はてなキーワード: 家庭科とは
土曜日授業が復活と聞いて、なんとなく思ったんだけど、土曜日は外部の人をよんで、特別授業の日にしたらどうだろうなぁ。
道徳、体育、家庭科とか美術の授業は土曜日にまわす、みたいな。そしたら、他の授業の科目に充てられるじゃん?
月ごとに、呼ぶ先生を変えて見ても良いと思う。ダンスのインストラクターさんや、スポーツインストラクターさん、芸術家の人たちが先生になったらおもしろいんじゃないかなぁ。
土曜日の特別授業で学校ごとのカラーが変わっていってもおもしろいと思う。そうやって差異化を図って、どんどん学校が盛り上がっていけばいいな。
そしたら先生たちも今まで通り週休2日のままでいられるし、雇用も増えるし、子供の見地も広がると思うんだけどなぁ…。
個人的に「良いこと」で塗りつぶされたお仕着せの考えばかり推しつけて、個人の考えを否定する先生ばっかりに当たっちゃって、道徳の授業が大嫌いだったから、道徳の授業がもっとこう、偏った考え方しない人に、教えてほしい。
難しいことだけど、どんどんいろんな世代と関わっていくことが難しくなってる今、もっといろんな人に教えてもらえるチャンスを作ることも、教育に盛り込んでも良いんじゃないかなーと思う。
ブコメで突っ込まれてるけど、小学校の家庭科については昔から男女とも必修。
増田が言ってるのは中学の家庭科だろう。男子は技術・女子は家庭に分かれてたから。
逆に「男子も家庭科をやるべき」と言う時代の要請に従って教育制度が変わった、という順番なのではとも思うけど、
義務教育に男女別の科目が存在した事が「男子は家庭科的な事はやらなくてもいい」と言う認識を生み出す元となっていたのが是正された、
という意味はあるのかもしれない。
それよりもっと細かな所で男尊女卑を植え付ける教育が行われなくなった、って影響の方が大きそうだけどね。
技術・家庭が分かれてた時代に育ったBBAが子供の頃は「あらゆる場面で男子が先で女子は後、とされる」
「学級委員選考はまず男女一人ずつ選んで自動的に男子が委員長、女子が副委員長とされる」
ってのがごく当たり前だったよ。
中学生くらいになれば子供なりに疑問を持つ事もあったけども、それを表だって言える雰囲気ではなかった。
中高年男性の「男の方が優先されて当たり前」「男の方が偉くて当たり前」と言う認識はこういう所で育てられたんだろうな、と今になって思う。
今の学校はそんな教育しないよね。子供見てると「昨日は男子が先だったから今日は女子が先」とか普通にやってて時代は変わったな、と思ったよ。
その結果、如実に男性の家事への参加とか、共働きへの理解が増えてるんだってさ
本当のことかしらないけど
でなんだけど
かりに本当なら、強制的に学校という空間で男女入れ替えとかすればいいと思うんだよね
イギリスだったかで、LGBTへの理解として男にスカートはかせる授業があったとかいうのを聞いたのよね。そういうこと。
効果があるとかないとかそんなはなしじゃなくて、そこにそれがあるなら体験させるべきだって話。
さすがにブラジャーはやりすぎだろうけど
テレビつけるとめざましテレビみたいなわりと情弱向け(ごめんね)だと、女はかわいくなければいけないとか、パンケーキ食べなきゃいけないとか
そういうニュースであふれてるし
雑誌なんかでもいかに女性はかわいくなるべきかで競い合わせるようにあおってるけど
そこに、スパナ持ったねーちゃんの番組とか作るといいかもしれない。キーボードもってプログラムする番組とかさ
うちの母親は、真の意味で「子育てが趣味」という人間だ。徹頭徹尾子供のことのみを考えて生きていて、非実用的な私物は一切買わず娯楽の類にも興味がない。最近少しパソコンを始めたようだが、それも「PTAの書記になったから」というだけの理由だった。さすがに友人は少数いて月に一度くらい食事に出かけている。それがほぼ唯一の散財だ。専業主婦になる前一年ほど就いていた仕事も小学校の家庭科教師というのだから、筋金入りとしか言いようがない。二十四で初めての子供を産み(僕のことだ)、その後さらに追加で三人を産んだ。最後に生まれた娘が重度の知能障害だったのでより深く面倒を見なければならず、五人目は断念したようだが、後々になって「欲しくなかったの?」と訊いたら即答で「欲しかったよ」と言われて少々唖然とした。
