はてなキーワード: 言ってはいけないとは
うぁ~!わかる~!
阪神矢野もこーゆー洗脳系コンサルタントにハマって世間からドン引きされたわけやが
言っちみりゃ「絶対にノーと言ってはいけない」みたいなパワハラ外部委託サービスなんだけど、経営者が洗脳されるパティーンくそ多いんだよな
https://twitter.com/washburn1975/status/1514173583857451011
たぶんこの「優等生や学校の風紀委員」てのも現実のものじゃなく学園アニメかなんかを基にして考えてるんだろうな。一から十まで妄想だけで出来上がってる。結構長いことネットで見てる名前だから、それなりの年代になってるはずなんだけどな。どんな生活してきたらこうなるんだろう。
なんてひどいことを言うんだ。こいつが大学の時に2chでさんざん自分の容姿をいじられてコンプレックスを抱え、大学を卒業した後就職に失敗して青果売りをやってるブラック企業しか就職先がなく、あっさり会社にすりつぶされそのあと10年間ずっと無職のニートであることは古参のはてなユーザーであるワッシュなら当然知ってるはずなのに。知ってて「どんな生活してきたらこうなるんだ」という揶揄をしたのだとしたら性格が悪すぎる。
https://anond.hatelabo.jp/20121209083635
https://anond.hatelabo.jp/20140704171301
人には言ってはいけないことというのがあるんだぞ。「こいつは風紀委員にとりしまられてた劣等生がそのまんま大人になった感じだから」とかそういうことを言ったらもう戦争だろうが。
俺、すごいことに気づいたかもしれない…。ツイフェミさんが作品の内容に関わらず、「胸の見え方」「スカートの丈」「男女比」「年齢」「男性の性欲を刺激してないかどうか」をチェックしてるけど…これ、よく考えたら同じことしてるのは【昭和の中学高校のブラック校則を守らせてる教師】じゃん…これに気づいた途端に、「ツイフェミさんって、逆に優等生や学校の風紀委員がそのまんま大人になった感じだから、模範的な行動とか、権力のある人間がすることのイメージが、昭和の学校で止まってる??」みたいなことに気づいてしまったんです。事実、知識人と呼ばれる職業の人は多いし…
Iカップのいかにも大人しそうな女子中学生がいたら、うわっデカいなって思うじゃん。
隣を歩いてた友人が思わず「でか!」と口にしてじろじろ胸を見たとして、それに気づいた女子中学生の顔が真っ赤になったとして、友人に対して確かにデカいから仕方ないと思いこそすれ本気で怒ったり引いたりはしないだろう。
口では「やめろよ」と笑いながら言ったとしても、男なら気持ちはわかる。たとえば通りすがりにその爆乳に肘が当たったことを自慢されても気持ちはわかる。楽しく遊んでいる最中に本気で咎めて空気を悪くはできない。
男なら仕方ない。爆乳なら仕方ない。女の子は別に嫌そうな顔はしてなかった、と思うだろう。
小学生の頃から通りがかりに卑猥な言葉を投げつけられたり偶然を装って胸を触られたり教師にニヤニヤしながら凝視されたり同級生の男子にふざけて羽交い絞めにされたり、そういうことがしょっちゅうあったけど中学生らしからぬ巨乳の女子中学生だから仕方ない。
「やめてほしい」と本気で言うと、誤魔化すように笑うか空気を読めよとキレられる。巨乳のくせに本気で怒る私のほうが間違っているかのような雰囲気。
顔色を変えず上手く躱すようになることが大人の女性の本当の賢さだと社会は言っていた。ほんの十年前まで、たわわな女子中学生・高校生は性的な存在として扱われるのは当然だと社会のさまざまな場所で広告されていた。
建前上はやってはいけないことだが、実際にそれが行われたのを見た大人の男は「気持ちはわかる」「男の本能だから仕方ない」と言う。この苦しさは、ずっと欲情させる身体に生まれてきた自分が招いたことだと信じていた。
この巨乳はあまりにも人目を引き、これまで接した男性たちに「この女は性的な存在として嘲笑していい」というメッセージを送り続けた。
私に大小の性的な接触をしてきた人々は決して低能でも粗暴でもなく、普段は人のいい友人たちだ。ごく普通の善良な男性に性的な欲情を起こさせ、ラインを超える言動をさせるのは、私の身体だ。
私自身は重度のオタクだし、自由主義者であり性的表現規制には慎重な考え方だ。
だが同時に、私が子供の頃から好んで読んだり見たりしてきたメディアで示された性的表現に自分が影響されてきたことも知っている。
周囲に溢れるバラエティやドラマ、漫画やアニメによる刷り込みで、コミュニティの中で性的なアイコンとして振舞うように求められるのは当然だと学習してきた。
