はてなキーワード: 給食当番とは
口も育ちも悪い。
幼少期から「〜じゃねぇよ」「〜だろ」みたいな言葉遣いばかりしてきた。
女の子なんだからそんな言葉遣いしないでって親にも言われてた気がするけど、そもそも親から移った言葉遣いなので、さして厳しく矯正された覚えはない。
小学生の頃、同じ学区に養護施設があって、親が死んだり虐待された末に施設で暮らす子供が、だいたい学年の10%くらいいた。
施設の子供は、窃盗恫喝虐めを繰り返す不良から、いつも笑って心優しく振る舞う模範生まで様々だったので、人間性は家庭環境に寄らないのだと思っていた。
人見知りの恥ずかしがり屋で、授業で当てられると極小さい声で短く答えるような、でも仲のいい友達とはよく笑ってよく話せる、大人しめの子供だった。
私も似たような性格なので仲良くなって、休み時間も放課後もよく一緒に遊んでいた。
仲の良いAのことを施設の子だと意識せず一緒にいられたかというとそういうわけではなく、Aには一定の嗜虐性が見られた。
自分より弱い者に対して、小学生でも越えちゃいけないラインの罵倒を繰り返した。
加えておくが、A自身が自分より弱いと認める人間はごく僅かで、私は最初はAが誰かを見下すことすら想像できなかった。それくらいAはいつも大人しく謙虚な態度だった。
しかし、一度でも自分より相手が弱いと認識すると、聞いてるこっちまで苦い表情をしてしまうほどの酷い罵倒を勢いよく吐いた。
我々と同じクラスに、いつも浮いてしまう女子Bがいた。なんとなくクラスメイトからは軽い無視やいじられを受けていたが、本人は自覚がない上に正義感が強く、クラス委員を立候補するような人だった。(そして投票で落ちる)
ある日、白衣を忘れたので私服のまま給食当番をするAを、Bがやんわり咎めた。
咎めても仕方ないのだが、Bはそういう性格なので指摘せずにいられない、というようだった。でも出来るだけ優しく、言葉を選んで軽く注意した。
Aは激昂して、持っていた箸とアルミ皿を、音を立てて机に叩き置いた。
お前如きが、このブス、役立たず、しゃしゃり屋、吃り、ニキビ、死ね
そのあとも色々続けていたが、授業中では2cm以上開くことのない唇が大きく歪んでよく回っている様が目に焼き付いてしまって、他の言葉をよく覚えていない。
ただ、確かに最後は、「お前の皿にピーナッツ混ぜてやる」と言った。
Bは重度のピーナッツアレルギーで、給食では特別な待遇を受けていたので、クラス中がBに誤ってピーナッツを食べさせてはならないという認識を共有していた。
もはや脅しで、殺人予告だ。
徐々に衆目を集め始めたAは、ピーナッツで死ぬのなんかお前だけだ、と言って締めた。
インターネットで日々、差別や偏見を目の当たりにしている今読んでも、どこが超えてはいけないラインなのかと拍子抜けするかもしれない。
当時の私には、AがBを殺害方法を添えて殺人を宣言しているように見えた。給食当番のAには容易に為せるのだ。
本当に殺人が起きてしまう、という緊張感に、超えてはいけないラインが見えた気がした。
何度かラインを踏み抜いていくAを見てきた。あまりにも感情が昂ったときは、手を上げていた。
一度だけ施設に入るまでの話をしてもらったが、本人も詳細がわからないらしく、母親に連れてこられ、そのまま預けられたと言っていた。
口も育ちも悪いと自負しているが、Aの前でだけはそう言えなかった。
江崎 禎英
2020年5月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
新型コロナウイルスへの対応のなかで、その危機のシンボルのように扱われてきたマスク。ここに来て仮設店舗や飲食店などでも50枚入りが一箱2000円前後で販売されるようになり、ひと頃のようなマスク不足の状況は改善しつつあります。
そうした中で、政府が実施している一世帯2枚の布マスクの配布について、これを疑問視する意見が増えています。配布されたマスクに髪の毛や糸くずが入っていたり、カビと思われる変色したマスクがあったとの報道を耳にされた方もいらっしゃるでしょう。問題のあるマスクは速やかに交換する対応を行っているところですが、実際に手にされた方に不安と不信感を与えてしまいましたことは、心からお詫び申し上げたいと思います。
布マスクを巡る一連の対応への批判は、政府としてこれを真摯に受け止めるのは当然です。しかしながら、実際にマスクを製造した事業者にも厳しい批判の目が向けられていることは、この作業をお願いした立場にある者として誠に申し訳なく思っております。今後市場に出回るマスクの供給量が増え、マスク不足に対する危機感が薄れるにつれて、今般の布マスクの生産に携わった事業者に対していっそう厳しい目が向けられる可能性があります。緊急時の対応が平時の基準によって評価されることは往々にしてあり得ることですが、懸念すべきは、そうした評価が広がることによって、今後、国の緊急事態に協力しようとする企業が現れなくなってしまうことです。
先日の国会審議の中では、「政府が配る布マスクはその大半が不良品であり全て廃棄すべき」といった趣旨の議論が展開されたため、その経緯を理解していただくために、質疑に割り込む形で答弁をさせていただきました。しかし、私の答弁は通告された質問に答えるものではなかったために、怒号と叱責の中で十分にお伝えすることができませんでした。そこでこの場をお借りして、多くの方の疑問にお答えする形で、その背景と経緯について書き記しておきたいと思います。
<なぜ、布マスクだったのか>
再利用を前提とした長期間使用可能な布製マスクを大量に生産・調達することによって需給ギャップを埋め、使い捨てマスクを医療関係者等に優先的に回せる環境を整えようとしたのが、布マスクに取り組んだ最大の理由です。
本年1月頃から、それまで国内供給の8割程度を占めていた中国からのマスクの輸入が途絶え、マスクの品薄状態が始まりました。このため2月にはマスクを求めて早朝から店舗の前に行列ができる状況となり、国会等でもマスクの供給を増やせとの指摘が相次ぎました。2月下旬には、マスクの買い占め防止のためにネットオークションの自粛を求めると共に、国内生産設備の増強を含めた供給量拡大に取り組みました。
