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はてなキーワード: 自助努力とは

2023-11-23

anond:20231123185448

まあでもよくある話だよ

持たざる者としてゴミ階級に生まれ

自助努力自己実現と騙されて底辺で健気に生きてるのに加害者扱いされて

犯罪者障害者烙印を押されて弱者ビジネスに吸われるだけの人生

2023-11-11

anond:20231110184306

盗撮されるのが嫌なら盗撮されづらい衣服を纏えば良かったのでは?

自助努力が足りないですよね

2023-11-05

anond:20231105172356

そういう風に思う人間が出ないように税金社会保険)ってのはあるんだけどな

文句がある奴は税金がない100%自助努力の国(ソマリア紛争地帯とか?)にでも行けば良い話

そうでもしなきゃ自分だって税金恩恵を受けていたことに気づかない奴らなんだろうから

2023-10-05

結論的には少子化対策は、子作りの努力目標化と45歳以降の子無し税

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-09-08

少子化対策結論的には子作りの努力目標化と独身税しかないと思う

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-08-30

上位大学若者恋愛離れなんてしていない

これは良い記事

少子化話題になるとすぐに意識価値観の変化に矮小化して経済問題ではない事にしたがる人が沸くけれど、

この記事を見れば分かるように「子育てコスパが悪い」も「若者恋愛離れ」も上位大学学生の間では起きてないんだよ

ガチャ当たりの上級国民にとっては結婚子供も当たり前に経験する事であってそれらへの尻込み意識なんてない。

若者希望を持てず恋愛結婚出産から離れているのは階級による現象だってこと。


https://news.yahoo.co.jp/articles/e8dd6ebe824bc0984ceff04d12d5c429cb88678a

子どもは「贅沢品」になったのか。上位大学と中堅以下の大学学生たちに見えた「意識の差」』

おおむねの傾向として、上位大学学生子どもお金がかかることを気にしてはいものの、中堅以下の大学学生ほどは不安を感じていない。ニュースなどで現状はきちんと把握しつつ、その上で「自分は困窮者に該当しない」というスタンスを取っている。

 「子どもお金がかかることは承知しているが、その分稼げばいいだけのこと。就職総合商社コンサル狙い」(22歳男性・欲しい)

 そもそも語り口のトーンが違う。上位大学学生は、口では「いやー、お金かかりますよねー」などと口にはしつつ、どこか余裕がある。自助努力でどうにかなると思っている。お金心配はないかと問うても、多くが「自分が稼げばいい」と口にする。あるいは、冷静に対案を出す。

 「私立を避けるなど、選択肢によって比較お金がかからない方法があるので、適切に選択すればそれほど苦労しないのでは」(21歳女性・欲しい)

 一方、中堅以下の大学学生は、総じて経済的不安の深刻度が高い。卒業後の収入に自信がない。自己肯定感の低さに連動して子ども願望が低め、もしくは希望人数が控えめ、という印象だ。

 中堅以下の大学学生散見されるのが、染み付いた「負け組意識だ。「自分高収入を見込めない→だから子どもを持てない」ことを穏やかに受け入れている。「勝ち組」に対してルサンチマンを煮えたぎらせるわけでも、政府の諸政策に強く異議を唱えるわけでもない。グループインタビューの場にはソフトな諦念のようなものが漂っていた。

 上位大学グループインタビューに、そのような空気はない。稼げる仕事についてガンガン働き、複数人の子どもが欲しいと屈託なく言う。子どもが欲しくない学生であっても、経済的不安理由第一とするケースは非常に少なかった。獲得したいライフスタイルに「子持ち」はそぐわないから……といった理由が主だ。


上位大学と中堅以下の大学学生たちの意識の違いは想像以上に露骨だったが、彼らの話を聞いていて思い出したことがある。かつて、特に1980年代から90年代にかけての日本社会には、経済的にも外見的にも「上位」に位置する若年男性一定数が、個人主義的・享楽主義的なライフスタイルを貫くため「独身貴族」を決め込む風潮があった。なんなら「独身貴族」は「勝ち組ライフスタイルの一バリエーションですらあった。

