はてなキーワード: バスケットボールとは
実家の母親の電話いわく、地元の中学校の部活動が強制ではなく任意となったらしい。弟は学校から帰ると、ずっと友達とゲームをして過ごしていると愚痴られた。
僕は、バスケットボール部に所属していた。15時半の授業が終わると、各々は体育着になって体育館に向かう。そして18時半までひたすらドリブルを続けていた。コートの真ん中では、運動とバスケが上手な奴らが陣取り、ひたすら試合をしていた。雑魚である僕らはコートの隅である。たまにボールが飛んでくると、それを真ん中に投げ返すだけの簡単な作業である。
雑魚の中でも、カーストがあった。僕はそのカーストの中で低い方だった。上手な奴らの分に加え、同じカースト内から受けるイジメがった。それもあって、バスケの部活動は苦痛だった。
思い返してみれば酷いものだ。たまに試合を「やらさせてもらう」としたら、笑われるか怒鳴られる。部活の基準は上手な奴らに合わさっているので、雑魚は何をやっても怒られる。
そして、何かと休日は校外で試合をする。雑魚はそれに合わせて一緒に行動し、ボールや荷物を持っていく。上手な奴らの親は我が子が一番可愛いと、どこにでも車を走らせる。ビデオを撮り激励を贈る。雑魚の一人である僕は、横目で冷めた弁当を食べ、サボれる場所を探す。何もおもしろいことなどない。時間を潰すのに必死で苦痛だった。強い強い苦痛を感じた。
僕の中学校は田舎なので、人数は東京に比べたら断然に少ない。一学年に80人はいなかったと思う。そうなると部活動の数も少なくなる。その上、なぜか部活動は強制参加だった。サッカー、野球、そしてバスケットボールのどれかを選ばなければならない。文化部は何か体に問題があるか、家庭に問題がある子しか入部できなかった。
他の部活も大抵同じだったが、野球部は先生が皆平等にシゴいていたので、しんどそうだったが精神的に追い詰められていそうな感じではなかった。サッカーは楽そうだった、これに入れば良かった。友達もノビノビしてたし、試合も半年に一度しかなかったようだ。バスケははっきりとした上下関係というイジメがあったし、顧問も試合に勝つことしか言葉がなかった。
試合の日などでは、他の学校の顧問は常に生徒を怒鳴ってた。頭ごなしに下手糞と怒鳴りつける。生徒は泣く。でも青春なんだと、上手な奴らは語っていた。この空間の何が楽しいんだろうと思った。上手な選手がいて、怒鳴るコーチがいて、あとは奴隷がいた。試合に勝つことが絶対で、失敗しないことが求められ、奴隷は時間を潰すことに必死だ。奴隷は微塵も興味が無いバスケが上達するわけでもなく身体能力が上がるわけでもなく、雑用のためだけにいた。
バスケ部は僕の学校が誇る素晴らしい「伝統」の一つに数えられていた。上手な奴らは誇らしく、青春を感じていたのだろうか。伝統というものは、犠牲の元にあったことを知らなかったのだろうか。
その後、部活動は三年生の夏で終わり、受験勉強と塾で追われることになった。僕は勉強ができたので途端に楽しくなった。その後、受験が始まり僕は進学校に進み、できる奴らはスポーツ推薦、またはスポーツ推薦で落ち大金を払って私立校に進んだ。
何年かして、僕は大学に行き就職して今に至る。「上手な奴ら」の話は一切聞いたことはなかった。そりゃそうだろう、上手な集まりの中で高みに行くのはとても大変だ。しかも、バスケは野球やサッカーほど良いスポーツではない。プロになったとしても食べていけるわけがないだろう。オリンピックも日本の枠はない。上手になっても意味も価値もないスポーツだ。
母と話をしていると自然と昔話をしていた。母親もバスケ部は嫌だったらしい。そりゃそうだろう。休日も早起きをして、何も活躍できない子供の弁当を作ってたのだから。高い名前入りのジャージを買わされ、たまに車を走らせ、遠い学校や施設へ子供を送り迎えにいってやったり。きっと、母親内でのカーストもあっただろう。僕が勉強ができなかったら、もしかしたら母親もイジめられていたかもしれない。
僕は半笑いで聞いていた。遠い昔のことだから、もうそんなに辛くはない。ただ、あの時の時間で何かもっと他の事をやっていれば、きっと楽しかったんだろうなあと思っていた。
その後、あの「上手な奴ら」の話になった。上手な奴らは高校を卒業したあと、揃いも揃って地元で働いているそうだ。田舎なので大した仕事はない、それこそ工場とかしかない。できる奴らのリーダーは工場で働いているらしい。朝の8時から夜の11時まで働き、体中を黒い油だらけにして帰ってくるらしい。給料も聞いたところ、手取りで15万円はいっていないそうだ。それをもう何年も続けているそうだ。
僕は母親との電話を切ったあと、ふと辛かった思い出をつらつらと思い出してみた。一日2時間半、週に12時間半、月に50時間。それが2年と半年、600時間をかける2.5して1500時間。プラス月に2回ほど休日を全日潰される。その時間を、僕がマックスで有意義に使えたかは微妙だが、とても貴重な時間に思えた。
僕は今、残業はあるとはいえ悪くない環境で働き、年齢で見て平均以上の年収を貰い、今のご時世にしては恵まれすぎている生活をしている。あの時の惨めさはもうないのだ。僕は今、立派で、幸せだ。ドリブルもできず笑われ、道具やボールを試合に忘れて怒鳴られ、陰湿な嫌味を言われ続けたあの部活にいた僕は、上手な奴らより恵まれているのだ。
きっと上手な奴らは、僕と低いカーストの時間を奪ってしまった罪を、たった今被っているのだ。僕が苦痛に感じていた時間を、自分の大好きなバスケに費やしてしまったことに対して、惨めな生活をして免罪しているのだ。そしてきっと、その工場は潰れフリーターの生活になるだろう。昔を思い出しながら、惨めな生活を悔いるだろう。青春は犠牲のもとにできていた。輝くためには燃料がいる。カーストの下の奴隷がいて、頂上へ高く登れ、そして輝くのだ。そして今、そのカーストはいなくなり、上手な奴らは地面で頂上にいたときのことを思い出しているのだろう。
別に僕はもうどうでもいいのだ、奴らとは赤の他人なのだから。でも、ああ、やった。苦痛が柔らいだと感じた。
