はてなキーワード: 医学とは
昔からダメな人やレールに乗ってない人いじりはガス抜きとしては定番で、
それがいわゆる仕事ができない人や、自営業者やフリーターみたいな特定の属性を持った人から、発達障害にシフトしただけなんじゃないかなあ。
ほとんどは増田が指摘するような合理性に欠けたレッテル貼りだけど、発達障害自体には医学的な根拠があるからそれをエセ科学的な理論武装に使って信憑性を醸し出してるところが悪質。
それとすでに商業的に見ても出版数やページビューを稼げる定番ネタになっちゃってるから減ることはない。
こういう本や記事はだいたい「当事者」「関係者」が書いてて医師は監修に携わってないのがほとんど。
それゆえ無責任に医学的には間違ったことや発達障害とは必ずしも無関係なことをしれっと織り交ぜて、世間一般の発達障害者像の形成に強い影響を与えたりしてる。
「痛い思いさせればいなくなると思った」路上生活女性殺害事件 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20201121/k10012724471000.html
ていうかはてブってこういう卑劣な犯罪のブコメ欄こそが見ものよね。
うっかり差別心むき出しのコメントする人とそういうのに☆つける人が沢山出てくるから。
人間は自分が正義の味方になった気持ちの時ほど差別心を剥き出しにしちゃうってのがよくわかる。
(卑劣な46歳の男がホームレス女殴る時の気持ちよくわかるんじゃない?このブクマカたちは。)
tobalno1 こないだ話題になってたマジモンの人生無理な人そのものって感じだ。周辺住人には大人しく接する一方、自分より弱くて抵抗しなそうな人には平気で暴力を振るう…こういうタイプは本当に扱いが難しい。
2020/11/21
これさあ
こないだの「限界発達障害オス」みたいな話のnoteや増田の記事のこと言ってるんだよね。
うーん、いや本当にそうなの?
この46歳が発達障害なのかとかまだ何もわかってないよね?
それで厄介な発達障碍者がみんなこういうことするわけでもないよね?
私はこれもう完全に剛速球ストレートの差別だと思うけど違うのかな。
「ああーはいはい、こいつチョ〇でしょ」「こいつ部落だぜ」って前提で話を進めるのと全く変わらないよね?
そして仮に犯人がその属性であっても、その犯行内容と在日や部落のような属性を安易に結び付ける言説は完全にアウトだよね?
このあいだのnoteや増田での一連の「限界発達障害オス」の話は確かに迫真のリアリティがあったよ。
でもその行動や特徴本当に発達障碍者の特有のものなの?ってツッコミはブコメにもあったよね。無視されがちだったけど。
増田なんてもっと酷くて、書いてる人の身元すら証明されてない与太話で、
仮に自称通りの経歴の人であっても彼の体験談や心証は、科学的医学的に証明された何かでは全くないわけじゃん。
個人的にはあのレベルの「証言」はヨットスクールの校長が得々と自分の業績や教育論ぶってるのと何も変わらない怪文書だと思うんだけど
あれを与太話より意味のあるのものとして受け取ってる人達本気でヤバくない?
普段のネットリテラシーとかニセ科学的言説へのリテラシーどこ行っちゃったの?
「なんとなく目にしてきて不快感を持ってきた不快な男性がやはりそういう有害な障碍持ちの診断書付き劣等であった」
というストーリーが気持ちいいからあんまり正確性疑わずに信じ込んじゃったとこあるよね?
卑劣な犯行の報道を見たらもう「ああ、アレね。あの種類の奴等ね。」
これもう完全に勢いがついてるよね。
HIMOTE_no_MATSURO 46歳にもなってママに連れられて出頭、というあたりにはてなで時々噴き上がる「非モテ男性様にも“平等に”女をあてがえ!」の背景が推察されてしまうのが哀しい。受刑施設での更生がよい公助になるといいのだが… 男性
2020/11/21
これももう滅茶苦茶だよね。
まず、マザコンでも何の犯罪もやらずにまっとうに生きてるマザコンはごまんといるよね。
そこからのはてなで噴き上がる非モテ~というのは更に繋がりが意味不明で
これはもうよくある差別主義者の頭の中だけで繋がりがある事柄がパズルのピースのようにはまっちゃうって言うアレだよね。
☆付けてる人達も、単に普段から自分が憎んでるもの見下してるものの全部盛りセットだから気持ちいい!っていう快感だけで☆付けてるでしょ。
「ホームレス殴る卑劣な犯人」と「マザコン」と「はてなで噴きあがる非モテ」の論理的なつながりが全く分からないもん。
いや私の中では自明なこととして繋がってるんだ!っていうかもしれないけどそれは単なる差別感情のセットです。
あとちょっと話それるんだけど、一緒に暮らしてる家族の付き添いで出頭なんてざらにあるのよね。
家族に相談して「出頭して!」ってなったら一人で行かせないから付いていくよねそりゃ。逃げたり自殺したりする心配あるから。
奥さんが付いていったり夫が付いていったり交際相手が付き添っていったりってよくある。
父親が死んでるから残る身内の母親が付き添ったら「○○歳にもなってママに~」っていうのどうなんだろうね?