それなりに広い二階建ての家を毎日隅々まで掃除し、大量の衣服を洗濯してアイロンがけし、夕飯も惣菜で済まさずに手作りする。これは明確に仕事の一環として行っていて、特に料理は全く好きでないらしい。前日の肉じゃがを再利用してコロッケを作るような工夫を見せながら(抜群に美味い)、自分は白米と沢庵で済ませていたりする。自分のことに関心がなく、そして外の世界にもほぼ関心がない。生粋の箱入り娘として育てられていて、男性経験も父以外には一人もない。よく昼ドラで描かれるような「専業主婦」とは対極に位置する存在だと思われる。
そんな彼女の一番の教育方針は「兄弟間で差を付けない」というものだ。僕は長男であり次男は三歳下、三男は四歳下なのだが「面倒を見ろ」と言われた記憶はない。「お兄ちゃんなんだから」と何かを我慢させられたこともない。小遣いは学年に応じて決められていて、同じ学年になれば同じ額が支払われた。僕が小四になって希望して塾に行ったので、弟達が四年生になった時も同じように(希望を訊いた上で)塾通いを許可した。子供が増えるほど家計は切迫していたに違いなく、これは想像以上にきつかったはずだ。
そしてこの方針を徹底している最も象徴的なことが、僕の呼び名だ。僕は家族全員から下の名前で呼ばれている。弟からも妹からも呼び捨てだ。「兄さん」などと呼ばれるのは想像しただけで寒気がする。これは間違いなく親が「兄」という呼び名を使わなかったことが理由で、つまるところ僕は家族の中で「兄」として扱われたことが一度もないのだ。だからよく、他人に「長男だ」と言うと「そうは見えない」と驚かれる。
この育て方の結果として、うちは兄弟仲が異常に良い。あたりまえのように一緒に食事やカラオケに行くし、仕事や好きな漫画について何時間でも話し続ける。弟二人は特に年子だから僕以上に関係が深く、対戦ゲームを一晩中遊んでいる様子を度々見かけていた。世間一般のイメージする「兄弟」というよりはどちらかというと「幼馴染」に近いようにも思うが、しかし僕にとってこれこそが兄弟関係以外の何者でもなく、それはすなわち母の教育の成功を意味しているのだと思う。
そもそも複数の兄弟を分け隔てなく育てるというのは、土台無理な話なのだ。あまりに手間がかかりすぎる。自分の好きなことは一切できないような生活にならざるを得ないだろう。だからこれは、うちの母に限定された教育法だ。彼女は「私欲を滅して子育てに魂を捧げるのだ」といった大層な決意を持って臨んだわけではない。単に自然に子育てをしたらそうなっただけのことなのだ。そう、彼女はある意味では自分の欲望に忠実に生きている。
現在、四人の子供は全員成人し、男三人はみな就職してそれぞれの仕事に励んでいる。すべからく子供は大人になり、親から離れてどこかへ行く。あたりまえのことだ。だがそれは母親にとっては唯一の趣味がなくなることを意味する。
だから四人目の娘が重度の知的障害者だったのは、(いろいろなものに目をつぶって言うと)僕たち家族にはとても良いことだった。今でも二歳児程度の知能発育である妹は、これ以上成長しない。彼女は永遠に子供のままであり、それはそのまま永遠に子育てが続くことを意味する。母親にとって、それはきっと幸福なことなのだと思う。
ばあちゃんは今82歳。
現役時代は中学の家庭科の先生で、定年までしっかり勤め上げた真面目で優しい人だ。
私の名前は「芋子」としよう。
ばあちゃんの旦那であるじいちゃんは、私が高校生の時肺がんで鬼籍に入り、
婿養子だったじいちゃんが死んだことで、ばあちゃんは実の母である曾祖母と2人暮らしになった。
当時80過ぎの曾祖母はその歳まで仕立ての仕事を続けていたスーパーウーマンで、
一族の母たるそんな曾祖母に、ばあちゃんは頼りっきり。
一卵性親子かと思うくらい何をするにも一緒だった。
曾祖母はよく「あの子は優しいけどちょっとボケとるであかんわ」と心配していた。
けれど私はそんな優しいばあちゃんが大好きで、泊まりに行く度にわがままを言って好物を作ってもらっていた。
大きくて、サツマイモがゴロゴロ入ったモチモチの鬼まんじゅう。
甘くてホクホクの大学芋。
芋ばっかり好きだから、よく「芋子ちゃん。プーがでるよ。」と言われた。
一緒に買い物しに出かけたり、ご飯も食べに行った。
「また五目ラーメン食べに行こうね」がばあちゃんの口癖にもなっていた。