つらつらと書いてしまったが、これで僕の黒い物が掃き出せたと思う。駄文失礼した。
もし、僕みたいな田舎で暮らしていて、同じように部活動とかで惨めな思いをしている人がいたら、反発するべきだ。その代わり、何かに打ち込まなければならない。僕は勉強だった。勉強ができたから頑張ってこれた。
僕は、今の僕が決して良い大人ではないと思う。だけども、上手な奴らに加わらなくて本当に良かった。でもカーストの下にいたことは黒歴史だ。人生は難しい。
追記
コメント全て読ませて頂きました。ありがとうございます。
僕自身はスポーツ自体はとても良いことだと思う。中学生という成長期に、きちんと体と心を育てるのは素晴しい。ただ、「スポーツをしていればなんでもいい」という一辺倒であること、そしてそれを全力で応援してしまう大人、駒を無理やりでも勝たせたいと思ってしまう顧問、これらは問題だと思う。夢を持つなら、それについてライフプランを立てさせるべきだし、駄目な場合が大きいということも教えなければならない。子供は、キラキラと夢を持って青春を演じさせて、大人を夢中にさせるものではない。青春ドラマと現実は違う。
特に顧問を兼ねる中学教師、彼らはスポーツ推薦で高校に入れてしまえばなんでも良いと思ってると思う。その後の事は何も考えてくれない。高校入学を完全にゴールとしてる。そうじゃなくって、きちんと大人への段階を考えさせ、一緒に相談してくれる中でなければならないと思う。今思うと、自分の実績を作るのが最優先だったんじゃないか。
それらが上手な奴らの可哀そうなところだと思う。
でも僕は同上しない。あの部活動は、僕らのカーストには何も施しはなかった。ただドリブルだけやらせて応援という声出しをさせて、徹底的に雑用に使う。何も育たなかったし、育ててくれなかった。僕らがバスケの初歩も分からない屑で、全く運動ができないせいもあるだろう。それなのに、何も指導もなかった。形だけの練習をさせて、問題にならない程度になったら、満足するまで自分たちを可愛がった。
イジメもあった。そこまで壮絶じゃなかったけどね、陰湿な環境に四六時中いるから、どうしても弱いものイジメが発生する。死ぬほどではないけど、辛かったよ。それが2年半。全く無駄で辛い時間だったね。
所帯持ちだったらただの頼れるとーちゃんって感じがする
「頼れる」=「稼ぎがいい」 だ。 労働時間ばっかり長くてもな。
ちょっと勉強するだけで、ものすごく楽な環境に行けるのに、わざわざ底辺に行く奴ってマゾとしか思えないよな。
よっぽど無能なんだと思う。
頼れるとーちゃんになっていればいいよね。その子供は良い人生をおくれますように。上手な奴ら、というより地元に残った組について僕は詳しくは知りません。ぱらぱらと、結婚したとか聞いたりはするけどね。
「上手な奴ら」がきちんとした大人になっているか、っていうのは、僕はそうにはなってないと思う。酷い言いかただけど、多かれ少なかれDQN化してるんじゃないかな、多分。奴らは無能でまともな生活じゃないと思う。
今日日の現実は、大学はFランだろうが最低限卒業しているのがあたり前で、ホワイトカラーが一般家庭の仕事だと思う。上手な奴らがバスケで成功していたらともかくして、工場なんかじゃなく一般企業に勤めて普通の生活と給料を貰っていたら、僕はまた嫉妬なり苦痛を覚えていただろうね。
余談になるけど、労働環境だったり、子供を育てる地域としては僕が地元を離れたときより確実に悪くはなっている。実家帰る度に思うけど、仕事も働けるところも目に見えて少なくなってきてるみたいだし、昔の風景も不安になるような感じで変わってきている。パチンコ屋が増えたり、DQNが好きそうな店が増えたりね。
どうだろう。リーダータイプはいたけど所詮は田舎の大将、井の中の蛙だからね。それに成功するにしても、また新たな惨めなカーストが生まれると思う。
僕の小さな範囲でしかないけど、ほとんどの公立・私立高校であったよ。もちろん限られた数だけどね。高校に入って活躍できそうになくても、適当な理由で一定数は取るのでは。
バスケの上手下手を基準に順位付けられ苦しんだ増田が、勉強ができるできない、収入の大小を基準に人を順位付け優越感を得ている。
収入は結果だけど、それまでの過程で優越を覚えてるよ。低いカーストの奴らを長期間いじめておいて、結局はスポーツで活躍できず、こういう惨めな境遇に落ちつく。
自分でも酷いと感じるけど、溜飲が下がったというか、なんかすっきりした。そのうちにどうにも思わなくなって忘れるだろうけど。
カーストの上位を目指すのは別に主張したいことではなかったが、結局はそうなってたね。
ただ、僕は勉強という純然たる競争があって本当に良かったよ。あのカーストは、いじめと奴隷を育てる環境が機能していたからね。良い競争と失敗したときの逃げ道、これが本当に必要なものだと思った。
バスケットボールの混乱の件、
なんかいろいろ言われてるけど、ちゃんと書いてる人が少ないので。
http://www.huffingtonpost.jp/dai-tamesue-x-aera-hakunetsu-web/negotiation_b_6065468.html
「bjはオリンピックに出なくても構わない。でも、あなたたちは出たい。合意することは構わないが、その場合、NBLの選手は4年間、新団体には加盟させない」
http://www.japanbasketball.jp/wp/wp-content/uploads/H26_men_member_0801.pdf
これが日本代表のメンバー表。 bjリーグから出ているのは富樫だけ。その富樫もアメリカに行ってしまった。
bjリーグがバスケ協会から嫌われている、というのも理由の一つではあるが、トップアマの大学生よりヘタなのが実情。
そもそも日本の男子バスケは弱すぎて、過去20年間オリンピックには出場できていない。今回のリオ五輪も、予選に出たところで
本選に出れる見込みは限りなく低い。
bjリーグからすれば、選手も出ない上、まかり間違って健闘でもされたら注目度が逃げてしまう。メリットは何もない。
あなたが実力あるバスケ部の大学生だったとして、次のどちらを就職先にしますか?
