はてなキーワード: 言ってはいけないとは
学生時代にアルバイトしていた期間も含めて7年間ほど介護職に近い職場で働いていたけど精神的に疲れて半年くらい前に辞めた増田だよ。
一応、当事者としてコロナ禍でのエッセンシャルワーカー上げ的社会情勢を眺めていた。
正直に言うと最初の方は嬉しかった。大きく注目を集めるような職種じゃないし。「コロナ禍の中最前線で戦っている!」みたいに言われたりして誇らしくも思った。
そんなこんなで2年くらいコロナ禍が続いて、「エッセンシャルワーカー」という言葉の使い方に違和感を覚え始めた。
「社会にとって必要(essential)」と言いつつ、社会は私たちを全然大切にしてないな、と。
「エッセンシャルワーカーに感謝」と言っている人に限って僕たちを「社会の一員」とも「尊厳ある人間」とも思わずに「社会の底辺で働く下級国民」とか「物言わぬ社会の部品」と思っているんじゃないかと疑念を抱いてしまう(そんな無責任な人ばかりだとは思いたくないけど)。
そんな時にフミコフミオさんのブログ今さら「エッセンシャルワーカー」と言われても「やりがい搾取」としか思えないよ。 - Everything you've ever Dreamed を読んだ。
フミコフミオさんはエッセンシャルワーカーではないそうだけど、当事者以外の目線からこれを書いてくれたのはありがたい。
約2年間、「エッセンシャルワーカーに感謝」と色んな政治家たちが言ってきたけれど私たちの給料を本当に上げようとしてくれたのは岸田さんが最初。
文句を言ってはいけないのは分かっているけど月9000円ぽっちなのもしょっぱい。
フミコフミオさんの言葉を借りるなら「あなたたちの仕事は大事です。やりがいのある、意義のある仕事です。社会を支える仕事です。だから低賃金でも頑張って」と政権からも社会からも言われ続けているような気がする。
「汚くて辛い仕事をわざわざ低賃金でやってくれてるから社会の底辺にでも追いやっておけ」と思ってない?
私はもう辞めてしまったけれど、ケアワーカーは相当特別な技能が必要な仕事だよ。
名前を言ってはいけない関数型プログラミングの先生が騒ぎ立てたことで追加された
死にたいと言われたとき「死ぬな」はNG、って記事のヤフコメ(https://news.yahoo.co.jp/articles/1e432e55f3c0565f3132b2a2dca7035c35b014a6)
「俺は親父に俺より先に死ぬなと言われてよかった。全ての親は死ぬなと言うべき。」「死にたいとか言われたらあたしだってつらい。」「じゃあどうすればいいの💢!?あれもダメこれもダメって😡」(記事には良い声かけの例も示されている)「杓子定規の答えより自分の言葉がいいに決まってる。この記事は危険。」みたいなコメントがいっぱいあって怖い。
「死ぬな」は逆効果って、政府もガイドラインに書いてるぐらい認められてることなのに、この受け入れなさ。何がそこまで彼らを頑なにするのかわからない。n=1で専門家に反論する。なぜ?怖すぎる。
昨年叔父が自死しました。叔母からの電話で駆けつけ、説得しました。死んじゃ駄目だよ。家族もいるんだよと。言ってはいけない言葉だったんですね。でも、私にはそれが本当の心の叫びだったんです。それから1週間ほどで、亡くなりました。本当に死のうとしている人は、寄り添っても、話しを聞いてあげても、結局死んじゃいますよ。
怖い。
無知→無関心→知識の拒絶→失敗→正当化→知識の拒絶→無限ループ
この流れが怖すぎる。怖すぎ。
文学部の就活事情が話題になっていたので、文学部卒の筆者が自分や身の回りの話を含めて文学部の就活事情を解説したい。
大学や学科、卒業年度、地域によって大きく変わると思うのでその点は承知した上で読んでほしい。
筆者は5年ほど前に首都圏上位私大の文学部を卒業した。自分の専攻の周辺の話が中心だが、友人などの話などからできるだけ文学部全般の話になるよう努力したつもりだ。
