はてなキーワード: 生活費とは
ことなのかな。そうすれば十数万は普通…なるほどなぁ。
みていてつらい。
何も知らないときに見て、ちょっとしたことを書いたら凍結された。非公式RTてのは、編集によって文脈がぶっちぎられるからどうとでもなる。
普通のRTだったら多分炎上しなかったと思う。本当に、普通に、思ったこと。読んだら何か思うだろー?思ったら書くこともあるだろ。嫌いだとかすらではなかった。暴言でもなかった。
最初は頭に来た。ファンが暴言をどんどん言ってくる。最低ですね、とか、大人がとか、いろいろ。使ったこともないげすな言葉を使われて頭に来た。
もう毎日毎日来た。ほかの炎上が物件見つかるまで一週間くらい。結構長くね?
今は一瞬で凍結らしいね。
愛着のあるアカウントだったし、しばらくはむかついたよ。まあ、でも所詮Twitterだしね。
それで、嫌いなものって見るじゃない?観察しちゃうじゃない?それで観察した。
言ってることはむちゃくちゃだ。ほんとに子どもだ。中の人が大人だという意見もあるけど、大人があんなだったらまずい。
煽り騙りがうまいよね。人の心をつかむのがうまい。アイコンもキャッチーだ。誰に好かれるのか人の顔色をうかがうのもうまい。
聡明だとは思わない。聡明って言うのは例えると、野球がうまい子に体の使い方よく知ってんなーと思うように、頭が良い子には「頭の使い方よく知ってんなー」と思う相手が俺にとっての聡明な子ども。彼女は、頭の使いどころ間違ってんなーとしか思えない。まあまるきり俺の主観。
人に恨まれるってことがどれだけ恐ろしいか知らないところが子どもだなーと思う。だから基本子どもがやってると思う。
けっこう恨まれてるよな。
だけど、むごいなーと思う。そういう恨まれる環境に放り込まれてるってことがさ。
もちろん引き離そうとしたら、「いやだ」っていうだろうよ。でも、子どもの意思を尊重したらだめな場合もあるだろ。
長い間ウォッチし続けた。暇だったんだな。
人生が一回だってちゃんとわかってない。相対化できてない。客観視ができてない。因果関係が自分にどう降り掛かるかまだ身を以て知らない。
借金返さないといけないみたいなことは知ってても、借金返すって、手取りが20万で、その中から生活費を引いて残りの4万を返して、それを二年やるみたいな、だから今日のおかずはキャベツですみたいなことの繰り返しだっていうリアリティがない。そこには地味さだけある。ジャンヌダルクいらねーよ。
でも、彼女はジャンヌダルクになれば借金ちゃらになるというか、なかったことにできるっていうか、忘れてもらえるとどっかで思ってるよ。
でも、子どもだからって子ども扱いしないでくださいと言えちゃう。
リアリティー想像できない子どもが発言だけで評価される世界にいるんだよ、しかもかなりの依存だよ。やべーやべー。
今の俺は、「おうおうフレッシュだな」と思う余裕がある。
中学生って世界が広がるじゃん。それは、あの子どもの世界が広がるってわけじゃなくて、周りの子どもの世界が広がるってこと。
今の俺はメシウマとすら思えない。早く終わってやれよと思う。
ああいうのって、底を経験しないともう止まんねーのかもしれないな、と思う。
でも、その底は、中学生で経験しなくても良かったはずなんだ。それに、結構むごい底になりそうなのは目に見えてる。
どうしてやることもできない。
今俺はアンチじゃなくて、普通に、惨い状況にある子どもを心配する気持ちだ。
そもそも、凍結の原因だってアンチ発言じゃないしな。最初TLにRTが流れたから反応しただけで、アイコンかわええなーくらいにしか思ってなかった。ほんで、いろいろ読んで思ったことを書いたら死亡した。知らないからあの子どもの名前、書いちまった。もちろん@なんか飛ばしてない。
ってだけ。
ほんと祈ってあげることしかできない。どうしてこんなひどいことになったんだ。
32歳。一人暮らし。
給与 350,000円。
残業代 30,000円〜50,000円。
なので、税引き前は380,000円〜400,000円くらい。
天引きでやっている貯金が60,000円。ちなみにボーナス時は180,000円。
個人年金が20,000円。なので、だいたい1,300,000円くらい貯蓄。
で、結果的に口座に振り込まれるのは230,000円。
そこから…
家賃が87,000円、県民共済2,000円、車の保険が4,000円、ネットやケータイの通信費が7,000円、光熱費水道代が8,000円。
だいたい110,000円くらいが生活費。
残りが120,000円。
趣味がスキーやら登山やらランニングやらでいろいろ金がかかりすぎるのが問題な気もする。一人暮らしなのに車は2リッターのステーションワゴンだし。しかもコンピュータとかガジェット系も好きだしなー。
あればあるだけ使う。
無きゃないなりに。そういうもんだよな、金って。
http://anond.hatelabo.jp/20130406025102
まあ釣りくさいけど、
“毎月お金をあげている”って、社員を一体何だと思ってるんだ?
社員は何にもしないでただ口をあけてお前がくれる餌を待ってるひな鳥か?
お前の給料だって社員の働きによる業績から出ているんじゃないのか?
