「安保闘争」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 安保闘争とは

2021-11-01

anond:20211101102718

キミ、ひょっとして、安保法制廃止安保闘争を混同してるんじゃないの? 

そもそも安保」の指すものがその二つでは違うのだが.....

2021-09-23

anond:20210923214529

たとえば安保闘争時代左翼とかも

適当に撃った迫撃砲警官が死んだら理念上は「官憲の犬が死んだ!」って勝利宣言してもいい場面になるはずだけど

実際には俺のせいじゃないって責任逃れを始めると思う

2021-08-12

anond:20210812114550

安保闘争の頃、色んな組織を回ってデマゴギーを流す政治工作員を隠語で「カッツェ(猫)」と呼んでおり、「デマ・カッツェ」がなまって「デマカセ」になったという説が有力。

そもそもデマ」の由来が「デマゴギー」というドイツ語なんだから「カセ」もドイツ語由来だとわかるじゃん。

どうせ「カセ 由来」みたいなクソワード検索してたんだろうけど、ちゃんと「ドイツ語」で絞り込めば1ページ目に出てくるよ。

こういう気の利いた検索が出来るかどうかが情報強者情報弱者を分けるんだよな。

2021-07-17

anond:20210717130348

別に排外主義右翼の特徴ではない。

右翼には「先進国の仲間入りをして世界を導きたい」とか「アジアの劣等国を日本が導いてあげるべき」みたいな思想もあるわけでな。

一方で左翼のほうも安保闘争みたいに外国の影響を拒絶しようとしたりもする。

2021-07-12

anond:20210712183326

ミヤシタパークは安保闘争のころから左翼デモ集合場所やゴールだったんだよ

左翼シュプレヒコールを上げる場所が、資本家に奪われたって思ってるから何年たってもネチネチ言ってくる

ホームレスなんか二の次なんだ

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-01-21

ヨソの国のことに、SNS (ネット) で口を挟んで、騒いで、結局何も変わらなかった反動が、どこに向くか。

結局、「学生集会」での弁論では事態が変化せず、先鋭化していった安保闘争と同じ轍を踏みそうな気がするけどなぁ。そうなることを望む勢力もいるだろうし。

2021-01-18

anond:20210118120610

安保闘争バブル崩壊震災の時も、若い世代に期待する中身の無い抽象的な言説が流布したけど何も変わらなかったぞ。それでも「何かが起こる」と主張したいならもう少し具体的なことを書いてくれ。

2020-05-16

anond:20200516122120

左翼活動はもはやインテリ独りよがり言葉遊びに堕しているのではないだろうか

そんなの戦前非合法共産党新左翼全共闘安保闘争時代から、ずっと変わらない。

机上の空論ばかりやってるんじゃない!ってソビエト共産党からお叱りを受けたことが何度もある。

2020-05-02

最近、思う。

日本にも、百姓一揆安保闘争学生紛争があったのに、

なんで、フランス革命が持ち上げられているんだろう。

江戸幕府を終えたのも、財力と武力が背景にあったので、幕府を脅せたんだよね。。

ルノー日産を立て直した雇われ外人経営者が、ずるずるっとしたのをV字回復なんていうが、

化けの皮がはげたよね。パリ症候群じゃ無いが、なんか、海外革命ばかりを持ち上げるのは、

どうなんだろうか。

日本の良さを、その右翼的で無くて、真っ当に評価したいが。

誰か、そういう研究出版物はないのか。

2019-09-10

anond:20190910094131

改憲護憲は、日本アンケートにしては珍しく「わからない、どちらでもいい」が少なく、キッパリ国民が半々に分かれてる。

こうなるともう勝算どうこうではない。思想思想宗教宗教のぶつかり合いよ。

安部ちゃんだって勝ち負けでは考えてないだろう。

 

ただやっぱ、護憲派ってのは安保闘争経験者の層が厚いんで、そこが老衰すればするほど、増田のいう勝算は出てくるわな。

2019-06-22

anond:20190616145711

1960,70年代安保デモ/学生運動では暴動や略奪が起きているが、略奪先は大学食堂生協等、選んでる模様

wikipedia:安保闘争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89

闘争」の時代⑦ ~東京大学安田講堂事件(2)~ (だれかのブログ) https://ameblo.jp/ei-bou/entry-10606804475.html

大阪西成ではたびたび(第24次まで)暴動が起きているが

wikipedia見る限りでは略奪は第9次(1970)、第11次(1971)、第22次(1990)

写真ニュース映像は探せば見つかる

wikipedia:西成暴動 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%88%90%E6%9A%B4%E5%8B%95

