はてなキーワード: 同義とは
最近トランス女性が女湯や女性トイレに入りたがってる話題をよく見かけるけど、手術しようがなんだろうがトランス女性は一生“女性”にはなれない。
それは例えば先天的・後天的に身体の一部を欠損している障害がある人が、義手や義足をつけようが障害者であるのと一緒。
トランス女性・男性は、“トランス女性”“トランス男性”でしかない。
「手術をして女性になったんだ!」なんてことはない。
女性から見ればただの“元男”という存在であって、それ以上でもそれ以下でもない。
差別主義者と言われようが構わない。なぜならこれは差別ではなく区別だから。
腕や足がない人が「自分達には腕がないのに、あなた方に腕があるのは差別だ!」と言えば明らかにおかしいのがわかるのに、なぜLGBTになるとこれがまかり通るのか不思議でならない。
「LGBTだから」という理由で人権侵害されるのは確かによくない。
例えばそれを理由に就職ができない、家を借りられないなどの不利益を被るのはおかしい。
ただ、LGBTではない一般の人間でも就職や家を借りるのが困難であったりする場合もある。
そのような誰にでも有り得るようなことを「差別だー!人権侵害だー!」と叫び、ごね得を狙っているLGBTの方々は自分達を惨めに思わないのだろうか。
「普通の女性・男性のように扱ってほしい」と望みながら、ごね得を狙う。
つまり自分達は特別扱いしてもらわなきゃいけないような存在であって、女性でも男性でもないと言っているのと同義なのに。
もちろん全てのLGBTの方がそうだとは思ってない。
一部の変な声の大きい人のせいで迷惑している人も大勢いると思う。
ただ、声が大きい奴の言うことが通りやすい傾向にあると思う。
あのような変な人達の変な主張が一生通ることがないように祈ってる。
https://togetter.com/li/2026717
『特約で入居者負担』になってる場合、『ガイドライン<特約』になるので注意。特に、鍵交換代や、クリーニング代は入居者負担になってる契約の方が多い。(都内は9割以上が入居者負担)
必ずしも『ガイドライン<特約』ではない。ガイドラインを良く読むと、特約が成立するには条件がありそれが満たされていない場合は無効と判断されうる。
事実、増田は少額裁判を起こし敷金分ギリギリ請求されていた退去費用全てを主張通りに取り戻せた(全面勝訴)
それを可能にするロジックに触れつつ、誰かの参考になればと思い自身の裁判記録を書きます。
原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)国土交通省
特約について
賃貸借契約については、強行法規に反しないものであれば、特約を設けることは契約自由の原則から認められるものであり、一般的な原状回復義務を超えた一定の修繕等の義務を賃借人に負わせることも可能である。しかし、判例等においては、一定範囲の修繕(小修繕)を賃借人負担とする旨の特約は、単に賃貸人の修繕義務を免除する意味しか有しないとされており、経年変化や通常損耗に対する修繕業務等を賃借人に負担させる特約は、賃借人に法律上、社会通念上の義務とは別個の新たな義務を課すことになるため、次の要件を満たしていなければ効力を争われることに十分留意すべきである。
①特約の必要性があり、かつ、暴利的でないなどの客観的、合理的理由が存在すること
ここが基本的な考え。特約を設けることや契約するのは自由、ただ特約は大家に有利(修繕義務を免除)になる方向にしか働かないため、3つの要件を満たす必要がある。ふむふむ。
文はこう続く。
〜中略〜
したがって、仮に原状回復についての特約を設ける場合は、その旨を明確に契約書面に定めた上で、賃借人の十分な認識と了解をもって契約することが必要である。また、客観性や必要性については、例えば家賃を周辺相場に比較して明らかに安価に設定する代わりに、こうした義務を賃借人に課すような場合等が考えられるが、限定的なものと解すべきである。
なお、金銭の支出を伴う義務負担の特約である以上、賃借人が義務負担の意思表示をしているとの事実を支えるものとして、特約事項となっていて、将来賃借人が負担することになるであろう原状回復等の費用がどの程度のものになるか、単価等を明示しておくことも、紛争防止のうえで欠かせないものであると考えられる。
このほか、特約に関する具体的な解説については、Q&A の Q3(P.38)、Q16(P.45)を参照されたい。
おおーなるほど、特約を設ける場合は賃借人に充分理解してもらってから契約しないとだめ。それには単価や範囲などを明示することが欠かせない、ということ。
では、最も重要な箇所、Q16 (P.45)を見てみよう。増田はこのQ 16を読んで勝利を確信して訴訟に踏み切った。
Q16: 賃貸借契約にクリーニング特約が付いていたために、契約が終了して退去する際に一定の金額を敷金から差し引かれました。このような特約は有効ですか。
