はてなキーワード: 健康診断とは
プレステ3のゲームなんだけどさ、ざっくりいうと原因不明のウィルスが蔓延して、それにかかると100%死ぬから、感染者から身を守るためにナイスミドルが感染者から延々と走って逃げ回ったり、感染者殴り殺したり射殺するゲームなんだけど(説明が雑)、あの世界をコロナ禍に置き換えると、アメリカでも銃の売れ行きが伸びたらしいし、俺も身体を鍛えるべきな気がしてきたんだよな。
ラスアスプレイ済みの奴ならわかると思うんだが、あの世界は最低限3つのステータスを満たさないと生き残れない。
1つは延々と走り回れる無限の体力、これがないと感染者に捕まって感染してしまうし、大人数の感染者相手にする時はヒットアンドアウェイが原則なので、これも体力が無いと対処出来ない。どれだけ腕力があろうが、どれだけ銃の腕があろうが、パンデミックの世界で体力が無いというのはあまりにも無力だ。
2つめは腕力だ。銃の弾が切れた。武器がない。こんな状況コロナ禍ならこんなのいつでも起こり得る。そういう時に最終的に頼れるのは、自分の腕力だ。作中で壮年の主人公は6発の殴打で敵を殴り殺していた。終盤になるとリボルバーの弾を弾くヘルメットを被った敵が出てくる。そんな敵も6発の殴打で、しかも明らかに頭を殴って、殴り殺しているのだ。敵と戦う世界で腕力は正義だ。知能も、善行も、祈りも、コロナ禍の前では何も頼りにならない。頼りになるのは、最終的に自分を守れるのは、己の腕力だけだ。神は腕力に宿る。
3つ目は視線の届く範囲10メートル以内なら好きな所へ確実に投擲できる技術だ。これは落ちてるレンガやビンを投げて相手の注意を逸らしたり、相手を引き付けたりするのに必要で。100%の精度が求められる。コロナ禍において投擲のミスは許されない。間違えれば命取りになるからだ。正面から走って襲ってくる感染者にビンを投げつけるとどうなるだろう。怯むのだ。そして君に圧倒的な腕力があれば、反撃を危惧せず一撃でコロナ感染者を殴り殺せる。ラスアス経験者なら投擲のお世話になった人はたくさんいるはずだ。投擲をマスターしたら火炎瓶の作り方を覚えよう。君の生存確率がグッと高くなるはずだ。
俺はコロナ禍になってから、毎日10kmのランニングと、腕立てにダンベルカールに逆立ち等ヒッティングマッスルメインの筋トレ、公園で狙ったところに石を投げる練習をしている。
その結果、体重は4kg落ち、体脂肪率は28%から12%にまで落ちた。今まで悪かった健康診断の数値が改善され、初めて「異常なし」の文言を見た。
フィクションのキャラクターの定番属性の一つに『極端な低身長の天才』というものがある。
実年齢自体が周囲より低い場合もあれば同年代にも関わらず異様に身長が低い場合もあるが、どちらの場合も非現実的な存在、フィクション性の高い存在としてキャラクタライズされているケースがほとんどだ。
何故非現実的な存在として扱われるのか。フィクションと異なり現実日本の教育制度は年齢主義であり、優秀な生徒の飛び級が存在しない事も理由の一つとして挙げられるだろう。しかし、本質はおそらくそこにはない。
『天才』『極端な低身長』という属性がそれぞれ独立している状態なら「身近にはいなくても、一つのパラメータが極端なだけなので現実の延長線上で想像がつく」が、『天才かつ極端な低身長』ともなると「極端なパラメータが複数あるので人となりを想像出来なくなる」、これが本質ではないだろうか。
ゆえに、フィクション性を纏わされる。謎のひみつ道具を持ち歩かされ、こんな事もあろうかと用意周到が過ぎる人物にされる。
だが、私はそのようにフィクションを纏わされる『極端な低身長の天才』達に、親近感を覚える。
何故なら、私がそうだからだ。
私は極端な低身長だ(った)。
「成長ホルモン分泌不全低身長症」、これが私の健康診断票にいつも書き込まれていた病名だ。
症状は文字通り。原因は分かっていないらしい。
