はてなキーワード: 早慶とは
生まれた時から人と違った。上唇と上顎の一部が欠損した口唇口蓋裂という形で生まれた。
この欠損は特別珍しいものでもなく、500人に1人くらいの割合で起こるものらしい。また現代の医療は素晴らしく、成長期までに複数回の外科手術をすることで本当に目立たないようにしてくれる。でも目立たないのと自分の中のコンプレックスは別。物心ついた頃から、「自分は人と違う。出来損ないだ」って思ってた。思春期の頃はアルバムを引っ張り出して赤ちゃんの頃の写真をビリビリに引き裂いて捨てるほどだった。普通になりたかった。だから将来の夢はサラリーマンだった。
小中学校では、「普通の人たち」に認められたくて、たくさんの友達を作った。ギャルっぽい女子も暗い男子もヤンキーも関係なく話しかけて100人くらい友達がいた。大人に認められるために良い子を演じてたから授業も真面目に聞いて、成績も良かった。でも、どこか劣等感を抱いていたので、少しでもコンプレックスを取り除くために進学校と呼ばれる偏差値の高い高校に行けた。
高校では、それなりに運動ができるようになりたかったから、体育会系の部活を一生懸命取り組んだ。
すごくキツい部活で何度も辞めたくなったけど部活動加入率が90%超える高校だったので帰宅部は普通じゃないと思ったので耐えきった。部活を必死にやってたので学力は落ちた。周りの奴らは部活も勉強もできる奴らばっかで、みんな早慶とか国公立に行く人ばっかだった。相対的にバカな私は一浪して、自分の中でまぁ納得出来る大学までいった。
大学生活コンプにならないためにサークルもバイトも人並みにやったと思う。相変わらず友達をたくさん作ったのでレポートとかテストもいろいろな人の力を借りて乗り切れた。留年はしなかったけど成績は良くなく、下から数えたほうが早い席次だった。自分のいた大学では理系の8割くらいは大学院に進学した。普通を求める自分は、とくに何も考えずに進学を希望した。
元いた大学は研究界隈ではコンプレックスを抱きかねないくらい設備に乏しい。だから大学院では東大に行った。ちょっと残ってた学歴コンプも研究能力コンプも払拭するつもりだった。研究室での2年間はしんどかった。優秀で、勉強も運動も恋愛も遊びも就活も要領よくこなす奴らに囲まれた。かたや自分は、知識も経験もモチベーションも全て中途半端だった。周りの優秀な東大生はもちろん社会的にも評価されて、大企業から内定をもらってた。私は大企業だと生き残れないと思ったので、ワークライフバランスを重視している中堅企業に狙いを絞って、なんとか一社内定を貰えた。就活が終わって、久々に元々いた大学の友達と飲んだとき、彼らも一流企業の内定をもらってた。優秀な人たちだったから、納得は出来た。でもやっぱ彼らに対して劣等感を抱いてしまった。俺は東大にいっても変われなかったんだって悟ったのかもしれない。
ねじ曲がった心から生まれたサラリーマンという夢も叶えられたし、就職先もひっくるめて今までの人生に後悔はしていない。友達も尊敬できる人にもたくさん出会えたし、自分のできる限りを尽くして生きてきた。しかし私は東大生に求められる能力を持っていない。コンプレックスも解消できなかった。どんなに頑張っても牛の尻尾にしがみつくのが限界だった。ESでは、なんでもできる努力家を偽っていた。しかし現実は全て中途半端でADHD気質のコンプ持ち落第生だ。来月から会社でやっていけるのだろうか。一生懸命頑張ってもいつも周りには「より優秀な人」や「もっと頑張れるヤツ」がいる。
どれだけ、いつまで頑張れば私はコンプレックスをなくすことができるんだろう?
どれだけ走り続ければ私は幸せになれるんだろう?
