はてなキーワード: 低俗とは
VTuberのキャラデザ担当のイラストレーターはどうして残忍なことを平気でする人が多いのでしょうかね。
キャラデザ担当が手がけたVTuberのキャラクターの三面図で、腕(特に左腕)を切断したグロ画像を作ったり大っぴらに投稿したりしているユーザーが多いので見るに忍びないです。
キャラデザ担当をパパとかママとか言いますけど、そのキャラデザ担当がしている行為は虐待どころか犯罪に等しい、いやもはや犯罪ですよね。見ていて悲しくなります。
こういう人間は親になっても子供に対していずれそういう行為をするんでしょうね。イラストレーターも堕ちるところまで堕ちてますねこれは…。
状況が結構似ててびっくりしちゃった。
> 全ては自分の選択なのだから自分で責任を取って、これからの人生を全うしなければならない。わかっている。だから、この選択をした自分に腹が立つし、こうして愚痴を書いている。
ほんとこれ。こんなん愚痴ったところで自分の選択なんだから仕方ない、責任持てって言われるのは百も承知なんだよな。
でもやっぱり愚痴りたくもなるよ。もう取り返しのつかない、人生で最大とも言える選択を誤ってしまったんだから。
子供もいるし世間体もあるし、何があってももう絶対に後戻りはできないんだよな。だからこの状況を受け入れて、このさきなんとか自分を納得させて生きて行くしかない。でもやっぱり辛いよ・・・。俺の人生、まさかこんなところで終わりなんてな。
30代になり、私は低学歴で低収入の妻と結婚した。彼女は実質的に初めての恋人であり、結婚相談所を通じて出会った。しかし、相談所のカウンセラーとの関係が悪く、高額なサービスを売りつけようとする姿勢に嫌悪感を抱いていた。アドバイスも筋違いで、あまり聞くこともなかった。
当初の希望条件は自分と同じようなスペックの人々と出会いたいと思っていた。大卒で同年代、年収400万以上の、経済的・精神的に自立した人を探していた。10数人の方と会ってみたが、相性の悪い人もいれば、まずまずの人もいたが、決定的な魅力に欠けていた。長く仮交際していた人と別れた後、現在の妻と出会った。
妻は私の希望するスペックとは異なっていた。低学歴で年収も非常に低かった。しかし、彼女のプレゼントや料理の腕前に当時の私は癒され、予想外に関係が進んでしまった。退会前に相談所からは引き止められたが、私たちはマッチングアプリの退会のような感覚で退会してしまった。魔法にかかっていて躁状態だったのだと思う。
思えばこれが私の後悔の始まりだったのかもしれない。
同棲期間は彼女の希望で1ヶ月ほどで、すぐに入籍してしまった。
しかし、入籍後はお金の管理が適当だったり、低俗なテレビ番組しか見ない彼女の知性の欠如が気になった。
ただ、遊びに行ったり旅行に行ったりした時は楽しく心地よいと感じたのと、夜の相手としての面や料理の腕前が優れていたこともあって妊娠した。自分も望んでいた事、最初は嬉しかった。
しかし、妊娠後の彼女のお姫様気質や何も考えていないような態度に嫌悪感を抱くようになった。将来の計画もない、どうして行きたいも何も無いのだ。ただ専業主婦になって楽したいらしい。
こんな人と一生子供を育てていくのかと思うと、だんだん頭が痛くなってきて、家にいるのもしんどくなってきたのだ。子供も産まれたけどそんなに嬉しくない、めちゃくちゃ嬉しいとかも無いのだ。
全ては自分の選択なのだから自分で責任を取って、これからの人生を全うしなければならない。わかっている。だから、この選択をした自分に腹が立つし、こうして愚痴を書いている。
ただ婚活中の人がいたら、恋人からのその先の関係をよく考えてみて欲しい。一緒に生活の事、お金の事、考えられる人かどうか。「私わからない」と丸投げして来ないか。
後悔しないために何を擦り合わせるべきか、書籍もある。子育ての事を見据えて相手を選べよ。当時の自分へそう言いたい。
振り返ると色んな人に出会えていた、知性も思いやりもある人も沢山いたのに、あの時に戻りたい。
