はてなキーワード: じゃんけんとは
「トレーディングカードを使ってゲームをする」という発想自体はMTG以前にもあった。
かつてカードダスには謎のパワー値やじゃんけんマークが印刷されていたりした。
そしてトレーディングカードを使ってゲームをするなら、特定のマッチで使えるカードを制限するという「デッキ構築」は必然の要素ではある。
当然ながら、1ゲームで全カード資産を使ってもよいなどというルールにはならない。
MTGの何が特異的だったのかというとトレーディングカードを、それ自体を入手することが目的の「モノ」から、ゲームを勝つための「手段」へ変化させたことだと思う。
MTG以前は、フレーバーとして数字が書いてあるだけでルールが存在しなかったか、精々坊主めくり程度だったプレイングの意味が薄いゲーム性だったものを、リチャード・ガーフィールドはドイツボードゲームのような高度な駆け引きが可能なレベルのゲーム性に進化させることでそれを可能としたのだ。
普段は爺の記憶を頼りに増田を書いたり消したりしておりますが、ここまで反応がもらえたのは初めてなのでとてもうれしいです。
いくつか言及したいこともあるのですが、あいにく徹夜明けで頭があまり回っていないため、ここで少しお返事します。頭回ってないので読みにくかったらすみません。
単純なように思えますが、追加で出せるカードの方にポイントの増減やゲームそのものをスキップできるなどの特殊ルールがあって一定の駆け引きポイントはあること、
スカウターを使用して隠された能力を使ったり、モビルスーツに合わせて原作準拠でキャラ出したりなど、原作のフレイバーを感じやすい遊び方が多く結構楽しいです。
ただ、この追加効果についてはのちのシリーズで複雑化しすぎたため、か後年のスーパーバトルでは単純なポイント比べだけのバトルになってしまっています。
ナイトガンダム物語1~3などのゲーム版でカードダスバトルがフィーチャーされていて大人気だったので誤解されやすいのですが、SDガンダム外伝シリーズの円卓の騎士編まではカードを集めてセット内にいるボスに勝てる方法を見つける、という遊び方が公式ルールでした。
そのあと機兵バトルという遊び方も導入されたと思いますが、ルールは前述の遊び方と同じだったんじゃないかなと思います。(現物を見れば確認できるのですが、ちょっと倉庫から資料をあさる余裕が無くてすみません)
これらからわかる通り、カードダスの対戦ゲーム部分はめんこ遊びの延長線上のような「出して強い方が勝つ」「じゃんけん」を繰り返すゲーム性となっています。(ちなみに遊戯王のカードダス版でも同じようなルールなので一貫しています)
私としてはカードダスは広義の「TCG」ではあれど、歴史的には駄菓子屋文化から派生した「カードダス」というホビージャンル(このあとポケモンの最強シール列伝や国産トレカブームにつながっていくライン)としてとらえるべきで、TCGの歴史上「そういうものもあった」ぐらいの立ち位置なのではないかと思います。
ぜひ伺いたいです!SS版でパワーメモリが壊れてデータが飛んでもしまっても続けていたのですが、PS版エキスパンションで大量破壊カード連打デッキを使う友達に勝てずにゲームを投げてしまったので、初代から3DS版に至るまでの話などあればぜひ読んでみたいです。
個人的には持っておられたら紙のカルドセプトのプレイフィールなどもうかがえると嬉しいのですが。。。
カルドセプトにかかわらず、いろいろなカードゲーマーの語りを見てみたいです。
例の遊戯王10年増田のせいでTCG雑語りするブコメや増田が増えて大変喜ばしいんですが、爺としてはいろいろ気になる部分はあるので都度追記をさせていただいてはおります。
というわけでこの増田に対する補足を今回も。
MtGの元になったゲームはコズミック・エンカウンターというボードゲームです。
あのゲームがプレイヤーの使う異星人の組み合わせでいつでも斬新なゲーム体験ができることにMtGのデザイナーとなる人物が着目したのが最初で、
その他 strat o matic baseball や King of the Tabletop、ビー玉遊びなどのエッセンスをもとにMtGが開発されました。
(MtGに初期にSFの匂いのするカードがいくつか含まれていたり、すこしおふざけの入ったカードが含まれているのはこのためです。
高潔のあかし/Righteousness の イラストの上部にはスタートレックのカーク船長にとても良く似た人が描かれていたという話もあります)
MTGが本当に発明したのはカードゲームのルールではなく、トレーディングカードをゲームとして本格的に遊ぶというフォーマットぐらいなんだよ。
正しいです。ただ、かなり省略して書いている、というか雑かなと思います。
