はてなキーワード: 解決とは
たかがセックスくらいで、と思うだろう。俺もそう思うんだけど、自己肯定感が恐ろしく下がっている。
妻のことが好きで、毎日一緒にいて仲良く話もするのに、指1本でも触れると拒絶される。キスもハグも嫌がられる。
付き合っている頃から「子供は2人ほしいね」なんて話していて、その2人目が終わったあとに急変した。はじめの話し合いでは家事をもっとやってほしいとのことだったので、生活態度を改めることで一時的にレスは解消したものの、「やっぱり無理」と突きつけられた。
妻が提示した解決案は「外で解消してきてもいい」とのことで、マッチングアプリで相手を探したりもした。でも、その時に気づいたのが俺は平和な家庭を求めていることだった。夫が不倫をする家庭に待つ未来はただの破滅で、そんな結末は一切望んでいない。
俺がセックスを我慢したら解決することもわかってるけど、どうしてもそれができない。妻と話すたびに好きだなあって思うから。そこからセックスに結び付かない思考がわからない。そして、俺にとってのセックスは、妻に俺という存在を認識してもらうためのツールになりつつある。だから、セックスに誘うことは俺の存在に対する踏み絵だ。拒絶されることを前提に誘うときもあったので、今思えば自傷行為に近いものでもある。
…なぜ今こんなにも気持ちが乱れているかというと、最近夫婦関係が好調で居心地がよかったので、「9月にセックスしない?」と久しぶりに誘ったらOKをもらえて、デートの約束もこぎつけられた。先週土曜日は本当に楽しく過ごしたんだけど、9月になった日曜日に妻が激怒した。「こんな汚い家なんて嫌だ。大嫌い。1人になりたい。あなたは家事をしない。頼りなさすぎる。許せない」と。はたから見たら積もり積もった感情が爆発したとしか考えられないと思う。俺からしたら、大手を振って9月のセックスを拒絶するための殺し文句にしか聞こえなかった。同時に、ここ数ヶ月の穏やかな日々が唐突に崩壊したショックが襲ってきた。仕事のストレスに苛まれている最中だったということもあり、この出来事は俺のメンタルを一気に突き落とした。自分っていう存在はいったいなんなんだろう、離婚をして1人で暮らすのはどうだろうか、でも子供といられなくなるのは嫌だ、仕事をやめて自由奔放に暮らすのはリスクがデカすぎる、実家に帰ろうが両親が生きがいにはならない。そうやって消去法を繰り返していくと、一番気楽なのは自殺することだと結論がでた。
近日中に、ダメもとで「セックスをしたい」と誘い、ふたたび踏み絵をしようと思う。これは生死の踏み絵だ。もしダメだったら、10月下旬に北海道から旅行にきたおじさんがダムから飛び降りるので、ニュースがでたら「セックスレスおじさんが死んだ」と笑ってほしい。
…そういえば、序文でセックスレスで自殺しますと書いたけれど、もともと自己肯定感はかなり低いほうだ。ふりかえれば、自力で成し遂げたものなど皆無に等しい。学生の頃は忘れ物が多かったり、理科の実験は見ているだけだったり、発達障害に近いものがあったり、軽くハブられる時期があったり、自分の顔が嫌いだったり、そもそも何かに縛られるのが苦手で学校は時々サボってたし、今も会社に時間を縛られてるだけでストレスを感じるし、なんか色々な生きにくさからアイデンティティが確立しておらず、セックスレスは自殺のただのきっかけにしか過ぎないのかもって思ってる。今までの人生経験で、生きるための土台よりも、自殺するための土台のほうがしっかり出来上がっちゃったんだろうなあ。
そして、学生の頃は両親が存在を最大限に認めてくれていたけど、今は妻に存在を認めてほしくて、でもその妻に拒絶をされて自分が迷子になっちゃってるんだと思う。
自殺をしたら、その時に改めて俺の存在に気づいてくれるかも、っていう妻に対する憎愛もあるんだよね。その時くらいは後悔してほしい。「清々した~!!これでようやくバレずに過ごしてきた不倫相手と一緒になれる」「新しいお父さんだ!やったー!」なんて会話繰り広げられたらあの世でも自殺できる自信あるからやめてね。
差別について議論するなら、以下のような内容は「文系」的には常識なので、わざわざ「賢い僕が発見したよ!」みたいに主張されると萎える。