埼玉で行われる予定だった水着撮影会が中止になって、その元凶がどうも共産党だったらしいことが解ってから大炎上している。論調(実際大半がお気持ち表明)をみていると、だいたい二つの主張に分かれる。表現の自由に拘った主張と、女性の社会進出を阻む、要は女の敵は女じゃんって主張。クソ喰らえな主張だ。まずは後者の方で話を進める。女性の社会進出とはそもそも、女性自身が社会の内部に入っていくことを言うのだ。性を売り物にするような売女が社会に増えることとは違う。水着撮影会なんてのは、ファッションショーじゃねぇんだ、要はカメコ共がてめぇらがマス搔きてぇからやってるだけだろう。それで女郎共は承認欲求を満たしたいだけだろう。生まれる利益なんざ何もない。水着の売り上げも何も変わらない。それが本当に女性の社会進出と言えるのかって話だ。百歩譲って女の活躍の場を奪われるってのは、女郎からすりゃ精々自分の性しか売り物にならねぇからそこに汲々としているだけじゃねぇか。グラビアアイドルだろうがAV女優だろうがなんだろうが、結局あんたら性を売り物にしとるだけやろ。それで自分は社会進出してますって胸張って言えるんか?何を高尚ぶってんじゃ阿婆擦れの売女共が。そんな風俗嬢、下手すりゃパパ活女子と同レベルの存在がなにをほざくか。そんなに女性の権利を主張するんなら、まっとうなサラリーウーマンになってから言え。観阿弥世阿弥の時代から芸人ってのはお布施で成り立ってんだよ。社会の外部から抜かすな、ボケ。
表現の自由がどうこうってのもふざけてる。表現の自由を抜かすんなら小林多喜二寸前になってからほざけ。かなり前の、月曜のたわわがどうこう、とかそう言う漫画キャラに対する規制を表現の自由と格好いい言葉で飾るな。そんなのてめぇらのオナニーじゃねぇか。そんなにエロを書きてぇなら快楽天にでも行けや。ほんま、てめぇらのエロ書きたい欲を表現の自由とかって、それこそ表現の自由に失礼だろうが。そりゃ、共産党も怒り心頭になるわな。自分らの党が昔受けた表現の自由に対する弾圧、労働者の現実を、ただの思想を表現するだけで特高に捕まって拷問された人々が過去に実際にいるのに、彼等と便所の落書き程度の表現しか持ち合わせない低俗な馬鹿どもを同じように表現の自由の名の下に扱わなけりゃならんのには。ほんま、正義の味方気取りの馬鹿ども、権利ばかり主張して何もしない野郎女郎共には反吐が出る
いやきみ本当になんていうか低能だな
君はその若い女性を裸に剥いて~みたいなイメージでハアハアしてんのかもしれんが
はてブのコメント欄見てくりゃいいけどフェミ側の一番攻撃的な人達でも
君みたいなトンチンカンな論点でどうこうというのは言っていない
アンフェ側や弱者男性側が言ってるのは
「人命救助と言う最大レベルの善行においてすら女の被害者意識で悪者にされて社会的に裁かれたり訴訟されたりするリスクがある!ぼくちんたちは被害者だし女やフェミはまことにクソだから助けねー勝手に死ね」って話
どちらのチームも君みたいな論点で戦っていない
君は要するにみんなが何を言ってるか捉える力が完全に欠如してるわけだから
昭和の笑いってこういう笑いなんですよね。
誰かが失敗してるのを見て人間力を見下して笑う。
笑いが見下しの笑いなんですよ。
ドリフのお芝居とかだって結局は「アホ」「バカ」「ハゲ」「キモ」を見下して笑うのばかりでしょ。
自分より下の立場を見つけられたことに対して安心して笑っているような人達。
そう考えると現代の笑いって本当に豊かですよね。
日常の中にある不可思議さの再発見から来る知的なお笑いの文脈が着々と出来上がっている。
魅せ方をカジュアルにしたマジックやミステリーのような笑いです。
知性のある笑い。
誰かを揶揄することで自分とその周りの人間の小ささによってつけられた傷を必死に誤魔化そうとするような惨めな笑いじゃない。
笑い方にさえ人として当たり前に持ち合わせるべき脳力が要求される。
境界知能の向こう側に行ってしまった人の手にはもう笑いさえ与えられることがない世界が近づいているということですよ。
不快になる事しか書いてないし、支離滅裂な文章なので頭がおかしくなりそう!