そんなばあちゃんは、曾祖母が亡くなった時から少しづつ元気がなくなって行った。
96歳の大往生だったのだけど、半身が無くなったかのような感覚だったのだろう。
忘れっぽくもなり、神経科に診てもらったりしていた。
そんな中、気分転換しようと親戚も集めて、一泊二日の温泉旅行に行くことになった。
社会人になって一人暮らしの私は、金曜の夜に前入りしてゆっくり過ごし、土曜の朝に集まる親戚や母を待つ事にした。
久しぶりのばあちゃんの料理で夕飯をすませ、ちょっと寒い風呂場でゆっくり湯船につかり、
広い日本家屋の座敷に布団を2つ並べて他愛のない話をしながら11時頃には眠りについた。
午前1時頃、何故か目が覚めた。
隣の布団にばあちゃんが居ない。
まだいない。
ばあちゃんが倒れていた。
床は糞尿で汚れていた。
「芋子ちゃん、立てなくて…ごめんね、ごめんね…」
気がつけば私は驚くほど冷静に対処していた。
怪我の有無を確認し、身体を拭いて着替えさせ、太り気味の体を支えてコタツまで運び、
若干潔癖性の私が、汚いとも臭いとも思わなかった。
ばあちゃんはその間ずっと私に話しかけている。
「芋子ちゃん、コタツの上に小さい兵隊さんがいっぱいいるわ…」
総てを処理し終えた私は一緒にコタツに入りそれに答えた。
ばあちゃんは私を見ていない。どこを見てるかもわからない。
「兵隊さんはどんな格好をしているの?」「わからない。これから戦争にいく」
「ヘビはちゃんと巣に戻るよ。安心して」「今度はスズメが入って来た」
「今度鬼まんじゅうの作り方教えてよ」「…お芋をね…ひいばあちゃんはどこにいるの?」
そのときの私は、何故かそれらの言葉を否定してはいけないと思い、
幻覚を受け止めた上で返事をしながら、必死に戻る道を探していた。
今、あっちの世界から連れて帰ってこなければ、ばあちゃんは私を一生見ないかもしれない。
「明日の温泉楽しみだねえ。久しぶりだよねえ」「そうだねえ……」
「五目ラーメンいつ食べに行く?」「……」
虚空に留まっていた視線は徐々に下がって行き、ばあちゃんは眠りについた。
夜中3時を過ぎていた。
自分の行動が正しかったかどうかも判らぬまま、疲れた私も眠りについた。
日がのぼり、疲れの残る身体を起こすと、すでに起きていたばあちゃんは私を見ながら
「おはよう芋子ちゃん」と言った。
よかった!戻って来た!!!
喜んだ私は布団から飛び起き、卵入りのみそ汁が食べたい、とお願いした。
台所でばあちゃんが支度をする間、私は母に報告のメールを送った。
夜中に私が送ったメールを確認して、慌ててこちらに向かっているとの連絡が来ていたからだ。
『何とか大丈夫そう。足腰立たなくなってただけで転んだわけではないらしい。ちょっと寝ぼけていただけかも』
親戚にも連絡を取り、お腹がすいて来た私は台所に向かった。
台所の扉を開けると、ばあちゃんがまたどこかを見ていた。
そして私の後ろを指して言った。
「芋子ちゃん。そこにおる兵隊さんに、アンタにやる味噌汁は無いと言って!!」
ギョッとして振り向いたが、誰もいない。
「アンタにやる味噌汁はない!」
駄目だった。連れて帰って来れなかったんだ。
そう思いながらダイニングに座らせる。
「お味噌汁はできた?」
「うん」
火にかけられた鍋のふたをあけた。ただのお湯だった。
それから数年、ばあちゃんはゆっくりと確実に違う世界の住人になっていった。
今では体重は半分近くになり、動かなくなった身体を車椅子に預け、目はほぼ虚空を見つめたままだ。
それでも帰省する度に施設に見舞いに行き、色々な報告をすることにしている。
転職できたこと。
デパ地下で買う大学芋よりばあちゃんの大学芋の方が美味しい事。
応えはもちろん返ってこない。
後悔するとしたら、どこをすればいいのか判らない。
トイレで倒れてた日か、旅行の計画を立てたときか、曾祖母が死んだときか。
五目ラーメンをまた一緒に食べに行けなかった事か。
うちの姉の話なんだけど、女なので男の精神崩壊みたく暴れる事はないんだけど、ヒステリーの発作で回りを困らせる事がある。
姉は幼稚園の頃から、鬼子のように手のつけられない凄まじく気の強い人間だった。姉が良く暴れている(※大人になってからは暴れてません)のを妹ながらに見てた。そして私は、よく姉に苛められていた。