1:トヨタ自動車か三菱電機の社員。充実した施設。福利厚生。社員寮。移動は新幹線。バスケをやめても一流企業のサラリーマンになれる。
2:地方のプロバスケ選手。年収300万。将来の保証なし。福利厚生なし。移動は中古のオンボロバス。
バスケやる大学生の進路は、第1に実業団、第2にNBL所属プロ。そのレベルに達しないが、それでもバスケが好きで好きで
貧乏でもいいからバスケがしたい!という三井のような奴がbjのプロ選手になる。
たまに遅咲きの才能を発揮してNBLに移籍する奴もいるが、大半の選手はそのまま朽ちる。 富樫は例外中の例外中の例外。
bjリーグ参加チームの平均的な年間売上は「2.5億円」くらい。一方でNBLのチーム運営費は3億円が最低ラインだ。
今のbjのチームがNBLのチームと試合をしたらボロ負けする。
ただでさえ厳しい集客状況で、弱くなったらなおのことファンは離れ、チームは倒産する。
倒産をまぬがれるチームは、NBLの選手や外国人をトレードで獲得できる予算のあるところだ。
どちらにせよ、自分たちの雇用と会社を守るには、統合したら困るのだ。
厳しいとはいえ、bjリーグはわずか8年で2チームから22チームまで拡大し、プレーオフは1万人の有明を満員にするなど
プロチームは下位に沈み、上位チームには実業団がずらりと並ぶ。
実業団の集客は悪くないが、親会社の社員応援団で、収益には関係がない。
NBLのプロチームで興行的に成り立っているのは栃木だけだ。和歌山とつくばは事実上、倒産状態。
北海道は一度倒産してから復活し、ギリギリ何とかなっているが、他のプロチームは虫の息だ。
ヘタクソだけど人気のあるbj、実力はあるけど人気もカネもないNBL。
答:カネ(スポンサー企業)を見つけるしかない。3年30億円くらい。
要するに統一した後のリーグでbjの低予算を補えるカネがあればいい。
1993年にJリーグが発足したときには、博報堂が何十億というスポンサーを集めてきた。
今のバスケにはそれができなかった。
やたらサッカーサッカーともりあがる世間に何か違和感を感じる。
「きみらサッカーってそんなに好きやった?」
そしてええ年になり迎えた、ワールドカップ初出場、日韓ワールドカップ。
異常な盛り上がりだが、さして興味がない。
嫌いなわけではなく、興味がないだけ。
そんな状態で始まる今回のワールドカップ。
いうともう人非人の扱い。
無理してみる物ではないし、ほんとほっといて欲しいし。
こういうことを言うとサッカーを見ないことで
「オレお前ら愚民とは違う」
というニヒルな立ち位置か。。はあ。。と思われたりするが
そうでもない。
ほんとに興味ないだけなのよ。
私と同じように思っている男性ってどれくらいいるんだろう?
アニメ版ピンポンみててチャイナにうるっときてしまったので、中国アゲしてみようかと思った。
唐の時代位までは挙げるまでもなく全てかっこいいので、現代限定で。
1. HUAWEI(華為)という世界一の通信インフラ企業がある。会社方針もかっこいい。
アメリカ・フォーブス誌が「ファーウェイは技術面とデザイン面を両立させ、この5年間で世界の通信業界インフラの様相を一変させてしまった。」
と評するように、マーケティング力を兼ね備えた技術力型の企業であり、二番煎じ的なイメージがまだまだある中国っぽい企業とは一線を画する。
国際特許出願数は世界一になったこともあり、従業員の46%が研究開発に従事しており、年商の10%を研究開発に突っ込むなどある種の変態性も感じられる企業である。
また、ファーウェイは従業員持ち株制で運営されており、利益の9割超は約7万人の社員に配当金として支払われるという(少なくとも利益分配での)ホワイトっぷりで、
どっかの最低賃金で指を詰めるまで酷使して私腹を肥やす居酒屋チェーンの社長とは大違いの太っ腹ぶりである。ま、売上からして20倍違うのだから比べるのはどうかと思うが。
2. 自然科学系ノーベル賞を歴代6人受賞している。中国系に広げると21世紀最強の数学者がいる
たまに中国人が自然科学系のノーベル賞獲っていないことを揶揄する言説をみかけるが、南部陽一郎を日本人に含めるのであれば、
同じような中国出身○○人でのノーベル賞受賞者は、6人いる(物理5人、化学1人)。また、中国系に広げると8人いる。
そして、中国系には、国際数学オリンピックにて史上最年少で金メダルを獲得(まだレコードホルダー)、
24歳にしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校正教授に就任し、フィールズ賞を獲得し、専門分化とかを無視した存在のテレンス・タオがいる。
3.アジア人で唯一のオリンピック陸上短距離種目における金メダリストがいる。メジャー競技でも世界有数がちらほら
結構知られていると思うけど、110mハードルで劉翔が2004年に金メダル獲っている。あの日本陸上界最高傑作の一人といっていい為末大ですら、
世界陸上選手権銅メダル2回が限度ということで、やはり中国広いなぁと思わざる得ない。メジャー競技では、バスケットボールで一世を風靡した姚明、
4大テニス大会の内、2大会をシングルで制覇した李娜が耳目に新しい。また、卓球は鬼強い。
例えば、チャン・ツィイーとかチャン・イーモウ。最近、ハリウッドが中国進出本格化させているので、世界的に有名な俳優が続々と輩出されるのかもしれない。
顛末はこれ。http://boran.jugem.jp/?eid=835
何かとマイナス面でお騒がせな中国だけども(我が国も)、もともとかっこいいし今もかっこいいのだからそれで満足しとけばいいんじゃね?