コロナがついに5類になる。
医療者側の渦中の人間だったので、正直世間の人たちの意見を意図的に見ないようにしていた3年間だった。
なんでかと言うと、余りにも自分たちのしてる事が馬鹿馬鹿しく、そして虚しく感じてしまうんじゃないかと怖かったから。
渦中から外れた今、5類移行を前に様々口汚く罵る人々をアレコレ見られるようになって、「仕事してる時に見なくて本当に良かった〜」と心から安堵している。
ちょっと心は折れたけど、アル中にも借金まみれにも性病にもならず、何となく生き延びることができた。
関係ないけどいま梅毒がやばいので、風俗行ったり知らん人とやりまくる人は一回検査してくれ。ウン10年後が怖いから。妊娠してると堕すことになるから。早めに治療したらちゃんと治るよ。
まぁ梅毒なんかはどうでも良い。
個人的には感染対策も、ワクチンも、各種支援も、このヤバめ未曾有の超災害に対してみんなわりとかなりけっこうずいぶん頑張ったように思う。
ズタボロの雑巾みたいになって働いた医療関係の人たち、私も含めて超お疲れ。
これからはのんびりスローライフとまでは行かなくても、もう少し心穏やかに仕事ができるようになると良いよね。折れた人はもう休んでくれ。
でも多分こう言うふうに言えるのは私が医療者側だったからであって、コロナで散々苦しめられた学生観光飲食エンタメなどに関係する方々からすると、医療職ってもはや『敵』というか『自分達をコロナで苦しめた諸悪の根源』になってるんだなぁと、しみじみ思った。
医者がああだというから、保健所がこうだというからという強制力のもとで散々抑圧された市政の方々からすると、それもそうかーと言う気持ち。
ごめんねってここで謝ったところで、何の意味もないし、何に謝っているのかもわからないんだけど、辛かったろうなと言うことの傾聴はできる。
できるかな?仕事だと言われるとやれると思う。悲痛な面持ちで頷きながら、手を握るくらいなんてことないぜ。
でもそうなるとむくむくともたげてくるのが「私たちがやった事ってわりと無駄だったな」「そこまで頑張らなくても良かったんだな」という考え。
日本は7万人くらい亡くなって、致死率0.2%くらい。
らしい。いまHP見てきた。
厳しめの感染対策と日本人の潔癖さと村八分文化と医療者の頑張りとあとなんか他にも色んなものが様々に絡み合って、出来た結果だと思う。
でもコロナ禍が過ぎて、こんなに医療職が馬鹿みたいに叩かれるなら、もっと対策は緩くして良かったんだなーとしみじみしてくる。
アメリカもロシアも致死率1%以上あるから、別に日本もその水準でなーんも問題なかった
単純計算すると5倍なんで、35万人くらいは亡くならないと他の国と釣り合いが取れない
あれこれと苦しい思いをして必死になったのがばかみたい
今私の頭を占めてるのはそんな考えばかり。
なんか今日胸糞悪い記事とニセ科学記事を血眼にして読み漁ったので、鬱屈とした気持ちが占めてるせいだとは分かってるんだけど。
こんな事は違いますよってのも、感謝してくれてる人もいるってのも知っておりますが。
でも酸素化が85%とかになって苦しいよ〜ってやってる人を、どうしようどうしようって思いながら治療する必要なんかなかったし、食べ物がないんです!と喚く人たちに、配食をあくせくしながら届ける必要もなかった。命ギリギリの人たちにごめん、もっと早くなんとかしとけばよかったよーって泣く必要もなかった。あれも、これもみーんな無駄。
老若男女、等しく5倍の人が死んで良かったのだと思うとなんか全てがあほらしいなーと言う気持ちがいっぱいになるわけです。
でも多分死ぬのは主に金がない人たちに超偏るんだろうなというのも頭を掠める。それはなんだかな。めちゃくちゃ腹立つな。私も貧しい側だから死ぬし。
でももっとたくさんの人が悲壮感たっぷりに死ねば、いちいち強制的に規制なんてしなくても、自発的に色んなものが少し自重ムードになって、こんなに憎悪の連鎖にはならなかったのかもしれない。
お得意の村八分文化で感染者を自殺に追い込む事はできたじゃないですか。なのであんな感じの対策で良かったんのかもしれない。
イベントもそのままやれば良かったし、飲食店も閉めずにそのままでいたら良かった。
次亜塩素酸ナトリウム噴霧しながら、クレベリン舐めて塩のかかった⚫︎コー⚫︎飲んでおけば治るんですよ。はっ倒すぞ。
病院は患者が押しかけて資源の奪い合いになって、多忙で鬱になる医療者がどんどんやめて医療は崩壊するけど、医者はともかく看護師なんかウジみたいにいっぱいいるし、時がたてば何とかなるんじゃない?