A: クリーニング特約については①賃借人が負担すべき内容・範囲が示されているか、②本来賃借人負担とならない通常損耗分についても負担させるという趣旨及び負担することになる通常損耗の具体的範囲が明記されているか或いは口頭で説明されているか、③費用として妥当か等の点から有効・無効が判断されます。クリーニングに関する特約についてもいろいろなケースがあり、修繕・交換等と含めてクリーニングに関する費用負担を義務付けるケースもあれば、クリーニングの費用に限定して借主負担であることを定めているケースがあります。
後者についても具体的な金額を記載しているものもあれば、そうでないものもあります。〜中略〜他方、(畳の表替え等や)「ルームクリーニングに要する費用は賃借人が負担する」旨の特約は、一般的な原状回復義務について定めたものであり、通常損耗等についてまで賃借人に原状回復義務を認める特約を定めたものとは言えないと判断したものもあり、クリーニング特約が有効とされない場合もあることに留意が必要です。
①〜③が重要。負担内容を契約書に詳述し、通常損耗を超えるという認識を契約者と合意をとり、ボらないこと。判例を見ると価格テーブルや金額目安が書いていないと認められない模様。
即ち、この3つの要件が満たされていないクリーニング特約は無効にできる場合がある。
増田の場合は①②が満たされていないと判断し、法廷で充分戦えるだろうと踏んだ。
②→ 契約時に趣旨の説明なし、具体的範囲や金額の説明は文面でも口答でもなかった
また、次章の「4. 原告(増田)の主張」で述べているように「原状回復」という言葉に対する理解の食い違いもあった。
仲介業者「詳細はお知らせできません。本当はこの3倍くらいしたんですが、それだと増田さんが可哀想なので大家さんに泣きついてどうにか敷金で収まるよう下げていただいたんです。私、実はこの1ヶ月裏で結構大家さんと交渉してたんです。これでご納得いただけないと大家さんの気が変わり当初の3倍の金額まで戻る可能性までありえるんですが、増田さんはそれでも大丈夫ですかね?」
なに脅してくれちゃってんのこいつ、と思い一旦電話を切る。提出済の請求書を賃借人の態度がきにいらねーから増額する、なんてことが自身の仕事倫理になかった&単純にむかついたため正当性を調査したところ国交相のガイドラインを発見。以降、電話は全て無視してメールに一本化。
下記理由から項目1,2,4は無効、3のみ支払いたい。従って、大家は敷金11万円から1万2千円を引いた9万8千円を増田に返金せよ。
裁判所では色々教えていただけた。訴訟金額に応じた数千円の切手の購入が必要だったが、最寄の郵便局で裁判所用パックとしてありなんなくクリア。「請書」及び「事件受付表」を受理
- 原告は、被告の原状回復費用の請求について、別紙退去時精算書の修繕項目中、ルームクリーニング、エアコンクリーニング、収納面壁クロス張替費用を除く費用は原告の負担となることを認めている。
- 前記収納面壁クロス張替費用については、これを通常損耗を超える特別損耗と認めるに足りる証拠はない。よって、当該費用は賃借人である原告が負担すべき費用とは認められない。
- 被告は、ルームクリーニング費用とエアコンクリーニング費用について、原告が負担すべき特約があると主張する。
しかし、本来特別損耗には当たらない通常損耗を賃借人に負担させるということは、賃借人に予期しない特別の負担を貸すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することとなる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項事態に具体的に明記されているか、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。
確かに、本件賃貸借契約書及び重要事項説明書には「退去時、ルームクリーニング費用(エアコンクリーニング含む)等の原状回復費用は乙の負担とし、敷金より相殺するものとする。」との記載がある(甲1)が、賃借人において、通常損耗ではあるもののその補修費用を負担することととなる範囲及びその旨の合意が一義的に明白であるものとは認められず、当該費用は賃借人である原告の負担となるものとは認められない。
- したがって、原告が負担すべき原状回復費用は、〜略〜 xx万xxxx円となる。
- よって、原告の請求はxx万xxxx円の限度で理由があるので認容し、その余は理由がないので棄却することとして、主文のとおり判決する。
面白いことに、増田の一つ目の主張である「原状回復」に関する認識の食い違いは全く触れられていない。変わりに二つ目の主張である「契約時の特別損耗負担および内容範囲の説明不備」が全面的に支持され、増田が自身に責任があると申告した項目3以外は全て返金せよという主文に。ガイドラインのQ16に書いてあることがそのまま反映された判決となっている。
これ「人は死のうと思えば死ねる」をもったいぶった言い方にしただけでなんの反論にもなってないけど?
