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はてなキーワード: 甲斐とは

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-24

anond:20231024183242

女は甲斐性がないので、キラキラしてない職には就こうとしないんですよ。

2023-10-23

anond:20231023142012

昨日から薄い本大好きマンが来てて数年かかって増田にひろめた甲斐があるけどそれはそれで厚い同人誌を知らんのかといいたくなる横

再録本かさばるけど書き下ろしついてるからつい買っちゃうんよね

anond:20231023115226

本の置き場の解決法って

あたりが定番だけど、

電子書籍はなんか知らんけど嫌で、

つの本棚に入れたいということは離れた倉庫に置くのもダメということで、

端末の値段にすらブーブー文句言ってる弱者男性に広い家に住める甲斐性があるわけもないので、

じゃあ解決法なんて無いじゃん。

解決不能ワガママを喚き散らし、何とかアドバイスを捻り出してくれた人を罵る奴が、能無しじゃなくて何なんだ。

2023-10-22

anond:20231022191805

え、貧困肥満の相関について、原因ぜんぶ分かってるの? すごいね

もう文章ひとつひとつが全て頭悪くて本当に見事だわ

東京コンプを拗らせてるってことは東京に出てこれるほどの頭の良さも甲斐性すらもなかったってことがよく分かる

2023-10-20

anond:20231020113835

昭和佐藤さんちの旦那さん、ボーナス○○万円で今度ハワイ旅行行くんですって」

令和「佐藤さんちの旦那さん、こどもの保育園送り迎えも夕食作りも全部やってくれるですって」

女が男に甲斐性を期待するのは何も変わってない。

2023-10-19

anond:20231019011653

哲学美術歴史的な積み重ねがあるから普通に学問として学び甲斐があるぞ

実際に大学能動的に学んでる人がどれだけいるかは別問題やが

料理だって、きちんと歴史研究して論ずる人が出続ければ、何十年後かにはしっかり学問として成り立つぞ

そこで学んでも料理がうまくなるわけではないだろうけど

2023-10-18

anond:20231017192823

自分選択正当化したくなるものなのに、あなたは誠実だと思った。

逆の選択をした人を見かけたら、自分だったかもしれないその人たちだと考えてアシストしていけば、その子も訪れてくれた甲斐があるんじゃないかな。

2023-10-16

離れていく感覚が辛すぎる。

私はこれから生きていけるのだろうか、全て自分のせいでこうなってしまった。

間違いなく一番好きだったし、一緒にいれて幸せだった。私の幼さと不甲斐なさが原因、辛い思いをさせてしまって申し訳ない。

幸せ時間ありがとう不安定でごめんなさい。

すごくすごく好きでした。

2023-10-15

ブラック企業跋扈する日本は軽い戦争状態と同じようなもん

ブラックで働いてたら入って勤務半年くらいでありえないくら顔面が老けて、辞めてから治るまで3年位はかかった

当時30代前半だったけど、新しく入ってきた新人再雇用の方ですか?って聞かれる位老けてた

給料も安かったか貯金ほとんど貯まらなかったし、本当にろくなもんじゃなかった

氷河期以降何十年もブラック企業は野放しで、この状態じゃ子供も生まれないし経済も良くなるわけないよなあ

戦争状態でも人生うまくいく人はいるし、戦争よりはマシではあるけど、やっぱり本質的に同じようなもんだと思う

今の日本の様に、悪いことの結果と言うのはけっこう時間がかかってから現れる場合も多い

仏教でも、悪業も良業も石に水が滴って穴が開くように、結果が出るまでは時間がかかるというけれど、それは本当だと思う

例えばアホみたいな例だけど、安価不自由なくAVが観られるようになると現実パートナーを見つける欲が減って結婚できる可能性が減る、とか。

まあそれなら、十年結果が出なくてもコツコツ良業を死ぬまで積み続ける甲斐もあるかもしれない

2023-10-14

青年マンガなのにレビュー女性が9割の謎

手のひらにアイを、おいらん姐さんの2作品シーモアでそんな感じになってた。