表向きは男女平等・機会均等が重視される世の中でも根強く残っている理由は「差別は恥だが役に立つ」からなんだよね。
雇用側からすれば優秀で企業の要求に反抗することなくきっちり仕事をこなせる人が欲しいのであってそうでない人はいらないわけだ、そこから考えると。
学歴は本人の能力を計る上で役に立つ、東大とか早慶に入ってた人と偏差値50以下のFランレベルの学生だと素の頭の良さとか要領の良さで差が出る。
企業側としては新卒は仕事ができない無能と言う事は理解してるから大学で何を勉強したかよりも難関大学に入るレベルの頭の良さと要領の良さに期待しているわけ
そこに運動系のサークル所属もしくは部活動経験があれば体力や根性もあると見られるからさらに有利。
専門学校はバカが行く所と認識されているから大卒募集枠に専門の特待生レベルが挑んでも九割方書類審査で落ちるね、高専の方がまだまし。
あと高学歴って案外素直な子が多いから企業側が自分専用の労働者として調教しやすいってのも人気の理由、馬で言うとサラブレット扱いなんだよ。
性別は本人の将来性を計る上で役に立つ、企業側としては多少無理をさせても折れず働き続ける人が欲しいわけさ。
妊娠して産休とか生理を理由に休むような女に仕事を頼んでもいつ休まれるかわからないと言う不安を感じる企業が多い(表向きはそうでない所が多いけど本音は違う)
「産休は取るべき」と言う意見が世間に広まっている今でも表向きは寛大でも本音としては「忙しい時に産休取るんじゃねよーよクソ女」と考えている経営者が大多数。
生理も同じ、しかも女は結婚すると会社側が用意したキャリアパスを放棄してでも私生活重視で働くからかなり扱いにくいし思った通りに
調教できない上に辞める可能性も高いからどんなに優秀でも女ってだけで難色を示す会社が多い。(表向きは気にしてないけど)
女と比べると男はプライドをくすぐる様な事を言えばすぐに自らの私生活を犠牲にして企業に尽くす人が多いから人気なんだ、辞めにくし体力もあるしね。
本音としては生理は仕方がないにしても結婚・妊娠・子育てからほど遠いバリバリ働く独身キャリアウーマンが理想なのさ。
実際に企業を見たり経営者と話したりすればわかるけど、ネットの声だけが世の中を表しているわけではないよ?
はてなはweb業界の人が多いから伝統的な大企業に関しては何も知らない人が多いから理解できないだろうね。
もう一度言うよ?雇用側からすれば優秀で企業の要求に反抗することなくきっちり仕事をこなせる人が欲しいのであってそうでない人はいらないってのが本音、それを前提に就職活動や転職活動しないと病むよ。
あの簡単なセンター国語がたったの7割でマーチの国語満点とか取れてるわけねえだろ。
まだ現役合格を諦めきれなく、後期私大の申し込みを行いました。
プライドが高い為周りの友人には話せずこのような形で1度気持ちの整理をつかせたいと思います。乱文になると思いますがお許しください。
中高は私立の一貫校でした
私は小学生の頃塾に通う=携帯電話を持たせてもらえるという安易な発想で中学受験塾に強請って通わせてもらいました
運良く頭はそれほど悪くなかったため、週5日塾に通い多分余裕で今の進学先に合格しました
裏を返せば何もしなければ入学当時のまま
私は完全に後者でした
なんとなく高校生になってから塾の講習へ行き、進路に迷ったりなんだりして結局志望校を固めて本気を出しはじめたのは高3の秋ごろだと思います、今考えると遅すぎる開始ですよね
一応冬には自習室に篭り、過去問を解くという日々でしたが私立専願のくせに私大より簡単なセンターの問題ばかり解いていたり毎日現実から逃げていた気がします
受験をしたことがある方ならわかると思いますが早慶目指しているレベルには足りない結果でした
もちろんここでセンター利用全滅です
滑り止めもダメでした
その後滑り止めの学校も受けた感じはまあ受かるだろうって自分では思ってました
今でも滑り止めに関してはなぜ落ちたのかわかりません
手応えとしては歴史が苦手だった為歴史が足を引っ張った気もしたが1学部は自信があり、2学部はまあ最低点は取れているだろって感じでした
まあの2学部はまだ合否出てないんだけどこの調子だと受かった気がしない
正直これの全落ちは予想外だった
これはちょい歴史でミスったなとは思ったけどそれ以上に国語は常に満点だと思っていたし英語も良い結果だったと思う
先に書いたけど自称進学校の進学先内訳はトップ50人ぐらいは早慶行ってあとはマーチ
就職や専門に行ってる人は5年に1度くらい
でも去年先輩めちゃくちゃ浪人してた
どうしようかな〜いきたくないな〜っていうのか本音
ちょっとでも進学先のこと聞いてきたやつ殴りたくなると思う友達少なくて良かった
とりあえず後期私大まであと1週間、2週間?