「トレーディングカードをゲームとして」の部分は「TCGとしての拡張セットの概念」の発明であり、
「本格的に遊ぶ」という点は「解釈揺れのない一貫したルールで他人同士が遊べるゲーム」という発明となります。
MTGの最初の拡張セット「アラビアンナイト」は最初の基本セットとは別のデザインの裏面で発売される予定だったのを、印刷直前で今の同じ裏面に変更した、という話はとても有名です。
MtGはごく初期に「Magic」をゲームの正式名称としていて、Magicの後の「:」は、「The Gathering」が拡張セット名に置き換わる予定だったとか、そのあたりからも分かるのですが、
当初MTG拡張セットはボードゲームの拡張製品のように、基本セットとは別の製品としての色が強いものでした。
元増田がドミニオンの名前を出しましたが、これを例に考えるとわかりやすいと思います。
ドミニオンは基本セットとカードを混ぜて管理したりはしません。基本セットだけで遊ぶこともあります。
この変更こそが現代のTCGの拡張セットとしての考え方を決定づけた歴史的な決定だったと思いますし、発明ではないかと思います。
MTG好きな方なら最近Rule 0という言葉を知られた人も多いと思います。アナログゲーム好きにも知っている方はいるんじゃないでしょうか。
アナログゲームではしばしばルールの解釈がプレイヤーごとに異なってゲーム自体に影響を与えることがあります。
そのため、ゲーム開始前のインストで、ゲームのルールに関する簡単な説明や質疑応答を行ったり、ゲームをしっかりルールに沿ってやるのか、カジュアルにやるのかのすり合わせをプレイヤー間で行います。
こうしたやり取りを Rule 0 と呼ぶのですが、これは競技性の高いゲームと相性が悪く、トラブルの種にもなったりしていました。
なによりゲームをやりたいだけなのに、わざわざゲーム前に参加者とすり合わせをするなんて、今の時代からすると想像しづらいですよね。(麻雀をやっている人はもしかしたら頷いてくれるかもしれません)
対して、MTGはルールを整備しジャッジングを導入することで、こういったあいまいさや齟齬をでどんどん取り払っていきました。
これにより他人と非常に遊びやすく、ルール理解で齟齬が起きにくいという競技性の高いゲーム環境が生まれました。
MTGが最初アナログゲームの待ち時間にプレイする小さなゲームを意図して作られたことも、こういったインストの簡便さを追求する理由になったのかもしれません。
その後、WotCは競技プレイをプロモーションの一環として推進することで、コレクション、競技プレイという2つの柱を持ったTCGという文化が生まれたわけですね。
参考文献:
テクニカルガイド for マジックザギャザリング(新紀元社)
https://mtg.fandom.com/wiki/Magic:_The_Gathering
そんなかんじです。
一問一答する人少ないよねきっと。
・同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?→私は誰も攻撃したくない。他の人は知らない。
・子供の姓どうするの?→自分の子供については、自分と同じでなきゃヤダとか無い。現状、夫の姓だし。選択的夫婦別姓になって自分が旧姓に戻したとしても、子供の姓はどうでもいい。子供が好きにすればいい。子供を産む前だったと仮定したら、じゃんけんでもくじ引きでも相手の希望通りでもいい。世間では現状追認で男親と同一にする家庭が多そうと予想。家制度の尻尾みたいで感情的にはヤダけど、人んちのことなので知らない。家制度の尻尾が直ちに消えるとも、直ちに消えるべきとも思わない。歴史の中でなるようにしかならないと思う。揉める人たちは揉めるしかない。
・選択的夫婦別姓がないと、男尊女卑が温存されるの?→選択的夫婦別姓が男尊女卑解消の道具とは思ってないし、道具になるほどの力はないと思う。女が男の姓になるのが大半、という現状維持になるのではと予想。
・パートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?→はい。様々な形態の世帯を包括する制度が好み。生計を一にし、相互扶助をし、相続等の権利を有し、一定の優遇のある制度。兄弟姉妹での助け合い同居とか、友人世帯もあり。子供の扶養には優遇あり。貞操の義務はオプションとか。制度が複雑になるデメリットはあるだろう。
・手続きめんどくさいとかはマイナカードに言えば?→言ってる人は言ってると思うけど、私個人は手続きめんどくさいもマイナカードしっかりしろも言ったことはない。今、変更する事由が発生してないので。SNSで言ってる投稿にいいねしたりはする。どっちも進めりゃいいんじゃない?
