はてなキーワード: 朝鮮人虐殺とは
本庄署では、前夜(三日夜)から保護していた朝鮮人が四十三名いたが、電話で、デマにおびえた人達から出動要請があって、警官は出はらっていた。
私が、警察に残って外からの電話に出ている時、警察がからっぽであることを見ていった奴がいたのだ。
(略)
本庄署へ引きかえしてきた三台のトラックは、朝鮮人を満載していた。私もそのトラックに乗っていたが、集まってきた群衆のなかに青木紋九郎という
ギュウタロウ(注:遊郭で客引き等を行う男子従業員)がいた。その紋九郎が、「あいつは、朝鮮人の偽巡査だ。あいつからやっちまえ」と煽動した。
それがあいずとなって、一斉に群衆が襲いかかり、あの惨劇がはじまったのだ。
(略)
惨殺の模様は、とうてい口では言いあらわせない。日本人の残虐さを思い知らされたような気がした。
何百人という群衆が暴れまわっているのを、一人や二人の巡査では、とうてい手出しも出来なかった。こういうのを見せられるならいっそ死にたいと考えたほどだ。
子供も沢山居たが、子供達は並べられて、親の見ているまえで首をはねられ、そのあと親達をはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりでひいている奴もいた。
それも、途中までやっちやあ、今度は他の朝鮮人をやるという状態で、その残酷さは見るに耐えなかった。
後でおばあさんと娘がきて、「自分の息子は東京でこのやつらのために殺された」といって、死体の目玉を出刃包刀でくりぬいているのも見た。
おとなしく送られてきた朝鮮人に民衆が集団で襲いかかり、牙をむけたところに熊谷の虐殺の特徴がある。
(略)
中心部入り口における殺戮に加わった民衆は、その昂奮をそのまま市街地へ持ち込んだ。彼らは血がついた刀、竹槍、棍棒を持って逃げた朝鮮人を探し、みつけ出しては殺す。
そこに自警のかけらは少しもない。狂気に支配されたとはいえ、血に飢えた者が獲物を捜し求め、狩りを楽しみ、みつけたら殺戮を楽しむ、というのが実相である。
殺戮は逃げた朝鮮人に向けられるだけではすまなくなった。逃げた者を探して殺すだけでは満足できなくなった殺戮者たちは、おとなしく数珠繋ぎで連行されている、
手を縛られたまま逃げる者、それを追いかける男。おとなしく縛られたままでいる朝鮮人、それを引っ立てて刀の試し斬りにする男。
自分で殺したくて、「こっちへまわせ」と息巻いている男。熊谷の町の中心部は、薄暮そして暗闇の中で殺戮のし放題であった。
まず件のネタは、馬鹿な人たちがタブーな言葉の持つ意味をそうと知らずに使うというネタで、
用いる言葉が深刻であるほどネタの威力が出ると思う。だから小林氏はそうした。
そしてホロコーストを選んだところに、他には代えがたい小林氏の実力がある。
人類史上最大級の悪事であるホロコーストは、同時に日本にとっては「同盟国の悪事」だ。
当事者だが直接の加害者ではないという、絶妙に奥ゆかしい距離感がある。
この距離感を、日本人がネタにして演じることで面白くなる事実を、小林氏は発見したのではないか。
例えば日本人が関東大震災の朝鮮人虐殺をネタにするのは、ドイツ人がホロコーストをネタにするのと同じで
ただ加害当事者が厚かましくタブーを犯しているだけで、政治や倫理の論点しか無くて浅いネタにしかならない。
また日本以外の国の芸人がホロコーストネタをやっても、スリルや緊張に欠けるし、文脈の奥行きも無い。
日本人がホロコーストネタをやることでしか達成できない巧妙なお笑いがあるわけだ。
小林氏がそれを発見したとき、彼がお笑いに誠実な人だからこそ、たとえ批判や抗議に晒されようとも
ネタを作って演じざるをえなかったのだ。
障碍者を虐待していた小山田圭吾に五輪の音楽を担当させて、政府がそれを承認し、NHKがそれを放送するわけですから、誰にも迷惑かけてない大麻使用の芸能人すべてを復権してくれないとなー。
=引用ここまで=
今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている町山智浩ですが、大麻使用芸能人を擁護する程度に留まるだなんて、パトリック・マシアスにパワハラしていた頃の町山智浩にタイム電話で聞かせたら「オメエのtweetは退屈なンだよ! 一般人がオメエに訊きてえことはソコじゃねえだろ!」と怒鳴られるのではないでしょうか?