ならねーよ。後輩みんな鬱と不眠抱えてんだぞふざけんなよ。転職できた子はめちゃくちゃ明るくなってたので、それはめちゃ良かった。健やかに生きてね。
今はそんな気持ちでいっぱいになってる。
市政の人たちは医療者の事、嫌いだろうと思うけど
少なくとも私も市政の人たちのこと大嫌いなので、安心して欲しい。
口汚く罵る人はもちろん地獄に堕ちろって思ってる。
あとは上っ面でブルーインパルス笑を飛ばしたり、テキトーなイルミネーション点灯して「医療関係者にありがとう!」とかしてた奴らはもっと唾棄するレベルで嫌い。
本当にきつい時に、他人の自己満足の餌にされたことは一生忘れない。
なおブルーインパルスを操縦した人は悪くない。
でもそれを企画立案したやつも、それに金出したやつも磔⚫︎斬⚫︎にしろと思う。血を流せ。畑を血でみたせみたせみたせ。フランス国歌もそう言ってるだろ。苔むしてる場合じゃないんだよ。
金と休暇以外に欲しいものはなかったけど、それは絶対にくれなかったし。
漠然とした上の連中が、この3年間で何を考えて、私たちに何をしたのかは忘れないでいようと思う。
具体的にいうと選挙に行く。あと有給を取る。手札が少なくて泣けてきちゃう。転職がんばろ。
あとはネットでよく見かける「つよいくちょうのいしゃとかんごし」これも嫌い。
嫌いというか愛憎入り乱れてる。
たしかに良いぞもっとやれって思う時もある。もっと無知蒙昧で下劣で低俗な市民をボコボコにEBMがちがち正論で殴ってしまえと。スカッとするし。
でも結局センセーショナルな文言で煽るようなことを言っても何も解決しないのと、結局他の善良で草の根ネットワークな医療関係者を背後から撃ってることになるし、なんなら私も攻撃受けて辛いので、マジでやめろやという気持ちに落ち着く。
頑張ってるのに患者や市民にリンチされてしまった結果、世間に怨嗟を撒き散らすことになってしまった悲しい乙事主である事はわかるんだが。頼むから美味しいもの食べて、寝て、楽しいことをして、いかりをしずめてくれ。あなたたち、つかれてるのよ。
というか今ここで恨みつらみを書き連ねてる私も同位体なわけですけど。つらみー。
OMIさんがもうそれはそれは散々な罵倒をされてるが、あの人の凄いところはそれを絶ッッッッッ対に怒りで返さないところ。対話をしつづけるところ。まじですごい。
私みたいな底辺クソメディ野郎はもちろん、各方面の優秀なオイシャサンたちまでもが、感情むき出し祟り神モンスターに成り果てていく中で、静かにわかりやすい形で啓発・説得を続けようとするの、これは本当にすごいことなわけですよ。
何なんあのメガネって思ってる人も多いと思うんだけど、まともなことを怒らずに淡々と言い続ける人はまじでとんでもねー人なんで、30年後とかにめちゃ余裕が出て慈悲の心が沸いたりしたらインタビュー記事とか読んでみてください。めっちゃ心を砕いてどうしたらいいか考えて、頑張ってるんだよ、分科会の人。政府はろくに聞きませんでしたけども。ナントカ医師会とかナントカゲカ学会の人なんかより5億倍くらい頑張ってるのは知って欲しい。
とりあえず5月8日が待ち遠しいような、でも別に私の職場何も関係ないような気もするような。
医療関係者なんか来世には絶対選ばねーよと思いながら、転職を頑張ろうと思う。
みんなおつかれ。
なんか罵倒コメントでもついてるかなという戦闘的な態度で見にきたら、普通にやさしいコメントついててびっくりした。ありがとね。
でもさ100のヨシヨシと1の膝蹴りだと膝蹴りの方が脳内を占めない?