親と同居してるとかマザコン(というのも決め付けだけど仮にマザコン)とかには
こうやって「○○歳にもなってママに~」という侮蔑のコメントに☆つけちゃうんだから、
あなたたちの言うサベツハンタイ多様性ソンチョウってなんなのよ。
特にこのhttps://b.hatena.ne.jp/HIMOTE_no_MATSURO/っていうブクマカはアイコンやidでもわかるように
強烈なミサンドリーの為に作られたアカウントで「差別されるべき劣等生物中年童貞」を侮蔑するコメントしかしていないという強烈なヘイト垢で
卑劣な殺人事件を好機として這い出してきたこれにまんまと☆付けちゃう人達は本当に、どうなんだろうね?
今回この発達障害差別・中年童貞差別・マザコン差別に与したこの人達はもう
差別とかヘイトとかについて批判的な声を上げる資格はないよね。
あれっ
2020/11/22
上のちんちん丸出しの差別野郎全員足しても足下にも及ばないまともな知性の持ち主です。
正義のイキドオリで差別心丸出しにする何の役にも立たない憎悪駆動のバカの人達とこの落ち着いたコメントの人
知性や人格で言ってノミVSダイダラボッチぐらいのスケール差があるわけです。
Q_saku 嬉々として女差別してる人々が自分に向けられた差別にだけ「(俺たちだけへの)差別はいけないだろうが!」とヒステリックに文句言ったところで「で?」としか。自分の身振りを変えないなら死ぬまで堂々巡りですね。 鏡見てろ
えっ
「嬉々として女差別してる人」って誰のこと?
1.これを書いてる私?
2.発達障害の人?
4.マザコン?
5.親と同居してる人?
まず1の、増田である私はここで女性差別的なことを書いたつもりは1ミリもないんですけど、
もしも「ここが女性差別だ!」っていうのがあるなら具体的に抜き書きで提示してね。
誤字脱字以外書き換えたりしませんので(ていうか誤字脱字すらめんどいのであんま直さない)。待ってます。
もしもさあ、
ここに書いてあることどうこうじゃなく「私の楽しいクソオス差別を注意してくるなんてミソジニー人間に違いない!」とかいう話なのであれば、
もう即刻はてなやtwitterのアカウント消して病院かお寺行く方がいいと思うよ。
してる人もいるししてない人もいるよね。
もしもあなたが女性で発達障害の人から直接女性差別的な扱いを受けたことがあったとしても
(これはかなり疑うけど。ネトウヨの「在日から被害を受けた」エピソードぐらいには証言者の動機や認知が信用できない。)
あなたが復讐していいのはあなたに嫌なことした当該発達障碍者のみ。
それ以前にさあ、だっせえ八つ当たりはやめよう?
ネトウヨ「俺は在日から危害加えられたことある(うそくさ―)から在日は全部認めてないしあいつらゴミ。在日差別されたくなかったら在日が改めろ。」
Q_sakuさんが言ってるのは↑これとどう違うの?
誰かに話すのも、SNSで吐き出すのもなんだか気恥ずかしいので増田に放流することにする。
本当に青天の霹靂だった。
母に見つかった病気は珍しいタイプのもので、まあ簡単に言えば腫瘍らしい。
私の家族は父を筆頭に医者が多い(というか兄と姉は医学系の大学生だし、母自身もそっち関係の仕事の資格は持ってるので、何も知らないのは大学で芸術なんかやってる私だけだ)ので、あまり誤魔化す事なくスッパリと病名は告げられた。
ここまでだと突然の余命を宣告された母...みたいな流れっぽいけど、別にそうではない。大半の例では良性で、命に別状はない...