と思うのが周辺国の人間の感想であったりもする(我が国へもだけど)。
1については、
http://www.huawei.com/ucmf/groups/public/documents/webasset/hw_090305.pdf
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nb100/20140314/261126/?rt=nocnt
2については、
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=36006からwikipediaをたどった。
3,4,5は割愛
かつてはバスケ部の部長が過剰な体罰に耐えかねて自殺したという事件の話題が中心になっていたが、今や「体罰を容認することそのものが非国民である」と言わんばかりの世論が形成されている。
が、私はあえて体罰に「原則賛成」を唱える側に立ちたい。
もちろん、趣味性に基づいた体罰、必要でない相手に対する嫌がらせの類、大怪我させるような過剰な罰については反対である。その上で、体罰をしてもいい相手は限られる。口で言っても教育でない「子供」であり、先生に対して過度に反抗的で、放置しておけば授業や学校教育の遂行に弊害をもたらすような生徒については体罰が許されるべきだ。「そんな奴はいるのか?」とおっしゃる方もいるだろう。だが、現実には高校生にもなって授業中に話が聞けない・授業に集中できなくてあからさまに邪魔になるような奴は居る。荒れた公立中学・高校になれば、ほとんどがそういう人で授業がままならないぐらいの学校って日本中にあるよ?こういうケースで体罰を用いれば調子に乗った「子供」を効果的に抑えることができるはずである。
ところで、体罰は対象の性格や体格によって効果、受け取られ方が違う。文化部員や女性と、大柄な運動部員を同じ力加減・頻度で体罰を行うようでは有効とはいえない。
様々な形で体罰が報道がなされたときに「大人か子供か?」「どんな人が体罰を受けていたか?」「体罰の教育的見地からの必要性は?」などの情報が不十分なままネット世論は、宗教にでものめり込んだかのように「体罰はいけない」「体罰賛成の人は心がない」と吠えたてた。ここで思い出してほしい。体罰問題の中でもはじめに問題になったのは運動部、バスケットボールの部員だし、橋下徹が入試禁止を訴えかけたのも体育会系のクラスだった。今の高校生…とりわけ、体育会系の連中が精神的に幼いことなんか誰も報道しないため、運動部が強い学校にいた一部の若者しか知らないし、知っていても語らない。体罰は悪、という「言葉狩り」が先走っていて、そこに「実態が伴わない議論が起こりつつある」という認識をまずは共有したい。
せっかくやったので書くだけ書いておこう。なんか原文よりゲスくなってる気がするが
これは全面的に支持するね。
これをマジで仕事って考えればいいのに考えない人が多すぎる。自分っていう商品をどうやって売るか。コレに尽きるでしょ。今の日本はモノが溢れて何でも手に入る。そっから何選ぼうかなー、これがいいかなーあれがいいかなーって男でも女でも思うじゃん。
そんで「男」っていう商品で言えばターゲットは基本女なわけで、その女に向けて買ってもらえる為に例えば性能の良さとか、買った後どんな体験が出来るかとかを余すことなく伝える必要があるわけよ。1回じゃダメよ、人間なんて人の話の内容半分くらいしかいつも聞いてないんだから。
だから様々な角度でいい面を伝える必要があるわけね。あとメンタル的なところは絶対折れない必要があるよ。1回告白して失敗して、「あー、もうダメだ、世界の終わりだ」みたいな事考える人いるけどさ、まぁ、とびきび可愛くてなかなかいない子だとしてももうそりゃダメなんだよ。さっさと次いこうや。
例えるなら就職面接みたいなモンよ。リクルートスーツでビッシリかっこ良く決めて、書類審査、面接と運良く進んだけど、役員面接ではねられた。それが男女の付き合いについてもいえるでしょ。合コンからデートして告白してと、段階を踏んで行ってる。つまりフツー一回お祈り受けた企業には何回も行かないでしょ。稀に諦めず2回目、3回目といって合格するってパターンもあるけどさ、それは例外でしょ。だから何が言いたいって事かというと、さっさと次いこう。もうこれは確立のゲームなんだよ。
極端な話すると100人に声かけて、話聞いてくれる子はその中のだいたい10人よ。だから90人はフル無視のシカトで「誰だお前、氏ねよ」みたいな態度を取ってくるのは当たり前。さらに悲しい事にその残った10人からデートして告白して付き合ってセックスまでして…なんて考えると1人も残らないかもしれない。いやでもそれぐらい厳しい世界よ。
だから選ばれる為に、身だしなみをちゃんとするし、話し方も意識するし、態度も男らしく振る舞う。「それって本当の自分じゃない」とかって言うバカはいないと思うけど、面接に寝起きの格好でいくド低脳はいないだろ。
人から選択されるってのはそういう事だよ。ものすごくエネルギーのいる作業なわけ。でも何で苦しい思いまでそれをやるか。その向こうにある「女の子とイチャイチャしたい」ってのを皆達成したいからじゃん。
だからラピュタのパズーみたく空からシータが降ってくるとか考えないように。あれはアニメだからな。現実ってのはマジで自分から狩猟のごとく獲物を見つけにいかないといけないわけよ。
獲物ってのは自分から寄ってこないよ。だって向こうはビビってるから。何されるか分からんしね。まぁ、狩猟の例えで言うと何されるかわからんうちに殺されてって事になるけど、言いたいのは向こうから獲物は来ないって事。ほぼ絶対に。だから「環境」に何とかしてもらおうなんて甘い考えはさっさと捨てたほうがいいよ。環境っていうのは、例えば、入学・入社とかで環境が変わって同じクラス・職場に可愛い子がいた。みたいなそういう自分の力じゃなく周りの力が動いて、その流れの中だけで出会いを見つけるのはさっさとやめようや。
それだったらいつまでたっても自分のペースにならない。星に願って「あー、可愛い子はこのクラス(会社)にはいなかった。いつか可愛い子が目の前に現れてくれますように」とか馬鹿すぎる。そんなヤツいたら言いたい。
「さっさと自分で動け」
世の中の半分は女なワケで道歩きゃ女にフツーに出くわすわけ。ナンパみたいな敷居が高い事しろとは言わんが、せめて女が集まる場所ぐらい行って見つける努力ぐらいしようや。イケメンリア充に合コン開いてもらうでもいいし、料理教室とかサークルとかとにかく参加してみるもいいし。行動せずに彼女出来ないとか寝言言ってんじゃねぇよとかマジで思う。
でもさ、モテる為にはルールとかテクニックってのはあるよ。それはフツー誰も教えてくれない。自分で習得するしかない。俺も昔はそれが分からんくてマニュアル本読んだよ。この流れだとステマとか言うバカがいそうだけど、俺が影響を受けたのは「モテる技術」これはアメリカ人が書いてんだけど、心構えとかは非常に役に立つ。
知ってると知らないとでは行動に差が出てくると思うんだよね。それって他の何も知らないヤツよりかは10歩は抜けだしてリードしている状況だよ。バスケットボールでもサッカーでもルール知って、テクニック磨いてうまくなろうとするじゃん。恋愛についても一緒よ。ただ公でその教えてくれる場所がないだけで、それを習得するって作業はマジで必要よ。
今の時代、昔と違ってお見合いとかで相手を誰かが見つけてきてくれて結婚とか言うのもなくなってきた。よく知らんけどさ。だから昔よりは人生ハードモードってのは理解しとくべき。
さらに厳しい事言うと、出会いから付き合うそしてセックスまでは1,000ぐらいのタスクがあるって思ったほうがいいよ。ビビらすわけじゃないけどさ。マジでそれぐらいタスクがあって乗り越えていかないといけないことが多々ある。レベルの低いもんから高いもんまでね。それをこなしていって、女は減点方式で男を評価していく。ある一定ラインを下回ったら音信不通…。ハイ終了みたいなね。まぁ、そんなんザラだからさ。