ざっくりした体感では学部卒で就職する人がほぼ9割、修士課程に進学する人が1割前後といった感じだった。学科によって進学する人が1割をちょっと超えるところもあれば、5%くらいしか進学しないところもある。いずれにせよ、過半数が進学していた理系に比べると進学率は圧倒的に低い。
ただ、法科大学院から司法試験ルートのある法学部以外、文学部に限らず文系の学部はどこの学部でも1割前後の進学率だったように思う。修士課程を修了して一人前という雰囲気のある理系に比べて、文系は大学院に進学しても就職の幅は基本的に広がらないし、むしろ狭まると言っていいと思う。文系の大学院生がただモラトリアムを延長しただけになるか、研究者の卵になるかは個人の資質や研究室の雰囲気(≒教授の方針)が大きい。
理系と違い、企業所属の研究者という人はほぼいないため、修士を修了したり博士に進んだりしても研究をまともに続けるにはアカデミックなポストが必須になってくる。そうしたポストは理系と同様に(あるいはそれ以上に)狭き門になってくるので、基本的に文系の学生は学部卒で就活することになる。
就職する文学部生のうち、4割ほどが公務員(教職を含む)に、4〜5割強がいわゆる一般企業の事務系職に、1割前後がマスコミに就職するイメージだった。残りは就職浪人や就活と進学を平行して進めながら様子を見たりする人などが占める。
こうした就職先の構成は大学や年度によって大きく変わるのであまり当てにはならないかもしれない。いわゆる下位の大学になるほどマスコミの割合が下がって一般企業の割合が上がると思う。公務員になる層はどこの大学でも一定数いると思うけど、上位の大学は国家公務員や都道府県職員を目指す人も多いので公務員の割合もやや高いかもしれない。
この記事では他の文系学部と変わらない一般企業(メーカー事務職や金融、IT、小売り・流通など)の話はあまりせず、文学部の就活っぽい分野について話したい。
文学部の学生の公務員人気は高い。地道に試験対策をすればある程度報われるし、民間の就活(特に人気企業の場合)の時になんとなく感じる文学部ハンデをそれほど感じないからだと思う。
しっかりしている人は学部2〜3年の頃から自分で勉強したりダブルスクールで公務員試験向けの予備校に通ったりする。法学部や経済学部の人に多いバリバリのキャリア志望で国家公務員を目指すというタイプよりは、キャリアと生活のバランスがまだ取りやすい都道府県庁、政令市、中核市などの中上位の自治体を受ける人が多かった。
大学や学科によっては講義を取ることで社会福祉主事などの行政系の資格を取ることもできるので、ガチガチの公務員志望ならこうした資格を取っておくと若干の加点要素になるかも。図書館司書や博物館学芸員といった資格ともやや相性はいいけど、これらの職域は専門職枠になることも多いので、取っておきたい資格かと言われると微妙だと思う。
資格の話になったついでに司書と学芸員について補足すると、どちらも正規雇用の採用は自治体・民間を問わずアカデミックポスト並みの狭き門なので、軽々しく「司書とかいいじゃん」「学芸員の資格をとって博物館に就職したら?」などとは言ってはいけない。
非正規だとバイト・パートレベルの募集が多くワープアもいいところで、資格を持っていなくても問題ない場合も多い。実務経験にはなるのだが、正規雇用へのキャリアアップはやはり狭き門だと思われる。
大学図書館・専門図書館の司書や学芸員は大学院である程度研究をする基礎を身につけた人がその専攻を生かしながら働く場だと思う。一般的な自治体の図書館は業務委託や指定管理者などで民間に委託されていることが多く、司書資格持ちの正規公務員が図書館員をやっているところはかなり少なくなってきているはずだ。
教職員はわかりやすく、国語、英語、社会科の教員免許が取れるところが多い。教職課程の履修はけっこう大変で「保険として教員免許も取っておくか」というくらいの気持ちだと挫折することも多い。ちゃんと教職志望の人は1年次から必要な授業を計画的に取っていることがほとんどだと思う。普通の授業の単位と教職の単位が被ることはそう多くないので割と忙しい。