では、一般人が町山智浩に聞きたいこととは何でしょうか? それは、小山田圭吾のイジメ自慢インタビューを擁護する人間たちが口にする「90年代にはワル自慢、悪趣味自慢を許す鬼畜系ムーブメントとでも呼ぶべき風潮が存在した」という主旨の主張に関してです。
この鬼畜系ムーブメントの有無については、90年代当時に物心ついていた年齢の人たち同士でも、認識には差と言うかグラデーションがあるようです。ムーブメントそのものの有無について、私の個人的な見解を述べると「有った」という人の記憶も「無かった」という人の記憶も、半分づつ当たっていると思います。「有った」と記憶している人は、何らかの形でその狂った風潮とその産物に触れた人間で、「無かった」と記憶している人は、そのような狂った風潮に触れなかった人間というだけのことです。
個人的見解としては、鬼畜系ムーブメントは「限られた領域の、少数の人間による、小規模の狂ったムーブメント」と言っても構わないと思います。だから、あんなムーブメントに触れたからと言って別に偉くも何ともないですし、むしろ「無かった」と記憶している、鬼畜系ムーブメントに触れなかった人の方が正常なのですから安心して下さい。
こういう鬼畜系ムーブメントに触れたことによって「自分は他の人間とは違う!」と、己が偉くなったと勘違いした人間が何をするか知っていますか?一例を挙げると、何か「切り株映画はセカイのシンジツを描いている!」とか馬鹿なことを言うわけです。耳(目?)にタコが出来るほど聞いた、この"切り株映画讃歌"の決り文句を此処で持ち出したのは、別に牽強付会ではありません。
例えば、90年代の鬼畜系ムーブメント、悪趣味系アンダーグラウンド文化を象徴するような出版物として『危ない1号』という鬼畜系ムックがあります(このムックは、90年代の半ばから終わりにかけて発行)。その執筆陣の中には、町山智浩と柳下毅一郎の名前を確認できます。
また別の例を挙げると、一部の精神疾患罹患者が示す"電波"妄想及びそれに翻弄される彼らを、特殊漫画家・根本敬が「電波系」と呼び始め、面白コンテンツとして消費するような悪趣味な風潮を生み出したことは有名ですが、この「電波系」を面白がる風潮に乗っかって雑誌『宝島』『宝島30』でも記事を掲載したり、別冊宝島を出したりしていました。その頃、彼らの言う「電波系」に該当する人が店主として経営する喫茶店に行って、店主が示す奇妙な言動などを陰で嗤ったり面白おかしく記事にしていた人間の一人に、町山智浩がいます。宝島における根本敬の担当編集者は、町山智浩でした。また、根本敬のツテで「電波系鬼畜ライター・村崎百郎」という悪趣味なギミックによるデビューを果たした編集者・ライターの黒田一郎は、ペヨトル工房時代から柳下毅一郎の友人でした。蛇足ですが、根本敬は、嫌韓/嘲韓ムーブメントを生み出した張本人の一人でもあると私は思います。
ここで幾つか例に挙げたのは一部に過ぎませんが、90年代の鬼畜系、悪趣味系の系譜を辿れば、その中に旧体制『映画秘宝』の源流の一つが有ることは確かです。あるいは、悪趣味系のムーブメントを作り出したのと同じ人間たちが生んだものこそが、旧体制『映画秘宝』と言っても過言ではありません。
さて、今回ようやく小山田圭吾は断罪の火刑場に引かれていく羽目になった訳ですが、爆笑問題の太田をはじめ有象無象のギョウカイジンは、小山田圭吾、Rockin' on、Quick Japanを擁護する為に「90年代には悪趣味系が流行ってたという、時代の空気も考慮しないと」などと言っています。
これらの擁護を見た時に私が感じたのは、関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件や、戦争当時の性暴力や虐殺のことについて「当時の時代の空気を考慮しないと」と言う人間を見た時に似た気持ちです。
