はてなキーワード: 生産地とは
まず本筋からずれるんですけど「海から魚を取りつくす」ことと「ウナギやマグロが滅ぶ」のがちょっと違う問題だと認識してください。
一定量の栄養分が海に流れ込むということは、それがすべて消費されるということでありまして(生物界は常に飢餓的状況です)ウナギやマグロがいなくなればその分の栄養を利用して他の生物が増えます。
なので、「ウナギやマグロは滅ぶかもしれないが、海から魚を取りつくすことは困難」なんです。
そして、紙の原料である樹木についてですが、なくなることはないと思いますが、使用量が増大した場合、高価になっていくことで使用量が減っていきます。
はっきり言って、木を伐り出して工場へ運ぶというのはものすごく大変な作業です。
日本の山林で、蓄材料が有史上最大である、というのは日本で木を伐り出して工場へ運ぶのが割に合わないからです。
もちろん、日本でも伐りやすいところは皆伐して切り出しています。
ところで、切り出しやすい場所といえば例えば南洋材、北方材、北米材、中米材、南米材として入ってくる材の生産地がそうです。
船での運賃を計上しても(木材は無関税)日本産のほとんどの木材よりも安価で販売できます。
(人件費、設備費、運賃などの合計が安い。日本は人件費単価は安いものの伐採ノウハウが未熟で金がかかる。林業は経営が厳しいので伐採用の設備を買えない。道が整備されていないので運賃が割高になりやすい)
ちなみに、海外では林業事業体がノウハウを集積し、最新の林業機械を揃え、切りやすい山を選定し、国境をガンガン超えてバリバリ切っています。
これは日本でも海外でも共通ですけども、切りやすい場所はどんどんはげ山になりつつあり、そういった意味では生産サイクルとは程遠い状況です。
しかし、少し目をそらせば山の傾斜がきつい場所には木が残っている。
ですから、まあ低い場所を伐りつくせば、回復した山を伐り、それが間に合わなければ今まで手を出しあぐねていた地形の木を切ることになります。
当然、コストが跳ね上がるので紙の値段も上昇し、どこかで代替物に置き換わると思われます。
また、南洋材の生産諸国やロシア、中国はすでに自国の木材の保護・禁輸措置(もっと後の方が高く売れるし、生活環境悪化の費用は自分持ちだから)をかけていますので、木材がなくなるよりはコスト上昇圧力で他の物質が用いられる方が早いですかね。
同じく横浜出身横浜育ちで妻子供あり、最近、東海地方の地方都市に引っ越してきた。
これだけが言いたくて来た。家族何人かで生活すること考えたら、横浜に住むのと大差ないか、むしろ横浜より金がかかる。
地方は、駅前に住んでいても生活に車が必要。大人1人1台は絶対欲しくなる。一度買えば終わり?車検・メンテ費用・事故って全損・十年後に買い替えたくなる、などなど諸々含めたら、車の費用、平均で1台年数十万はプラスされると思った方がいい。鳥取、俺も行ったことあるが普通に車社会だ。
住宅費は安いが、劇的に安くはならない。家族で暮らすなら月5万は絶対かかる。選択肢も首都圏に比べればずっと少ない。
食費が安い?まず、家計の中で食費が何割占めてるか計算してから考えろ。地場野菜とか地元で生産しているものは確かに物凄く安いが、品ぞろえが季節依存で、ほしいものが偶々あったらラッキー、ぐらいに思っておいた方がいい。スーパーで普通に買う食材は、大体、安定した入荷のために地方でもかなり離れた生産地から輸入することになるので、輸送インフラが整っていない分、都会より高い。だいたい、横浜も都心に比べれば田舎だぞ?市内に牧場あるし、横浜市立の小学校に提供される牛乳はタカナシ乳業という地元発祥の業者が提供しているぐらいのところだぞ。市内の金沢の漁港の直売所で日曜日に魚が安く買えるとか、そういうとこだぞ。激安スーパーも探せばある。田舎の方が食費安い・ウマいとか言ってるやつは、単に不慣れで安い店を知らないだけじゃないか?