女性キャラ人間味がある、人間的に魅力がある(両者は本来概念だが…)ことが共通点だが、それと関係があるのだろうか。

前者はヒロイン甲斐甲斐しい、後者花魁の姉さんが気丈で本来つらいはずの苦界でしたたか生活する様が面白い

2023-10-13

anond:20231013112129

コーチングしてて思ったのが、とにかくキラキラした舞台に憧れて、そのイメージ自分の現状の差でイライラしてる女性Vが多すぎる。

お前はその態度で頑張っても「勇気ちひろレベルにはなれんのやで。

男Vはこのゲーム面白いからもっと上手くなりてー!!!って感じの人ばかりだね。ぐんぐん吸収するからめっちゃ教え甲斐あるわ

2023-10-12

子どもが生まれたけどめっちゃ祝福される

万人に共通する幸福価値観結婚出産お金、美の4つしかないと言ったのはマツコ・デラックスだが、この中でも出産はとびきり特別だ。

タイトルの通り、最近子どもが生まれたのだが、本当にみんな喜ぶし祝福するのだ。

自分の不甲斐なさからギクシャクしていた義父義母もニッコニコだし、実父実母は言わずもがな

役所に行っても病院に行ってもまずはおめでとうございます。散々と文句を言われてるし不足している部分は多いが、自治体の子持ちに対するサポート独身子どものいない夫婦とは比べ物にならないぐらい手厚い。

散歩してれば知らないジジババがめちゃくちゃ話しかけてくるし、電車に乗れば席を譲られるし、職場子どもが!と言えば大抵なんでも許される。

やはり人間が一人増えるということが社会にとってどれだけ重要か分かるし、どんなに個人主義的な考えが広まっても(子どもをつくらない夫婦やLGBTQの権利を広げて言っても)この壁は超えられないんだろうな〜と感じてしまった。

2023-10-11

藤井全冠かー

他の棋士の人たちは不甲斐なさでいっぱいだろうな

チェスなんかよりも女が得意な業界で勝ててないことを問題視しろ

まあこれなんですけども。

チェス、将棋…ボードゲーム界に「男女格差」が残る理由 頭脳戦で「女脳は男脳より弱い」というのは本当か | 概要 | AERA dot. (アエラドット)

上の記事で言ってることは基本的違和感はなくて、要は分母が圧倒的に男に偏ってるから当然トップ層も男ばっかりになるって話ですよね。

 

そういうことはあると思うんですよ。そもそも子供の頃から将棋が好きでもっと強くなろうなんていう女、あんまりいないのわかるじゃないですか。

記事中ではチェス将棋は男の遊びっていうイメージあるからみたいに言われてますが、そんなんあるわけなくない??少なくともプレイは誰でもできるじゃん。

てか男だって大体は一回やって終わりだよ。負けるし強くなれる気しねーから

なんか将棋みたいな(子供にとって)訳のわからんアブストラクトな遊びを面白がれるの、こう言っちゃあなんだけどASDみたいな連中ばっかりでしょ。そんでそういうのって大体男でしょ。だからなんも不思議はなくない?

ブコメ読んでたら碁はけっこう男女の差が縮まってきてるっていう話があって、確かにそれはそうなんだよね。去年最年少でプロ入りした仲邑菫とかもいるしね。ハンマーパンチ上野は棋戦にも出てるしね。

とはいえまあ五十歩百歩ですわな。女の棋士女流じゃないプロにもいるとはいえ、人数比は圧倒的だよ。

 

なんか話それてるけど、つまりそもそもやりたいですか?って話。

囲碁とか将棋とかチェスとかで強くなりたい女の子、そんなにいますか?って。

 

俺がなんか異常なのではと思っているのは、服飾業界だ。

服飾を志望する若者は、女の方がずっと多い。多分8割ぐらいは女だ。そしてアパレル系の会社も女ばっかりだ。

棋士の男女比よりは全然マシだが、とにかく女の方がずっと多い業界だ。

しかも消費する側も女の方が圧倒的だ。メンズファッションマーケットは女の半分ぐらいしかないんじゃないか

(というか、気にしたことなかったが、単にファッションブランドという場合、それは基本的に女向けのものだ。男向けはわざわざ「メンズ」とつけないといけない。わざわざ「女流棋士というのと対照的だ)

そのような状況でありながら、業界トップと言えるファッションデザイナーには、男がかなり多い。俺が知ってるようなトップブランドだと半分以上は男なんじゃないのか?

