2021-08-31

関東大震災時の朝鮮人虐殺さいたまーの鬼畜っぷりが凄い。子供達は並べられて親の見ているまえで首をはねられる😱

本庄署では、前夜(三日夜)から保護していた朝鮮人四十三名いたが、電話で、デマにおびえた人達から出動要請があって、警官は出はらっていた。

私が、警察に残って外から電話に出ている時、警察からっぽであることを見ていった奴がいたのだ。

(略)

本庄署へ引きかえしてきた三台のトラックは、朝鮮人を満載していた。私もそのトラックに乗っていたが、集まってきた群衆なかに青木紋九郎という

ギュウタロウ(注:遊郭客引き等を行う男子従業員)がいた。その紋九郎が、「あいつは、朝鮮人の偽巡査だ。あいからやっちまえ」と煽動した。

それがあいずとなって、一斉に群衆が襲いかかり、あの惨劇がはじまったのだ。

(略)

 惨殺の模様は、とうてい口では言いあらわせない。日本人の残虐さを思い知らされたような気がした。

何百人という群衆が暴れまわっているのを、一人や二人の巡査では、とうてい手出しも出来なかった。こういうのを見せられるならいっそ死にたいと考えたほどだ。

子供も沢山居たが、子供達は並べられて、親の見ているまえで首をはねられ、そのあと親達をはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりでひいている奴もいた。

それも、途中までやっちやあ、今度は他の朝鮮人をやるという状態で、その残酷さは見るに耐えなかった。

後でおばあさんと娘がきて、「自分の息子は東京でこのやつらのために殺された」といって、死体の目玉を出刃包刀でくりぬいているのも見た。

おとなしく送られてきた朝鮮人民衆集団で襲いかかり、牙をむけたところに熊谷虐殺の特徴がある。

(略)

中心部入り口における殺戮に加わった民衆は、その昂奮をそのまま市街地へ持ち込んだ。彼らは血がついた刀、竹槍、棍棒を持って逃げた朝鮮人を探し、みつけ出しては殺す。

そこに自警のかけらは少しもない。狂気支配されたとはいえ、血に飢えた者が獲物を捜し求め、狩りを楽しみ、みつけたら殺戮を楽しむ、というのが実相である

殺戮は逃げた朝鮮人に向けられるだけではすまなくなった。逃げた者を探して殺すだけでは満足できなくなった殺戮者たちは、おとなしく数珠繋ぎ連行されている、

拘束されている朝鮮人へも攻撃の刃を向けるようになった。

手を縛られたまま逃げる者、それを追いかける男。おとなしく縛られたままでいる朝鮮人、それを引っ立てて刀の試し斬りにする男。

自分で殺したくて、「こっちへまわせ」と息巻いている男。熊谷の町の中心部は、薄暮そして暗闇の中で殺戮のし放題であった。

熊谷町内で殺された朝鮮人の数は、およそ70~80人と推定されている。

https://vergil.hateblo.jp/entry/2018/10/03/204724

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