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?→いいえ。伝統は知らない。幼少期からの自分の呼称に慣れてて好きだから。山田花子でワンセットな感じ。山田花子を山田雪子にするのは嫌だし、それの多少薄い版で山田花子を田中花子にしたくない感じ。その意味では新姓創設も私個人にはフィットしない。でも、個人特定には番号にして呼称は昔の武将みたいに気軽にどんどん変えてもいい案を見て、それもありかもな、と少し思う。改姓して長い年月がたち、不本意ながら幼少期からの姓ではなくても慣れてしまったのもあるだろうし、素人創作活動でペンネームやハンドルネームに愛着を持てるのを知ったので、自分好みの名前ならいい気もしてきている。
はてブ見てたら解説したくなったので書かせて。シーズン終盤のMRは1950くらい。テリーもMR1800くらいまでいけた。
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ゲームやってない人って弱キャラで頑張るのかっこいいみたいな価値観あるよね。やってる側からすると弱キャラ使い本人以外が弱いキャラ使うの正当化してるの結構グロテスクに感じる。
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弱キャラで頑張るってのはゲーセン時代やオンライン対戦が主流でなく友達と遊ぶのがメインだった時代の遊び方なんだよね。
昔は自分が強くなったらすぐに結果に表れた。相手が固定メンツだから少しでも腕の差が出来たら10連勝だってざらだったでしょう。
んで相手が目の前にいる状況で強キャラ使って勝ち続けても何だか居心地悪いしじゃあちょっと弱いキャラでも使ってみるかってなるのは当然よね。
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でも今の時代は違う、今はランクマッチが主流だから自分が強くなったら相手も強くなる。賽の河原をずっとやり続けるような状態。
めちゃくちゃく練習して寝る間も惜しんで調べものしてでも勝率はずっと50%。
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プレイヤーとして強い人が弱キャラ使ったらどうなる?ほかの強いとされるキャラ使いの中の人は自分より下手な人と当たるわけよね。
自分より下手な相手だけどキャラ性能押し付けられたときは負けて相手の変な手癖見つけた時は勝てる。みたいなことも多くなる。
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たまに遊ぶ程度ならそういうのも楽しいと思うけど毎日毎日それを数時間やり続けるのつらいと思うよ。
弱キャラやりこんで俺だけが使ってるコンボや超反応で華麗に勝ちまくるなんてないんだよね。
攻略の遅かった昔とはゲームの取り組み方が違ってコンボやセットプレイなんかの情報は知っててあたりまえ、そのうえでどこで差をつけるか?ってなってる。
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そもそも弱キャラはなんで弱キャラかっていうとやれることが少なかったりセオリー通り戦ったらずっと息苦しい戦いさせられるから弱キャラなんだよね。
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格ゲーってやってない人からみたら反射神経とかめちゃくちゃ必要そうに見えるよね?
特に一番展開の早そうに見えるであろう至近距離のやりとりとかはプロでも見てから反応してるわけじゃなくて、相手の選択肢と自分の選択肢を整理してぶつけ合う感じのゲーム。ポーカーみたいな感じ。あるいは高速なポケモンバトル。
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んでこの至近距離は完全対応することはできない人類平等だからじゃんけんに例えられたりすることが多いんよね。
んでじゃんけんに持ち込むまでの過程だったり、いかに割のいいじゃんけんに持ち込むかってところで上手い下手が生まれる。
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だから「相手が知らない時だけ通用するじゃんけんになってないじゃんけん」や「もうどうしようもないから自分から不利なじゃんけんを仕掛ける」みたいなことを多用したりしないといけないわけね。
実はグーとチョキしか出せないじゃんけんになってないじゃんけんを仕掛けて「こいつなら知らないだろ」、「うまい人には通用しないけど頼む!」みたいな感じになる。
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もちろんこういう要素は強キャラにもあるんだけど、弱キャラにはこれしかない、みたいな場面が往々にして出てくる。
相手の人が強くてまじめに戦ったら30%しか勝てないので、40%で勝てるであろう運ゲーします!みたいな発想になっちゃう。
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40%勝てるならそっちが正解じゃんって思う?