後は、エスニック料理とか、外食の選択肢は明らかに地方の方が狭いからな。横浜、別に中華街の中華料理だけじゃなくて、中心部に行けばギリシャ料理とかトルコ料理とかインドネシア料理とか、思いつくような国の料理は大体食えるが、そういうのは全部、地方にはないと思え。ああいうエスニック料理は、人口が少ないところだとニーズがないんだよ。地方は、地酒飲んで喜んでるだけなんだよ。
忘れがちなこととして、日照時間を比較しろ。ぶっちゃけ太平洋側で生まれ育った人間には、鳥取というか裏日本はおすすめしない。特に冬、太平洋側は乾燥して晴れの日が続く季節に、寒い中曇り・雨が降ってるのは相当つらいはず。
長女の生産地は7月下旬のビジネスホテルの一室。その日の夜に行われる花火大会を見るために1泊するのが便利だったのと,彼女の浴衣姿が見たかったから予約した。
それまではちゃんと避妊していたんだけど,その日の彼女は激しくて,近藤さんを着けていなかった僕はあえなく果てた。
それから3か月後,体育の日を挟んだ3連休初日,彼女と付き合って1年5カ月,いままで会ったこともなかった彼女の親父さんお袋さんに紹介されて初めてあいさつした。和やかな雰囲気だったな。
その翌日,デート帰りの車,もうすぐ彼女の家,運転する僕に彼女が「〇〇公園に寄って」と。そして,車内で見せられたエコー写真。キューピーさんというかクリオネさんというか,そんな白い影が写っていた。「4カ月目だって・・・」という彼女は涙ぐんでた。「ごめん,もっと前から分かっていたけど言い出せなかった」だって。
俺は思わず「ヤッター!!」って叫んで彼女を抱きしめた。そして「結婚しよう」と言った。キョトンとする彼女の表情は忘れられない。
それから一昨日初めて会ったの彼女の両親の元にスーツを着て舞い戻り,ぶん殴られるのを覚悟で謝罪と結婚の挨拶に行ったんだけど,親父さんもお袋さんもこっちが拍子抜けするくらい喜んでくれた。
それから1週間後,役所に婚姻届けを提出しに行き,2週間後には親せきを交えた食事会,それまで,妊娠していることを妻とともに隠れて縮こまっていた長女は,ようやく解放されたらしく妻の中でグングン成長し,あっという間に妻はどこからみても立派な妊婦さんになった。
海辺の温暖な町から,山間部の極寒の僕の町にお嫁にきて,「寒い,寒い,この寒さは妊婦に悪いから実家に帰りたい」という妻を必死になだめた冬。
やがて春がやってきてめでたく長女が誕生。
うれしくてうれしくて,立ち会った分娩室で僕はまた「ヤッター!」って叫んだ。「涙を流すお父さんはいますけど,ヤッター!って叫ぶお父さんは初めてです」と産婦人科の看護婦さんにたしなめられて,妻はちょっとふくれていた。でも妻曰く「意外と痛くない。まだいける」だって。
1歳で卒乳し,2歳ころには,自分でフォークとスプーンを持って一切こぼさず食事をしていた長女。3歳になる前にはおむつも取れて,それから今までおねしょをしたことがない。
幼稚園では4月生まれのアドバンテージで早生まれの子たちを引き連れてお姉さんの立場。マーチングで一番難しいティンプトンドラムも,お遊戯会でのあいさつも,いつも長女だった。
やがて,妹ができ,弟も2人でき,4人兄弟のお姉ちゃんになった。
長女を育ててみて,「なーんだ,子育てってめっちゃ楽やん。こんなの何人でもいけるやん。」と思った夫婦は,立て続けに4人の子どもを授かったが,楽なのは長女だけでした。あとの3人が未だに大変なことと言ったら・・・。
いつまでお父さんといっしょにお風呂に入ってくれるかな?
いつまでお父さんと一緒に寝てくれるかな?
いつまで「おとうさんと結婚する」って言ってくれるかな?