百歩譲って、90年代当時「一般人」だった人間が言うならば、たとえ許容は出来なくても、まだ理解が可能です。90年代後半からはインターネットが少しずつ一般人に浸透し始めていたとはいえ、Twitterのような高い情報拡散性と手軽さを兼ね備えたSNSの普及以前には、まだ名も無き一般人が社会的な流行や風潮を生み出すレベルの情報発信を行うことは、事実上の不可能に近かったからです。また、虐殺事件などにおいて、武装した多数の暴徒を目の前にして怖じ気づいた一般人が、独りで立ち向かうことができなかったと告白・懺悔するのも、これもまだ理解は可能です。
しかし「90年代鬼畜系ムーブメントの流行」を根拠にして、小山田圭吾を擁護しているギョウカイジンの多くは、既に90年代にメディア活動、芸能活動をし始めていて「ムーブメントを作り出す、或いは、影響を与えることが可能だった立場の人間」ではないですか。「オレたちギョウカイジンは、お前ら一般人と違って、世間を動かせるんだよ!」という考えの持ち主だったはずです。例えば、爆笑問題の太田は、当時から過激な発言が売りだったのだから、得意の毒舌で小山田圭吾を「アイツ、イジメ自慢して格好悪いな!」とか攻撃することも、やろうと思えばやれたはずです。反権力的な言動がウリのミュージシャンや文化人も同様です。なのに、それをやらなかったのは、結局は彼ら自身の打算や保身が理由でしょう。ならば彼らは「90年代の時代の空気や風潮」のせいにするのではなく、せめて己自身の問題として「打算や保身、我が身かわいさから、自分という個人は、小山田圭吾の蛮行を批判せずに見過ごした」とハッキリ言うべきなのです。先に虐殺に立ち向かえなかった一般人を例に出しましたが、90年代当時のメディア関係者や芸能人が「当時の空気」と言い訳するのは、関東大震災当時に「不逞朝鮮人」などと世間を煽っていた官憲の人間が、いざ朝鮮人虐殺が起きたことの批判を受けたら「時代の空気が」と言い出すのと同じぐらいには無責任且つ卑劣だと、私は思います。
更に、小山田圭吾を擁護する人間たちを卑劣に感じるのは、彼らが小山田圭吾のしていることを勝手に「過去の話」にしようとしているからです。私は「していること」と書きました。そうです。あの暴力事件を犯して以来、そして雑誌インタビューによって一般人に広く認知されて以来、小山田圭吾は被害者に対して謝罪も償いもせず、謝罪や反省を促す一部のファンからの真摯な声さえも無視し、逃亡し続けているのですから、これは「したこと」ではなく「していること」つまり「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」です。小山田圭吾の盟友である中原昌也も、小山田圭吾のしていることを「あの頃は」と「終わってしまった過去の話」にしようと画策した卑劣な人間の一人です。渋谷系って本当にダサいですね。石原慎太郎を罵倒することは出来ても、オトモダチのギョウカイジンの悪さは批判出来ない、そんな自称"反権力"作家は、毎朝鏡を見て恥ずかしくなったりしないんでしょうか。
長くなったので、今回は一旦ここまでにします。
「バイデンが井戸に毒を入れた」という冗談が、一部の人には「朝鮮人に対する」差別煽動投稿に見えるらしい。驚いた。
これが「朝鮮人に対する」差別だと主張する模範的文書を、藤崎剛人がコラムとして公開している。(差別煽動投稿だと最初に断じた津田大介が、これが「朝鮮人に対する」差別煽動と述べているかどうかは確認していない。)
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/02/post-3_1.php]
「井戸に毒」というのは藤崎も指摘するとおり「1923年関東大震災での流言飛語を連想させる」フレーズとして選択されている。つまり、ここで連想されるのは、井戸に毒を入れる行為ではなく、「流言飛語」つまりデマという評価である。
「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。
