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2024-11-09

無駄を重ねて30代中盤になってて笑うしかない

20代の大半をちょっとパソコンに詳しいだけで他になんのとりえもないニートだった俺も、

ここ数年、パソコンキッティングをやったり販売店のサポセン電話をうけたりする非正規とかを掛け持ちしつつなんとか社会復帰していたんだけれど、

今雇ってくれているところはどちらも正社員にしてくれなさそうなので、この職能を活かして正規仕事したいなと思って探すと、自分ができるような仕事がない。

そういうところは、Win or Linuxサーバー運用経験3年以上必須とか、あったとしても年齢と年相応のスキルのなさのギャップと、スキルシートに書ける技能経験がなかったり、そもそも職務経歴が酷すぎて落とされること山のごとし。

正直この年齢まで非正規なのは不審者だと思われても仕方ないと思うし、

なんの資格もないし、仕事の実績も思いつかないし……という引け目に近い認識自分でもしていたが、ここまで何もできない判定されてしまうとは、悔しい(まあ実際仕事もできない自覚があるし)

こういう愚痴をどこかで言わないと、自分の不甲斐なさを払しょくできない性質人間なので増田に書いてみたけれど、でもここで何を書いても事態好転しないんだよな。

20代でまともな仕事を付けなかった俺は、非正規で細々とやっていくしか道はないのだ。今のところがクビにならないうちは頑張ろう

2024-11-05

無駄を重ねて30代中盤になってて笑うしかない

俺悔しいわ。

20代の大半をパソコンに詳しいだけで他になんのとりえもないニートだった俺も、

ここ数年パソコンキッティングとか販売店のサポセン電話をうけたりする非正規とかを掛け持ちしつつなんとか社会復帰していたんだけれど、

雇ってくれているところで正社員にしてくれないので、この職能を活かして正規仕事したいなと思って探すと、自分ができるような仕事がない。

そういうところは、Win or Linuxサーバー運用経験3年以上必須とか、あったとしても年齢と年相応のスキルのなさのギャップと、スキルシートや職務経歴がしょぼすぎて落とされること山のごとし。

正直なんの資格もないし仕事の実績も思いつかないしな…という認識自分でもしていたが、ここまで何もできない判定されてしまうとは(まあ実際仕事もできない自覚があるし)

こういう愚痴をどこかで言わないと、自分の不甲斐なさを払しょくできない性質人間なので増田に書いたが、でもここで何を書いても事態好転しないんだよな。

20代でまともな仕事を付けなかった俺は、非正規で細々とやっていくしか道はないのだ。頑張ろう

2024-11-01

anond:20241101151909

これは『日本名乗史探究』の著者で歴史学者である佐藤光隆による説に基づいて否定するべき内容です。佐藤氏の著書には、以下のような異なる見解が示されています


1. **「姓」「氏」「名字」の区別について**

 佐藤光隆氏は「姓」「氏」「名字」の区別について、よく知られている理解とは異なる見解を示しています。彼によれば、「姓」(かばね)は実際には古代身分階級を示すものではなく、むしろ特定土地職能に基づく称号として利用されていた可能性が高いと述べています。また、「氏」(うじ)も血縁的な関係を示すというよりは、共同体を表す名前として使われていたとしています。したがって、投稿説明佐藤氏の見解とは異なります

2. **農民と姓について**

 佐藤氏は、「姓」が朝廷から与えられるもの一般農民には存在しなかった、という主張にも異を唱えています佐藤氏の調査によると、地方の村落にも「姓」に相当する称号を持つ農民存在し、その地位は村内の役職職務に応じて変わることがあったとされています。この点で、農民が「姓」を一切持たなかったという主張は、佐藤氏の研究に基づくと必ずしも正確ではありません。