それも全滅したら浪人するってさっきようやく口に出せた
プライドだけで上位校受け続けるとほんと後悔しか残らないし毎日泣く羽目になるから後輩たち、もしこの記事を読んだりしたら模試の結果を見て、自分の成績をよく考えて、志望校決めてね
どこまでも面倒だね
良かったらこんなクズな受験生いたなって思い出して応援してください
予想以上に励みになります
支離滅裂な文章になってしまっているので訳が分からないかもしれない。ただただ、僕の状況を思い出しながら書き連ねただけの文章。
まず、僕の状況から説明する。某都道府県のトップレベルの進学校に通っている地方国立大理系志望の受験生。判定はセンターで無事爆死して、出願大の二次試験で満点かそれ以上の点を取ってやっとボーダーに乗るか乗らないかのところ。なお、私立大はMARCHを受験はしたけれど受かっても行けない。親が行かせてくれない。現役ではダメ、と言われたため国立に受からなければ浪人。早慶ならいいと言われたが残念ながらそのレベルには達せなかったため受験をしていない。
こんな所に書き込みなんてしてないで、最後の最後まで諦めるな、って言われても残念ながら、この状況でいけると思えるほど強靱な意思を持ち合わせていない。
どう言っても敗者の言い訳にしかならないから気にせず言うが根本的に高校選びから間違えたと思っている。
親、周囲の「できる限りレベルの高いところに行きなさい」という言葉の言いなりにしかなれなかった自分が悪い。自己分析が不十分で、頭のいいやつがいっぱい集まればその中での序列が更にできる、ということに気づけなかった自分がただ悪い。
僕は一小一中の地元の学校に通って成績でトップに位置していた。先取りをして進める勉強は楽しかった。トップに居れることの快感からだと高校に入学して気づいた。
高校の内容を学習し始めてからは進度が遅くなって中学卒業の時点での進度はぎりぎり高校二年の内容に入るか入らないかくらいだった。先取り学習の進度が実際の学年に追いついてしまった事が少し怖かった。
高校で様々なテキストを渡されて気づいた。常に渡された教材を解き続けることで勉強していた僕は一学年分の教材を渡されてどこから手をつければいいか見当がつかなかった。
今思えば、そんなの最初から片していけばいい、ということくらいすぐに思い至る。でも、当時の自分は通学時間も、周りにいるメンバーも大きく変わった状況で混乱していたのだと思う。
そして、高校にぎりぎり、滑り込みで入学した自分は多分周囲から1歩か2歩出遅れていた。そこで勉強を始められていたら今が違っていたかもしれない。
僕はどうしたらいいか分からなくなって勉強をやめた。やめたと言うよりはしなくなった、が正しいかもしれない。表現はともかく勉強時間はゼロに等しくなった。
勉強時間が無くなった僕と初めから少しリードしていて少しでも勉強時間を確保した同級生。格差なんて一気に広がった。
模試の全国偏差値が初め65あったものが2年の夏には30まで落ちた。校内偏差値なんて気にするものではないと言うけれど、数字があるのなら気にしてしまう。
トップであることが勉強のモチベーションになっていたような人間にこの状態から受験勉強を普通に始められる、と思う方が失礼だがどうかしていると思う。
偏差値が最低を記録した2年の夏頃から鬱の様な症状などの心の方の不調が出た。特に親にも言わず、言えず、病院にも行かなかったから断言はできないが鬱だったと思うし、自律神経もおかしくなっていたと思う。2年の夏休み明けから学年が変わるまでは、大体保健室にいた。
3年に無事進級してからは受験が迫ってきたこともあって荒療治に出た。自分を勉強せざるを得ない状況に置いた。塾の授業の出席状況は親に筒抜けだったし、塾の希望制の特訓に参加したりもした。
はじめの頃は机に向かうだけで吐き気頭痛腹痛のオンパレードだった僕も調子に波がありつつも、休憩を挟みながらも一日机に向かえるようになった。
