はてなキーワード: 食品添加物とは
今年4月、東京地裁はくらコーポレーションの請求を棄却した。「書き込みはくら社の社会的評価を低下させるものではない。仮に低下があり得るとしても、書き込みには公益性があるため違法性はない」との判断を下している。
また、判決では「くら社は4大添加物(化学調味料・人工甘味料・合成着色料・人工保存料)以外の添加物の使用の有無はホームページなどで表示しておらず、書き込みは重要な部分で真実だ」と断じている。
この裁判の判決や一連の対応により、くらコーポレーションは評判を大きく落とした。ブランドに“無添”と冠していることから、あらゆる食品添加物について「無添加」と思っていた消費者も少なくなかったが、「無添」は「無添加」の意味ではなく単なる屋号だと再認識させる結果となった。また、「疑問を呈されたら誠実に事実を答えればいいのに、言論抑圧するような姿勢は受け入れられない」といった批判も多かった。
お母さんへ
こんにちは。 娘です。突然の事で驚かせてしまってごめんなさい。今日はどうしても伝えたいことがあって手紙を書きました。LINEだとどうしてもうまく伝えることができないので、手紙という形になってしまいました。時間がある時に読んでください。
結論から先に言います。お母さんは私に対しての距離が、世間一般の親が子に対する距離より近すぎると思うので、私はお母さんに少し距離を置いて欲しいのです。
私はお母さんにとっても世間一般にとっても、とても育てにくい子供だったと思います。何度同じことを言っても治せない、教えたことを忘れる、不潔、常識がない、頑固な割に自分の意見がコロコロ変わる、勉強ができない、運動もできない、不登校にはなる、体調をしょっちゅう崩す、叱ればキツイ言葉で言い返し反省の態度がみられない……沢山迷惑をかけたし、沢山お母さんを心配させ苦しませたと思います。
推測だけど、お母さんはそんな私になんとかできることを増やしてあげよう、直せてあげられないのではないかと考えたのではないでしょうか。だから、色々な習い事をさせてくれたり、できないことは何度も注意し、厳しく躾け、駄目なところを直そうと根気強く教えてくれたのでしょうね。お母さんは責任感も強い人だし、努力家な人だとも私は思います。それが更に拍車をかけたのでしょう。世間の人に「躾がなっていない子供」「子供がキチンとしていないのは母親が躾をしていないせいだ」と思われるのが辛かったのもあると思います。お父さんも助けてくれない、周囲の人に話しても分かってくれない、とても大変だったと思います。
でも本当にごめんなさい。そのお母さんの思い遣りの気持ちが、強い責任感が私にとってはとてもしんどかったのです。
私は多分もう何度注意されても直せないものは直せません。反省しても、後悔しても、失敗しても絶対に無理です。そういう生き物なのです。何故お母さんが怒っているのかがわかっても、私ができていないことでどう周りに迷惑がかかっているか、自分に不利益が降りかかるかが分かっても、絶対に直せません。直せていたら今まで生きていたウン十年間の内に直しています。だってそれは自分でも直したい部分でもあったから。自分の駄目なところで、周囲の人に迷惑をかけている自分が、堪らなく嫌で申し訳なかったから。でも私は直せませんでした。どう頑張っても無理でした。
だから、もう諦めてください。お母さんがどんなに頑張っても私は忘れ癖を直せません。お母さんが何度言ってもお弁当を出すことをこれからも絶対忘れ続けるでしょう。お部屋も片付くことはないでしょうし、忘れ物をし続け髪の毛を引っ張り続けます。そしてそれはお母さんの責任ではありません。私がそういう生き物だからです。だからもう諦めて下さい。お母さんの責任ではない問題は私の問題です。お母さんの問題ではないのです。忘れるなら何度でも注意してあげなきゃ!そうすればいつか直せるときに直せるようになるはず、という考えは捨ててください。逆です。今まで何度言ってきても直せなかったならこれから何度言っても直るはずがありません。もし直せたなら、それはお母さんが注意し続けてくれたからではなく、私自身がふとしたきっかけで、なんとか自分でもできる方法を見つけたからなのです。