はい。私の元々の主張を曲解されないよう懇切丁寧に言い換えました。それを改めて提示する事で、この元々の意見に対する「成功率の低い自殺方法も存在する」という反論がいかに的外れであるかを理解して頂きたかった次第です。
>一番大事な結果の部分が同じなら安楽死にこだわらなくても良いんじゃないの」という話をしていたの。
→だからぁ、結果は同じでも苦痛と成功率の問題があるから安楽死という概念があるってわからない??何度も言うけどお前は妄想だけで語ってるから無意識のうちにその辺の問題を軽視してトンチキな結論に至るんだよ
「結果は同じでも苦痛と成功率の問題があるから安楽死という概念がある」という意見は「自殺は苦痛から逃れられない。ゆえにその苦痛を減らす事が安楽死の意義である」とほぼ同義だと思います。「成功率が考慮されていない」といった些末な揚げ足取りはご遠慮頂けますと幸いです。あなたの主張を理解した上で、この場においてそれは的外れだと申し上げました。
>それに対して「自殺は苦痛から逃れられない。ゆえにその苦痛を減らす事が安楽死の意義である」っていうのはちょっと論点が離れてんじゃないの。
これこそが安楽死のいちばん重要な論点だろwなんのために「安楽」って付いてんのw あ、電気椅子が安楽死だと思い込むレベルだからしゃーないかw
その主張自体が間違っていると言っているのではなくて、「自殺は結果が最も重要であるという仮定に立つのであれば、安楽死にこだわらず自殺を選べば良いのではないか」という話をしている時の反論としては的外れだ、とという意味です。あなたの反論が持つ機能は「自殺は結果が最も重要である」という「仮定」の部分に異を唱えることですが、その否定を支持する根拠は何ら提示されていない。安楽死もまた自分の意志で死を選ぶという意味での「自殺」に違いなく、であれば仮定から「結果が最も重要になる」であると導き出され、これは「安楽死の意義が過程の苦痛を減らす事にある」という事と矛盾しない。「安楽死は自殺の過程の苦痛を減らす手段であり、かつ死という結果がもたらされる事が最も重要である」という主張は破綻していない。ゆえに反論としては的外れでしょう。
>だからさぁ、「なぜ自殺ではなく安楽死なのか」っていうテーマで「死のうと思えば死ねるという事実はある」から「自殺すればいいんじゃないの」って明らかに何も考えてないじゃん
これは以下の文脈のとおりだと思うんだけど、どこが文脈無視なの???文盲はどちらかな?