顧問の教師の指摘は正しい。
いや正しい部分は何一つないから、それ。
まず、
「なぜ、相手を見ない」。顧問は試合中、生徒を呼び戻して、まず顔を平手でたたいた。さらに「なぜ、飛びつかない」などと、たたくたびに詰問。平手打ちは計4発ほどになった。
これ、陸上選手で例えるなら「なぜ世界記録より速く走れないんだ!」とぶん殴るのと同じだから。それが最初から出来るんなら顧問なんぞ最初から要らんて。
その後も、「やるのかやらないのか」などと質問を繰り返し、頭を6発ほど指先ではたいた。生徒は無言で耐えていたが、最後に「やります」と大声で返事し、顧問も「行け」とコートに送り出したという。
これは元増田が指摘の通り、「やらない」という選択肢が実質選べない事を熟知した上で、暴力をふるいながら自分の思い通りの答えを強いる典型的な状況。
その後のタイムアウト(休憩・作戦タイム)でも、ばてて足元がふらついていた生徒に、「しっかりやれ」と3発ほど顔をたたいた。「たたかれてするのは動物。それでいいのか」と叱りつけたとされる。
それなりの指導方針がある指導者であれば、体力が尽きるまで選手を動かしたりはしない。
フォームは崩れるし、何よりコンディションが悪い状態で激しい運動をさせたら事故や負傷のリスクが跳ね上がる。
バスケットボールは下半身、特に膝周りを酷使するスポーツなので、成長期の体に過度な負担をかけると一生ものの不全を残す可能性もある。
そりゃそうだ。限界近くまで肉体を酷使すれば集中力だって低下するのは当然。そんな状態をダラダラ続けても技術も体力も上昇しない。
それを考えるのが指導者の仕事なんだが、何言ってんだこのスカポンタンは。
「キャプテンを続けるのはつらい」
もし前述の問いかけに「やらない」と答えたらこうなっていた。つまりこの顧問は最初からこの生徒を部活から解放する気など全く無かった。
「これからも怒ったり、たたいたりするかもしれない。それでやれるか」
「やります」
もし「それは嫌です」と答えたら(以下略
話の流れからして、生徒個人のミスを叱責されていたはずなのに、何故かチーム全体のミスになってしまっている。
つまり、他のメンバーのミスもこの生徒がまとめて引き受けて、顧問から罰を受けている。
他のメンバーが励ますのは自己防衛でしかない。この生徒一人が殴られる事で他のメンバー全員のミスが帳消しになってるわけだから。
だから、
どちらも大間違い。
顧問が指導能力・知識のなさを暴力と罵声で無理矢理補って、そのひずみをメンバーもグルになってたった一人の生徒に押しつけてただけ。
自ら命を絶った青年のご親族、ならびに御友人、学校関係者のみなさまには謹んでお悔やみ申し上げます。
体罰の是非をめぐる話題が盛りあがっています。しかしそのような議論/考察はあまりにも短絡的で、彼の命を弔うには足らないと感じます。「なにかを奪われた」「犯人は誰だ」という、魔女狩りをしているに過ぎないのではないでしょうか。
この類の論法と変わらない。だれかを悪者にしなきゃいけないの?
話を戻します。命を絶った青年は、きっと有望な将来があったものと想像します。もちろん、彼は知人でもなんでもありません。ただ、「たかが」体罰で思い詰めるほどに彼は部活動に打ち込んでいた、ただそれだけの伝聞から勝手な想像をしているだけです。そのように、なにかにのめり込んで打ち込むことのできる人間ってそれだけでも見所があるのです。ぜひ部下に欲しい…なんて思うのは僕だけではないでしょう。
見所があったから「体を使って教えた」。具体的な状況は知らないから迂闊なことは言えませんが、そんな教え方もあるのではないか、って思います。僕がこの事案でなにより残念に思うのは、彼が「他の生きる道を選ぶ」という選択肢にたどり着けなかったことです。
「正しい教え方」なんてものができる大人なんて、ひとりもいません。だから、先生や学校を責めても永久に解決はしない。しかし彼に、逃げ場を失わせ、思い詰めさせたのはわたしたち大人の明らかな過ちです。彼にバスケットボール以外の他の道、将来、可能性を提示してあげられなかった。結果わたしたちは彼を失い、社会は損失を被った。
ひとりずつに適切な「正しい教え方」なんて、実現できっこない。でも困難や試練、もしくは教育方法の合わない教師なんてのに遭遇した時、立ち向かうだけがすべてではないことを提示してあげることはそんなに難しくないはず。先生も親御さんも責任感故に彼を厳しく育てられたんだと思うけど、そんな提示ができてなかった点においてはご両名を責めたい。
藪から棒に魔女を仕立て上げても、教訓は得られない。正しい教育なんて、そもそもないのだから。みな、期待してしまうから厳しく育てる。愛故に、視野狭窄に陥る。それが僕たち、大人の幼いところなのだ。そしてこの幼さに、たいへんな犠牲を伴なってわたしたちは気付く。
高校のバスケットボール教師が生徒を30発、40発殴って、自殺に至らせた事件がありました。ただ、こういう乱暴な教師はいるのだろうな、とそれほど驚きはなかったのですが、それより驚いたのは、マスコミ、世間一般にも体罰を容認する声があるということです。正直、「え?本当に同じ文明人なの?」と愕然とした気持ちになりました。しまいには、子供やその親を「軟弱だ」とか「ケアが足りない」と攻める論調すら出てきています。
そこで、体罰容認論によくある擁護論にまとめて反論してみました。世間の人の言う「ある程度の体罰」でも「子供のためを思った体罰」でも、教育に体罰は認められません。
体罰は暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。
愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動しています。ストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。
「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまいます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます。子供相手なら、なおさら許されません。
欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります。体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学のスポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。
教育心理学、脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬の神経細胞が破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もあります。http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html
「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理は論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)
あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですから。あなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。