辛いと感じるのは私が弱く、大人のスキルをもっていないからだと思っていた。
大学でジェンダー論に触れ、あるいはいくつかのフェミニズム論に触れて初めて私は怒ってよいのだと言ってもらえたとき、目からうろこが落ちたようだった。
それまでずっと私が受けた性被害は性被害ではなく、それは私自身が招いたもので、受け流せない自分が悪いと思っていた。
私の身体は私のものだと言ってはいけないと思い込んでいた。私の身体のせいではない、社会が間違っている。この社会を変えられると言ってもらって、涙が出た。
漫画やアニメが実際の性犯罪を惹起する確率は低い、というのは理解している。
だが私は漫画やアニメから「性的な存在として振舞うのが正しいあり方です」というメッセージを受けとって成長してきた。
データを示せと言われたら困る。私は持っていないのでこれはn=1のただのお気持ち表明だ。
これから性被害を受けるかもしれない子供たちに、それを肯定するような表現を見せたくない。あなたの身体はあなた自身のもので、踏みにじられそうになったら本気で怒っていい。あなた以上にあなたの周囲の大人たちも怒ってあげると言ってあげたい。
私が公的な場所での性的な表現をやめてほしい理由はこういうことです。性犯罪を誘発しかねないという理由で性的表現を批判していることについては否定的に見ています。
コイツ……ついに来るところまで……
今まではコロナに対する逆張りや全方位政党批判(主な話題は給料もらいすぎなのにワイロも貰うのかよ)だったので皆そこそこ相手にしていたがこれにはあまりのヤバさには全員スルー。
ネットでなら言っていい冗談とリアルでは言ってはいけない冗談の区別ぐらいつけろよ。
おまえもうアラフォーだろ
日本語で解説されてるアメリカの世論を整理するとこうなんだろうか?
→「たとえ相手が誰だろうと」言ってはいけない冗談がある。ってのが日本的な考え方なんだろうね。その人の社会的地位がなんであれ、その人だって感情のある一個人だっていう日本の考え方のが好きかな。
ノブレスオブリージュって良い考えだとは思うけど「多く持ってるんだから多く供出しろ」ってのはわかるけど、「多く持ってるんだから嫌なことも文句言わずに引き受けろ」ってのは違うんじゃないか
→黒人スタンダップコメディアン(?)というのの立場がよくわからんが、彼は守られるべき弱い立場の人間。というのもよくわかんない。アメリカ的考え方なのかな。ステージに立ってるちゃんとした大人で、守られるべきってのがよくわからん。ステージに立ったら大御所も端役も子役も、みんな一人前の一人の仕事人ってなるのが日本的考えな気がする。というか自分はそうだ。
誰だって言っちゃいけない事言ったら、言い返されるべきなのでは? 彼はXXだから彼の発言を否定するな。って、その考え方こそ、「XXな彼」を対等な人間扱いしてないと思うんだけど。
黒人というカテゴリがないからよくわからんのか…そもそもこれ、黒人が黒人を殴っているから、日本で言うならネパールカレー屋の裏でネパール人オーナーがネパール人バイト殴ってるみたいなもんで、欧米世論的には自分とは別のパッケージの中の出来事なんじゃないか…(ネパール人さん、例に出してごめん)
→日本人、いうて平手打ちくらいはいいだろって思うよね。まして成人男性同士なら別にいいだろって。向こうの人にはこれは「成人男性同士」という同じカテゴリ同士の出来事とは見られてないみたいだけど
そうか。
アメリカは自分の考えよりずっと「強い方の行動を制限して弱い方に保護と免除を与えよう」って考え方なのかもしれん。
あの二人にそもそもそんなに格差があるというのがよくわかんない。というか、守られるべき弱い立場ってのがまったくピンとこないんだけど。
それは日本がアメリカよりは平等だからなのか、それとも自分が弱い側だからなのか、それはわかんないですね。
アカデミー賞授賞式という公の場で、その発言は許せなかったという個人の感情を主張するな。
→これはわかる。心底ムカついても我慢しなきゃいけない場面はあるよな。
…という意味ではなく、実運用ではお気持ちで運用されまくってるのでクソ、というお気持ち表明
今回のアカデミー賞でウィル・スミスがクリス・ロックを殴った件
と、ポリコレがインストールされてない自分から見れば点数は違っても全員赤点なのでダメ、という感想を持ったが
ポリコレをインストールした人達は上記のような感想でびっくりした
別に、これがスタンダップコメディショーならウィル・スミスは空気読めないやつ、と思うけど、アカデミー賞の会場だぞ?!