世界が全て膝蹴りしてくる人に見えてこない?認知の歪みなんだけどさ。そんな時もあるんだよ。
そして市井の人とノイジーマイノリティね。
おぼえたよ、ありがとね。
啖呵切った部分で誤字ってるのは公衆で恥部を晒しているのに等しいが、覚えるために残しておくね。
Twitterで怨嗟の部分だけ切り抜きされてて、それも羞恥心に駆られました。冷静になったら負けだ。
これは公衆便所の落書きと同じなんで、こんなもん真剣に読まんで寝てくれ。もし寝れないならKUTSUNA先生のYahooのやつを読むんだ。50億倍役にたつ。
そしてなんか凹んでる人達へ。こんなもん読んで罪悪感とか悲哀を感じないでくれ。職業選択の自由において大いなるハズレを引いてやがるざまぁと嘲笑うくらいでいいんだよ。私もそう思ってるから大丈夫だよ。
海外の医療者の人へ。なんなら海外の医療者のが本気で死ぬ思いで悲惨だったろうと思う。マジでマジでお疲れ様。海外はたぶんワクチンと文化と政治が絡み合ってあの感染者だから、何かとてつもなく巨大なものに押し潰されるような恐怖と戦ってたのかもしれない。英国とかの病院の廊下で患者が死ぬ話とかもはや戦時中だよ、考えただけで胃が捻転する。
医療職の何が大変なのか理解に苦しむ人へ。職業に貴賎はなく、どの職にもそれぞれの苦労やつらさはあると思う。現場で胸が苦しくなる場面が体験したければ、NHKのエマージェンシーコールって番組見てみて。風呂場で血まみれで冷たくなってる妻を、夫が震えながら心臓マッサージする場面(だったと思う)が出てきます。例えるとそういう類のものです。
『接遇気をつけて♡』ってうちわ持って振りたいやついるよね。うちの職場の人にもぜひやってくれ。
WHOとかいう組織のフグの毒みたいな名前の人が緊急事態宣言を解除したみたいで何よりです。
何がよかったのかといわれるとわかんないけど。
撲滅してないし、何かの感染症の流行り廃りは続くので、少年漫画の打ち切りのラストみたいな「私たちのたたかいはこれからだ…!」みたいなのを延々続ける羽目になるのだ。完。
『フェイブルマンズ』で「芸術」と言われていたものは後者の類と言える。仕事や、家庭を持ち人を愛し愛されるという事がそれに取って代わる、ないし併存するという人も多数だろう。
生き甲斐とは現実に即した、社会と密着したものでなければならないというボンクラも世の中には少なくない。そんな人間達の目を憚って、社会性として「趣味」という言葉でカモフラージュされた生き甲斐なのかもしれない。
なぜ趣味に留めるのか、仕事にしないのか、と言えば、それに越したことはない。好きな事で生きていけたらどれだけ良いだろう。しかし当然、また残念ながら、好きや憧れが人の役に立つとは限らない。要求される水準の技量があるとも限らない。いや、役に立たないからこその趣味なのではないかと思う。
総じて気晴らしの趣味は消費的、生き甲斐のそれは生産的とでも言われるようなものだろう。
前者であれば、生活の延長にあるものが多い。着飾って出掛けて美味しいものを食べ、温泉に浸かりスッキリして、思い思いの快適な部屋でゆっくりと過ごす。刹那的な快楽を得て、日々の生活の活力を補充する。
対して後者は、表現にまつわるものが最たるものだろう。音楽、美術、文藝、写真、映画、……etc. 美や善なるものの存在を信じ、それを描き出す。自身の人生の固有性と真摯に向き合い追い求める。他者に何かを訴えかける。あるいは、ただ純粋に好きや憧れを追求する。その中で、たった一度の人生に意義を見出す。たとえそれが自己満足に終始するものであったとしても。