・そもそも人間の思考(言語の構造)自体が、何かと何かを分けてグルーピングすることによってしか成立しないので、あらゆる区別を差別と呼ぶなら、極論すれば(たとえばニワトリをニワトリ、女性を女性と呼ぶことまで含めて)全ては「差別」であり、それが不当であるか否かは「程度問題」である。
・従って、通常は「世間的に見て『不当』と判断するもの」を「差別」と呼ぶことになっており、そのため一般的な用語としての「差別」という語には、「不当なものである」という含意がある。(従って自民党の付け加えは無意味であり、逆に余計な含意をもってしまうので有害ですらある。)
・図示するとこんな感じ。( /数字/ は その語の使い分けにおける境界線を指す。たとえば⑴は「A混沌(と呼ばれるもの)」と「B区別(と呼ばれるもの)」の間の境界線を意味している。)
ただし、何者も区別しない「A混沌」については、何も思考することができない、言語以前の領域なので、思考し論じる対象にならない。
通常ここに明確な境界線があると考えている人が多いがそれは誤解である。確かに、「時代や文化が変わっても、明白(に見える根拠)があり、人為が働かない(ように見える)弁別がある」違いというものはあるため、たとえば液体と固体、水と氷を分けることは明白に「B区別」であり人為が関与しないかに見えるのも事実だが、たとえば水と湯を分ける境界線が日本語と英語で異なり、色の弁別が言語によって曖昧であるように、「認識」が関与する限りそこに見いだされた「差」は人為的なものであり、人の「価値観(すなわち偏見)」から自由になることはない。その意味で「B区別」と「Cグレー」の差も所詮「程度問題」である。スポーツにおける男女分け、のように、かつては「B区別」と考えられていたものが、ジェンダー論の発展や女性の地位向上など諸々の状況から、「本当に合理的な区別であるか」が問い直されている、などの例は、「B区別」から「Cグレー」ではないかという議論が起きている例であり、逆に、近代以前は大人と一緒くたにされていた「子ども」を取り出して教育の機会を与え、社会で保護しようという風に変化したのは、「Cグレー」から「B区別」へと変化した例である。
ここを明確に区分できるというのは、いわゆる「ためにする」差別議論を行う人の大きな誤解である。この境界線は決して「明確に区分・定義」はできず日々揺らいでおり、またその状態がもっとも健全な状態である。あくまで、どこで線引きをすることが社会の安定と発展のために寄与するのか、を主眼として、「D差別(明らかに行ってはならない区分け)」なのか「Cグレー(判断がつきにくい、不当に見えるが法的な規制も行き届かない)」の判断は、常に慎重に検討される必要がある。その際、社会が全体主義的(全体の幸福のために少数の犠牲は許容される)なのか民主主義的(少数の意見も他の意見と同等に重視される)なのか、によっても当然判断は異なることになる。また、Cと判断されたからオッケーではない、というのも重要な点であって、その判断が妥当かどうか、いま必要で重要な問題かどうか、判断時点からの状況変化、対象が曖昧でないかどうか、など、不断の議論が欠かせない。
さて、それを踏まえて話を牛角に戻そう。
サービス業における女性優遇キャンペーンの是非、いわゆる「レディスデー」問題は、男女という一見明確な「B区別」に依拠しているように見えても、その区分の合理性自体が「程度問題」に過ぎないこと、また、「女性の受けるサービス料金は男性が負担させられているのでは」という疑念が拭えないことなどから、「Cグレー」であると判断されるが、ではそれを「D差別(明確に是正すべき不当な行為)」と判断すべきか否かについては、行き過ぎと感じる人も多いのが現状かと思う。そのことは、牛角に限らず、多くの「レディスデー」キャンペーンを実施する店舗で、逆に男性から忌避されるなどの大きな営業上の不利益が出ていないことからも了解される。そもそも、映画にせよ焼き肉にせよ、提供者も多いことから、忌避するにしても他の選択肢があるわけで、ぶっちゃけ「大多数の人にとってはどうでもいい」問題に属する。では、なぜ「差別だ」と騒ぐ人がいるのか。