>でも死にたきゃ死ねる訳だし、(良い悪いという規範の話はさておき、人は死のうと思えば死ねるという事実はある)悲しまれたり迷惑がられたりネットで叩かれたり勝手に追悼されたりする可能性を踏まえた上で死にたいなら死ねば別に良いと思いますけどね。
方法がなんであれ、人は自殺をすれば迷惑をかける。それが自殺を踏みとどまる一因として考えられる。しかし規範とは別に人は死のうと思えば死ねる事実がある。それを行使しようと思えばできるのだから、人から煙たがれる事を自覚した上でも(あるいはせずとも)行使したければすればよい。という、「個人的な考え」としっかり前置きした私の元々のスタンスです。全体の、人がなぜ安楽死を求めるかという動機に関しての勝手な想像を踏まえて上での結論としてこうあるべき、という規範を提案したという訳ではありません。
これ「は」以下の文脈のとおりだと思うんだけど、ってもう言外に他のがほとんど文脈を無視してるって自分で言ってるじゃないですか。
筋の悪い部分をしっかり無視した切り取りによる無理筋のすり替えの反論、誠にありがとうございました。
人はいきなり喧嘩腰で難癖をつけられたら気分を害されて言葉遣いが悪くもなります。
元増田言ってたのは別の人ですよ。って言っても無駄なんだろうけど。
バカを言い負かそうとして気持ちよくなってやろうと思った私が悪かったです。バカは自分の主張の的外れさに気付けない、あるいは認められない。そして自分の失礼な言葉を撤回する事もしない。そのため、話を切り上げるには私がバカを言い負かすのを諦めて早々に話を切り上げるべきであったところ、大人げなく言い返していたために無駄な時間を使わせてしまいました。大変申し訳ごさいませんでした。
1,2に関してはほぼ同義だが、つまり現在のマスメディアは報道機関ではなく(会社はもちろん政府や警察の)広報機関に成り下がっており、記者の考えを世に示すということができなくなっている。これは記者や権力者が保身や個人的な利益の確保に走り、中立性を笠に着て意見を述べることを避けてきた(無記名の記事や「ネットではこのような意見も出ている」というような言い回しがまさにこれである)ことに起因する。なので当然、都や共産党を敵に回すような記事はもし正義感のある記者や問題点に気づくことのできる記者がまだ存在したとしても書くことができない。
日本において支援はパターナリズムに陥りやすく、"してやっている"という構図にすることで権威を帯びたり利益を得たりすることに利用され、それはまさに差別であり搾取構造を形成する。未だに女子アナなどというものを売り物にしているマスメディアが男尊女卑企業なのは疑いようがなく、そのような会社は弱者女性に支援"してやっている"団体とは差別の温存という目的を共有しているので、都合の悪い記事を書くことがないというのが3である。
「動物と人が同等というより、動物と人の扱いを分けていい合理的理由がない」
同等にみることと、扱いを分けないことって同義だと思ってたんだが…違うのか?
それと世話好きの延長だとは自分も思ってない
ただし動物と人で分けてる
もにょるは今年の新語にもう選出されていたっけな、されているはず、ぐぐってみよう
第2位に「モヤる」が選出されている
選評によると「負の感情の婉曲表現」と解釈されており、「モニョる」と同義語とみなされている
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo2018/2018/Preferenceall.html
トラブル回避のための婉曲表現が不快に思われることがあるというのは皮肉な話だ
あったあった、これだ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221212001011
なので不機嫌な人を見ると(不機嫌な人が意を汲んでほしいと思っている思っていないに関わらず)その意を汲んで動くことを強要されていると感じてしまう人間の話
私が不快感を覚えた、という自身の感情にフォーカスを当てた言葉
構造が同じなので攻撃のニュアンスを読み取る人が出るのも仕方ないか……
モニョるは「私の腹の中にモニョモニョする居心地の悪さを私は感じている」
さすが婉曲表現
https://anond.hatelabo.jp/20221217022547
その「性的」にあたるとどうしてまずいの?とか
話の開始地点になるような最低限の当たり前の質問に対する返答を逃げ続けてきた集団がいるわけじゃん。
これはあらゆる場面において言えることだけど、
自分の主張内容とか、自分が使う言葉の定義とかは、何聞かれても自分で説明できないとダメなのよ。
これを了解できない奴は男とか女とか以前、根本的な責任能力が成人ではなくねーか?
じゃあ以後黙れってなっちゃうわけよ。
「性的」が何を意味するのかは発言者やその支持者たちがガチっと定義して公開しなきゃいけないことなんよ。
第三者のお前が「この人達の言う性的ってどういう意味なんだろー?」とか推理して発表してる時点で異様な事態なのよ。
その騒動の人達はちゃんと説明してるかもしれんから迂闊なことは言わん。今から調べる気力もない。
けど大声で色々喚く割にそういう最低限のことすら全く説明できない人というのがこれまでに多く居たわけじゃん。
は?そうなの?
俺男だけどそんな定義は賛成しねーわ。
何よりさ、この場合の「性的」はジェンダークレーマーが言ってる彼女等の言葉なんだから
その定義は無関係かつ男であるお前なんかに決められるわけないじゃん。
それはジェンダークレーマー及びそれに同調する女たちにしか説明できないことなんだよ。
すると「つまり気持ちの問題ですね」「好き嫌いの話ですね」で終わりだよね。
これはなんでもそうでしょ?