雇用する側の意識がここまで腐りきっているから、この国はダメなんだ。お前みたいな経営者、さっさと辞めろ。
たかが生活費を稼ぐ為に所属している組織の長に過ぎない、社長にぺこぺこ頭を下げる日本の風潮が嫌で嫌でたまらない。
昔外資で働いてたときはこんな事はなかった。そりゃ職場の上長は敬うが、必要以上に頭を下げる事はしないし、関係もさっぱりしていた。
外資に戻りたい。
30すぎて子供中学生くらいで、それからもう一回高校の勉強やり直して大学うけるの?できるの? アラサーの人たち、ちょっと考えてみて欲しい。高卒で十年間生きてきていまから受験勉強する気になりますか、と。自分だったら絶対無理だ。いや出来る人もいると思うけど、多分それは少数派だと思う
キャリアつけたい人は、勉強大変だ~とは思うかもしれないけど勉強するでしょ。今の高校生だって勉強したくないけど仕方なく大学受験する人は多いと思うよ。キャリアとかにこだわりが無かったり、勉強が嫌いな人は今の中卒や高卒の人と同じように、それなりの職を探して働くだけ。
そうするとどうなるか。高等教育を受けないでできる仕事に就くことになるよね。男性のサポート役。もちろん正規雇用じゃない。パートとか。男性のための仕事(高給)と女性のための仕事(低給)が分かれることになる。
この文はあたかもほとんどの女が低給になるみたいに書いてあるけどそれは勉強嫌いな人の話で、キャリア志向の人はきちっと勉強してやりたい職に進む。
男が全く損をしないで、生き方を変えもしないで少子化問題を解決しようとするとこうなるわけだ。早く子供を産め、子育てはお前がしろ、あと家事もしろ、学費は自分で稼げ、十年くらいのブランク?努力でなんとかしろ、あと70まで働け、と。これだけ女に負担かけて、男がするのはせいぜい「大学に行っている間の生活費は負担しますよ」と。ふざけんな、ってなりますよね、普通。
マイナス思考なのかな?新しい提案はまるで女ばかりが損をするみたいな書き方。今の女性の方がよっぽど損な生き方しているじゃないか。子どもができれば職業をあきらめなければならず、子育て後の復帰は容易ではない。復帰できてもブランクが長すぎて簡単なことしかできないただのオバさんになっている。また、かろうじて働き続けることができたとしても1歳にも満たない赤ん坊を泣く泣く他人に預けなければならず、母親として一番大切なかげがえのない時間を仕事と家事に奪われてしまう。子どもにとっても、1歳、2歳なのに23時まで起きているのが当たり前という異常な世界。
新しい提案は、10歳になるまでじっくり大事に愛情をそそいであげることができる。子育て後、30手前から勉強を始めて30半ばまで高等/専門教育を受けてその後キャリアをスタートさせるから、自分もキャリアが途切れることはないし、雇用側も計画的に採用ができる。
元増田のモデルで言うなら、男は30くらいに結婚するんだよね。だったらそれまでに結婚資金を貯める。で第二段階で、妻が高等教育をうけるのを支援する。(学費も生活費も保育費もね)もちろん、家事育児も分担して行う。
こういう提案はいいね。話が前に進む。所得の再分配の話だよね。ここはどういう割合でどのようにするのかがベストなのかは議論するべきところだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130401181801
これね。
まず疑問点としては、これ70まで働くことになってるけど、男も70まで働くの?
まあ、それはいいとして、この制度が実際に実施されたらどうなるか考えてみると、たぶん一番の問題点は、ここ
30すぎて子供中学生くらいで、それからもう一回高校の勉強やり直して大学うけるの?できるの? アラサーの人たち、ちょっと考えてみて欲しい。高卒で十年間生きてきていまから受験勉強する気になりますか、と。自分だったら絶対無理だ。いや出来る人もいると思うけど、多分それは少数派だと思う。普通の人はそれだけの労力をかけられない。ましてや、男性にくらべてすでに10歳以上年をとっている。これは、高等教育によって得られるキャリアが10年以上短くなることを意味する。ものすごい努力に対して得られるものが少なすぎる。
そうするとどうなるか。高等教育を受けないでできる仕事に就くことになるよね。男性のサポート役。もちろん正規雇用じゃない。パートとか。男性のための仕事(高給)と女性のための仕事(低給)が分かれることになる。
あれれ?おかしいぞ?これってただの「昔ながらの女性の生き方」じゃない? 若くして結婚、子供を産んで、子供の手が離れたら、パートで家計を支える、っていう。
一番胡散臭いのは「新しい女の生き方」とか言っておいて「新しい男の生き方」を全然提示していないところだ。少子化問題は女の問題、女の生き方を変えるべし、と。で男は
男は30ぐらいで結婚。子育てで忙しいときも妻が家事専業だから、くたくたになって帰ってきてから皿洗いや洗濯をしなくてもいいので仕事に専念できる。
だそうです。なんにも変わっていないよね。男が全く損をしないで、生き方を変えもしないで少子化問題を解決しようとするとこうなるわけだ。早く子供を産め、子育てはお前がしろ、あと家事もしろ、学費は自分で稼げ、十年くらいのブランク?努力でなんとかしろ、あと70まで働け、と。これだけ女に負担かけて、男がするのはせいぜい「大学に行っている間の生活費は負担しますよ」と。ふざけんな、ってなりますよね、普通。
少子化問題について女の生き方を根本から変えるべきというなら、男の生き方もそれに合わせて変えなければ、ただの復古主義になってしまうのではないかな。
元増田のモデルで言うなら、男は30くらいに結婚するんだよね。だったらそれまでに結婚資金を貯める。で第二段階で、妻が高等教育をうけるのを支援する。(学費も生活費も保育費もね)もちろん、家事育児も分担して行う。
1段階 0 ~ 18歳まで - 親の扶養。(婚活は15から始める)
2段階 18~ 28歳まで - 夫の扶養。子育て(18~20で結婚出産、子供が8~10歳まで専業主婦)。
3段階 29~ 35歳まで‐生活費は夫の扶養。高等教育。学費は借金して働いた時に返す。
5段階 70~ 福祉の世話になる。
現状だと、女は男と一緒に大学を卒業し、就職して結婚して子どもを産むと、そこでキャリアストップするか、または保育園に子供預けて中途半端に子育てと仕事をすることになる。