お弁当を出さないなら次の日のお弁当を作らなくていいです。たくさんの洗濯物を一気に洗うのが嫌なら「そんなに沢山は洗えません」と言って部屋のまえに服を放置して下さい。カップを部屋に持っていかれるのが嫌なら自分専用のコップを100均で買っていきますし、そのコップは自分で洗います。自分の服を放置されるのが嫌なら服はもう一切貸さなくていいです。髪の毛が散らかしてあったら掃除したゴミを私の部屋の前に捨てておいてください。私のしたことで不利益を被ったら、不利益を被ったことに関係することで存分にやり返してください。
我慢してしょうがないけど可哀想だから「やってあげる」から腹がたつのです。できないならお母さんが「代わりにしてあげる」から過干渉と私に言われるのです。ならもう不利益を被らないようにし、被ったらやり返して下さい。私が困っていても「あなたの問題だからお母さんは知りません」でいいのです。それで私が何か文句を言ってきても「お母さんには関係ない」と突っぱねて下さい。それが私にとって一番いい距離間です。私ももうお母さんに送り迎えを頼みませんし、自分のミスの尻拭いも頼みません。必要以上に頼ってきたら突っぱねて下さい。下手な情けは必要ありません。それは決して私のためにならないと私は考えます。あえて冷たくしてくれた方が私は嬉しいです。
「私は間違っていない」「あなたが悪いから私は怒っているの」「あなたのためにしてあげたのにどうしてそんな酷いことをいうの」「努力していないから、話しを聞いていないからできないんでしょう」「言い訳ばかり達者になって」「お母さんが選んだ服の方がセンスがいい」「あなた一人じゃ無理だから私がやってあげる」という考えは私に通用しないと思って下さい。
価値観が違えば、「私は間違っていない」と思っていても、相手は「自分の方が正しい、あるいは間違っていてもそれ相応の理由がある」から怒っているのです。「あなたが悪いから私は怒っているの」ではなく、お母さんは「あなたに怒っているから私は怒っている」のです。「あなたのためにしてあげたこと」が相手にとって不快であることだってあるだろうし、寧ろ迷惑極まりないこともあるということを認めて下さい。「努力していない、話しを聞いていない」と思っても、あなたが思いつかない方法で努力していたりするのです。「言い訳」は「相手にとっては正当な理由」だし、「分かっても努力したくないし具体的にどうすればいいか分からないし出来そうもない」なら「そんなの知らない」で構いません。「お母さんのセンス」が必ずしもいいものであったり私に似合うものではないし、「私のセンス」は似ていてもお母さんのセンスによって育てられたものではありません。「私一人で無理なもの」はお母さんが助ける必要は、私が助けを求めない限り必要ないのです。本当に困ってないからお母さんを呼ばないのです。
私とお母さんは他人です。私の悩みごとはお母さんの悩みごとではありません。
バイトを探してくれたのも嫌でした。酷く打たれたのも嫌でした。お洋服を選んでくるのもお母さんの服を頼んでもいないのに貸してくるのも嫌でしたし、塾に毎日迎えに来てくれるのもしんどかった。小学校受験も嫌だったし、習い事も苦痛だった。急に美容院に連れて行かれるのも、部屋の掃除を勝手にされるのも、メイク道具を選ばせてくれないのも、髪を短くしてはいけないのも、怒鳴られるのも、お父さんの愚痴を聞くのも、彼氏に口出しをされるのも、テレビも良くないゲームもよくない、バラエティは質が悪いからみせないし、それが理由でお友達の話しについていけないのが辛かった。駄菓子は食品添加物があるから食べさせないという制限のせいでこっそり食べたい駄菓子を買うのも、友達に恵んでもらうのも嫌だった。全て私のためを思って行動してくれてると思っても、お母さんを恨む気持ちが変わることはなかったし、感謝したくても、お母さんを大切にしたくても恨みが勝ってしまってどうしても無理でした。自分で選択したかった。自分で苦労して学びたかった。ダサくても自分が着たい服を着たかったし、初めて自分で買った服ですら母のセンスだと言われた時は本当に虚しかった。デキモノがでても駄菓子をお友達と一緒に食べたかったし、バラエティの話にもついて行きたかった。お母さんのいないところでこっそりゲームをしていたときは本当に楽しかった。初めてのバイト代で自分で買った化粧品は今でも重宝してる。結局やめてしまったけど、自分で受かりたいと思ったバイトに受かったときはこれで少し自立できるのではないかと希望に満ち溢れていました。大学へ行き、家にいる時間が減った途端に私は自分の感情が今まで以上に素直に出せるようになりました。私達は遠い方が上手くいくのです。だから、ごめんなさい。私のためを思って、見放してください。もう、お母さんがいないと何にもできない私から卒業させて下さい。