ちょっとやれば成績は上がる。その通りだった。V字回復とまでは行かなくとも『へ』の字をひっくり返したくらいの傾きで成績は上がった。模試の全国偏差値が55になるくらいまではすぐだった。秋以降になると伸び悩んだがまだモチベーションがあった。
冬になってセンターが終わった。数学で序盤にミスを連発したため数学だけで約80点を落とした。この時点で出願した大学に受かるのは絶望的になった。
僕は、進学と浪人、どちらでも選べるようにしたいと出願大のレベルを下げる事を親に提案した。親は僕の提案を認めて次の日学校で先生に候補の大学を出して貰いなさい、ということを言った。
次の日、先生と面談して幾つか候補の国公立大学を出してもらって親に見せた。そこで、意訳するとこう言われた。
意訳ではある。もしかしたら違うことを意図して言葉を発したのかもしれない。でも、受け取る側の僕はこう受け取った。びっくりした。同時に今年度の試験に対するモチベーションがゼロになった。
昨日と言っていることが違う。訳が分からなくなって僕はその日の話し合いを打ち切りにしてふて寝した。もしかしたらその場で真意を問うて意思疎通を図るべきだったのかもしれない。そうは言っても、センターが思わぬ結果に終わってショックを少なからず受けた受験生がそんなに冷静でいられるか。否である。
自分の事は、他の誰よりも自分が分かる。僕は勉強の事で大きなスランプに陥ったから、そしてまだ完全に回復したわけではなくて状態に波があるから、どちらの選択肢も用意したくて提案をした。僕にだって無駄に高くはあるがプライドのようなものもある。出来ることならできるだけ上位の大学に進みたい。でも、心身の状態がそれを許さないことも起こり得る。最悪の事態にならないためにも避難先を用意したかった。
出願を行ったのも自身であったから勝手に出願先を変えることもできた。しかし、しなかった。できなかったのかもしれない。そんな親の言いなりになっている僕が悪いと言われるのならそうなのであろう。
親は自身の体験から僕に苦労して欲しくないと思って様々な事を言ってくれている。そのことには感謝しているし、言う通りにすれば一般に言われるような幸せが訪れるのかもしれない。
でもその途上で僕の人生が絶たれたら?親が辿った時代と現代は事情が変わっていたりもする。親は親で、僕は僕だ。その先にあるものが万が一にも僕の幸せでなかったら?全てとはいわなくとも多くのモノが無に帰すのではないか。
僕はリスクを減らしたかった。ぎりぎりまで行きそうになったことがあるから分かる。もし、もう一度心が壊れたら多分ダメ。理系だから院にまで進学もするつもりでいる。大学と別の院に進もうと思えばそれもできる。そういう選択肢も教えてもらった。先延ばしにして猶予が欲しかった。自分の体制を整える猶予が。
残念ながらその機会は失われた。僕には、高い確率でもう一年死にそうになりながらやる道しかない。もう腹は括った。やるからには自分が許す限りやってやろう。
書いてみるとこうすれば良かったのではないか、というのが出てくる。でもそれは客観的に見た最善策であって当時の選べる最善策ではなかった。勉強の悩みなんて親に話せるはずもなかった。もし、話せたのなら理解もされただろう。日本語は通じるはずである。しかし、そんな事を許すような親ではないと思っている。僕から見るとそう見える。
他の人から見れば何をやっているんだ、と言われそうだが僕がその時に尽くせるベストを尽くした結果である。
内容が飛躍するが、親への不満、入試の仕組みへの不満、何より自分への不満がとにかくある。
もちろん、親に関しては自分へ金銭、時間の投資をしてくれた事への感謝もある。けれどもいつかは不満を、一覧にしたものを、突きつけたい。突きつけられるようになりたい。自分の意見をきちんと突きつけられるようになりたい。
出る杭は打たれるような所ではあるが打たれてなお出ていよう。自己で決定ができるようになろう。
