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2023-11-09

anond:20231109173317

が家に持って帰って飾ることになりました!


メルカリに出るかも?)

「この度日本国内約20000校の全小学校に各3つのジュニアグローブ約60000個を寄贈いたします。

2023-11-03

小学校の好きだったところ

増田出身小学校はいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった

裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林飼育小屋ちょっとした池、テニスコート1面があった

 

田んぼ…6年生が先生監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事おにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる

 

畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいも栽培して、秋になったら1年生の子グループを作って雑木林落ち葉焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たち微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生スイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)

 

ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる

 

飼育小屋うさぎニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田ニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田きょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった

 

ちょっとした池…でかめ金魚と鯉がいた。たまに野生か野良動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた

 

テニスコートテニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間鬼ごっこ会場か教頭先生スイカ振る舞う会場にしか使われてなかった

 

政令指定都市ベッドタウンな町の公立小学校での思い出

小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった

時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる

2023-10-18

話題小学校教頭さん、16人との不倫が妻にバレる ついに“校長”の意思を継ぐ者出現か?(ガレソ)

金払うから教頭氏はワイという弱者男性セフレの作り方講義してくれないかなあ…割と真剣

強すぎるんよ

2023-10-07

運動会に流れがちな曲

天国と地獄

・恋(星野源

ランナー爆風スランプ昭和先生が選びがち)

アンパンマンのマーチ幼稚園場合

パプリカ(Foolin)

・Mrs.Green Apple全般ダンスホールマジックなど)

ワタリドリ(Alexandros)

・負けないで(ZARD平成枠)

・私は最強(ado

ゲゲゲの鬼太郎(夜は墓場運動会つながり)

・New Jeans(ニュジおじさん大歓喜

・M(浜崎あゆみ好きの先生ねじ込む)

HERO安室奈美恵。元アムラー先生ねじ込む)

青いイナズマSMAP再結成を願って)

GET WILD教頭の好み)

おどるポンポコリン(みんな知ってるので)

HOT LIMIT滋賀県学校では義務

やさしさに包まれたなら(退場時に流れる


こんな感じでどうですか?

2023-09-29

anond:20230929152426

教頭「ひさしぶりだが、昔は口技の哲夫と呼ばれたものだ。どれ、見せてみなさい。」

2023-09-15

教師になんでもやらせようとするから教師不足になる

教師は授業をすることに徹するようにさせろ、イジメとかしなくて真面目に勉強する学童学生だけ相手にさせるようにすればいい、

学習障害とかは厚労省こども庁で保健室を拡大するとかしてなんとかするべきだし、学生同士のトラブルモンペ校長教頭専門職員が常駐して対応するようにする、

部活動は無くすか専門指導員がやるとかとにかく負担を減らせ

2023-09-01

何で最近教師ドラマ減ったのかな

熱血問題教師がどんどん色々解決して、眼鏡かけたお堅い女教師とかおっさん教頭が辞めさせようとしたりするやつ。

昭和から鉄板人気でずっと続いていたけど、最近見ない気がする。

美味しい給食教師っちゃ教師だったけど、給食にのみピント絞ってたしちょっと違う気がする。

2023-08-31

GTO読破した

TOKYO MX放送されていたドラマ反町GTOが先週最終回を迎えた。

松嶋菜々子ロスを感じつつ、そういえば、なんだかんだ最後までGTO読破したことがないと思い、読んでみた。

知る人は多いと思うが内容は、教師に裏切られたことをきっかけに、すさんだ中学生教師イジメ、次々と廃人化させていたところ、他の教師とは明らかに異なる主人公担任となり、学校生活の中で一人また一人懐いていくというもの(1997年2002年)。

たぶん、当時は学級崩壊イジメが割と問題になっていた時代だったのだろうと推察されるけれど、当時の現実の生徒もこんなにエネルギッシュだったのかなぁ?と思い出すことができなかった。

今の生徒は、きっと、当時よりも手軽な娯楽が増えているので、いちいち熱くならないかイジメをやるなら、ネット携帯端末等駆使し、陰湿にやるのではないかと思った。

ただ、内山田教頭の長ボヤキの中には、当時の社会情勢に触れる文言も散りばめられているのだが、2023年でも言われていることが割とあることにやや驚いた。

失われた30年とはよくいわれるが、マンガ連載当時から20年、大人世界はさほど変わっていないのかもしれないということに、何とも言えないモヤモヤした気持ちを抱いた

(反町や松嶋や生徒の演技を見ていると、現代ドラマの演技の方が格段に進歩しているのを感じた。中尾彬現代の目で見ても良い演技だと思った)。

個人的には13巻の、パンツを脱がすレベルで散々イジメていた男子のことを、吊り橋効果ガッツリ好きになってしま上原杏子が良かった

(当時、アニメも見ていたが、やっぱりこの場面が良かったと思っていたことを思い出した)。

今連載されていたら、ネットでそれなりに叩かれるのだろうが。

2023-08-25

リベラルが不人気なのは昔の学園ドラマのせい

リベラル立ち位置って昔の学園ドラマ教頭PTA委員長ですやん

学園ドラマ見て育った世代が反発するの当然ですやん

この国を裏で動かしてる組織が長年かけてリベラル反抗的になるように仕組んだ戦略の成果なのです

おそろしいこっちゃ

2023-07-21

anond:20230721140051

A君一家自体が島への移住者で、子供3人のために休校してた学校を9年ぶりに開校してたってことね。なるほどです。

 2000年から休校していた酒田市飛島小学校船越校長)の開校式が6日、同校体育館で行われた。島外から児童2人を含む親子5人が移住したことによるもので、小学校の校舎に9年ぶりに児童の声が響いた。

 飛島小は00年3月に6年生2人が卒業、1人が転校し児童がいなくなり休校。その後、飛島中も03年3月最後の生徒が卒業休校措置となった。市教育委員会は、小学校休校した後の01年度から、校舎を市内の小学生対象にした2泊3日の体験学習飛島いきいき体験スクール」の拠点施設として利用してきた。

 今回の小学校再開により船越校長、菊地義昭教頭、布川真二教諭、吉泉弘子養護助教諭の計4人が赴任。新5年生の渋谷泰和君(10)と新3年生の真生さん(8)の兄妹2人を多面的に支える。

 泰和君が「飛島のことをいろいろ学んで、島に来た人に教えたい」、真生さんが「理科社会が始まり、授業が難しくなるので、布川先からいろいろ教わりたい」とそれぞれ話した後、「2人、力を合わせて頑張ります」と声を合わせた。

 式終了後、2人の父・聡さん(38)は「開校まで多方面で力添えをいただきありがとうございました。ただ、これがゴールではなく、これからスタート。島民の皆さん、よろしくお願いします」と話していた。

http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2009:04:07:2652

anond:20230721092943

何コレ珍百景で卒業式の様子が放送されてたはず。

https://rongkk.com/nanikore-2019-4-7-6/

あとこの映画で始業式の様子が写ってる。

https://www.amazon.co.jp/%E5%B3%B6%E3%81%AB%E3%81%A6-%E5%92%8C%E5%B3%B6%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%94%B7/dp/B095ND9HCZ

中学校は生徒が1人だが、学校には校長教頭担任副担任養護助教諭の5人の先生がいて、給食は新くんのお母さんが作っている。島に同世代の子どもがおらず、新くんは放課後 毎日のようにお父さんと海釣りをし、釣った魚を自分でさばいて夕食に食べる生活をおくっている。学校生活では、定期的に本土運動会クラブ活動に参加して本土の生徒と交流もしており、時には本土友達が島に遊びに来ることもある。島では、新くんが淋しくないように島民の方々が学校行事積極的に参加、島の住民みんあと多くの時間を一緒に過ごしてくらしてきた。

2023-05-12

増田長男の姿に弟が被った。(追記しました)

anond:20230511202451

一歳から失踪癖、うちの弟かと思った。

多分同じ感じ、突然CMの曲を往来で歌い始めたり興味のあるもの目掛けて逃げ出したり、たびたび買い物の隙にいなくなったり、6歳の頃には電車で15分のところに出かけてる最中行方不明になり、警察にもお世話になり散々探し回った親が憔悴して家に戻ったら目の前の公園で遊んでたり、奇言叫び回って散々同行者を恥ずかしい目に遭わせてくれたりした。

母親は若干私にヤングケアラーとして下の子押し付け気味、小学校から配られるプリントに書かれている障害向けの講座に連れて行けばと言ったらヒステリックにキレ散らかした。


本当に本当に本当にたいへんだった。

4歳で見よう見まねで「10から始めるBASIC」という本に書かれたプログラムを打ち込んだりしてたもの理解しているからどうかはよくわからず(でも、ちゃんと描画を始めて動いてたから仕組みは最低限理解してた様子)、たまに奇声を発したりおかし挙動をするくらい。同級生にもバカにされているようで何回も助けに行った。

叱られても、何かされても、気にも止めずに飄々と自分の興味のみに突き進み、目を合わせて話せるのは1秒もてばいい方、とにかく没頭と多動を行き来してた。

そんな彼が頭角を表したのは中1。当時高2の私が数学を親に言われてしぶしぶ見に行ったら、すごい速さで応用問題を解く、すぐに私ができる範囲を彼は超えてった。高校の頃にはほとんどの問題が解けるようになっており、受験はどこの大学数学だけは解けた。そう数学だけ突出して、でも他の教科も国語以外はまあまあ取れてた。英語高校レベルでは大丈夫だった。(その後、院に入った時に書いた論文の下書きを見せてもらい書かれてる文法に頭を抱えた。)政治家選挙区任期についても全国の衆参ほとんど覚えていて会派まで覚えてた。まるで意味がわからない。

結果希望の進学はできなかったものの、転入する形で希望大学希望学部に。その年の転入合格者は少なく、英語の点数が足りていなかったもの数学などで入れて貰えた、らしい(面接時にそう言われたらしい)