 

 

とここまで書いたところで実際どうなんかわからんなと思って調べました。

先日までやってたパリコレ2024春夏でショーをやったブランドと、デザイナー(クリエイティブディレクター)と、その人がいつからやってるかの一覧になりますソース基本的ヴォーグジャパン(https://www.vogue.co.jp/tag/2024-springsummer-pariscollection)から

 

ピータードゥ ピーター・ドゥ 創業者
ディオールマリアグラツィア・キウリ 2016~
ドリスヴァンノッテンドリス・ヴァン・ノッテン創業者
サンローラアンソニーヴァカレロ 2016~
バルマンオリヴィエ・ルスタン 2011~
クロエガブリエラハース 2020~
ジバンシィマシューウィリアムズ 2020~
ラバンヌ ジュリアン・ドッセーナ 2013~
キャパレリ ダニエルローズベリー 2019 ~
アンダーカバー高橋盾創業者
ロエベジョナサン・アンダーソン 2013~
ヴァレンティピエールパオロ・ピッチョーリ 2016~
ヴィヴィアンウエストウッドアンドレアス・クロンターラー 2022~
ルイヴィトンニコラ・ジェスキエール 2013~
ステラマッカートニー ステラマッカートニー 創業者
コムデギャルソン川久保玲創業者
シャネル ヴィルジニー・ヴィアール 2019~
ミュウミュウミウッチャ・プラダ創業者
メゾンマルジェラジョン・ガリアーノ 2014~
バレンシアガ デムナ・ヴァザリア 2020~
リックオウエンス リック・オウエンス 創業者
コペルニ セバスチャンマイヤーアルノー・ヴァイヤン創業者
アレキサンダーマックイーン サラ・バートン 2010~
クレージュニコラス・デ・フェリーチェ 2020~
ノワールケイニノミヤ二宮創業者

 

カールラガーフェルドが亡くなったのって2019年だったんですね。なんかもっと最近だと思ってました……

こうしてみると、25ブランド中、18ブランド男性ですよ!!ヴィヴィアンウエストウッドは本人が亡くなったばっかりで、夫によるヴィヴィアン本人のクローゼットを元にしたコレクションと書いてあったので、もしかするとアンドレアス・クロンターラーディレクターやるのは今回だけなのかもしれないですが……

 

でまあ18/25、すなわち72%が男性らしいですよ。トップデザイナーたちは。

いいのか?これで?

女がファッション消費するのだけが好きで作るのはそんなに……っていうんならわかる。それならそれでいい。

でも服飾系専門学校とか、女の方が多いだろうが??(海外では全然違いますとかあるのだろうか。それも調べようかと思ったけどもうちょっと疲れてきましたので有識者補足ねがいます)

女ども、入門だけしといてその先へ行く気はないのか?

それともこれはファッション業界根付構造男尊女卑だというのか?客も、業界人も、ワナビーも女の方が数が多いのにか?(でも、これはなくはないような気がしている。金持っているのは男だし、権力を持った女は男が大好きだし、ゲイがすごいエンパワーされてる業界だし。いや、全て偏見です、すみません

 

とにかくだよ、将棋だとかチェスだとかのしみったれた遊びは陰キャにやらしときゃいいだろうが!!

持ち味をイカ!!!得意な業界でまずは勝とうや!!!

しっかりしろ女ども!!!

 

 

ブコメ言及ありがとうございます。以下追記です

 

 

 

 

その「女が得意な業界で勝ててない」ことが本当に女性側の努力不足能力不足に由来するものなのか、それとも男がトップにいることへの無条件の信頼信用という社会構造に起因しているのか、もう少し考える余地

 

そういうのは実際あるんだろうと思っていて、それはつまりファッション消費者たちは業界の外の芸能界なり経済界なりの人間たちで、そこで男どもが未だに椅子をあけていないからだね。でもさあ、どこのブランドフェミニズムめっちゃ推してるんだよ。ウチの服は女性をエンパワーしますって言ってんの。

それなのにこの状況がダサいって思うの。

 

 

阻害してる人・社会構造があるんよ。「女がやる気がないから」って話は問題半分でしかなく、ココ・シャネルの頃から構造は変わってないのがもう半分

 

私も業界人ではないから実際のところは知らないので、推測でしかないんだが、マジで何も変わってないのか?あんだけMeTooとかやったのにか?