普段大学の授業で使い慣れたciniiとかでその病名を入れると、出るわ出るわ、急速に増大して1年足らずで死んだ悪性のタイプの例だの、良性だったが半年で再発し、後に全身転移しまもなく死んだだの、目を覆いたくなるような話が...
頭では分かってる。わざわざ学会報告になるようなレアなものだから論文検索に引っかかるってことは。この病気に罹った大半の人は報告のネタになることもなく、組織の欠片を切り取って、それで終いなのだろう。
だけど、うちの母が報告のネタにならない保証なんて一つもない。私はいつも最悪のパターンを考えてしまう。あの報告のように、すぐ悪性再発したら?報告通りなら、私が母と居られる時間はもう1年もない。
知り合いがみんな親と上手く行ってなかったりする中で、私は本当に両親との仲だけは良好だった。父親とはうまく行かないこともあったし、正直今でも合わないと思うことはあるけど、母親だけは私を理解してくれたと今更ながらに思う。そんな母を失うとは正直考えたくないが、頭の片隅にちらついて離れない。
父に良く言われる通り、私はマザコンなんだろう。20にもなって母にはしょうもないことで甘えまくって、母の方も私が末っ子だからって甘やかしまくってきたんだと思う。兄姉にも呆れられた事もよくあった。そりゃ小さいころに兄姉に虐められても仕方ないよ、彼らは「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」なんだからといつも言われていたから。
私含め医療の知識がある3人は能天気にしてる(さすがに本人は落ち着いてるみたいだ)。私を産んでから殆ど休みなく家にいて家事をやり続けた母が手術で1週間ほど居なくなるから「俺らも家のことやらないとな〜」とか、その程度だ。
勿論彼らがさっき言ったようなド素人の私がいっちょ噛みで知った話を知らない筈がない。知った上で、そんなこと考えても仕方ないだろと思っているんだろうし、それを薄情だとかは全然思わない。
私だけが、親離れできていない。
当たり前のように存在していた母、その絶対性にほんの少し罅が入るだけでこんなに精神が揺れて、失う事まで考えて勝手にふさぎ込んで。
そんな母に対する今できる精一杯の親孝行は、来年の頭に迫った卒業論文をちゃんと書いて、とりあえず卒業することなんだろうけど、この心のざわめきは暫く消えてくれそうにない。来週には細胞診の結果が出るらしい。それで「良性」と言ってくれれば、少しは落ち着けるのだろうが。
エビデンスの話だと思うが
その路線で話をする
簡単にいうとデータを集めて確かに効果があるとか確かに差があるとか検証が必要なものが世の中にはある
効果がないとインチキ、トンデモ、デマ、迷信の類になるので、ちゃんと検証して効果ありますよ差がありますよって証明したドキュメントが論文だ
全ての論文がそうだとは言わんが、ちゃんと検証してエビデンスありますよって形にまとめたものを第三者が確認できる、しやすい正確なドキュメントはもうほぼ論文ぐらいになる
そういうわけで論文というのはエビデンスがある怪しいものじゃないかどうかの判断目安の一つとして大事なものだ(査読付き論文の場合での話である)
ワイは人文系の若手研究者だけど、その主張は端的におかしいよ。
たとえば医学とかだと医者のいうこと聞くのが一般的だと思うのよね。時々、医者やワクチンはインチキです、〇〇を信仰すれば病は綺麗になくなります!みたいなキチガイいるけど、あれは普通にキチガイじゃん
でも人文系にはなぜか、その学問の学位すら持っていないのに、したり顔で頓珍漢なご高説垂れる輩が多いのよね。ワクチンキチガイと同レベル
事実に関してはフェミニズム研究は優れた業績を残していると思うよ。これまで男性中心の歴史観や批評によって無視されてきた女性の歴史や女性文学を発掘したり、見逃されてきた性差別の存在を明らかにしたり、そういった研究の存在を踏まえずにテキトーなこと言うのはニセ科学と同列でありえない態度だよね。
アメリカのリバタリアンの間には反ワクチンと共闘してワクチンの義務化に抵抗する人たちがいる。彼らの主張はこうだ。「政府は子供の身体に何を入れるかを強制すべきではない。それは親が自由に決めるべきことであって義務化には反対」