親の心子知らず。お母さんはよくこの言葉を使います。確かにそうです。私はお母さんの気持ちなんて全然分かりません。でも、お母さんだって私の気持ちを理解したことなんて殆どなかった。
私がプログラミングできるようになったら、アトピーの子供、その大人、成人型アトピーの人たちに向けたサービスを作ってあげたいと思っている。
他にも、食品添加物やシャンプー、化粧水、洗剤に含まれる化学物質について怖がらなくて済むようなわかりやすい検索コンテンツを作ってみたい。
こういうアイディアをネットに上げることは未来の自分の仕事を取られるかもしれないとおもって少し懸念したけど、それならその程度で仕方ない。
今までの人生で、コードとかHTMLとかいうパソコンに関する難しそうな知識はほとんど避けて通ってきた。
授業でかろうじて自分のウェブサイトを作る時間があったので、HTMLだけは使ったことがある。
その時は、「なぜあんな英単語や記号の並びを入力するだけで背景に色がついたり、フォントが変わったり動いたりするんだろう?」
そういった、子供のような素朴な疑問しか浮かばず、また素朴に感動するだけだった。
向いている、向いてないというのはあるかもしれない。
独学が難しければ未経験からSEとかプログラマーを教育、採用してくれる雇用推進プロジェクトに参加したいなとも思っている(今無職だからちょうどいいし)。
自分の人生経験を活かして誰かの為になる何かを作り出せるのなら、私にもその力が備わるのならやってみたい、という気持ちがわいてくる。
今はまだ”何か”というぼんやりとした妄想の域を出ないけど、私みたいな何にも知らない人間にも、プログラミングはできるのかな?
「独学 プログラミング」で検索して、未経験からプログラマーになった人のサイトとかを参考にしてちょっと勉強したいのだけど、
あのコードをどこに書いて、どうやって世に出せばいいのかがそもそもよくわかんない。
ドットインストールも見てみたけど何言ってるのか訳わかんない。あれを理解できないと、無理かな。
ちょうど無職の今だからこそ、挑戦できるなら形はどうあれ挑戦してみたいと思ってる。
よろしくお願いします。
【追記】
お返事遅くなりまして、すみません。
そして想像以上のマジレス!びっくりして、世の中捨てたもんじゃないな、と感動すら覚えています。
正直、TEDを観て興奮したそのまんまの勢いで、今まで妄想していたことを増田に書いてみた、というきっかけだったので投稿したあとで恥ずかしくなってたんですが、みんな優しくてうれしいです。
コメントは読んでいる限りわからない単語だらけですが、WordpressとレンタルwikiとCOBOLとHTMLとC♯と…ちらっと検索してみました、知らない世界がたくさんあって面白そうです。
一つずつ調べて、試していきたいと思います。
そして、ご指摘にもあったとおり、コンテンツ作成が目的であれば今からプログラミングを勉強することは合理的じゃないのだろうなと思います。
本当に実現させたいならば、素人考えで進めることは遠回りすぎですかね。
ですが、遅くなってもいいので実現させたいとは思ってます。
考えを整理してみたので、動機とゴールはすこしずつはっきりしてきました。
ですが私は、専門知識もなければ情報収集力も乏しい、しがない田舎の無職です。
企画だけがんばって練って、あとはどこかに任せるというのもいい案だと思います。
企画は私が担当し、作成を誰かに協力してもらう、とかも面白そうです。
ですが、今は自分でなにか作ってみたい、という好奇心もあります。
好奇心はわたしのいいところだと思っていますので、それは大事にしようと思います。
とりあえず、今の自分につくれるレベルの物を手始めに作ってみたいと思います。
あーもっと書きたいことがあるんですけど、肩こりがひどすぎてこれ以上PCの前に座れません…。
みなさん、本当にありがとうございました。
またどこかで会えるといいです。
某方のある映画を観た感想のアンサーです。謝罪しろとは思わないけど、漫画には漫画でアンサーした方がいいかなって。 pic.twitter.com/YYXatubePP— 直江春巻 (@harumaki_naoe) 2016年8月20日
いや、いやいやいやちょっと待て
食品添加物とかもうドバドバぶち込んで、美味いんだけど体には超絶悪い食物になってるんだけどオタはそれを承知で食ってるんでしょ?