治療法も、成長ホルモン製剤の注射という対症療法的な物だ。極度の低身長という症状が明確に現れないと発覚しないものだから、身長が一般的な範囲に盛り返すまで時間がかかった。故に少年時代はチビなショタだった。治療を終えた今でも、身長は低く童顔な方だ。
毎晩の成長ホルモンの皮下注射というものは、子供心に結構辛かった。自分だけが遭わされる不条理というものと隣り合わせで育ったものだから、随分世の中は不公平なものだと絶望してしまった。
あと注射をしていたケツと太ももが心なしかデカくなった。安産体型ショタだぞ、抜けよ。
そして、私自身これを自称するのは鼻について好きではないが、少なくとも周囲からの評価を総合すると、私は天才だそうだ。
個々人の積み上げた好奇心と歴史と研鑽と努力と熱意を不可視化し、天からのギフトなどと矮小化する天才という単語はこの世で最も嫌いな単語なのだが、はてさて秀才ではつよそう感がイマイチ足りないので仕方なく天才という単語を使う。
3歳の時には、お遊びでジグソーパズルを裏面を向けたまま完成させて大人を驚かせたそうだ。私自身、出来そうだと思って挑戦し実際に成し遂げて満足した記憶がある。
看板から成分表まで活字があれば何でも読み込む子供で、よく迷子になっていた。漢字も自然に覚えたため、小1の時点で小6の教科書を漢字含め読めていた。
大人しくさせるために買い与えられたマンガ、百科事典や国語辞典の類は、それはもう食い入るように読み込んだ。寝食を忘れて読み込んだ。寝食忘れの自己最高記録は、確か留守番中に叩き出した27時間連続だったか。中国の8日間絶食読書兄貴には敵わないが、中々な記録だろう。勿論それが健康に悪いことも理解していたので、以降は気をつけるようにしたが。
全国模試でも算数や理科で何度か1位を取った。満点なのだから当然同率1位だ。中高以降は恩師のおかげで現代文も得意になったので数学、現代文、物理で経験した。
そんなんだから、大した勉強もする事なく通学圏内最高峰、数十年東大進学者数首位の開成中学校に受かった。なんか受かったから行くわ!wが正直な感想だった。
真剣に受験勉強をしていた、しかし活字中毒などの変態性はなかった学友が残念ながら麻布や東邦止まりで(勿論これも十分凄いのだが)、この時に適性の無い者へも無意味な苦難を強いる学歴社会への明確な嫌悪感を覚えた。
開成の同級生は大きく3タイプに分けられた。勉強する事が大好きで大好きで仕方がない変態と、私のように勉強は好きでも嫌いでもないが活字や知識にのめり込む気質のある変態と……学歴の威光に取り憑かれた愚かな親の犠牲者となった、凡人だ。
学歴主義を刷り込まれた凡人達に、私は恐怖と憐れみを感じた。真面目に勉強した事もなく学校や塾も寝がちだった私にとって、青春を擦り潰して校外でも毎日8時間勉強するという価値観は理解出来なかった。
そこまでして一体、一体何になるというのだ。毎日1時間、1ヶ月ほど勉強するだけで適当な資格は彼らなら余裕で取れるだろう。職に困らないために学歴を取る、なんてのはおよそコストとリターンが釣り合っていない。
私は彼らが怖くて、大学は全く関係ない某美大に学歴パンチで進学した(ここを詳細に書くとマジで特定されそうなので勘弁してくれ)。そもそも私の夢自体、漫画家とかゲームクリエイターとかのクリエイター方面だったし。
私が開成に通った途端に学歴に取り憑かれた金だけしかない親には美大進学は猛反対されたが、教育虐待で警察に駆け込むと脅したら反対しなくなった。中高当時に親から受けていた拘束を思えば、実際駆け込めば成立していただろう。
ここまで見て分かるように、私の『極端な低身長』属性と『天才』属性に、一切の因果・相関関係はない。だからこの属性が偶然重なる確率は非常に低い。
開成中学合格者数は一年ごとに400人弱、当時の小6男児の日本人口約60万人で割ると1500分の1。そこに成長ホルモン分泌不全低身長症の15000分の1を掛けると2250万人に1人となる。ちなみにそこに、『開成高校から私の行った美大にいく変人』の数、大体3年間……1200人に1人ぐらいらしい?を掛けると270億人に1人だ。地球人口こわれる!