第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供の教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。
桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要な合意形成・指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。
それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます。
そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。
それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。
精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつのは勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。
では、権力者による暴力が正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。
「何を当たり前のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。でも、そんな「当たり前」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、体罰がダメだというのはわかると思います。しかし、「自分はやられてきたから正しい」という謎論理によって体罰を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、教師が殴ったのが30発ではなくて、3発だったら、子供の方を攻める論調が勝ちそうな気がします。
仮に体罰が正当化される場面があるとしたら、モヒカンの子供が火炎放射器を持って「汚物は消毒だぁぁ〜〜」と乗り込んで炎をまき散らしたときくらいで、火炎放射器を持ち込む子供がいない以上、普通の教師が体罰をふるうことは正当化されません。
4/16 勝利、早退。
4/18 勝利、夏緒に絡まれ苦笑い。早退する。田中樹、欠席。
5/07 勝利、森本龍太郎、樹、最後まで出席。勝利、昼休みトレイトの教室へ。
6/12 学力テストのため学校は1時に終了。勝利、寺坂尚呂己と帰宅。佐藤愛香と中野まで帰宅したという説も。
7/29 千葉県で行われた柏まつりにて、樹、夏緒と目撃される。
9/03 授業開始。
9/04 勝利、出席。
9/05 樹、大我、山本涼介、昼休みに担任と共にバスケットボール。
9/25 勝利、欠席。
9/26 勝利、欠席。
9/30 体育祭。森本、リレーに出場。樹、京本大我、台風の目に出場。ジャニは勝利以外全員出席。
10/02 発表会。
【英語】AとTHEを使い分けるたった1つの考え方と5つの条件 | 英語勉強法を伝えるブログ
http://eigobenkyouhou.com/archives/68#tb
英語にせよ日本語にせよ、言葉は基本的に相手とのコミュニケーションを図るものである。すなわち、ひとりよがりの規則ではなく、それを理解する他者との共通性が問題となる。
今回のTHEに関して言えば、「呼びかけたい人、集団、社会に対して“ただ1つに決まる”共通認識があるかどうか」だけが問題になる。これだけ理解していれば十分。後続の5つの条件なんて覚える必要はない。ただし、“ただ1つに決まる”と言っても、それが一個体なのか、ある特定集団をひとつとみなすかは文脈に依存する(一番ややこしいところ)
こういう例で月や太陽などを例に挙げられるのは、それらが私達人類にとって普遍の真理だから。普遍の真理だからTHEが付くのであって、太陽や月だからTHEが付くわけではない。これは人類というもっとも広い範囲の集団で共通性が担保されているものだから無条件にTHEを付けて構わない。
しかし、物語などにおいてはその普遍の真理が通用しないこともままあるわけで、そういう場合、THEはいきなり使われることはない。その作品を理解する上で最低限の定義なりを共有した後、物語の常識としてTHEが使われると思えばいい。ただし、物語は見せ方が問題なので、登場人物間の常識と読者の常識のズレを活かしたやり方がないわけでもない。
元記事の2.以下は、1.における限定的な条件と理解してよい。いずれにしても大事なのは、「相手が自分と同じ認識を共有しているか」だけだ。
例えば、元の記事にある「そのボールを取ってください」という文章を考えてみよう。
もし野球のボールが2つ以上あったら、あなたはどうするか。全部持ってくるのか、ひとつだけもってくればいいのか、相手に尋ねるだろう。
私達はかなり制約の厳しい英語を学んでいる。日常この条件に立ち会ったとき、相手は「Please , bring me a ball.」とも「Please , bring me the balls.」とも「Please , bring me a balls.」とも尋ねられる可能性がある。それほどに柔軟というか、自由すぎるのだ。間違った言葉遣いを平気で使う人ばかりだし、そんなのにダメ出ししたところで徒労でしかない。
しかし、それでも「そのボールを取ってください」という意味は揺るがない。なぜなら、そこにボールがあって、問題なのはそのボールの「数」だからだ。
だから、ボールひとまとまりを一つに限定してTHEとつける場合もあれば、そこからひとつを抜き取ってTHEとする場合もある。
それは「そこにあるボール全て」なのか「そこにあるボールの中からいくつか」なのか「たった今エラーで飛んでいってしまったひとつのボール」なのか、他の要因によって左右されるので、確定的なことは言えない。どれであってもTHEがつくんだから。
もし、バスケットボールとバレーボールとテニスボールがあったらどうするだろう?ボール全部持っていけばいいのか、相手に尋ねるだろう。
相手の服装がバスケット選手のような服装だったら、バスケットボールを取ればいいか?場所がテニスコートだったら?テニスラケットを持っていても、ふざけ半分でテニスボールの代わりにバレーボールを使っているかもしれない。
しかし、いずれにしても「そのボールを取ってください」という意味は揺るがないし、いずれの条件でもTHEは付く可能性がある。問題なのは、「どの」ボールか、ということだ。
馴染み同士でコーヒーショップに行くにせよ、複数候補があってもTHEを使う。今いるところから一番近いコーヒーショップに行くのか、目的地に近いところにあるコーヒーショップに行くのか、その文章では確定しないが、使えるし、しょっちゅう使う。どっちに決まるかは、雰囲気のようなものだ。
結論はこれだけ。日本語にしたって「映画見に行こう」とか「今日飲みませんか?」とか「ちょっとそれ取って」とかほっぽり出したかのようなコミュニケーション取るだろう。それらは全部英語に直せばTHEが付いてもおかしくない。馴染みでないところにいくならaがつくだろうが、たいてい候補は絞られてあって、その中からどこに行くかという話だ。
ただ難しいのは、こうやってTHEばっかり使ってると、日本語で言えば「そんなの常識でしょ」とか「普通こうするよね」みたいな押し付けがましいニュアンスが産まれてしまうケースもあるので、そこはまあコミュニケーションとって慣れてください。というか、コミュニケーション取らないで英語を使えるようになりたいなどと思わないでください。
やべー、UFO、見ちゃったよ。
不思議体験は初めてなんでめちゃくちゃ興奮した。
仕事帰り、人気の無い道でふと頭上に何かが横切ったので見上げたら、
「青く発光した何か」が高速で右から左に飛んでった。
一瞬の出来事だったけど5~6秒はあったかな?
