「くも膜下出血」を含む日記 RSS

はてなキーワード: くも膜下出血とは

2021-06-10

このワクチン接種後死亡の動画コメ欄を見て腰を抜かした。

https://www.youtube.com/watch?v=THqMvE6502o

ワクチン接種した60代の女性が死亡したTBSニュース動画で、普通に因果関係がまだわからないので何とも言えない」とか「くも膜下出血の原因がワクチンであることを断定しているみたいな動画タイトルにやや悪意を感じる」みたいなコメントが書かれているだろうと思ってコメ欄覗いたら反ワクチン派のコメントで溢れててしかもそういったコメントに悉く高評価がついてやんの(まあ一部慎重な意見も見られるけど)。いや、そりゃワクチン安全に違いないとまで断言する気はないけどさ、ここのコメ欄人達まりにもワクチンが危ないものに違いないってすぐに断定しすぎでしょ。正直PCの画面の前で腰を抜かしてしまったわ。「ワクチン接種後女性死亡」という事実だけを見てこんな早計・断定をホイホイしてしま人達がこんなにいるという事に。それこそある意味コロナのものワクチン副作用よりも恐ろしいわ。こんな人たちがこれだけいたらそりゃあ店の棚からトイレットペーパーが無くなる様なデマだって広まるわな。

2021-06-09

新型コロナワクチン 接種直後に急死した日本人85人詳細データ公表

anond:20210609161658

亡くなったのは25~102才で、男女別では女性が47人、男性38人。

死因は心筋梗塞、急性心不全くも膜下出血などさまざまだが、

ワクチン接種との因果関係》については、85件中59件が「評価不能」、6件が「不明」。約3分の2のケースで因果関係が明らかになっていない。

tps://news.yahoo.co.jp/articles/973d766ea6c897c2217ca3998d96f710fdebfed9

2021-05-12

anond:20210510224030

どうでもいいけどブコメで紹介されていた山田五郎チャンネル山田五郎がフガフガしゃべってて衝撃を受けた。

62歳にしてはちょっとフガフガしすぎじゃないか?脳の病気じゃなければ良いが・・・似たようなカテゴリにいた神足裕司さんは脳(くも膜下出血)で倒れてしまったし。

2021-03-31

生きるのって辛い

私は20代女、公務員だが休職中。復職絶望的だろうと医師から見解。診断はADHD気分変調症。そして回避性パーソナリティ障害

休職とは関係ないが持病で脳血管疾患(難病)とハウスダストアレルギーと成人アトピーがある。

両親や親戚はおらず、精神障害を持つ年の離れた兄がいる。

まり詳しく書くと身バレが怖いが、時々辛くなって自分語りをしたくなる。

正直現状めちゃくちゃに生きずらい。薬がないとまともに生活を遅れないが、目に見える形の障害がないため健常者として生活を無理やり送ってきた。くそ長いけど私の人生を知ってください。

まず小学校中学年まではそれなりの生活を送ってきた。一軒家で両親健在。収入はそれなり。

問題子どもへの愛がなかったことくらい。衣食住に金をかけてもらえず、幼稚園のころから同じ下着をずっと着ていたり、朝食は8枚切りの食パン半分だったり(朝食が出るだけ良いかもしれない)したが、その年頃の子どもは家庭内世界の全てなのでそれが当たり前だった。

父親仕事ほとんど帰らず家は母親の天下だった。帰宅すると宿題をやった後、母親マッサージ。兄が帰ってきたら交代して、両親が買ってきた教材をやる。母親の機嫌を損ねるとヒステリックに怒られたあと無視され、ご飯を抜かれる。テストの結果が100点以外でも似たようなことになる。たまに甘えたくなり母親に近づくと「ウザいから近寄るな」と突き飛ばされる。触れ合った記憶は機嫌が良い時に耳掃除をしてくれたことくらいしかない。なので父親が帰ってきたとき必死父親に甘えていた。母親はそれを冷ややかな目で見ていた。

両親は外聞を気にするタイプだったので、私たち下着ボロボロでも服はそれなりに綺麗なものを着せられていた。外での母は優しかったが、そこではしゃぎすぎると帰ってから調子に乗るな」と怒鳴られ叩かれる。いつも母親の顔色を伺っていた。

ある日の夜、私は全身麻痺を起こして倒れた。前々から半身麻痺の症状が出ていたが、両親に話してもまともに取り合ってもらえなかった。私は救急車を呼んで欲しいとお願いしたが、「救急車を呼ぶと近所で噂になる」という理由拒否された。結局麻痺が収まら呂律も回らなくなり、父親の車で救急病院に連れていかれた。1週間ほど入院したが、病院生活がとても楽しかたことを覚えている。

半年後に手術をする予定ですすめていたところ、母親くも膜下出血で倒れる。私の病気母親から遺伝だった。この際、母親我が家貯金を全額実家横流ししていたことが発覚して両親が離婚する。私たちは両親のどちらにつくか選ばされたが、こんな状態父親以外選べるはずもなく兄妹ともに父親について行く。手術は無事に終わった。