一度キャリアから外れると、本格的な仕事への復帰は難しい(本来は仕事的に脂が乗り切るはずの4,50代を、ただの能無しオバさんとして過ごすことになる)ので、金を稼ぐことができず一人しか産まない(産めない)人が増える。
仕事に注力したい人は、子どもは仕事の邪魔になるので産むタイミングを計っている間に手遅れになってしまう。
この状況を打開すべく、保育園の拡充や各種補助金、夫の育児参加など、子育て制度の整備を急いではいるが、少子化傾向は改善するどころか、ますます悪化の一途をたどるばかりだ。
新しい女の生き方を提案する
1段階 0 ~ 18歳まで - 親の扶養。(婚活は15から始める)
2段階 18~ 28歳まで - 夫の扶養。子育て(18~20で結婚出産、子供が8~10歳まで専業主婦)。
3段階 29~ 35歳まで‐生活費は夫の扶養。高等教育。学費は借金して働いた時に返す。
5段階 70~ 福祉の世話になる。
女が上のような人生を歩むのが普通になれば少子化問題は一気に解決する。
結婚出産を10代のうちに済まして、その後の約10年間、子育てに専念して、その後、専門教育を得て本格的なキャリアをスタートさせればいい。
30越だと結婚できない女も、18なら結婚できるし、妊娠もしやすい。子育ても仕事しながらとかではなくて専業だから、じっくり子どもと向き合って愛情をたっぷり注ぎながら育てられる。自分で育てるからもちろん待機児童問題はなくなるし、そもそも保育園もいらなくなる。
キャリアのスタートは35歳ぐらい。35歳といえば今でも定職にもつかずダラダラしているうちに気が付いたらなっていて何も身についていない人もたくさんいる年齢だ。
新しい人生プランだと、35歳には結婚して手のかかる時期の過ぎた子どもをもち、大学生活を終えている。高等教育や専門教育を身に付けた後、じっくりと社会に貢献できる。
男は30ぐらいで結婚。子育てで忙しいときも妻が家事専業だから、くたくたになって帰ってきてから皿洗いや洗濯をしなくてもいいので仕事に専念できる。
http://anond.hatelabo.jp/20130329012518
「分かり易く説明している増田」は前回も今回も同じこと言ってる
A君1人の収入400万円からA君と奥さん2人分の生活費76万円が控除されています。
別々に(合計76万円)控除されています。
どちらも2人分控除されるから共働き世帯と専業主婦世帯では差は全くないということだ
だが違う。これ見ろ
夫婦二人で「基礎控除×2+配偶者控除」で、3人分の控除適用がされている
http://ryuseisya.cocolog-nifty.com/hakata/2010/08/post-a89d.html
家事も出来ない?なんだそれ?重度の鬱病に詳しくないけど植物人間か?話し合って手伝ってもらえ
私は私を支えてくれない人を養っている。
誰か私の頑張りを認めて欲しい。
毎日夫のネガティブな話を聞いている私の話を少しでもいいから誰かに聞いて欲しい。
ふりでもいいから愛して欲しい。
それは男女関係無く分かる気がする。
最近、同僚の独身男性と二人でよく飲む。話の内容は仕事の愚痴。
私を許しはしなくても、離婚は選ばないんじゃないだろうか。
そんな先の計算までするような旦那さんなの?ヤバくね?状況が辛くて盲目になってるんじゃないの?
鬱病の旦那さんを養ってるお前さんの状況と、一般の専業主婦を同一視して浮気を肯定するな。
自分の不満や愚痴も言ってみてはどうか?そこで初めて心割って旦那の真意が分かるのではないか?
3年間仕事や火事や看病をしつつ、慰謝料を取るような旦那なの?それ本当?親類に相談するのはどうか?まさか、両親全員死んだ訳じゃないだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130328124313
レスども。
そういえば成立理由とか知らないな、と思って調べてみたのですが
所得控除の今日的意義(目次) 下の方にPDFへのリンクがある。
http://www.nta.go.jp/ntc/kenkyu/ronsou/48/tanaka/mokuji.htm
ざっと見たところだけど配偶者控除の役割、成立理由としてはp89の
配偶者控除は、昭和36年に家事労働による貢献度、共稼ぎ世帯や事業所得者とのバランスを考慮して創設されたものである。したがって、一見すると担税力の減殺要因という要素で創設されたものでないように見えるが、沿革的には扶養控除に含まれていたものを、その存在を明らかにするために創設されたものであると理解できる。
つまり、配偶者にも当然に生活をするための費用は必要なのであるから、そこには担税力の減殺要因があるといえ、配偶者の最低生活費を課税対象から除外するための配偶者控除は必要であるということになる
ここからは私個人の考えなんだけども、上記の理由で成立しているとすると配偶者控除は生活保護的な意味合いがあると思う。
(上記PDF p70にも控除額としては、人的控除は生活保護基準に見合ったものとするとこが合理的な水準、という見解がある)
私が違和感があるのが、専業主婦が多かった時代であればこれはマッチした制度だったと思う。女性は家庭内の業務に追われ賃金労働がなかなかできなかった時代ならね。
世の中一般的に、嫁さんも扶養者とみなすことができる。
今はそうか?と考えるとそうではないよね。 少なくとも政府観点では男女共同参画的な観点から、女性の積極的な雇用を推進している。
「女性を積極的に働かせたい」というのであれば、配偶者控除をなくして、
つまり健康で働けるのであれば生活保護的な意味合いのある配偶者控除ではなく賃金労働に参加するように社会をデザインすれば良いと思う。この辺がアンマッチな感じがするのよね。
また他増田も指摘しているが単純に健康かつ子供をつくるつもりがない専業主婦はフリーライダーとして見なして良くね?
そこの部分の労働力を賃金労働力に向けるか、出産育児等に向けるかというのはありだと思うけどね。
という訳で私は扶養者控除を上げろよ(あるいは子供手当ての増額)という意見には賛成なのよね。
どういう理由で?
この辺の理由で http://diamond.jp/articles/-/19318
女性は年収130万円くらいで働き方を変えてしまう(個人的にはこれ合理的か?という疑問もあるが)、税制がそういうバイアスってかけるべきかね?