もし関東大震災時のデマを知らずに「井戸に毒を入れた」を真に受ける人間がいたならば、彼は毒を入れたのはバイデンだと考える他なく、「井戸に毒」が朝鮮人と結びつくことはない。(そして、バイデンは日本に居らずテロリストでも無いのだから、殆どは「井戸に毒」が嘘であることに気付くだろう。加えて、バイデン大統領なら、「バイデンが井戸に毒を入れた」と信じる狂人が居たとしても危険は及ばない。)
朝鮮人の連想は、デマによる虐殺というエピソードを前提にして初めてもたらされる。
もし朝鮮人を差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。
したがって、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列は、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起させ悪質なデマに惑わされないための注意喚起を諧謔とともに表現したものと読むほか無い。朝鮮人に対する差別煽動と読む余地は無い。
ところが藤崎はなぜか、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列から、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起し、悪質なデマに惑わされないための注意喚起をしようと考えたようだ。
藤崎は、「バイデンが井戸に毒を入れた」が「井戸に毒」をネタ化したものであるとした上で、次のように述べる。
我々は、我々の社会がかつて行ってしまった民族ジェノサイドに対してどのように向き合うのかについて改めて問われている。こうした状況のもとで、「井戸に毒」をネタとして消費してしまうことは、ジェノサイドという事象の軽視であり、それは論理必然的に差別扇動となるのだ。
しかし、ここでネタ化されているのは「井戸に毒」ではなく「「井戸に毒」というデマ」である。
ここで揶揄されているのは、荒唐無稽なデマに惑わされて愚かな行動に出たかつての日本人に他ならない。
生まれ持ったものを誰にも言えない事がどれだけ辛いのかマジョリティには想像すらできないでしょうね
はっきり言ってLGBTが羨ましいよ自分を擁護してくれる非当事者がいるんだから
俺は好きになった人に告白すらできないし好きになったことがバレたら即社会的に死ぬ綱渡りを常にやってる。その辛さが普通の人に理解できるとは思えない。
俺はちゃんと自制しているから俺の欲望は誰にも押し付けてないし誰の迷惑にもなってない。それなのにただの恐怖心で袋叩きにするって関東大震災の時の朝鮮人虐殺と何が違うの?
絶対やらないと誓えるけどもし俺が本当に手を出したらその時は死刑にしてもらっても構わないと思ってる。だけど手を出してないどころかその計画すら立ててない状態で攻撃する人は人権を知らない野蛮人だろ。
自分の持つ欲望を表に出しては行けないことを知っているから出さないし死ぬまで出す気はない俺と無実の人間をボコボコに殴る奴どちらが危険かなんて言うまでもないし議論の余地もないと思う。
多くの人が言うみたいに治療して普通の女性を好きになれるなら是非その治療を受けたいけどそんな治療あるの?ロボトミー手術みたいな脳を破壊するようなやり方ならともかく性的嗜好だけを都合良く変えられる方法なんてあるのか?
何も悪いことをしてない人間を生まれ持ったものを根拠に批判する事を差別と言わないのならこの世に差別なんて一つも存在しないだろうね
増田は自分で「論点先取」と言っているけど、それは2の部分で引っかかっているからだと思う。
1に関しては迷いつつも妥当だと判断しているが、2については明確な倫理的・政治的基準を見出すことができない。
明瞭な基準がないのに不買運動が実施可能なのであれば、運動の妥当性はどこで判断できるのだろうか。
下手をすれば運動の目的がフェミニストや政権批判者の弾圧だったとしても、運動自体の成功によって運動が遡及的に根拠付けられてしまうのではないだろうか……?