無論、衣食住が必要十分の域を超えて、また低俗な娯楽と軽んじられるようなものの中でも、生き甲斐を見出し得る領域に及ぶ事はあるだろう。芸術作品もまた、鑑賞してただ「あー良かった」で終わる満足であれば消費的と言えるだろう。
生き甲斐を求める趣味においては、時に義務感を抱き、疲れてしまうような事もある。趣味なのにイヤイヤやるだなんてナンセンスだと思う人もいるかもしれない。しかし人を納得させ得るような「意味」など問題ではない。胸の内の無根拠な確信と納得、それだけで突き動かされ、追い求めずにはいられないのが生き甲斐というものだ。
世の中には、気晴らしの類の趣味のみを糧に生きる人もいるようだ。人生の意義やアイデンティティなどといったナイーブな考えは捨て、日々の些細な満足を拾い集め続ける事に重きを置く人も、むしろそういった人の方が多いだろう。それが納得を伴っているのなら、いや伴っていなくとも、それに口出しする道理は無い。
が、根本的な人生観において異なる価値観を持った両者は分かり合えないのではないかと思う。私は生き甲斐のない人間を理解できないが、彼らもまた全く同じ気持ちをこちらに抱く事もあるだろう。
しかし、双方が子供じみたナイーブな考えだ、凡庸さに屈した気晴らしにかまけるだけの生き方だ、などと互いに罵り合わないようあって欲しいものだ。
完全な悪役ではなく、善と悪ふたつの要素を持つグレーな性格のキャラクターには、なぜだか陰湿で思い込みの激しい粘着質な女性ファンが多くつく。
平成の時代はそのようなキャラクターの代表がハリー・ポッターのセブルス・スネイプだった。私のハリポタにおける推しである。
JKRは「スネイプはまったくのグレーな人間。聖人ではなく、復讐に燃えていじめをしたが、悪人でもなく、魔法界を救うために死んでいった」とたびたび説明しているが、それでも「スネイプは英雄で聖人だ。スネイプを悪だというやつはおかしい」とSNSで主張しまくり、原作者にすら説教をするほどの熱心なスネイプファンは跡をたたない。
原作ファンや、「グレーなスネイプ」をそのまんま愛しているスネイプファンは、このようなスネイプファンを煙たがり、原作者もこ過激なスネイプファンの行動をマンスプレイニングとかけて「スネイプ・スプレイニング」と呼んでネタにしてきた。
で、話は令和に移る。ここ数年、ao3を席巻するほど世界規模で流行っている中国発のBL小説「魔道祖師」にも、江澄というスネイプのようなキャラクターがいる。魔道祖師にハマって、案の定スネイプの時と同じように江澄にハマったのだけど、江澄はまさにスネイプのポジションであり、スネイプについていたような「厄介で粘着質で思い込みの激しい女性ファン」が多くついているのを見てパブサするたびにうんざりしている。
江澄は確かに不憫でかわいそうな経験が多い。若くして家族と門下生たちを惨殺され、師兄にも出奔された。が、それも自分の怒りと妬みにそまりやすい歪んだ性格と能力的な至らなさが招いた愚かな結果であるともいえる。そのもっともたる例が鬼道術者に対する拷問で、鬼道を行っていないと判明しても拷問して殺しており、江家管轄領の住人たちから恐れられている。
江澄は原作者の墨香铜臭にも「性格が悪い」と言われている。窮地に陥った魏無羨を辛辣な言葉で追い詰め、宗主という権力者の立場でありながら魏無羨と協力し合わず彼を助けなかった。この物語のヴィランで(であり被害者でも)ある金光瑤に、「あのころの江宗主が魏無羨と連携をとれていたら魏無羨は死なずに済んだ」と指摘されているほどだ。ほかにも自身の性格の悪さが原因で、実の父親にはうとまれて愛されず、恋愛関係になった複数人の女性にも愛想を尽かされて破局しているというエピソードもある。(後者は原作完結後インタビューより)