別の増田だけど。うちも4人程知ってる。
まず1人目。うちの親がよそに妾(バツイチ子持ち)囲ってた。母が病死した後妾と再婚した。
元妾との間の子どもはいないけど今は元妾とその連れ子と一緒に暮らしてる。
うちの兄弟はみんな家から出てて再婚後交流はないが、母の存命中週に数回別宅に泊まりに行ってるのは家族がみんな知ってた。
職場で知り合った相手だったので職場でも知られてたんじゃないかな。でもそれで特に処分受けたりはしてない。
2人目。元勤めてた職場の同僚に、上司(既婚者子どもあり)の妾になってる人がいた。
家賃出してもらって、週の半分は上司が泊まっていってると言ってた。奥さんも公認だと。小さい子どもの世話が手一杯なので生活費さえ入れてくれるなら家にいない方がいいと言われてたらしい。
少なくとも会社中そのことは知ってたけど(従業員数が一桁のような小さな会社)特に処分受けてない。
3人目。趣味サークルの人(同年代)が愛人作って(フィリピンパブで知り合ったフィリピ―ナ)なんと自宅に連れ込んで数年の間妻妾同居してた。
妻の方も趣味サークルに所属してて、辛いけど自分には経済力はないから仕方がないと言っていた。
妾はサークルには所属してなくてさすがにサークルの集まりに来ることもなかった。
そこは愛人が去った翌年子どもができてその後は平穏に暮らしてると思う。
4人目は直接は知らない人だけど、友人の親友(同年代)に奥さん子どもいて中国に愛人囲ってる人がいる。出張三昧で年の半分は日本にいないので奥さんも特に気にしてないそうだ。
容認ていうのがどのレベルなのかは知らないけどこの4ケース、家族はみんな知ってるし職場でも多分知られてるけどそれで処分受けたりしてる訳じゃないので容認といってよいレベルじゃなかろうか。
あと、これは容認したケースじゃないけど友人が夫に離婚を切り出されてその時「別に結婚したい人がいるので離婚したいけど、お前と子どもに対する情は残ってるので妾になって欲しい」と言われたそうだ。
飛行機のトランジットを待っていて暇なので、ちょっと昔のことでも書いてみようと思う。数年前、この空港にはじめて来たとき、僕は今とはまったく違う人間だった。あの頃の僕は、希望と理想と好奇心に満ちあふれていた。でも今は? 僕の心は冷たく凍っている。そしてこれには訳があるのだ。
僕は父親を早くに亡くし母子家庭で育ったが、まじめに勉強したので成績はいつも一番だった。そのまま東大法学部に入ったあとも、僕は常に一番だった。東大を主席で卒業したとき、母はどれほど喜んだことだろう。その後、僕は外務省に入省し、上層部の大きな期待をうけて、ドイツの大使館に派遣されることになった。当時のベルリンはいまだ東西ドイツ分断の爪あとも生々しく、その一方で、新たな統一国家を創りあげるのだという若々しいエネルギーにもまた満ち満ちていた。その高揚感に僕は目を見張り、自分が今歴史のまっただ中にいるのだということに感激を覚えた。僕はドイツ語とフランス語がとてもよくできたので、大使館でも重宝された。そして、これはすでに上層部の許可を得ていたのだが、大学に籍を置き、仕事の合間にはさらなる勉学に精を出した。
あっという間に三年がすぎた。僕は相変わらず真面目に働き学んでいたが、心の何処かに落ち着かないものがあった。激動の時代を経たベルリンの大学にはさまざまな思想が渦巻いていた。その気風にあたって、僕の心になにがしかの変化が生まれたようだった。それまでの僕は、ただ真面目に生きてきただけだった。母親は僕を歩く辞書にしたかったのだろうし、今、官僚となった僕は歩く法律書であることを求められている、そんな気がした。僕が、自分の頭で物を考えること、そんなことは求められていなかった。そのことに気付き、僕は少しずつ別のことを学び始めた。歴史や文学を学ぶことで、自分なりの思想を作り上げようとしはじめた。
上層部の人間がそれをおもしろいと思うはずもなかった。彼らは僕が機械の歯車であることを望んでいたのだから。そもそも僕は同僚たちの間でも受けがよくなかった。彼らが飲み歩いて遊んでいるとき、僕はそれに加わらず、ひたすら勉強していたのだから。上層部の不興と、同僚たちの嫉みによって、大使館のなかでの自分の立場は危うくなってきていた。
僕が遊び歩かなかったのは、実のところ、僕が臆病だったからというだけだ。僕は子供の頃からずっと優等生だった。僕はまるで処女みたいなものだった。僕はただ極端な臆病者だったのだ。少しでも道を踏み外すのが怖かった。だから敷かれたレールの上を必死で走ってきたのだ。ばかにされてもしかたがないと思う。だが、うらやまれるのは納得がいかない。僕は遊ぶことができなかった。旧東ベルリンのすさんだ地域で、けばけばしい化粧をした娼婦たちに声をかけられても、それを買う勇気すらなかった。
ある日のこと、家に帰る途中ベルリンの壁に程近い、そんな貧しい地域を通りかかった。教会の廃墟の前で、一人の少女が泣いていた。十五、六歳に見える。ジーパンはは着古されているけれど清潔で、パーカーのフードからこぼれる髪は、明るい金髪だった。僕の足あとに気づいて振り返ったその顔を、どう表現したらいいのだろう。真っ青な目は清らかで憂いをたたえていて、その長いまつげからは今まさに涙のしずくが滴り落ちようとしていた。
僕は思わず声をかけていた。
「どうしたのですか。なにかお助けしましょうか」
彼女は驚いて僕を見つめたが、僕が真摯なのがわかったのだろう、こう答えた。
「助けてください。パパが死んだのに、お葬式をあげるお金がないの。私が言うことを聞かないから、ママは私を殴るの」
「こんなところで泣くのはおやめなさい、人目もあることだし」
「ごめんなさい、あなたはいい人ね。頼りにしていたオーナーに、借金を断られたんです。私は彼のところでもう二年も働いているのに。身体で払えと言って来ました。ねえ、お金を貸していただけませんか。かならずお給料からお返ししますから……」
彼女は涙ぐみながら上目遣いに僕を見た。なんともいえず色っぽかった。
僕は財布にたいした現金を持っていなかったので、時計を外して彼女に渡した。
「これをお金に替えなさい」
彼女は感動してポロポロと涙をこぼしながら、僕の頬にキスをした。
その後、彼女は僕が渡した名刺を頼りに僕のアパートを訪ねてきた。僕たちは頻繁に会うようになった。やがて、このことは同僚たちにも知れ渡るようになった。僕が場末のストリッパーと交際していること、もともと僕を快く思っていなかった連中は、それをあることないことで脚色して大使の耳に入れた。僕が学問をつけ生意気なことをいうようになったことが気に入らなかった上層部はこれをいい機会と僕を免職した。