学部卒で一般的な一種免許という区分の免許がもらえて、大学院で所定の単位を取得すれば専修免許にパワーアップする。出世するには専修免許があると有利という話もあるとかないとか。学生のうちに社会教育主事の単位を取っておくと教員になってからのキャリアの幅が広がりそう。
とはいえ、教員も正規雇用はそこそこ倍率が高く、数年は非正規の講師をすることもけっこう多い。特に社会科は他に比べて大変なイメージがある。
公務員も教職員も正規職員になってしまえば雇用自体は安定した手堅い職だと思う。勤務の内実はなんとも言えないが……。
いわゆるマスコミといわれるテレビ、新聞、出版はどこも大手(キー局、全国紙、三大出版社)は狭き門で、中堅〜中小はパイが少ないか、そもそも募集がないこともある。大手のなかではNHKや全国紙の記者職が比較的募集定員が多そう。
地方テレビ局やブロック紙・地方紙の事情はよくわからないものの、そもそもの枠が大きくなくて地元大やUターン組が一定の数いるイメージ。アナウンサー職とかはものすごく競争が激しいという話を聞く。出版社は中堅どころでもふつうに1桁採用とか募集なしというところばかりだと聞く。中小の専門出版社は新卒市場ではほぼ見かけた記憶がない。
ただ、マスコミ全般の話として、文学部同士の闘いというよりも法学部や経済学部といった文系メインストリーム学部との闘いになるので「文学部だからマスコミに有利」という話にはならない。むしろテレビや新聞の記者職は文学部以外の方が有利だと思う。
業界的には斜陽で激務だけど、大手はまだまだ高給取りなイメージ。中堅・中小だとワープアとはいかなくても大手との差は感じると思う。友達が大手マスコミにいくと「高値で売れたな」と思ってしまう。
テレビは制作会社とかの周辺業界もあるし、出版も書店や取次といった小売り・流通の周辺業界があるけど、とりあえずこの記事ではここまで。制作会社とかは配信業界が盛り上がって二極化してたりするのかな。書店や取次(特に取次)はかなり厳しいという話を聞く。
タイトル通り
当方ガチアスペ。会話のグラデーションがわからないは当たり前。そもそも会話が成立するか五分五分。
共感能力も低いから情緒にも乏しく、言ってはいけないことを平然と言ってしまう。
おかげで家族からはずっと「他人の言ったことは真に受けるな。マイナスなことは絶対に口にするな」と言われて育った。
そのせいで自己肯定感は育たず、人より優れたところはないと本気で思っている。
他人に褒められても「信じてはいけない」という、本能にも近い信条が働きかけて、せっかく褒めてくれた人を全力で否定して不愉快にさせる。
小中高といじめられ、小学校のときはレ○プ寸前の性被害にも遭ったせいで人間不信。
どう考えてもめちゃくちゃ生き辛さを抱えてる。
それでもなんとか自立して、自分に合った仕事を死にものぐるいで探してもぎ取って、現在は奨学金を返しながら猫と一緒に二人暮らしを楽しんでいる。
この「なんとか自立」できてしまったせいで、タイトルのような連中を心底軽蔑してしまう。
これはマジのガチでただの妬みだし、自分が狭量であることを理解しつつも、最近よくある弱者ムーブに甘んじる人間を見ると吐き気がする。
「お前は自分の立場を選り好みできるような人間か?努力したんか?」と本気で思う。
社会に出たら仕事さえできればある程度重宝してくれる現場なんて腐るほどある。
そういう仕事を探したり、そういう職に就く努力をほんまにしたんか?と言いたい。
自分の生き辛さを少しでも減少させる自助努力は大事やぞ、と言いたい。
何度も言うけどこれはガチでただの妬み
でも流石に最近そんな話をめちゃくちゃ見かけたり、聞いたりする。
そして自分の中の嫉妬心が膨れ上がってハゲそうになったんで、とうとうここに吐き出した。
女が結局容姿で評価されるというのはたぶん100年後も変わっていない。人のプリミティブな感覚に基づいたものだから、ここを変えるのはほぼ不可能なレベルといっていい
上野はそういった諦観を勘定に入れているからこそ、女はイケメンと言っても良いという立場なのだろう。だからある意味ではルッキズム肯定派だし、教育や文化の成熟に夢を見ていないリアリストとも言える
