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はてなキーワード: 無意識とは

2024-02-20

anond:20240220070528

無意識に女の方が気持ち良いって思ってるってことかあ。

そんなもんなのかなあ。

2024-02-19

宗教」という問題について語ろう

「私に宗教必要ありません」

宗教勧誘を受けたときによく口にしてしまうこの言葉

多くの日本人にとって宗教は「必要のないもの」という感覚が共有されているように思う。

しかし、本当にそうだろうか。

あるいは、「宗教必要のないもの」という認識宗教問題について冷笑的な態度を生み出し、本当にその問題について考えることを無意識的に避けてしまうのではないだろうか。

宗教(Religion)」という言葉は実は近代語だ。

もともと、この語源となるラテン語における「Religio」は、「(精神的な)深い絆や繋がり」を指す言葉であり、もしくは今日においても「Religious」が指すように「信仰深い態度」そのものを指す言葉として使われていた。今日における「○○教」といったような言葉は、単に「○○の弟子たち」あるいは「○○の後を追う者」といったような言われ方がされてきたし、日本においても「茶道」「武道」などの言葉に残るように「仏道」など「○○道」という言葉があてがわれていた。近代に入るまで「信じる」ということが、より実践的な行為と不可分なものとして扱われていたことがうかがえる。

私なりに「宗教」という問題が何を指すのかを考えてみるところ、それはおそらく「生き方(a way of life)」そのものなのだ

このように言うと、「ならやっぱり必要ないじゃないか。現に私たち宗教に頼らずとも、自分たち生き方に不満がないのだから」と言いたくなるかもしれない。それもひとつの「生き方」だ。

しかし、もう少し俯瞰してみると、これには以下のような構造が見て取れる。つまり日常生活においては必要のないものいるかもしれない。しかし、自身の生きる目的や指針などが根底から揺らいだ時にも果たしてそうだろうか。宗教的契機は必要ときに必ずや立ち現れるものなのかもしれない。

少したとえ話をしよう。

人類史における長い間、「地球は平だ」とする見方が優勢だった時期があった。しかし、当時に生きる人々はそもそも、大半が一生を自分の村で過ごす農民だ。たとえ貴族であっても交流範囲は限られていた。シルクロードを通じて、遠くから物品が運ばれてくるとしても、それは「遠くから運ばれてきたもの」であり、具体的にどのような道を通ったのか、その間に地平線を意識することもなければ、時差について説明する必要もあまりなかったはずだ。つまり、「丸いと考える必要がなかった」のだ。

しかし、時代は移り変わり大航海時代領域国家なども生まれ、人々の交流範囲がどんどんと地球規模に発展していった。その過程で、例えば「他国より手短にインドに行ける方法」を知らなければいけなくなったし、「離れた地域の人と連絡を取る方法」を考えなければいけなくなったし、「大規模な航海を行う必要」にかられた。その過程で、新たな発見を迫られ、徐々に「地球は丸い」という考え方が受け入れられてきた。

これは、地動説VS天動説しろアリストテレス目的論VSニュートン力学しろニュートン力学VSアインシュタイン量子力学しろパラダイムシフトというのは、往々にしてこのように「新たな問題に気付き、これを解決する過程で、認識全体が変容する」ことによって起こってきた。

宗教においてもおなじことがいえる。

まり、「宗教」というものも、そのようにより深い、目の前の生計や、人間関係さらには政治技術、そういった問題を超えた「自分自身は何のために生まれて、何のために生きているのだろう」「この世界は何のためにあるんだろう」といったような問題対処するための、プラグマティック実践論といえる。

そして、「自身生き方に行き詰ったとき」「自身生き方を見直さなければならない時」に、必ずこうした宗教問題に取り組む契機が訪れるのだ。

これは、「既存伝統宗教新興宗教は信じるに値するか」といったような問題とは異なる、より根本的な「宗教的契機の構造」の話をしている。その上で、「どんな信仰体系がその個人にとって意味があるのか」は、その個人マインドセットや、置かれている社会的文化的環境によって異なってくるだろう。もちろん、その人が置かれている社会的文化的環境によっては、特定信仰体系が反社会的であるとされることも容易に想定できる。それこそ、人々が宗教的契機に恵まれる、「自身生き方根底が揺さぶられるショック」を受けた状態に、巧みな言葉を投げかけ、献身的信者を作ろうとする商業主義宗教は、必ず唾棄されなければならないと考えているし、宗教もつ「強固な集団形成力」が誤った方向に向けられ多くの不幸を生み出した事例は人類史を見ても枚挙にいとまがない。伝統宗教価値を見出すとすれば、それは「長年生き残ってきた風習であることに意味を見出す保守主義観点からだと言えるかもしれない。いずれにしても、それが「生き方」の問題である以上、ひとりひとり、さらに状況によっても異なって当たり前だし、多様な実践が見られて当然だろう。