かなり長い文章になってしまったから、最後まで読んでくれた方はいないかもしれない。もし、ここまで見た方が、この文を読まれたのであるならば感謝を伝えます。ありがとうございます。
実は今狙い目なのが岐阜情報科学芸術大学院大学の男の子通称「IAMASボーイ」。モテモテ慶應ボーイより、ガッツあるワセ男より、IAMASボーイを彼氏にする理由をご紹介します。
偏差値はよくわからないし、低くはない。凄いお金持ちもいるし、奨学金で生きてる極端な貧乏も。専門的な理工学の知識を持っていて、その分野で一流の専門的な会話ができる男の子が多いのです。「専門家が一番」と言う言葉をよく耳にしますが、「一流」にすることは実は大変な事なのかも。
IAMAS生は5割が多摩美・武蔵美を落ちた人たち。受験勉強では所謂“挫折”を経験しているのです。挫折を経験せずに全て完璧で何の苦労もなかった男の子は、自分が辛かったり挫折した時に気持ちを分かってくれません。IAMASボーイならその気持ちが痛いほどわかるはず。
IAMASボーイは母校がいっぱいあるので、他大の人とも分け隔てなく仲良くする事ができるのです。また、大学院に入学する前に学部から上がってくるばかりでなく、高専から入学する人、一流企業をやめてくる人、大学院を渡り歩く人等様々な人種がいるため、色々な人種の友達と繋がっているのです。
「普通の人生」という大きな壁に敗れたIAMASボーイ。それでも岐阜情報科学芸術大学院大学という知名度のない大学院に入学したのだから、少しの事ではへこたれないハングリー精神の持ち主なのです。
人生を踏み外した仲間が10割もいるが故、その“コンプレックス”が、“コンプレックス”にならずにもはや“合言葉”になるのだ。そして恥ずかしげもなくそれを他人に言う事ができる。嫌みっぽくないので聞いているこちらも清々しく、応援したくなるのです。
IAMASは理系大学院のみの大学、だから女子が少ないのです。女子より留学生の方が多いくらい。そう、IAMASボーイは女子からの熱い視線から反れたところで生息しているのです。だからこそ良い男の子がゴロゴロ余っているのです。
家庭教師で5人くらい見て来たけど、勉強法に向き不向きがある。
ただ、記憶術という点に関して言えば、最初に深く理解しても忘れる子の方が多いので、
まずはとりあえず覚えさせて、反復させて、定着させてから成り立ちを覚えさせた方が効率がいいよ。
元増田の示す要領の悪い生徒で早慶旧帝以上にいった子はいなかったなあ。
あ、こっちは全部理系の話ね。
ニュースサイトやその他の掲示板サイトを見たけど、学歴コンプってこんなにいるんだね。
特に、受験生に失礼だとか、心意気が足りないとか舐めているっていう意見は、意味がわからない。
高校生活で真面目に勉強せず成績悪い人間が100日までとは言わなくても
半年でMARCHや早慶受かる例ってのはちらほらあるのに、現実を見たくないのだろうか。
勉強時間や心意気よりも、受験時の学力のみによって決まるのだから、
私の周りは起業家が多いが、彼らはこういう挑戦する人間に関して否定的な見方はしない。
むしろ頑張っている人間を応援するという姿勢の方が強いように思う。
(というか学歴だけでは無意味なことを知っているからそこまで深刻な見方をしていない)
批判している層はどんな人たちなんだろう。
気にくわない人に気にくわないというだけで、
ひとことで言うと、辛いのだ。
土日祝は完全に休みであり、万が一出勤しようものならば代休もしくは残業代が付与される。
もちろん通常業務においても1分単位で残業認定されるし、PCのログイン時間・ログオフ時間で勤怠管理をしているためサービス残業ができない。
22時以降の残業は前もっての申請が必要なうえ、それが続くと直属の上司がさらに上の役職から注意を受ける。有給休暇も年15回とらないと勧告がある。