なお暴動しても安保西成の(貧困)状況は続いた模様。

2019-01-09

海外デモ見て「日本人大人しい」という人

ハンガリーデモ1万人ぐらいしかいねーじゃん。日本沖縄集会安保の時の国会デモは少なめに数えても3万人いたらしいじゃん。主催者発表ではもっと多かったらしいが。

フランスデモだって火炎瓶投げたり店を襲撃してるのは僅かで殆ど普通デモ

もっと過激にやれ!とか言って煽ってる奴らはただ暴れてみたいだけのやつだろ。渋谷ハロウィン事件に苦言を呈してるけど実は羨ましいと思ってるだろ。

安保闘争とか成田空港反対運動見て憧れちゃったのかな?「暴力必要」とかイキってる弱そうな中核派同類かな?

暴力煽ってる左派の人たちは実際何かあったら火炎瓶投げるのか?

「よくやった」とかいってツイッター投稿するだけじゃダメだぞ?指揮官気取り、記録者気取りはダメだぞ?

お前も戦うんだよ!!!

2018-11-30

anond:20181128234507

2番煎じです

自己紹介

オリジナルとは別人

無党派

研修での勧誘

入社直後の研修勧誘される。入らなくても良いのかと聞くと「任意だが皆さん入って頂いてます」と説得が行われる。一時期の携帯オプション商法と同じ構図である。その間、帰宅できない他の社員から視線も受けることになる。

そして、系列政治団体への寄付金も「皆さんry」で支払うよう要求される。一人1000円。近年は自民党が優勢なので、どの政党に関与しているのかは極力隠したいようだった。

研修終了後も熱心な組合役員が集金にくる。やりとりは上と同じ。

組合新聞

安保闘争時代を思わせる、大げさな文体新聞である。だいたいポストからはみ出しているのだが、近所に何かの活動家かと誤解されそうだ。

春闘

組合大本営発表は「厳しい交渉を続けています!!」とする中、日経電子版に妥協結果がリークされる。

最終的な結果と日経記事合致しており、ネットでは「飛ばしばかり」と揶揄される同紙である見直した。

保険勧誘

NTT健保は(IT健保ほどではないものの)高額療養費制度は充実しており、必要性の低い民間医療保険等を勧めるのはどうなのかと思う。

労働環境

男性ばかりの職場なので、トイレはいつも数十分待ちなのだ改善してくれない。胃腸が弱いのでつらい。

入社一年から20日有給休暇付与されるのは存在意義の一つではあるが、出来る人に仕事が集中することもあり使いきれないまま辞めていく人も多い。

平和学習

平和学習と称して広島長崎沖縄北方領土組合費で行ってデモを行っている人も存在する。

一度例の新聞平和活動労働環境の向上の関係性を問う記事が載っていたのだが、非常に歯切れの悪い回答だった。

組合議員

幸いにも特定候補支援投票要求されることはなかった。情報産業出身議員標榜するならサマータイム議論の時に真っ先に反対して欲しいし、新元号も早く開示するよう迫ってほしいものだ。

上位組織

情報労連が上位組織であるが、2010年代にもなって缶のプルタブ集め(一体化したタブをわざわざ缶本体からちぎって……)を始めており情弱なんじゃないかと思っている。

所感

組合費はだいたい毎月5000円、43年(22歳から65歳、今から管理職にはなれないだろう)支払うと250万円にもなるが、その価値があるかというと疑問。

転職メジャーではなく、定年まで一つの会社に勤めないと社会的に締め出される時代には必要だったのかもしれない。

そもそも組合費は給与天引きなので、集金してくれる会社側に強気で出られるはずもないと気づくべきだった。

2018-11-12

anond:20181112094723

改憲したらウヨクかいう、いまだに学生の頃の安保闘争ひきずってる奴らの認識に、目くらましされてるだけだから

現実を見ればもちろんそうだ。

2018-10-31

ハロウィーンなんて、

安保闘争に比べたら

かわいいもんだろ、

何が「昔の若者は知能があった」だ

2018-08-29

佐藤・岸・安倍一族は昔からヤクザとズブズブなんだから金銭の授受があったなら何らかの依頼もあったんだろ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%95%E6%94%BF%E9%9B%84

ユニクロ本来の原点は柳井政雄創業小郡商事だが、現在ユニクロ正史からその事実抹殺されているのだ、という。その理由は、柳井政雄が暴力団関係者であり、佐藤栄作など地元の有力者と癒着しつつ、柳井正とは正反対の土着的な生き方を貫いたことであろう、と千田秀穂は推測している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E8%AA%89%E5%A3%AB%E5%A4%AB#%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B