卒業時には表彰され、そのまま院まで行った。楽しそうだった。

色々端折るけど、その後発達障害なのがわかった。そもそも彼が子供の頃、何かの障害はあるように見えてもそれをはっきり定義づけるものが成立してなかった。考えてみたら父親アスペルガー気味(キレると叫びまくって手がつけられない。モラハラ傾向。小学校高校数学は終え、成績が異常によかったと複数人同級生は私に語り、留学中にメンザに誘われたらしい)母も何かしらあると思う(常識がどこかに飛んでる。目を離すとゴミ屋敷を作る。問題多々あるのにコミュ強。人の顔と名前を50人くらいなら数分で覚える。一瞬見たら定着するらしい。意味がわからない)

私はそんな得意分野がなくて劣等感しかない。

弟は今人生うまくいってるかというと微妙だけど、明らかに上のレイヤーで戦っていけるだけの力がついてる。羨ましい。

両親も7歳になってもろくに会話にならないし、字は書けるのに本をちっとも読まないし、彼が12歳になるくらいまでは本当に弟については悩んでた。

彼が色々困難にぶつかりながらもうまく生きていけてるの、多分私のおかげだと思う。

冗談はさておき、母や祖父母が私の目から見ても甘やかしてるぐらい温かく見守っていたのも大きいと思う。

父は忙しすぎてややこしい子育てほぼ放置だけど叱る時はこっぴどく、甘やかす時はとことんで、休暇毎に海や山へと連れて行き無理難題提示した。

自分感情の整頓がうまくできなかったりして小学校で意地の悪い教頭に目をつけられたり、いじめに遭いかけたりしてたけど、母は弟の好きなものを夕飯に出したりしてた。

彼には家でそういう環境必要だったのだなと今なら振り返って思う。

母は小学校高学年の私に障害向け講座の参加を勧められた時、本当は必要だと思ったけどその事実が受け入れられなくて苦しんでたらしい。すぎたことはしょうがないしその頃は分からなかったけど、本当に悪い事をしたと思った。

ともあれ、元気に大きくなって本当に良かった。親父お袋グッジョブ。 


今本人は風変わりではあるけれど穏やかで少し臆病で正直で悪さ出来ないくら大人しいおっさんとして暮らしてる。友達も少しだけならいるらしい。

人事の人にはバカだと思われてるのかなってエピソードとかあって聞いてて不安になったけど、チームではうまくやってるみたい。

できる事を伸ばして頑張れる場所を見つけてて本当に良かった。

増田、これから大変かもしれない。

でも、本人も周りと比較できるようになった後、もっと大変。普通にしているつもりで誰かに目をつけられる。多分人よりも疲れるし、子供の時は特に辛い。大事にしてね。これだけよく見てる増田もの大丈夫七五三はやってみたら案外上手くいくものよ。増田増田嫁の祝いの区切りとしても是非トライしてほしい。もし残念なことがあったとしても、きっと10年後にいい思い出になるよ。その頃には上の子も大きくなって笑えるようになってる。色んな事を教えられるのは増田たち。トライしなかったら何も残らない。

障害が出てない方の子であまり周りに構ってもらえなくて放浪してた記憶があるんだけど、下の子がお兄ちゃん大事にしてくれるように、でも平等に楽しく元気に育ててあげてほしい。

書いてくれてありがとう

あの時期はそれぞれにとって本当に修羅だったのかもしれないけど、過ぎてしまうと懐かしい思い出だし、当時悩んでた家族みんなを思い出した。


普通の家に育ちたいと子供の頃ずっと願っていたけれど、

今は我が家家族が大好きだし、幸せだよ。




---

(そろそろ誰もみてないかな。)

元増田の苦労がわかる気がするのは俺だけ、と思って書き込んだけど、コメントがついてて&過分な褒められでびっくりした。ありがとうありがとう

全然えらくないよ。弟で一緒に暮らしたから、意思疎通がままならない時代はまあなんとかしないといけないけど、別に同じ親の子ってだけで四六時中真摯に向き合ってたわけでもないし。

32時間やってたFFⅤの記録を手違いで上書きされてた時は飛び蹴りしたし。普通に喧嘩もよくやったよ。

その後親に怒られるのこっちが多かったのを今思い出して不服はあるけれど。

今は色々話し相手にもなるし、専門知識もかなり長けているかアドバイスしあったりする間柄だよ。

あと、振り返ってみてうちの親は多分自分がいなかったとしても、それはそれでうまく回していけるだけの別のルートを辿ってたんじゃないかな、まあ自分がいた方が絶対幸せだったと思うんで(?)、先に俺産んでおいて親父お袋グッジョブ、とは思う。

ただ、世の中に弟みたいな人で生きづらい思いをしている人、単に自分気づきやすいだけなのかもしれないけど、結構いると思う。

そして本人がうまく社会コミュニケーション取れないから、それだけで酷い扱いを受けたり暴言吐かれたりしているシーンもあってさ。

それでもまだ、弟の時代は枠から少しはみ出ていても、まだ周りの大人が得意不得意はあるから、って目こぼししてくれているありがたい人たちが多かったけどさ、

今は、コミュニケーションがうまくできて、それ以外のやつは社会荷物、みたいな雰囲気があるでしょ。

多分、コミュ強の反対はあまり人馴染みが良くないのかもしれないけど、弟も、元増田長男も、私自身ですら、今のそういう雰囲気にうまく馴染めているかからない。

そんなことに、たまにとっても辟易する。

そういう風に切り捨てていくのは本当に豊かな社会なの?って。

コミュ強ばかりで成り立つ社会って、それはそれで強いものになり得るのか、と思うとそうでもないと思うし。

から

えらいね、すごいね、って言われるよりも、こういう人もいるけれど、少し自分の興味に突進しがちの人がここにいていいんだ、って雰囲気社会になるようにできたらいいな。って思う。