父親と兄と3人で暮らすことになり、平和になるかと思えば、父親母親と似たような人間だった。特に父親プライドが高く、少しの意見も口答えも許さなかった。まだ小学生だった私には生きるためにも父親の顔色を伺いながら生活を送るしか無かった。やはりテストの点は満点しか許されなかったし、褒める時は「俺の娘は他のバカとは違う」貶す時は「こんなの俺の前に出して恥ずかしくないのか」と常に父親が中心の声掛けをされた。そのうちテスト学校で捨ててくるようになったが気が付かれなかった。週に1回父親と家の掃除をやり、週に2回父親に連れられて買い物に出かける。父親は「年頃の娘と仲の良い父親」像に固執しており、出かけることを拒否したり、外で不満を口に出すと家に帰ってから怒鳴り散らされた。少し抵抗するような態度をとれば「俺にそんな態度とっていいとおもっているのか」と怒鳴られ、物をぶちまけられて脅された。この頃には自己主張ができなくなっていた。おまけに父親は娘を育てる知識がなく、極少ないナプキンしか買って貰えずしょっちゅう服や寝具を血まみれにしたし、ブラも買って貰えず膨らんできた胸が目立つのが嫌だった。生理ショーツや胸パット付き下着存在もこの頃は知らなかった。

兄は父親に反抗し帰宅が遅く、部屋に閉じこもりがちだった。父親は兄に興味がないようで成績以外で構うことがなかった。だが、お金ほとんど渡していなかったようなので兄の生活は苦しかったと思う。(進学校バイト禁止だった)父親からは兄の愚痴を聞かされ、兄から父親愚痴を聞かされた。

父親地域の人との関わりを嫌い、学校行事にも一切顔を出さなかった。保護者ありきの授業参観運動会はとても惨めな気持ちになって辛かった。周りに頼ることは恥ずかしいことだと教えこまれ、誰にも何も言えなかった。自己主張ができない私は友だちも少なく、地域との繋がりも希薄で家が世界の全てのようなものだった。中学生の時は部員との交流はあったが、土日に友だちと遊ぶことに父親が良い顔をせず深い仲にはならなかった。小学校高学年のころいじめあい学校行きたくない父親に打ち明けたが、「ゲームを買ってやるから行け」と言われてちゃんと行った。ゲームは年に1回誕生日にだけ買って貰えるものだったので、いじめに耐えるだけで新しいゲームができるならそれでよかった。これ以降父親になにか相談することはなくなる。

中学生になった私はADHD特性が顕著に現れるようになった。遅刻したくないのに遅刻してしまう、授業に集中したいができない等のストレスから解離症状が出るようになり、色々な場面で意識を失うようになった。他にも色々と要因はあった(父親洗濯を正しく行えず体操服がいつも生臭かったり)(家庭内でも意識を失うようになり起きていられなかったり)で不登校気味になっていった。その頃には父親学校に行かないことに文句を言わなくなっていた。それだけはありがたかった。

そんな最中父親会社をクビになる。私が中学生の時のことだ。パワハラモラハラサボりが原因だ。父親会社営業本部長で実質No.2(本人談)だったが、母親離婚してからどんどん帰宅時間が早くなっていった。職場まで車で2時間かかるのに最終的には朝は9時に家を出て、17時半には帰宅していた。あまりにも出勤時間が短いので大丈夫なのか聞いたことがあるが、営業先に口裏を合わせてもらって出張扱いにしているらしかった。とんでもないことだがさらに、「俺は他のやつらより効率よく仕事をしているから早く帰っても問題ない」と言っていた。今思うと頭がおかしいとしか思えない。そして女性社員気持ち悪いメッセージを送り、新人愚痴を言いふらす……典型的なとんでもパワハラクソ上司だった。そんなだったので部下から告発を受け会社を即日クビになったのだ。本人は「不当な解雇だ。裁判を起こせば俺が勝つ」と何度も言っていたが、自分に非があることはわかっていたのだろう。裁判は1度も起こさなかった。

クビになったタイミングが悪く家を立替えた直後だったため、収入必要だった父親コンビニ店長をやると言い出した。しかし、コンビニ経営するには連帯責任者としてもう一人人員必要になる。父親には友人が一人もいなかったし、親戚も一人もいない。そのため、他社に内定が決まっていた成人したての兄を連帯責任者として引っ張りこんだのだ。今まで見たことがないくら必死拒否をする兄を力で脅して内定辞退させ、結局二人でコンビニ経営することになった。

その後研修のため2週間家を空けるとの事で、私は児童養護施設一時的に預けられた。そこで、我が家生活が異常だったことを知る。皆が好きなように時間を過ごし、ルールをこっそりやぶって笑いあったり、ご飯がまずいと文句を言ったりのんびり団欒を過ごしたりする。私はそこで初めて家庭の温かみを感じた(違うかもしれないが)、家庭の会話に温度を感じたのが初めてだったのだ。予定は2週間だったが、直前で兄が家出をしたため結局1ヶ月をそこで過ごした。兄は警察保護され、父親研修を受け、私は最終日に家に帰りたくないと大泣きした。そしてコンビニ経営スタートする。

