2015-05-30

ばあちゃんの話。

ばあちゃんは今82歳。

現役時代中学家庭科先生で、定年までしっかり勤め上げた真面目で優しい人だ。

私の名前は「芋子」としよう。

ばあちゃんの旦那であるじいちゃんは、私が高校生の時肺がん鬼籍に入り、

婿養子だったじいちゃんが死んだことで、ばあちゃんは実の母である曾祖母と2人暮らしになった。

当時80過ぎの曾祖母はその歳まで仕立ての仕事を続けていたスーパーウーマンで、

一族の母たるそんな曾祖母に、ばあちゃんは頼りっきり。

一卵性親子かと思うくらい何をするにも一緒だった。

曾祖母はよく「あの子は優しいけどちょっとボケとるであかんわ」と心配していた。

けれど私はそんな優しいばあちゃんが大好きで、泊まりに行く度にわがままを言って好物を作ってもらっていた。

ちょっと辛い卵入りのお味噌汁

大きくて、サツマイモゴロゴロ入ったモチモチ鬼まんじゅう

ちょっと分厚いけどパリパリポテトチップス

甘くてホクホクの大学芋

芋ばっかり好きだから、よく「芋子ちゃん。プーがでるよ。」と言われた。

一緒に買い物しに出かけたり、ご飯も食べに行った。

特にとある中華料理屋の五目ラーメンが2人とも好きで、

「また五目ラーメン食べに行こうね」がばあちゃんの口癖にもなっていた。

そんなばあちゃんは、曾祖母が亡くなった時からしづつ元気がなくなって行った。

96歳の大往生だったのだけど、半身が無くなったかのような感覚だったのだろう。

忘れっぽくもなり、神経科に診てもらったりしていた。

そんな中、気分転換しようと親戚も集めて、一泊二日の温泉旅行に行くことになった。

社会人になって一人暮らしの私は、金曜の夜に前入りしてゆっくり過ごし、土曜の朝に集まる親戚や母を待つ事にした。

久しぶりのばあちゃんの料理で夕飯をすませ、ちょっと寒い風呂場でゆっくり湯船につかり、

広い日本家屋の座敷に布団を2つ並べて他愛のない話をしながら11時頃には眠りについた。

午前1時頃、何故か目が覚めた。

隣の布団にばあちゃんが居ない。

トイレだろうと思い、目をつむった。20分後にまた起きた。

まだいない。

おかしい、とトイレに様子を見に行った。

ばあちゃんが倒れていた。

床は糞尿で汚れていた。

「芋子ちゃん、立てなくて…ごめんね、ごめんね…」

気がつけば私は驚くほど冷静に対処していた。

怪我の有無を確認し、身体を拭いて着替えさせ、太り気味の体を支えてコタツまで運び、

汚れたトイレの床を掃除した。

若干潔癖性の私が、汚いとも臭いとも思わなかった。

ばあちゃんはその間ずっと私に話しかけている。

「芋子ちゃん、コタツの上に小さい兵隊さんがいっぱいいるわ…」

天井に穴をあけてヘビが入ってくるから追いやって…」


幻覚を伴う痴呆症の症状。


総てを処理し終えた私は一緒にコタツに入りそれに答えた。

ばあちゃんは私を見ていない。どこを見てるかもわからない。

兵隊さんはどんな格好をしているの?」「わからない。これから戦争にいく」

「ヘビはちゃんと巣に戻るよ。安心して」「今度はスズメが入って来た」

「今度鬼まんじゅうの作り方教えてよ」「…お芋をね…ひいばあちゃんはどこにいるの?」

そのときの私は、何故かそれらの言葉否定してはいけないと思い、

幻覚を受け止めた上で返事をしながら、必死に戻る道を探していた。

今、あっちの世界から連れて帰ってこなければ、ばあちゃんは私を一生見ないかもしれない。

兵隊さんに連れて行かれてしまうかもしれない。

明日温泉楽しみだねえ。久しぶりだよねえ」「そうだねえ……」

「五目ラーメンいつ食べに行く?」「……」

虚空に留まっていた視線は徐々に下がって行き、ばあちゃんは眠りについた。

夜中3時を過ぎていた。

自分の行動が正しかたかどうかも判らぬまま、疲れた私も眠りについた。

日がのぼり、疲れの残る身体を起こすと、すでに起きていたばあちゃんは私を見ながら

おはよう芋子ちゃん」と言った。

よかった!戻って来た!!!

喜んだ私は布団から飛び起き、卵入りのみそ汁が食べたい、とお願いした。

台所でばあちゃんが支度をする間、私は母に報告のメールを送った。

夜中に私が送ったメール確認して、慌ててこちらに向かっているとの連絡が来ていたからだ。

『何とか大丈夫そう。足腰立たなくなってただけで転んだわけではないらしい。ちょっと寝ぼけていただけかも』

親戚にも連絡を取り、お腹がすいて来た私は台所に向かった。

台所の扉を開けると、ばあちゃんがまたどこかを見ていた。

そして私の後ろを指して言った。

「芋子ちゃん。そこにおる兵隊さんに、アンタにやる味噌汁は無いと言って!!」

ギョッとして振り向いたが、誰もいない。

「ばあちゃん、大丈夫兵隊さんはもう帰るから…」

「アンタにやる味噌汁はない!」

駄目だった。連れて帰って来れなかったんだ。

そう思いながらダイニングに座らせる。

「お味噌汁はできた?」

「うん」

火にかけられた鍋のふたをあけた。ただのお湯だった。



それから数年、ばあちゃんはゆっくりと確実に違う世界の住人になっていった。

レビ小体型認知症

幻覚と、パーキンソンの運動障害。

突発的な暴力(力は弱いけど)と暴言

今では体重は半分近くになり、動かなくなった身体を車椅子に預け、目はほぼ虚空を見つめたままだ。




それでも帰省する度に施設に見舞いに行き、色々な報告をすることにしている。

転職できたこと。

兄弟大学合格したこと。

デパ地下で買う大学芋よりばあちゃんの大学芋の方が美味しい事。

応えはもちろん返ってこない。


後悔するとしたら、どこをすればいいのか判らない。

トイレで倒れてた日か、旅行の計画を立てたときか、曾祖母が死んだときか。

五目ラーメンをまた一緒に食べに行けなかった事か。


痛みを伴う病に臥せって死を待つより、その目と脳で認識する世界が安らでありますように、と願っている。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん