お母さんへ
こんにちは。 娘です。突然の事で驚かせてしまってごめんなさい。今日はどうしても伝えたいことがあって手紙を書きました。LINEだとどうしてもうまく伝えることができないので、手紙という形になってしまいました。時間がある時に読んでください。
結論から先に言います。お母さんは私に対しての距離が、世間一般の親が子に対する距離より近すぎると思うので、私はお母さんに少し距離を置いて欲しいのです。
私はお母さんにとっても世間一般にとっても、とても育てにくい子供だったと思います。何度同じことを言っても治せない、教えたことを忘れる、不潔、常識がない、頑固な割に自分の意見がコロコロ変わる、勉強ができない、運動もできない、不登校にはなる、体調をしょっちゅう崩す、叱ればキツイ言葉で言い返し反省の態度がみられない……沢山迷惑をかけたし、沢山お母さんを心配させ苦しませたと思います。
推測だけど、お母さんはそんな私になんとかできることを増やしてあげよう、直せてあげられないのではないかと考えたのではないでしょうか。だから、色々な習い事をさせてくれたり、できないことは何度も注意し、厳しく躾け、駄目なところを直そうと根気強く教えてくれたのでしょうね。お母さんは責任感も強い人だし、努力家な人だとも私は思います。それが更に拍車をかけたのでしょう。世間の人に「躾がなっていない子供」「子供がキチンとしていないのは母親が躾をしていないせいだ」と思われるのが辛かったのもあると思います。お父さんも助けてくれない、周囲の人に話しても分かってくれない、とても大変だったと思います。
でも本当にごめんなさい。そのお母さんの思い遣りの気持ちが、強い責任感が私にとってはとてもしんどかったのです。
私は多分もう何度注意されても直せないものは直せません。反省しても、後悔しても、失敗しても絶対に無理です。そういう生き物なのです。何故お母さんが怒っているのかがわかっても、私ができていないことでどう周りに迷惑がかかっているか、自分に不利益が降りかかるかが分かっても、絶対に直せません。直せていたら今まで生きていたウン十年間の内に直しています。だってそれは自分でも直したい部分でもあったから。自分の駄目なところで、周囲の人に迷惑をかけている自分が、堪らなく嫌で申し訳なかったから。でも私は直せませんでした。どう頑張っても無理でした。
だから、もう諦めてください。お母さんがどんなに頑張っても私は忘れ癖を直せません。お母さんが何度言ってもお弁当を出すことをこれからも絶対忘れ続けるでしょう。お部屋も片付くことはないでしょうし、忘れ物をし続け髪の毛を引っ張り続けます。そしてそれはお母さんの責任ではありません。私がそういう生き物だからです。だからもう諦めて下さい。お母さんの責任ではない問題は私の問題です。お母さんの問題ではないのです。忘れるなら何度でも注意してあげなきゃ!そうすればいつか直せるときに直せるようになるはず、という考えは捨ててください。逆です。今まで何度言ってきても直せなかったならこれから何度言っても直るはずがありません。もし直せたなら、それはお母さんが注意し続けてくれたからではなく、私自身がふとしたきっかけで、なんとか自分でもできる方法を見つけたからなのです。
お弁当を出さないなら次の日のお弁当を作らなくていいです。たくさんの洗濯物を一気に洗うのが嫌なら「そんなに沢山は洗えません」と言って部屋のまえに服を放置して下さい。カップを部屋に持っていかれるのが嫌なら自分専用のコップを100均で買っていきますし、そのコップは自分で洗います。自分の服を放置されるのが嫌なら服はもう一切貸さなくていいです。髪の毛が散らかしてあったら掃除したゴミを私の部屋の前に捨てておいてください。私のしたことで不利益を被ったら、不利益を被ったことに関係することで存分にやり返してください。