この主張は、医学的事実が正しかったとしても成り立つ主張だよね。これに医学的見地から反論するのは無意味で、政治信条を表明して(つまり意見を表明して)争うしかない。そして政治信条というフィールドでは、医者も素人も対等な主権者として扱われるべきだろう。それが民主主義ってやつなのだから。
これをフェミニズム研究に当てはめてみよう。「○○のような技法は性的に対象を消費するために編み出された技法である」は事実だけど、「性的消費は悪いことだ」というのは意見だ。「会議で女性比率が○割になると女性の発言力が○割アップする」は事実だけど、「会議の構成員の○割は必ず女性にすべき」というのは意見だ。
事実の領域では専門家の研究成果は尊重されるべきだ。けれど意見の領域では、専門家と素人は対等な主権者のはずだ。
フェミニストの主張が社会に影響を与えることを目標にするのなら、専門家の権威を捨てて素人と意見を交わすことを受け入れないとおかしい。もちろん事実の面では自分の専門性を尊重しろと言ってもよいが、意見の面では、自分は専門家なのだから自分の意見に従えと言っても通らないだろう。
(ちなみに、哲学や思想研究の専門性というのは、一貫した「意見」の体系を構築することにあるのだろうと思っている。人はときに矛盾した意見を言ってしまう。しかしあらゆる立場に対して一貫した意見を構築するというのはとても大変なことで、古今東西の文献を集めて様々な意見を比較検討してようやくできることだ。様々な意見のパッケージを社会に提供することが彼らの社会的存在意義なんだと思う)
「ワクチンには効果があるからワクチンの接種を義務化すべきだ」という意見ではリバタリアンを説得できない(彼らは、前段の事実が仮に正しくとも後段の強制を正当化できないと言っているので)。多くの人の生死に直結する公衆衛生の問題ですら意見が対立するのだから、いわんや表現や自由といった問題においてをや。フェミニストはまず、自分が尊重されてしかるべき領域と尊重されなくて当然の領域を切り分けてほしい。そして、後者では自分の専門性を印籠として振りかざすのをやめるべきだ。
ふと鏡で見た自分の鼻の毛穴がやばい…ということがきっかけでスキンケアやらやり始めた
だがこれがやばい
どんなキーワードを検索しても謎のキュレーションみたいな美容サイトがそれぞれ違う情報と化粧品を垂れ流してる
道を進んでたら10本くらい分岐路があって、看板はそれぞれ違う方向をさしてる
肌なんてものは人間である程度共通だからちゃんとした医学的な正解も一つ二つなはずなんだが、
俺みたいな鈍感な男ですらこのジャンルは魑魅魍魎の詐欺商品も多くあるだろうことはわかる。
こんな沼に素人女性は若いうちから踏み入れることになるなんて地獄だ
そんなもんだから化粧品の分野では、未だに効果がはっきりせず、結局ひとつひとつ自分で買って試すしかないという原始的なことが行われてる。
おれはある地方政令指定都市で生まれた。コンビニも電車も走ってるし本屋も図書館も徒歩圏にある恵まれた土地だ。おれの両親は両方とも同じ国立大出身だし父親の方は首席だった。それにも関わらずおれはとんでもない阿呆として生まれた。
おれがどれくらい阿呆であるかというと、知性以前に人として当たり前のことができない。例えばコミュニケーションだ。コミュニケーションというものは大まかな枠組みとして通信の確立、通信本文、通信終了の三つに分けることができ、それぞれで発信者が発信した後に受信者が返信を行なうことでその部分が終わることになる。このプロトコルは不足ないように簡潔にまとめたものであるため、三つすべてを含まないコミュニケーションというものもある。(例:広告。広告は"広告を打つ"という段階で通信が確立していることは前提と扱われるし通信終了は広告枠の制限で示されるのでそこについても返信は必要ない。)こうしたことは人間として生まれたならだれでもできることだ。人の話は人の目を見て聞く(通信の確立)、話を聞いているなら相槌を打つ(通信本文を受信していることの確認)。けれどもおれはそれができないままずっと育ってきたしこれからもできないであろう。