多分これは私が幸せ、というか、気になってしょうがない事が軽くなるための一つの解決の糸口。

なので、ちょっと変わった人だなって思っても、別に積極的に助けてあげよう、とか気負ったことはしなくていいから、

変に攻撃的になったり、無視したりするようなネガティブな態度を取ったりしないで欲しいのと、

周りでもしそういう図式でのコミュニケーションを見つけたら、それとなく少し緩和する勇気を持ってくれると嬉しいなって思ったりした。

そもそもこんな自分語りを読んでくれてありがとう

褒めてくれたみんなも、何より元増田家族に、これから一杯いい事がありますように。

2023-05-05

教頭が女なんだけど、PTA本部の私と同じ役職の男には「〜〜さんのお子さんはほんとに〜〜で、この前もこういうことがあって〜」とか「〜〜さんのお陰で〜〜」とか言うんだが私に対しては「〜〜やってください」「〜〜はどうなってるんですか?」「〜〜をお願いします」

 

同じ役職なんですけどなんで私が全部やんの???

なんでこいつが教頭やってんのか良く分かったよね。

男に媚びるから。笑。

2023-04-29

懺悔

懺悔をしたい。

から14年前だった。私はその年受験生クラスで一番仲の良かった友達と一緒の高校へ行こうということになっていた。その年は新型インフルエンザ流行っていて学校でもバタバタと倒れていった。友達受験の直前にインフルで倒れた。どうしようとメールで喚いていたが、私は必死に治るよ、大丈夫だよ、と画面越しに励ましていた。

の子は完全には治りきってなかったが、試験には受けられるような体調になっていた。

それでも受験当日、彼女は来なかった。

理由はただ一つ、私が嘘をついたからだ。

試験の前日、この日は2時間授業で放課後教頭先生から受験エールを送るという名目集会があることになっていた。

友達インフルで倒れて休んでいたが、ちゃん学校に来れるのもこれで最後からとこの日は学校に来ていた。ただ、病み上がりだったためにその集会には参加しないと言っていた。

そして、帰る際にで私はやってしまった。冗談のつもりだった。その友達カバンを持って玄関に向かう際に私は彼女を追いかけてこう言った。

「昨日先生が言ってたんだけどインフルの影響で試験日程が延びたんだって、本当に急だから学校も連絡が追いついてないみたい、明後日になるっぽい」

友達は「マジで?」と言っていた。

もちろん嘘だ。試験日は予定通り明日だ。

そして私はそのまま友達玄関まで見送った。嘘だよと明かさずに。

翌日の試験友達は来なかった。

その高校を受けた同級生は私を含めてみんな受かった、その友達を除いて。

5日後に卒業式があったが、その友達は来なかった。嘘を信じたと思っていないどころか嘘をついたことすら忘れてしまった私は、のんきに卒業式に来なかったんだ…と思っていた。

私の嘘のせいで友達高校不合格になったと気づいたのは高校入学してすぐの時だった。

入学直後はクラスになじめずに中学時代クラスメイトと一緒にお昼ご飯を食べていた。私のクラスにも顔見知りの同級生がいたので、昼食をとってると

「○○ちゃんいたでしょ?」とその同級生が私に聞いてきた。○○ちゃんとは例の友達の名だ。

「うん、落ちちゃったの残念だったな」

「その子ね…試験日程間違えちゃったんだって本来試験日の2日後に会場に来たっぽくて」

それ以降のことは覚えていない。私はこの際冗談のつもりでやったことが冗談でないと今更ながら気づいたのだ。高校時代は私のやらかし所業がばれてしまわないかだけを考えながら、おびえた3年間を過ごした。大学に行っても、社会人になってもその傷は治ることはなかった。

その友達は噂だと滑り止めの高校半年でやめてしまったらしい。

まりの辛さに私はきっとどこかで彼女彼女なりに幸せ暮らしているはずだと思うようになってしまっていた。

だが、現実は違った。

去年の11月、私は親戚の不幸があったので地元に少しの間帰省していた。その際に違う高校に行った中学同級生と会って少し話す機会があった。その同級生友達と家が近く、中学に上がる前は一緒に学校に通っていた仲だったらしい。

私はその嘘をつかれた友達がどうなってるか聞いた、聞いてしまった。

あの後、彼女は退学したのちに精神を病んで今も引きこもってしまったのこと。両親も精神病み、一軒家からアパート引っ越したのことだった。

まり私の嘘が原因で友達の家庭は崩壊した。

泣いた、ひたすら泣いた。

許されるべきではない、それは分かっている。

あの時、なぜあんな嘘をついたのか、もしかしたら自分合格確率が少しでも上がるようにやったのかと言われればそれまでだし、テンションおかしくなって嘘をついていえばそうだ。