「健康なんか知ったこっちゃねえぜ、寿命が縮もうとも俺はこれを食す!ああ^~~うめぇ^~~」ってのが俺のシン・ゴジラのイメージなんだけど
この人はマジで白米だと思って食べてんの?それちょっとヤバいんじゃないの?
それともこの人はジャンクな食べ物を白米だと親にしつけられたのだろうか。
例の藤島しゅんの漫画に対するカウンターのつもりで白米に例えたんだろうけど、それにしたって別にジャンクフードでもいいじゃん。
「毒も食らう栄養も食らう、食にはそういう寛容な精神が・・・」みたいな範馬勇次郎的な精神でも説いとけばいいのに、この人はわざわざ白米を選んだわけですよね?
食い過ぎても体に悪いことも無い自然の旨味が凝縮された白いごはんだと言ってるんですよね?ジャンクフードを
これは白米なので、ヘルシーで国民食なのでみんな食うべき食わない奴は非国民
みたいな意思が見え隠れしてゾッとするんだけど
それでもって「他の邦画はシンゴジを見習え」とでも言われた日にゃあ、ねえ・・・・。一部でもうすでに言われてるけど。
白米にも失礼だろうそれって。
自分が食ってる物すら理解できなくなっちゃった人がジャンクフードボリボリ食いながら「これは白米だ!最高級の白米だよ!!!」って言ってる姿は普通に狂ってると思いますし
ジャンクフード食べてるの理解してんのにこれは白米ですって言い張るのはそれはただの嘘つきですし詐欺ですよね。
シンゴジを白米に例えるのなんて、オタク特有の厚かましさと浅ましさ、更に言うと選民意識と承認欲求の醜さが最悪な形で噴出してるとしか思えない。
ジャンクフードで何が悪いって開き直る方がまだ可愛げがあっていいけどさあ・・・・白米だっていうんだぜ?オカズ無しの・・・・。
追記
gushijiro あはは、元ネタが白米だったから白米でアンサーしただけでしょ。元ネタがジャンクフードなら、ジャンクフードでアンサーしてるよ、きっと。
silly_pop 元で例えられてた食べ物をそのまま使ったら謎の難癖を付けられたでござるの巻/そもそも映画を例えるのに食べ物は不向きだなあ、と例の漫画を見て思った
いやだから相手が穀物を引き合いに出したからって、全乗っかりしてこっちも高級白米を出すって発想がすでに浅ましいんだって
ジャンクフードなんだから、シンゴジは稗や粟じゃねえジャンクフードだ文句あっかって言やいいのに世間体の良い白米にすんのは世間に認められたい欲丸出しじゃん。ジャンクフードに誇りを持てよと。
向こうが穀物の例えした瞬間から、あながちこの漫画の人間もシンゴジ=超高級白米だって世間体に主張できる良いチャンスだ、待ってました!って思ったんじゃね?