あるいは他に、おれはマルチタスクができない。よく「女性はマルチタスクができるが男性はシングルタスク向きだ」などという与太を吐くやつがいるがあれは嘘っぱちだ。水を飲むときのことを考えてほしい。口に含んだ水を飲むためにはまず鼻への侵入を防ぐために口蓋帆を上げて鼻への通り道をふさぐ必要があり、それと同時に喉頭蓋を裏返らせて気道を塞ぎかつ呼吸自体も水が通り抜けるまで止めなければならない。都合3種類ものタスクをこなさなければ水を飲むという行動はできず、おれはしょっちゅう一つ抜かしてえらい目に合っている。しかしよほどのバカか力の衰えた老人でもない限り水を飲むということはむずかしいことではないだろう。
そんなわけでおれはどうしようもない愚か者でありおそらく軽度の知的障害を患っているのだが、しかし両親はそんなことを疑わなかった。これはおれが一人っ子であったが故の不幸である。そしておれは適切なケアを受けることなく地元の公立小学校に通い、当然のように勉強についていけず落ちこぼれていた。テストで満点を取ったことなど小学校でさえ一度もなかった。どうやらクラスメートにもいじめられていたらしく、このままでは地元の公立中学校に通わせると深刻なダメージを負うと判断した両親は何を勘違いしたかおれを地元の学習塾に入塾させた。もっとも小学校の授業にさえついていけなかったおれであるから当然箸にも棒にもかからなかったのだが、入学試験ができなかったにもかかわらず県下二番目の中高一貫校に入学することとなった。確認はしてないがおそらく裏口入学という奴だろう。
中学校に入ったおれはますます授業についていけなくなり、ノートをとる習慣さえ失った。受けるテストはすべて赤点スレスレであったが中学校は義務教育であるからたとえどんな阿呆でもエスカレーター式に高校に進学した。今までの人生が万事こんな調子であるからそのころのおれはたいそう人生をナメており、高校一発目の進路指導で「両親の母校の医学部へ行きたい」などと大言壮語し担任に切々と諭されたのであった。当然である。2ケタのかけ算さえ間違え英単語の綴りさえ危ういような奴が高校(しかも進学校)へ進学しているのが間違いであろう。もっともおれ自身は阿呆であるから本一冊まともに通読できないままのほほんと高校へ通い、教師陣のお情けによって卒業した。両親の母校の医学部は最高でもC判定のまま受験をし、お話にならない点数で不合格と相成った。(センター試験は9割を下回っていた。)
どうにもならなかったので予備校へ入学した。予備校は商機を見つけるのがうまいので「医系への進学を目指すボンクラどもを自習室に縛り付け無理やりにでも勉強させるコース」というおれにうってつけのコースが存在し、わけがわからぬまま通学を続けた。2ケタのかけ算もままならぬままなぜか成績は上がっていたが、今から思えばあんなものはあてになるまい。というのも予備校としては「ボンクラが惜しいところまで伸びてもう1年通う」というシナリオが一番稼げるであろうから、ボンクラであるおれの成績が粉飾されていることは間違いなかろう。予備校の誤算としてはおれの志望校は両親の出身大学であることだった。ボンクラがボンクラなまま入試の日を迎え、愚にもつかぬ答案を根拠なき自信に満ち溢れたまま提出し、なぜか合格してしまった。すくなくとも自己採点では0点だった。(センター試験は結局歴史も数学も理科も満点を取れずじまいであった。)おそらく裏口入学というものだろう。
猫のほうがなんぼか賢かろうという馬鹿が大学に入ったが当然授業にはついて行けなかった。勉強する習慣さえないのだから当たり前である。教養課程は何らかの圧力ですり抜けたが専門科目は全くどうにもならず、2年生と3年生を2回繰り返している。そもそもこの学部に来たのだって父方の親戚がみな医師か医学者で母方の親戚はごたごたして面識がないのだから医師しか職業を知らぬせいであった。モチベーションなどあるはずもなく、解剖は2度やってかろうじて覚えたがそれ以外はどうにもならず教授に土下座してお情けで可をもらった始末である。現在は大学のカリキュラムの都合で研究室に遊びに行って研究ごっこをして遊んでいるが、自分が何をしているか微塵も把握していない。ただ聞こえてくる単語が授業で聞いた覚えのあるものだからわかったようにうなずいているのだが、先方もおれの阿呆具合など百も承知だから深くは追及されない。おれの阿呆を何とかしようと息巻いているのは父親だけで、母など最初からあきらめて「せめて清潔感を身に着けてヒモにでもなっていなさい」と言う次第だ。大学も3年生まで進級したもののここから先どうにかできるとは思えない、ましてどこかの病院で勤務するなど不可能としか言いようがない。かといって阿呆が研究者になれるほど世の中甘くない。おれの前に道はない。おれは何一つできないままここまで来てしまった。どうすればいいんだろう。