給与面でも文句はない。今時珍しいとされる賞与も年6~7か月分支給されるし、福利厚生も手厚い。(なんと家賃の7割が会社負担になるのだ)
私はそんな会社でもう7年勤めている。
さて、私はいわゆる「超ホワイト企業」に務めているわけなのだが、そもそもなぜ入社できたのかという話をしたい。
私は一応大学を卒業している。しかし決して褒められるような大学ではない。世間一般的にいうところのFラン大学だ。
そんな私がどうして(新卒という最強カードを持っていたとはいえ)この会社に入ることができたのか。それはたったひとことで説明できる。
私は話をすることがひどく上手だったのだ。
俗にいう「コミュ力」が高く、さらにいえば明るくハキハキ見せることに長けていた。
私が就職活動をしているときは今と違った「就職超氷河期」と言われる時代だったが、私は仲間内の誰よりも早く内定を得ていたし、
しかも我が母校からこの会社に就職するなど奇跡だと持て囃された。
ただニコニコして問われたことにハキハキと答える。さながら水商売の人間のように「相手(面接官)を楽しませる」ことだけを念頭に置いていた。たったそれだけなのだ。
さて実際に入社してから周囲を見渡せば、同期たちは驚くくらいの高学歴ばかりだった。
早慶上智なんて掃いて捨てるほどいるレベル。東大京大当たり前。海外のナントカ大学出身など、私とは頭のつくりどころか産まれるときの行為さえ異なっていると思うほどだった。
それでも1~2年目は大丈夫だった。
みんな会社への知識が同じくらいだったし、任せられる仕事も大したものではなかった。
それが3年経ち、4年経ち、5年経ってから徐々に差が広がってきた。
中には海外に異動した同期もいた。本社勤務になった同期なんてもう数えきれない。それでも私はずっと1年目とほぼ変わらぬ仕事を続けているのだ。
私の取柄は「コミュ力」のただひとつ。仕事を任せられても大した結果は出せず、自分のやりたい仕事もわからないまま、モチベーションだけがどんどん下がっていく。
それでも転職という選択は怖くてできない。だけど会社には行きたくない。
誤解のないように言っておくが、人間関係などはとても良好であり、良い先輩たちに恵まれている。
先輩たちがこんなにダメな私に付きっきりでいろいろと教えてくれるのだ。本当にありがたいし、申し訳ない。
私はすでに就職して7年が経つ。もう新入社員などでは決してない。もう中堅社員といっても問題ない年齢なのに、それでもまだ新入社員のように手取り足取り面倒を見てもらう。
努力はしたつもりだ。しかし足りていないのもわかっている。ただ、これ以上、どうやって・どこに向けて努力を重ねればいいのかわからない。
昨日で私は今年度の有給を使い果たした。もう休むことができない。
それなのに毎朝会社に向かう足取りは重い。それどころか吐き気が伴ったり、異様なほどの倦怠感に包まれてベッドから起き上がれなかったりする。
周囲のひとは優しい。その優しさが、しんどい。
なんて贅沢なのだろう。なんて我儘なのだろう。私が言っていること、やっていることは「サボり」のひとことで済んでしまう状態だ。それはわかっている。わかっているのだ。
そこまでわかっておきながら、どうして私は何もできないのか。
ただ笑っているだけで許されていた。そんな時間はもうとうに過ぎた。
次のステージへ進まなければならないのだ。だけどその方法が、わからない。
昨日、とうとう上司から産業医との面談を勧められた。身体の変調ではない。心の変調を危惧されたのだ。
恵まれた環境にありながら、私はなんてだめなのだろう。そんな思いがぐるぐる巡る。そんな状況が、ただ、辛い。
世の中にはもっと凄惨な状況で仕事をしているひとがたくさんいると知っている。
そんなひとたちを見下して自分の状況に安堵するつもりは毛頭ない。むしろ逆だ。
自分が恵まれているにもかかわらず、こんな不甲斐ない状況に陥っていることが狂おしいほど悔しいのだ。