そこから半年ほど私は廃棄のコンビニ弁当だけで生活をした。父親と兄はローテーションでひたすら無休で働いていた。生活リズムはめちゃくちゃだった。兄は父親への反抗で風呂に入らず出勤したりしていた。4日風呂に入っていない兄は汚くて臭くて嫌だった。これでコンビニ接客してるのは今考えてもやばい。私は父親に捨てられることが怖くて、反抗はできなかった。食器を並べる時、父親の箸を少し崩して置くのが小さな抵抗だった。父親メニエール病発症していたがそれでも休むことはなかった。「このままじゃ破綻すると思う」と声をかけても「私への誕生日プレゼントとして休みを取ってほしい」と声をかけても「俺の仕事に口出しするな」と怒鳴られ物を投げられて終わった。いつか父親死ぬだろうなと思った。死んだ。

中2の冬のある日。父親が死んでいた。

その頃の私は起きられている時に父親学校に送迎してもらっていた。その日もいつも通り学校へ乗せていって貰おうと思っていたが、寝室に父親がいない。トイレにもリビングにもいない。家中探してもいない。けど、外に車はある。そうして車を覗きに行くと、眠るように死んだ父がいた。最初普通に眠っているのかと思ったが、こんなに寒いのに白い息が出ていなかったため何かがおかしいと思った。大声で何度も父親に呼びかけるがピクリとも動かない。何度も何度も呼びかけても動かなくて混乱した私は中学校の先生電話をかけた。

それからはあっという間で先生が来て、警察が来て、救急車も一応来て、警察の人に「恐らく煉炭を使用した一酸化炭素中毒による自殺事件性はない」と説明を受けた。兄はコンビニに出勤していたので、事情聴取は私が受けた。警察の人に色々教えて貰って、家族葬の予約をとって父親を骨にした。

父親のために生きていたようなものなのに捨てられたんだなぁと思った。私と兄はみっともなくあがいて生きてまでどうにかしてあげたい存在ではなかったんだなって。

この時から私の内側の時間は止まっている気がする。

ちなみに母親は、父親の死を知り家に押し入って来て、殊勝な態度で「また一緒に暮らしたい」と言ってきた。どの口がと断るのだが断った途端に豹変し、ズカズカと家の奥へ踏み込んで家探しをして貴金属を持ち去っていった。

兄は対人恐怖症で私以外とまともに会話ができないので、来客や自治体等の対応は今も昔も私がしている状態だ。

なんか思い出してつらくなってきた。

この後のことは簡単説明する

・しばらく兄妹で生活する

精神科入院する(半年ほど)

退院と同時に児童養護施設入り(中3)

・入れ違いで兄が入院

高校進学。兄、就職

・兄が家事できず家がゴミ屋敷になる

・またも解離症状が出るも施設から理解がない

施設に馴染めず入院から退院

・安定して通学できず単位が危うくなるも担任先生サポートでなんとか進学

ADHDの診断を受けるがやはり施設から理解がない

・薬でなんとか通学できるようになる

公務員を目指す

・なんとか内定をもらい高校卒業する

施設を出て家に戻る(ゴミ屋敷)

公務員就職

パワハラやら元々の特性やらでぐちゃぐちゃになり休職

半年くらいの入院生活人生で1番楽しかった。

ゴミ屋敷支援員の方々の協力で脱却した。別に綺麗ではないけれど。

休職して半年ほど経つけれどいまだに無気力で何も出来ない。人とのコミュニケーションが怖いし、他人を信用できない。体調が良くなっても性格が、性格が良くなっても、特性人生邪魔をする。

目の前のことに必死すぎて友達ほとんどいないままここまで来てしまった。というか人の頼り方がわからなくて信頼関係が誰とも築けない。誰と話しても気を張ってしまう。相手不快にさせないようにと顔色を伺ってしまうし、自分自分を大切にできない。

兄は給料が少ないことと友達がいないことを度々気にしながらも、趣味ゲーム息抜きしながらなんだかんだ楽しそうに生きている。今はウマ娘にハマっているようだ。よく私に育成の楽しさを語ってくれる。

現状生きてれば良し、面倒なことは後回しで良くも悪くも細かいことは気にしない性格なのだ。私もそうなれたら良いのだが。

なんか今まで色々、色々あったけど社会に出たら一人の人間しかない。親ガチャの失敗のせいにしたいけど、毒親持ちでも立派にやってる人はたくさんいて、自分を褒めてなんてあげられない。