本当に何も変わってないよっていうんだったらもうどうしようもないんだが

 

 

視点は良いけどそこから導き出される結論は残念やな。偏見増田の良い部分を歪めている

 

いや偏見ってどの辺が偏見になるんだよ。

そりゃまあ多分偏見はあるんだろうが、それならそれで正しいバランスのとれたご意見をお聞かせくださいよ。

そうでなきゃおめーの方に偏見あんのかもしれないだろ。100字で足りなきゃ増田に書けよ。

 

 

この、自分世界観人間観への圧倒的な確信から繰り出される力強い(※婉曲表現)男女論、なんか既視感あるな……

 

確信なんかしてねえんだよふざけるな。日々迷いっぱなしだわ。「力強い(※婉曲表現)」てのは何らかの揶揄だよな?疑義があるなら真面目に書いてくれ。

既視感があるっていうなら思い出して書名でも書いてくれ。

 

 

“女ども、入門だけしといてその先へ行く気はないのか?"ないわけなく、それを解きほぐしていかないとねってずっとみんな言ってると思うんですが…

 

そうだよね。ずっと言ってる。100年ぐらいは言ってるんじゃないか?それでこの体たらくはどうしたって言ってんの。

 

 

この手の勝ち負けがハッキリとな分からないジャンル差別がキツそう(無意識偏見評価が変わってしまう)

 

それはあり、でも改善はしていると思う。実際、人種とかデブかについてはかなり多様性担保していこうねって感じになってると思う。

勝ち負けに関しては、まあブランド成功してたら勝ちでいいんじゃない?そんでパリコレでショーやれるってのは、ハッタリとかがあるにしても、一定成功指標ではあるのではと思います

 

 

「女が輝く職場」と誇るアースなんちゃらも経営陣はセクハラおっさん寡占で、女は店舗運営のみ https://fumufumunews.jp/articles/-/17409 https://www.asahi.com/sp/articles/ASN366TW7N36ULFA043.html ストライプにかぎらすアパレル全般そうよね

 

結局金を出してるのが男っていう場合結構あるだろうね。

だけど現代はさあ、もう「女だから」で排斥しづらくなってんじゃないかと思うんだよね。だから言い訳しづらくなってきてると思うんだよ。

これからってことなのかなあ。頑張れみんな

 

 

東コレはどうなんだろ。パリコレは並のドメブラじゃ金続かないからキツいでしょ。女性だとツモリとか山本耀司の娘のトコとかmameあたりはパリでてたけど今どうなっとるのん

 

mame、なんかこないだのパリファッションウィークのショー一覧の中に名前あった気がする……

かに国内ブランドだと経営女子みたいなのけっこういる気がする……他のブコメでも言われてたけど、世界トップまで目指そうって人はあんまりいないってことなのかなあ。

 

 

ファストファッションカジュアルブランドデザイナーだと男女どっちが多いんだろう。デザイナー全体のすそ野が男女どちらが多いかによって、結局、世界中の産業の男女差の問題と同様に帰結する気がする

 

かに…….ワナビーに女が多いのは明らかなんだけど、プロまで行ったやつの男女比ってどうなってんだろう。


てか返信書いてるうちに思ったより反響もらったな。増田がこんなバズったことないから嬉しいわ。

 

 

※以下再追記です

 

 

すごい伸びてくれてありがとうございます

 

 

ブコメ結構言われてて、トラバでも露悪的に書いてくれてる話で、出産育児の話があって、まあそれはあるよね〜ってなりました。

ただまあ、考えると残念なのは普通の女のキャリア出産育児でアレするとかはクソではあるけどこれからだよなって思うんですけど、

トップ層の才能と強さがあるような女たちでさえそうなってしまうんか……??ということです。

だってセックスはともかく、出産はしなくても良くないですか?うっかり産んでみたとしても、育児なんかパートナーにでも友人にでも丸投げしたら良くないですか?