小学校に上がる頃には、姉が周囲の人とはかなり変わっている変人だと言うことが分かってきた。言動がめちゃくちゃで、奇行が激しく、服のセンス(格好)も変だった。
妹ながらに姉が恥ずかしかった。小学校でも姉は周囲に迷惑かけてるんだろうなと感じてた。
けれど姉は学校の成績だけは良かった。
5教科だけでなく、体育も美術も音楽も家庭科も技術も、評価は"5"だった。特に塾に行くこともなかった。
こんなに性格の難しい変人なのに(ちょっと頭がおかしい…)、学校の成績は良いんだなと、
10代を過ぎてぐらいから分かってきた。(そこだけは唯一誇らしく思っていた)
姉は、高校も県下でTOPの進学校に行き、大学もいわゆる高学歴の部類に入る大学を出た。
私は、姉と同じ高校には行きたくなかったので、(姉が恥ずかしかったから…)自分の成績を考えても1つランク下の高校を選んだ。
周囲からは、私の成績だと〇〇高(TOP進学校)に行けるよと言われもしたんだけど…。
そして社会人になって…、
私の社会人ルートも対して良くはないけど、それでも姉よりはマシだと感じている。
就職活動を失敗したのだ…。
さらにヒスが酷くなって、いつ精神崩壊して発狂するかヒヤヒヤしている…………
と書こうとしたが、
何か昔を思い出すと、対して症状が酷くなってるわけでもなく、
今も昔も何ら変わっていない…。
いや、むしろ大人になって暴れないだけマシになってるかもしれない…。
昔から、姉は壊れていた。
うん、大丈夫かもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20150328225013
「拷問だー!」
幼稚園によっては前年の年末くらいまでには「来春用意するものリスト」が渡されて
パニクるお母さんたちが続出する。
夏休みの宿題みたく、早い人は秋くらいからコツコツ用意してるけど
やっぱり手芸苦手意識のある人は、時期が早かろうが遅かろうが「拷問」と感じてる模様。
「どうしたらいいのか途方にくれていたところ、御社のHPを拝見し・・・」なんてメールが
ガンガン送られてくる。
「息子の喜んだ顔を見て子育ての喜びを感じられました」なんていうメールを受け取った日には
ミシンは中学生以来触ったことがなく・・・って人もかなりいる。
家庭科室のバカみたいに壊れるミシンと格闘しながら、何ヶ月もかかってエプロンやら
ショートパンツやらを縫ってた頃の記憶をたどると、目の前に迫り来る納期に
恐怖するのも分かる。
個人的には、幼稚園はともかく保育園で「手作り指定」をやるのは園が非道だと思う。
認可保育園にも色々あって、
「保育に欠ける児童の養育と親の就業を担保する」という、社会での役割を踏み外さない園もあれば、
「とにかく質の良い保育を!(=園の持つ理想の保育の実践が一番で、
親の負担の増大なんて歯牙にも掛けない)」っつー強烈な園もある。
良い意味でも悪い意味でも主義主張が薄く、これといった特長も無いかわりに親の負担も少ない。
こういうところは、手作り品についても絵本バッグ1つとか、お着替え袋1つとか。
もちろん既成品でも別にOKだし、要求があるとしても「出来れば愛情のこもった手作りで・・・」程度の
フワッとしたご指定のみ。
やっかいなのは後者で、認可私立保育園とか、認可外保育施設とか。
保育内容にも独自性が強くて、おやつから何から全部手作り食育命!みたいな、
一種ありがたい丹精込めた保育をしてくれてる反面、
園の理想が高いだけに、親に要求される育児クオリティも高くて大変。
通園用ショルダーバッグも出来れば手作りで、って言ってるのも見たことあるけど
あんなもんCreemaとかで出品してるハンクラーぐらいしか、満足できるレベルのもの作れんで。
「子育ては量より濃度」
とか考えるタイプのワーキングマザーには、こっち系はほんと向かない保育園なんだけど、
教育とか保育の質とか考えだすと、親が地獄でも子供には良質な保育を・・・
となって結果泣き泣き通う事になる人が結構いる、ってこれはまあ別の話。
とかくWM界隈では悪者にされがちな「手作り指定」だけど、まあバカにしたもんでも無いですよ。
という事を控えめに訴えたい。
手芸屋稼業をしてて言うことじゃないけど、なぜか子供は手作り品を喜ぶ。
キレイな既成品より、親が試行錯誤したものを喜ぶ子が多い(あくまで多い、です)のは不思議。