一方で男にもイケメンと言ってはいけないんですというのは、そのように啓蒙することで女へのルッキズムが緩和されるという希望を持った人たちだろう。啓蒙によって女が仕事や才能でも評価される度合いがもっと拡大するはずだと信じている
上野発言は男の人権の問題として話題になったが、むしろ「上野って未来に絶望してるんだな」ということがわかった事案でしかなかった
上野千鶴子氏に聞いた「美しい人に『美人』と言ってはいけない理由」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/4c14deb8308b2307deb2e2accc1cce01510563e0
前半で説明しているのは、男女で評価軸が異なるということであって、
美人はNGでイケメンはOK と言いたいわけじゃないんですよ。
しいてあげるなら、経済力ありそう と言われるのが近いよ という話しなのだ。
後半のチャームは、男女に共通する褒め言葉を使いましょうという文脈なので、
上野千鶴子さん的には、「チャーム」(=魅力的、すてき)は、男女共通に使える褒め言葉と認識しているのだろうと理解できる。
というタイトルで来てたメールが、最近起こってる((なお、何の件で来たのかについては「名前を言ってはいけないあの方」です ))情報削除申立だった。
これは本当にお願いしたいが、「重要なお知らせ」というタイトルでは、何の重要性も伝えられるものではないし、日々来てる宣伝メールに埋もれる。
どこぞの人がブックマーク非公開になってるとかで「そういや」と思い返してメール検索してみたらあった、という感じだった。
ブックマーク非公開の場合、「大抵は、登録時のメールアドレスにはてなから届いている通知を見れていない」という問題がある。
近年はIDコールもなくなったので、はてなからメールが来るのははてブロのメルマガみたいなのとかくらいしかなく、まあ正直はてなとメールの関わりみたいなのは薄いし、というかまあインターネット暮らしではメールを全部チェックとか到底やれないので気にもかけてない事が多い。
キャスターやコメンテーターが口々に「言ってはいけないことかもしれないけど、死にたいなら1人で死ねよ、と言いたくなりますよね」
積極的に獲得競争に参加できる国は経済的にもそれ以外でも安定してるほうが世界中への利益が多そう。
ワクチン獲得しにくい国は、なんとなく生産性も低そうだし、世界に与える影響が少なそう。
普段から搾取されてて、搾取してる側に実は多大な影響があったりするのかもしれないけど、それなら、搾取してる側が積極的に助け船出すのかな。
日本では(なんとなくの情報では世界中の多数派が)老人優先でワクチン打ったけど、これもどうなんだろうなと思う。
現役世代に優先的に打って、老人は色々諦めて貰ったほうが結果的には良かったのではないか、とか。
確かに、火葬が間に合わなくなって、老人の死体が山積みされたり、病院ではもう老人は見れませんとかって今の感覚からしたら地獄なんだろうけど。
相続発生させまくって、相続税取りつつ、次の世代に財産引き継がせて、経済活性化させるという方向でどうなってたか、ってのも見てみたい。
大型アップデートを控えた某ネトゲに関しての、愚痴と不満と未練です。消化不良な感情の行き処が無くて、書き遺す事にしました。
現在進行形でこのネトゲを楽しんでいて大好きだという人はなるべく読まないでください。
軽く自己紹介をすると自分は機械にもゲームにも疎いです。なので知識的な事は滅茶苦茶かと思います。
人気で有名なゲームシリーズのネトゲ版らしいですが過去作という同じタイトルのテレビゲームを一つも遊んだことがありません。
そんな自分が何故そのネトゲを始めたのかというと知人から「騙されたと思ってやってみてほしい」と言われてしまってついうっかりという理由です。
未練があるなら辞めなくてもよかったのでは?その通りですね、ストレスや苦痛が未練を上回ってしまいました。未練に関しては一番最後で言い訳していますのでそれだけ気になったなら最下部へどうぞ!