3. **明治期の改革について**

 明治時代の姓氏不称令や苗字必称義務についても、佐藤光隆氏はこの説明に異議を唱えています。彼の見解では、「姓氏不称令」は制度上の変革を明確に指し示すものではなく、むしろ一時的文書上の措置に過ぎないとしています。また、1875年太政官布告1876年苗字必称義務も、実際には広範な周知が不十分で、地域によっては無視されていた例が多かったと述べています。したがって、これらの政策が即座に「公文書での姓の廃止」と結びつけるのは、過大評価であると指摘しています

4. **近世農民苗字について**

 さら佐藤氏は、江戸時代農民苗字の扱いについても異なる見解を持っています。彼によると、江戸時代寺院宗門帳で記載されていた名前は、必ずしも苗字ではなく、集団内でのあだ名仮称であったとしています。これらは法的な家系名とは異なり、通称一種に過ぎなかったと佐藤氏は述べており、この点でも投稿内容とは矛盾が生じます

以上のように、佐藤光隆氏の著書『日本名乗史探究』によれば、この説明歴史的事実と異なるとされています

2024-10-11

イラストの状況をスイーツ業界に例える

著名でブランド化に成功しているイラストレーターパティシエショコラティエ

品質で高付加価値、代わりがきかないアーティスト立ち位置

ここを目指す人は多いが、激戦区になっている。

 

これからの生成AIポジション明治製菓森永製菓など大手企業工場生産するクッキー等。

大資本による製造で「コスパ」が圧倒的に良い。広告代理店がよくAIイラストバナーに使っているが、

強烈なこだわりがなければ、このクオリティがあれば充分だねと思えるような、丁度良いゾーンをこれで充たす。

ファヲタでなければユニクロインテリアヲタでなければニトリイケア。そういう「コスパ最強だからボリュームゾーンを獲得する」ポジションになっていく。

 

同人誌ポジション会社員休日趣味で作る自家製クッキー

採算度外視コストマイナスで良く、つくるプロセス自体趣味であるという領域

原材料費の合計金額が、明治製菓森永製菓の完成品を買うよりも高くつく。

ぶどう狩りに行くとスーパーぶどうを買うよりも高くつく。その体験をしたいか金銭的にマイナスになるのは上等なのだ

売って儲けることを目的としていない手芸などにも近い。楽器演奏や、書道なども多くはそうかもしれない金銭的にはひたすらマイナスである

別のところで収入を得ているから、生産的な消費行動のひとつとして成り立つのである

 

生成AIのせいで食えなくなるイラストレーター作業所福祉クッキーポジション

美少女イラスト以外に適性のある職がなく、美少女イラストで食っていくしかないが、低単価で「誰でも良い」系の案件しか受けられない実力。

納期を破ってXに愚痴投稿し続けたり、認知の歪んだ社会叩きを投稿するなど、美少女イラストスキル以外の社会人適性部分での問題行動が多い。

精神障害発達障害を抱えていることが多く、関わった人間は消耗することが多い。

本人はファンタジーか猫のどちらか、あるいは両方に強力に依存して、「人間」を憎んでいることが多い。

AIで最も暴れているのはこの層だ。パティシエ勢と休日趣味勢は、不快お気持ちを表明することがあっても生活が脅かされていない。

しか福祉クッキーポジションイラストレーターは、自身職能生活している身分から福祉階級に落ちるという尊厳面での強烈な危機感がある。

副業美少女イラスト受注してたけど、無理になってきたので諦めました」とあっさりしている層は、要は「帰る場所」として会社員身分がある。

美少女イラストがすべてだったのに、すべてを生成AIに奪われそうだから暴れているのだ。そして映画音楽その他の芸術領域と比べて美少女イラストだけ異常に暴れる人が多いのは、

美少女イラスト美少女イラスト以外の適職が無い層が集まりやすかったという偏りの影響なのだろう。

映画音楽ワナビーは、食い詰めそうになりながら夢追い人をしているとき牛丼屋やら居酒屋やらでバイトしていた人間が多いものだ。

美少女イラスト領域にはそうした職場では働けない者が多い。ホワイトカラーブルーカラーも無理で、在宅の美少女イラスト受注以外、仕事らしい仕事が全くできない者が多いのだ。