仕事の書類でも契約書でも意味はっきりしない文節や単語が先方から出てきて
「ここの説明お願いします」って言ったのに説明も出来ねえで黙り込むんなら
その箇所削除させるしかないよね。
だからそういうのをクレーム者当人やその賛同者以外の人間が推測してるのがおかしいんよ。
「じゃないかと思う。」じゃねえんだよ。
人の内心を勝手に色々と推し量ったり想像したりするのはやめろ。
それは当人達が自分の頭と言葉で説明しなきゃいけないことだから。その人達の責任と権利だから。
なんで毎度毎度毎度毎度
男が「こうなのかな?」「こういう気持ちなのかな?」「この言葉の意味ってこうで合ってる?」って推し量ってあげないといけないの?
少なくともその種の場面においては過失割合10:0で女が悪いぞ?
例えばスカートの中が見える角度で座ってるやつ、男性がスカートの中を覗こうという「心理で」この角度に来たなら、「犯罪かよ!」ってなる。
いま読んでてはっきり感じたけど、これ男の側も悪いんだよな。
お前ってその人と親しくて気持ちを知ってるとかでもなんでもないただの無関係な男なんだろ?
「こういいたかったんだよね」
とかなんでお前が色々くみ取ってあーでもないこーでもないしてるの?
お前相手が男でもそういうことやるか?
第三者の立場で、お前がやってるような介護受けてる男見たら一人前の人間だと思うか?
思わないよな?
お前のやってることには女性蔑視が入ってるんだよ。
明らかに、相手を未成年とか半人前とかだと思ってなければやらないような”優しさ”が出てきてるんだよ。
そこに悪意とかはないと思うから責めんけどね。
でも自覚はすべきだろ?
成人の発言に対して勝手に推測や汲み取りや斟酌や忖度や補足をするのをやめろ。
そういうことされてるとちゃんと説明する意思のある発言者にとっても邪魔で迷惑。
反論やツッコミに対する説明も当人のものを要求して待つのが正しい。
それ以外のことはすべきでない。
それはもう男だろうが女だろうが以後「そーゆーヤツ」として扱えばいいだけ。
お前が元議員のこと知りたいんなら当人にちゃんとした質問を投げるか、説明が出るまで待つかしろ。
議員までやった人間に”やさしさ”を発動するな。それは無礼だし邪魔だ。
その人に説明足りてないことがあると思うならただキュー入れて待て。
勝手にお前が回答するな。
炎上の主原因は男女で「性的」って言葉が意味するところが違う事じゃないかと思った。
増田を含め、多くの男にとって「性的」という言葉は「露出度が高い」とほぼ同義だ。
だから『咲』の広告が「性的か?」と聞かれたら、「性的ではあるけど、そこまでじゃない(だって露出が少ないから)」となるし、
「下着の広告の方が性的じゃないか!!(だって露出が多いから)」ってなる。
一方で、尾辻元議員(や、それに賛同する女性)のいう「性的」って言葉は、もっと「心理的」なものじゃないかと思う。
例えばスカートの中が見える角度で座ってるやつ、男性がスカートの中を覗こうという「心理で」この角度に来たなら、「犯罪かよ!」ってなる。
要は尾辻元議員は「男がスカートの中を覗こうって下心がキモい!」と言いたいのだ(と思う)。
なのにそう言わずに「性的だ」と言ってしまったから、この発言を「露出度が高い」と翻訳されて炎上したんじゃないだろうか。
最後に少し別の話。
これを男性が見えるところに置くのは男性蔑視だとすら感じる(煽りや誇張でなく)。
だって露出度が高い性的なものを女性の広告主から無理やり見せられてるから。
女性だって男性から裸の写真とか無理矢理見せられたら、嫌でしょ?
…って思いの丈をそのまま語ったから、結論がないけど、まとめると、
1. いらぬ炎上が起こらないよう、「性的」って言葉は気をつけたほうがよいよ
2. 実は男性の方は男性の方で下着の広告とかに本気で怒ってたりする(少なくとも私は)
とかでしょうか。
『このマンガがすごい!2023』の4位になったらしい名作なんだ
月曜にジャンプラで電子版が公開されてたので読んでみたが、めちゃくちゃ面白い!!
そして、続きが読みた過ぎるし、電子版じゃなくて紙の単行本が欲しいわ!ってなったので本屋に行って4巻を買ってしまった
単行本買ったのなんて鬼滅の最終巻以来だよ(ブームの中、最終巻だけ買った)
こんな面白いマンガ、読まずに過ごしていくのは絶対に損だと思うので、プレゼンしていくぞ!