トップクラスの腕前を持つ人達と知り合えても完成されたコミュに所属している人達ばかりで、自分に入り込める余地がなかった。
自分がチームを立ち上げるために募集して頼み込み走り回りもしたけれど賛同を得られず、最終的に挑戦に必要な人数を集めることも出来なかった。
立ち上げメンバーの一人が自称未成年男性とのことでしたが途中でネトゲ内の女性にハマっておかしなことに。ネトゲあるある系の笑い話かもしれなくとも食らった側としてはキツい、気持ち悪い、そして迷惑だった。
「規約」という言葉がめちゃくちゃ。特に不満を感じた部分は「アカウント共有の禁止」についてと「外部ツールの使用禁止」について。
運営と同じ会社出身、過去シリーズ作品のスタッフで、そのネトゲ自体にもシナリオ提供という形で関わっているクリエイターが家族とのアカウント共有を宣言していたというものを見かけました。
それとは別に、暴言下ネタ辺りでGMに注意されている一般ユーザーのスクショをTwitterで見かけました。「うんことかちんちんとチャットで言ったのは自分ではなく弟です」と注意されているキャラが発言していた画像だと記憶しています。それに対するGMの返答が「家族であっても他人とのアカウント共有は規約違反なので今後弟さんに操作させないようお願いします」的なものだったと思う。
モニターの向こう側にいるのが誰なのか、運営側はゲームにアクセスているIPアドレスやマシンの事くらいしかわからないだろうし。例のクリエイターの「家族と共用」なんてIPアドレスもマシンも一緒だろうからGMが自宅に伺うくらいしないと共用かどうかの判別は無理ですよね。だから「アカウント共有の禁止」という規約に関しては、なんとなく掲げているだけにしか感じられない。
本来の「アカウント共有禁止」も代行(他プレイヤーにIDとパスワードを教えて代わりにログインとクリアを依頼する行為)の事を指すのであれば「常識的に考えて違反行為だ」とも理解できる。あんな例文(後述)を出す運営だし、アカウント共有の禁止についても「ご家族ご友人であっても」という一文を追加した方が良いのでは?そして違反者をきちんと罰してほしい。家庭内共有は前述の理由で正直無理だろうけど。
ふと思い出したけど、運営チーム所属のクリエイターが「(規約上プレイ可能年齢になっていない)子供にパッド渡したらキャラ動かしてた、かわいい~」的なのもあったような。
そして、例の「アカウント共有を公言したクリエイター」は生配信の際にデスクトップを映し、ACT(ダメージ計算などができるソフト)のアイコンががっつり写っていて炎上していたことも記憶に新しいですね。「今は運営会社や開発チームに所属していない外部のゲストクリエイター。彼は関係者じゃないだろうが」という意見もあったようですが、ゲーム会社のスタッフ事情に関して無知な自分から見ても、この「家族とアカウント共有宣言してデスクトップにACTアイコンを映したクリエイター」は運営側の人だと判断してしまいます。真剣にやったコンテンツの中心キャラの年齢を自分の判断で修正した的な事を言っていた覚えもあるし、これで運営側の人間じゃないというのは流石に無理かと。
クリエイターの細かい事情に無知な自分からしたら「このネトゲに関わっているスタッフが奥様にアカウント貸したりACT使ってるんだったらぶっちゃけもう公式はそれらを黙認してるっつう事じゃん」と、感じてしまいました。こいつが許されるなら一般人でも同じ行動が許されていいだろうよと。
引退した今だからこそ言えますが自分はACTを利用していました。利用しないと「遊べない」からです。正しくは「遊べない」ではなく「自分が理想とする遊び方が出来ない」に、訂正します。「なぜ自分自身の理想のプレイングにはACTが必要なのか?」ということも考えました。規約違反(のはず)だから、必要不要の問題じゃなくて使っちゃダメだ。とも思いつつ。
まず、ACTで計測をし出力されたゲームの結果をアップロードしてランキングを組成しているコミュニティサイトがあります。次に、海外のコミュニティには「そのサイトにアップロードしたデータの提出が可能な者に当コミュの大会への参加資格がある」というものがあります。そのコミュや大会に憧れを感じていて出場したかったんです。参加者は海外のプレイヤーばかりですが、自分が挑戦したいと思った大会で優勝したのは日本のチームでした。ACTがないと参加できない。導入が必須。規約違反にはなるけど導入しないと舞台に立てない!