そうではなくて、やっぱり子宮本能には逆らえないっていうんなら、すげえしんどい話だよなと思うんですよね……

いやまあ、最終的には個人個人で戦っていけってことでしかないんですけどね!!

でも統計的に女がそうっていうなら、やっぱ社会構造も変えられなくない?って思っちゃうんだよな……



あとASDを雑に揶揄したことに関してですが、完全に私の不徳です。すみませんでした。

強い言葉を使ってバズりたかったために、わざとあのように書いてしまいました。本当にすみません

私自身は、ASDについて、個人特性という以上には特に何とも思っておりません。


 

※再々追記

ホッテントリトップに入ってる!!超嬉しい。

ちなみに、上で「しっかりしろよ!」などと言っていますが、自分は具体的な行動はできていないと思いますし、実際のところ具体的な行動って何?という感じもしています

まあ日々の仕事粛々とやっていくしかないわなというのが正直なところです。

もちろん、不当な扱いを受けたor誰かが不当な扱いを受けているのを見たら、それはその都度、ちゃんと言っていかなくてはな、と思います(その時その場で正せるとは思わないですが、少なくとも表明だけはしていこう、ということです)。

あとヴォーグジャパンパリコレレポート記事が追加で出ていましたね、エルメスアンリアレイジ、ヨウジヤマモトジュンヤワタナベってやっぱ男ばっかやないけという感じもしますが、エルメスゴルチエの後はずっと女性じゃなかったっけ?(今調べたら違いました。すみません。今は女性ですが)

 

 

とにかくこんな雑な語りに付き合っていただいて感謝いたします。

いろいろ新しいことを考えられてとても楽しかったです。仕事をサボって調べた甲斐がありました!

2023-10-10

久々にパパ活で当たりを引いた

けっこう可愛くてちょい細身で

普通に愛想よく喋ってくれて

金には困ってなくて時々ちょっと高い買い物したりしたいときだけ活動する感じで

警戒心強すぎず

特に時間制限も無く

ホテルの照明暗くし過ぎず

裸も見せてくれて

一緒に入浴してくれるし

それなりに感度も良くて楽しくセックスできる

21歳ギャル女子大生

お手当は交渉して別1.5

という総合的には激レアパパ活女子をツモれて楽しめた週末だった。

前回ソープで痛い目を見たのでちょっと気分を変えて良さげな女子を頑張って物色した甲斐があった。

今週も頑張ろう。

anond:20231010021954

片や海外で抱きまくってたレジェンド校長みたいなのもいるという

必要なのは勇気甲斐性だよ

2023-10-09

新卒入社して数年はお茶汲みコピーばっかりやらされてたって50代女性が不満げに語っていたけれど

いや、数年経ったらちゃんとした仕事やらせてもらえたんでしょ?なら別によくない?

女性だけにそれをさせるのは駄目だろうけれど

男女問わず入社して数年は雑用で慣れてきたら責任のある仕事を任せるっていう体制別におかしいとは思わない

それが今は完全に正規非正規とで身分格差が出来てしまって、正規新卒入社出来た女性最初から遣り甲斐のある仕事を任される一方、非正規で入った女性永遠に非正規という身分の固定が起きているんだけど

その辺を問題視するフェミニストって何故なかいないんだよね

2023-10-07

anond:20231007234015

それはそう🙄

それくらい稼げる甲斐性のある人生でいたかった…

正義ヒーローがいると社会は悪くなる

ジャーナリズムごっこ

https://anond.hatelabo.jp/20231005063225

の続きといえば続き。

NGリスト」のおかげで、また妙な方向へ話がドライブしている。

そりゃあんだけ大暴れしてたら後回しにされない方が変だろう。

一方でそんな内々の処理をダダ漏らす無能ぶりに震える。バカくらべか。

望月だって説明責任全く果たしてないとか弟が云々というのは無理筋というか「それはそれ、これはこれ」である

ジャニーズ望月記者のどっちの肩を持つん!?」というような問題ではもとよりないのだ。でもそういう対立構図でしかものごとを捉えられないレベルの人々が蝟集している。

さらに言うなら人だかりにはそれ自体に人を呼ぶ力がある。「対立構造しか考えられない」どころではなく、ほぼ何も考えられないが火事場の雰囲気にあてられて興奮して走り回る種類の人間が集まってくる)