プロスポーツ選手になる道を諦めて会社員をしている人たちがいる。夢の職業を目指して、夢破れて断念していく人々は、美少女イラストに限らず多くの業界存在する。

美少女イラストAIだけ異常にSNS上で荒れて、カルト化していくのは、福祉の世話になるしかないような精神障害発達障害を抱えている人間割合が他業界よりも高いからだ。

2024-08-16

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

2024-07-17

anond:20240717002346

つーかプライドかい一円価値も無いゴミ以下のエゴを優先する奴とかイラストレーター向いてないんだよね。それって判断する時の天秤にかける最初の分銅じゃなくて、最後最後に決めるくらいに後回しにすべき事。

需要自ら作って売り込まないと仕事にありつけないレッドオーシャンで、独りよがりオナニーしてていつか世の中に認められるなんてシンデレラストーリー妄想してた結果がコイツ

イラストレーターってのは需要に応える職能を持った技能職であって、独りよがりやってたきゃ芸術家やってろ。仕事舐めんじゃねぇ。

舐めてた結果が職歴無しアラフォー無職女。

2024-06-18

anond:20240615204816

そういう女性がやってきて

大人同士の心地よい関係ぶち壊してるのは

たまに遭遇する

 

男性女性職能があって

お互いに尊重しあってるような空間

そういう女性が来ると大事故になる

 

これが若い女性ならオタサーの姫になるかもしれないけど。みんな世帯持ちだったりするし

当の本人結構いい歳で

 

うつまり事故ってるな…

そういう女性大人関係は捨ててると思ってたんだけど。なぜか来る…。

2024-05-31

anond:20240531095756

東京若いうちに職能を獲得したり人脈を作る場所であり、中年になる頃には東京で得たものを持ち込んでどこか好きな地方自分の城を持つのが良いと思う。

地方移住するのはいいけど、具体的に何の仕事をするんだ?「東京で得たもの」を持ち込めば仕事が発生するのか?

そりゃ年収500万でいいなら何かしらあるかもしれないけど…。まともな稼ぎを得られるイメージが湧かないんだよな。

東京での独身生活10年まで

東京10年以上独身ソロライフをしてるやつ、なんというか自己満足最適化されてしまって詰んでる感じがする。不満は無いが不安、がずっと続いてるというか。

東京若いうちに職能を獲得したり人脈を作る場所であり、中年になる頃には東京で得たものを持ち込んでどこか好きな地方自分の城を持つのが良いと思う。その前段階として、移住検討のための地方旅行とかするといいんじゃないだろうか。実家地方のやつはそこに帰ってもいいし。

中年で「東京が一番」って言ってるやつ、なんというか視野が狭くて短絡的で何も積み上げてこなかった人生な感じなんだよな。普通移住候補地の一つや二つ見つかりそうなものだろ。

若者東京バリバリやればいいが、中年人生フェーズが変わるからな。

2024-05-30

anond:20240530221001

ボランティアって何をしたらいいんだよ。

職能っていっても、俺ができることは誰でもちょっとググれば誰でもできることだよ。

ただ誰もググらないから重宝されているだけで。なんの生産性もないクソだよ俺は。

それでいて経営者から「昔は自分でなんとかしたけれど、今はパソコンの大先生なんて贅沢品を雇っている…」みたいなことを言われたことを根に持ったりしているんよ。

こんなのが職能なんていったら、エンジニアとかが聞いて呆れるし、こんなことで重宝されるなら安売りしまくるよ。

anond:20240530220507

ボランティアは?IT詳しいならそれ系で大活躍できそう

職能を安売りしたくないなら草むしりでも川掃除でも

2024-05-28

anond:20240528135749

尊重してるんじゃなくて角が立つから言わないだけだろw

職能関係ないことで人格否定するのはハラスメントの域に入るし特に

2024-05-05

他人アドバイスはだいたいゴミ老害自分の事は自分が1番理解

[:contents]