流れ星をたまに見るけどそんなんじゃなかった。
流れ星が米粒サイズだとしたらバスケットボール大の大きさで、映画みたいに綺麗に青く発光していた。
近いような遠いような、距離感がはっきりしない感じだった。
驚くのが、その帰り道の前に同僚とUFOの話をしていたこと。
同僚が同じ市内で昔見たという話を聞いた直後なんで、偶然にしては出来すぎだと思う。
あとUFOといっても、「青く光った何か」で、どちらかというとスピリチュアルな感じがした。
霊とか信じてないけど誰かの魂だったのだろうか? ドラゴンボールみたいにビューンと飛んでった。
忘れないようにメモ。
地方公務員ってどこもそうだと思うけれど、かなり暇。
今こうしてインターネットするぐらい暇。大阪かどっかで勤務中にバスケットボールしていて
怒られたニュースが前出ていたけれど、うちなんか麻雀やっていたりするからどこも暇なんだと思う。
暇なのに窓口では、アルバイトや契約社員を雇っているから、もっと暇になる。
正規職だけで充分、いや十二分に回せるんだけれど、世の中の利権とやらが関係していて仕方なく雇っているらしい。
天下りとかが暗躍(その割に堂々としているがw)するためには、不必要な箱も必要なんだなとは思う。
大体、1つの業務に慣れた頃には移動になるのが常なので、真面目に業務には取り組むけれど向上心なんか必要ないしね。
ちょっと話逸れた。
そんなわけで、公務員になってから3年が経ったんだけれど、合コンに行くとやっぱりモテる。
ルックスはまぁよくある普通顔なんだけれど、若くて独身で安定性もある男は何割か増しに見えるらしい。
特に、派遣とか契約での勤務をしている二十代後半あたりの女性の場合はすぐ股を開く。
もう、それが簡単にくぱぁって股を開く。
だって、大学の頃って合コンに行ってもそんなにモテなかった。トークが上手いわけでも、ルックスが優れているわけでもないし。
今思えば、あの頃は金や安定性なんてもんが、恋愛に係っていなかったから当たり前なんだけれど。
その非モテの俺が、公務員になって合コンに行ったらモテるわけ。当然、人生観も変わる。
いくらでも合コンにいけばヤレる相手がいるのに、わざわざ一人と真面目な恋愛をすることもないなぁと思うようになった。
学生自体に、セックスを思う存分できなかった反動かもしれないけれど。ヤッたら捨てる。ヤッたら捨てる。
そんな風にとっかえひっかえ。
やっぱり最初に挿入するまでが楽しくて、それ以降は射精したら一気に冷める。
でも、いくらでも次がいるから、とっかえひっかえできる。
エスキモーに氷を売る—魅力のない商品を、いかにセールスするか: 本: ジョン スポールストラ,Jon Spoelstra,中道 暁子
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4877710582
著者のジョン・スポールストラは、NBA(全米バスケットボール協会)で
観客動員数最下位だったニュージャージー・ネッツを、27球団中チケット収入伸び率1位にまで導いた人物である。
本書の魅力は、このスポーツビジネスを通して彼が商品を売るためにとった
勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、
遡れば中1の部活からだったような気がする。
俺が中学生の頃は、バリバリのスラムダンク世代ともいえる時期で、
当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。
運動は得意でない、でも何とかなると思った。
何ともならなかった。絶望の毎日だった。
そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。
そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール。
そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。
そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。
このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。
だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。
そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。
2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。
サボることなく、卒業まで続けることができた。
いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。
でも、何もできなかったことに変わりはない。
顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか
候補に挙がることすら1度もなかった。
高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部で幽霊部員。
残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。
大学でもサークルで学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係のトラブルを全て他人におしつけ、さぼり、
連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。
もう少し、自分に暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。
たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、
ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。
なにか変わったのだろうか。
おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。
そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。
けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。
なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、
しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、
その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環を
繰り返してしまったから。
自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。
アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、
わかっててもできない。
染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。
一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。
家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、
寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2731691/5823544
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/25/gaza-flotilla-aid-attempt
イスラエル、一万トンの支援物資と40を超える国々からの800人活動家・政治家をのせた、8隻の船団を阻止すると言明
2010年5月25日エルサレム発 ハリエット=シャーウッド記者
・ 何千トンもの建材・医療器具その他の支援物資をのせた8隻の船は、数日後にガザへ出航するように準備している。パレスチナ地域の封鎖を破ろうとする船を阻止すると言明しているイスラエルと対峙することになるだろう。
・ 3隻の貨物船と5隻の旅客船は、キプロス島とガザ地区の間の公海で集合し、ガザ市へ向かう計画だ。イスラエル軍は船団を阻止し、イスラエルのアシュドッド港へ曳航すると予想されている。
・ トルコから3隻を含む船団のたちあげには、アンカラの支援を受けた人道支援グループ、IHHが関わっている。トルコとイスラエルの外交関係は、イスラエルが2008-09年の3週間戦争の火ぶたを切ってから悪化している。船団の阻止は両国間の緊張をいや増すだろう。トルコ首相エルドアンは船団を通すようイスラエルに呼びかけた。
・ イスラエル外務省広報官パーモアは「この件はイスラエル=トルコ関係をさらに複雑化させるかもしれない」と語った。
・ 船団には、一万トンの貨物と、40を超える国々からの七百人から八百人の活動家と政治家が乗っている。貨物は、建材・医療品・学校で使う紙を含む。歯科手術機器一式を積んだ船もある。ガザの子供たちへのクレヨンとチョコレートも積まれている。それらは寄付で賄われた。
・ 船団をたちあげたフリー=ガザ=ムーヴメントのバーリンは、「私たちはガザ地区の封鎖を破り、百五十万のパレスチナ人を飢えさせる権利がイスラエルにないことを世界に伝えようとしている。ガザの人々によるインフラ再建のため、死活的に重要な物資を運んでいるのだ。」と語った。