読んだことない人への布教のつもりだから勿論ネタバレには気を付けるけど、面白みの紹介のためには序盤数話分はどうしてもストーリーに踏み込む必要があると思う
そこは申し訳ない
https://shonenjumpplus.com/episode/316190246999430065
…では、いいかい?
「話」と意味は変わらないのだけど、「話」よりも「噺」のほうが「語って聞かせる物語」的なニュアンスが強い漢字となる
現代で「噺」の漢字が使われる場面は「噺家(はなしか)」くらいかなと思う
「噺家」とは物語を語って聞かせる職業の人で、ほぼ落語家と同義語
これは主人公の少女「あかね」の、「あかねに関する物語」という意味と、「あかねの語る落語」という意味のダブルミーニングだと思う
長くなりそうだから章立ててくよ
じゃあ序盤のストーリー、少しだけ要約するよ
志ん太は落語家の階級としては中堅で、最終ランクである「真打」への昇進を目指している
中堅どころなので稼ぎはよろしくなく、妻、つまりあかねの母の稼ぎで家計が成り立っている
父はヒモだとクラスの男児にからかわれてケンカするほど、あかねは活発で気が強く、父を大切に思っている
そしてあかねは家で練習をする父の落語が大好きで、幼いころから父の真似をして、落語に親しんでいた
志ん太は家族のためにも、真打へ昇進するための最終試験に挑むことになる
落語家一門の「阿良川一門」の重鎮たちが揃う中、昇進試験の落語を行ったが、阿良川のトップ、阿良川一生がなんとその日の受験者を全員破門にする
それ以降、志ん太は落語家を続けられなくなり、一般企業に就職し、経済的にはむしろ裕福になった
そしてあかねは高校生になり、父の落語を認めさせるためにも、落語家への道を進んでいく…
というのが第一話
まず、落語マンガではあるのだけど、バトル物かと思うくらい、ライバルやラスボスの描き方がうまい
最後までラスボスがヴェールに包まれてわからないようなマンガも多くあると思うけど、このマンガは第一話からラスボス阿良川一生がはっきりと描かれ、そこに向かってあかねが成長していくような熱い展開となっている
ラスボスを隠すパターンは謎解き感が演出されるのに対して、ラスボスがはっきり序盤で出てくるとそこに到達するときの盛り上がりがすごく熱くなる
父はその後もちゃんと生きているはずだが、マンガではその後単身赴任として描かれず、バトルマンガで言えば「父は阿良川一生に殺された」状態
まあ落語家としては殺されたんだけど
ラスボス阿良川一生と父、またあかねとの因縁がこれ以上なくはっきりしてて、かつ、阿良川一生は落語界最大の重鎮
それに加えて、志ん太の元師匠で、今のあかねの師匠である阿良川志ぐまも、何やら阿良川一生と因縁があるようで?ここははっきり描かれていない伏線になってそう
おそらく中ボスという感じで、あかねと年齢は近いけど、天才的な実力で若くして中堅ポジションに昇格したカリスマ落語家で、阿良川一生の弟子
この辺の演出は本当にバトルマンガ王道物って感じの熱さがあってすごくいい
ジャンプと言えば努力→友情→勝利だけど、あかね噺もそのパターンが組み込まれている
そしてそのサイクルがめちゃくちゃスピーディに展開する!
あかねが壁に当たる→兄弟子のふんわりした助言→あかねの解釈、努力→成長!
だらだら失敗したり、だらだら修行したりしない
何か掴んだ描写があったら、その後の練習は描かず本番に移るので、ダレるタイミングすらない!
こんなにグングン成長していく様子が、読んでて気持ち良くないわけがない!