 が、今回話を聞いた上位大学男子学生たちから、そのような兆候はまったく見えない。むしろ勝ち組男子ほど子どもを作りたがる。「子どもは金がかかる=子どもは贅沢品」である現在日本社会においては、当然と言えば当然の帰結であろう。

 日本社会は今後より一層、「勝ち組ほど多産」化傾向が進行し、「貧乏子沢山」が消滅していくのかもしれない。

2023-08-24

anond:20230824211657

君らも10年前で思考価値観が止まっている

男は性欲を所与のもの絶対のものと思いすぎ

必要悪からこそ最小限に留めるのが理想のはず。

性欲は愛する相手にだけ向けてれば十分。

分別が荒削りで未熟だった子ども時代に留まらず、男は成長すべきだ。

エロ文化肥大化したのに、理性の文化は未発達のまま。

男にしても女にしても人それぞれであり「男は」という表現自体NGだし、

人の在り方に正しい姿、理想の姿、そうあるべき姿が存在するかのような表現包摂多様性否定NG

 

性欲の強さ、その発露の仕方、理性や抑制力の強さもすべて個々の欠陥ではなく特性であり、

それがもし現代社会において著しい不適応を生じるのであればそれは医療社会サポート解決されるべき

個々の自助努力で「あるべき理想の姿」になれる、なるべき、という考え、そもそもそんなものがあるという考えは時代遅れ

2023-08-16

同じことを何回聞いてもいいんだけどさ

その前に思い出したりメモ探したりマニュアルみたり自助努力したうえで聞けよ

そうしないと定着しないだろ

2023-08-14

anond:20230814190926

着々と行きつけの店からライン臨時休業のお知らせが入ってきてる。

非常時に他人サービスされようとおもうなよ。自助努力しかない。

ハワイ噴火森林火災で海に逃げ込んで力尽きて死んだのに翌日観光客が泳いでて猛非難されてる轍を踏むな。

2023-08-09

科博の件

みんな税金を払いたくないわけじゃなくて、出すべきとこには出して良いと思ってるってことだよね〜。日本人はお涙頂戴的なのに弱いから、これからは窮状を訴えてクラファン募ることが自助努力とか言われていきそうな予感。

2023-08-03

anond:20230803193530

自助努力ゼロで金や女や普通の(思いあがった高望みな)人生欲しいなんて方が間違ってるんだよね

ロクに努力もせず収入上げる頑張りもせず

やることといえばブラック企業でウジウジ生産性の悪い仕事していじめられた野良犬みて一に卑屈に生きて

コンビニ飯に安酒安たばこ漬けの生活上半身だけ太って下半身脆弱カエルさん体系

そんな奴が貧乏だとか言われたってそりゃそうだろとしか言いようがないよ

それとも自分の本当の姿に気づいてレムちゃんへスティア様みたいな美少女が惚れてくれて人生一発逆転みたいな頭パンバカ妄想でもしてんのかね?

パンバカな奴はノープランミラクルチャンスゲットでサクセスビッグになると思ってるんだ

美少女女子高生パリピギャルなどをネットで調べたチート知識技能たかOSS勉強した程度のプログラミング知識ナンパして

口説いて惚れられて付き合って毎日ヤッて楽して暮らすんだフフフ

みたいな実現不可能脳内妄想を抱いてIT業界に入ったりネットDM送ったり出会いアプリして生きようとする行動力だけはまあ凄いかなって思うが

そんなものスマホー丁にたかプログラミング知識やましてや銃持った程度でイキリ散らして癇癪起こして暴れ回ったり犯罪やった程度で手に入ると思ってるならちょっと考えが甘いんだよとしか

たし🦀

汚い言葉は一切使ってないな

2023-07-31

anond:20230731143248

自助努力ゼロで金や女や普通の(思いあがった高望みな)人生欲しいなんて方が間違ってるんだよね

ロクに努力もせず収入上げる頑張りもせず

やることといえばブラック企業でウジウジ生産性の悪い仕事していじめられた野良犬みて一に卑屈に生きて

コンビニ飯に安酒安たばこ漬けの生活上半身だけ太って下半身脆弱カエルさん体系

そんな奴が貧乏だとか言われたってそりゃそうだろとしか言いようがないよ

それとも自分の本当の姿に気づいてレムちゃんへスティア様みたいな美少女が惚れてくれて人生一発逆転みたいな頭パンバカ妄想でもしてんのかね?