これからどうしたらいいのかビジョンも何も浮かばないよ。死ぬのは怖いから生きたいけど、生きるのは辛いよ。

2021-03-02

新聞購読者死亡、くも膜下出血

新聞を購読している件との相関は調査中とのことです

2021-01-17

母を施設に入れてきた

今日、母を施設に入れてきた。


今日引っ越し施設は2軒目だ。施設から施設引っ越し

払える金額内で少しでも良い施設をと必死で探して見つけて、1年以上待ってやっと空きがでた。

コロナに備えて家族総出で厳戒態勢の引っ越し。小綺麗な部屋を見て母はすっかり満足して喜んでいた。

恐らくここが母の終の住処になるのだ。

スタッフさんの説明を聞きながら、隣ではしゃいでいる母は見た目はおばあさんなのに5歳くらいの女の子のようだ。

本当に子供のようになってしまったのだなあと思う。


母は一昨年の5月くも膜下出血で倒れた。

あと4ヶ月すれば2年になる。

もうこれ以上良くなることはないし、元と全く同じ母に戻ることはないのだろう。

ずっと、母は少しづつ良くなっている、いつかもっと良くなって一緒に暮らせる日もくるかもしれないと思ってたけど、

もうこれ以上はよくならないのだろう。

どんな形であれ、今のこの母の姿が母なのだ

頭が良くて、海外ミステリーが好きで、クロスワードバリバリ解いていた母は戻ってはこないのだ。

この1年8ヶ月、母のちょっとした言動に、良くなっていると喜んだり、やっぱりダメだと失望したりを繰り返してきた。

でもいつか治るかもしれないという期待は母にとっては残酷なのだと気付いた。

可能性を信じて希望を捨てずに努力するなんて、そんなのはもっと若い人たちだけの話だ。

自分がもう前のようには暮らせないことを認めようとせず、何も変わってない、私は普通だと言い張る母に

どうして病気を受け入れられないのかと苛立っていたけど、

母の現状を受け入れられなかったのは私も同じだったのだ。

期待も希望ももう捨てよう。

今の母が楽しく毎日過ごしていればそれでいい。

そういうことにしなければ。


それでもそんな思いを一番相談したいのは母だ。

母のことで悩んでいるのを母に相談したいけど、相談できる母はもういない。

2021-01-05

20年ぶりに引きこもりの従姉妹と会った

ただそのような出来事があった、というだけの話なんだけど。あまり気軽に友達に話せるようなことでもないのでここに置いてく。

自分40代女。20年ぶりに従姉妹と会った。

発端は先月末、隣の市に住む親戚のおばさん(従姉妹母親)が入院したことから

おばさんは私の伯父の奥さんで伯父は20年ぐらい前に癌で亡くなっている。

姉妹とは今回会うまで伯父の葬儀で会ったきりだった。

伯父夫婦には2人子供がいる。兄には生まれつき知的障害があるが大人しい性格普段施設暮らしている。

3歳ぐらい下の妹、つまり今回久しぶりに会った従姉妹高校受験地元で一番の進学校へ入ったが中退し、アニメかなんかの専門学校へ行ったらしい。

だけど就職もできずどのバイトも続かずそのまま引きこもるようになったときいてた。

伯父の葬儀でも見た目は普通女の子だったがずっと無表情で完全に心を閉ざしている感じで、誰かが話しかけても無視必要なら頷く程度だった。

おばさんは生前「あの子はずっと私を憎んでいたの。」と言っていた。

伯父は癌になるまで大企業役員クラス仕事をしていて激務だった為、家庭はほぼ妻に任せていたと思われる。

そして従姉妹中学生ごろから両親に「どうせ兄の世話を押し付けるつもりで私を産んだのだろう。」みたいなことを頻繁に言っていたらしい。

ただその兄はもう長いこと施設暮らしていて年末年始などたまに実家へ帰っていたが、今ではもうそ施設での規則正しい生活のほうが本人は楽なようで、両親の死後もそこで暮らせるような手筈にはなっている。

伯父夫婦と私は冠婚葬祭やたまに外でごはんを食べたりお土産のやりとりなどそこそこの親戚付き合いはあった。が、どれぐらい従姉妹を立ち直らせようというような働きかけをしていたかは知らない。

おばさんは洋裁が得意で、多趣味油絵音楽を習ったりしていて、いつも忙しくしていた。自分の娘のことは「なるようにしかならないから悩んでもしょうがない」と諦めていた感じだ。

まりクヨクヨしない、楽天的性格といえばそういう性格の人だった。

おそらく従姉妹とは性格が合わなかったのだと思う。母娘でも合わないなんていくらでもあるし、本来なら相性の悪い親と一緒に暮らすのは苦痛で仕方ないだろう。

しかし従姉妹には独立できるほどの能力も気力もなかった為に親元にいるしかなく、同時に激しく憎むという生活を長年送ってきたのかもしれない。

しかし今回おばさんが急に入院、容体悪化危篤ということになり、色々あって私が従姉妹を連れて病院へ行くことになった。

まずおばさんの家の中を見たのはたぶん5年ぶりぐらいだけど、ほぼゴミ屋敷になっていた。前から物が多いなとは思ってたんだけど、足の踏み場はかろうじてあるという感じ。

そして20年ぶりの従姉妹はかなり見た目が変わっていた。かなり太ってたのもあるし、もちろん中年になれば変わって当然なのだが、とにかく外に出ず他人との交流がない生活をしている人間だというのがひとめでわかるような風貌だ。最初ちょっと正視できなかった。そして、何を話しかけても言葉を発しない。