話が変わるように感じるかもしれないが、類似の例として、一部の広告を取り上げて「女性差別だ」と騒ぐ事例を考えたい。企業が営利目的でやっていることで、それ自体が積極的な被害を引き起こし法的に規制する必要があるとまでは多くの人が認識しない(つまりDではないがC)ものだが、これについても「差別だ」と騒ぐ人がいる。これは、何も学問的に見て明確にCとDを峻別してDだと判断できる、という話をしているわけではなく(もしそう信じている人がいるとしたら、それは相当に×××)、騒ぐことそれ自体によって人々の気分を醸成し、結果として社会状況自体を変化させようという社会運動(一種のデモ、まさにデモンストレーションという意味で。)の一種なのだ。誤解されているが、今日フェミニズムと呼ばれているものの多くはこの「デモ」であって「学問」ではない。(※)だから、騒ぐ人たちはおおむね一般常識とは異なることを主張する(常識的なことをデモで声高に述べる意味はない)が、その人たちが声高に述べることが「正しい」と証明されているわけではないし、その人たちも積極的にそれが「正しい」ことを証明したりはしない(証明できるならデモより論文で書く)。騒ぎになることこそ、デモの狙いなのだ。つまり、これに顔を真っ赤にして反論しようとするのは無意味というよりむしろデモ側の応援をしているのと同じである。従って、意見に賛成できない場合も、デモ自体はスルーして別のところで意見表明なり社会行動をするなりした方がよいと思う。
これを踏まえて、もう少し具体的に書く。「たわわ」や「宇崎ちゃん」を批判したフェミニストの狙いは激しい批判を巻き起こすことであり、それは社会運動として一定成功した。では「牛角」批判をする人は、男権主義者として失われた権利を獲得するため戦略的な意図でデモを行っているのだろうか、それとも、論理的に「レデイスデーはDであると証明できる」と考えて証明しようとしている人なのか、あるいは単に「この件で女性相手に憂さ晴らししたい」というルサンチマンに過ぎないのか。私は、そのいずれであってもこれは無意味な行動だと言いたい。
「たわわ」も「宇崎ちゃん」も、それらが女性差別「的」かと言えばそう論じることはもちろん可能だろうが、それを「D差別だ」などと言い切れば社会的には表現規制を強め過ぎる無意味・有害な主張であると思うし、それ以前に指摘し是正すべき有害で明確に「D差別」な女性差別が世の中にあふれているのだから(風俗業、芸能界などにおける性的搾取などはその典型だ)運動論としても拙劣だと思っているが、それらが激しい反応を引き起こしたという一点では運動論として評価することも可能かと思うし、その結果が女性の地位向上にわずかでもつながったのなら全く無意味とまでは言えないと思うが、「牛角・レディスデー」問題については、まず男権主義をこれ以上社会で伸張させることにはおそらく社会的合意は得られないだろうし、論理的証明は上で述べたようにほぼ不可能であり無意味でもあるし、ルサンチマンならそのエネルギーはもう少し建設的なことに使用した方がよいと思っているので、運動論としても学問的な意味でも、また俗論としても、とるべきところのない議論だなあと思っている。
仮に、真剣にいわゆる「弱者男性」問題を憂えているのなら、男権主義の伸張という方向でそれが解決されることはもう無い(過去一時的にあった「男というだけで威張ってるオッサン」があふれる社会に戻したい、などという主張は、当の男性からのものも含めて今後社会的合意を得ることはできないだろう。可能になるとすれば、そういう一派を集めてたとえばイスラム教勢力と結託し革命を起こして政権を奪取するくらいしかないだろう。)ので、機会平等社会の下で結果平等をいかに実現するかを考えるしかなく、つまり一種のアファーマティブアクションでしか対処方法がない。なので、そのためにはまずいわゆる「弱者男性」とそのルサンチマンを可視化し、それを救う方策を具体的に検討するのが近道だと思う。将来的には、たとえばVR空間へのアクセス権やアンドロイドの配布などが現実的な解かもしれない。いずれにせよ、牛角が女性サービスするかどうかなんて、それらに比べればおおよそ「どうでもいい」話で、議論したところで現実の弱者男性は一つも救われず、差別に関する社会的認識や理解など1ミリも深まらないし、一瞬の憂さ晴らしにしてはただの焼肉屋に迷惑がすぎるので、さっさと辞めた方がいいと思う。