アニメ3期の最終話にて、江澄は魏無羨をさらに辛辣に罵倒し、怒った藍忘機に髷を落とされた。それにより江澄は己を省みるための閉関修行に入る。
これらは原作にないアニメオリジナルの展開なのだが、アニメ制作陣により刑罰の意図をもって明確に描かれている。無論、江澄が愚かな性格を直してこなかったことに対する罰だ。
本国放送時に初めてこのシーンを見たとき、「ああ、これで江澄は反省するだろうし、自分の性格のせいで損ばかりする人生じゃなくなるな」と、江澄ファンとしてかなりほっとした。
他作品を読んで感じていたが、原作者の墨香銅臭は主人公カップルの結末以外にはとくに注力しないタイプの作家である。なので原作の江澄は何も自身の性格を省みることなく、魏無羨とも完全に断絶して終わった。
原作を読み終えた時、江澄はこのままで大丈夫なの?という漠然とした不安あった。
三大世家の中で雲夢江氏は孤立しているという設定なため、この先何者かに陥れられるか、間違って拷問した相手の関係者から恨まれて攻め込まれでもしたら、雲夢江氏は今度こそ本当に危ないだろうという心配もあった。
だからアニメ3期にて、江澄が己を省みる展開を入れてくれて猛烈に感謝しているのだ。江澄が自分の愚かな性格のせいでこれ以上不幸にならないようにしてくれてありがとう、と。
そう思っていたので、パブサしたときに、アニメ公式に対して烈火のごとく怒り狂っている江澄ファンたちの姿を目にして驚かされた。
「江澄が罰せられたことを自業自得だという人は人間性がおかしい。正直、引く」
「江澄を悪く言う人はブロック!」
「私のTLはアニメ3期への罵詈雑言が溢れている。私はTL構築に成行した!」
えっ、本気で言ってるの?と思った。
それから彼女たちの発する粘着質でじめっとした熱気を浴びているうちに気が付いた。「平成の間にさんざん見てきた厄介なスネイプのファンと一緒だ」と。
厄介な江澄オタクたちはひたすら「かわいそうな被害者」としての江澄のことしか語らず、原作ファンに江澄の至らなさを指摘されると烈火のごとく怒り出す。
彼女たちが話す江澄とは、「父親に愛されなかったせいで自分に自信が持てない性格で、日陰者の秀才、師兄に裏切られた被害者」であって、決して江澄の愚かで醜悪な部分を見つめようとはしない。
鬼道術者ではなかった人まで拷問していたことに対しては、「それは本人発信の情報ではないから嘘に決まってる。魔道祖師って噂が独り歩きすることの悪さを書いた作品だから」「拷問したあとは必ず医者を呼んで手当してるはずだから問題ない」という主張である。身内である甥の口からも拷問の話はでているため、この情報を嘘だと疑うのは正確な読み方だとは言えないだろう。
他にも彼女たちの中には「江澄は20歳ちょっとの若さで生まれたばかりの甥(金凌)を子育てをした。金凌には乳母はいない」という通説もある。金家ほどの大家が乳母を雇わず、宗主業務で忙しい江澄が自ら金凌を育て上げたというのはいささか考えにくい。
推しと自分を同一化する傾向もあるのだろうか。「乳母を雇わずに自ら金凌を子育てした」というのも、実際に小さいお子さんがいる女性によって主張されている。推しに自分と同じことをしてほしいという願望があるのだろうが、そのせいで推しの姿が歪んでしまっている。
オタク女の中でも特に腐女子には推しを「共有」する文化がある。
推しが自分たちが推すにたりうるほどの品性と人格を備えていないというのは、彼女たちにとって受け入れがたく、思わず目をそむけたくなる事象なのかもしれない。
だからといって、そのものの推しの姿を見つめようとはせず、自分たちが盛り上がるために都合よく推しを美化して愛でるやり方は、本当に良い推し方なのだろうか?