もうすぐ10歳。あと8年もすれば成人か。もう折り返してしまったんだね。
嬉しいけれど,なんだかさみしいなあ。
このまま健康で明るく元気に育ってね。
肉屋を襲う過激派のニュースのせいで勘違いしてる奴がいると思うんだが、ビーガンはそもそも過激派でなんでもないからな。
ビーガンは頭おかしい滅ぼせって言ってる奴らは、イスラム教徒は全員テロリストだ滅ぼせって言ってるのと変わらないからな。
欧州じゃ人口的にも数%はいて、お前らがやってるのは、「ユダヤ教の教義ヤバイ、全員改宗か殲滅しなきゃ」ってのと同等。こっち来てビーガン滅ぼせ表明したら逆にナチスレベルの過激派扱いされても不思議じゃない。
ヨーロッパの大学の学食じゃ必ずビーガン向けメニューが提供されてるし、若い人にはかなり浸透してきている思想だ。(ビーガンと書かれた食べ物は必ずしもビーガンだけが食べるわけではなくて、欧州では肉を食べる量を減らそうと考える人は多い)
典型的な批判で動物を食べるなら植物を食べるのもおかしいってのがあるんだが、そういうのはあくまで線引きの問題で、「自分と近い命をどこまで尊重するか」という話に帰結される。歴史をたどればほんの少し前まで白人と有色人種の間に線を引く人間もいたし、戦争状態ともなれば自国民とそれ以外の間に線ができかける。
それにしてもビーガンは極端に思えるだろうが、伝統的にも欧州で言えば修道士、日本で言えば厳格な僧侶は実践すべきと教えられてきたことだ(実際はよく破ってたんだが、それは現代のビーガンにもいえるかもしれない)。歴史的にも何一つおかしい話じゃない。(ビーガン滅ぼせって言ってる奴らはもう一度比叡山でも焼くんだろうか?)
肉食わないと生きてけないみたいに言う人間もいるがビーガンよりマイルドなベジタリアンは卵とか乳製品食えるから栄養的には問題ないし、ビーガンも大豆由来のタンパク質なら食い放題、タンパク質の加工技術が上がってビーガン向けの肉料理もどき加工食品もラインナップが充実したことで、栄養学的にも健康に実践できるようになった生き方なんだよ。(多少平均寿命が縮むかもしれんが、こっちは肉の食い過ぎで太り過ぎてる人も多いのでなんともいえない。)植物由来でタンパク質をとれることを知らないレベルの議論してる人間がビーガンの栄養認識馬鹿にするとかどんな地獄なんだか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsphere.jp/national/20181019-2/
このブクマは偏見に満ちてるが、犬だって肉食性ではなく人間と同じ雑食性だと記事で説明されてるし(実際日本では犬に肉由来のペットフード食わせるようになったのは最近の話。)、動物愛護の観点っていうのは「現状ビーガンのドッグフードが栄養が足りていないor高価であり保護されるような貧しい犬に行き渡らないという」極めて論理的でまっとうな指摘であって、お前らが表明してるような「犬が肉食えないのかわいそう」みたいなそれこそ人間視点の見方じゃないわけ。
あと肉の生産に関する議論を補足すると、肉の生産には飼料コストがかなりかかっていて、地域によっては食料よりも飼料生産が優先されるせいでそこの貧困層の人間が飢えているって指摘があるわけ(実際肉の生産止めたところでそいつらに食料がまわるかは知らんけど)。実際ペットフードの生産地で餓死者が出てるんだとしたら、動物殺すのも植物殺すのも変わらんお前ら風に言うと、お前らの犬は途上国の貧困層の人間食い殺してるのも変わらんってことになるな。
ちなみに自分はビーガンじゃないし、欧州じゃ価格が安いのをいいことに毎日肉食ってるけど、自分がユダヤ人でも黒人でも朝鮮人でもないから差別してる奴らを無視するっていうのは違うと思うから怒りの増田を書かせてもらった。
追記:誤読している人がいるようだが、普通のビーガンは肉屋を襲わない。お前らの見てた海外ニュースには肉屋を襲う過激派をビーガンと呼ぶって書いてあった?度々引き合いに出してイスラム教徒にはすまないが、それは9.11の直後に「テロリスト=イスラム原理主義者」って誤解を広めたメディアがいたのと似たような問題。最近だと一部メディアの「インセル」の使い方もそうか。それにしてもいつもはマスコミ不信決めこんでるのに、何かを悪く言うレッテルのときだけは簡単に信じて扇動される層よくない。
もっといえば普通のビーガンは鬱陶しい街頭活動もしない。まあそれは言論の自由だけど。肉食について過剰に批判する層は表現規制フェミと一緒で一部の過激派という認識でよろしい。
ブコメに少し返信
ketudan
統計は知らんが欧州では明らかに多い。出羽守という指摘は正しい。
「我が国の事情も知らない物知らずが説教するな」っていうのは、ミャンマーやサウジアラビアや中国も弾圧する側は同じようなこと思ってるだろうね。実際のところほとんどの人はそのあたりの国の歴史的背景について詳しくないでしょ?