という不安が増田が不買運動に引いている原因ではないかと思う。
今回の運動が成功したとして、その成功によって「成功した運動は(当の成功によって)正しく倫理的に根拠付けられている」という誤った認識が広まってしまったら、
今後、反動的なひとびと(ネトウヨとか)が悪用するとも限らないというのは決して考えすぎとは言えない……
以上、蛇足な論点整理をした感があるが、しかし俺としては根拠としてレイシズムをおくことは全く妥当だと思うし、
その点を強調することによって、不買運動が反動的な政治運動の手段として用いられる可能性を減らすことができるだろうと思う。
不買運動という手段自体の理非ではなく、どのような政治思想に対するプロテストなのかがいちばん大事な論点であると印象づけることが、
展開される不買運動の正当性を市民ひとりひとりが吟味して考えるための出発点ともなるのでないだろうか(ウエメセ)。
そのうえでこんなことを言うのもなんなんだが、三浦瑠璃は果たしてレイシストなんだろうか?
「徴兵」論も「スリーパーセル」発言も個人的には容認できないんだが、内容的に彼女をレイシストと自明視できるほどのものとは思えない。
「スリーパーセル」発言は関東大震災時の朝鮮人虐殺なんかを重ね合わせるとそういう印象を惹起するが、自明視できるほどなんだろうか。
むしろ今回の不買運動の問題点は冒頭に上げた3の論点であって、「安倍憎し、自民党の懸賞論文獲ってる三浦憎し」という感情論で
(あと検察庁法のときのハッシュタグ運動の成功の二匹目のドジョウを性急に探してる感)
俺も三浦は嫌いなので気持ち的には「ざまあ」なんだけど、そういう感情論を無理筋の正義で隠蔽するのは魔女狩り的では?って思う。
都知事候補は全員終わってるらしんだけどよくわからんので調べた
政策の比較とかはもう出回ってるからこの文章では全員の個人的な嫌なポイントを挙げていく
よくよく考えると、ひとりの人生をころっと変えることのできる権利を持ってるのはガチでいかれてるよね
その権利は存分に味わいたいと思う
(届け出順)
子宮頸がんワクチンの撤廃とか東日本の大震災のときも放射能の知識の低さが露呈していた。
常套手段である、ひとりのこまった人を取り上げて「ストーリー」で推してくる
今回のコロナも科学的だったり、課題の整理と視覚化に問題があったから、この人にそれができるのか?
総理大臣になりたいらしんだけど、それと立候補矛盾してないかってことに対する文章がポエム過ぎて読めなかった
女帝読んだ。百歩譲って学歴詐称がなかったとしても、なんでこの人が都知事になれたのかがまじで意味不。
誰が入れたの?
同性パートナーとか、外国人地方参政権とかあんまり好きじゃない話に関しては
国政の問題とか言って明確な考えを示さないところに人間性が出ちゃってる
ほんとに同性パートナーを認めたいんなら、知事でも都に証明制度導入できるんじゃないの?
所属政党がもろに宗教の政党だからその時点で嫌なんだけどおまけに軍事力高めていこうってとこがもうヤバい。
オリンピックの損害賠償を中国に対して求めるっぽいですけど、発想がぶっ飛んでます。非科学的。
と思ったら出るの辞めたんだね
コロナ対策はPCR検査の拡充を第一にしてて、疑問。非科学的なところがある。
問題点を潰していくのは得意そうだけど、いい感じにしていくのって大丈夫?できる?