パンバカな奴はノープランミラクルチャンスゲットでサクセスビッグになると思ってるんだ

美少女女子高生パリピギャルなどをネットで調べたチート知識技能たかOSS勉強した程度のプログラミング知識ナンパして

口説いて惚れられて付き合って毎日ヤッて楽して暮らすんだフフフ

みたいな実現不可能脳内妄想を抱いてIT業界に入ったりネットDM送ったり出会いアプリして生きようとする行動力だけはまあ凄いかなって思うが

そんなものスマホー丁にたかプログラミング知識やましてや銃持った程度でイキリ散らして癇癪起こして暴れ回ったり犯罪やった程度で手に入ると思ってるならちょっと考えが甘いんだよとしか

ハッタショ増田暴言はこれがホント好き

2023-07-17

anond:20230717101851

昔はさ、民間企業賄賂を払えば政治が何でもしてくれたから、

民間企業が頑張っちゃったんだよ。

ところが、政治腐敗はダメーってことで、賄賂を取り締まりまくった結果、

民間企業自助努力だけで、どうにかするのが難しくなってしまった。

白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

江戸時代から日本人性質なんてほとんど変わって無いんだから

2023-06-23

生活保護にも定年制を導入するべき

生活保護の約半分は65歳以上

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b7cdeadee329d5d3da54640d4136e9e15986a85

生活保護費全体の予算は約3.8兆円

https://www.mhlw.go.jp/content/12002000/000858337.pdf

だとすれば、生活保護にも65歳定年を設けて、余った1.9兆円を少子化対策の財源にするべきではないでしょうか?

現役世代に「老後の貯蓄」を国が求めるなら、妥当判断だと思うがどうですか?

なぜ現役時代努力をしなかった人を、私たち子育て世代努力した結果として納める税金で支えなければいけないのでしょうか?