公務員の600万円は自営業785万円

年収600万円の公務員(会社員)は自営業年収600万円と比較して、源泉徴収票年収に含まれない会社負担部分の厚生年金介護保険健康保険107万円の差額がある。

更に退職金として2000万円超の支給を見込めるが、現在税制で勤続38年だと2060万円までの退職金は完全無税で受取できるため、自営業3000万円相当の収入計算でき、年収ベース78万円加算。

年収600万円の平均的な公務員と同等の賃金自営業で得るには、785万円稼ぐ必要がある。

田舎(東京以外)の1人自営業における金儲けの鉄則。

マルチタレントとして本業にこだわらず、関連類似職能積極的に取得しはたらく。

原画も、グッズも、プリントも売るし、依頼の商業仕事もこなす。SNSは売名目的と意識してやる。

そもそも自分で絵を描く事にこだわらず、自分の絵をAI学習させてAIに描かせる商業原画を受注するとかもやるぐらいのアグレッシブさは欲しい。自分自分を雇って使いこむ間隔。

東京(海外)に類似仕事があるが、その地方では誰もやってはいないが需要のありそうな仕事仕事のやり方をする。

◯時給2500円以上の皮算用ができない仕事最初から受けてはいけない。ただし、広告宣伝目的場合は除く。

ちなみに週休2日年収785万円の最低時給4400円。

最初は不足してる美味しい部分だけやるから利益率が高くても、仕事デカくなると他者と単価競争が出て、粗利は減る傾向がある。

何をやるかは、何ができるか?何が好きか?

最終的に自分がいる場所において周辺のお客様利益を共有できる(お客様希望している)のは何か?

やりながら、引きが強い物を育てていく。

私の場合、絵を描く事より絵を買う事で、社会の中に絵を描く仕事タネを残して行きたいと思っている。ただ、無価値な絵を買っているので死後買った絵はほとんど残らないだろうが、文化としてそれは引き継がれていく。

社会に絵を残す。社会的的に自分を残す。生きている限り何もしなくても何かは残る。

わかりやすアイコンキャラ(画風)の確立と、キャラクターの感情を書き込む表現を取得する。
aI補助を使って自分の絵を量産し、いらすとやと同等のレベルフリーイラストサイトを作る。

フリーイラストサイトTwitter とインスタアカウントを作り毎日投稿サイトの方は週1回ペースで更新ていく。実際の製作は月3日20時間(5分で1個20時間で240個)ぐらいで行いアップ作業は後日やる。まず1年間回した所で、lineスタンプ制作、「いらすとや」といつワード検索広告を月5万円使い、フリーイラスト探してる人をサイト誘導して、サイトからSNSアカウントへも誘導し、フォロワーを増やす。とにかくフォロワーを増やすために、同人イベントなんかにも出てみる。

イベント商業案件の告知に使えるので、後々印税が増える。

チェコ絵本風という切り口なので、いらすとやとは差別化できる。基本はいらすとやを良く見て、カットイラストとして使いやすさと検索ワードに反応しやすバリエーション意識する。

いらすとや10年で25000個描いてるので、最初の1年で2500個を絶対作る。上手く行きそうなら、2年めから5000個作る。3年で12500個のイラストサイトができる。

自動運転も不完全な様に、AIが発達しても使う人間側がAIフィットするには30年はかかるし、AIイラストは金の成る木。

2024-04-30

大卒限定採用募集差別である」←これ反論できる?

今ChatGPTとこういうの壁打ちしてんだけどさ

俺「『黒人であるすべての人』を採用時に一律排除することは例え『黒人より白人の方が統計的生産性が高い』というデータがあっても許されませんか?」

ChatGPT「それは許されません。個人統計データで一律に判断することは差別につながり、個々の能力資質無視する行為です。」

俺「では、『22歳時点で大卒になれる経済力を持たない家庭に生まれたすべての人間』を採用時に一律排除することは許されますか?」

ChatGPT「許されません。教育機会や経済的背景に基づく排除は、機会の公平性を損ない、才能ある個人可能性を見過ごすことになります。」

俺「それは重大な差別ですか?」

ChatGPT「はい、それは重大な差別です。教育経済的背景に基づく不当な扱いは、社会的公正を損ね、個人権利侵害します。」

俺「しかし、大卒限定採用募集というのは多くの企業実施されていると思います

新卒かつ大卒ではない人間』を一律排除することは、『22歳時点で大卒になれる経済力を持たない家庭に生まれたすべての人間をすべて排除すること』を包含していますよね?これは、何故社会的に許容されているのですか?」