しかしながら、当時の国内におけるマスクの供給能力は月産4億枚程度であり、その殆どが不織布を用いた使い捨てタイプでした。国内生産力増強のための補助金に応募した企業も全て不織布を用いた使い捨てマスク用の設備投資でした。この頃、感染症の専門家などからは、使い捨てマスクの再利用を行うべきでない旨の見解が出されており、需給ギャップは拡大の一途を辿るおそれが生じていました。
このため、ハンカチやキッチンペーパーによる手作りマスクなど、使い捨てマスク以外の対応を考える中で、政府としてたどり着いた結論が、ガーゼマスクでした。かつて小学校などで給食当番の際に使っていたガーゼマスクは、洗濯して何度も利用されていました。そこで「健常者による飛沫感染に対する予防としては、手すりやドアノブなどに触れた手で自らの鼻や口に触れないことが重要との観点から、布マスクによっても有効な対応は可能である」と医療関係者に確認し、布マスクの生産・調達プロジェクトはスタートしました。
<布マスクは何時までにどれくらいの量を調達しようとしたのか>
「マスクが手に入らないことに対する国民の不安を軽減するためには、繰り返し使用できる布マスクを来月(4月)末までになんとか1億枚規模で調達できないか」というのが当時の認識でした。私自身がこの布マスク生産・調達プロジェクトに参画し、事業者との調整に携わったのはまさにこの頃です。
本年3月には、ドラックストアやスーパーの店頭からマスクが消え、一日中マスクに関する報道が流れ、国会でもマスクの供給不足に対する政府の対応を非難する質問が続き、マスク供給のためにあらゆる手を尽くせと責め立てられる状況でした。全国民が一斉にマスクを買い求めるというこれまでに経験したことのない爆発的な需要増の一方、中国からの輸入が全く見通せないなかで、1億枚という規模の目標が形成されていきました。
そもそもマスクの材料となるガーゼは中国でしか生産しておらず、ガーゼの国内在庫も殆ど存在しない状況でした。
このため、国内で供給できる布マスクは、せいぜい1万枚から多くても10万枚のレベルで、およそ1億枚といった規模には届かない状況でした。仮になんとか国内に材料となるガーゼを持ち込んでも、布製マスクを縫製する設備(ミシン)や人員を揃えることも困難な状況でした。現在でも、「布製マスクを作るなら日本で生産すべきだ」との意見も多いのですが、国内の生産設備の殆どが不織布を用いた使い捨てマスク用の機械装置です。
今年3月時点で、海外で1億枚規模のマスク用ガーゼを調達するネットワークを有し、布製マスクを材料の調達から裁断、縫製、検品、袋詰めまでを一貫して行える企業は、興和しかありませんでした。
ただ、興和単独では1億枚規模の生産は困難であったため、中国で縫製関係の業務経験のあった伊藤忠とマツオカコーポレションの協力を得て生産体制を構築したものです。
当初、これら3社からは、4月末までに1億枚の生産など到底無理だと言われましたが、日本の窮状を救うためにあらゆる手を尽くして目標を達成して欲しいとお願いしました。結果、ベストシナリオで約9千6百万枚まで積み上げ、1億枚規模の目標達成の可能性ありとして、直ちに材料の確保、製造ラインの立ち上げをスタートしていただきました。
4月末までに1億枚規模の生産を行うために、興和だけでも中国において約20カ所の縫製工場と約1万人の縫い子と検査要員を確保しています。
これには、興和が中国に有する様々なネットワークを駆使して、尋常でないスピードでこの体制を整えたと聞いています。伊藤忠やマツオカコーポレーションも独自のネットワークで東南アジアの国々に縫製工場と人員を確保し、生産を行っています。
これだけの人員を集めても、縫い子さん1人当たり1万枚ものマスクを縫製する必要があり、24時間体制での生産を行っています。各工場で一定量生産が進んだ段階で検品・梱包し、直ちに航空機で日本に運ぶといったオペレーションになっています。
<なぜ、不良品が発生したのか>
当初、興和からは「興和の名前が出る以上、従来通りの国内検品を行うのでなければこの仕事は引き受けられない」と強く言われました。しかし、興和の国内検品は、一旦全てのマスクを一か所の検品施設に集め、1ミリ程度の縫い目や折り目のずれ、布のほつれも不良品として弾いてしまうというレベルの対応です。このため従来どおりの国内検品作業を行っていたのでは目標の半分も達成できない可能性があり、緊急避難的な対応として現地検品を基本とするオペレーションに変更してもらいました。
日本に持ち込んだ後は、配布準備段階で最終チェックを行うのですが、ここでのチェックをすり抜けた不良品が利用者の手元に届いてしまったことは誠に申し訳なく思っています。また、自治体によっては、こうした作業を保健所に依頼したことで、保健所職員の作業を増やす結果になったことも反省点として認識しています。
ちなみに、特定の医療用マスクを除き、マスクに対する国際的な品質基準は存在しません。また、国内におけるマスクの業界団体が出している品質基準もホルムアルデヒドの検出基準が示されているだけで、各社毎の自主基準による検品が基本となっています。
不良品の報道を受けて、現在では事業者においても自主的に国内検品を実施していただいているところです。「受注した以上、企業は完璧な製品を届けるのが当然だ」といった意見はもっともですが、それはあくまで平時における常識で、緊急事態の対応にまでこれを要求することは酷だと思います。それ故に、これを補う形で国が改めて検品を行っているのですが、この費用に国費を充てるのは問題だとの意見が寄せられているのが現在の状況です。
<なぜ、配布が遅れているのか>
4月末までに1億枚の布マスクを生産して国内に持ち込むというのは、元々極めて厳しい目標でしたが、緊急事態ということで各社全力で取り組んでいただきました。しかし現実には、急遽集めた1万人に及ぶ縫子さんの教育から始まり、中国国内での物流の障害(企業活動の制限)、更には中国政府によるマスクの輸出規制によって通関で止められるなど次々に問題が発生しました。