実はACTというソフトには「5秒後にこういう攻撃が来る!ここが安全地帯だから移動して!」と教えてくれる機能を追加する事もできたそうで。これはネトゲ側で規約に明記されている「ゲームバランスを崩す機能を持つソフト」を使っているという扱いになりますよね。裏技。チート。ずる。そう呼ばれるものですよね。ちなみに機械音痴の自分には最後までそういった使い方の設定の方法がわかりませんでした。
特定のユーザーコミュニティへ参加するには「ACTで出力されたログ」が必須だったから導入せざるを得なくて使っていました。チームメイトの誰か1人だけがACTを導入してログを提出できる環境にあればいいので、自分自身がACTを導入する必要性がないと言われたらその通りです。が、チームの誰かは必ず導入しなくてはならない。なので結局その大会に参加しているチームの時点で規約違反もくそもあるかという感想です。ついでにACTが導入できるのはそのネトゲをパソコンで遊ぶプレイヤーだけなので「PS3(PS4)お断り事件」というものも過去にあったらしいと聞きました。くだらない。
ACTを利用せずにあのネトゲを遊び楽しんでいる人達も沢山いらっしゃるかと思います。前述したランキングサイトに巻き込まれるという形で載せられたりする事から、ACTやランキングサイトに悪い印象を抱いている人達もいるかと思います。「悪い印象」という言葉だけを取り上げるなら、読み上げツールと呼ばれるチート行為(「ここの安全地帯に移動してください」等と教えてくれる拡張機能)にいい印象はもちろんありません。自分が設定できないから僻んでいるんだねwと言われたら何も言えませんが、ACT=読み上げだと思っている人達も一定数いるようで。それを使っていなかった自分と読み上げ機能を使うユーザーを一緒にされることは不服ですが、どちらも同じACTユーザーです。ACTユーザーであるだけで「ツーラー」とも言われてしまいます。VCで有名なDiscordもツールですしDiscordユーザーもツーラーでは?と思いますね。ここにツッコミを入れようとすると限が無い。余談ですが「読み上げを使わないとギミック処理ができない馬鹿」がいると言われているようですが、自分は「設定すらできない馬鹿」の方でしたw
結局、ACTは刃物のように使う人次第で印象が変わるものだとゲーム&機械音痴の自分は感じました。自分はただトップ層のプレイヤーになりたかったし、他部門で活躍するトッププレイヤーと交流してみたかった。だから必要だった。
まあもう、これ、運営が悪いじゃん。「ACTいらずのゲームシステムや設計や催し」を提供できていれば良かったわけで。運営から参加希望者に限定したランキングや大会を用意してくれていたら、トップを目指したいような人たちだけが参加するでしょうと。ACTは規約違反だから絶対に導入しないorプレステで遊んでるけどトップを目指せるなら参加してみたいという人達でもトッププレイヤーと認められるチャンスが得られる。しかも主催者が運営なら、公式に認められたトッププレイヤーになれるという事じゃないか。
冒頭で「自分は憧れの大会に出て実力を試したい、仲間になってください」とあちこちに頼み込んだりしていたと書きましたが、前向きに参加を検討してくれたフレンドに概要を伝える過程で「大会参加にはツール(=ACT)必須なんですね。それらの使用は規約違反で利用者と関わりたくないから無理です」と断られた経験もありました。その後フレンドも切られ、通報もされただろうと当時は相当ビビりました。公式がツール不要のランキングを催してくれるのであれば、その人は一緒にトップを目指してくれていたかもしれないのに…と悔やんだ思い出が蘇りました。
ある意味トドメを刺してくれたのは例の例文発表でした。「大丈夫です、理解してます。ありがとうございます。」のあれですね。初めて読んだ時の感想は「うわ…」です。奥様とアカ共有&デスクトップにACTのライターの件の時点で呆れてはいたのですが、あの例文公開で運営への不信感が限界突破しました。この通り、同じくらいのプレイヤースキルを持っていそうな「フリーの」仲間には恵まれず、自分は俗に言われる野良で遊んでばかりのプレイヤーでした。ご縁のあったトッププレイヤー達は所属や居場所があった。自分には無かったし作れなかったし入れてもらえなかった。野良参加が多い身としては、あの例文のケースを実際に目にしています。