mori99
ビタミン剤が健康によくないという考えは、味の素が健康によくないというデマに近接するところにあるんだが、逆にそう思ってるエセ科学層とビーガンが被るところもあってそのタイプの人間が無知なまま子供育てると虐待まがいの結果を招くということはあるので難しい問題だとは思う。
verda
一応主語ははてブではなくて偏見のはずなんだが。はてブを場所ととるか人の集合ととるか。人の集合にしても思想が統一されてないのが当たり前だしなあ。タイトルで煽らないと人が釣れないと思ってたところは残念ながらある。
maguro1111
犬の幸せを特別視する思想いいと思う。やっぱり恣意的な線引きの問題ではある。犬は歴史的にも人にとって特別といえると思う。対立はいいと思う。非難されるべき偏見と無理解。あと自由主義を前提とすれば他人の自由を奪う押し付けもよくないとはいえる。そういう意味で嫌われるビーガンがたくさんいるのは知ってるが、おかしいのは押し付けあるいは個人の自由を軽んじる姿勢であって肉を食べない思想じゃない。犬が肉を食べる自由は、その犬の飼い主の自由なのか犬自身の権利なのかという議論はあるだろう。
毎年8月13日は、私の故郷北海道帯広市で大きな花火大会がある。
近年では全道的・全国的に名の知られるようになった花火大会だ。
開催場所が市街地に近すぎて、市内にアホみたいな渋滞を引き起こしている。
最近は、札幌からも客を呼ぶので、なんど道東道まで渋滞していると言う。
トイレ貸してくれ。と、見ず知らずの酔った人に言われる。大便もある。
とこんな感じ(他にも花火の演出がクソださい、花火の前の企業の宣伝がクソ長いなども問題がある)なのだが、
最大の問題は、こういう花火大会開催に当たっての問題点や課題が、毎年開催されるにもかかわらずクリアされにくい構造にあるのだ。
その理由は単純で、主催者が十勝毎日新聞社と言うこの地域のブロック紙だからだ。
十勝地方の新聞社は、長い淘汰の歴史を経て、この十勝毎日新聞社一社のみが現在生き残っている。
現在のミニコミ誌は、十勝毎日新聞社と北海道新聞社の系列誌だ。
新聞だけではない。十勝毎日新聞社はケーブルテレビを展開し、観光事業にも手を伸ばし、ホテルやガーデンを系列会社で経営している。
十勝毎日新聞社のすごいところは、開拓時代から多角経営していてもう100年もこの地域で新聞屋をやっているところ。
この寡占状態ゆえに、だれも地域で反論を上げられない。上げるための器がない。
花火大会自体は経済効果があるからいいのだが、特に反省がなされることなく、だんだんと規模だけでかくして「来年もやりましょ」的に膨張している。
そのしわ寄せを、だれも反対できないし、だれもケアしようとしない。というか、できない(十勝毎日新聞社もただ自分の事業を行なっているに過ぎない)。
十勝毎日新聞社はライバルがいないから、深いところまで気にしなくていいのだ。そして実際気にしていない。というか、できない。他社(他者)の眼がないから。
十勝は昔から農産物の生産地で、モノカルチャーな雰囲気がある。実は産業だけでなく、観光や出版・言論もまたモノカルチャーなのだ。北海道らしいと言えばらしいのだが。
色んなことが変わった。
取引先の態度が変わった。
知らない人が増えた。社員なのか来客なのか顔を見ただけではわからなくなった。
大きくなったところで良い待遇で鳴り物入りでやって来た人たちがいた。
刺激にはなる。
しかし今でも同士とは到底思えない。
安い給料で無名の会社でがむしゃらに居場所を作りながら、守って来た。
傾きかけた時もうダメかもしれないと思いながら必死に攻めながら耐えた。
どれも過去の話だと分かっている。
あの時必死になれた自分たちがいたから今があるという自負とプライド。
後からやってきた人たちはその頃の財を食いつぶしていく。