ただ私は悪意のつもりでやったわけではなかった。

その同級生から住所を聞き出し、後日菓子折りを持って土下座したが、友達の両親は冷めた目で私を見るだけであった。2人ともやつれていて生気がなかった。

この謝る日の少し前、私は某掲示板にこのことを書き込んだが、やはり私が悪いとのことだった。そりゃそうだ。スレ民も友達の両親が優しすぎた、普通だったら怒鳴り込んできてもおかしくないと書いている人がいたが、あの様子を見るに怒鳴り込む気持ちすらなかったんだと思う。

ちなみにそのスレは何故か釣り扱いされている。(私に成りすまして嘘を書き込んだ人がいるっぽい)

ただ高校受験を欠席すると高校から中学へ連絡が来るいう情報を見たがそういうのはなかったのだろうか。それだけが疑問である

いずれにせよ、私の嘘で友達の家庭は崩壊した。

なぜ今更書き込んだかというと入学式のシーズン高校制服をきた生徒たちが電車に乗り込んで楽しそうに話すたびに耐えられなくなってしまたからだ。

友達はどうしているのだろう、いまもあの暗い部屋で引きこもっているのだろうか。

私は死ぬまでこの十字架を背負えねばならない。

2023-03-27

若い教員が大量に辞めている!」について

教育学部の教授に小中高教員経験者、起用を義務化…文科省方針

上記記事については、「元校長や元教頭大学にって、天下り先確保では?」とか「労働条件改善給与アップが先だろ」という意見Twitter散見されるところだが、中身を見ると

25歳未満で離職した公立小中高校教員は18年度、790人で、12年度の647人から増加している。

として、内訳のグラフがある。増田グラフは書けないので表で表現し、ついでに2012年度を100としたときの値も書いてみる。

25歳未満で退職した教員の人数

年度小学校中学校高校合計
2012313(100.00)238(100.00)96(100.00)647(100.00)
2015359(114.70)239(100.42)97(101.04)695(107.42)
2018450(143.77)225(94.54)115(119.79)790(122.10)

おおむね全体で22%増加しており、特に小学校で43%と急激に増加していることがわかる。

ところで、25歳未満の教員の数はどのように推移しているのだろうか。

調べると、学校教員統計調査というのがあり、3年ごとの調査なのでピッタリとは合わないが、近い年度の数字が得られるので見比べてみよう。

25歳未満の教員の人数

年度小学校中学校高校合計
201314,683(100.00)7,240(100.00)3,206(100.00)25,129(100.00)
201617,486(119.09)7,397(102.17)3,553(110.82)28,436(113.16)
201921,013(143.11)8,003(110.54)3,553(110.82)32,569(129.61)

おおむね全体で29%増加しており、特に小学校で43%と急激に増加していることがわかる。

……って、若い教員退職が増えたのは、単に若い教員の人数が増えたかじゃねーか!

ここ数年、教員採用試験の倍率の低下により、かつてのように何年も非正規講師助教諭経験してから採用される教員の数が減り、新卒や1〜2年の講師経験採用される人数が増えた結果、25歳未満の教師の数が増えたのだろう。その結果、退職者も増えた、というだけにしか見えない。

やはり、数字が出てきたら割合を見よ、割合が出てきたら数字を見よという格言は今回も正しかった。

2023-03-09

anond:20230309134015

校長連帯責任です!」

教頭「ほんじゃオマエ辞めろや無能が」

教員(はやく帰って寝たい…)

顧問(この職場も先がみえたな…さあて次はどこにもぐりこんで生徒を喰おうかな~)

2023-02-17

パワハラについて

上司への“逆パワハラ”でクビになった元女性自衛隊員告白 「納得がいきません」

https://news.yahoo.co.jp/articles/4570063aaf26f15335303485f8fb0b8851c07e06

校長教頭パワハラ 中学校事務職処分 長崎県教委

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%A0%A1%E9%95%B7%E3%82%84%E6%95%99%E9%A0%AD%E3%81%AB%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%8F%E3%83%A9-%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BA%8B%E5%8B%99%E8%81%B7%E5%93%A1%E5%87%A6%E5%88%86-%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%E6%95%99%E5%A7%94/ar-AA17BioV?ocid=msedgntp&cvid=bccff7075f6547c3af25b2c9291bf13c

こういう逆パワハラって言われる現象、たしか相手が気弱だったり

強気ものを言うひとがいないコミュニティだったりすると起こりえるんだろうな。

とは言えこんな人種とは絶対に(もし自分に害がないとしても)関わりたくはないんだけど、

ここまで自分を貫けるのはある種すごいなと思う。

年齢や立場関係なく自分を信じて悪いと思ったことは直球で意見するスキルというか。

(この人らはもちろん言い過ぎなんだけど)

2023-01-29

コートなどの着用は認めない」――。列島を強い寒波が襲う中、一部の学校校則で生徒の防寒着に制限を設けていることが、毎日新聞情報公開請求で判明した。「ブラック校則」と呼ばれる学校での理不尽ルールは各地で社会問題化している。なぜ、防寒着はだめなのか。学校側に尋ねると、意外な答えが返ってきた。