※…もう少し丁寧に言うなら、主に「社会運動」を企図した活動であって、多くの人に認められうるような論理に基づき常識を解体・構築する「学問」的活動とはまた異なるところに主眼がある、ということ。後者は観測対象を描写・分析・記述するものだが、前者は積極的に観測対象を変化させることを目的としている。なお、社会学者の中には、学問の存在価値は現実を変革し社会運動となることにこそあると主張する人もいるが、その場合も、分析・記述に十分な力があるなら、それは自然と社会の常識を解体・再構築するであろう、という意味であり、観測対象の描写・分析・記述が"いい加減"であっても社会を変革できればいーや、という意味ではないと思う。
・増税回避のために支出削れと言ってる人は確かに支出対象にコミットしてはいるが、目的は増税回避であり支出削減さえできればいいので総合的な観点が求められる支出のチェックとは根本的に異なる行為なのではないかと思う。
・納税者意識による政府支出対象のチェックみたいなのは自身が払ってるから有効活用されているか気にするという話であって、政府の支出は気にするが自身の払った税金が納付されてるかどうか気にしていないのなら、それはなにか別の意識なのではないかと思う。(まあ税金や金の実態の話を置いておくとして)
・そもそもの話として納税者意識による政府支出のチェックという発想自体が詭弁や飛躍、机上の空論の類なのではないかと思う。
大多数の国民はそんなことをする知的リソースも時間・労働リソースもないし、個々人が政府支出の問題を見つけたところで何の解決にも向かわないことぐらいは理解しているであろうし冷静に考えられる人はそもそもこんな不毛なことにコミットしないだろう。
・段位があるので「偉くなった」気がしてしまう
それ以外のスポーツでも上に近い部分はある。
野球だろうがサッカーだろうがスポーツをして筋肉をつけると他人が怯えて勝手に忖度してくれるようになる。
それに慣れてくるといつの間にか「自分は忖度されるのが当たり前」となり頭がおかしくなっていく。
そもそも論としてスポーツをやるとアドレナリンが過剰に出て脳みそがおかしくなる。
戦闘状態のメンタルに晒されることで戦争帰りのような凶暴さが身についてしまう。
また、アドレナリンの影響で自分の勝ち負けへの拘りが強くなり協調性が失われ、敵味方の感覚で世界を見るようになる。
とりわけ対人型のe-スポーツは
・界隈では強さによって発言力が決まる
・ランクの高さで他人や発言を評価するようになり判断力が失われる
といった問題を抱えており、この問題は「◯◯道」が抱えている問題と似通っている。
「◯◯道」と対人ゲームはほぼ相似形と言えるし、現代の「◯◯道」こそが対人ゲームとも言える。
たとえば
「◯段ない程度の奴が偉そうなことを言うな」⇔「ランクが◯未満の奴に発言権はない」
「これ以上は埒が明かないから試合でケリをつけよう」⇔「レスバになったらルームマッチ」
といった形で同じ文化圏にいるとしか言えないレベルで似通った発言が両者の界隈には存在している。
現代社会において、私たちが直面する最大の憂いの一つは、日々の情報が馬鹿げた話題で溢れかえっているという現実である。このような状況は、私たちの精神を蝕み、深遠な思索を妨げるものとして、静かに、しかし確実に私たちの生活に影響を及ぼしている。
情報技術の発展により、私たちは膨大な情報にアクセスできるようになった。しかし、その多くは浅薄で一過性の話題に過ぎない。メディアは視聴率やクリック数を追求するあまり、センセーショナルで軽薄な内容を優先し、本質的な問題から目を逸らさせる。このような情報の洪水は、私たちの注意力を散漫にし、深い思考を阻害する。
このような環境下で育つと、知識や教養を追求する意欲が薄れ、知性が衰退していく危険性がある。私たちは、物事の表面的な部分だけを捉え、深く考えることを避けるようになってしまう。哲学や文学、科学といった深遠な分野に対する関心が薄れ、代わりに短絡的で即時的な満足感を求めるようになる。
この知性の衰退は、社会全体にも深刻な影響を及ぼす。複雑な問題に対する議論が浅くなり、短絡的な解決策が優先されるようになる。民主主義の根幹である熟慮と対話が失われ、極端な意見が台頭する危険性が高まる。
しかし、このような状況に対して私たちが無力であるわけではない。知性を尊び、深い思索を重んじることは、個人の選択に委ねられている。私たちは、意識的に質の高い情報を選び取り、深く考える習慣を身につけることができる。読書や対話を通じて、知識を広げ、視野を深めることが可能である。