姉妹に、お母さん入院したことは知ってるの?ときくと、僅かに首を横に振った。知らないしそもそも興味もないという顔だ。それで彼女説明して

「お母さん危ないみたい。明日の朝、迎えに来るから、お母さんに会いに行こう。」と言うと彼女は小さく頷いた。

冷蔵庫の中を見ると生鮮品は古くなっていたが米はあるしインスタントレトルト食品も山ほどあったのでしばらくは大丈夫だろうと思ったけど、もし足りないものがあれば近くのコンビニに行きなさいと従姉妹に少し現金を渡してからその日はいったん帰宅

翌朝車で迎えに行ったら従姉妹は服を着て2階から降りてきた。

相変わらず何も喋らないが、もしかしたら行くのを嫌がるかと思っていたので素直に車に乗り込んだのを見て少しほっとした。

今は面会の制限が厳しいから、私だけだと入れて貰えなかっただろう。

病院につくとおばさんはICUの中で人工呼吸器をつけ意識もなく寝ていた。

医師によると最初は違う病気で元の病院入院していて意識もあったが、そこで突然くも膜下出血を起こして手術可能なこちらへ運ばれてきたとのこと。脳内出血がひどく完全に瞳孔が開いており、手術せずこのままだと年内もたないとのことだった。そして手術して命は助かっても植物状態で寝たきりになるという。

手術するかどうかはおばさん側の実家の親戚に電話をして経緯を話し、「しない」ということになった。

で、面会はこういう時期なので身内に限りひとりだけと言われ、従姉妹に入るよう促した。が、動こうとしない。

彼女の様子を見た看護師さんが状況を察したのか、私に「付き添いということなら、一緒に入っていいです。」と言ってくれ、従姉妹を連れて一緒に中へ入った。彼女は手を引くとようやく足を動かした。そして看護師さんが寝ている母親の手を布団から出して「もう最後ですよ。手を握ってあげて。」と言われると一瞬だけ母親の手に自分の手を重ねた。でもそれは言われたからした、という感じで、すぐに手は引っ込められ、彼女の様子からは何の感情も読み取れなかった。

もしこれがドラマとかだとそこで急に従姉妹が後悔して泣いたりするような展開なのかもしれないけど。

わかったのは、従姉妹は本当に自分母親が嫌いだったんだろうなと。悲しい気はしたけどそれはそれで仕方ないとも思った。

彼女にとって赤の他人に等しい私には彼女事情内面は計り知れないし、実親が死にそうだから泣いて手を握らないといけないということはない。

自分はなんか余計なことしたのかな、という気分にはなった。

それより彼女にとってはこれから自分のことのほうが、重要なのだろう。今までと同じ生活がもう出来ないことはちゃんとわかっているはずだし。

私もおばさんに最後挨拶をして、病院を出た。

翌日、連絡した従姉妹の母方の親戚(おばさんの甥・姪にあたる人)がこちらへ出てきた。なんでも甥はおばさんから自分にもしものことがあったらと従姉妹後見人を頼まれていたらしい。

そして私と一緒に従姉妹の様子を見たいということでまた会いに行ったのだけど。

彼女に僅かな変化を感じた。

相変わらず喋らないし反応も薄いけど、前日はほったらかしだった伸ばしっぱなしの長い髪は後ろで一つにきっちりとまとめられていた。たったそれだけのことでも、なんかだいぶまともに見えた。

おばさんはその数日後に亡くなり、こんな時なので葬儀も僅かな身内だけで済ませて葬儀後の会食などもせず終わり。

今後、従姉妹のことは(彼女の兄のことも含め)そちらの親戚に任せることになった。近々市の福祉課にも相談に行くとか言っていたし、ちゃんとしたしっかりした人たちなので大丈夫だろう。彼女が長年暮らしたあの大きな家も処分するのだろうな。

そして彼女がこれからどう生きてくのかはわからないし、もしかしたら私はこの先彼女と会うことは二度とないかもしれないけど。

彼女の様子を見て、自分母親の死に対してある意味ホッとしてるのかもなって思った。

姉妹精神的に問題あるだろうし引きこもりだけど、8050問題になって親に刺し殺されたりするような人もいる世の中でだいぶラッキーな人だなって感想でした。

やけに疲れたので正月三が日はひたすら寝てました。

4日夜、東京 渋谷区タクシー歩行者を次々にはね、1人が死亡、5人が重軽傷を負った事故で、

タクシーの73歳の運転手が当時、くも膜下出血を起こしていた疑いがあることが捜査関係者への取材で分かりました。

みなさんは、タクシー運転手くも膜下出血で倒れて暴走してくる危険性を考慮した行動をしていますか?