成果だけを刈り取り、用済みになれば無関心だ。
美味しそうな実を見つければ、自分の手元に置き、食べ終わったら見向きもしない。
見た目が不揃いなものにも興味はない。
綺麗に切り取られたその一瞬にだけしか価値がないと言わんばかりに。
手元に置いて成果が出なければ、平気で使えないと言う。
どんなに美味しくてもシェフがダメなら美味しく食べられないということを知らないんだろう。
自分の恥を晒していることにも気付かず、使えない、ただそれだけで片付ける。
仕事は好きだ。
近くで働く同僚も部下も上司も大切だ。
小生意気な部下もいるにはいるが、彼ら彼女らが数年後、数十年後、幸せに生きていくために一緒にどうしていくべきか真剣に向き合っているつもりだ。
疑心暗鬼になり、情報を隠したり、成果を独り占めしようとしたり、今までに感じなかった空気が流れてきている。
宝永年間(1700年代)の富士山の噴火では、降灰により煙草の耕作に適した土壌がつくられたと言われています。
江戸時代に興った秦野葉の栽培は、水府葉(茨城)、国分葉(鹿児島)と並び日本三大銘葉として称せられ、秦野町は全国でも有数な
煙草生産地として知られるようになりました。 明治32年(1899)には、秦野に煙草試験場が開設。
亀本は、秦野葉の名を後世に伝えようと、秦野葉の葉形を型にした煎餅を考案、『煙草煎餅』と名付け製造を始めた。
時は流れ、秦野の町は大きく発展。
煙草耕作は大変な労力がかかり、高度経済成長以降、第一次産業に従事する人口が減少してくると生産が低調になっていきました。
秦野葉は、刻み葉(キセル用)であったため、嗜好品の変化から消費量も減少し、昭和49年を最後に秦野から姿を消しました。
その後は、紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種が生産されたものの、かつてのような隆盛はなく、昭和59年に黄色種の生産も
この一方で、煙草煎餅は、独特の製法・厳選された材料が醸す味覚を大切に守りながら販売が続けられている。
http://tokio-mt.wixsite.com/sugar-and-spice-1/about_us
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000001160/index.html
R&Dの広報部によると、「ファブリーズ VS おたく」のCMは2018年春ごろからユーチューブにアップしていた。それが分かりやすいと好評だったため、穏やかな表現に変えて、19年11月14日からテレビでもCMを流した。
「う~ん、何これ?」「う~ん、くっさい!」。若い女性2人がおたくが中に置かれた透明なケースの穴から次々に臭いをかぎ、こんな声を上げて顔をしかめる。ところが、ファブリーズを中に置くと、女性の1人が「あ、凄い! 臭わないです。凄い」と感心して、テロップに「ファブリーズの勝利!! 」などと表示されるというものだ。
しかし、11月24日ごろになって、P&Gのお客様相談室に苦情や批判の電話などが入るようになった。翌日までに14件を数え、うち8件がおたく生産地の地元だと伝えてきた。その内容としては、おたくの臭い面だけを取り上げて、その楽しさなども伝えないのは片手落ちだというものが多かったという。
はい。
最近聞いた? そうでしょうね。
何を隠そう、私はこの村の出身である。予め断っておくが、今ニュースになっている人々とは面識はない。久々に聞いた故郷の名前があんなニュースで、うげえとなった気持ちを吐き出そうとしているだけだ。野次馬的な気持ちで内部事情を知りたい人には、残念ながら伝えられることはない。
美麻村は、長野県北安曇郡の山間にある、人口千人程度の小さな村であった。2006年に隣接する大町市に吸収合併されたため、現在は地区として残っているのみである。