本当は、このころ僕たちはまだ身体の関係をもっていなかった。彼女とその家族は社会主義下の東ベルリンで貧しくも慎ましく生きていたが、壁崩壊後の資本主義の流入で食べるにも困る状況に陥った。そんな時新しくできたストリップクラブでストリッパーとして働かないかと声をかけられたのである。昼は稽古、夜の舞台とこき使われて、そんななかでも努力が実り二番人気まで上り詰めたが、それでも少ない給料で家族を養うのにはとてつもない苦労があったようだ。
僕が首になったことを伝えた日、僕たちははじめて結ばれた。はじめて見たその日から僕は彼女のことを愛していたのだけれど、その気持ちを抑えこもうとしていた。僕の免職をきいて悲しみに震える彼女の姿をみて、僕ははっきりと自覚したのである。彼女を愛している、と。
僕は困窮した。給料はとめられ、滞在許可の期限も切れようとしていた。そんなとき僕を救ったのは、Aという友人だった。
Aは大学時代の同期で大蔵省に勤務していたが、僕が困り果てているのを人伝てに聞いたらしい。知り合いの新聞社の編集長に頼んで、僕をその新聞社の特派員という形にしてくれた。なんとか滞在許可を延長できたものの、給料は雀の涙であった。今度は彼女が僕を助けてくれた。僕はアパートを引き払い彼女の家に転がり込んだ。僕は彼女と、彼女の母親の住む部屋で、互いの少ない給料を持ちあってそれでも楽しい日々を過ごした。僕はもう学問にも本にも見向きもしなくなった。けれど、いわゆる世俗的なもの、今まで見向きもしなかった、見ないようにしていた世界が、僕の前に広がった。
冬が来た。ある日僕はAから電話をもらった。今、大蔵省の次官に同行しベルリンに来ているという。「君の名誉を回復するチャンスだ」、彼はそう言った。彼女にそのことをいうと小躍りして喜んで、戸棚に仕舞いこんであった僕のスーツに念入りにアイロンをかけて着せてくれた。Aが与えてくれた仕事は次官の通訳と翻訳だった。そして、ロシアへの出張の同行を打診された。まとまったお金が入ったので帰ってくるまでの生活費として、僕は彼女にそれを与えた。彼女の体調が優れないようなので、それが気がかりだった。
ロシアへの出張はすばらしいものだった。なによりも国際政治の舞台に再び立っているということが、僕の心を高揚させた。彼女のことを忘れていたわけではない、けれども、僕は迷い続けていた。日本に帰ってふたたびキャリアを積み重ねることができたなら……
ようやく出張から帰ったその瞬間まで、僕はそんなことを考えていた。けれど、彼女が戸口から飛び出して抱きついてきたその時、そんな迷いは吹き飛んでしまった。彼女とともに生きよう。僕は彼女を愛しているんだ……部屋のテーブルには、編みかけの靴下があった、それも、ミニチュアのような靴下だった。彼女は幸せそうに微笑みながらいった。「どう?」
数日後、僕は次官に呼ばれた。彼は言った。君の能力はすばらしい。ポストを用意するから、日本に帰ってこないかね。
僕はとっさに思った。このチャンスを逃したら、僕はこのまま落ちぶれて、日本に帰ることもできず、異国に散ることになってしまう。その瞬間、僕は、「光栄至極です」と言っていたのだった……
真冬のウンター・デン・リンデンを、僕はさまよい歩いた。僕の肩には厚く雪が積もった。固く凍った路面で、何度も滑り膝を着いた。ようやく家に帰ったとき、僕はまるで死人のような有様でそのまま床に倒れこんでしまった。
それから数日間の記憶はない。高熱を出してうわ言をいっているのを、彼女は必死に看病してくれていたらしい。そんなときAが訪ねてきて、僕が次官に帰国の約束をしたことを告げた。意識を取り戻したとき、僕は彼女の変わり様に驚愕した。Aは彼女を精神的に殺してしまったのだった。彼女は、「なんていうこと、そこまで私を騙していたなんて」と叫び、倒れてしまったのだという。ふたたび目をさましたときには、もう正気を失っていて、僕の名を呼んで罵ったり、髪をかきむしったり、小さな靴下に頬ずりをしてさめざめと泣いたりするばかりだった。
僕のほうの病気はすっかり治った。日本に帰国する際には彼女の母親に、幾ばくかの金を与え、可哀想な彼女の胎内の子供のことも頼んでおいた……
父は60歳で死ぬ予定だったので、年金を払っていない。現在アラウンド70。自営業(職人系)なので、死ぬまで仕事するんだと思ってたら、最近腰が痛いとかで仕事をしていないらしい。
3年ほど前に切腹自殺を図ろうとして、車で20分ほどの所に住む妹に「今から死ぬからあとよろしくねー」的なメールを送り、自殺を阻止される。
3ヶ月ほど前に絶食して死のうとして、メールの返信がないことをいぶかしんだ妹に自殺を阻止される。ちなみに阻止された時点で10日ほど食べてなかったらしい。
2回とも飛行機の距離を呼び出され、説得などを担当。今回は生活費がなくてキャッシングしたのを自己破産したり生活保護申請したり、実務の代行をせねばならぬらしい。気が重い。
近くにいる妹は頻繁に様子を見に行ったりして負担をかけているので、いろいろやらねばねー。
死にたいっていうか死ぬ時をコントロールしたいっていうのを止めるの難しい。そんで自分が死んだら娘が悲しむっていう発想があんまないのよねー。人間は全員死ぬんだから悲しんでもしょうがないじゃない。って。あと生きてる気があんまないから生活費とかの算段がさっぱりない。はー困った困った。
秘密のブックマーク、略して「秘ブ」というソーシャルブックマークサービスを作ってみました。
今は風俗嬢やってるんですが、(悲しいことに)時間があったっていうのと、
秘ブ.jp
(アダルト専用のソーシャルブックマークサービス)
http://anond.hatelabo.jp/20101203150748
・Rails3 と jQuery で、真面目にオシャレなエロサイトをつくってみました
私は、早く自立できるようにと高専を出て、田舎から東京に移り住み、事務として働いていた。
この時点ではエクセルとかワードとかは使える、マクロもちょっと組める程度のレベル。
自立したかったのは父親が生活費をパチンコとか女に溶かすような輩だったため。
私が自立したあと、両親は無事離婚。激務で薄給、母親と離れて暮らして寂しくても頑張っていた。
鬱病はつらい。何が辛いって、本人も辛いんだろうけど、荒んだ部屋の中で横になって息を潜めている母親の姿を見るのがきつい。
いつでも母親の側に駆けつけることができるように、お金と時間に余裕が欲しかった。
でもねー、全く稼げないwww 笑っちゃうくらい。
大衆店にいるんだけど、女の子もお店も多くて、私より若くて可愛い子がわんさかいる。
お客さんがつかないと収入0なんだよね。
店長やお店のお姉さんがマットや椅子を覚えな、ってアドバイスはくれるんだけど、
その頃教えてくれる先生がたまたまいなかった。(今は別の店に修行にいったからバッチリできるけど)
仕方ないからようつべとか動画サイトでソープのお仕事系の作品を見まくったわけ。
(余談ですがマ◯ティ夫人ってお店のマット技一覧のページはすごいよ!)