 

なぜ、校則コートなどの着用を制限するのか。冒頭の男子生徒が通う高校取材すると、教頭は「昔からある校則なので、目的は分からない」と話した。「生徒は制服の中に着ることで防寒しているし、朝に学校電話してコート着用の許可を取れば、着ていくこともできる」と説明する。段階的に校則は見直す予定だが、具体的な日程は決まっていない。

 

 コート着用に男女差を設けていた高校も、その教育目的ははっきり分からないという。あくまでも推測と前置きした上で、男性教諭は「女子制服は中に着込むことができないものが多いが、男子の学ランの場合は中に着ることができるからでは」と語った。ただ、教諭から疑問視する声が上がり、新年度から校則が見直される可能性があるという。

こういう昭和とか軍隊方式?の低民度ルール改善されていくのは良い時代だね

民主主義ますますはかどっていく

そして中国ロシアといった独裁主義国家とのデカプリングも進んでいく

https://mainichi.jp/articles/20230127/k00/00m/040/219000c

教頭は「昔からある校則なので、目的は分からない」と話した。「生徒は制服の中に着ることで防寒しているし、朝に学校電話してコート着用の許可を取れば、着ていくこともできる」と説明する。

知能が低いのに年齢と役職ばかり上がっちゃってまあ

そりゃ学校教員は見下される職業になるよな

2022-11-27

鷹のファン感、教頭原口あきまさ呼ぶとか何?

本当にセンスないダサい

本人に罪はないけど

広報企画担当者DeNAとオリから引き抜きしてほしい

2022-11-23

anond:20221123204204

旭川かい集団で凍死させて、そんな残虐な殺人教頭擁護しているようなクレイジーな市があるって聞いた

2022-11-16

試験ラップ

拙策のエイジズム せっかくの芸沈む

笑うな老人 That's the way you're going

お前の気円斬 トカゲも切れんやん


俺は教育者 文科省の言うとおり

おめーな、その言い草 文句あるっしょ、ゆとり

これはそう戦 ゴングなるとVictory

永劫に迷走 弊校も閉口

適当に静聴 並行し瞑想 

丁重に警告 定刻にKO


増上慢に 行動監視

校長さんも 教頭さんも

紅潮マンに 相当アンチ

「もう降参しい」 投降勧試


もういいっちゅうの 効率厨

日中に 公立中へ

https://anond.hatelabo.jp/20221116090608

2022-11-10

技術先生が私らでアイコラ作ってた事件

昨今、変態教師逮捕されるニュースを見るたびに思い出す中学生の頃の思い出。

アラフォーの母ちゃんです。

私が中3の時、技術家庭科パソコンの授業があった。

90年代はまだパソコンを持っていない家庭も多く、うちも父が仕事用を持っていた以外はなかった。

当然私もワープロ以外ほとんど触ったことがなく、ウィンドウズ95だったか98で立ち上げ方を習ったり、ワードで作文を書くとかそんなことしかしない授業だった。

先生ハゲた癖のある男性自分用のノートパソコンみたいなものを教卓において、情報室のプロジェクターに映す形で授業が進められた。

変なとこでキレたりブツブツ喋ったり正直好かれている先生ではなかったので、特にクラスヤンキー系の男子からは弄られて嫌われていた。

事件が起こったのは冬服に切り替わった頃。

いつものようにハゲ先生自分パソコンプロジェクターに映すと他の先生から呼び出されて情報から出ていってしまった。

5分位待っても帰ってこなくてみんな雑談していたけど、暇を持て余したヤンキー男子ハゲ先生パソコンをいたずらしだした。

まだCドライブやDドライブも知らなかった私達大半はともかく、どうやらヤンキーの中に少しパソコンを聞きかじった奴がいたらしく色んなフォルダーの中身を漁っていたようだった。

その時だ。

すげーボイン(古)でマッパの姉ちゃんにうちの中学女子生徒が生首みたいに切り貼りされた滅茶苦茶下手くそな合成画像プロジェクターいっぱいに表示された。

今だからそれはアイコラだと分かるが、インターネットなんか触ったこともない私たちはその妖怪のような画像阿鼻叫喚の大騒ぎになった。

まりの煩さにイライラしながらドアを開けたと思われるハゲ先生はキレながら入ってきて、ふとプロジェクターに目をやり固まった。

その後はもう顔から頭まで真っ赤になったハゲ先生が何か声にならない言葉を叫んで教卓に突撃して自分ノートパソコンをぶち抜いて教室を飛び出して行ってそれっきりだった。

女子は泣くしヤンキーはうるせえしカオス

しばらくして担任先生複数先生がやって来て教室に戻され、首謀者のヤンキー事情聴取をされた。

その後、技術家庭科教頭先生がやって来て教科書音読するだけの授業となり私達はパソコンを触ることさえなく卒業を迎えた。

ハゲ先生に関しては、担任や他の先生に聞いても「病気で休んでる」しかわず

受験前という事もあったのか、こんなヤバい事件があっても保護者が騒ぐこともなく見て見ぬふりをされた。

私らがアイコラのことを訴えても「ハゲ先生病気で休んでいるのに何てこと言うのだ」「今は気にせず受験に集中しなさい」とか今考えるととんでもない隠蔽工作が行われていた。