しかも入国制限によって、これらの問題を解決するための職員を中国に派遣することができません。大使館の協力も得ながらなんとか通関を突破しても、日本へ運ぶ航空機の確保ができないといった状況にも見舞われました。生産、物流、通関等々、二重三重の障害を乗り越えて国内に持ち込む中で、スケジュールが後ろ倒しになる状況が続いてしまいました。
これに加えて、今般の不良品問題の発生によって、メーカーが全量回収の上国内検品を行うとともに、更に万全を期すために国による検品も行っているために、配布スケジュールにしわ寄せが生じる結果となっています。
<最後に>
現在も、関係者の尋常ならざる努力によって布マスクの生産・調達が続いています。国民のマスク不安を解消するための布マスクの生産・調達でしたが、状況が落ち着くにつれて、「量、スピード、品質」全てに完璧が求められるようになりました。まだ全体のオペレーションが終了していませんが、こうした一連の作業の結果、事業者にとっては大きな持ち出しになることを懸念しています。興和では今も職員を総動員して布マスクの検品作業を行っています。
また、現状では不良品や国による検品費用ばかりに議論が集中し、こうした布マスクの取り組み自体が全て失敗であったかのような議論がなされているのは誠に残念なことです。特に、日本の危機的な状況を救うために協力してくれた事業者が、結果的に社会的批難を受けることがあってはならないと感じています。また、日本のために今も昼夜に亘って布マスクを製造してくださっている1万人を越える海外の縫子さん達のためにも、是非事実を知っていただきたいと思い、筆を執りました。
もちろん、だからといって不良品が許されるわけではありません。現在検品には万全を期していますが、万が一不良品が届いた際には速やかに交換させていただきますのでご協力をお願いします。その上で、不良品の状況はきちんと確認・評価し、今後の反省材料にしてまいります。
なお、まだ一部の方々にしか届いていない布マスクですが、実際に手にされた方からは良い評判もいただいております。新型コロナウイルスへの対応は長丁場になる可能性が高いと言われています。是非、多くの方々の努力によって届けられる布マスクをご活用いただき、この災禍を乗り越えていただきたいと思います。よろしくお願い致します。(令和2年5月18日)
「うちのおかんが昨日郵便受けに入っていたものの名前がわからん言うとんねん」
「なんや近所の小学生のいたずらかな。一緒に考えてあげるから、どんな特徴か教えてくれよ」
「おかんが言うにはな。ガーゼとゴムでできていて、口と鼻を覆う形をしていているやつやって」
「マスクやないかい!その特徴は、完全にマスクやがな。すぐ分かったやん、こんなもん」
「けど分かれへんのよな、死んだときには是非これをお棺に入れて欲しいらしいねん」
「あー、ほなマスクと違うか・・棺桶に入れるのがマスクでええわけないもんね。あそこには天国に行っても使って欲しいものを入れるんよ。天国行ってまでマスクしてほしくないやろ。
マスク側もね、思い出の写真とかと一緒に副葬品に任命されたら荷が重いやんかあ?ほなマスクちゃうがな。もう少し詳しく教えてくれる?」
「うん、なんで2枚入っていたんかわからんらしい。うち4人家族なのに」
「マスクやないかい!政府は世帯ごとに2枚配るって言ってたよ。
ただ、あれはな、1億枚確保できたから世帯数5千で割り算して決めたんじゃないかって睨んでんのよ。俺の目は騙されへんよ。俺騙したらたいしたもんや。
必要な数じゃなくて配れる数が2枚や!俺はなんでもお見通しやで!マスクやそんなもん!」
「おれもマスク思たんけどな、おかんが言うには、製造者の表示がないんやて」
マスクはな、日本衛生材料工業連合会、略して日衛連の自主基準によって製造者、販売者の名称、住所および電話番号を表記することとなっとんねん。売ってるのはみんな書いてあるよ。マスクちゃう!もうちょっとなんか言ってなかったか?」
小学生は三角巾とセットで巾着袋に入れてランドセルにぶら下げてたんやから。あと体操服の巾着袋もランドセルにぶら下げてバランス悪くなってる子もいたよ。マスクや!」
「うん、マスク思てんけどな、おかんが言うには、色は白しかないらしいねん」
最近はみんな手作りでカラフルなのも作ってるよ。都知事なんか、日替わりでファッションショーみたいにしてるしな。白しかダメって言ってる学校の先生もいるらしいけど、今はマスクすることが大事やねん。
「おかんが言うには三千円で売ってるのもあるらしい。」
朝日新聞で売られてたって総理も言ったらしいけど、あれは、泉大津市マスクプロジェクトから生まれたマスクで、洗っても使える手作りマスクや。地域の繊維メーカー6社が提供している、まさに生産者の顔が見えるマスクやねん。
一時期高額転売されてもっと高い値段で売られてるのもあったけど、3月の閣議決定で、購入価格を超える価格でマスクを転売することは禁止されとるからね。
これでも不正な転売がされるなら俺は動くよ。マスクで決まりや!」
「分かれへんねん。」
「おかんがマスクちゃう言うてんならマスクちゃうやないか!先言えよ。どないなっとんねん!」
「うん。おとんが言うにはな、防護服代わりの雨がっぱちゃうか?て。」
「もう絶対違う」
こないだまで、美容院で『どんだけ人の出入りがないんだよ〜』と
美容師さんと笑ってたばかりなのに。
しかも、同じ市内、弟が働く近くで勤務されてた方らしい。
出勤して行った。
ちなみに、それ女性用サイズで色、ピンクだけど、、背に腹はって奴?
どこか人ごと感があったし、四月には収まるでしょ、と思ってたので
今更ながらショック。
私は元々在宅仕事だし、とくに影響はないけど、弟と持病持ちの
母が心配。
高血圧なんだよなー、弟は体弱いし。
ウォシュレットじゃ!と思って買いだめせずにきたけど、
急に不安になってきた。
あと、3ロールで行けるか?