年齢が低いほど顕著かなあ。
それはもうペンとか落ちてくるやろ、というレベルのザックザックした
縫い目のバッグでもお構いなし。
DIY妖怪ウォッチでも子供は大喜びってアレと似てるんでしょうか。
キレイに揃った縫い目より、親が目の前で自分のためだけに作ってくれた、
という過程を見てるのかね。
親が作ってくれたものがあると園でも安心しやすいってのもあるみたいです。
後追いが激しい子や、環境に慣れにくいセンシティブな子は特に。
あとはまあ、時を超えて残る、ってのが大きいかも。
大体の子供には、「親が作ってくれた(時にブサイクな)手作り品の思い出」がある。
私にもある。
親子関係は10点中3点くらいの悪さだったけど、幼稚園の時に母が作ってくれたブサイクな袋は
ずっと捨てられずに残っている。
あれも親は「園に言われてイヤイヤ作った」らしい。
イヤイヤ作ったたった1個の袋だから、こっちとしても余計捨てられない。
そこに愛情を見るのはただの子供側の悲しい願望なのかもしれないけど、30年経てば勘違いでも
きっと一生残るだろうと思う。
感傷的になった。
「手作り品」じゃなきゃ愛情を示せないなんて事言うつもりは全く無い。
でも、食えばなくなる日々の糧、の食事と違って、
「物」も「思い出」も両方残る手作り品って、もしかしたら相当コスパ良い贈り物かもよ。
カッツカツで日々を回してるWMからすると、手作り品もひとつのタスクでしか
無いことは良くわかる。
でもこの通過点に、センチメンタルな感情乗っけてる親も子も結構いるのよ。
だから、「滅びればいいのにこんな慣習」とか「親の手作りなんてムダな労力」
とかいう言説はナシで頼むわ。
園側がさ、「既成品でも全く構わんけど手作りもやる価値ありよ」
まあ実際こういう園が大多数なんだけど、極端な例は目立つということで・・・。
園がメジャーもって「はい作り直し~!」とかするワケじゃない。
通園バッグとかの類は、例えば園指定のお道具箱が入るサイズに、とか言われる事もあるけど
そんなもん大きめに作っときゃor大きめの袋買えば大丈夫です。
既成品もだいたい同じくらいの大きさで作ってるから安心せえ。
超シンプルな手提げとか買ってきて、ワッペンとかリボンとかレースとか付けまくって
ゴテゴテさせる。
子供に好きなデコ選ばせる事も出来るし、「作った感」もあるし、満足度高いみたい。
アイロンと手ぬいで出来るし。
あとはキットを売ってる店も多いし、ネットでも買えるし、
「手芸店行って選んで計って型紙とってキー!!」ってならなくっても大丈夫。
落ち着くんだ。ググるんだ。
http://www.bond.co.jp/bond/diy/detail2.php?item_name=%BA%DB%A4%DB%A4%A6%BE%E5%BC%EA
↑こういうの、一昨年くらいから売ってる。
凄い時代だ。
邪道とか関係無いよ。
私も1個買ったから、繁忙期抜けたら作ってみるわ。
子育てをきっかけに新しい扉を開く、なんて例は枚挙に暇がないけど、
うちのお客さんでも「半べそで作り始めたら要領を掴んで、今や趣味は手芸」って
人が結構いる。
定期的に通ってくれる人が教えてくれた。
体力とか関係ない趣味として、老後もいけるよ。
1ヶ月で用意できるかー!
細かい指定に応えられるかー!
なんていうのは、ガンガン園に言っていこう。
共働きの方がメジャーになる潮目にいる今だからこそ、来年以降は考慮されるかもよ。
これは手作り品に限らないけど、「自分はムリでも、後に続く人の助けにはなるかも」精神で。
せめて準備品がHPにでも掲載されてたら、心構えも出来るのにね。
手芸屋としても、夏くらいから用意してもらえる方が負荷分散されてマジありがたいんで、ゼヒ!
これ、周りのお父さんにも聞きまくってるんだけど、手芸はほんと最後の砦、って感じがする。
イクメンだカジメンだ言われる昨今、お父さんが進出してないほぼ唯一の家事分野かも。
レザークラフトとかは男性多いんだけど、ミシンでカタカタ・・・は全然見ないし聞かない。
その分、「お父さんが作ってくれた手作り品」持ってたらもう凄いよね。
母、先生、子供たち、全方面からの羨望と尊敬を集めまくると思うんだけどどうだろう。
家庭科男女必修の世代が親になってる時代だし、やってできない事ないでしょ?