要は自分が何を言いたいかというと「健康診断の検査つらい」なんですが。
それについていろいろと考察した長い文章が下に続いているだけ。
日本人の寿命が長いのって、国民皆保険があるからお金の負担が安いことと、会社員が35歳以降に人間ドックを毎年受けることで早期発見・治療しているからなのだろうか?人類の医療で生かされてる(活かされてる)んだよな、健康的な意味でも、寿命的な意味でも。そりゃあそうだ。予防医学だよな。歯医者の定期健診を受ける、とか。
でも、トシくって様々な検査がちょっと辛かったりするのを目の当たりにすると、
「検査をしたり医療を受けたりしてまでも生き永らえたいというモチベーションが、果たして自分にはあるのだろうか?」
積極的安楽死か、消極的安楽死か、なんか、そういうのが脳裏によぎる。
会社員でいる以上は、自分を労働リソースとして供出しているのだから、その「労働リソースとして将来的にどのくらい使えるか」ということが会社的には気になるわけだし、あと法律で決まってるのかな?その辺の理由で、会社側から言われたとおり健康診断を受けなきゃならない。「直せばまだ労力として使えるのならちゃんと直せ」というのが、営利企業や国力といった視点からの論理と言えるだろう。
なんか、「自分の体は自分だけのものじゃない」という感覚がする。「公僕」、会社や社会の共有物かのような感じがする。
あ、検査がつらいんで受けません。安楽死しまーす。っていう自分の体に自己決定の権利はないのかな。それ人道的にどうなのかな。
その「自分の体が自分のものじゃない」の最たるものが、家族の意向により、胃ろうで生かされている人間でしょう。倫理的にどうなのでしょうか。かくいう私の親戚にもいます。こわいので面会していないです。いまはコロナで面会もままならないですが。
医学は、人為的に死をコントロールできる術です。進歩すればするほどコントローラブルな範囲が広がる。いずれは不老不死も実現するのかも知れない。
そのコントローラーを渡されて握るのは、本人であるべきなのか、他人であるべきなのか。自分というシステムのroot権限は誰が持つのか。
それにしても、35歳くらいを超えてる会社員の全員がこういう検査受けてる、ってすごくないですか?
人によっては人間ドックを毎年サボってる常習犯が居たりして、まあ気持ちはわかる・・・ってなっちゃう。
医療体制がすごいのもあるし、検査にみんな耐えてるのえらいですよね。
医療が進歩して検査の負担を減らす改善も継続的に行われていて、胃カメラを口から入れるときの不快感を減らすためにイカリングみたいな白い輪っかをくわえると、かなりラクになるんですよね。あれ。ノーベル平和賞でしょ。10年前に受けた時あんなのなかったし肩に注射で麻酔してたんですけど、最近はのどスプレー麻酔になったし1時間で麻酔切れるし、カメラ自体も細くなった。昔の胃カメラでトラウマになってる人もいると思いますけど、いまだいぶ負担減ってるんで、バリウム飲むよりもラクじゃないかと思いますよ。
若い頃ってさ、なんか、さまざまな「リソース」というものが無限であるかのように錯覚していた。
言い方を変えれば「有限なリソース」という概念そのものが頭の中になかったのかも知れない。
健康も時間も、仕事にかけられる労力も、無限だと思ってたので、スケジュールも何もなくがむしゃらに働いていたような。
でも社会に出て、あ、いろんなものって有限なんだなって気づいて。そのリソース管理がすごく難しいことに気づいていった。
そして30を超えると、「自分の健康寿命」というリソースの有限さをひしひしと感じるようになる。
若いころはモノを買うとき、お金の使い方がコスパばっかり考えていたように思う。安物買いの銭失いだ。
それはそれで「将来への投資」の考えがなさすぎる、貧者の思想だとは思うけど。お金に対してそういう貧しい考え方で育ってしまったのだから仕方がない。トシとっていってお金の使い方が少しはマシになったし、服にかけるお金がふえたりした。
トシを取ると自分の寿命が頭の隅にチラつくので、コスパが多少悪くてもペイするように意識が変わっていっていると思う。
「いまは時期が悪い」とか言ってチャンスを見送っているうちに自分の寿命のほうがなくなっていくからね。
