2021-11-06

差別がいけないのはわかりきっている

最近日本スポーツ選手活躍が著しいように思う。五輪メダルの数も単独3桁を越えて113個。実に素晴らしい。

大谷翔平、八村塁、錦織圭大坂なおみ羽生結弦、張本兄妹に丹羽孝希などなど。他にもたくさんいるけど、流石にわしのアンテナでは拾いきれていない(そもそも五輪反対派だった故に見てなかったのもある)

さて、上に挙げたメンツはある特徴で分けることができる。タイトルを見れば一目瞭然だろう。

そう、日系人か否かである

たかだかこの程度のことが気になるのだ。

数人挙げたが、個人的特に気になってしまうのは大坂なおみだ。彼女日本まれ日本国籍のみを持っている、れっきとした日本国民である

同時に、滅多なことでは日本に帰ってくることはなく、また英語日本語以上に使いこなす。そしてその外観だ。

これは差別だ。よくないことでいけないこと。わかりきっている。我々は彼女日本国民として迎えなくてはならない。個人的にも、社会的にも、世界的にもそれが然るべきである

なのに、どうして「あれが日本人? 冗談はよしてくれ」なんて思いが浮かぶのだろうか?

最近彼女をそんな形で意識するようになってから、改めてスポーツ選手を見返していった。そこにいたのは日本人だったが、日系人もまた多かった。

室伏広治母親ハンガリールーマニア人。王貞治父親中国人サニブラウン父親ガーナ人だ。

こうしてみると、わしの中の「日本人」という概念は屈服し敗北する。

あの人は日本人じゃなかったのか? こんなやつが実は日本人?? 日本人って一体何なんだよ??

一人思うが、言い出せるわけもなく、もちろん誰も答えてくれない。そんなことを言えば社会的制裁を受ける。

そんなことを言ってはいけないんだよ。ヘイトスピーチは許さない。

わかりきっている。それでも考えずにはいられない。わかっていながらも勝手に考えが浮かんでくる。違和感を覚える。自然もので、もう止められないのだ。

スポーツ選手で顕著にこんなことを思うのは、日本人……ではわしの感覚にそぐわない。「純粋日本人の民族」として「大和民族」とでも呼ぼう。

そう、大和民族にはスポーツで勝ち上がるのに限界があるのだ。

特定戦術が極端に有利になるルール改正する。それが国際スポーツ大会のルーリング歴史である

だが、この国際スポーツ大会の最上層に立つの人間であり、それぞれのバックボーンがある以上、それに従って動いてしまう。

国際なんちゃらの最上層は、欧米人であることがほとんどだ。つまり彼らがルールを変えると、それはとたんに基本的な体格における差を生むことになる。

そんな中で日本人の活躍が著しい。それはおそらく日系人活躍が著しいのであって、大和民族活躍が著しいわけではないのだ(もちろん一部例外もいる)。

こんな考え方をすること自体差別なのだろうか。

しかし考えてほしい。

これが競馬になれば持込馬サラ系なんて言葉を使って区分けをするし、猫や犬の血統書だってそうだ。動物園の檻の中ならOKで、野山を下ってくるのはNG害虫益虫なんでもござれ。

こうして色んなものを観察し区別し差を測ることによって、ヒトは様々な物事を解明してきた。こうなると、差を比べて別けることを止めることはできないのではないのだろうか?

でも差別はいけないのだ。人間に限っては人種や肌の色、生まれ言葉や体格に見てくれで差を比べて別けてはならないらしい。

ヒトの理性は生命という大きな枠組みに備わった、数億年は運用されているシステム同族にだけ停止させることを是とした。

内心から湧き上がる同族でないものに感じる小さな思いを、その度に理性で踏み潰さなくてはならない。

そんな一般常識認知され始めているのが現在だ。ここに至るまで、アメリカ南北戦争から数えたら160年も経っている。

あと160年もすれば流石にそんな常識が当たり前になってるだろうか? 子供の孫も死んだ後になるだろう未来のことを、仕事で冷めた頭で黙々と考えていた。

  • 価値観を共有する人に親近感を一番覚えるんだわな。出羽守みたいなやつらより飲食店で働いてる外人の方がなんとなく近しく感じる。

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