正直「拷問だ!」っていうレベルで手芸慣れしてないお母さんなら、父さんと
実力の差、無いと思う。
手作りだ愛情だって言うならさ、弁当文化もなんとかして欲しいマジで。
幼稚園は毎日弁当とか、保育園でも月に何回か弁当の日があるとか、
中学、高校も続くし、個人的にはこっちの負担の方がエグいかな。
これから10年以上続くのかと思うと泣きそう。
以上、繁忙期なのに一言いいたくて出てきちゃった手芸屋でした。
初増田でしたが、思いの外反応してもらいホクホク。
「やってみっかな・・・」「おもしろいかも」的つぶやきが、手芸屋としてはいっちゃん嬉しい。
フヒヒ。
何人かご指摘のとおり、「(強制されることによる)手芸憎し!」が最も危惧するところです。
とはいえ、毎年3月くらいにはおかーさんたちの呪詛が渦巻くのだろうか。
またココ見つけて貰えるといいな。
既成品も製作代行もあるし、物好きハンクラーもしくはおかんもいるもん。
21世紀だし。
必須のライフスキルでも無ければ、母の愛情バロメーターでも無いはず。
子供が既成品を欲しがったらそっと針箱を閉じる(涙)。
いつ作れってんだー!となるなら作らない。金で解決。
能力的、時間的に作れない自分を責めてしまうナイーブさにも勝っていきたい。
(ブコメにもあったけど、豊かさの一指標かなとも思う。
22世紀になっても自分の手を動かして「作りたい」「作ってあげたい」ってのは、たぶん無くならないでしょ。)
わたくしごとですが、この商売始める前に勤めてた会社が派手に倒産しまして。
明日から仕事無いわ給料未払いだわの状態を救ったのが、この芸事でした。
家政科も服飾科も出てない素人だけど、好きでずっと続けてただけ。
一般的なビジネススキルと芸事が出会った時、商売になるよね・・・
→これやろっかな。
児童館で似たような事やってたし、「俺にやらせろ!」って言ってみる。
「ウチで買ってくれたのなら追加料金で加工しまっせ」的サービス。
明らかにNGなのは、版権モノ生地を加工して勝手に「完成品」として販売する行為くらい。
販売元の生地メーカーによっても温度差が結構あるので、心当たりある諸氏は気をつけられたい。
一番難しいのはやはり設計。型紙使わない程度であれば誰でもいけると思うのだが。
→入学入園準備品のたぐいは、ほとんど直線カット、直線縫いでだいじょぶ。
東儀秀樹ーー!!
びっくりしてブログ熟読。
凄いなーハンクラパパとして有名だったのか。
この凝りようが、メンズ手芸ジャンルのポテンシャルを表してると思う。
ブコメでも「オレも(うちの夫も)やるでー」ってのが散見されたけど、ほんとこの分野、期待できますね。
手芸屋=甘味処説があったけど、とりあえずそういう気まずさを解消する店作りからどうでしょうユザワヤさん。
個人的にはクッソリアルな羊毛フェルト(http://goo.gl/Yd01rh)とかも
将来的には「お父さんが作った袋物」がチヤホヤされないレベルにまで
市民権得てくるといいなあ。
元Twitterのあのプリント(今見れなくなっとる)は、確かに凄かった。
色んな園のプリントを見てきた手芸屋増田としても、びっくりするレベル。
「分かっててそこ選んで入ったんだから粛々と従え」ってトラバもあったけど、
大概分かって入ってないよ~w
リサーチ不足って言われりゃもう、それはその通りでございなんだけども。
これ、「意識高い園」に子供入って青息吐息だった時に私も同じ事言われたけど、
まさかこんな事までさせられるとはー!!というのの連続なワケです。
「入れる園・通える園」を探してる段階で教育哲学どころかナゾのローカルルールまで把握できないわな。
「妥当性が低く負担は高い、理想の押し付け」と捉えざるを得ないことと、
ちゃんと分けて、お互いすり合わせしていくのって大事ですよね、と言いたいです。
郷に入れば(ry って言うけど、元から住んでる人さえたいがい住みにくい郷なら、
郷を変えてく権利は誰にでもあると思うよ。
やっぱ長くなった。いつも話長いって言われる。ごめんね。
それぞれに思い出話が弾む。私も色々子どもの頃のことを話した。
歌ったとか、家庭科の時間チョコレートの溶かし方が分からなくて
ホットプレートにそのまま乗せてしまったとか、そんな類の話だ。
ほうれん草を植えていた。ほうれん草は当時は子どもでも跨げるぐらい
「こんなに立派なほうれん草は滅多にありませんよ」と(元)先生は言い、
私たちはその葉っぱを茂らせたほうれん草の大木を背景に写真を撮った。
タイムカプセルの中には私はベビースターラーメンを入れていたのだけれど
開けてみると立派な手打ちのラーメンに変化していた。腐ってはいない。
せっかくなので持ち帰ることにした。
でもそれだけではやはり食べるには硬すぎる。一枚一枚、