お客さんつかないから時間がすんごいあって、待機室でずーっと見てた。
で、マットの動画とか、ボディ洗いの動画探すんだけど、なかなか見つからない。
で、そんなことをしてるうちに思ったんだけど、エロサイトやエロ動画、
果てはマニアックな趣味の情報を共有できるサイトがあったら便利じゃないかな?と。
数少なく接客したお客さんで、わざわざブーツ持参で、顔面を踏みつけてくれ、って人がいたんだけど、
でも日本中を探したら、同じ趣味や、近い嗜好の人がいるんじゃないかな?って。
時間は私自身が病むほどあるし、そんなわけで制作に取り組みました、秘密のソーシャルブックマーク、
略して「秘ブ」(「秘部」とかけてあったり)
吉原の泡姫たちは、タクシー通勤する人が多いんだけど、私は三ノ輪の駅から歩いて通ってた。
元彼に借りたプログラムの本などどっさり持って。めっちゃ重いw
待機室でひたすら落ち込みながら金勘定するより、母親の心配をするより、何か生産的なことを考えていたかったんだよね。
この一年でかなり勉強して、ようやく公開できるレベルに達したかなとおもいます。
みんなが来てくれるかはわかんないけど、まあ来てほしいなと思う。
さて、湿っぽい話はここらへんにして、どうやって作っていったかを話しましょう。
・Semantic Scuttle
http://semanticscuttle.sourceforge.net/
・HeartRails Capture
http://capture.heartrails.com/
・Twitter Bootstrap
http://twitter.github.com/bootstrap/
・Bootswatch
サイトの構成なんかも書こうと思ったけど、セキュリティ的に良くないって聞いたし、
はてな民のみなさんに突っつかれるのが怖いので少しだけ(^_^;)
まあ違う意味で突っつかれるのは慣れてるんだけどw
簡単に書いとくと、HTML、CSS、PHP、MySql、javascriptくらい…なのかな?
Semantic Scuttleが裏でやってることはあまり詳しく分からないです。
どうやらまずはHTMLとCSSをやれということらしいので、そこから始めた。
使ったのはこれ。
メモ帳で簡単なWebページを作りながらだと結構スッと頭に入ってくる。
逆に言うと、読んでるだけだと全然あとで思い出せない。
「Ctrl+U」でページのソースを一発で見れることを知り、参考のために色んなサイトのソースを見まくった。
全部頭に入ったわけじゃないけど、ここまでで最低限、検索ワードが思いつくぐらいにはなる。
ここまでで大体一ヶ月くらい。
もちろんHTMLとCSSだけではてブ的なものが作れるわけはない。
っていうかほぼ路頭に迷った感じで「はてブ的なものを作る方法」をググりまくった。
結果「Semantic Scuttle」なるものでそれに近いサービスを作れることが判明。
「Semantic Scuttle」を調べてみると、どうやらPHPとMySQLで動いているらしい。
でもダウンロードしてみて中身を覗いてみても何が何やらさっぱり。
とりあえず2つ一緒に覚えられそうだと思って元彼にこの本を借りてきた。
XAMPPのインストールをして、PHP書いて、MySQLと接続して…
ふむふむ、書いてあるとおりに作ったのは作ったけど、あんまりわからん。というのが感想。
ちなみにPHPを書き始めるのにあたって、eclipseという統合開発環境(意味がいまいちわかってないけど)を紹介され、インストール。
コード書きやすすぎ、色分け便利すぎワロタwwwと思ったのを覚えている。
設定はめんどくさかったけどね。
eclipseについて詳しくは→http://www.javadrive.jp/eclipse3/
しかたない、まずはPHPだけでも頑張るかと思い、次に借りたのがこの本。
ひと通りサーッと読んで大体どんなことが書いてあるのかを頭に入れてから、
必要そうなところを詳しく読んで作ってみてっていうやり方をした。
MySQLのことにも触れてあるので、そっちの復習もできた。
クラスについても薄らぼんやりわかってきて、動くものを作れるレベルには上達。
この辺りは、サボったり迷ったり環境整えたりで2ヶ月くらいかかったかな。
さて、これでいけるだろうと意気込んで長らく保存しておいたSemantic Scuttleのソースコードを見る。
…わからん。
挫折。。
どうすればいいのってことで、元彼にヘルプ。
「MVCってのがあって、モデルとビューとコントロールってのが多分…」
「とりあえずindex.phpから見て行ったらいいんじゃないかな?」
ふーん。今でもMVCとかってのはほとんど理解してないけど、最後のは役に立った。
ファイル名やら関数名でプロジェクト内を検索しまくって、大体の構造を把握。
と簡単に書いてみたものの、この作業には2ヶ月ほど費やした。
構造はなんとなくわかったものの、実際触ってみると動かなくなるケースが多数。
ひと通りの勉強は一応したけど、実地のカスタマイズは非常に難しい。
他に使ってる人おらんのかなと思い探してみるとこんなものが。
・ソーシャルブックマークソフトScuttleの強化版Semantic Scuttleを導入してみる
http://tukaikta.blog135.fc2.com/blog-entry-70.html
ありがたくカスタマイズに利用させてもらう。ホント感謝しまくりです。
でも上のURLに書いてあること以外にもカスタマイズしたいところがあった。
1.ブクマ数を記録したい
1はだいぶ考えたんだけど、DBをちょっといじくって、フィールドを追加してそこに記録することにした。
2はPHPとDBをあれこれして、ド汚いコードながらも根性で実装。
3で再びの挫折。なぜならjavascriptを使わなければならないことが判明したから。
まだ勉強しなきゃいけないのか…とは思ったが、初心を思い出し、頑張ることを決意。
おらあああ!なんかjavascriptの本貸せやぁああああ!と丁寧に元彼に頼んでみたところこの本が手に入った。
JavaScript 第5版
うん、馬鹿じゃないの。こんなん理解できないよ。こっちは時間がないんだよ!