今後の進退を本気で考えなくてはならない時期がやってきた。
ただひとことだけ、辛い、辛い、と言い続けているだけではもうだめなのだ。
どうしようもない自分の、どうしようもない内面を、おそらく初めて目の当たりにする。とてつもなく怖い話だが、向き合わねばならないのだ。
こんな甘えたばかな自分が辛い。大嫌いだ。
いっそもうすべてを投げ出してしまいたくなるのだ。
うわさ では、生徒がしっかりしている区(山手線内内側とか)の学校では内申点は厳しめにつけられ、所謂荒れている学校のある区の内申点は緩い模様。
授業中積極的に手を挙げないと、テストで95点とっても通知表3だからね。
えぐいのは5教科だけではなく、残り4教科も採点されること。
高校受験で突破できる学力がある生徒は、特別選考枠なくなったので私立に流れているよね
具体的には早慶付属校レベルの学力だと特別選考枠で日比谷いけたのが微妙なので。
国立・開成クラスだと内申点のビハインドを超える位、独自問題で点数とれるが、そのクラスはほんの一握り。
私にポエムを書かせてください
(受験生が携帯弄ってる場合じゃないかもしれないけど、打ったら気がすむと思うから投稿させてください。)
センター試験は3日後。
私は私立文系・三科目型ということもあり、国立志望の子や理系の子と比べたらまだ私は辛くない方かも?と毎日塾の帰り道で自分に言い聞かせてはなんとか合格を勝ち取るために努力してるつもり。ではある。
でも、毎日頑張ってるのに、勉強が直接的な原因じゃないことで、メンタルがやられてる。ここ3、4ヶ月の話。誰にも助けを求められずにいることがある。
9月に学年全体に指定校推薦の案内があった。偏差値は50〜5の学校なので、有名大学への進学率の上昇に奮闘中。
私の学校の制度は、頭のいい子から順に早慶に推薦出すのではないくて、一定の成績+役職(部長だとか)+自己推薦文なので、先生達は推薦に関して
「成績だけじゃ駄目だ。リーダーシップのある子をしっかり選ぶ。だから、勉強だけ真面目にやってる君達はそのまま真っ直ぐ努力してくれ。」
みたいなことを何度か言った。私はそれを信じた。
習熟度別のクラスは1番上。部活の部長。委員会の委員長。行事もクラス単位での重役を何個かやった。自分から進んで何かとやるタイプだ。自他共にそう認めてる。と思う。
でも
私は推薦に落ちた。
受かった子は学年で1番頭のいい子だった。
それまではまだよかった。
そこまでは。
今でも思い出すのは9/11のことだ。自己推薦文を書いた紙は職員室へ決められた時間帯に提出だったから、ライバルとすれ違う可能性が高くて、案の定私の場合はそうだった。目を合わせないように下を向いて私は歩いた。
運が悪いことに、受かった子と落ちた子(私)は普段のHRの席が隣同士。よく話す。(今となっては全く口聞かない)翌日の12日周りの友達にはお互いバレないようには接したし、私も普通に話しかけたりしていたが、休み時間に言われたことが、あの日からずっと心に深くて、痛い、引っかき傷をつけたままだ。
この後に続く言葉は「(私は昨日ずっと準備してきた自己推薦文練りに練って徹夜してまで懸命にやりました負けるつもりはありません)」だ。多分。
傷ついた。当たり障りのないそんな言葉で。私以外の誰も聞いてないその状況で。何ならもっとストレートに、意地悪に、その優等生という仮面を引き剥がして、言って欲しかった。
結局あなたは受かったじゃない、きっと3月になったら慶◯受かったよとか私に言うのかな、私はあなたとのプレゼンの準備の時だって原稿を家で書いたり資料集めたり率先してやって、あなたはそれを有難うと言うだけだったのに、私と違って部長でも委員長でもないのに、通ったじゃない推薦に。
でも、あなたは1番頭が良かったから仕方がない、ではもう妥協できないよ。