たとえ時期が多少悪くても、じゃあいまやろう。お金をポンと出してやったぜ。と。
経済の話でいうところの「機会損失」って、商品の在庫があるとか、買える機会とか、開催期間が限定されたイベントとか、そういう「外的な機会」の損失するかどうかを焦点にしがちに見えるけども、それだけじゃないんだな。外的機会がある間に、かつ、自分の健康もなければならない。健康でなければ商品を購入して満足することができないから。
「健康が不足していて機会損失」も大いにあり得るわけです。「大切な推しのイベントなのに風邪ひいていけなくなった」とか。
これっていうのは「推しは推せるときに推せ」「孝行したいときに親はいない」と通じるものがある。
だから商売するのって、「ちょっと健康に不安が出てきて、かつ、そこそこお金持ってる人」を狙うのが効率よさそうですよね。健康商品じゃなくても。
ゲスいですが。足元見てる。
そういうターゲッティングして商売してる人間自体も、いずれはその該当者になるんですよ。
「おれは長生きしないんだ」つって、暴飲暴食してる人、ラクに死ねると思うなよ。苦しむぞ。みたいな脅しツイートを見かけたりしますけど、まあ確かにそうなんですけど、それも安楽死があれば解決するんですよね。
日本における安楽死の議論での反対派って「イジメみたいに同調圧力によって安楽死の自己決定を促されてしまう」危惧をドグマにしてますけど、
すでに「健康診断の圧力によってつらい検査を受けさせられてる」現状があるので、たしかにそうかも。そうなるだろうなあとは思われます。
「自殺と他殺」という対比の概念がありますが、それと同じように「自生と他生」とでもいいましょうか。
どう転んでも、自分の体の健康維持や死についての決定権は、自分だけが独占的・排他的に所有してはいない(できない)ようですね・・・。やはり自分の体は公僕性、公共物性を帯びているようです。それは国民皆保険であるから、国としては保険で治療コストの高い病気をなるべく支払わずに済ませたいので、治療コストの高い病気にかかるリスクを下げておくための検査コストを支払っておく(強制的に受けさせる)ほうがトータルでコストが安い、という計算なのでしょうか。
他者の圧力によって胃ろうで生かされてしまうようなことがある社会と、
どっちがマシなんですかね?
「勝手に生きるな」
介錯してラクにさせてあげたほうがいいんじゃない?とも思うし、
人為的に死をコントロールできてしまうということは、サバイバーズ・ギルトってやつが生まれる。生存者の罪悪感。
面倒なことにならないように、自分の生死を他者の人為的なコントロール下に置かれることが無いようにしたいですね。
やっぱ自分がコントローラ握って健康診断うけるかどうか決めたり、コロっと安楽死が理想なんですよ。でもそれって一貫性としては、このコロナのご時世で「公衆衛生を省みない自分勝手な自由な行動に出ることの許容」をも意味してしまうのですが。感染症や、医療保険の有無、といった社会的な連帯関係のものは物議をかもしますよね。そりゃ。
自分が死ぬときはVR-HMDかぶって、なんか、すごい音と映像で逝きたい。
臨床宗教師の仕事の中に「VR機材の管理」も含まれてくると思うんですよね、今後は。「テクノ法要」もありますし。映像や音声のクリエイターも、その走馬灯のような「最期の映像」をクリエイトする日が来るわけですよ。
だからVR業界から法曹界・医療関係に転職するようなキャリアパスもあるでしょうね今後は。
塞翁が馬。
みとりびと、おくりびと
ふと鏡で見た自分の鼻の毛穴がやばい…ということがきっかけでスキンケアやらやり始めた
だがこれがやばい
どんなキーワードを検索しても謎のキュレーションみたいな美容サイトがそれぞれ違う情報と化粧品を垂れ流してる
道を進んでたら10本くらい分岐路があって、看板はそれぞれ違う方向をさしてる
肌なんてものは人間である程度共通だからちゃんとした医学的な正解も一つ二つなはずなんだが、
俺みたいな鈍感な男ですらこのジャンルは魑魅魍魎の詐欺商品も多くあるだろうことはわかる。
こんな沼に素人女性は若いうちから踏み入れることになるなんて地獄だ
そんなもんだから化粧品の分野では、未だに効果がはっきりせず、結局ひとつひとつ自分で買って試すしかないという原始的なことが行われてる。