はてなキーワード: 球場とは
現地5/13、ニューヨークメッツ対シアトルマリナーズ戦で在ニューヨークの日本総領事が始球式のためマウンドに向かうもメッツの先発投手マックス・シャーザーが投球練習を続け、無視する形となり、その結果総領事はスタッフに呼び戻されてそのまま試合が開始された。
これが案外、はてぶでもヤフコメでもアジアンヘイト、差別的だとか書かれている。
たしかに初めてみる光景ではあった。でも差別かというと、普段からMLB見ている自分には違和感を覚える点があるので、とりあえず思いつくことを書いてみる。
●そもそもMLBの始球式は、選手が守備位置についているような段階で行われるものではない
始球式中は、ファウルラインあたりで走ったりキャッチボールしたりと選手はまだ準備の時間で、日本みたいに試合開始直前にやることは(たぶん)ない。投手もその時間はブルペンで投球練習してたりで、グラウンドにいない場合が多い。
日本総領事がマウンドに向かったタイミングがNPBでの始球式と同じだったのも、誤解を生んでいる原因だろうね。
そもそも「日米では始球式のタイミングが全く違う」ということを知らない人があの映像を見てしまうと「投手がマウンドを荒らされたくなくて拒否した」みたいなふうに感じるかも。
実際のところ、この日は雨で試合前セレモニーの進行に影響が出ていたらしく、それでいつものタイミングで始球式ができなかったようだ。ただ試合開始は定刻で行われることになり運営が慌ててしまった感じだと思う。
普段MLBではピッチャーがブルペンから出るときにはそういうセレモニー的なことは全部終わってしまっているので、シャーザーに対して何か文句を言うのはお門違い。「気づかないわけないだろ」みたいな意見はあるけど、普段グラウンドでカメラマンに囲まれることに慣れてる彼らの集中力はすごい。
シャーザーの性格を知っている人なら、この場面で声をかけなかった彼の行動は正解だったと思うだろうね。
イチローが投げたやつとかは見たいけどさ、正直興味ないのがほとんどでしょ。日本人が始球式するっていうのもこのニュースで知ったし。普段MLBの中継見てても始球式はよほど面白かったとかじゃないと映されないし。
スポニチの記事だと「大リーグのメッツが「ジャパン・ヘリテージ(遺産)・ナイト」と銘打って開催した本拠地シティ・フィールドでの13日のマリナーズ戦で」とあるけど、実際のところ翌日14日から行われる「Japan Parade」というイベントのプロモーションのために来ている。
球場ではボビー・バレンタイン(元メッツ/千葉ロッテの監督 いまはエンジェルスの解説とかやってる)のビデオメッセージが流れたようだが、日本総領事館のツイッターに載ってたの(https://twitter.com/JapanCons_NY/status/1525225000269144066?cxt=HHwWhICz-dCD2KoqAAAA)と同じだとすると、球場のニューヨーカーたちに「ジャパンパレードやるよ、そしてことしは日本に野球が伝わって150年記念なんだ」みたいな感じだし。
●結局どう?