丁寧に葉を毟り取る。集っている毛虫を追い払うのが難儀だった。
ちょうど花を咲かせる啓蟄の時期だったから、これもまあ仕方のないことだ。
やがて青々とした葉っぱだけがあとに残った、甘みのあるほうれん草の葉だ。
家に帰り、そのラーメンにほうれん草を添えてエグみを取り煮込んで食べる。
硬くもなく、まずまずの柔らかさだ。私は心地良い気分になった。
小学校の同窓会であってもこんなに楽しい思いが出来るのだと思った。
今度はこっそり忍び込んで、あのほうれん草でお浸しを作ってみたいものだ。
満腹になった私は満足して、それで眠ることにした。善き哉善き哉。
いのちのでんわと私の両親について
小学3年生の時です。
その時はたしか女の子の友達とその子のおうちに遊びに行って家庭科で教わった縫い物して遊んでいました。
私は刺繍糸から1本の糸を取り出すときははゆっくり引っ張らないと残った方が塊になることを知ってたけど
友達はしらなかったんだよね。それで刺繍糸はぐちゃっとなった。
頑張ったけどほどけなかった。
もう私はかなり怒って泣いた。
当時私はいじめられっこで貧乏でいつも発狂寸前だったからそんな怒り方は私にとっては不自然ではないんだけど
普段だったらその子含む友達に徹底的に言い負かされ、または呆れられて
私の発狂もその日のうちにはきちんと後悔に変わっていってたんだけど、その時にかぎってその子は申し訳なさそうにしてたはず。外で遊ぶと一番怖い子だったのに。
その子もちょっと特殊なおうちでお父さんが怖かったから、おうちではいい子にしていなきゃいけなかったのかもしれない。
私は自分でもなんでそんな小さなことでって思いながらも発狂し続けた。
母は困った顔をして他の色があるでしょ?と笑顔で言った。
家に帰っても次の日になっても発狂していた。
学習用の裁縫セットは私が持っている物のなかで一番立派でみんなと同じ金額のものだったからだと思う。
そのうち死にたい死にたいとほんとに思えてきてしまって、でもいのちのでんわに電話した。たしか、学校で冊子をもらってとっておいてたんだと思う。
夜だったけどその時はわりとすぐ繋がって若い女性の相談員の方が話をきいてくれた。
そしてふたつのことを教えてくれた。
ふたつめは「ただしい使い方を教えてあげればいいんだよ。」
当時もそんなんわかっとるわ!とか思ってたはず。
正義感が異常に強くて良い子ぶりっこの、いつもの私に戻ってきちんとお礼がいえた。
父は酒をいつも飲んで怒ったり激励したりしていた。私を。
いのちのでんわの女の人が私の両親の代わりになってくれたなあ。
別にすごいカウンセラーじゃなくても、完全に第三者として聞いてくれる人がいてくれたから私は癒されたんだと思う。(お姉さんごめん)
大人になれば第三者って友達ーとか精神科医とかいろいろいるけど子供にはいないからね。
もし近くにこどもがいて、困っているようだったら
いのちの電話に相談してみたらー?なんて気楽に進めてほしいなあと思います。
あなたはその子の両親と繋がりがあるから完全な第三者としてその子の目に映らないと思うんです。
自分がどんな環境でも関係ない、きれいに正しいことを教えてくれた。
書いてて私はこれからも心がけよう、と思ったよ。
年の離れた兄がいたからか、もともとひねくれて生まれついたからか、生まれてこのかた「サンタクロースをわくわくして待つ」という体験をしないまま大人になった。
記憶をさかのぼって一番古いクリスマス体験は、ほぼ3歳のクリスマスなのだが、その時すでに親に「リカちゃんが欲しい」と言った。
よくある「おかあさんがサンタさんにお願いしてあげるからね」という面倒なやりとりすら無し。
何が欲しいの?うーん、リカちゃんかな、わかったじゃあ買ってくるわね、的なやりとり
なぜリカちゃん人形に決めたかというと、戦隊もののグッズをすぐに飽きておもちゃ箱で埃かぶらせてしまう兄を見て思ったのだ。
私は一人でおはなしを勝手に作ってお人形さんごっこをするのが好きで、お人形さんごっこなら、ずっと飽きずに遊べるしな、と思ったのであった。
それまでは、お土産やらプレゼントで頂いた色んなぬいぐるみを並べてお話を作っていたのだが、人間がいないと話が膨らみにくいなと感じていたこともある。
そうして我が家に初めてリカちゃん人形が来て、私はまんまとお人形遊びに夢中になった。
サイズもまちまちなネコやら犬やら熊やらのぬいぐるみとリカちゃん人形を融合させてお話をつくるのは、なかなかの想像力が必要な作業だったけど、なぜか兄(当時小学生)を巻き込み共にお人形さんごっこを楽しんだ。
小さな妹とリカちゃん人形で遊ぶ兄、習いたての家庭科を駆使してリカちゃんの洋服を作る兄、というと、今の尺度だとかなり危険度が高い感じもしないでもないけど
彼はその後バリバリの体育会系の道を歩むこととなり、今や子供3人の父親をやっているのでご安心ください。