児童に対する性犯罪とその組織的隠蔽事件までウヨサヨ対立ネタになってしまう、奇妙な社会を我々は生きている。

と、ここまでは前置き。知ってるか?正義ヒーローがいると社会は悪くなるんだよ。

ポスト核戦争の無法の荒野ではケンシロウは力無き民の唯一の希望だが、

警察とかがそれなりにある社会で、ヒーロー自由徘徊して悪人をこらしめてまわってたら社会は悪くなるよ。偏頗な正義は分断と憎悪の母だから常識だろ?えっ知らないの?なんかもっとマンガとか読んで勉強するといいよ。

それぞれの人間がそれぞれの利益・思惑でめいめい勝手に動き回る社会可能なのは手続き的な正しさだけだ。要は法秩序民主主義

別に望月衣塑子だけを念頭に言ってるわけではない。「文春砲だってそうだ。

スキャンダリズムは「正義を売らない」という旗印を掲げる。朝日新聞的に自分たち大衆を導いてやるというのではなく、大衆動物的関心に応えているだけだと。

複雑な社会の中には一部にそういうのもあっていいだろう。情報のドブ浚いというやつだ。

しかし今の文春のポジションは明らかに期待されすぎである。もちろん他のマスコミが不甲斐ないのだ。

2023-10-06

年収を上げるべく転職したら通勤時間が早まり忙しくなり、

SNSソシャゲラインの返信が転職前と比べてできなくなった。ソシャゲログインすらしない日もある。

しか仕事にやり甲斐はあるし早寝早起きなりメンタルも良くなり、何より収入が上がったのでマイナスとは思っていないのに、

ネット中毒の友人(新卒から勤続、昇給なし低賃金なことを日々SNS愚痴っている)からスマホも触れないほど忙しいなんて転職しなければよかったね」と言われたのが心底モヤモヤする…

2023-10-05

アスペ(診断済み)ワイ、ワイに教育虐待を繰り返した学歴厨パッパのことを考えてた。

なおワイは教育虐待甲斐もあり、なんとか旧帝院卒の学歴を得たが、在学中からうつ病入院したり自宅療養したりで、常に具合が悪く、父が望むようなキャリアは歩めていない。それもあって勘当されている。

父は寡黙で口数が少なく、友人が居ない。口を開けば空気の読めない発言をする。例えばワイの母の母、父にとっての義母が急死した葬儀で、父は悲しむ母方の親族の集まる中で「ピンピンコロリで元気なうちに死んでくれてありがたいっすわー」などと臆面もなく言い放って顰蹙を買っていた。本音だとしても、言ってはいけないタイミング相手があるということが父には理解できないのだった。

見るからに父はワイと同じ(か、それ以上の)アスペだった。

アスペのワイがそうであったように、おそらくアスペの父にとっても社会人間関係というものは良くわからず、怖いものだった。

そんな中で、良い大学大企業に入ることで生活保証されるストーリーは、アスペの父でも「わかりやすい」貴重な社会ルールだった。

から子供教育にはそれにこだわったのだと思う。

アスペは一度こだわりを持てば愚直なまでにそれを遵守しようとする。

教育重要性に気づいたところまでは良かったが、虐待の末に高学歴になれてもうつ病になるまで追い詰めたら意味がないというところまでは父は思い至れなかった。

一度こだわり始めたら目的手段が入れ替わってもひたすらそれを追い求めてしまう。

そうだとしても私が父の望む成績を軽々と取れるほど優秀なら虐待はされなかっただろうが、残念ながら私は出来が悪かったのでひたすら「教育」されていた。

子供の頃は父はなぜこうなのか全くわからなかったが、自分自閉症と診断されて、父もそうだったのだろうと考えると、色々と納得がいく。

やり方は明らかに間違っていたが、父も父で不器用になんとかしようとしていたのだろうと思うと同情もする。

2023-10-04

anond:20231004015836

年収なんだから、それに見合った責任感というか甲斐性を身につけなよ。

恥ずかしくないの?

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