2250万人だか270億人だかはもう大差ないし、スキーn級とか小4?だっけ?で夏富士登山完遂(同級生の平均よりも遥かにちっこい身体でだぜ!すごくね?)とか付け足せばいくらでも数字を伸ばせるのでもうどちらでもいいが、まあとにかく私は客観的に見れば超激レアキャラだという事になる。オラッ喰らえ世界に一つだけの花パンチ!
ただ、これらは全て私の大事なアイデンティティの一つだ。私にとってのそれらは見たことのない激レア属性ではなく、いつも自分自身と隣り合わせのアイデンティティだった。
どんなに希少な属性が重なっていようが、偶然の悪戯が起こればSSRキャラクターはこの世に生を受けてくる。アフリカの貧しい子供達にもたまたまマックにいた桜蔭JKにも想像を及ばせられない、二つ要素が違うだけです〜ぐ想像出来なくなるインターネッツ愚か者共に嘘松呼ばわりされようとも、激レア属性がたまたま重なった私は今ここに間違いなく存在している。マックにも行くし高校生時代に時代遅れな価値観のオッさんに物申した事もある。喝采ってほどじゃないけど周りの人本当に拍手してくれるんだね。
だというのに、ロリショタ天才達は常にフィクション上の、架空の存在として扱われている。
ならば、ここにいる私は一体何なのだ?
私はフィクションなのか?匿名の増田ですらない、完全なる架空の存在なのか?
有り得ない嘘松だけの存在として、想像力の埒外にいなければいけない存在なのか?
ただのゲーム好きな子供だった私はここに、この世に存在してはいけない存在なのか?
なあ。答えてくれよ。
長くなったが、言いたい事は一つだ。少しの想像力を働かせてほしい、これに尽きる。
そこの道を歩いているくたびれたオッさんは、もしかしたら自由研究で賞を取った事があるかもしれない。そんなちょっとしたかもしれない運転が、他者への敬意を払う第一歩となる。勿論何も前提無しに他者の歴史と人生に敬意を払えられれば、それが一番だ。
空腹を感じた時には、アフリカの貧しい子供達はいつもそれ以上の飢餓に苦しめられている事に思いを巡らせてほしい。そして思い出した時にでも、コンビニ募金にお釣りを入れてくれればいい。
激レア属性の天才や奇才たちと接しても、更なる激レア属性の……私含めた疾病や障害を抱えた天才や奇才たちと接しても、たまたま希少な属性を引いただけの、ごく普通のありふれた存在として接してほしい。
本人が殊更に主張しているケースでも無い限り、恐らくわざわざ言い出したりはしたがらないはずだろう。傷に触れないであげてほしい。天才たちは目立つこと、特別扱いによる疎外にもういい加減ウンザリしているだろうから。
というか私の知人の天才たちは大体皆そうだった。そして私もそうだ。もう、奇妙奇天烈な見世物小屋の人外として扱われるのは沢山だ。
目の前にいる相手は雲の上の存在ではなく、マリオとポケモンが好きだったり、でんぢゃらすじーさんで爆笑したりしていたかもしれないただの人間だと思って接してほしい。
フィクションの箱に押し込んで、相手を遠ざけることをしないでほしい。ロリショタ天才を、フィクションだと思わないでほしい。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
俺は2年半かけてアタックして今の妻を得た。最近のはてなを見ていて、どうせ恋愛できないよ、と諦めてる奴が多そうで、俺だってなんとかなったんだからみんな頑張ってほしいと思って書く。
妻とは趣味関連の友達だった。複数人で趣味活動をしたり、その後飲みに行ったりしてるうちに、仕事に対する真摯な姿勢と飲んだ時のギャップにやられて惚れ込んだ。笑うと顔が犬みたいでかわいい。
妻は星野源みたいなのがタイプという。ヒョロヒョロっとした文化系のが好きだそあだ。俺は、どっしりしたオヤジ顔で一言で言うと出川哲郎みたいな感じだ。しかも遺伝でハゲてるし超汗かきだし、ニキビクレーターだらけ。いままでの人生、恋愛対象に見られないとか暑苦しいとか基本的に振られてきた。給料も別に高くない。
友達付き合いをしばらくして、告白したが、当然振られた。昔大失恋をして恋愛はもうこりごりと思っているうえに、俺がまったく恋愛対象じゃないそうだ。覚悟していたが思わず泣いた。涙ってコントロールできないもんだ。
でも友達としては好ましいと言われた。出川だが、話が面白いし、優しいと言ってくれた。俺は別に面白くもないのだが、彼女との話題を作りたくて、彼女の仕事についてたくさん調べたし、彼女がやっているという乙女ゲームもやってみた。彼女が釣りをしてみたいと言えば、釣りを練習して、ある程度うまくなってから誘ったりした。皮膚科にも行ったし、ファッションも図書館で雑誌を読んで勉強した。ウェストポーチって女性は嫌いらしいとか学んだ。
2年半くらい、誘い続け、時々遊び、惚れてるのもバレているのでひたすら告白し続けたら、ついに彼女が折れた。釣りをしてたら彼女が船酔いして吐いて、バケツに吐いてるあいだずっと背中をさすった。そのとき、こいつでいいやと思ったそうだ。背中を触られてもそんなにいやじゃなかったから俺と付き合えると思ったそうだ。
このとき俺は背中に触れてラッキーと思っていた。余談だが背中撫でてるときにブラジャーの感覚がなくて、ノーブラなのかとドキドキしていた。ブラジャーが前にだけついてる下着を着ていたらしい。
そんなこんなでついに付き合えることになり、結婚もした。俺は子供が欲しかったが妻は仕事に集中したいとのことで話し合って子供は作らないことにした。もう結婚して6年になるが、妻は相変わらずかっこよくて超かわいい。あと妻に少しでも好かれたくて運動始めたら、健康診断全部◎だった。いいことだらけだ。
親にも、同級生にも、お前がよくこんな子を捕まえれたなと言われた。40年近くモテない人生だったが、諦めなかった俺の粘り勝ち。
だから、恋愛弱者だとか言って諦めないでほしい。好きな人がいるなら一回振られたくらいで諦めるなよ!俺みたいなクリーチャーでもなんとかなったんだ。もう会ってくれなくなったら諦めたほうがいいと思うけど、友達からだって恋愛対象に昇格できるんだぜ。
別の増田も言ってくれてるけど、前立腺生検はそもそもいきなり受けるようなものじゃなくて、腫瘍マーカーやMRIなり他の検査で所見が認められるときにやるもの。
そりゃそうだよね、基本的には入院必須、金銭的な自己負担だけでも手術レベルだから。そんな気軽に受けるもんじゃない。