給食当番がつけるような綿マスクなら数枚あるけど、これって効果あるの?
こんな大掛かりなことになるとは、先月まで全く思わなかった。
元々テレビを観ないので、ネットニュースの見出しだけざっと毎朝目を
とりあえず、手洗いと栄養をしっかりつけておこう。
それしかできないんだよなー。。
給食当番とかどうすりゃいいんだよ?
理由。
昔々、もう遠い昔の出来事。
給食当番を無理やり代わりにやらされたり、ひどい暴言で罵られたり。
消しゴムを裂かれて、シャーペンの芯を手や肩に刺されたりしたこともあった。
もう本当にひどくて、つらかった。
よく”いじめられる側に原因がある”なんて言う人がいるけど。
「お母さんがいないこと」
私がまだ小さいうちに両親は別居し、あれよあれよと言う間に離婚した。
父親一族は家の後継ぎ欲しさに、一人っ子だった私をろくに子育てもしないくせに強引に引き取った。
母親は泣く泣く私を手放したが、相当揉めたのだろう(この辺りの詳しい事情を私は知らない)。
月に数回、実父のもとを離れて、母と遊びに行く時間をもらうことができた。
だから厳密に言えば、生き別れでも死に別れでもない。
決して「目の前にいない」わけではなかったのだ。
会いに行こうとすれば会える。
話ができる。
本当に幸せだった。
今考えれば、このあたりが気に食わなかったのかもしれない。
「お母さんいないんだよね」
両親が離婚したことは、その女の子には言っていなかったが、なぜか知っていた。
流行りの通信学習講座でもらったプレゼントがあれば、それを取り上げて隠し、勝手に使う。
お楽しみ会でくじ引きがあれば、私が引く前だけわざと中身を見て、私に都合の悪いくじを引かせようとする。
1人がいじめ出すと、いじめられっ子と特に関わりのない子までいじめるようになるらしく、いじめはクラス全体に広がってしまった。
何かあれば「お母さんがいないのをばらすぞ」と脅された。
いないわけではない。それなのに、そんなことを言われるのが悔しかった。
学校に行くのが嫌だったが、それとは比にならないほど、家庭環境(実父と祖母)が悪かったせいで、不登校にはならなかった。
その頃、母は再婚して、実父とは大違いの、優しい義父と3人で遊びに行くようになった。
それからは、4人で遊びに行ったり、家で家族団欒したりするようになった。
多分これも、いじめてきた女の子にとっては気に食わないことだったのだと思う。
いや、あの女の子にこの辺りのこと一言も言ってないんだけどさ。
というか、このことは友達にも父方の親戚にもほとんど話してない。
何度も何度も、バラすぞと言われて脅された。
仲の良い友達は他のクラスにたくさんいた。だけど、いじめは、友達のいないところで受けていた。
母親がいないせいで(もちろんいじめる側が悪いのだけれど)いじめられてるってバレたくなかった。
相談しても「お母さんがいないからだね」なんて言われるはずがないことぐらい分かっていた。
だけど、どうしてだか分からないけれど、誰にも相談できなかった。
ーーーーーーーーーー
私は知っていた。
いじめてきたその女の子の両親は離婚していて、その子にはお父さんがいないことを。
私が母から聞いたように、きっと、あの女の子も誰かから人づてに、私の家庭環境について知ったのだろう。
不思議と、「相手の身の上をばらしてやろう」とは思わなかった。
結局、ばらすことはしなかった。
きっと、あの女の子は、私が何も知らないとでも思っていたのだろう。
あの時はそう思っていた。
離婚していても、離れ離れになっている親や兄弟と会うことのできている、私の環境がうらやましかったのだろうか?
そんな風に思ったのは、随分後になってからのことだった。
だけど
いじめられる側にも原因がある、という人たちへ。
声が汚いから。
本人がどうにか努力して、変えられることですか?
足が遅いから。
もし百万歩譲って、本人に原因があるとしても、いじめていい理由にはなりませんよね?
伝わりましたか?
いじめって。
それでもまだ、いじめられる側に原因があるっておっしゃいますか??
それでは、見方を変えてみましょうか?
そういうの、身を滅ぼしますよ?
例えましょう。
「〇〇って部署のアイツ、男のくせに男と付き合ってるらしいぜ。俺、先週見たんだよ。男と2人で手繋いでデパートに入っていくの。アイツと同じ部署になりたくねーわ。気持ちわりーww」
あなたがそれを笑いながら話している相手、同性愛者かもしれないって考えたことありますか?
その会話を黙って聞いている、遠くのデスクのあなたの上司、同性愛者だったらどうしますか?
両性愛者かもしれませんよ??
あなたの印象悪くなりませんか?
え?????
ちょっと待って。
だってそれ、取引先の会社の人と飲み会したりしてるときに、酒に酔ってポロっと口走っちゃうかもしれませんよ?
言っていいことと悪いことが分からない人だと思われるかもしれませんよ?
働いている時はダメ?
プライベートな付き合いだったらいい?
あ、絶対違うって?
お気づきでしょうか?
あなたの恋人も、両性愛者であることをあなたに言えないまま、あなたと付き合っているのかもしれないですよ。
いい加減、差別する人間の方がマイノリティな世の中になりつつあるって気づけよ?