あと、サンタを信じ続けさせるかどうかをやきもきしてる親御さんを見てると、ちょっと面白い気持ちになる。子供って色々折り合って勝手な着地点を勝手に作ってるからね。
タイトルはこうつけてみたものの、もちろんいろんな長女・長男の形があると思う。
けれど、今回は最近急速に空しくなってきたので、「こんな思いをする長男・長女」を増やしてはいけないと思って書く。
上の子はあなたたちの試作品ではない。それ以降の子どもたちに失敗から学ぶ工夫を反映させるための道具ではない。
let it goとか言ってしばらく流行ったけど、現実はそんなにすぐレリゴーできないので、その辺りは親の側から留意してほしい。
以下、私情も交えながらもう少し細かな「やめてほしいこと」を書いてみる。
私の妹は年が少し離れているので、同じ学校に在籍するのは小学生の時しかない。
親は親で、「お姉ちゃん・お兄ちゃんがいるから助かるわ」と私に細かな配慮を丸投げしてきた。
たとえば、家庭科のキットを買うとき、書道の筆の手入れの仕方、アルバイトの選び方、果ては大学の学部選び、ゼミ選びまで。
「お姉ちゃん・お兄ちゃんにアドバイスしてもらいなさい」と責任を子どもに丸投げするのは間違っている。
下の子も下の子で調べたり考えたりする手間を自分で経験するのが必要。
上の子のメソッドをかすみとるだけが彼らの人生ではないし、彼らの人生のためにはならない。
はじめての子だから右も左もわからなくて、を言い訳にする人がいるが、それは間違っている。
「はじめてだから」と予備校の面談についてくる親。その面談の相手大学生アルバイトですよ。
その大学生アルバイトの言うことを鵜呑みにし、「さすがたくさんのものを見ているチューターさん!」という感じ。
しかし実際はそのアルバイトはプロでもなんでもない。なので当然ベストの形の出願はできない。
当時の私はいろいろと自分で調べて、いろいろ提案したが「金を出すのは親!」の暴論をかざされてはどうにもならない。
その当時の反省を活かし、妹の入試はとてもうまくいった。正直殺意しかわかない。
③上の子に許されたことは同タイミングで下の子にも解禁してはいけない。
たとえば外泊なんかがわかりやすいだろう。
大抵上の子は外泊を全く許されず、それを周囲にも責められたりするのだが、
下の子は上の子の外泊解禁のタイミングで同じように解禁されたりもする。なぜだ。
大学の時に時間があるからたくさん旅行したり思い出作りをしたいのに、自分は禁止された。
それなのに、下の子は大学生の時からうきうき外泊。もう正直殺意しかわかない。
上の子の青春を世間体とかそういう言葉で握りつぶすなら、下の子にも解禁するべき。
ちなみにこの疑問を親にぶつけたところ、見当違いも甚だしい反論をされ、何の解決にもならない解決法を示される。
だまされてはいけない。
確かに下の子は頼りなさそうだし、小さいし、心配なのもわかる。
けれど、いつもいつも下の子に構っていると、上の子は我慢せざるをえない。
本当は具合が悪いし、正直かまってもらいたい日もあるのに、「お姉ちゃん・お兄ちゃんだから」という理由で放置される。
下の子が小さいうちならまだしも、ひどいのはこれが子どもがいい年になっても続くことである。
上の子が死にそうなくらい疲れていても、下の子にちょっと何かがあれば親はすっ飛んでってしまうのである。
ちなみにこれを親にぶつけると、またわけのわからない理論で返されるだけなので、もうやめよう。
勘違いしないでほしいのは、私達は何も下の子が憎いわけではない。
でも、自分だって子どもなので、親に見守られてる、愛されているという実感がほしいだけなのだ。
それなのに、いつもいつも下の子ばかり構われる、自分が我慢すればすまされる、そういうことを小さいうちからすりこまれると、
親の求める良い子であろうとして無理をし続けてしまうことになる。
でも、その無理ができてこそ自分は親に認められるので、限度いっぱいでもう無理ということをいつまでも言い出せないまま、
なんでこんなことを言い出したかと言うと、今私がこの状態だから。
我慢しないと見捨てられるし自分が我慢をすれば世の中のことはうまく回ると思っていた結果、
具合が悪くなって時々夜中に涙が止まらなくなったり、家の中にいると常に吐き気に襲われたりしています。
でも、これを誰にも言えないので、とりあえずここに投下してみたのです。
これを書いている間はちょっとすっとしています。でも、家庭にも社会にも私を私として受け入れてくれる人はどこにもいません。
こういう思いをしている人が他にいないか、あるいは下の子目線から「上の子が辛いとか言うのは傲慢だ」とか、
誰かが何かを言ってくれないと押しつぶされそうなので、とりあえず書いてみました。