と、本番当日でもポリコレ感MAXのアカデミー賞だぞ??!!!
がウィル・スミスより問題視されないってことは、ポリコレの「偏見・差別を無くそう」という問題提起は、暴力以外なら「ジョークでした」で解決する、ってコト…?!
こんだけポリコレ感を出しまくってるアカデミー賞でさえこのザマなんだから、ポリコレの「偏見・差別を無くそう」という思想をお気持ちに左右されず運用できる団体は存在しないはず
私もひとり学級、その小学校の最後のひとりだった。姉がいたため、小学四年生からはひとりとなった。対する先生もひとり。平屋の木造、瓦屋根の校舎と体育館。掃除は行き届かず、色ははげ、あらゆる木材がささくれだっていた。
もともと小さな小学校だった。次第に人は減り、子供もいなくなり、私が最後の生徒となり、卒業と同時に廃校になった。生徒がいないのだから当たり前ではある。
4年間同じ先生と過ごした。当時は想像しなかったが、この4年間は彼女にとってどういう時間だったのだろう。通勤は価値があったのだろうか。最後まで見送ってくださったのは、義務感からか辞令がなかったからか。そもそも廃校について私をまっていた行政の判断もよくわからない。
前述のとおり、すべてが木造で、木の味とはその校舎内の雰囲気、空気の味だ。匂いではなく、味である。
中学生となった姉は、ついにできた友達と遊ぶのに忙しく、また学校が楽しいためか、私とは近いながらも疎遠になっていった。姉にしてみれば中学生と小学生は大きく違ったのだろうし、その年頃のその気持ちは想像できる。
記憶を探っても、先生がここでの仕事を嫌がっている顔は思い出せない。できれば彼女にとっても嫌な思い出ではないことを願ってやまない。
授業が終わると、なにもなく帰宅する。学校から自宅までは20分もかからなかった。舗装されていない、たんぼの横の道を走ったり、歩いたりしながら帰宅する。夏は暑く、冬は寒い。そして寒い期間が長かった。田舎なんてものではなかった。
帰宅しても祖母がいるだけで、ひとりだった。帰り道のほうがよほど遊べた。帰宅するとひとりだと痛感した。木造の暗い家。うちが特別くらいわけではない。今の家が明るすぎるのだ。当時の家はどこでも暗かった。
「明日ちゃん」では、明日ちゃんの毎日ばかりが奇麗にかかれるが、妹の毎日はまったくかかれない。ひとりの彼女がなにを想って、野辺を歩き、学校で過ごし、自宅で母親とふたりですごしているのかはわからない。たぶん、とてもつまらないのだろうけれど、つまらないと言ってはいけないと、幼心にわかっているのだろう。私のように。そう願う。
あそこで暮らそうと決心した両親の判断は当然正しい。
小学校を終え、中学校へと移ったが、ほとんどひとりで過ごした。高校、家を出てからの大学、院も大して変化はなかった。そして、ひとりがずいぶん長くなった私は、今でもひとりで生きている。違和感もなければ、欠損感もなく、閉塞感もない。ただただ、子供のころからのひとりが延々今に続いているとだけ思う。
友達がいる状況を経験しないと、友達がいない状況への恐怖とか、飢餓感とか、違和感とか、閉塞感とか、劣等感とかを受け取る脳の部分が発達しないのだろう。
ぼんやりと、人と人の線の隙間に私は立っている。そして呼吸は木の味がする。
それは「音を外すな」である。
それくらいホルンは、音が外れやすい楽器として世界的に有名なのだ。
それも「プルッ」という耳障りな音とともに、全音とか半音とか平気で外す。しかもしょっちゅう外す。
これは学校の吹奏楽部出身のアマチュアだけでなく、プロでさえ高頻度で外すため、純粋なクラシックのCDなど、OKテイクの継ぎ接ぎで作られるのが当たり前。