生活保護を受けている人も年金支給されます

65歳以上は自助努力生活すべきです。

2023-06-07

Twitter話題になったトランス男性漫画を読んで

https://twitter.com/palettalk_/status/1664600250169061376?s=2

これ

ここまでどストレート下半身の話絡めてくるのはよっぽどこのおっさんヤバいか、それをするほどこの主人公がヤバくてイラつかれていたかとか

このノリにどう返すかが男性として生きられるかどうかの試験でありそういったことをお互いの自覚の有無関係なく仕掛けられるのが男性社会とか

様々な可能性が話されているけれども、みな各々の経験則から話しているとすると、まぁおそらく全部正解なんだと思う

で、リプ欄とか、これが話題になっている場所まとめブログなんか見ると基本的にこの手の乱暴な扱いは常々受けているよという感想ほとんどを占めているように思う

その中で必ずあるのが、女性からの「男ってこんな乱暴世界で生きてんの?男性コミュニティどうなってんの!どうにかしたほうがいいよ!」的な意見

っていうかこれ以前にも、男性側の苦しさが話題になるとこういった意見を言う女性は必ずいたよね

コレ、まるで心配してるかのような、一見寄り添っているかのような意見に見えるけど

男らしさを求める風潮を作るのに自分微塵も加担してないと思っていることの裏返しでもある

よくよく思い出してみると、女性らしさを押し付けないでほしいと男性にはよく言っているけど

逆に男性には男らしさから脱却すべきだと、あくま自助努力での改善を求めている発言が多い

でも、多分コレは男性から女性への言葉も似たようなものなのでしょう

女の敵は女という発言を、男性コミュニティでよく見るし

結局何が言いたいのかわからなくなっちゃった

ともかく、男性らしさを押し付けているのは男性女性もで

女性らしさを押し付けているのも男性女性なんだよ

結局ここから溢れてるこのトランスの人はどうしたらいいんでしょうね

女性は中身が女性の「男体」を「女性」と認識できる人はとてつもなく少ないだろうし

逆もしかりで中身が男性の「女体」を「男性」と認識できる男性はほぼいないでしょう

それってその性別の中にいれば自然と培われるノリとか気遣いみたいのを学ぶ機会がないってことだよね

孤独にならない為には、本当はそれがいちばん大事なのに

2023-05-23

つの間にか責任転嫁されている

元を正せば、自力解決できていたことを、あるときから人材不足能力不足を理由に、匙を投げ、「しない、できない、したくない」と私に泣きついてきたのは君たちのほうだ。

かに当時の状況においては、それも致し方のないことだっただろう。

ところがいつの間にか"やってもらうのがあたりまえ"という態度になってしまった。

過去に一度やってもらったことがそのまま既得権益になるわけではないし、都合よく既得権益化される筋合いもない。

そもそも自分たちが匙を投げ、「しない、できない、したくない」ことを他人に肩代わりしてもらっている身でありながら、自助努力もせずにただ甘い汁を吸うのみ。

これは引き受けなければよかったな。

善意で引き受けたのに、なぜ責任転嫁されなければならないのか。

2023-05-16

anond:20230516025036

結論患者自助努力不足。 チャンチャン♪

そりゃこんな人ばっかりならこうなるわ。

anond:20230515165430

「口から口への評判しかない」のに「少しの自助努力で防げた」っておかしくない?ネットにも載ってないのに?医療関係者と知り合って質問するのが少しの努力

anond:20230515165430

実際に、作中で竹田くんの悪評は事故3人目くらいから「市内の多くに広がってた」とあったでしょ。外来患者が激減したとあったでしょ。

それ以降の犠牲者は、それを知らなかった、知ろうとしなかった人たちなのよ。

それに責任があるとは言わない。そこまでのリピーター医師がいるなんて想像もできない人が多いだろう。でも少しの自助努力で防げた犠牲だと、残念に思う。

医者看護師の知り合いなんていないし医者看護師の知り合いがいる知り合いも居ないし、

身内の職業ガチャに運良く当たってた人のこと「自助努力」って言うのやめてほしい。公になっていないものはどうしても届かない場合がある。ネットで調べられないならなおさら

2023-05-15

脳外科医 竹田くんから関連してヤブ医者医療事故繰り返すリピーター医師)の避け方について

はてブ話題沸騰の脳外科医 竹田くん

https://dr-takeda.hatenablog.com/entry/2023/01/24/%E3%80%90%E7%AC%AC%EF%BC%91%E8%A9%B1%E3%80%91%E5%B1%A5%E6%AD%B4%E6%9B%B8

  

医師にとって勤め先の病院に大して執着はなくて、一つの病院を辞めればすぐにまた次の病院が見つかる。

医局から追い出される(作中では破門表現されてる)は自分キャリアパスが絶たれることになるので怖いが、すでに追放されて野良でやってく覚悟決めた医師にとっては個別病院は数ある働き口の一つに過ぎない。

から先輩や院長からの指示や注意や警告や処分なんて怖くないし、首ですら怖くない。

採用前の調査で前病院から悪評や警告を聞いてても、「担当一人で診療科まわしてて担当医は疲弊限界でもうすぐ潰れてしまう、高報酬求人かけても応募がない、猫の手でもほしい」て状況の地方病院なら「この経験年数があればなんとかなるだろう」と採用してしまう。

そこまでの破綻した医師を見たことがない、接したことがないお人好しなので、想像力限界で「そこまでは酷くないだろう、その病院風土と合わなかったんだろう」と正常性バイアスで楽観的に予想してしまう。せっかく応募してきた医師を逃したらもったいないという意識が先に来てしまう。

竹田くん舞台病院、先輩の古荒医師のように。

 

じゃあクソ医者はなんとかする方法はないのか、というと厚生労働省医道審議会があって、そこで処分が下れば医業停止○月間とか、医師免許取消がされる。

しかしこの審議会対象は「実刑くらった犯罪者殺人とか性犯罪とか薬物中毒とか)を医師免許の面でも罰する」のが主な機能で、「医師として勤める中で腕が悪い、人格が悪い」を罰する組織ではないので、竹田くんは対象にならない。