馬鹿の話題ばかりが溢れるこの時代において、私たちが失ってはならないのは、知性と深遠な思索への渇望である。それは、私たち自身の内なる豊かさを育むだけでなく、社会全体の健全な発展にも寄与するものだ。私たちは、浅薄な情報の波に流されることなく、自らの知性を磨き続けることで、より良い未来を築くことができるのである。
「女」の括りにしたからよくなかった。
ここはもう
「身長165センチ未満 かつ BMI22未満の方、または 身長165センチ以上 かつ BMI18未満の方限定で割引」
でどうよ。
痩せの大食いだけ得すればいいさ。
元増田じゃないけど
家族に剛毛天パいて何とかしようとしたけど、根本的解決は難しいんじゃないかと思ってる
とりあえず髪にダメージ与えずできるだけ柔らかくすることがポイントだと思う
髪の毛って熱加えると硬くなるから、頭洗う時40℃以上にしない(自分は38℃で洗ってる)
タオルドライはワシャワシャにしないで、ぎゅぎゅっと押して水を吸わせる。
ドライヤーも20センチ以上離して、頭皮を熱風で、毛を熱風と冷風の中間で乾かすようにすると、今まで熱与えてた場合多少ゴワゴワ感無くなるかも
(Panasonicナノケア/ダイソン/サロン専売ドライヤーなど)
あとはシャンプーとかも、市販のはキシキシしてダメージ入るからサロン系のにして髪質柔らかくなるようにするくらいかな
縮毛とかもあるけどあれは頭皮にダメージもあるし男の人だと頻度高くて大変そう
ブラッシングは頻繁にしっかりやる
会員のレベル上がってるというより
こういう人が増えた
そして↑同士でくっついて消えていくので弱者の出る幕がマジでない
30代半ば女でも30代男と結婚できた
でも今はもう無理だよ
解決策としては男女ともに見た目磨いてできるだけ早く入会すること
詰みです、お疲れ様でした
タイムマシンの数理モデルを作成するのは非常に複雑で、現在の科学技術では実現不可能な課題だ。
以下に、タイムマシンの数理モデルを考える上での要素と概念を示す。
タイムマシンの理論的基礎として、アインシュタインの一般相対性理論が不可欠だ。この理論は、時空の曲がりと重力の関係を説明している。
数式: Gμν = 8πG/c^4 * Tμν
ここで、
タイムトラベルを可能にするためには、閉じた時間的曲線(Closed Timelike Curves)の存在が必要だ。
数式: ds^2 = -c^2dt^2 + dr^2 + r^2dθ^2 + r^2sin^2θdφ^2
この方程式は、時空の幾何学を表現しており、CTCが存在する条件を示している。
タイムマシンの実現方法の一つとして、ワームホールの利用が提案されている。
数式: ds^2 = -e^2Φ(r)dt^2 + (1-b(r)/r)^(-1)dr^2 + r^2(dθ^2 + sin^2θdφ^2)
ここで、Φ(r)とb(r)は、ワームホールの形状を決定する関数だ。
2. 因果律の保存
弱者男性は良い扱いをうけない。
にもかかわらず、女性全体が良いように扱われているからそれにキレているだけだ。
「ずるい!」と。
ずるくはない。ただの嫉妬だ。
弱者男性がわーわー騒ぐたび「男ってそんなもん」みたいな印象がつく。
迷惑。
弱者男性はもう男を名乗るな。
なぜ強くなろうとしないのか。
なぜ他人の足を引っ張るだけなのか。
無能。
強くなるしか道はない。
もしくは恋愛を完全に諦めればいい。
恋愛したいなら強くなれ。
いいか。男向けのポルノは言い換えれば女の地獄だ。男のことしか考えてないポルノは、女のことを少しも考えていない。
弱者男性が持っている女性像は極めて歪んでいる。理想ばかり高くなって、現実と乖離している。客観視しろ。
男のスタンダード、男のボーダーが上がったのだから、時代に追いつかなければならない。
今まで通りにいられると思うな。
試し行動を何度も何度も何度も行って、他人を嫌な目に遭わせる。
いったい誰が弱者男性を愛するというのか。
そんな奴を誰が助けたいんだ。
厳しいがこれが現実だ。
赤の他人に救いを求めるな。
自己責任論だと言うかもしれない。だが違う。
弱者男性を救う余裕がどこにもないだけだ。
責任とか知るか。
騒いでそれで何が解決するのか。
もう黙れ。騒ぐな。みっともない。
同じ男だと思いたくない。恥ずかしい。