※セクシュアルマジョリティ&いじめっ子&差別主義者の読者が前提みたいな書き方をしてしまって申し訳ないです。読者の大部分の方々は、私がこんなに熱弁せずとも、お分りいただけると思っています(これも一種の偏見なのかもしれませんが)。もうこんなにひどい差別はなくなって欲しいです。
話が逸れました。熱くなりすぎましたね。続けます。
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中学2年の時、クラス替えでその女の子とは別のクラスになった。
中学3年になった。
クラスメイトの男の子がいじめられていて、クラス中で大問題になった。
聞いた話だと、わざわざ見張り要員まで用意した上で、ターゲットにされたクラスメイトに対して暴力をふるったそうだ。
この件にあの女の子は無関係だけど、いじめをより一層のトラウマにした。
そう思った私は、合格圏内だった地区二番手の進学校(いじめてた女の子はそこに進学した)を受験するのをやめ、いじめっ子全員とは別の高校に進学した。
やっと自由になれた。そう思った。実際、その通りだった。
好きなことを好きなだけ勉強できた。
幸せだった。
旧帝とか早慶上理とかではないけれど、行きたかった大学にも合格できた。
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後日談として。
ここから先はほとんど独り言&愚痴みたいなものですので、読みたくない方は読まなくても結構です。
ちなみに、先にお断りしておきますが、お互いに謝って仲直りの握手をしてハッピーエンド!!めでたく仲直り!!みたいな展開は一欠片もございません。
そもそも、直す仲もございませんし。
まあ、高校が離れていたけれど、相変わらず同じ地区に住んでいたし、買い物したりしてると遭遇してしまうんですよね。
しかも私がよく行く店でアルバイトを始めたから、嫌でも会ってしまうことに。
途中で辞めたんだかシフトを減らしたのか知らないけど、そういやいつの間にか見かけなくなった。
それと、私が勉強に部活に忙しくなって、あんまり学校以外の場所に出没しなくなったせいだと思うけど、街でも会うことはなくなった。
次に再会してしまったのは、高校3年生の暮れにあった、大学入試センター試験の模擬テストのときだった。
大学のキャンパスとか、センター試験が実際に行われる会場を借りて行われるテストで、休憩時間?に遭遇してしまった。
私の名前を呼び、話しかけてきたが、挨拶をしたぐらいでほとんど話さなかった(気がする)。
遭遇したことは覚えているが、多分この頃には、記憶に残すのも勿体無いほど、どうでもいい存在になっていたんだと思う。
ここまでの記憶で終わっていれば、ああ、そんな控えめに言っても人間の風上にも置けない最低な人いたなーぐらいの存在の枠に収まっていたかもしれない(じゅうぶんすぎるほどのインパクトはあるし、自分でもひどいことを言っているとは思うが)。
控えめに言う。
お前、どのツラ下げて友達名乗ろうとしてんの?
勘違いも甚だしいよね。
しかも付随して来たメッセージに音符(♪だったかな?)ついてたし。
そしたら、何年か経った後で、また別のSNSで友達申請が来ました。
このSNSはメッセージつけられないから、友達リクエストが届きましたって通知が来ただけだけど。
あんなにひどいことをしておいて、
自覚ないんだね。
遺憾です。もちろん今回は即ブロ。
友達のお父さんが「みんな預けたくないって言ってる」って言ってたよ。
みんなって誰だか知らないけど。
今、友達のお父さんって言ったけど、実は私も同じこと思ってるよ。
そうこう言ってるうちに、幼稚園お辞めになられたそうですね。
かぶっている猫が足りなくなったんですかね。
知らないけど。
多分、私も相当ひどいこと言ってるね。
一言だけ。
しないと思うけど、もし、この歳になっても、また前と同じことをするのなら、その時はもう容赦しないよ。
もう大人だから食べる機会とかないけど、食いしん坊で大食らいのわたしがこの世の中の食べ物で群を抜いて嫌いだったのが給食。
元々偏食気味で家族が作ってくれたご飯以外があんまり得意じゃなかったんだけど、あの冷えた感じと味付けがどうにも苦手でいつどこで食べても同じ味がする白米と牛乳以外は口に入れたくないな〜って給食の時はいつも思ってた。あとネギ類とトマトの食感がどうにも苦手で、このふたつが頻繁に入ってるのも辛かった。
(この辺はASD・ADHDの傾向が見られるからそれ由来の味覚過敏もあって給食云々の問題ではないと思うけど)
なんだけど、たまたまこの前の飲み会で『思い出の給食メニュー』みたいな話になって、なんでこんなに給食嫌いなんだろう?って思った。
嫌だけど食べられるものっていっぱいあるのに、どうして給食だけ思い出すだけで吐き気がするのかな?って。別に得意じゃないっていうだけで、外食に出かけた先で何も食べられなくて辛い思いをしたことはないし、お友達の家で出されたものに死ぬほど嫌悪感を抱いた記憶もない。給食以外だったら冷えた食べ物も嫌だけど普通に食べてたんだよね。
じゃあなんでこんなに給食だけ嫌な思い出があるんだろう?って疑問に思ったんだよね。で、よく考えたらふたつぐらい原因になるっぽいことが思い浮かんだ。
一つ目は幼稚園の時の話。
通ってた幼稚園の方針で『給食で出た料理は最低でも必ずひとくち食べないといけない』っていうのがあって、嫌でも食べないと遊ばせてもらえなかった。