今のはおまけだけど(先生達が本当の基準を初めから言ってくれたならよかった)こうやって今までずっとじわじわ嫌いが増し続けていた。担任に何かの紙を単独で貰ってるのを目撃するたびに確信も増してくし。下手くそか。徹底的に隠すんじゃなかったのかよ。もう忘れるにも忘れられないし全部知ってんだよばーか。
でも席隣だし、でも毎日顔合わせるし、でも担任に「私、隣の席の子が私が落ちた◯應の指定校推薦受かったの知ってるんで、毎日心臓えぐりとれそうなくらい苦しいので、席替えしてください」は言えないじゃんやっぱり、言う勇気ないじゃん、もう18だし。
推薦に受かってからのあなたは良いよね、元がポーカーフェイスだから私をひどく傷つけただけで、誰も推薦だと疑わない。今までもこれからも。
この1年間ずっと席が隣だった(何度も言う)。世界史を教えてもらった時は助かったけど、2学期は憎くて仕方なかった。推薦通ったことじゃなくて、私のことを故意に傷つけたあの一言が全ての原因だ。頭が良いだけで考えが稚拙な人間なお前が半年先に合格決めたことが許せない。指定校推薦て何のためにあるんだ本気で。
マーチの指定校推薦とった奴も、私のこと2年間くらい集団いじめしてたグループの主犯格だし。クソが。
もう〜〜〜〜今年おみくじ引いてないから知らんけど、神様、こんなに私は別の意味で重苦しかったんだから、センター利用マーチは頂戴よね〜〜〜〜
5年近く観察してきて、同じ女だけどそう思う。
あの人なんなの。
どんどん声を上げてください。
私もマスコミ業に身を置く女です。
私も、男性だったら即プロジェクトから外されるクラスのミスに対して、
おっとり女性的な対応をすることで溜飲を下げてもらったことがありますから。
というか、同僚に「貴方ならミスが許されるから、貴方が原因ってことにして!」と言われて、
私なら笑って許されることを知っていたから。
だから、はあちゅうさんに限ってはセクハラ被害と言われても「はぁ?」としか思えない。
あの人自分に沿う人以外は貶める傾向にある。
童貞問題以外にも、慶応出身だからって早稲田をやたら貶めるし。
なぜ、早慶どちらも素晴らしいと言えないのか。
岸は最低だと思うけど、代表取締役を辞任するという形を取ってる。
さっさと職業捨てても食っていけるんだね羨ましいとは思うけど。
そして、
逃げんなよクソ野郎! 私はセクハラしました、これからは世界で一番セクハラに厳しい会社を作りますで代表続けろよ! とは思うけど。
他にも良い大学があるよね。
というのも東大卒の研究者ってどこどこの利権団体で名前を連ねる事はあっても
楽壇で見た覚えもなければ、テレビのコメンテーターは、古市とか三浦女史よろしく東大に学歴ロンダした奴しかいないし
にも拘らずやたら東大出た人の言葉を有難がって放送ないし報道しまくってるのが気になる。
そんなに良い事を言ってる訳じゃない。
例えば古市は逆張りというか、世論の感情を逆撫でする事しかしない。
三浦女史に至っては議論に対してまとめたがるだけで自分の意見を殆ど出さない。
だけどそれがやけに業界人に受けてるのが気になって仕方がない。
もしかしたらその業界人たちが学歴コンプレックスだから、取り上げ捲ってるのかもしれない。
そもそも中学高校レベルの試験問題を東大王がスラスラ完璧に解いてみせるって傍から見ると凄い馬鹿にいてるようにも感じる。
猿にバナナを与えて訓練すれば木にも登れるでしょ。それと一緒なんだと思う。
ともかくクイズ王に関しては東大はあんまり関係ないのかもしれないけど、それでもマスコミは特に有難がってる空気だった。
東大ばっかり。
といっても某少年漫画誌は早稲田ばっかりだし、某東大卒女性社員が自殺した事で有名なある会社には慶應ばっかりってのもあるし、エンブレムとか大学と組んで盗作してるある広告会社に至っては某美術大学を率先して入社させてるし、そこで頭角を現したクズをマスコミが持て囃してるのを見ると、
東大ばかりが有難がられてる訳でもないのだろうが。