ChatGPT「大卒限定採用社会的に許容される理由は、特定職種業界で求められる知識スキル大学教育によって提供されると考えられているためです。しかし、このアプローチは確かに経済的な背景による不平等を反映し得ます。そのため、多様性包摂を重視する企業は、職歴スキルベース採用を行うことで、より公平な機会を提供しようとしています。」

俺「医師国家資格を持った人間しか医師として採用されないようなリクルートであるのなら納得もできます

しかし、例えば新卒教育を前提として、職能関係ない学部卒の人間を大量に雇うような企業において、

大卒者の方が中卒者・高卒者よりも統計的に有能である可能性が高いから』という理由大卒限定することは差別ではないですか?」

ChatGPT「『大卒者の方が中卒者・高卒者よりも統計的に有能である可能性が高いから』という理由大卒限定する採用方針は、教育レベルに基づく差別とみなされる可能性があります特に職務と直接関連しない学歴要件を設定する場合、それは公平性を損なう行為とされ、個々の能力や実際の職務遂行能力無視することになるため、不当な差別につながることがあります社会的にも倫理的にも、より公正で包括的採用基準が求められています。」



何回やっても大卒限定求人差別って結論しか行き着かないんだけど、これが差別じゃないという納得できる説明を誰か考えてほしい

多くの大企業ですら「採用における黒人差別は許されない」と言っている同じ口でこういうことしてるわけじゃん?

なんか世の中とかリベラル定義している差別という定義は単に可哀想ランキングを元に作られてるだけのしょーもないものなんやな以上の理由が思いつかないんだが

2024-03-27

anond:20240327152000

そういうリスク込みで、事務職サービス職よりは高級はいからね、現場は。

っていうかリスク回避する能力こそが職能やね。

安全にいこうぜ。

2024-03-11

anond:20240311015552

4年無駄に使うよりその4年働いて職能を身に着けた方がいい職業があるから

2024-02-27

anond:20240227234506

最低賃金生産性とは無縁なんだけど

人雇うからにはそれくらい払えってこと

払えないんなら商売しなくて結構だし、大体の大企業は余裕だよ

そこから評価で差をつけるなら生産性職能考慮すべきだけどね

2024-02-19

anond:20240219104707

職能給なんだから同じ話じゃん

スキル持ってない奴は手当出ないよ

すげえ、マジで話が通じてないな。

俺が言った「専門職手当てがあるかどうか」というのの「ある」とは、「ある個人専門職手当てが支給されている」という意味ではなく「制度として専門職手当てというもの(お前の言っている「職能給」というやつ)が”存在しているどうか”」という話だよ。文脈的にも当然そう解釈されるべきだと思うが。