生演奏でホルンソロとか来た日には、他の演奏者はもちろん指揮者も観客も、揃って「外すなよ…」と神仏に祈ることになる。
というか「祈らせる」という意味では神父や坊さん以上に「良い仕事」してるので、これには神様も仏様もニッコリ?知らんけど。
ついには「世界一難しい金管楽器」としてギネス登録され、更にホルンで音を外すこと=「キークス」という名詞が用意されてしまった。
ではなぜホルンはそんなに音が外れやすいのか?可能な限り端的に言うと
「低い音が得意な楽器で、非常に高い音を常に吹かされているから」
ということになる。
もう少し詳しく言うなら
「ヘ音記号の音域が得意な楽器で、いつもト音記号の音域を吹いてます」
と書けばわかるだろうか。
つまり、ホルンの美点である「甘く柔らかい音」は「低音楽器で超高音を吹く」という無茶振りによって成り立っていると、こういうわけなのだ!
なので「管の長さを短くして音を当てやすくする」のは、音色的な意味であまり良い解決法じゃなかったり。
これはフルートを半分の長さにしたピッコロが、フルートと同じ音なのに全く違う音色に聞こえることと、ほぼ一緒の理由と言っていい。
とはいえ、プロでも音を外しまくる楽器なんて、これもう普通に楽器の欠陥じゃね?と思うわけ。
実際、上に書いた事情を知ってもなお、ホルンで音を外されるのは非常に不愉快だし。
なので、そろそろ現代のハイテクとやらで「管を短くする」以外の解決法を発明してほしいのだが、一向にそんな気配はない。
困ったもんだ。
おまけ
「世界一難しい」とか書くと必ず「尺八はどんくらい難しいの?」などと愚にもつかない事を訊いてくるアホがいるけど、
「世界的に無名な日本の民族楽器なんて、誰も難易度とか問題にしません。尺八を吹く虚無僧が世界中の街角で当たり前になってから、もう一度おいで下さい」
で終わりなんで、そこんとこよろしく。
おまけ2
更にフルートが取り立てて難しい楽器とされていないどころか、本邦ではアマチュアのフルート奏者が多数存在することを踏まえれば、自ずと難易度は把握できるわけで。
近年小学校でも男女平等を学ぶ授業が行われるようになったが、人権問題系の授業は教師個人の思想が強く反映された内容になりがちである。文部科学省から配布されたテキストを読み上げるだけでも授業が成り立つようになっているのに、教師がかなり偏った思想を披露するだけで授業が終わることがある。
約10年前、小学校中学年の頃の担任は真面目で厳格な30代の男性教師だった。男女の人権問題に対しては疎いどころかかなり敏感だった。現在のように男女平等や人権問題がよく議論されるようになる前の時代である。ただ、この男性教師は非常に独特な思想を持っていた。
男女平等を学ぶ授業では、教材は完全無視で、過去の自分のエピソードを語り始めた。ざっくりまとめると以下のような内容である。
・その女の子は背が低かったのできっと背が高い僕に対する差別意識があったのだろう。言われたわけではないがそれ以外の理由が見当たらないので間違いなくそうだ。
また、ある日の休み時間に「日本人の平均寿命は男より女の方が長いんだって!」と友達にうんちくを披露したところ、近くで会話を聞いていた担任が男のほうが早く死ぬなんて言ってはいけないことだとブチ切れたことがある。放課後、この件で親に電話されたことを覚えている。
数年前、この男性教師は公共交通機関内での痴漢容疑で逮捕された。一応真面目な印象の教師だったので元生徒の親たちは冤罪ではないかと話していたが、あの激しい思い込みと偏った思想持ち主なので、個人的には本当にやった可能性が高いと思う。