でも30%のほうの選択肢はやり続けていけば上手くなって勝率あがるんだよね。
まじめに30%を研究し続けていけば1か月後には45%勝てるようになってる。40%のほうはやり続けても40%のまま。
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強キャラは格上相手にまじめにやっても勝率40%です!運ゲーしても 勝率40%です!みたいな感じが多いから自然と上達できる方を頑張れるんだよね。
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もちろん「格上を倒す力」や「勝負強さ」みたいなのも必要なんだけど自力があっての隠し刀というか…
運ゲーギャンブルみたいな戦い方をしている人を否定する気は全くないんだけど毎日何時間もやっている趣味だったら自然と「どうせなら強くなりたい」とかそういうモチベーションになってくる人が多いと思うんだよね。
ちょっと違うけどたまにやる趣味のフットサルなら小学生みたいなわちゃわちゃゲームしてても楽しいだろうけど、毎日毎日の練習してるのに何年も小学生サッカーやり続けるのはつらいみたいな。
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強い人だったら弱キャラ使ったりして遊びなよ!みたいなのはもうめちゃくちゃずれてると思う。現役でやってるひとでそんなこと言ってる人なかなか見ない。
強いキャラを強く使うのも実力だと思ってみんなやってる。世間的には弱いとされてるけど強いと思って使ってます!みたいな人はいるしそれで結果出せればそりゃかっこいいけどそれは本人は弱キャラだと思って使ってないしね。
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マスターの勝率データを参照している人多かったけど公式の全体勝率を見てもキャラの強さはあまりわからないよ。
マスター帯はイロレートってシステムを採用していて適正レートになってからは勝率は強キャラも弱キャラも50%近くに落ち着く。
直近の修正でキャラ相性は変わったか?適正レートになるまでにやめる人がどれくらいいるか?とかサブキャラとしてお試しで使ってる人がどれくらいいるか?とかそういう要素のほうが大きい。
例えば超絶強いキャラがいたとして、そいつが弱体化されてそこそこ強いキャラになってしまったらその月の勝率は50%を切る。そこそこ強いのに。もともとのレートよりは適正レートが下がるからね。
デッキやパーティー組む系のゲームなら勝率というか使用率がかなり参考になるだろうけど格ゲーやバーサスシリーズみたいな参加人数少ないゲームの勝率はかなり条件に気を使わないと参考にならない。
ちなみにこんなに語っといてあれだけどスト6はキャラ差そこまでひどくはない。そしてザンギはちょっと前まで準最強格で今でも普通に強い方のキャラです。
それなりにうまくなったしランクも高位だけど、そもそも格闘ゲームっていうもの自体が浅い
まともな人間もいるけどさー
「格ゲーはボクシング(の反射神経)と将棋(の知略)を同時にやってるようなものだ」
とか言ってた女ゲーマーがいたけど、なぜそこまでアホなのかと不思議にすら思う
そんなすごいもんんじゃない
ただの高速じゃんけんに過ぎない
C言語の授業だったと思う
その頃のWindows98が一般家庭にはそこそこ普及してて、学校のPCはほとんど95だった
ゲームを作る学科とはいえ、まだ入学したてでプログラムなんてすらすら組める生徒はほとんどいなかった
というか、卒業までにそこそこプログラムを書けるようになる人なんて数人だった
じゃあゲーム作るなんて無理だろうって話なのだが、ここでいうゲームは、
printfとgetc?を駆使して、さらには可能であればrand(rands?)も使用し、
あらゆる演算(四則演算とさらには%)を組み合わせた高度なアルゴリズムが必要な
中には、ゲームブックを具現化したような、分岐数が二桁を超える圧倒的ボリュームのマルチエンディングアドベンチャーを作ったやつも居たし、
タイマーかなんかでゴリゴリ回してだったかターン制だったかの、インベーダーゲームを作ったやつもいた
たしか2コマぶち抜きだったか、日を分けて2~3コマだったか忘れたけど、そこまでやるやつは家では他の事するので
授業内で全部組んでた
「大」が自キャラで、剣を装備したら「犬」になる とかで 王様との挨拶をすっ飛ばして
「山」やら「森」やらある「草」フィールドを歩いてたら敵にエンカウントして、ドラクエ1みたいな戦闘できるやつ
AAで敵のグラフィック作ろうとしてあまりにも時間がかかることでスライムだけ作ったぐらいで終わった