逃げるな。戦え。死ぬぞ。
世界一売れてるゲームであるマインクラフトの公式が開催しているイベントに、マイクラバーサスというものがある。第5回まで開催された現在、これの必勝法が定まってしまったので、書き記しておく。
マイクラバーサスは、ヒカキンやVtuberなどの有名な実況者配信者を20人呼び、5人×4チームに分かれて特別に作られたマップの中で制限時間以内に最もポイントを稼いだチームが勝ちとなる。
ポイントは、採掘した鉱石を納品すること、相手プレイヤーを倒すこと、敵Mobを倒すこと、このいずれかで得ることができる。
ポイントの割り振りやマップやその他特別な要素は変動するが、基本的なルールは変わらない。
世界一売れてるゲームということは世界一キッズの多いゲームでもあるので、軽く荒れてしまうこともある。
皆勤参加者のひとりにはマイクラ専門youtuberであるドズル社のメンバーおんりーがいるのだが、そのプレイスキルの高さにより無双し、他の参加者のファンからはヘイトを買い、殿堂入りという名の出禁にしろとの声が上がるような事態となっていた。それをうけてなのか第4回と第5回はナーフが入り、MVP装備と称して特別な防具が配られ、防御力を上げられない縛りがついていた。
その第5回目が8月31日に開催されていたが、攻略法が定まってしまった。第4回でも前述のおんりーがいるチームが優勝したのだが、そのときと同様の戦略をとり、今回もまた優勝した。
その戦略とは、「ゲーム開始から60分経過すると開放されるエンドで最速で1匹目のエンダードラゴンを倒し、得た経験値を消費してツルハシに幸運IIIのエンチャントを付与してダイヤモンドを効率よく採掘する」である。
何回か復活するエンダードラゴンは倒すごとに3000ポイントを得られるが、最初の一体を倒したときに限り大量の経験値を落とす。この経験値を消費することにより、レベルの高いエンチャントを付与することができる。その結果、1個200ポイントのダイヤモンドを1ブロックから2〜3個回収できるようになる。これでゲームの勝敗が決してしまう。
第4回からのリピーターはおんりー以外にもいたため、他のチームもエンチャントを付与する作戦に出ていた。しかしそちらは二位と三位となった。一匹目のエンダードラゴンを倒さないことには経験値が足りないため、レベルの高い強力なエンチャントを量産することができなかったのだ。なお細かいことを言うと、エンチャント以外にも、鉱石の掘り方や地面の下り方などのプレイスキルの差も出てはいた。出てはいたが、大した変数ではない。
制限時間3時間のうち、1時間が経過するとエンドが開放される。エンドにいるエンダードラゴンを倒すと大量の経験値を得て、強力なエンチャントを量産することができ、ダイヤモンドを他チームの数倍の効率で入手することができ、優勝が決まる。結果から語れば180分中の60分の時点で勝敗が決まるし、そのあとは画的にもひたすらブロックを掘削する作業的なシーンが長く続いてしまうゲームということになる。これではさすがにつまらない。
なので次回が開催される頃にはさらにルール改訂が入るとは思う。
・プレイヤーはRTA日本一クラスのガチ勢からエンジョイ勢Vtuberまでピンキリ
・チームは「界隈」事に固まってるため実力差はデカめ
・3時間という長丁場
という環境下で見世物として最後までうまく成立するルールを作る、この難しい問題をどう対処するのか、次回のマイクラバーサスが楽しみである。
余談だが、「見世物として最終盤に勝敗を決する盛り上がりが来てほしいが、前半戦が茶番にもならないでほしい」問題をどう処理するかの一例は、TBSのクイズ番組「東大王」にあった。「最終ブロックの東大生チームVS芸能人チームの早押しクイズで全体の勝敗が決まるが、それまでのブロックでの勝利点の分だけポイントが加算済みで始まる」というシステムになっていた。ブロックごとに区切りがある形式でないと採用できないが、これはうまい解決策だったと思う。
無痛を気取る困った相手にその周囲への態度容認確認をしていくと効果的。というガーシーにも効いた手法。
そういえば、宇野朴人の兄の借金玉氏も同じような感じになっていたと思い出した。
昔の借金玉氏は単著も出した障碍者でも生きれるぜやっていきムーブマスターだった。