改定に反対する安保闘争を阻止するため、岸信介首相自民党木村太郎らにヤクザ右翼を動員させたが、児玉はその世話役も務めた。

https://biz-journal.jp/2014/11/post_7479.html

全国紙記者は「安倍氏と宅見氏の親交は永田町では有名だった」と明かす。

https://www.news-postseven.com/archives/20121015_149154.html

公判のために東京地裁に姿を現わした永本氏にも話を聞いた。

「元々、安倍さん地元の有力後援者と親しく、その縁で安倍さんハッカビーさんを紹介され、事務所に行って一緒に写真を撮りました。

2018-02-05

バブル時代の誤解

あの時代は猫も杓子もバブってたと思っているようなコメントなどを見かけるんだけど実はそんなこともないんだよね

今ほど「明日が見えない」というほどではなかったにせよ、ごくごく普通暮らしをしていた人もかなり多い

安保闘争学生運動、あれのイメージが近いかもしれない

キャッチーから物語にされやすいけど当時の同世代ほとんど中卒高卒でとっくに働いてたわけで

どうも世の中キャッチーな話が膨らみすぎて歴史修正されやす

というわけでバブル時代海外旅行にも行かず毎晩飲み歩かず特に資産も増えてない人はたくさんいるのですということです

まあだからなんだということでもないんだけど

2018-01-05

世代

1920年代1930年代まれ

戦前世代

青少年期に日中戦争太平洋戦争体験し、1920年代まれ徴兵経験する。

終戦時の年齢は6歳から25歳。

高度経済成長期(1954-1973)には15歳から53歳

安定成長期(1973-1991)には34歳から71歳。

バブル時代(1986-1991)には47歳から71歳で管理職および経営トップを担う。

定年(60歳)は1980年から2000年まで。

現在は80代・90代。

バブル時代総理大臣を務めたのは中曽根康弘(1918生)・竹下登(1924生)・宇野宗佑(1922生)・海部俊樹(1931生)。

それ以降も小泉純一郎就任まで、1920年代1930年代まれ総理大臣が続く。

1940年代まれ

1960年1970年安保闘争ベトナム戦争に対する反戦運動1960年代後半に過激化した学生運動などを大学体験した「全共闘世代」。

1940年代後半生まれ戦争終結による第一ベビーブームで生まれた「団塊の世代」。

高度経済成長期(1954-1973)には5歳から33歳で、主に青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には24から51歳。

バブル時代(1986-1991)には37歳から51歳。

定年(60歳)は2000年から2010年まで。

現在は70代。

歴代首相では、麻生太郎(1940生)・小泉純一郎(1942生)・菅直人(1946生)・鳩山由紀夫(1947生)。

1950年代まれ

上の世代反面教師政治的無関心が増えた「しらけ世代」。

1950年代前半生まれ団塊から引き続き人口の多い「ポスト団塊」。

1950年代後半生まれ人口の少ない「谷間世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期・青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には14歳から41歳。

バブル時代(1986-1991)には27歳から41歳。

定年(60歳)は2010年から2020年まで。

現在は60代。

歴代首相では、安倍晋三(1954生)・野田佳彦(1957生)。

1960年代まれ

従来とは異なる感性を持つとされた「新人類」。

1960年代前半生まれは引き続き「谷間世代」。

1960年代後半生まれバブル時代就職した「バブル世代」。

幼い頃からマンガアニメゲームバラエティ番組洋楽などに親しんだ「元祖サブカル世代」「オタク第一世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には4歳から31歳。

バブル時代(1986-1991)には17から31歳。

現在は50代。

1970年代まれ

バブル崩壊後の不景気就職した「就職氷河期世代」「ロスジェネ」。

1970年代前半生まれは、団塊の世代による第二次ベビーブームで生まれた「団塊ジュニア」。

安定成長期(1973-1991)に幼少期・青少年期を過ごした。

バブル時代(1986-1991)には7歳から21歳。

現在40代

1980年代まれ

出生率の低下が問題となりはじめた時期に生まれた「少子化世代」。

1980年代後半生まれは、脱・詰め込みの教育を受けた「ゆとり世代」。

ただしゆとり教育のもの1980年から施行されている。

安定成長期(1973-1991)に幼少期を過ごした。

現在は30代。

1990年代まれ

物心ついた頃からPCインターネットが普及していた「デジタルネイティブ」。

ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」、および不景気下で育ったために無欲と言われる「さとり世代」。

現在20代

2017-12-09

最近、黒いマスクをした人をよく見かけるけど

金髪DQNなら「あっ、察し……」だけど、普通のおばちゃんとかイケてない兄ちゃんなんかまで黒いマスクしてるのなんなの?

安保闘争にでも憧れてるの?

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