私は、子供時代をこの村で過ごした。年齢を言うとそれだけで簡単に絞り込めてしまうので、それはやめておこう。少なくとも、絞り込めてしまう程度には小さな村だ。
私は子供の頃、自分の住む村があまり好きではなかった。寒いし、不便だし。のんのんびよりのひかげの気持ちも分かる。彼女がことある毎に都会を自慢するのも、故郷に対する屈折した思いがあるからだろう。実際には都会にだって苦労はあるけれど、とにかく田舎にいたくなくて飛び出してきた以上、彼女はそれは表に出さないのだ。
アニメキャラに重ねたオタクの自分語りはキモいのでやめたほうがいいと思います。はい。
ニュースでも報道されているが、美麻村は過去、戦後すぐくらいまで麻の生産地であった。もちろん、麻薬としてではなく、繊維産業として、である。GHQによって禁止されたと聞き及んでいる。そこらへんの歴史は、美麻地区新行に麻の館という資料館があるので、訪ねてみれば詳しく知れると思う。
麻が自生しているのではないか、と思っている方もいるかも知れない。それに関しては、可能性は低いと思われる。私は子供の頃、しばしば山の中に山菜を取りに行ったが、あの特徴的な葉を持つ植物を目にしたことはない。
トリカブトやウルシなど、危険な植物については注意を受けたので、それがなかったということは大人も見た者はいないのだろう。自生できるほど麻に適した環境ではないようだ。
なお、同じように繊維産業のために栽培されていた桑の木は今でも残っていると思う。
美麻に何があるかというと、特に何もない。山と、山に張り付くような田畑があって、谷沿いに家があって、それで終わりだ。交通の便は良くなく、店も少なく、冬はそれなりに深い根雪が積もる。暮らしやすいとはお世辞にも言い難い。
美麻が限界集落と言われているのを知って私は寂しかったが、責める権利はないだろう。私自身、地元を飛び出してきた身だ。
年々人は減っていく。若い世代は特に。これは、全国的にそうなのだから何も美麻に限ったことではないのだが。
私は今東京で消耗しているのだけれど、最近たまに帰りたくなる。子供の頃よりは、あの土地が好きになっている。
もっとも、定住しろと言われても、ちょっと遠慮したいけど、たまに訪れるにはいい所だ。
こんだけネガティブなことを書いておいてなんだけど、興味をもった人がいたら、訪れてみて欲しい。麻は(多分もう)ないけれど、美味しい蕎麦屋さんならある。
この話に落ちはない。こんなところで、終わりとしよう。
大学に勤める僕は大学という密閉された世界で、比較民俗学というさらに密閉された研究に打ち込んでいた。
その国の夏は日本以上に蒸す。粘つく汗をTシャツに纏わせ、僕は目的の村を村長に案内されていた。
朝から歩き通しだった。そろそろ疲れの色が見え始めたとき、共同墓地が目に入った。
頭蓋骨が埋められもせず土の上に山積みになっている。
何より目を引いたのがその色だった。真っ黒に塗りつぶされた骸骨は表情を失い、ただそこにあるだけといった趣だった。
村長に尋ねるとこれが国の風習らしい。近年、欧米の葬儀の様式が伝わってきているとは言え、小さな村ではまだこの方法で死を弔っていた。
肉と繊維を焼かれた骸骨は一部土葬される。そして頭蓋骨だけには炭を塗り、埋められずに墓地へ供えられるという。
死にまつわる全て、悲しみや虚脱、混乱などを黒く塗り込めてやって天国へ送る。
やがてその魂は精霊へと昇華し国の発展と恩恵を与えてくれるという。
やはり現地に来てよかった。僕は満足しながら論文の構成を頭で計算していると、少し離れた脇に白い頭蓋骨があることに気づいた。
その周りを三体の黒い頭蓋骨が囲っている。まだ火葬したばかりの骸骨なのかもしれないと思いつつ村長に訊ねると
「あいつは塗りつぶせないんだよ」