成人式でも同窓会でもハゲ先生アイコラ事件は未だに話題になる。

ハゲ先生はどうやら辞めたらしいが今でもどこかで先生やってたりしたら本当に日本クソだなって思う。

2022-11-01

病識がない、という絶望

水谷緑さんの「私だけ年を取っているみたいだ〜ヤングケアラー再生日記〜」(文藝春秋)を読んで、病識のない精神障がい・患者を抱えた家族がどうやって社会と繋がれたか書こうと思った。

母も当時、自分病気じゃないと思っていて(病識(びょうしき)がない、と今は言ってる)、明らかに家族や周りが見たらおかしくて、その認識乖離のせいでさら信頼関係が崩れたり、暴走が激しくなったりした。

精神科は本人を連れてきて、と言う。

それを言われた家族絶望感は、計り知れない。

母が調子最初に崩した時、父がすぐに何か気付いて東京病院に連れて行った。

そこで話を聞いてもらって、薬をもらった。

気分が落ち着くような薬で、代わりにうつ病のように1日のほとんど寝ていることになる。

お酒も飲めない。

それでも家族としては暴走されるよりマシだから飲んでて欲しいけれど、本人は「薬を一生飲むのかな」「薬がなければ家事をきちんとできるのに」「私は薬なんかなくてもまともだ」と思うのだろうか。

勝手断薬して、調子を崩す。

薬を飲んでいない時で躁状態の時、最初に行なったのは都内に出かけて高価な買い物をしてきたことだった。

出かけた先で予定を変えて夜遅くまで帰ってこなかったり、突然深夜に出かけることもあった。

おかしな行動をし始めた頃、父は必要あれば迎えに行ったり連絡を試みていたが、だんだんほっとくようになった。

お父さんは浮気してるとか、お父さんは嫌いと言って家出という形で出ていくことも多くて、父としてもあまり優しくして構うのも限界があったのだと思う。

ある時、学生時代友達の家に遊びに行って泊めてもらっていた。友達も泊まるとは思わなかったし様子もおかしいので、父に連絡がくる。母が車で出かけていたので始発を待って翌朝父が迎えに行くと、友達の家のベランダから何かを叫んで怒っていて、友達は怯えて寝室に閉じこもっていた。

父が車を運転して母を連れて帰ってきて、その翌日、数年ぶりに病院に連れて行くことにした。

それまで母に「診てもらおうよ」と言ってもまた喧嘩になるから諦めていた。

その時は、妹や父が(色々あって)鬱かも、みんなで診てもらおう、と連れ出したらしい。

(私は進学で別の土地にいたのでこの辺りは伝聞だ。)

日曜だったのでやっている病院が少なく、隣の町の小さなメンタルクリニックに連れていった。

少し離れた有料駐車場に車を停めて3人でクリニックに向かう間も、母は「やっぱりやめようよ」「あそこに行ってみたい」「どこに連れてくの?」と、足を止めていたらしいが、なんとかクリニックの前まで連れてきた。

クリニックの看板には、「心療内科整形外科内科」みたいなことが書いてあった。

それを見て母は、「整形外科って何!私を整形させたいの!?整形しようとしてると思われる!みっともなくてこんなところは入れない!」と言ったが、とにかくいいから、と院内に入る。

待合室で少し待っていると、母がだんだん気分が上がってきて、診察を待たずに待合室で父と喧嘩になった。

妹が泣きそうになりながら、クリニックの人に「早く診てください」と言うと、クリニックの先生が出てきて、「うちではここまで調子悪い人診れないよ」と言った。

暴れたり叫んだりするのをやめないので、クリニックが警察を呼んだ。

警察

これが初めての警察のお世話になった場面だった。

みんな家族警察に捕まるなんて恥ずかしいしとんでもないと思うかもしれないけど、本当に家族おかしくて困っているなら警察は悪手ではないと今は思ってる。

本人は嫌だったと思うけど。

警察が来ても頭がおかしい人は「捕まる」訳ではない。でも、一晩署にいて、そのあと病院送還される。そこで度合いによるが「措置入院」となると、県知事都知事市長入院しないといけない人と判断した、となり、その入院にはお金がかからない。