「慣れている人で周回しよう」という意図の募集に、メンバーを全滅させるミスを何度もする人。募集主はミスした人に「大丈夫ですか?」と尋ねてミスした人も「大丈夫です」とのことで「どんまい、気を取り直していこう!」からの、同じ人が同じ場所でミス。慣れている人で周回する募集なのに必ず間違えて全滅させ、時間ばかりが過ぎていく。これは迷惑行為ではないのでしょうか?30分あれば3周出来る面なので3周できるといいなーと参加したら、25分で1周も出来ず解散。毎回ミスをする人に対してですが時間返せよと感じました。「上手い人は下手な人に文句を言わない」「ゲームは時間に余裕がある人がやるべき」と言われたらその通りかもしれません。そして野良でしか遊べない人は固定を組む努力を怠っているからという言葉もあるみたいですが、自分だって一緒に上を目指してくれるメンバーを探し説得するという行動をしました。単純に自分とフレになってくれたトッププレイヤー達に遊びましょうと声を掛けてみたところで、断られる回数の方が多くそれにも疲れました。95%くらいが「〇〇時から固定だからごめんね」でした。「今日は疲れてるからやだよーwやる気ないよーw」という断り方をしてくれる人の方が納得できたというか気持ちは良かったです。そのタイプの人は後日改めて声を掛けてくれることも多かったです。
しかし運営が一度示してしまったこの方針(「理解しています、大丈夫です」のミスる人に「理解していませんよね?」と何度も言ってはいけない)が続くようであれば「不慣れな人たちがあわよくばの気持ちで進行度や腕前をごまかし募集に入ること」が増えてしまうだろうし「面の皮が厚い奴ほど得を出来るゲームシステム」という事がさらに加速しただろうなと。やってらんね、となったわけです。
過去にUOやRO等を遊びネトゲ経験値の多い叔父が親戚にいます。もちろんこのネトゲも遊んでいた時期があり、魅力的なNPCやそのNPC達とダンジョン探索ができること等を評価していたけれど運営やシステムに愛想を尽かし辞めたそうです。ついでに「例の文についてどう思いますか?」と振ったらただ一言「民度やば」と。運営はなぜあの例文を公開したんでしょうか。謎です。
少しずつ蓄積していった不満もあります。この機会なので吐き出しておきます。確かにクリエイターという存在はこのネトゲにとっては創造主・神様かもしれない。けれどこのネトゲ内で数多く存在している「開発スタッフを崇拝する独特の空気」も最後まで理解することができなかった。ACTとも無縁だった一年くらい前の話。宝探しでハズレが出たときにスタッフの名前をチャットで叫ぶ行為が多発し、由来を調べた結果、率直に気持ち悪いと感じました。「(クリエイター崇拝を)気持ち悪いと思うならこのゲームは合わない。やめたら?このゲーム。」という風潮まであるらしく。そして、アップデート予定等をユーザーに伝える公式生放送でスタッフが着ていた私服が話題になり同じ品を特定し購入したユーザー達でとても盛り上がっていた…という出来事にも気持ち悪さを感じました。これは個人の意見です。
クリエイター崇拝といえば、冒頭から何度も書いている「奥様とアカ共有&デスクトップにACTのライター」は人として大嫌いです。悪い人という印象しかありません。その人の役職が何なのかすら実はよく理解していないのですが、大嫌いになりました。作家の人間性で作品や登場人物の善し悪しを決めたくはないけど、ファンを通り越した信者が「オキニのA君がカッコイイのは〇〇様が産み出してくれたからです!ありがたや~」とキャラ以上にクリエイター本人を持ち上げている内容が目に入ってしまって、そのキャラへの印象も残念ですが下がってしまいました。具体的ですが道を開けい!のお殿様はキャラとして結構好きだった。はず、だけど、気付けば苦手になっていました。お殿様に罪はないのに…
こうして今残っているユーザー層や運営の方針に愛想を尽かし、自分の分身でもあったキャラを消し、そのネトゲ世界から遠ざかるという決断をしました。
仕事で必要になった旧ノーパソのブラウザにランキングサイトが開きっぱなしで残ってたり、バージョンアップが控えているのもあって嫌でも情報が目に入ってきてしまった。道路ど真ん中のうんち踏んだ。
そしてよ。参加する事にずっと憧れていた海外コミュの大会がよ、発表されてよ?未練ダラダラだなおいって言われたらそこまでだ、その大会の種目内容じゃあ未練デロデロにもなるわクソが!