そうかもね。悪かった
ニュアンスで感じ取って。
・S&B なっとくシリーズ(カレー・シチュー・中華丼etc) 78~100円程度
・キューピー パスタソース(たらこ、明太子) 2食入りで160円前後
・玉子 地域によって価格差が激しい食材、常温OK。100~200円
・マヨネーズ カロリー補充wのために多めに使う 常温OK。200円前後
・粉チーズ 輸入食材屋(やまや とか)で大容量で買って来る。常温OK
・缶詰 魚、ささみ、豆が基本か。100円以内で探す。99ショップがスーパーより安い場合あり。
・サバ缶詰
・粉末青汁
・豆乳
・おぼろ昆布
・シラス干し
・塩蔵-新巻鮭、塩豚
・乾燥(乾物)-干し椎茸、高野豆腐(凍り豆腐)、干し魚(棒鱈など)、乾麺、糒
・燻煙-燻製
・酢漬け-ピクルス、しめさば
・脱気(脱酸素剤の利用)
・缶詰
・瓶詰め
o 非常食
o 宇宙食
突然の夕立でちょっと走れば雨宿りできるからそこまで行く間だけ凌げればいいやってシチュエーションとかならまだしもザーザー降りで全身びしょびしょなのに雑誌とかカバンとか掲げちゃってさ、もちろんそんなもので覆っても無駄なぐらい頭も顔も滝みたいになってたりしてんのにそれでもなお頭隠して尻隠さずどころか頭だけ隠して全身隠せてなくてとても滑稽ですよね。
なんなの頭に雨が直撃すると変な声とか出ちゃうの?
というのは本題ではなくて(本題じゃないからな)、タイトルで多少煽った方が見てもらえるかなと思っただけなんですが、それはそれとして日本人って少しでも濡れることを嫌がる人が多いですよね。
おれの知ってる範囲、行ったことのある場所、住んだことのある場所、テレビやなんかで見ただけの場所とどこの外国でも多少の雨がかかるぐらいは気にしない人が多かった。
でも日本では地下鉄の出口の階段を上った所で傘を開く人が渋滞を作ったりとか、体に一滴でも雨粒がつくことを許さないみたいな感じの人が多い印象。そんなもん歩きながら開いたってそんなに濡れやしねえよって思うんだけどねえ。
おれからすれば不思議だなー、変な人たちだなーぐらいな感じで見てたわけなんだけど、なんとなく気が付いたことがあるのでここに書いてみた次第なわけです。
「気が付いた」ってのは正確ではない。根拠とかあるわけじゃないので「思いついた」ぐらいかな。
これは日本に限った話かどうかわからないけれど、放射性物質や食品添加物やその他リスクに関しての量や確率の概念が分からない人って結構多いじゃないですか。「1ナノグラムでも入っているなら許せない!」みたいな人たち。そんなこと言ったらニンジンも塩もなんなら水だって毒だぜって言いたい気分になりますが言っても通じないから言わないよ。
とにかくそういう量や確率、比率とかって話がわからない人が日本には多いんじゃないだろうか?という想像を根拠に論理を飛躍させてだね、雨について再考してみたんですよ。
もしかして食品添加物がほんのちょっとでも入ってればキケン!とか思っちゃうタイプの人は、「雨でビチャビチャに濡れると大変なことになる」という事実から「ちょっとでも雨に触れると大変だ!」という発想になっているんじゃないだろうか?
だとしたらなんだってこともないんですよ。長年不思議に感じてた人々の行動の理由がもしかして解明できたのではないかなーと思っただけなんです。
その他の理論があれば教えてほしい。むしろ「自分はこういう理由で1ミリたりとも濡れたくないという強い信念を形成してきた!」という生の声が聞けたらもっとうれしい。
気にする人は気にするし、気にしない人は気にしない。
気にするも気にしないも、各人の自由。
それを放射脳やらとかいってバカにする奴らのほうがどうかしてる。
食いたい奴は食えばいいし、食いたくない奴は食わなきゃいい。
食いたい奴に無理に食うなとは言ってない。
なのに何故、食いたい奴ら・気にしない奴らは、食いたくない奴・気にする奴を放射脳と煽る。
ほっときゃいいだろうに。
全部きちんと表示すりゃいいんだ。
それだけのことだろう。
でもそれは仕方ないことだ。
悪いのはさんざん嘘をついてきた政府だ。
安全だ、放射脳だと煽る奴らは、なぜそこまで政府を信用できる?