それより軽く出やす処分として厚生労働大臣による「保険医資格の取消(自由診療はできるが、診療報酬支給対象にならない。国民皆保険日本病院では実質死刑宣告に近い)」があるが、診療報酬詐欺に下る処分で、作中の竹田くんは対象外。

さらによくある処分として病院の「各種学会による○○認定の取消(診療報酬加算の取消など、経営ダメージ)」があり、実際に舞台病院はのちに学会から専門医訓練施設認定の取消をうけ医師募集ダメージを負ってるが、組織に対する罰なのでヤブ医者個人にはダメージにはならない。(ダメ医者採用抑止には働くだろう)

 

じゃあ患者はどうすればいいの、といえば、病院医者)にかかる前によく調べるしかない。

グーグルマップ口コミじゃないぞ。「先生の口が悪い」とか「部屋が汚い」とか「食事がまずい」なんて元患者感想を調べてどうすんだ、それだと「患者への応接が丁寧で、借金して設備だけは綺麗で、食事に金かけてる」ヤブ医者経営病院は避けられないぞ。(小児科医や産科医には、子供を守ろうとする熱心さのあまり、親に対して厳しく指導・叱責して反感くらう先生がわりといる)

沖縄で院長が診療報酬詐欺逮捕された産科医院あいレディースクリニック」は、事件発覚の十年以上前から隣の県立中部病院産科医達から簡単な手術中に大量出血させて手遅れになってから送ってくる、帝切した患部の術後管理すらまともにできず患部を腐らせ悪化させて手に負えなくなってから何度も何人も繰り返し転院させてくる」と猛烈に嫌われてて、産科部長中部病院内の産科医・ナースに「あいレディースクリニックなんかに行ったら俺のチームから追い出すぞ」と半ば冗談、半ば本気でお触れを出してた。(面倒見のいい親分肌の人で、上司というより「産科ボス」的な立場だった)

そんな話を、他診療科医師である俺の妻ですら聞いてよーく知ってた。そして他病院にいる俺も妻から聞いて知ってたし、俺の同僚や親類縁者や仲のいい友人も俺経由で知ってた。

でも、事件発覚前のグーグルマップでは、中部病院産科より高評価だったんだよ。「病室がきれいだった」「入院中に楽しむ本や設備が充実してた」「食事がおいしかった」「職員が親切で丁寧だった」てね。

そら中部病院は築うん十年たってて建物雨漏りするくらいボロいし、機能第一内装にかける金はないし(儲からない診療科も維持してるから常に赤字)、食事栄養バランス第一金もかけられないので味はそんなによくないし、ナース職員は人減らされタスクなすのに精いっぱいで一人一人にまごころ応対する余裕なんてないし、産科部長やくざ兄貴分みたいないつも金ネックレス下げて口も乱暴な人だけど、手術の腕や後輩育成実績(産科全体の実績)は抜群だったよ(今でも)

でも患者にはそんなところは見えないのよね。

竹田くん作中でも出てたでしょ、患者を何度も苦しめるような悪質なヤブは、職場の同僚・他診療科医師ナースコメディカルからも嫌われて、それが口から口へ病院外へ広がっていく。ナース家族や友人に「うちの病院の○○科にはかからないほうがいいよ、○○って酷い医者いるから」て言って、そのまた親類・友人にと、どんどん伝わっていく。

一般には公言できないんよ。公の犯罪情報ではないから。同僚や上司商売仲間の悪口なっちゃうから。最悪、名誉棄損や営業妨害で訴えられるから。(俺が今こうやって悪評を書けるのも事件で院長が逮捕され医院が潰れたからで、あいレディースクリニックが健在だったら怖くて書けない)

でも親しい人にはみんな「忠告」すんの。それがどんどん広がっていくの。

噂話はネズミ算式に広がって3~4人伝わるうちにかなりの人数になるからちょっと調べればすぐぶつかる。

ネット公的には「ヤブ情報」は乗らないから、口から口への評判しかないの。これほんと。

 