突如開催が発表されたその大会のエントリー締切日は今日なので、この遺言を見た実力者は自分の代わりに参加してきてください。よろしくお願いいたします。
もう自分のパソコンには、そのネトゲ本体もACTもランキングサイト専用のアップローダーも無い。
成仏しなきゃ。
最近、日本のスポーツ選手の活躍が著しいように思う。五輪のメダルの数も単独3桁を越えて113個。実に素晴らしい。
大谷翔平、八村塁、錦織圭、大坂なおみ、羽生結弦、張本兄妹に丹羽孝希などなど。他にもたくさんいるけど、流石にわしのアンテナでは拾いきれていない(そもそも五輪反対派だった故に見てなかったのもある)
さて、上に挙げたメンツはある特徴で分けることができる。タイトルを見れば一目瞭然だろう。
たかだかこの程度のことが気になるのだ。
数人挙げたが、個人的に特に気になってしまうのは大坂なおみだ。彼女は日本生まれで日本国籍のみを持っている、れっきとした日本国民である。
同時に、滅多なことでは日本に帰ってくることはなく、また英語を日本語以上に使いこなす。そしてその外観だ。
これは差別だ。よくないことでいけないこと。わかりきっている。我々は彼女を日本国民として迎えなくてはならない。個人的にも、社会的にも、世界的にもそれが然るべきである。
なのに、どうして「あれが日本人? 冗談はよしてくれ」なんて思いが浮かぶのだろうか?
最近、彼女をそんな形で意識するようになってから、改めてスポーツ選手を見返していった。そこにいたのは日本人だったが、日系人もまた多かった。
室伏広治は母親がハンガリー系ルーマニア人。王貞治は父親が中国人。サニブラウンは父親がガーナ人だ。
こうしてみると、わしの中の「日本人」という概念は屈服し敗北する。
あの人は日本人じゃなかったのか? こんなやつが実は日本人?? 日本人って一体何なんだよ??
一人思うが、言い出せるわけもなく、もちろん誰も答えてくれない。そんなことを言えば社会的に制裁を受ける。
そんなことを言ってはいけないんだよ。ヘイトスピーチは許さない。
わかりきっている。それでも考えずにはいられない。わかっていながらも勝手に考えが浮かんでくる。違和感を覚える。自然なもので、もう止められないのだ。
スポーツ選手で顕著にこんなことを思うのは、日本人……ではわしの感覚にそぐわない。「純粋な日本人の民族」として「大和民族」とでも呼ぼう。
特定戦術が極端に有利になるルールは改正する。それが国際スポーツ大会のルーリングの歴史である。
だが、この国際スポーツ大会の最上層に立つのは人間であり、それぞれのバックボーンがある以上、それに従って動いてしまう。
国際なんちゃらの最上層は、欧米人であることがほとんどだ。つまり彼らがルールを変えると、それはとたんに基本的な体格における差を生むことになる。
そんな中で日本人の活躍が著しい。それはおそらく日系人の活躍が著しいのであって、大和民族の活躍が著しいわけではないのだ(もちろん一部例外もいる)。
しかし考えてほしい。
これが競馬になれば持込馬やサラ系なんて言葉を使って区分けをするし、猫や犬の血統書だってそうだ。動物園の檻の中ならOKで、野山を下ってくるのはNG。害虫益虫なんでもござれ。
こうして色んなものを観察し区別し差を測ることによって、ヒトは様々な物事を解明してきた。こうなると、差を比べて別けることを止めることはできないのではないのだろうか?
でも差別はいけないのだ。人間に限っては人種や肌の色、生まれや言葉や体格に見てくれで差を比べて別けてはならないらしい。
ヒトの理性は生命という大きな枠組みに備わった、数億年は運用されているシステムを同族にだけ停止させることを是とした。
内心から湧き上がる同族でないものに感じる小さな思いを、その度に理性で踏み潰さなくてはならない。
そんな一般常識が認知され始めているのが現在だ。ここに至るまで、アメリカの南北戦争から数えたら160年も経っている。
あと160年もすれば流石にそんな常識が当たり前になってるだろうか? 子供の孫も死んだ後になるだろう未来のことを、仕事で冷めた頭で黙々と考えていた。