対して今話に上がってる検診はそういう所見の元にやるものじゃない。だから保険診療じゃない。
比較するなら乳がん針生検あたりで、こっちは普通に麻酔を使う。
女性特有の病気だから軽視されてる?いやいやマンモグラフィーをはじめ女性特有の病気を診断するための、患者の負担の少なくてかつ有効な手法はどんどん研究が進められて(当然税金からの資金投入もされて)進歩してますから。
四十路になって最初の健康診断結果が戻ってきた。分厚い封筒を開けたら、お知らせいっぱいだった。
これに加えて生理止まって3ヶ月になるので、健診当日にはかかりつけに行くようにも言われた。
30代の頃は精々「胃が荒れてますねー」程度だったのに、四十路になった途端に不健康のデパート化。まだ子どもも小さいのに、もしものことがあったら困るな。でも団信で住宅ローンがチャラになる疾病だったらまだいいか、などとりとめのないことを考えている。
みんな、睡眠時間削って激務し続けちゃだめだよ。特に育休から復帰したワーママ、頑張りすぎないこと。頑張らないと生きていけないし、夫さんも家庭のことできる余裕なかったりもすると思うけど、いのちだいじに。
これを言うとエンジニアや技術者と大先生は違うとか言い張るのだろうが
パソコンの大先生を冷遇して、PCに詳しい事=恥の日本社会を作ったせいだろこれ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f378e7b4ad44c30ff27af55137427ae7635844ff
別の増田も言ってくれてるけど、前立腺生検はそもそもいきなり受けるようなものじゃなくて、腫瘍マーカーやMRIなり他の検査で所見が認められるときにやるもの。
そりゃそうだよね、基本的には入院必須、金銭的な自己負担だけでも手術レベルだから。そんな気軽に受けるもんじゃない。
対して今話に上がってる検診はそういう所見の元にやるものじゃない。だから保険診療じゃない。
比較するなら乳がん針生検あたりで、こっちは普通に麻酔を使う。
女性特有の病気だから軽視されてる?いやいやマンモグラフィーをはじめ女性特有の病気を診断するための、患者の負担の少なくてかつ有効な手法はどんどん研究が進められて(当然税金からの資金投入もされて)進歩してますから。
栄養不足と脂質代謝異常に糖質代謝異常、空腹時高血糖に鉄欠乏貧血
肝機能障害による栄養不足のためタンパク質は取らなきゃいけないが、脂質代謝異常により卵などは摂取を避けるべきとなる、肉なら良いのだろうか脂質だと思うけど
敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。
容姿や風貌に関しては客観的な指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。
身長157.5cm
体重37.1kg
BMI数値14.96
参考までに
身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg
日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。
以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。
しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。
酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。
幸い、月経は毎月きちんと続いている。
*
私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、
幼稚園児時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。
幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。
給食で出されたものがほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園児時代・小学生時代の私に昼休みなどなかった。
皆が昼休みを終え、教室の掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師が給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。
辛かった。
どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生からも怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。
中学校は弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。
食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーからの解放、他の人と同じように食事をとり、昼休みを満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。
ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまったからだ。
小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。
真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分で自分を律していた。
それなのに。
これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。
私はワガママを言うような子じゃなかったのに。
日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。
今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか。
「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?
もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか!