我慢してしょうがないけど可哀想だから「やってあげる」から腹がたつのです。できないならお母さんが「代わりにしてあげる」から過干渉と私に言われるのです。ならもう不利益を被らないようにし、被ったらやり返して下さい。私が困っていても「あなたの問題だからお母さんは知りません」でいいのです。それで私が何か文句を言ってきても「お母さんには関係ない」と突っぱねて下さい。それが私にとって一番いい距離間です。私ももうお母さんに送り迎えを頼みませんし、自分のミスの尻拭いも頼みません。必要以上に頼ってきたら突っぱねて下さい。下手な情けは必要ありません。それは決して私のためにならないと私は考えます。あえて冷たくしてくれた方が私は嬉しいです。
「私は間違っていない」「あなたが悪いから私は怒っているの」「あなたのためにしてあげたのにどうしてそんな酷いことをいうの」「努力していないから、話しを聞いていないからできないんでしょう」「言い訳ばかり達者になって」「お母さんが選んだ服の方がセンスがいい」「あなた一人じゃ無理だから私がやってあげる」という考えは私に通用しないと思って下さい。
価値観が違えば、「私は間違っていない」と思っていても、相手は「自分の方が正しい、あるいは間違っていてもそれ相応の理由がある」から怒っているのです。「あなたが悪いから私は怒っているの」ではなく、お母さんは「あなたに怒っているから私は怒っている」のです。「あなたのためにしてあげたこと」が相手にとって不快であることだってあるだろうし、寧ろ迷惑極まりないこともあるということを認めて下さい。「努力していない、話しを聞いていない」と思っても、あなたが思いつかない方法で努力していたりするのです。「言い訳」は「相手にとっては正当な理由」だし、「分かっても努力したくないし具体的にどうすればいいか分からないし出来そうもない」なら「そんなの知らない」で構いません。「お母さんのセンス」が必ずしもいいものであったり私に似合うものではないし、「私のセンス」は似ていてもお母さんのセンスによって育てられたものではありません。「私一人で無理なもの」はお母さんが助ける必要は、私が助けを求めない限り必要ないのです。本当に困ってないからお母さんを呼ばないのです。
私とお母さんは他人です。私の悩みごとはお母さんの悩みごとではありません。
バイトを探してくれたのも嫌でした。酷く打たれたのも嫌でした。お洋服を選んでくるのもお母さんの服を頼んでもいないのに貸してくるのも嫌でしたし、塾に毎日迎えに来てくれるのもしんどかった。小学校受験も嫌だったし、習い事も苦痛だった。急に美容院に連れて行かれるのも、部屋の掃除を勝手にされるのも、メイク道具を選ばせてくれないのも、髪を短くしてはいけないのも、怒鳴られるのも、お父さんの愚痴を聞くのも、彼氏に口出しをされるのも、テレビも良くないゲームもよくない、バラエティは質が悪いからみせないし、それが理由でお友達の話しについていけないのが辛かった。駄菓子は食品添加物があるから食べさせないという制限のせいでこっそり食べたい駄菓子を買うのも、友達に恵んでもらうのも嫌だった。全て私のためを思って行動してくれてると思っても、お母さんを恨む気持ちが変わることはなかったし、感謝したくても、お母さんを大切にしたくても恨みが勝ってしまってどうしても無理でした。自分で選択したかった。自分で苦労して学びたかった。ダサくても自分が着たい服を着たかったし、初めて自分で買った服ですら母のセンスだと言われた時は本当に虚しかった。デキモノがでても駄菓子をお友達と一緒に食べたかったし、バラエティの話にもついて行きたかった。お母さんのいないところでこっそりゲームをしていたときは本当に楽しかった。初めてのバイト代で自分で買った化粧品は今でも重宝してる。結局やめてしまったけど、自分で受かりたいと思ったバイトに受かったときはこれで少し自立できるのではないかと希望に満ち溢れていました。大学へ行き、家にいる時間が減った途端に私は自分の感情が今まで以上に素直に出せるようになりました。私達は遠い方が上手くいくのです。だから、ごめんなさい。私のためを思って、見放してください。もう、お母さんがいないと何にもできない私から卒業させて下さい。
親の心子知らず。お母さんはよくこの言葉を使います。確かにそうです。私はお母さんの気持ちなんて全然分かりません。でも、お母さんだって私の気持ちを理解したことなんて殆どなかった。