・ 約三年前にパレスチナのイスラム主義運動ハマスがガザを掌握してから、イスラエルはガザを経済封鎖しつづけてきた。ほとんど全ての輸出入は禁止され、限られた食料と医薬品の持ち込みだけが許可されてきた。
・ フリー=ガザは過去6回パレスチナへの支援船団をたちあげた。ここ3回はイスラエル軍により阻止された。今回はガザへの支援を届ける最大の試行となる。バーリンは、「これまでの船団で異議申し立てをしてきた。今回のは現実的な効果をもたらすだろう。」と語った。
・ イスラエル海軍はガザ沿岸20海里を封鎖していて、現地の漁業に壊滅的な影響を与えている。パーモアは「船団がガザの水域に入ることは許されないだろう。そこはイスラエルとの戦争を宣言した国の領域で、規制されずにガザへの出入りはできない。」と語った。
・ バーリンはイスラエルの脅しを糾弾した。「彼らはガザを占領していることを認めようとしないのだから、ガザ水域を規制する権利を持たない。私たちではなく、彼らの方が非合法なのだ。」一方、イスラエルは国際法の枠内で行動していると主張する。
・ トルコのフェリー、マーヴィーマルマラ号は今日アンタリヤに入港した。2隻の貨物船と一緒にギリシャからの船を待っている。「私たちは数日以内に集まって出航する。」IHHのホサインは語った。
・ ガザの国連機関の長ギングは、もっと多くの支援船の来航を催促した。「私たちはイスラエルがこれらの船を阻止しないと信じている。なぜなら海洋は自由だからだ。多くの人権団体が同じような段階を踏んで成功し、ガザの包囲を破ることが可能なことを明らかにしてきた。」
・ 今週初め、3週間の軍事紛争で生じたインフラ被害の4分の3が、封鎖のために修理されないでいるという国連報告書が出た。
・ イスラエル首相報道官レゲフは、「人権活動家が人権を野蛮に抑圧している体制の弁明者として活動しているのは奇妙だ。ハマスは女性・ゲイ・クリスチャンを抑圧し、独立したメディアを潰し、全ての政治的反対派を破壊してきた。」と語った。彼は毎週一万五千トンの援助物資がガザに許されていると加えた。
・ 支援船団に抗議して、イスラエル市民の乗りこんだ何ダースもの船が週末の水域を占拠した。
・船
貨物船4隻
旅客船4隻
・旅客・貨物
一万トンの物資(以下内訳)
セメント
学校用20トンの紙
クレヨンとペン
・資金
当て先もない呪詛を吐き出させて下さい。どっかに吐かないとどうにかなってしまいそうだ
骨が折れて4年になる。潜在的には6年前か、その時はバスケットボールをしていて猛烈に痛んだ。部長であったが最後の試合も万全とはいかない不本意な状態で終える羽目となった。みんなには肝心の時に練習に参加できず本当に申し訳なく思っている。弱小チームだったけどね!
その後自転車へと競技を変えた。痛みをだましながら続け、なんとか初心者と同程度の結果を出すことができたが4年前車にぶっ飛ばされた。横から唐突に突っ込んできた車に飛ばされてガードレールに真上から落ちた。視界が遅くなるってのを味わったっけ。
今にしてみれば、その時はあまりにも興奮していて気がつかなかったのだと思う。視界がゆっくりになってくれたおかげでガードレールに顔面と腰が当たらないように体をひねることができたせいか、朦朧としながらも何とか立ち上がり救急車では怪我はあごの下の裂傷だけだと答えた。
でも実際には骨にはトドメがさされていたようで、その数週間後競技の場から去った。おまけに左肩も実は壊れていたらしい。
大好きだったスポーツもできなくなったが元来負けず嫌いであったためか競技、最低でもツーリングくらいできる程度に回復しようとすぐにトレーニングを始めることができた。今までただひたすら再起を疑わず夢見て筋肉を鍛えてきた。
しかしこの一か月は現状維持どころか日常生活に支障が出ている。絶え間なく痛みをおぼえるようになり、寝ていたとて痛い。
日課だった筋トレ。背筋をしようとしたらあまりにも痛くて上半身が動いてくれない。積み上げたものが崩れたようでこれは悲しかった。
大学の授業も一コマで限界が来る、ついには寝ながらできる勉強くらいにしか没頭できるものがなくなってしまった。
国外にいるということもあり、両親にも友達にも気煩いを強いたくなくて状況を細かく話してはいない。
でも本心を言えばできる限りを尽くして体を維持しようと試みてもこの状態であり、すごく不安で怖い。人間だもの
帰国後であれば足が動かなくなろうとどうなろうと覚悟はできているんだが、帰国までのあと半年の間気合いが持ってくれるだろうか。
もし気が折れてしまえば毎日がただ辛いだけになってしまうだろう。それがただただ怖い。喝。
一度も再起を疑ったことがなかっただけに、このひと月で気の持ちようがいかに大切かわかった。信じてやっていくしかないのはわかってるんだがこんなに恐怖を覚えたことはかつてなくて、吐きだしたかったんだ。
あまりにも私的なことを書いてごめんなさいね、ありがとう。またみんなの日記を読む作業にもどるよ!
勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、
遡れば中1の部活からだったような気がする。
俺が中学生の頃は、バリバリのスラムダンク世代ともいえる時期で、
当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。
運動は得意でない、でも何とかなると思った。
何ともならなかった。絶望の毎日だった。
そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。
そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール。
そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。
そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。
このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。
だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。
そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。
2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。
サボることなく、卒業まで続けることができた。
いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。
でも、何もできなかったことに変わりはない。
顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか
候補に挙がることすら1度もなかった。
高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部で幽霊部員。
残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。
大学でもサークルで学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係のトラブルを全て他人におしつけ、さぼり、
連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。
もう少し、自分に暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。
たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、
ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。
なにか変わったのだろうか。
おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。
そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。
けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。
なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、
しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、
その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環を
繰り返してしまったから。
自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。
アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、
わかっててもできない。
染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。
一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。
家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、
寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。