タイムマネージメントできなかったにもかかわらずマウンドに行かせてしまい恥をかかせることになったメッツ運営側に非があるのは明白。投手、その他の選手を責めるのは間違い。ただ単に運営上のごたごたで試合を優先したまで。
差別かそうじゃないかって、他人が判断するのはすごく難しいと思うよ。勝手に第三者が「あいつは差別主義者だ」「アジアンヘイトが公然と行われてた」とか、言うのは簡単だけどね。
ほなら球場の広さも変えられへんやん。
野球で審判が選手を恫喝したのが評判になってるけど、野球の審判って主審塁審含めて映像から自動的に
ストライク/ボール、セーフ/アウト、フェア/ファール の判定をするだけで殆どは十分で
コリジョンとか判断が必要な場面のみ、人間の審判の判断を交えればいいって事が殆どだよな。
動きが多いサッカーでもゴールラインを割ったかどうかって判定は、ゴールラインテクノロジーによって自動的に判定されるべきって意見も強い。
まして、ほとんど動きのない野球の様なスポーツであれば、機械的な判定で十分すぎる場面が殆どだと思う。
サッカーではVARが導入された事で、得点に関わる場面ではビデオによるチェックと意見が増えて、取り消される事も増えたし
試合のテンポも悪くなると言った弊害はあるけど、ジャッジの内容に信頼がおけるようになって、重要な試合程VARがあるべきという意見が
ファンの間では主流になった。野球でも、ビデオレフリーを導入すれば、それなしでは考えられなくなると思う。
各球場に、VR室でも設けてカメラを多数設置して、主には機械判定しつつ映像チェックしてる人間の審判が判定の正当性を見守る。
ダブスタやん
実写映画は当たり外れあるのは知ってる
でも外れた時のやらかした奴を大袈裟に取り上げてぶっ叩く割りに2.5には異様に寛容なのめっちゃ謎
金カム実写化の件でまた噴き出してトレンドが実写化批判で埋まっててるけど上記のダブスタ発言多くてきっつい
最近は東京リベンジャーズ卍やキングダムとかるろ剣とか上手くできてる実写化多いだろ
監督もキャストも決まってないのに憶測で名前だしてぶっ叩いてトレンド入りさせんな
普通に名誉毀損だし、橋本環奈好きだからうっかりトレンド見てあまりの嫌われっぷりに泣きそうになったわ
ヒョロガリは嫌だ余計な恋愛劇は嫌だって言った口で宝塚なら見たい羽を背負ったキャラ見たいとかなんやねん
全員女になるし鶴見は羽なんか背負わんわ
大体恋愛要素少なめのハイローが宝塚で恋愛劇に改編されて上演されるの知ってるのか?
知ってて楽しみって言ってるなら実写化で恋愛要素足されるの(そもそも足されるかも決まってない)文句言う権利あるのか?
2.5はリスペクトがあるとか言われても、テレビや球場でパフォーマンスやってるの見たが全然似てないコスプレおじさんがヒョロヒョロの殺陣やってるだけで本当にリスペクトあるのか?ってレベルだったぞ
だけど2.5もよその事笑えん程度には不祥事あるだろ、宝塚は知らん
見てないのに舞台を叩くなって言われてもお前らも見てないのにバズったやらかしネタで実写映画のネガキャンしてんじゃねーか
結局良質の実写化や駄目な実写化があるだけでまだどうなるか決まってすら無いのに脊髄反射で叩くの気持ち悪すぎる
日経にのったたわわは全力で擁護するのに、実写って表現で映像作品作るのを感情で嫌悪するのツイフェミと何が違うんだよ
どうせ岸辺露伴の時みたいに脚本がオタク向けの実績高い人間だったら即絶賛するんだろ?
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
温泉に行きたくなった
だが有名どころではダメだ
ちょっと寂れているようなところがいい
九州でいうと別府湯布院黒川、このあたりは観光地然としすぎている
温泉に入った後「温泉以外なんにもないな、ここは」と思わずぼやいてしまうようなところがいい
例えば、小浜とか……
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ここから南下して大牟田へ向かう、およそ一時間電車に揺られることとなる
ホークスの二軍球場ってこっちに移転したんだっけ、だとかちょっと南下するだけで田んぼだらけになるな、だとか思いながら車窓をぼんやり眺める
福岡県の南端である大牟田駅に到着、ここからはバスに乗りフェリー港へ向かう
フェリーの乗客は自分の他に片手で数えられる程度の人数しかいない
博多通りもんの手土産を抱えて座る年配の夫婦、カメラを手に雲仙岳の遠景を撮影する青年、などなど……
少し海が荒れただけで運休となるこのフェリー路線を頼りにする人は少ないのかもしれない
フェリーも一時間かけて長崎側の港に到着する、なんとのんびりした旅路だろうか
さあ、島原だ
雲仙岳の威圧感が凄まじい、静岡山梨の人々も同じように富士山の圧に曝されながら過ごしているのだろうかなどと思いを馳せる
雲仙岳をバスで登れば雲仙地獄の温泉もある……だがそこは観光地だ!今は違う
そこで降りずにバスでこれまた1時間、雲仙岳の逆側(つまり西側)のふもとまでたどり着けばそこが小浜だ
しかし地元の方に失礼な物言いかもしれないが、観光するような場所はほとんどない
もう温泉に入るほかないのだ!