わたしが食べるのを嫌がって泣いていたら、先生が開いた口に味噌汁のネギを突っ込まれた。もうその瞬間嘔吐。
わたしはもう成人済みで相当昔の話だけど、母はお迎えで「随分大きなお口だったので入れちゃいました、お母さんのしつけが足りないからこうなるんですよ」と言われて唖然としたことを覚えてるらしい。
小学校はこれがさらにレベルアップして『給食は全部完食しないとダメ』だった。
友達に頼んで1ミリぐらいしか盛らないでもらったりこっそり交換したりしたけど、先生が給食当番手伝ってたらもうアウトだった。
さらに食べるのも遅い子供だったから時間内に完食なんて無理で、昼休み給食組の常連だった。先生の机の横で給食を食べさせられるんだよ、めちゃくちゃお小言くらいながら。
だんだん給食の時間になるとお腹痛くなるようになって、保健室で寝てるようになった。そうすると担任が「給食食べたからお腹痛いんだろ?」ってみんなの前で鼻で笑ってくるんだよね。それが嫌でしょうがなかった。
中学になったらだいぶ緩くなって楽になったけど、未だに給食で食べさせられて辛かった料理とか食べられない。
学校、まだこういうことってあんのかな〜。別に食べられなくても普通に大きくなるし、食べたくない理由があってみんな食べないんだから周りの大人は無理やり強制しないでほしい。それで学校行きたくなくなったり食べられるメニューが限られて健康に問題が出たりすることもあるから。
小学生の時に、いつも不潔で太っていて殆ど話さなくて大変見苦しくて、皆から避けられていた女子を思い出した。
その子はいつも同じ服(墨汁や給食のシミがついていた)を着て、髪はモジャモジャでシラミの卵やフケが沢山ついていた。
何度もクラスメイトから1対1で「このままでいいの?」「とりあえず髪切ったら?」と心配・アドバイスされてたけど、もごもごと「わかった」と頷くだけで一向に改善せず…
暫くすると、誰もその子に関わらなくなっていた。
体育で○人組作る時もいつも余らせてた。
給食当番でその子が配膳したものに手をつけず、残す子が続出した。
そうされてもその子は常に無表情で、いつも隅っこに一人で居た。
見ていて堪り兼ねたのか担任が「これはいじめだ!仲間に入れてやれ!」と学級会を開いたけど
皆表面上はわかった素ぶりをしても、終わればいつも通りその子に一切関わらずスルー…もちろん、私も。
それは卒業まで改善されることはなかった。その後は別の中学に進んだので、消息は知らない。
どうすれば良かったんだろう。
うちの長女のクラスメートにとても心やさしい女の子がいる。彼女は小さな子供が好きで、幼稚園の行事で私が3歳の次女を連れていくと、一緒に遊んでくれたりするのだ。
しかし彼女の母親は、彼女の事を一々他の子供達と比較しては貶す。
スイミングでママ友の子より進級が遅いので恥ずかしいとか、クラスの女子で一人だけ太っているのが許せないとか、そんな愚痴ばかり、彼女の母親は言っている。
彼女の母親は彼女の事を愛していない訳ではないらしいのだが、呼吸するように我が子に対する不満を口にする。
明るかった彼女は最近表情が暗くなって来たような気がする。相変わらず彼女は小さな子供が好きで、うちの次女を見れば笑顔を見せるけれども。
長女に幼稚園の話を聴く限りでは、彼女の評判は何となく悪くなりつつもあるようだし。
彼女が給食当番になると、自分のだけおかずを山盛りにして他の子の分が足りなくなる、と長女は話していた。クラスメートは、いつもなら仲間が何かやらかしたらそういうのはいけないよ、と本人に直接指摘してどうしたらよかったのか、正しい振る舞いを教えているのだが、その給食の件に関しては、クラスメートは彼女の陰口を言い合ったらしい。
それは良くない傾向だと私は思った。経験からすれば、そういう陰口を言われている子はいじめられつつあるか、既にいじめにあっている。
(長女には、そういう時はこそこそ言わないで本人に教えてあげようね、きっと悪気はないんだから、と話はしておいた。)
母親から一時期やたらデブデブ言われていた彼女。その頃は別に健康的にしか見えなかったが、先日、発表会で久しぶりに会ってみたら彼女は以前よりも却って太っていて、平均や健康的な範囲を越えそうだった。
あんなにダイエットが必要だのなんだのと彼女の母親が騒いでいたのは一体何だったのか?
それと給食の事が思い浮かんだ。思いやりのある彼女が他人の事を構わず自分の分を山盛りにする(しかも山盛りにした食材は皆に人気の主菜ではなく野菜サラダなのである)とは。
彼女に今何が起きているのだろうか。
気になるが私に出来る事なんて何もないんだよな。
http://anond.hatelabo.jp/20130619231753
モテるとかモテないとかではない。ただ無価値であり無碍に扱われることだ。
他人に価値がないのは誰だって同じだろう、ようはSEXしたいんでしょw、よく飛び交う言葉だが、まあそのとおりで、子供の頃の話だよ。
大人になればどうでもいいさ、社会的な我々は誰だって平等であり、自分の価値をアピールしなければ他人に関わることすら出来ないのだから。
強制的に半日、30~40の人詰めの箱のなかに閉じ込められて、共同生活を強いられる。社交辞令も保身も知らないために残酷で、動物のように群れを作る子供な。
居ただろ。何かにつけてキモいと言うやつ。
子供の遊びで、イジリだったのかもしれないけども。
黴菌扱い。触らないで、菌が付くからw
申し訳ない、存在して。
給食配らないで、触らないで、なんでそんな酷いことするの?