ここの展開の速さが、このマンガにぐいぐい引き込まれる最大の要因だと思っている
ここまで読むと、王道バトル物をスピーディな展開で飽きさせないだけなのかな、って感じたかもしれない
当然それだけじゃないんだわ
ちょっと専門的になるけど、ここを書きたかったからこの増田を書いているので頑張ってついてきてね
このマンガの最大の魅力は「劇中劇」がふんだんに盛り込まれながらストーリー展開するところだ
「劇中劇」とはなにかというと、「作中作」とか「物語中物語」とかいわれるように、お話の中にさらにお話が入れ子になっている構造を指す
「あかね噺」という物語の中で「饅頭怖い」という落語が語られれば、それは物語の中の物語なわけだ
で、その劇中劇がなんだってんだよ、と思うだろうけど、劇中劇で語られる物語が、外枠の物語とリンクすることで、物語中で語られない意味合いを伏線として提示することもできたり、外枠の物語で登場人物が感じていることを劇中劇の人物がリンクすることで強調したりすることもできる
つまり劇中劇を上手に使えば、本編で深く語らない内容を読者に伝えることができるようになる
「あかね噺」は落語マンガなので当然、物語中に落語を演じる場面が多く出てくる
もちろん知らない人のために、最低限の演目の内容紹介はある
さらっと読むにはそれでじゅうぶん足りているし引っかかりもない
しかし、この劇中劇である落語が分かると、めちゃくちゃマンガの解像度が増すんだ
読者もyoutubeなどで探せばどの落語も全編視聴することができるし、その演目の見せ場や意味も読者はネットで調べて知ることができる
ぜひ、一度マンガを読んだ後、時間がある時に扱われている落語を視聴してもらいたい
そしてもう一度マンガを読んで欲しい
例えば冒頭の場面、あかねの父、志ん太が寄席で演じて、さらに帰宅後にも練習する演目は「大工調べ」という落語だ
これは経済的に貧しくて家賃を滞納した人物が、大家に商売道具である大工道具を取り上げられ、大工の棟梁と一緒に大家に道具を返してくれるよう交渉するという話だ
これは、落語でほとんど稼げない志ん太そのものの立場と重なっているし、商売道具を取り上げられてしまう未来を暗示しているとも読める
(その後最終的には奉行所までいって道具は取り戻すストーリーなので、最終回では大工の棟梁=あかねが父の落語を取り戻す、つまり父の落語(のもっと上の師匠の落語?)を継承するエンドの暗示かもしれない)
日々真面目に働かない亭主がある日、浜で大金を拾ってきて、大酒飲んで寝てしまったので、妻が大金を拾ったのは夢だということにして金を隠し、亭主が真面目に働くように訴える
その日から更生し、財を成したある日、あの時は夢ではなく妻がお金を隠して亭主を騙したことを告白し謝るが、亭主はお前のおかげで身を立て直せたのだと感謝する
そんな人情話だ
これがなかなかすごい
志ん太は芝浜の亭主とは逆で本当にまじめで、家族のために昇進したいと、真面目に芸に取り組んだ試験だったのに、その挑戦は夢と散るという、芝浜のストーリーとは逆の構造を見出せすことができる
しかし、経済的な意味では芝浜と同じで、落語なんて食えないことをやってたのが、夢から覚めてサラリーマンになって稼ぎが増えた、とも言える
この場面の志ん太と、芝浜の対比を考えるだけでいくらでも飲めそうな話になっている
これはこんな話
みんなが何かしら怖いものがあるだろう、と言いあってた時、何も怖いものなんかないと言い張る男がいたので、さらに追及すると、本当はまんじゅうが怖いと言い出した
そして寝込んでしまったので、もっとからかってやろうとみんなでまんじゅうを買い集めて、男の枕元に並べた
起きた男は、怖いーとおびえるふりをしながら美味しくまんじゅうを食べてしまった
怖い怖いと言ったらみんながまんじゅう持ってくるだろうと思っただけで、本当はまんじゅう大好きだった、という話
つまり、怖いものなしの無敵感満載の男が躍動する滑稽話なんだけど、これをあかねが初舞台で堂々とやるわけさ
いやもう、これで終わらずずっとこの調子で色んな落語が出てくる
マンガ読む→落語見る→漫画読み直す→落語見直す→また漫画読み直す、ってサイクルをずっとできる
紙で欲しいね、これは
あとはですね
「三方一両損」って落語があるんだけど、あれ、序盤の掛け合いは面白いんだけど、後半のお奉行様が出てくるところは別に面白くないのよ
それがこのマンガで、真面目過ぎると面白い、みたいに書かれてて、ああ、確かに、そう見ればそうかも、ってなった
おかげでイマイチわかってない落語についてもちょっとわかった気がする
マンガから落語、落語からマンガ、どちらも理解度が増すってめっちゃ得だよね
もう少し魅力を語るならば、落語ってひとりの人物が複数のキャラクターを演じ分ける形態だけど、落語の語りを声色も何もないマンガで見せるわけなので、表情の描き分けなんかも面白い
絵の技術、というか、マンガの技術もしっかりある人じゃないと、このマンガは面白く描けなかっただろうなってのはちょっと思います
作画の馬上鷹将先生、ありがとうございます!