小学生の頃はそこまで考えが至らず、
今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。
ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。
苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。
さて。
中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。
朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。
間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドやサイゼリヤ、時には一蘭で替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…
今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。
それでも痩せ型なのは変わらなかった。
現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。
当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。
その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。
当時は「糖質制限ダイエット」なるものが流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質が体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯に納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。
結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。
当時何より悲しかったのが、内科のかかりつけ医が私の体型、体重を見かねて
「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、
時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんとご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。
冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。
母はちゃんとガッツリとご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。
これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。
今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである。
*
大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。
冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロ台しかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?
家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。
前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である。
たしかに生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気のリスクはあるのに。
現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。
*
私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。
はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。
ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。
しかし、太っている人には
「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般の道徳観念があるにもかかわらず、
痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、
好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、
そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言。
このような感情で書き連ねたといったところかと思う。
世の中にはダイエットの情報や商品、摂食障害にまつわるあらゆる研究、考察が流布されているが、
もちろんTwitterで検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくまで当事者だけだ。
正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。
私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分は自分」と、割り切ることができるようになった。
自分のことを認めてあげられるようになった。
上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。
ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。
しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。
現在、平日フルタイムで仕事をしているが、こんな状態でちゃんとやっていけるのか?と不安な気持ちは拭えない。