事故当初、メルトダウンはしてません、ストロンチウムは飛びません、嘘をついた政府を信用できる?
それが悪いことなのか?
自己判断でいいじゃないか。
食うも食わないも自由じゃないか。
私って放射脳なんだろうか。
ホルモンうたれまくっている養殖サーモンとかブロイラーの鶏とかよりは、天然物の魚とかそのへん走り回っている鶏をたべたい、っていうのとおなじ。
買い物に行くと原材料や産地を読んで選ぶ。
千葉から都内のはずれまで電車賃をかけて自分で野菜を売りにきている農家の方から買ったという野菜をすすめられたときに、断ってしまうほどには放射脳。
それが汚染されている可能性はどれくらいあるのかわからないから避ける。
とはいえ、例えば外食のときとかは、不安を感じメニューを選びながら食べるし食べさせる。たまにだからね、って言い聞かせて。その程度には楽観的。
奇形植物や動物のニュースには、そんなのずっと前からあるじゃん、ておもう。
まぁ、今すぐ影響はないんだろうなぁとも思う。
食品添加物だってそう。ちょっとくらい食べたって平気。でも食べない方がいいことにはこしたことがない。
不安な食材は自分はまだしも小さいこどもにはやっぱり食べさせたくない。
核実験しまくってた時代なんてもっといっぱいあったんだからだいじょぶでしょ、という意見も理解はできる。
原発由来の微々たる放射能を避けるのに、ラジウム泉に入ったり、放射能を帯びているミネラルウォーターを平気で飲んでいる。
まだそんなこと気にしてるの? 放射脳だわー、風評被害を助長しているとか言われる。
なんかよくわかんなくなってきたよ。
これって放射脳?
「粗食生活のすすめ」「一汁二菜で健康生活」「お酢料理で減塩」・・・
食品添加物、農薬の有害性を説くもの、発酵食品や玄米を薦めるもの。
だからその本を何冊か読んで自分で正しいと思ったもの、自分に合ってると思ったものを実践すればいい。
例えば「二次元なら誰も傷つけない、傷つかない」「結婚して幸せな性生活」ていうタイトルの本があってもいいはずなのに見ないし・・
AVを見たり風俗に行くときAV嬢や風俗嬢がとても幸せな仕事をしてるとは思えない。だからジャンクフード食べてる気分になる。
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。
極端な物言いも糞も、自分の意見を書いてる(言ってる)だけだろ。
だったらお前は「食品添加物は発がん物質を含むので食べない方が良いかもしれないし、悪いかもしれない。でも、それは確実にそうとは言えないので、あなた自身が判断してください」とか曖昧な言い方するのかよ。田宮さんか。
私はまだ二十歳の大学生なので昔の時代も今の時代もよく理解できてないけど、最近ネットやテレビ・新聞などで極論が多い気がする。
例えば、
・最近の若者はゆとり教育を受けたせいで競争心が無く、海外の人と比べると物足りない。
確かに、原因の一つであることは認めるのですが、「それだけが原因ではないのでは?」と言いたくなります。
でも、自分の両親や友達はこう言った事を事実のように言う人が多くて、「まさか本当にそうだと思ってるの?」「それとも軽い冗談で言ってるの?」と区別が付かない時があります。
そこで、ネットを通して聞きたいのですがこういう極端な物言いを信じてる人って本当にそうだと信じているんですか?
それとも「実際にはそんなことは無い」と内心思ってたりしますか?
あと、言いたいこと伝わりましたか?
それを言い出したら、薬の副作用や食品添加物の危険性とか、偽科学や宗教の洗脳とか、そういうのも全部、親がフィルタできる為の知識を身につけろって事にならないか?
いやそうじゃないって言うなら、線引きはどうするつもり?
こういう、親がガ自衛しろって論は、どう考えても親のコストが膨大になり過ぎて現実的じゃないと思うですよ。
仮にITだけやれって言ったとしても、俺らはパソコン得意だけど、そうじゃない奴も世の中ゴマンといるわけで。