2020-12-04

よく行くスーパーにやたら私の後を追っかけてくるおっさんがいるんだけど???くも膜下出血とかで突然死なないかな。猿は早く死ねばいい。

2020-06-05

今回のアメリカデモって平和的だよね?

略奪行為許せないマンネットアメリカデモ批判してるけど、日本人なんてデモ警官ぶっ殺してるんだよな。

沖縄では殴打の後、火炎瓶投げて火達磨、すぐ消火されたものくも膜下出血で死亡。

渋谷では身動きができないように殴りつけてきちんと失神させたあと、ガソリンをかけて、火炎瓶を投げて焼き殺した。

日本人ってやっぱり頭おかしいよ。

一部の過激派のせい、って分断してるから日本人民度が高く平和的な民族」っていう自己認識に浸れるけど。日本人の中には一定数の過激人間が居ることに変わりはないんだよ。

警官からしたら見分けられないんだから、身を守るには暴力が前提になってくるし、その過程でうっかり殺しちゃっても仕方無くない?

暴力的な日本人が悪いと思う。

2020-05-15

anond:20200515125835

くも膜下出血が一ヶ月続くとかありえんよ

軽いやつなら自然治癒してるわ

2020-05-03

28歳になってから不幸が尽きないんだが

妻→産後意識不明ICUと行き来

子→心臓に先天性疾患、精密検査繰り返し中

猫→腎臓発症、週2日通


父→がんが発覚、2か月後に死亡

母→くも膜下出血下半身障害

妹→結婚8か月で旦那浮気離婚


仕事→こんな情勢ながら過去一番成績を記録、なのに窓際族(社内便仕分け等)に(同僚・上司困惑して人事に声を荒げてくれている… なぜ)

家→落雷給湯器が破損、外壁(1面だけ)焼損、出窓割れる(風?)


こんなことってあるんだ。壺を買う人の気持ちがわかる気がする。

2020-03-08

髄膜炎について

突然髄膜炎心配する声が世に増えているが、基本的髄膜炎は運が悪いとなる病気であるコロナ関係なくなる。

髄膜炎が怖いんだけど早く病院にかかりたい!という声があるが、早く病院にかかっても髄膜炎になることはある。昼間風邪受診した患者が夜救急に飛び込んで来て髄膜炎でしたなどというのは稀によくある話である

髄膜炎とはそういう病気である

髄膜炎頭痛は、だいたい本人がそれまで経験したことないレベル頭痛がする。

COVID-19の受診基準を今一度みてくれ

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00001.html#Q27

頭痛が酷いときどうすればいいか?は書いてないな?

頭痛が酷いとき病院にかかれ。とくに「イヤイヤ」と首ふることができないとき病院にすぐにいけ。本人してるつもりで全然頭が動いていないこともあるから人に見てもらうとなおよし。他には漫画MONSTER」の警官母親くも膜下出血編でやった顎を首につけてもらうよういってその間に指何本入るか確かめるというのもある。これも本人はやったつもりで全然首動いてないことあるので自分で指いれてみたり他人に指いれてもらうとよし。

2020-03-05

僕の心のヤバイやつ2巻とも買って読んだよ

例のコラムから興味持って無料で読める部分とか、ツイッターのやつとか、皆の考察ずっと読んでた。

コロナのせいでなんとなくショッピングモール内の本屋行きたくなくてうだうだ無料分だけ読んでウオー!ってなってたんだけど、今日ハロワ失業保険認定に行かないといけなくて、ハロワ内のこもった空気でもうコロナは諦めたのでその足で本屋に行った。

イトーヨーカドー内の本屋は小さくて、横のちゃちい飴とるゲームは少し子供いたのに本屋コーナーには子供寄り付いてなかった…漫画コーナーも小さくて「ネット連載の漫画あるかな…」と少しどんよりした気持ち漫画コーナーにIN!

まず新刊コーナーにシメジシュミレーション発見しかし同時発売の少女終末旅行アンソロ2巻がない!別の日にそっちは買うかって思ってシメジシュミレーション持ったら店員が背後から少女終末旅行アンソロ2巻を補充してくれた!見透かされてる!!

しかも小さいのに邦キチ!映子さんが全巻平積み!欲しかったけど見つからなかったやつ!

店員オススメコーナーに自分が今一推ししてる魔女と野獣があってちょっと怖かった。

肝心の僕の心のヤバイやつが見つからない…てか秋田書店とか少年チャンピオンコミックが異様に少なかった…少年漫画青年漫画も棚一つずつしかないので3回ウロつけば見つかるはずなんだけどな…人気あるみたいだし売り切れかな?とレジに行こうとしたら

人気漫画コーナー

にあった!レジの目の前だから気づかなかった!!


そんなわけで待望の僕ヤバを2巻全部読みました。

ツイッターほど仲良くないんだ!?ってちょっと驚いた!山田ってチョロめだと思ってたんだけど攻略難度めっちゃいね!即バッドの選択肢けっこうあったよね!