そんな借金玉さんは不倶戴天の敵のえりぞさんの子供を興信所で調べ上げ、「本気で殺す気でしたよ」「裁判やるより殺す方が安いですからね」などと言っていた。とされる。(一応他人とのDMであり公開ポストではなかったが…)
えりぞ氏以外にも裁判を仄めかすなど敵も多いみたいだったが、それらを寄せ付けないような羆ばりのつよつよマンだった。敵が多いからそうなったのか、ヤクザじみた言動から敵が増えたのかはよく知らない。
https://togetter.com/li/1972741
他にも個人情報の悪用の仄めかしなど、本当にナイフちらちらムーブが増えていた時期だった。
大抵の"敵"はツイッター上でやりあい一線は越えなかったのだが、えりぞ氏はいろいろあって裁判にまで行ってしまった。それこそ裁判の俎上のひとつがえりぞ氏の「ヤクザじみている」発言であったりした。
話は前後するのか、裁判前からかは不明だが、借金玉氏はだんだんとそのつよつよキャラから変節をたどることになる。
その原因のひとつとして挙げられそうなのが、えりぞ氏による攻撃、あるいは反撃であるようだ。
さて、僕は
上記出版社やその雑誌に対し、「私個人の実名で」借金玉氏の「開示請求で身元が割れた時点で、個人情報をインターネットに放つ」といった一連の発言について、出版社として許容しているのか、問い合わせを行いました。
https://x.com/erizomu/status/1420181552101609475
この辺は先ほどあげた
を見るほうが早いか。
これは大事なポイントなので言っておきますが、私は昔から完全な異常者で、私に弓を引いた人間には、「必ず」その周囲の人間にも弓を引きます。会社員をやってますが、ネットの面白いオッサンではなく、そういうことを昔からやってきた人間だということは覚えておいてください。
https://x.com/erizomu/status/1425973933853986820
まさに今回の落合氏と同じ行動で、相手の周囲を巻き込む手法を取るといっている。実際に何をしたかのすべては明らかになっておらず、別増田が残しているように「よくない発言の容認」を確認しているとされる。(もっと異常者な詰めよりもしてる)
…この行動は功を奏したようで、借金玉氏はみるみるとしぼんでトーンダウンしていった。原因はこの件ではなく殆ど自分の行動が跳ね返ってきたからだと感じるが。
今では恐ろしいほどのツイ廃からも解脱でき、「最期」を連呼する弱弱しく自死を仄めかす人格にシフトし、それから数ヶ月たった後にはX断ちを達成しいかに精神状態が末期か、終わりに向けているかをつづる有料Noteを月末更新する大人しい人物になれた。巨大で凶暴な熊だった借金玉氏は空気を抜いてみるとしおしおのクローズ就労の道を絶たれたベストセラー障碍者作家だった。…?そういう人になることにしたようだった。ひとえに氏の周囲の医者や弁護士による必死の説得のおかげだと思われる。ご苦労様です。頭を丸刈りにするのは精神の不安や終の覚悟を感じるものの、過去の振る舞いを見るにやっぱりスキンヘッドにヤクザイメージがちらついてしまうのは染み付いたイメージ戦略的にしかたがないだろう。
あとは氏の言う最期が心配されているが、そこから新たな裁判も起こしていてなんらかの節目は遠そうだ。
あの凶暴な熊さんをここまで戦略変更せしめる力の一端を担っているこの手法はほんとうに効果的なんだなと思い出しと共に再実感したしだいである。えりぞ氏は宣言しているように落合氏より気合が入った"異常者"であり、落合氏にヤクザの行動だよと指摘していたのもえりぞ氏の行動まで行くとなるほどそうだなと頷けるものがある。しかし堀元借金玉両氏ともに通常の対応で現在の状態に持ち込めたのかといわれると疑問であり、素早く・個人の解決を目指すなら、結局
落合氏の手法を常に誰にでも使うことを許容するわけではない。しかし私情は、使う相手はこの程度にはつよつよな振る舞い・原因があるから仕方が無いと思ってしまう。先制攻撃ではなくバケモンにたいする防衛としてバケモンになるなら、巨大怪獣に立ち向かうウルトラマンが町に被害を出すように、手法の悪どさはコラテラルダメージだろう。
そんなえりぞ氏と借金玉氏との次回の法廷バトルは最初の方の高裁判決で、9/18の予定になっている。とっとと両者精算して、争い少なく生きていって欲しい。