと「えっちな表現でPTSDを発症する性暴力サバイバーもいるから、えっちな表現は許されない」みたいなことを言い出す人も出てきそうだけど、それは全然違うよね。どんな表現にもそれによってPTSDを発症する人は存在するので、その理屈を認めるとこの世に許される表現は無くなってしまう。
そもそも「えっちな表現を見てPTSDを発症した」という現象において、「えっちな表現」は原因であっても責任はないよね。これは事件と事故が違うのと同じ。ただまあ、「車が歩道を走っていて、誤って人をはねた」となれば責任の大きさはまた変わってくるが、それは表現で言えばゾーニングの議論になるだろうね。(「徹底的に隠せ」という主張も、「どんどん表に出せ」という主張も、どちらも極端すぎる。ゾーニングは「するかしないか」ではなく、「どのようにあるべきか」という話。)
また車と言っても三輪車とぶつかった程度で大騒ぎするのもアレだが、その辺の程度問題を語ろうとするとセクシュアリティ議論が必要になって論点が大きくズレるのでこの辺で終了。