実際に、作中で竹田くんの悪評は事故3人目くらいから「市内の多くに広がってた」とあったでしょ。外来患者が激減したとあったでしょ。

それ以降の犠牲者は、それを知らなかった、知ろうとしなかった人たちなのよ。

それに責任があるとは言わない。そこまでのリピーター医師がいるなんて想像もできない人が多いだろう。でも少しの自助努力で防げた犠牲だと、残念に思う。

竹田くんに受診しにくる患者に対しても、良心ある医師ナースコメディカル事務職員は「なんでここに来るんだろう。悪評知らないんだろうか」と忸怩たる思いだったと思うよ。

なんならこっそり隠れて患者家族忠告したり、匿名電話なりで告げ口した職員もいたかもしれない。

でも、患者は「あなたはこうすれば治る!(ババーン!)」と自信ありげに断言する医師のほうが「よい医者」に見えるんだよね、困ったことに…

口調や態度と腕はほとんど関係ないんだけどね、実際は。

 

医師だけでなく、コメディカルでもナースでも、なんなら病院事務職員でもいいから、そのナース職員の親類でもいいから、知り合いは作っとくといいよ。

酷い医師の悪評はよーーく広がるから。口の軽い人でなければ自らは言わないだろうけど、「○○の症状で○○病院に行こうと思ってるんだけど、なにか知ってる?」と聞けば教えてくれるから

2023-05-05

引っ越してきた道路族の隣人に耐えられない

すまん、ちょっと愚痴らせてくれ。

具体的な日付はあまり覚えていないが道路族が去年の春ぐらいに引っ越してきた。

自分は長年ずっと京都の北の方に住んでいる。そんな中、一昨年ぐらいか空き地新築住宅が建てられはじめていて音がうるさく嫌な予感がしていた。また、工事騒音が出るのは当然なのにもかかわらず、事前に挨拶にも来ないので本当に嫌な予感しかなかった。核家族世帯にありがちだが、地域に住むということがどういうことかわかっておらず、都市部のように当たり前のようにサービスを受ける側だと思っていることが多いのだ。近所の住民とも少し話したが、どんな人が引っ越してくるのか不安しょうがなかった。家の外観を見たところ、まあ若い世代引っ越してくるのだろうと思った。とにかく不安だった。

そのうち家族が新しく引っ越してきた。見るからヤンキーっぽい出で立ちであり、異質な感じを受けた。周りの住民たちは、どんな人間なのかを確認するために先手を打って若い家族に媚びを売っているようだった。自分はああいうのは好きになれない。まあ放っておけばそのうち挨拶に来るだろうと思っていた。

しかし、しばらく待っても挨拶に来ない。それどころか、毎日のように狭い庭ではしゃいでいる子どもと親を見かけるようになった。自分は昔から窓をあけてボーッと景色を見て考え事をするのが好きだったのでそれをぶち壊された気分だった。最初は新居で浮かれているのだろうと思っていたが、ずっと騒いでいるので、きっと周りの迷惑を考えられない人間なのだろうと憂鬱になった。

それにボーッと景色を見ているだけなのに、その余所者ジーッとこちらを軽蔑したような顔で見てきて、ヤバい奴らだなと思った。特に女の方は典型的ヒステリーを持ったようなやつで、自分の一番嫌いなタイプだ。自分母親がそういうタイプだったのでよくわかる。「私こそが正義なり。私の思い通りにならない人間は悪である」と断罪するようなやつだ。観察していたところ専業主婦のようだ。

子どもと外で遊ぶのは良いことだが、それにしてもうるさい。平日の夕方や土日の終日で、ボールの突き跳ねや「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だの、およそ住宅地とは思えない騒ぎ方で騒いでいるのでいい加減こちらもノイローゼになってくる。心の休まるときがない。自分学校に勤めているので、ちょうど自分休み時間帯と騒いでいる時間帯がよく被るのだ。家に帰ると絶えずうるさいというのは本当に困る。周りの住民もそれとなく「お子さん、元気でよろしいですね」などと遠回しに注意しているようだが、全然理解できていない様子だ。周りも迷惑しているのだが許容範囲らしい。あれを許容できるというのはよくわからないが、自分が神経質だとは特に思わない。