まあそんなわけだ
読んでみて
35歳男。世の中に自分の居場所があるのか、いつも自分に問いかけていた。
ここ数年、たくさんセックスをした。そしたら自己肯定感が湧いてきた。
相手は様々。女子大生もいるし、社会人もいる。彼氏持ちもいるし結婚している人もいる。おしゃれな人、太っている人、裕福な人、不幸な人、色んな人がいた。色んな人と会話をして、キスをして、セックスをした。セックスに詳しくない女性に性を教え込んだこともあったし、お互い協力して最高のセックスを追求することもあった。癒やされるセックスも、溶けて無くなるかのような激しいセックスもした。
そういう経験を経て女性や人間というものが多少わかってきた。なかでも一つ知見として得られて良かったことがある。男性が女性を強く求めるのと同様に、女性も男性を強く求めていること。そのことがわかったし、自分を求めてくる女性が結構たくさんいるということもわかった。自分を求めてくる人がいること、それはこの世の中に自分の居場所ができたことと同義だった。
たくさんの女性とセックスをしたことは、おそらく世間的には良しとはされないだろう。彼氏持ちや夫がいる女性とのセックスもしたので自分のせいで不幸になっている人がいるかもしれない。全部公になったら罵詈雑言を浴びせられる側になるだろう。でも、それはもうどうでもいい。他人の顔色を伺うより自分の居場所を作ることのほうが遥かに重要なのだから。たとえ誰かを怒らせても、罰則がつくことになっても、自分がセックス依存症だと診断されることになっても、それらは些末なことなのだ。
セックス観も変わった。以前の性に疎い頃は、どうも男性が女性を搾取しているような感覚があったが、少なくとも自分のセックスに於いては全くそうではないと思った。むしろ女性からセックスを求めてくるほうが多いと思う。世の中の女性はこんなにもセックスに飢えているのかと驚くくらいだった。搾取ではなく協力。それがセックスだ。
今はもう昔のようにセックスをしなくても良いと思ってる。でも、女性から求められたら断れない。女性も恥ずかしい中セックスを求めてくるわけだから、それを断るのは人間としてひどい行為だからだ。さて、仕事納めの今日もセックスだ。
ここでの「セカイ系問題」とは、二人の関係性を選択した場合に社会が甚大な被害を被る場合に、関係性と社会のどちらを選択するのかといった意味の造語である。
その問題に対する「すずめの戸締まり」での解決方法は、ちょっと驚きだった。
前作「天気の子」の鮮やかな選択を知っているだけあって、今作での本問題に対する結論は、かなり驚愕であった。
以下ネタバレになるが、今作ではファンタジカルな第三者が現れて、その問題を解決するという解決方法だった。
いや、第三者が現れて「セカイ系問題」を解決すること自体は、根本的に正しい。
多くの作品で子供として存在する主人公が、その対立問題を一手に引き受ける必要などみじんもない。
そこを例えば、大人である私たちが導くなりカウンセリングするなりして、問題の糸を解いていくのは、本当に根本的に正しい。
「すずめの戸締まり」では、その役割をファンタジカルな存在に投げてしまった。
ファンタジカルな存在が解決するということは、社会が何も手助けしないというのと同義だ。
新海誠は、本作を多くの人に届く作品にしたい旨の発言をインタビューでしているが、そうすると、こういう展開が社会の多くの人々が望む展開なのだろう。
すなわち、「セカイ系問題」みたいな個人的かつ社会への影響が大きな問題には、社会はコミットしないけれども、
社会が甚大な被害を被るのも許容しない。ファンタジカルな第三者が現れて、その問題が解決されることを期待する。
という、ふざけた解決方法を社会の人々はきっと望んでいるのだ。
いや、これは作品を描いた作者が悪い訳ではない。
それを、社会に受け入れられる展開として描かせる社会の器量の狭さこそが悪いのだ。
逆説的に言えば、「すずめの戸締まり」のあの解決方法は、社会の本当の宿痾みたいなものを暗示している。
前半は、人々の寛容みたいなものをひたすら示すロードムービー的展開だっただけに、その隠された社会の人々の不寛容がかなり心に突き刺さり、驚愕の声が出てしまった。