と一言返ってきた。村長の口は重かった。しつこく訊ねると、あの頭蓋骨は生前、人を殺したのだという。
「罪を犯した人間は塗りつぶせない。精霊にもなれない。太陽の光で何百年、何千年かかって自然と黒く焼き尽くされるのを待つんだ」
年間何百食を食べ歩いたラーメン評論家!とか、渋谷を食べ尽くした私がおすすめ!とか、体重100kgの私が!とか、孤独のグルメが!とか、言ってる自称グルメは味覚障害なので信用ならない。もっと言えば食事好きな人って総じて味覚障害だよね。むしろ、食が細い人が勧めるのが本当に美味しい店。
きっかけはダイエットだった。長い間、程よく体鍛えて食事も質素に節制してると、いわゆる胃が小さくなってダイエット初期の頃の猛烈な食への欲求がなくなるんだよね。必要最低限の量、味で満足するようになる。
あれほど好きだったポテチ。全然惹かれない。久々に食べてみると味の濃さ、油っこさにびっくりする。ポテチってこんな味だったんだ!今まで感じたことが無かった味覚がわかって面白い。が、ただただ刺激が強い。一口だけで味覚が馬鹿になる。
背脂チャッチャ、豚骨ラーメン。一口スープを飲んだだけで口中が猛烈な喧騒で刺激が後頭部に突き抜ける。血圧上昇。二口以降はもう味覚も何もない。これ以上食べるのはただモノを胃袋に運ぶだけ。罰ゲームでしかない。
翻って生野菜。同じ価格のキャベツでも生産地によってこんなに味が違うのか!味の薄い食べ物でも違いがわかって面白い!!
まぁ、面白いからといって好んで色々なメニューを食べようとは思わないんだけどね。食欲そんなに無いから。
自称グルメみたいに毎日毎日様々な食事をしていたらそりゃちょっとやそっとの刺激じゃ満足行かなくなるよね。で究極を求めるんだろうけど、果たしてそれが美味しいものか?刺激に刺激を重ねたその味覚は本当の味覚なの?と。
何が言いたかったかというと美味しいものを外へ求めて刺激を重ねるだけがグルメじゃなくて、たまには舌を休めて落ち着いてみれば、本当に美味しいものは自分の近くに溢れてるんだって気付けるかもしれないってこと。
味音痴だった私が蕎麦の味の違いがはっきりとわかって凄く面白かったので書いてみました。だからって蕎麦が、食事が好きなわけじゃないんだけどね。面白い。
放射線の調査も食品の検査結果もいくらでも公表されてるだろうが
http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/
http://www.maff.go.jp/j/kanbo/joho/saigai/s_chosa/
その道の専門家がさんざん調査して、さらには一般向けに分かりやすく説明してるのも山ほどある。
だけどお前は「何か隠してるに違いない」と言って信じないんだろ?
「福島」の食品生産地区よりも普通に放射線が多く検出されてるところなんて日本にいくらでもあるし、
福島以外の地域では放射線調査なんてされてないからもし危険な範囲だとしても誰も気づかないのに、そっちは問題ないの?
アホじゃない?
先進国は軒並み少子化で、よそに人をやるほど人が余っていない。
人が移動したくてしたくてしょうがないのは一刻も早くそこから逃れたい貧しい国や地域の人たちだ。
で、先進国がその生活水準を維持するために移民を必須のシステムとして盛り込むということは、つまりこの世のどこかに貧しさの生産地を必要とするということだ。
自分たちが貧しくなりたくないためにこの世のどこかに貧しさを求めるという移民システム。
地球全体が均等に豊かになれば本当は移民などしようと誰も思わない。もちろん趣味の問題でごく少数の他国への引越しくらいはあるだろうが。
まず目指すべきはそこ。その上で個人の自由と趣味の問題として移民は行なわれるべきなのだ。「民」というほど大規模にはならないが。