一部の江澄ファンの異常に熱心な姿を見ていろいろ考え、疲れたとき、ふと脳内に晋江掲載時の魔道祖師初版の、墨香铜臭によるあとがきが思い出された。
「まさか江澄がコメント欄の人気者になるとは思いませんでした」というものだ。
墨香铜臭もJKRの発言を追っていると、スネイプと江澄のファンにはかなり困らされているのが伝わってくる。まさかこれほど厄介で熱心なファンがつくなんて、原作者として想定外だったのだろうな。
こちらとしても、何故このようなタイプのキャラクターには、粘着質で厄介で異常な熱気のある女性オタクがファンにつきやすいのか、いつもかなり不思議に思っている。
とにかく欲しかった。誰かが好きになるというかは誰かを彼女にしたかった。
ただ積極的ではないので、空から美少女が降ってくれればいいみたいな夢想をしていた。
あと、積極的にモテるようなファッションをするというのは負けとおもっていたのでそんなモテたい素振りをしないようにしていた。今思えばどうしてそれをしなかったんだと思うが…
高校生の頃、彼女ができる夢を見た。特定の誰かではなく、架空の人物、その時僕はついに「ついに僕にもできたぁぁ!!」という気持ちで、今でもその高揚感を覚えている。そして目が覚めた時にそれが夢だと分かったときの落胆ぶりも覚えている。
好きな人と付き合いたいではなく、誰かと付き合いたいだった。
90年代は、何かと恋愛文化が重要視されていて、ドラマは恋愛ものがほとんどだったし、やらずに二十歳を超えることを「ヤラハタ」と言われて童貞は恥ずべきものというのが男どもの共通認識であった。
彼女ができるというのは、その社会での一つ上のステップにいけるという気持ちだったのかもしれない。
いわゆるトロフィーってやつ。
19のときに初彼女ができた。しかし1か月で別れた。それでもなお僕は「彼女がいたことがある人間だぜ。20歳前にできたんだぜ」という気持ちになった。
完全にトロフィーだよね。何を勉強するかではなく偏差値で大学を決めている人間と同じだったわけだ。
初彼女と別れた後も、付き合っている状態じゃないとダメだという気持ちになった、フラフラし始めてしまったが、
その後いろいろあって大人になって、大学時代にできた彼女と(前述の人の次に付き合った人)そのまま卒業と同時に結婚した。
ステータスや世間体じゃなく人として見るということを教えてもらったんだね。なお妻は大学生ではなく、自分の周りとは違った価値観を教えてくれた。年もだいぶ違ったし。
19歳の頃初彼女ができなかったり、今の妻に出会えなかったりして、あの頃のトロフィーを求める気持ちをもったまま今の年齢になっていたらどんな人間になっていたんだろうと思うことがある。
ある時から諦観していたと思う。僕を選ばない側が悪いと思っただろう。それには根拠があって、こじれていた16くらいの頃はでも、チャラい男を選ぶ女が目がないという気持ちになっていたからね。
勉強ができる僕のような人がいいだろうとも思っていた。
その気持ちはおそらくずっと増幅されることになっただろう。
あと、当時のスクールカースト上位の男子たちを疎ましくも思いつつも、どこかあこがれているところがあった。
僕は本当はおしゃれしたいけれど、気恥ずかしさがあってできない。それをやすやすと越えている連中はすごいという気持ちもあったが、鬱屈しているメンタリティは素直になれない。
強そうだからモテるとか、イケメンだからもてるとか、はやりのファッションをきているからだとか、体育会系だからとか、表面的な分析にしかならないわけだ。
だから、連中のことを嫌だと思いつつ、自分にないものを持っていて社会に認められているとも思っている。つまり強さとか男らしさというモノの価値を逆説的に認めちゃっている状態だった。
このまま僕があのまま年を取っていたら、男らしさというモノへの羨望と恨みで鬱屈した感情を持つかもしれない。
「僕は男らしさを持てなかった。男らしさは低俗なものだ。粗暴だ。だからあえて持たなかったともいえる。でもそれでは女からは見向きもされない。女どもは男らしさを無くせというが、その結果が俺みたいなもんなんだぞ」と思っていそうだ。