誰だってやっただろう。私だってやったと思う。清廉潔癖ないじめられっ子なんていないんだ。
確かに笑わなかった人もいたが、黴菌はクラスか学年に1人くらいなので、消毒される側から見れば誤差なのだ。
思春期。
だいたいルールがわかってくる。私のような人間は、人格の自由度が低いのだ。
気持ち悪い、存在が不快、デフォルトではそのように扱われている。
自然な成り行きとして、一等低く無碍に扱われる。
仕方ない。これはそういうことになっているのだから。別に差別でも偏見でもない。
従って私は、妖怪人間だった。
外形的な気持ち悪さから来る性的価値の低さという、社会性におけるディスアドバンテージを抱えているので、埋め合わせなければならなかった。
思春期同年代が構成する市民社会からの排斥を受けないために、彼らに要請された私を演ずる演技。
今で言うリア充、一段下げて一般的な未成年が、同年代の中で取る態度。
人並みに感情を表に出したり、遊んだり、色気づいたり、あるいは恋愛について話したり。
残念ながら、私の行うそのような態度は、思春期同年代にとって異物であり、共感の外である。
思春期とは性的な時期であり、それを通じて社会性を育む性徴期。
思春期の社会的な関わりにおいて性は重要であり、だからこそ保健体育は古くよりあり、最近では日本社会でもセクマイ概念などが教育に取り入られ始めているわけだが、しかしながら、セクハラ概念が示す事実は、自身の性的身分を超えた性的な態度は嫌がらせである。
運動会のフォークダンス、遠足の二人組、給食当番、席替え、班作り。
社会性も、性愛観念も未熟な時期に、同級生が露骨に示したその態度。
それは社会の要請であり、学童期よりも幾らか高度化した義務教育課程で学ぶ、ひとつの実習だった。
必要なのは、性的に老いること。オッサン臭いというか、ババアというか。
老人ではない。老賢とは別物だ。
完全に枯れているわけでもなく、しかし肉体は老いており、故に独特の醜さを発露する。
気持ち悪い性欲の象徴としての中年。
自らの不快さを理解しているからこそ、弁えを知り、抑制されて、節度を保った憐れな中年。
私は老いてはいなかったが、印象的に気持ち悪かった。
それに思春期らしい子供の欲求を捨てきれず、また賢さもなかったので、老人にはなれなかった。
明るく溌剌と多感な周囲について、人並みに感心はあり、またそう有りたくもあったが、表に出してはいかんのだ。
私には分相応な態度、人格が決められている。
私がどのような人間なら、理解しうる人間としてシンパシーが得られるか。
声に出す者も居たし、出さないものも居た。
やがてどうでも良くなる。
人間関係という蜘蛛の網に絡み取られて、私に向けられた他人の視線が、あるべき態度を規定する。
必要に応じて演じた態度が、人格として身についていき、成人する頃には私という人間性が確立される。
根底に身についたのは諦念であり、どうでもよさだ。
しかしながら、それでも時々思うのは、性的価値が人並みにあるものが羨ましい。
凡夫であり、賢くもない、一般的成人である私は、人生を冷徹に見つめる達観も得られなかった。
もちろんSEXに興味はあった。
だが、それより今は思うのは、子供の頃に子供らしく過ごしたかった。
思春期の頃に平均的な思春期らしく自分の日常を過ごせれば、もう少し、何か違ったかもしれない。
いや、私は平均的なのだろう。
私が送ってきた人生こそが、実にありふれた性的無価値者の日常だった。
幼児期から始まる社会での私の立ち位置が、私の内面を擦り減らし、予定された枠組みに相応しい人間性を形成したのだ。
あの頃諦念に師事しなければ、もう少し何かが違ったのかもしれない。
現実が過ぎ去り記憶になると、もっとうまく立ち回れたのにと後悔することがあるにはあるが、まあ、それよりも、私は随分頑張ったと思う。
はっきり言って、重苦しかった。
あの頃の私にはそうする他なかった。
これこそ単なる諦念なのかもしれないが、常に近くにあったが決して得られなかった同年代の日常は、私にとって眩しかったが、あれこそ他人の物であり、これが私の人生だった。
内面と演技のアンバランスの抑圧にフラストレーションを沸き起こしていた精神も、加齢によって安寧となってきた。
何かをこじらせているわけではない。
こじらせ系とは似て非なる、直道だった。
リフレ村の方では「ブランチャードがインフレ率を4%前後に誘導することに言及した」ことで色々と盛り上がっているようでありますな。
http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20100214#p2
要するに、マクロ経済学の大御所ブランチャードが「今まではインフレ率は2%前後に誘導するのが望ましいとされていたが、2%程度だとゼロ金利に陥りやすいので、もう少し高めの4%前後にインフレ率を誘導した方がいいのかもしれない」という論文を発表したと。で、日頃から高めのインフレターゲットによる景気回復を主張なさっている皆様が盛り上がったという構図のようであります。
で、それに対して(直接言及があったわけではないものの)、我らが池田先生が果敢に反論。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51377205.html
あちこちで話題になっているIMFの論文をざっと読んでみた。日経の記事には「平時から4%など高めの物価上昇率を容認し金利水準も引き上げることで、金融危機のような経済ショック時の利下げの余地を広げることが望ましい」と書いてあるが、この記者は明らかに原論文を読んでいない(か英語が読めない)。論文にはこう書いてある:
Should policymakers therefore aim for a higher target inflation rate in normal times, in order to increase the room for monetary policy to react to such shocks? To be concrete, are the net costs of inflation much higher at, say, 4 percent than at 2 percent, the current target range?
[...]
Perhaps more important is the risk that higher inflation rates may induce changes in the structure of the economy (such as the widespread use of wage indexation) that magnify inflation shocks and reduce the effectiveness of policy action.But the question remains whether these costs are outweighed by the potential benefits in terms of avoiding the zero interest rate bound.