今思えばシレンを作れば良かったと思う
先月ぐらいに、今更そういやローグってどんなゲームだ? って気になって調べたら、AAとか要らんみたいだったから
でも当時は好きなゲームで一番シンプルで作りやすそうなのは、ドラクエだった
というのを他の増田でマリオを作るという記述見て思い出しただけの増田
なんか色々考えさせられることは多いなと思って書き始めたのだけど、前述の圧倒的ボリュームのマルチエンディングアドベンチャーは
だいたい選択肢を間違えたら一歩先で💩まみれになって死ぬだったなあ って記憶がよみがえって来てどうでもよくなってしまった
実際は、穴に落ちたり、犬に嚙まれたり、色んなパターンあったし、エンディングは画面切り替えもあってそれなりに感動する仕上がりになってたから、💩まみれって評価は正しくはない
小学生の頃、給食で年に一回のたなばたゼリーが出たときに休んでいた高岡くんの分を誰がおかわりするかじゃんけんで決めようって話になった。当然、クラスのほとんどみんながたなばたゼリーをおかわりしたいと思ってたので30人くらいでじゃんけんすることになった。
僕はみんなでじゃんけんするとずっとあいこになって時間がかかるだろうと予想して、兄から聞いたことのある「多い勝ち」をみんなに提案した。そしたら「何人かでどの手を出すか決めておけば有利になるからダメだ」とクラスメイトに言われた。
それもそうだと思った僕は「少ない勝ち」を提案した。今度は「自分以外がグー3人、チョキ2人、パー2人とかだったら自分がどの手を出しても負けになるからかわいそうだ」と別のクラスメイトに言われた。一理あると思った。結局、誰が食べるかの決め方を決める前に給食の時間は終わってしまってクラスメイトの誰もたなばたゼリーを食べれなかった。
今の社会は議員を選ぶのに「多い勝ち」をしていて、マイノリティーを守ろうというときには「少ない勝ち」をしている。しかし、そうすると「多い勝ち」のときには結託したもん勝ちになるし、「少ない勝ち」のときは自分がマイノリティーではなく、かといってマジョリティーでもなかったときはどうしようもない。じゃんけんがダメだったから多い勝ちと少ない勝ちを考えたように、多い勝ちと少ない勝ちにほころびがあるのなら新しいルールがあっても良いのではないだろうか。
2024/8/5 16:37~18:08
順不同。他にもあればどうぞ
001
ニーターパン増田と糖質増田とML失敗増田と発達増田と170未達増田が同一人物って匿名でも解るの、一種の才能なんだよな
002
で?
003
再投稿は甘え
005
このコメントは自閉的な傾向が高いですね?
006
鏡とじゃんけんして負けてそうw
こわっ 誰もが増田みたいなホンモノじゃないんですけど・・・?
008
009
それbotだよ?
010
もはや嘘を隠さなくなってきたな?
011
012
013
痴呆?
014
うわぁ・・・
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016
実際監視はされてるけどね?
017
018
019
前提の段階で全力で間違えるのやめてもらえません???
020
また逃げんのw?
021
魚拓取ったよ?
022
ということにしたいのですね
023
024
そういう事だろ?
025
それ自白な?
026
それbotだよ
027
いやwお前がどう思ってるか別にどうでも良くてねw?
028
女子大生の設定では
029
そういう設定って事だろ?
030
031
032
ニーターパン連呼増田がまたbot動かしてるけど世間はお前の事助けないからな?
033
いやそれは答えになってない
034
035
飽きたっつーの何度言うんだよそれ
036
037
038
俺はお前じゃねーんだけど?
039
040
botと会話した気になってるのお前だけやぞw?
041
042
鏡とじゃんけんして負けてそうw
昔からの知人なんだけど、自分の要望を通したいときにいつもこう言う人がいる。
例えば、
みたいなときに「誰が得するか/貧乏くじひくか」決めなきゃいけないタイミングってあるじゃん?
かわりばんこにしよっかとか、じゃんけんで公平に決めようかって話が出ても
「私は〇〇がいい。みんなそれを希望していたとしても私の方がその意思が強いから。」
みたいなことを言う人がいる。
え、話し合う気も譲り合う気もゼロじゃん!?と思って、初回は面食らってしまって「はあ…、、じゃあ、、どうぞ(ドン引)」って感じだったんだけど、
そうやって成功体験を重ねたのか、ことあるごとにこの手口で押し通そうとしてくる。
じゃんけんしようとするとめちゃくちゃ渋る。「いやそうじゃなくて、、」とか言って迷惑そうにしてるw