歩くヘイトスピーチ。
とにかく差別発言を繰り返す。韓国とか中国とか嫌いな人にとってはもう大スター、まじできつい。
込山 洋(無所属)
毎月8日がスマイルデーにしようってんだけどそれはきついよ。いい人なんだろうけど政治能力があるとは思えない。
恋愛、婚活に関する支援が謎。結婚式代、100万円出すってそこじゃないだろ。
差別してない?って指摘されて韓国人の友達もいるって答えるあたりこれまでの政治家の嫌な雰囲気をまとってる
ラジオの取材で「関東大震災をめぐる朝鮮人虐殺に対する追悼メッセージ」に関する問題に無回答だったのが怖い
なんとか言えよ
こんな時代の転換点で消費税廃止と横田基地問題と電柱のことしか公約にないって、どんなだよ!
自分の主張を伝える場所として都知事選使うにしてももうちょいやり方あるだろ。
政治に興味を持ってもらうために出てるとのことでありがとうございました
こんなパフォーマンスでしか興味持てないって思われてんのか、舐めんな
でも事実なんだろうな、悲しい
総合大学を作ろうって考えてるらしんですが、もう大学はこれ以上いらないです。
そのナンセンスぶりが冴えてる。
これまたラジオの取材で「物まね禁物(中略)日本流で考えることが一番。(中略)日本の文化、思考力は世界一」
と語っていて、昔の人感がすごい
押越 清悦(無所属)
選挙ポスターに「武漢肺炎」の表記、おはようございます!差別主義者
中国に対してコロナの賠償求めるし、関東大震災の虐殺もなかったという思想。。。
言いたいことがあるなら出てもいいけどホリエモンの宣伝ってスタイルどうなの
なんか正論というかみんなが言えないことを言ってるという気持ちなんだろうけどただの差別
貧困は深刻だし、人間は醜いかもしれないけど、それをどうするか聞きたいんだよね。
外国人地方参政権に関しては有権者で決めろって最終的にはそうだけど、お前はどっちでもいいってなんだその意見。
今回の選挙の争点で衆院選の話をしてる時点であざしたという感じ
立花もそうだけどヤバい奴ってすぐに人工コントロールしたがるよな
国債を一切発行したくないらしんだけど?問題はそこじゃない気がするぞ。
外国人地方参政権については反対で、理由は「ここは日本」だからひょえー。
新型コロナの特効薬を開発してもらえたらしいです、ありがとうございます。
「日本人が朝鮮人虐殺したというのですか?そんなことは絶対にありません。」
長澤 育弘(無所属)
処方箋の話はわかりました
都知事じゃなくても良くない?
2先のある若者
5中堅
6その他
8年配者
2の世の中に役立つっていうのが怖くない?わざわざ入れるあたりがこわい
その他以下の引きこもりってのもすごい
仮にインフルエンザと同程度だったとしても、一個そういう病気が増えたら医療現場は大変になるよ、そりゃ。
自粛の度合いの話ではなく、ただの風邪と言ってしまうその言語能力の低さがヤバい
今のままで良くない?てか、外国での失敗例とか知ってるよね?
参考リンク
さべつ
discrimination
特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為をさす。その差別的行為の対象となる基準は自然的カテゴリー (身体的特徴) の場合もあれば,社会的カテゴリー (所属集団) の場合もあるが,いずれにせよ恣意的な分割によって行われる。現代フランスの社会学者 R.ジラールはスケープゴート (贖罪の山羊) 化の理論によって差別現象のメカニズムを解明した。それによると社会の危機状況にみられる相互暴力のカオスを回避するために,無際限な暴力の拡散を恣意的に選択された特定の個人あるいは集団に集中させる犠牲の論理 (第三項排除) が差別現象の根底にあるとされる。たとえばドイツの社会不安に乗じてナチス政権が利用した反ユダヤ主義,関東大震災直後の朝鮮人虐殺などがスケープゴート化の現象として考えられる。こうした原初の排除効果が制度化されたものとしてアパルトヘイトなどにみられた居住地域や交通機関における差別的待遇がある。現在,アメリカの公民権運動の成果から人権の観点に基づく差別撤廃の動きが世界的な規模で展開されつつある。