anond:20240219093820

職能給なんだから同じ話じゃん

スキル持ってない奴は手当出ないよ

2024-02-17

男を降りるとは役立たずになること、女を降りるとは醜くなること

エスカレーターの「下り」に乗せられてるようなもので、楽にしてたら自動的立ち位置は下がっていくものに決まっている。

降りるっていうのは、じっとしていること。じっとしている結果、乗っているエスカレーターが下っていくのと同じスピードで落ちていくこと。

成功者になるために、一段飛ばし二段飛ばしで駆け上がろうとして無理した結果、

強者としてのポテンシャルや人運に恵まれた者は成功するし、普通個体だった者は無理をしすぎて鬱病になるなど潰れたりもする。

というか成功者になるため爆速で駆け上がることをしなくても、位置を維持しようとゆっくり階段を上る動作をするだけで潰れる者もいる。それが弱い個体

弱い個体なので、じっとしていることにする。維持もできず落ちていく。それが降りるということ。

男を降りるとは役立たず・無能甲斐性なしになること。そして女を降りるとは醜く・好かれなくなること。必要とされない存在、居なくなっても気づかれない存在になること。

若い世代適応に多いパターンは、半分手抜きして半分上がる、というものだと感じる。

男性だが、あまり稼げない。所得自分価値証明しようとするのを半分降りて、共働き必須年収300~450万の自分を受け入れる、

そしてスキンケアや体型管理アンチエイジングイケメンを目指し、これまで女のみが求められていた美容役割コミュニケーション役割を半分のぼる。

女性だが、飯炊き風俗嬢のように生きるのは疲れる。容姿磨きと媚びコミュニケーション自分価値証明しようとするのを半分降りて、

ハイヒールタイトミニスカートをやめ化粧も省力化する、そして専業主婦ではなく家計に貢献できるフルタイム正社員共働き妻となる。

どちらにしろ自動的に下がっていくことに抗うことが適応過労死したり潰れて鬱病にならないような程度を模索するのが適応

運悪く体力弱者かつ頭脳弱者かつ容姿弱者に生まれ、完全に放棄して降りきってしまった者が、好かれたり、感謝されたり、尊敬されたりした時代はない。これからもこない。

「役に立って感謝され尊敬される」を男の役割、「美しく好かれ愛される」を女の役割としたが、性別役割は常に一緒ではない。

無能イケメンが許されていることもある。職能の高さにより敬意を持たれているブスもいる。

でも何もない個体尊敬好意を得られることはない。これまでもこれからも。これは新自由主義のせい、フェミニズムのせい、テクノロジーのせいなどではない。

しろ日本が貧しくて資源が足りていない時代においては、需要がない弱い個体は捨て置かれてさっさと死んでいたのでは。

2024-02-03

他人業界からあんまアレだけど

職能対立にせずケースバイケースだと言ってる本人がやっぱり後半微妙勘違いしてるタイプ自意識あるじゃねーか

ゼロイチで仕事してるわけではないTV屋の末端に過ぎない自分、みたいな自覚は明確に持ってるもんかと思ってた

いわば他人の子を預かるプロがあの感じならやだなー。

なんか麻痺してくるのかな。

仕事で人の作品をお預かりする時は自覚しよ…

2024-02-02

anond:20240202151709

その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで

当然それはそうなんだけど、

なんかやっぱり根本的に自意識のところで自分職能価値勘違いしてるというか

他人様の作品使っといてなんでこの手のゴミみたいな矜持が人に聞かれていいものとして自然ポロポロ出てくるんだ?

2024-01-14

ホワイト環境で働ければ幸せになれると思える人が心底羨ましい

皮肉とかじゃなくて、環境さえ良ければ幸せになれると思える根拠としての職能ちゃんとあるんだろうなって思う

俺みたいな無能はどこ行っても地獄なんよ

発達障害検査うけろって?セカンドオピニオンまで受けた健常者だよ

来世は人間になりてえぜ

2024-01-10

秘書はただの部下じゃねーぞ

上司一心同体、手足となって阿吽の呼吸で動くことが求められる、それが秘書

から、たとえ上司ミスとか勘違い行き違いが疑われる場合であっても、確認や指摘は秘書仕事じゃない。

そんなことしたら

「口答えばかりしやがって生意気なやつだ、しかも気が利かないから使えねえ」

とみなされて速攻切られるわ。

秘書あくま

「頼んだら、いや頼まなくても気を利かせてやってくれる」

存在でないといけない。

もし上司がやべーやつだったら、率先して手先となってやべー片棒を担ぐ。

それが嫌なら辞めればいい。

多分これ、秘書と名が付く仕事だったら洋の東西を問わず同じ。

その意味では、一度身につけたら世界通用すると職能だと思う。

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