その分それくらいのレベル、ということで病院では拘束されたり外部との連絡や交流制限されたりするが。

この時は措置入院になり、つまり母としては「無理矢理頭がおかしいことにさせられて警察強制的入院させられた」となっていたと思う。

母が署に一晩いることになって父と妹だけで帰宅した夜、初めて電話が来て、「なるべく早く、可能なら明日にでも帰ってきて」と言われた。

2人とも料理洗濯もできないと言ってやり方を教えてくれ、と。

入院にあたってタオルなど荷物を届けるためみんなで病院にも行った。面会はできなかった。

入院は2ヶ月程度だったと思う。

2ヶ月経って面会が許された頃、病院に久しぶりに行くと、先生に「本人が退院したがっていて、症状も落ち着いてるのでこちらとしては患者さんの意向尊重する」と言われた。

だが、面会した時に話した感じで、母に病識がないことがわかっていたので私と妹は反対だった。

だが結局その時は退院になってしまった。父が母を信用してみることにしたのだ。ここから入院お金がかかるから躊躇したものあるかもしれない。

案の定1ヶ月以内に躁状態は戻ってきたが、通院と薬で押し込めて落ち着けられた。

そのあと2年後に、大きな動きがあった。

入院の時お世話になった先生のところに、2ヶ月に一回のペースで通院していた頃だった。

その回の通院で話し合って、薬を少しだけ減らしたらしい。

そこから2週間ほど。

母がいつもより気合の入った料理を作り、元気になってきた。

教育関係者の偉い人の講演会に感動して、ビラ配りに参加したり活動的になってきていた。

だがそんなもの趣味と同じ扱いで制限もできないと思っていたこからたった3日ほど経ったある日、パート先で勤務中に、母がいなくなった。

仕事着のまま、運動会中の近所の小学校に来て騒いでると小学校教頭から父のところに連絡があった。

小学校に来て、〇〇さん(教育関係者の偉い人)が来てないかと騒いだと。

保護者教員で取り押さえていたが、父が仕事中で母の実家に連絡をとっている間に脱走。

母の実母は、母の姉に連絡し、妹にも連絡し、様子を見に向かっていた。妹はデートに行く途中で連絡が来て、相手に断りを入れなきゃいけないし、自分の予定を邪魔されるし、そんな状態の母も見たくないしで泣きながら戻ってきたという。(私は妹にこの時、母のところに行きたくなかったら行かなくてもいい、時間をおいて帰宅したらどうか、と言った気がする。デートについてはなんて言えばいいかからなかった。)

みんなが母を迎えに行こうとしている中、GPSで父が母の場所を探っていたが、急に移動のスピードが上がる。

教育関係者の偉い人の事務所の前にて、騒いでいるところを通報を受けて警察連行された。パトカーに乗っていたかGPSが速く移動したのだった。

署で面談中、母は暴れ、叫んでいた。

服を脱いでいたらしく、警察に渡された布を纏って、面談相手とは距離を取って面談をしていたという。

気が大きくなっていたのもあるが、離れて会話するから叫んでいたとも思う。

前回と同じ流れで措置入院になり、前回より近所の病院入院した。

私は今度こそ病識が持てるまで入院させよう、と強く主張し、妹・父と、先生に伝えたいことをまとめた。

また訪問看護も利用できないか聞きたかった。私は勘違いをしていて、家の中に来て少し家事をしたりしていってくれる人だと思っていたが、そのあと聞いたら訪問看護は薬を飲み忘れてないかとか様子がどうか見るだけのものらしい。

それでも家族以外の外部の人に見守ってもらえるなら今までよりいいと思う。

とにかく家の中に他人の目を入れたかった。

家族だけじゃ息が詰まる。

今回の先生女性先生私たちの話をよく聞いてくれて、「病識を持ってもらう」というゴール設定をよく理解して汲み取ってくれた。

薬を性質の違うものに変えて代わりに量を増やし、症状を抑えていた。

私は「心理的きっかけがあるんでしょうか?トラウマとか…」と聞いた。

先生は「違います。脳の障がいなんです。双極性は心理的な原因があることは少ないです。」と言ったと思う。(私の解釈が入っていて医療的に間違っていたらすみません。)自律神経の不調やホルモンの不調と似たものだという理解だった。

結局入院は3ヶ月程度だった。

退院した数日後に会いに行くと、母は前回と違い周りの患者さんと交流もできて、自分から障がい者手帳」「障がい年金」をもらおう、と言っていた。

一緒に申請に付き添って行ったが、明らかに前回と違うと思った。

今は自宅で過ごしている。家事自分のペースでして、やはりよく昼寝をしている。

勤務中に脱走したパート先には謝罪して辞めさせてもらった。

作業所などに通うことも検討したが、落ち着いていればパートもできるのだから本人としては新しいところでパートを始めたいらしい。

今症状と付き合い始めて10年ほど経つ。

今やってる向き合い方が正解かはまた数年経たないとわからないが、とりあえず穏やかにやってると思う。

暴走の仕方によるが、私たち場合調子の良い時は家族同士仲がいいし母の暴走は人を暴行したりはしないので、暴走させて警察などの権力のある機関に介入してもらう、というやり方で結果的に良かったと思っている。これが暴走するのが父で、ほっといたら人を殺すような人だったら思うとゾッとする。

でも、私もすごく怒りっぽいところがある。「暴走自体他人事と思えないし、私自身いつそちら側に行くかわからない。その時入院となったら、犯罪を犯してしまったらと思うとゾッとする。

私は病気が原因で人の命がどうにかなってしまうことだけが恐ろしい。

双極性障がいは、鬱に振り切って自殺をしてしま患者もいると言う。

母が自分を責めてそんな選択をすることもないよう気をつけている。

精神病気が「病気」と言われる所以はここにあると思う。死に至る病絶望と言ったのはキルケゴールか。

どんなふうに暴走しても人の命が侵されない限り、絶望しないでほしい。

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