それで、これは良くないことだとは思うが、あるときもう我慢がならなくて2階から外に向けて小便をした。完全に不審者だ。しかしいろいろ調べたが、まあこちらのことをキチガイだと思ってくれれば怖くなってやむだろうと思ったわけだ。さすがに「うるさすぎたか嫌がらせしてきたのだろう」と考えるぐらいの脳はあるはずだと考えたわけだ。自分としては、もしそういうやつが横に住んでいたら相当嫌なので、まあこれで騒ぐこともなくなるだろうと思った。

しかし、なくなったのは最初だけで、しばらくするとまた「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だのが始まった。信じられなかった。気のせいかどうかわからないが、声量も大きくなった気がした。徹底的にうるさい。なんで自分は前から住んでいただけなのにこんな目に遭わなければいけないんだと苦痛だった。こう言ってはなんだが、隣人は精神障害者に違いない。相手気持ち推し量るということが不可能なのだろう。自分が姫であることは当然で、周りは姫である自分を輝かせてくれるための家畜にすぎないと、そう感じているのだと思った。その後も何度か同じようなやり取りが続いたが、一向に収まる気はなかった。

また、うるさいだけではない。夏になったら友人を呼んでバーベキューをし始めた。もう勘弁してほしい。バーベキュー住宅地でしないでほしい。常識的おかしい。臭いも騒ぎも酷く、精神がどうにかなりそうだった。我慢限界だったので、注意しにいくことにした。だいたい会話はこんな感じだ。覚えてる限りでは、

「あの、すみません……」

「は? 何お前?」

「あの家に住んでる者です。バーベキューなんですがすごく臭うのでやめてもらえませんか?」

別に臭わなくね? ねー、臭うかなー?? 別に届かないでしょ。何? クレーム?」

「いや、あの家の二階に住んでるから届くんですよ。やめてほしいです」

「いやいや! どう見ても離れてるっしょー! 臭くないでしょ」

「わかりました。警察呼びますね」

こういう流れで自分警察を呼んだ。警察を呼んでも何か変わるわけではないが……。民事不介入の原則というのがあるのだが、少なくともああいう輩は権力には弱いから効くだろう。

このトラブルに似たことが何度も何度もあった。あるときには、その隣人が親父に突撃していた。小便については親父にたしなめられたが、まあそれは自分でもイカれていると思うからわかっている。親父は「世の中にはああいう猿みたいなのもいるんだ」とある種の諦念を持っていて、自分がどうにか自助努力回避しようとすることによく思っていない様子だ。会社でも愚痴って鬱憤を晴らしているが、どうにもこうにもいかない。

こういうのってどうやったら解決できるのか、本当に助けてほしい。

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(なお、この話は https://anond.hatelabo.jp/20230504110406 に基づいた創作であり、内容はフィクションです)

2023-04-16

から江口先生は『「イエスがないと犯罪です」でもよい』って

言っているんだよね。先生だけでなく、今回の議論の背景にはNO means NOからYES means YES社会の慣習を置き換えようというものがある。ノーな時でもノーと言えない人や状況はあるし、かといってテレパシーや読心術なんて普通の人はできないのでノーと言ってもらわないと分からない。だから拒絶の意思表示指標として使うことはうまくいかいからやめよう、という流れ。

法華狼はそこのところを全然理解していなくて(そもそもこの議論の流れを知っていればあのポスターを見てちょっとまずいなと思うもの)、自助努力がどうとか見当外れの明後日なこと言ってるけど。

anond:20230415175017

2023-04-14

子供のことを本当に思うのなら維新を支持するはず

維新以外の政党は老人を支えるための負担を、生まれてくる子にさせるつもりなんでしょ?

どんだけ老人がいると思ってんの?

維新にぶっ壊してもらったほうが得じゃん?

老人は自己責任自助努力生活すればいい。

子ども負担を強いるな。

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