明日のチェックアウトまで、温泉に入る以外なにもすることがない
それこそがいいのだ
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例のアレの感染者数も少なくなってきたし、チャンスがあればまた温泉へ行きたい
小浜もいいが次はどこにするか
中継では、空いた席に大きめのポンタを座らせてお揃いのユニフォーム着てるおじさんをいっぱい見た。
実際に球場に行くと、試合後はユニ脱いででかいポンタを無理やり鞄に入れて駅の方にそそくさと歩いてく。
バファローズポンタが好きなのもあるけどなんか良かった。古いけどギャップ萌ってやつかな?まあ勝った試合だっから、なんでもいい思い出になってるってのもある。
それが今月頭の出来事、今シーズンオリックスの試合残りは仙台の一試合のみ。
去年からパ・リーグを見始めて本拠地が一番近いからって理由でオリックスを贔屓にしてるけど、昨シーズンはほんとに酷かった。ベンチの雰囲気とか。
でもその酷かった選手達がここまで活躍するようになるって、監督ほんとすげーよなぁ。無援護打線とか言われてたの懐かしい感じする。
おまえが社会に出る時に出鼻をくじかれたのは100%上の世代のせいかもしれないが、その後20数年経った現在の問題の責任の一端はおまえにもあるんだよ
<野球>
・種田仁 特徴的なバッティングフォームは「ガニ股打法」と呼ばれた。
・小久保裕紀 一本足打法の長距離砲。引退後は日本代表監督を務める。
・元木大介 「クセ者」として活躍。バラエティー番組でもおなじみ。
・新庄剛志 傑出したスター性で日米を沸かせた「球界のプリンス」。
・稲葉篤紀 打席に入ると「稲葉ジャンプ」で球場が揺れた好打者。
・小林雅英 ロッテ時代は「幕張の防波堤」の異名をもったストッパー。
・松井秀喜 日本を代表する長距離打者。2013年に国民栄誉賞を受賞。
<サッカー>
・岡野雅行 元サッカー選手で元日本代表。ニックネームは「野人」。
・三浦淳宏 FKの名手であり、日本における無回転フリーキック、ブレ球の先駆者。
<その他のスポーツ>
・高橋尚子 元マラソン選手。シドニー五輪金メダリスト。国民栄誉賞を受賞。
・貴乃花 第65代横綱。兄若花田とともに「若貴フィーバー」を巻き起こした。
・清水宏保 元スケート選手。二つの五輪で三つのメダルを獲得した。
・野村忠宏 柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる五輪3連覇を達成。
<アイドル>
・GLAY CDセールス、ライブ動員数など数々の金字塔を打ち立ててきたバンド。
・平井堅 シンガーソングライター。代表作は「瞳をとじて」など。
・YUKI 元JUDY AND MARYのボーカリスト。現在はソロで活動。
・GACKT シンガーソングライター。俳優としても活躍。
・岡本真夜 「TOMORROW」は200万枚を突破する大ヒットを記録。
・華原朋美 代表曲は「I'm proud」「I BELIEVE」など多数。
・松岡充 俳優、タレント。ロックバンド・SOPHIAのボーカリスト。
・常盤貴子 代表作に『愛していると言ってくれ』『ビューティフルライフ』など。
・竹山隆範 お笑い芸人。元カンニングのボケ担当。俳優としても活動。
・塚地武雅 お笑いコンビドランクドラゴンのボケ。俳優としても注目を集める。
・サンドウィッチマン ツッコミ担当伊達みきお、ボケ富澤たけし。
・後藤輝基 お笑い芸人、司会者であり、フットボールアワーのツッコミ担当。
・梅宮アンナ ファッションモデル、タレント。父親は俳優の梅宮辰夫。
その他
・門倉貴史 経済評論家。日本における地下経済学の権威として知られる。
・荒川弘 漫画家。代表作は『鋼の錬金術師』、『銀の匙 Silver Spoon』。
・うすた京介 漫画家。『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』などが有名。