と書いており、むしろ高いインフレ目標には否定的だ。
うわぁ。読めてない。全然読めてないよ池田先生。ここでブランチャードが書いているのは、
ということであって、「高いインフレ目標には否定的」なんてこの段落から読み取れるわけがありません。これでは突っ込まれてもしょうがない。池田先生にはエントリーをアップする前に深呼吸を3回することをお勧めしたいと思います。
さて、一方でリフレ村で給食当番をなさっているらしい矢野先生は、高らかに以下のエントリーをアップされました。
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20100215/p1
(以下略)
…いや、先生、ブランチャードの論文はリフレを全然サポートしてません。ちょっと考えれば分かる話です。なぜブランチャードは2%ではなく4%のインフレを検討課題としてあげているのでしょうか?ご自身も翻訳されているとおり、「ゼロ金利制約(それ以上利下げできない状態)にハマるリスクを回避するため」です。リフレ派の人たちが主張するとおり、「ゼロ金利制約に陥っても、中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行すればデフレから脱却できる!」のであれば、なにも4%のインフレを許容してまでゼロ金利を回避する必要などありません。処方箋はあるのですから、それを粛々と実行して安定成長へと復帰すればよろしい。
ブランチャードらがここまで繰り返しゼロ金利制約の問題を強調するのは、その処方箋が当てにならないと判断したからです。この点を明確にするために、以下でブランチャード論文の一節を翻訳します。この論文は
という3部構成になっており、問題の4%インフレは第3部の一項目です。以下で翻訳するのは第1部のB節、つまり「今や否定されつつある過去のコンセンサス」について語った一節です。
http://www.imf.org/external/pubs/ft/spn/2010/spn1003.pdf
「インフレーションはただ安定しているだけでなく、非常に低く抑えられているべきだ(多くの中央銀行は2%前後をターゲットに選んでいる)」という広いコンセンサス(increasing consensus)があった。これは低インフレによって流動性の罠へ陥ってしまうのではないかという議論へと繋がった。低い平均インフレは低い平均名目金利を招き、そして名目金利はゼロ以下には下げられないので、低インフレの下では不景気の際に利下げ(金融緩和)の余地が小さいと言うことになる。しかしながら、この低インフレの危険性は低いと見なされた。なぜなら、中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションにコミット(訳注:約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来るからだ(脚注)。そして、それほど景気へのショックが大きくない世界では、2%のインフレがあればゼロ金利制約を回避するのには十分だと思われたのである。こうして、議論の焦点は、コミットメントの重要性と中央銀行のインフレ期待への影響力へと絞られたのである。
大恐慌時に発生した流動性の罠、それに伴うひどいデフレと低い名目金利は、もはや歴史上の出来事であると認識され、そのような政策の失敗は今や回避可能であると考えられた。1990年代の日本の経験、すなわちデフレ、ゼロ金利および長く続く不景気は、この認識の前に不愉快に立ちふさがる問題だった。しかし、これは日銀が将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力ないしは意思に欠けるからであると片付けられてしまった(公平を期しておくと、Fedは日本の経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレのリスクを憂慮した論文を発表している)。
(脚注ではEggertsson and Woodford (2003)が参照されている)
ブランチャードらがなぜゼロ金利(流動性の罠)に陥るリスクを重視するのか、このB節から明らかであると言えると思います。 特に太字で強調した部分を参照してください。どこかで見たことがある主張ではありませんか。少し分かり易く言い換えれば、リフレ政策が役に立ちそうにないから、「低インフレによって流動性の罠へ陥ってしまうのではないか」という懸念が復活しており、だからこそリフレ政策が必要になるような状況に陥らないように政策を運営すべきだと彼らは主張しているのです。4%のインフレ率というのはそのための政策案です(ただし、ブランチャードらもイマイチ自信がないのか、6つ挙げられた政策オプションのうち、この4%インフレの案だけは表題にクエスションマークが付いています)。
紅茶を片手に「まぁ、当然の話だよね」などと余裕をかましている場合ではありません。さぁ、今こそ高らかに「リフレ政策があれば流動性の罠など恐るるに足らない、だから4%のインフレ率なんか必要ない!」と宣言を!
10代に経験していないと恥ずかしい体験
名札を隠される
筆箱を隠される
上履きを隠される
ランドセルを投げられる
ぞうきんを投げつけられる
図工で描いた絵を取り上げられて笑われる
女子が悪口を言ってくるので反論したら言い合いになる
先生に怒られるが「○○君が話しかけてきたから注意してたんですーw」と嘯きひとり怒られる
皆がやっていることを同じように行ったら、何故か自分だけ「おいぃww」とか言われる
逆にやらないでいても「おーいいww」と言われる
○○菌ごっこで集中的に狙われて、放課後まで有効
そのまま定着し掛ける
水を飲んだ蛇口がトラップ扱いされる
すれ違ったときに手が当たったら「きゃあ!触っちゃった!」「ちょっと私で拭かないでよ!」と言われる
転校生に女子が、あいつとは話さない方が良いよwとか言ってるのを見かけるが、その女子と会話した覚えがない
給食を女子に配ったら泣かれる
「何か喋りなよw」と言われて喋ると「声がキモいww」と言われる
鬼ごっことかのグループに自分が入るとリーダー的な奴が「抜けた!」と言い出して全員居なくなる
休み時間に比較的仲が良いグループに近づいたら「何でお前?」と言われる
学年が上がりいじめっぽいことには対抗しようと考え始めたが、校内治安も上がっていてそういったことが一切起こらない
放課後遊ぶ約束をしていたので待ち合わせ場所に行ったら普通に約束を忘れられていた
用事があるので放課後遊ぶ約束を断っていたら全く電話が来なくなった
林間学校の夜に話す相手が居ないので一番初めに寝る
寝付けないので3時間ほど同じ班のお喋りを布団の中で聞くことになる
リーダー役がじゃんけんで勝った順にグループを作っていく場合は当然のように最後に余る
二人組を作るが、相手が他に余った人が居ること気付くと「あ、ごめん…」といって離れていく
二人組を作らされそうな空気を察知してクラス内人数が割り切れるか確かめる癖が付いている
席替えはランダム席にすると発表されてブーイングが飛ぶ中、ひとりほっとしている
同級生が転校するときにクラス全員と握手するイベントで素通りされた
クラス替えで仲の良いほうの人は当然のように別のクラスに固まっていて、教師に仲の良い人が居ないと思われていることに気付く
昔はどうやって友達を作っていたのか想像も付かない
仲が良いのは昔からの友達と友達の友達
友達としての優先度が低いことを様々な箇所で実感する
2人きりで何を話して良いか解らない
3人以上になると「いたの?」状態になる
丸一日口を開かない
知り合いすら少ないのに顔も知らない他学年になぜか認識されている
口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、どう考えても捏造だ
口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、その頃は違ったのに今と同じように扱われていて、記憶が改竄されていることを実感する
昼休みにすることがないので本を読んでいたら遠くから「あいつ何読んでんだよw」「ちょっと聞いて来いよwww」
昼休みにすることがないので校舎を彷徨くようになる
昼休みにすることがないので薄暗い死角となった場所で時間を潰すようになる
昼休みにすることがないので寝たふりをしていたら、隣から「本当は起きてたりしてw」と聞こえてきてびくっとする
昼休みにすることがないので本当に寝られるように計画的に夜更かしする
お前昼休み何処で食事してんの?と聞かれる
お前放課後なにしてんの?と聞かれる
お前普段なにしてんの?と聞かれる
いつも一人で居て楽しい?と聞かれる
何が嫌なことだったか忘れてきて別にどうでも良くなる
卒業アルバムの寄せ書き欄が白紙
卒業式後に直帰