鼻血出してるとこと好きだってとこで泣いちゃった…

山田だけ見てると高校生漫画みたいだけどしっかり中学生なのすごいし、ヒロイン一人固定ものなのにサブキャラもめちゃめちゃ好きになっちゃう…すごい。

足立市川からしたらクソウザイしちょっと怖いけど意外と悪いやつじゃないし、変態神崎が原さんと上手くいってたり女子好感度高かったり、萌ちゃんビッチっぽいけど山田を守ってたりテスト良かったり漫画読んでたり(ニワカっぽいけどバキの生原稿めっちゃ喜んでた)、小林さんが一番チョロそうだったり、吉田さんは怖いけど山田のために怒ったり、原さんもけっこうムッツリスケベっぽそうだし勘づいてるし優しいし…先生担任ちゃん市川のこと見てるし保健室先生普通にいいし…ナンパイセンがいい人そうなのもリアル感ある。おねぇっていいね

太田(太ってる影の薄いやつ)はわからん

とにかくめっちゃ中学生だよね。いいよね。

あとなんで何回も何回も読み返しちゃうんだろ。とにかくヤバイ。ずっと二人を見てたい。自分になかった青春を二人は謳歌してほしい。

怖い想像なんだけど市川は「僕は頭がおかしい」って思ってたり、保健室で休まないといけない程の頭痛持ちって…脳に物理的に爆弾抱えてたりしないよね?脳腫瘍とかくも膜下出血とかないよね?勝手心配になった…

2020-02-27

anond:20200227093831


ここまでやられてまで痴漢捕まえる意味あったんすかね。。

2020-02-21

力なき正義は無力

痴漢に突き飛ばされて

右側頭骨骨折

急性硬膜外血腫

外傷性くも膜下出血

ヘルニア

錐体骨折

2019-12-23

憎い友人が死んだことを半年遅れで知った。

ただの、フィクションの⻑駄文です。

⻑い⻑い文になってしまった。



1ヶ月ほど前、私の男友達からメッセージが来た。

Facebookの、アイツの投稿なんだけど」

と文に続いて画像が送られてくる。

Facebook投稿の、スクリーンショットだ。

だいぶ彼も慌てていたのだろう。

ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。

Facebook投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。

彼女の母を名乗る者から投稿は、淡々とした文で訃報を綴る。

しおり半年前、突然の病気で急死したこと

心の整理がつかず連絡が遅れてしまたこと。

そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。

かに淡々と、けれど詮索を拒否する文面がそこにあった。

LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。

とはいえ彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。

返信をしてからすぐに、彼から電話がかかってきた。

彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。

その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。

本当は大笑いしたかったのだ。

憎い憎い、彼女の死が、心の底からしかったのだ。

私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。

当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。

そういう、他愛もないよくある関係の三人だった。

そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。

彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。

そういう微妙バランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。

そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。

私は彼女完璧無視されながら、「三人で話していた」。

まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧無視されていた。

理系大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。

大学中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)

ただの恋敵からマウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。

その願いは数年後に叶うとも知らずに。

その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。

大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。

食事も取れず、かなり痩せてしまたこと。

そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇シンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。

実際彼は、彼女のことを心配していたし。

私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。

彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。

そうして、今回の訃報に至る。

彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。

勝った、と思った。

私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。

わたしは、人の死を、よろこぶひとになってしまった。

後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。

多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。

から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。

バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。

彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。

けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。

穏やかな顔で私は嘘をついた。

「知ってたよ?あの子、たまに私に相談してくれてたから」

割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。

何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。

どうしても彼女恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。

どうしても身体関係を結べなかったこと。

最後喧嘩別れしたこと

そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。

これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。

そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。

けれど、彼女は死んでいる。

からこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。

そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。

草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。

彼女には未来がないこと。

それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。

あんなに学歴や彼との距離感マウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。

もう彼女には何もない。

あんなに心を崩すほどに勉学に励んでいたのも無駄になった。

入った大学キャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。

そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。

何よりもそれが嬉しい。

彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。

リビングには薔薇ドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースクロスが敷かれていた。

そして、彼女仏壇を置くために、一室を使っていた。

仏壇とき大仰なと毒づいてしまいそうになった。

演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。

くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。

悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。

仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分我慢 しよう、という気概を感じ取れた。

男子からこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。

リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。

「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」

彼女の母と、私は目で訴え合う。

それを聞くのか?という母親の目と、

死因を教えて楽しませろという私の目。

たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつのなのだと感じてしまっ た。

あの、喰えない女を産んだ女だ。

「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」

浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。

ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。

けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。

彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。

話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。

浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。

けれども、脳浮腫医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。

浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である

それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。

たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である

そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。

そして私は、一つの結論に至り、また悦に浸る。

まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。

浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。

可能性はこちらの方が高そうだ。

突然、死に至る病としては説得力がある。

けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。

から、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。

浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものであるくも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。

そして、私はふと思い出すのだ。

彼女大学入学からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。

そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。

もちろん七割は、私の願望なのであるが。

帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。

その煌めきの中に、彼も共にいる。

なんと幸福時間なんだろうと、心の底から思った。

この煌めきを、彼女はもう永遠に味わえない。

その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。

から、いいのだ。

彼の口から、今の彼女との結婚プランの話が出てきたとしても。

彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。

この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。

から、その今の彼女名前を、今回死んだ彼女仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。

来年の今頃、彼は式を挙げる。

彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。

それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。

そして、もうひとつ彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。

彼女は、どのように死んだのだろう。

微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?

それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。

ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。

けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。

首吊り飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。

ああ、彼女は、世界絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。

今までの努力が全て無駄になった上、 彼から彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望最中彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。

そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。

私の恋心はどこから崩れてしまったのだろう。

駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。

からは、ニコニコと笑いながら答えが返ってきた。

「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。

来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。

それは、幸せことなのだ、きっと。

そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せ人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。

死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。

やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。

その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。

この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。

ただ一つの結論として言えることはある。


こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。

2019-12-08

LIFE!』という映画が好きなんだけど

父が難病の末になくなり、その3ヶ月後に母がくも膜下出血で倒れた。

一命は取り留め、経過も順調だけど後遺症おかしくなってしまった。動くことも話すこともできる、でもなんだか夢の世界に住んでいるようだ。

言っていることもすることも幼稚園の子ものよう。自分ではまともなつもりなので何度ダメと言っても聞きわけがない。

自分が泣いても怒っても母の心に響くことはない。

「何プンプン怒ってるの」「すぐに泣いたり怒ったりどっちかだよね」

これから母が入る施設のために一円でも切り詰めてと頑張っているのに、「最近増田ケチになったよね〜」と姉に言っているのを聞いてしまった。

姉が良き理解者になってくれているのが救いだけど。

映画の『LIFE!』のように飛び出して行ったら、どこかに自分のいく先があるんだろうか。

2019-09-17

anond:20190917150434

現実には「くも膜下出血とか脳挫傷とか経験した」人だとすれば、

「胸筋程度で垂れないと思ってるんだったら 脳みそ洗って出直して来い。」というのは違うってことですね

このバカはどうしてこのような非現実的なことを言い出したのでしょうか不思議ですね

anond:20190917150257

現実にはくも膜下出血とか脳挫傷とか経験した人は実質脳を洗ってるんじゃないか

2019-08-22

備忘録

福田和子

1997年 (およそ15年の逃走の後)逮捕

1999年 松山地方裁判所 無期懲役判決

2000年 高松高裁 控訴棄却

2003年 最高裁 控訴棄却

2005年 くも膜下出血のため死去

逮捕されたのは22年も前のことだったのか。

更に、死んでから14年も経ってる。

懲役刑を全うすることなくあっけなく死んじまったんだな。

上手いこと懲役刑を逃れたような感じ、温いな。

2019-08-06

歳を取った

ずっと中身は19歳くらいで止まっているような気がしていた。

学生時代から友達と会うと、「歳を取るってこんなことなのかな。昔と全然変わってないよね」と笑っていたのに。

つい最近の事のようだ。

ここ5年の間に父が寝たきりになって死に、自分病気になり、母もくも膜下出血で倒れた。

ある朝目が覚めると19歳からに50歳になっていた。

鏡に映る顔さえ一気に老け込んだように見える。

この先何が待っているというんだ。

後は年老い死ぬだけじゃないか

2019-07-28

孤独

5年に及ぶ闘病の末、父が亡くなった。

最後の2年は寝たきりだった。

自宅でずっと介護をしていた母と、父を看取ったら海外旅行に行こうねと約束していたのに、その3ヶ月後、母はくも膜下出血で倒れてしまった。

幸い命は助かったが後遺症が今も残っている。

母が退院後に入る施設を探して見学に行く途中、見知らぬ地下鉄の駅で不意にあまり孤独不安で押しつぶされそうになった。

母は決して良い母ではなかった。親子仲も良かったわけではない。

でも父を介護するこの5年間、同志になった。

自分病気もあり、この世の中こんなに辛いことがあるのかと思いながらも母と協力してなんとか乗り超えて来た。

これからは一人で乗り越えていかなければならない。

孤独

5年に及ぶ闘病の末、父が亡くなった。

最後の2年は寝たきりだった。

自宅でずっと介護をしていた母と、父を看取ったら海外旅行に行こうねと約束していたのに、その3ヶ月後、母はくも膜下出血で倒れてしまった。

幸い命は助かったが後遺症が今も残っている。

母が退院後に入る施設を探して見学に行く途中、見知らぬ地下鉄の駅で不意にあまり孤独で押しつぶされそうになった。

母は決して良い母ではなかった。親子仲も良かったわけではない。

でも父を介護するこの5年間、同志になった。

自分病気もあり、この世の中こんなに辛いことがあるのかと思いつつも母と協力してなんとかなんとか乗り超えて来た。

これからは一人で乗り越えていかなければならない。

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