もう一冊なんか初心者向けを貸せ!
マンガでわかるJavaScript
読了したあと、ネットと前者の書籍で必要なところだけ調べることにした。
で、調べていったところ、4については
scriptタグでtypeを"text/javascript"にしてもPHPを読み込めるということがわかり、PHPで強引に表示させることにした。
3はもともとSemantic Scuttleにあったブックマークレットをちょこっと編集して解決。
これで大体1ヶ月半くらい。
一応CSSは勉強したけど、美術的センスのない事どこかのはいだしょうこお姉さんレベル。
でもデフォルトのデザインがダサいってことくらいは、かろうじてわかる。
あらん限りの人脈を使ってデザイナーさんを探したところ、やっとのことで0人見つかった。
どうも調べたところ、TwitterのBootStrapってのがいいらしい。
CSSを見てみるが、長い! 「Bootstrap 使い方」でググる。
よくわからないながらも↓とか見ながら手探りでコードを書いていく。
Twitter Bootstrapの使い方
http://greenapple-room.com/conc/user/TwitterBootstrap/bootstrap.html
これでとりあえず基本的なことがひと通りわかり、ちょっとだけよくなった。
だいぶ前にやったCSSを思い出すのが大変だった。
でもタイトル周りとかが全然ダサイまま。普通に自分で見てて萎えるので、さらに調べる。
見つかったのが↓
Bootswatch
あ、なんかこれいいなと思って「Slate」っていうテーマをいじくりいじくり、色々試しながらタイトル周りとかを整理。
まあこんな感じで大体できましたー!
全部で約8ヶ月…長かった…。憑かれたぜパトラッシュ…
・ググる ググる ググる!とりあえずなんでもググってみることが一番大事だとわかった。
誰かが同じようなことをしてることも多々あるし、少なくともヒントくらいは見つけられる。
・助けてくれる人がいるとかなり楽
ググっても出てこない情報は厳然としてある。そういう時は、経験者にアドバイスをいただく。
Yahoo知恵袋でもいいし、知人でもなんでも。ネットの優しい人達に感謝するようになった。
お店の掲示板では叩かれっぱなしだけどw
・プログラマーすごい
今まで何気なく見てたホームページだけど、膨大な技術の結晶なんだなと思った。
その端っこに触れただけの私のようなものでもそう感じるんだから、それはそれは深遠な世界なのでしょう。
せっかく作ったので、使ってやって下さい。
詳しくは↓をご覧あれ。
http://hibu.jp/bookmarkbutton.php
このサービスは一応「秘密の」もんなので、普段使ってるSNSのユーザー名とか使わないほうがいいんではないかと思います。
ブラウザに直接入力でも簡単にいけるようにドメインはまんま「hibu.jp」にしておいたので、
ブラウザにブクマするのもはばかられる方はダイレクトに飛んできて下さい。
スマホ版作りたいなぁ…
ちなみに、勉強したおかげか今現在はそこそこ本職のほうで稼げてはいます。
もし万が一このサイトが成功したりしたら風俗あがることも考えられるのかなぁ…
でも吉原にも遊びに来てくれると嬉しいな。
怖いところじゃないから、気軽にね。
まず大前提として、国民皆保険の日本では、自分のための医療保険は全員既に入ってる。
そういう法律があるし、「健保」や「国保」ってのは、医療保険のことだ。
自覚がないかもしれないが、病院に行って3割負担で済んでいるのは医療保険のおかげだ。
高額療養費制度も「自分の入っている医療保険の特約」みたいなもんだ。
だから、「医療保険は不要だ!」という時は、「民間医療保険は不要だ!」と置き換えて読む必要がある。
あたりまえのことなんだけど、コレを忘れるから「でも保険がないと不安で……」という話になる。
だから、http://iryohoken.noor.jp/とかhttp://anond.hatelabo.jp/20130226135757とかの話は、そもそもの前提が保険会社の陰謀に乗せられているわけだ。
その上で「貯金があれば2つ目の民間医療保険は不要だ!」というのは正しいかどうか。
「自分のための」保険として見た場合、こりゃ大抵の場合不要だろう。
じゃあ、「大抵じゃない場合」ってなんだよって言われると、
カネがないやつだろう。
事故った、入院一週間で、あと週一で半年通院(20回ぐらいな)が必要になった。
交通費含め、もろもろ合わせて20万ぐらいってのが相場だろう。
これを、毎月2000円掛け捨てで、10年に一回事故らないと勿体無いと考えるか、
学生の頃、金がなくなってCDコレクションを売り払ったりした経験の有無が重要な気がする。
じゃあ、他の保険、がん保険とか要らねえのか?って言われると、これは違うと思う。
実は、「死んじゃった時」ってのは、そんなに困らない。
大抵の会社で慶弔費も包まれるし、カネがなければ葬式も略式でいける。
遺族年金もあるから、残された家族がドン詰まるってことは、まあ無い。
叩かれることも多い奨学金だけど、あの利率で何の担保もなくカネ貸してくれるローンとかねえって。(保証人とか名ばかりだしね。まあこれは別の話だが)
つまりは「死なずにダラダラ穀潰しが発生した時」の保険なんだよ。
あえてお荷物っぽく書いたけど、まんまそうだよ。
ガンで入退院繰り返す親父を見舞いに行かずに済むドライな家族なら良いけどよ、
大抵の場合、家族ってのは親父を心配するし、親父だって負担は掛けたくない。
そういう時に、「何かするたびに預金を食いつぶしていく」ってのは、
どっちにとっても相当きついぜ。
これが、「ああ、でもそのうち保険でカネは返ってくるしな」ってのは、デカイ。
仕事してる30年の間に一回も民間医療保険を使わなかった事で、「ああ180万も無駄にしたなあ」と思うかの差でしか無いわけだが。
で、自営業の場合は、大抵働いてる奴が体壊すと、カネから消えていく。
支払いに生活費にと、入院雑費なんて目じゃないくらいドンドン預金が消えていく。
自転車じゃない操業のが珍しい自営業だと、こういう時に「保険金が下りるまで待ってくれ」はデカイ。
てなわけで、自営業者に関してはちゃんと家族を食わせるために考えて2つ目の保険は入っとけって感じ。
これはだれか他のやつが詳しく書くだろ。
まあ正直な、それがどれだけ保険会社を肥え太らせる効率の悪い保険であっても、選択肢がねえんだもん。(最近は増えてきてるからそれは良いことだけどね)
子持ちは最低でも共済で月2000円ぐらいの総合保険に入っといて、ガン特約だけつけとけ。
たぶん年間4~5万で済むよ。
(働いてる間にガンになるのは2%ぐらいのハズだけど、つまりは山手線載った時、同じ車両のうち2,3人はガンだよ)
(あと、近所の病院の差額ベット代は調べとけ。たまにタッケエ時あるから)
あとな、途中であえて書いた「死なずにダラダラ穀潰しが発生した時」な。
もう一個あるだろ。
介護な。
終身介護保険に一時金で入るように親を説得しとけ。
あれはちゃんと保険会社がデッカク儲かるようになってるから、大抵揉めずに保険金がおりる。
(要介護状態になるのは、10%前後。つまり保険会社は諸経費で9割方儲かるように出来てる。で、山手線の(ry)20~30人は困ったことになる)
民間保険では、トクする事は絶対にないよ。
税金で運営する公的機関ならいざしらず、民間は従業員喰わせにゃならんもの。
自分で手間ひまかけて国債買ったり株買ったりするより効率よく増える投資になるんだったら、
そりゃなんか勘違いしてるか騙されてんだよ。
宝くじ一枚だけ買って3000円当たるくらいの確率でガンになったり、
宝くじ一枚だけ買って5万円当たるくらいの確率で病気で死ぬのに備えるのが、
「保険」だよ。
「貯金」との違いは、病気になった時の安心感と、債権者に持ってかれるのが最後ってことぐらいだよ。
職場が合わず、休みが増えて、最大14万の手取りが9万円台になることが続き、
貯金も底をつき、さらに休みが増え、ついには全く職場に行くことができなくなって2週間になる。
社会人の肩書きを失う踏ん切りがつかず、まだ辞めては居ない、しかし出勤できない。今は休職扱いになっているのだろうか。
とにかく金がない。あても無い。
今のこの会社でやっていくのは無理だと思い始めた昨年末から転職活動をしているが、20社以上受けたのに落とされている。
足りないのは職能であると思う。大学で学んだことは何一つ役に立たなかった。
若い頃にもっと将来のことを考えて学部を選ぶべきだった。後悔先に立たず。
スパゲッティばかり食っており、野菜がほとんど食えていないので、この状況が続くと健康にも影響が出て、事態はより悪化しそうだ。
求職者支援訓練というものがあるらしい。無職でも自己負担額1万円強でウェブデザインやプログラミングを学ぶことができ、
月額10万円の生活費が支給されるのだそうだ。ぜひ利用したい制度だ。
しかし求職者支援訓練の対象者は雇用保険の受給資格が無い失業者のみ。
雇用保険に入っているのでこの制度は使えない。失業給付の11万5千円がもらえるだけだ。
そして失業給付は失業から三ヶ月後からしかもらえないので、来月から三ヶ月間、貯金ゼロの無収入になる。
完全に詰んだ。ガスと水道は払えたが、スマホと電気代は払う金が無いのでいつとめられるかもわからない。
追記
転職とか辞めるとかいう単語が出てきているが、当然仕事は辞められない。
生活費を得る為に働いているし、もういい年だし、そもそもこちらに非のある事ではないので辞める理由がない。
そして、下の人間がする仕事は下の人間にしてもらわねばならない。
自分含む先輩達も通ってきた道だから、年単位で経験してもらわなければその上の仕事は任せられない。
先輩達が文句を言っているのを聞いた事がないような、誰も文句を言うことなくこなしてきた仕事なのだから、疑問や改善提案を持つ事なく、後輩達にも当たり前にこなしてもらわねばならない。
一番下のする仕事は、過去に自分も一言も文句を言うことなく二年間こなしてきた仕事だ。
今後輩がしている仕事も、やはり一度も文句を言う事なく一年半こなしてきた仕事だ。
大変でもやって当然の仕事だ。できなければ後輩たる資格はない。職場にいる資格もない。
ましてや、先輩の様子を伺ったり先輩に仕事を押し付ける算段を組むなどもっての他だ。自分は考えもしなかった。
中途採用の前で先輩らしいところを見せたいのかも知れないが、次に先輩である自分に対して後輩がなめた態度を取った場合、罰を与えることを考えている。
いま後輩に任せている仕事がいくつかあるのだが、前任者の自分が調達してくる慣例となっているものがある。
それを「先輩になめた態度取る後輩には協力する義理はないから、今回は調達しない、自分でやれ」と申し渡そうと思う。