宗教は我々の生き方(a way of life)を根底から見直すときに必ず立ち現れる根本的な認識論であり実践である

これが私の考える宗教という問題であり、宗教に関する多元主義的視座の土台である。ぜひ、みんなの意見も聞かせてほしい。

2024-02-18

記憶を消してやりたいゲームという話は良くあるが、それはエンタメ消費としての話であって、教養として自分根深いところに影響を与えたゲームはそういうわけにはいかない。

記憶を消したら、自分の中の常識、考え方のベース部分が消去されることになるからだ。

そういう意味で、子どもの頃に強い影響を与えられたゲームというのは、オペレーティングシステム、またはOSパッチのようなものだ。

自意識とはそれらソフトウェアの上に成り立ち、その意識現実認識する。ゲームの上に現実駆動する。無意識的に虚構現実を超えて存在する。

anond:20240218100546

勉強できない親が教育に力かけても子供はなかなか勉強できないんだよね

学習能力ややる気が遺伝するというのもそうだけど、親が勉強のやり方を知らないか無意識邪魔したり意識おかしかったり何の助けにもならないことしたり

勉強できる親の子がやたら勉強できるのは親が勉強相場ややり方を知ってるので最初からコーチの両親の家に生まれてるようなもんなんだよな

anond:20240218032635

ストレス性のうつ病の初期症状っぽいぞ。

要は常に脳をフル回転させられている状態になっていて、

他のことが頭に入らないんだわ。

脳の思考というのは、自分意識して考えていない時でも、

しっかり無意識レベル思考を続けているんだ。

その無意識レベル思考を止めないと他の作業が手につかなくなる。

こういうときは、身体を少し動かすスポーツテトリスカラオケを集中的にやるといい。

身体を動かす行為は、脳の思考強制的に動かすことに注意を向けさせられるので、

ストレス性の無意識レベル思考を止めやすい。

ストレス解消に何か別のことをするというのは、そういうことなのだ。

2024-02-17

褒められると死にたくなる

から自己肯定感の低さゆえに、人から褒められても「自分は褒められて良い人間では無い」「自分本質なんてもっとゴミクズカスなので褒められてるのは仮初の自分」って思ってしまって病んでたけど、歳を重ねるにつれて、ここに加えて「こんなどうしようもないゴミクズ自分を褒める事に相手時間を使わせてしまって申し訳ない」「相手自分の事を褒めさせるような空気わたし無意識に作ってしまったのかもしれない、いつのまにか強制させてしまってたのかもしれない、申し訳なくなってしまい辛い、死にたい」が来てしまって、死にたさが爆発してしま

自分なんかは褒められる人間に値しないので、否定されたり指摘される方が安心してしま

『そうそ自分否定されるようなクズ人間で、褒められるべきではないんだ、否定するこの人の感性は正しいんだ』って思えてホッとする

もし自分を褒めてくる人が居ると、あぁこの人は『こんなわたしを良いと思うセンスが無い人』『気を使ってくれている』『なにか自分利益があるor見返りを求めている』このどれかなんだろうなって思ってしま

自分が人に対して褒めるときにはそんなこと思わないし無性の愛もあると確信してるけど、こと自分に向けられた感情には一切そう思えない 世の中の人間はほぼ等しく同等だけど自分だけは特別に劣ってると感じてしま

多分もう治らないんだけどこのままで一生生きていくしか無いのかな 辛い

2024-02-16

anond:20240216213833

無意識差別してるから傷つく」

うわーーー これ友だちに言われたことあるわ。

「お前が自分の頭ン中でバカな人たちを差別してるから

「だからこそ、バカって言われただけで凹むんだろ?」

差別すんなバカ

言い返せなくて悔しかったのに、いまだにどう返せば正解だったのか分からない。。。

ゲーム配信者は『ガイジ』というのをやめてほしい

マリオメーカー2が全盛だった頃はルイージの使い手を「ガイージ」などと呼ぶ配信者も多かった。

ガイジとは知的障がい児を表す差別語だ。

ガイジ」とは「知的障害児」を略した蔑称です。英語圏でいえば「fuck」や「shit」のようなもので、人前で使うのを憚るべき単語でありながら、ネットではよく蔓延しています

元々、主に関西圏小中学生が使っていた極めてローカル単語で、一度は死語として葬られていました。しか現在は蘇ったうえに全国区まで広がっています

https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=1232

昨日ゲーム配信を見てたら、また、使われていた。

配信者のメールアドレス勝手に使ってサイト登録されてる、という不憫な話の中で

もうね、あの… スパムっていうか確実に… なんつったっけな…

お前、あの聞いてるか、クソ ガイマジでな、おいテメーこの野郎

久しぶりにGoogleの検索履歴が流出してしまう布団ちゃん 2024/02/15

この方は普段は穏便で、昔こそ「デリカシーがない」などと言われていたけれど、数多のアップデートを経た結果、今では様々な立場の人への配慮もこなすようになった、国内最大級動画配信サイト OPENREC.tvトップ人気配信者だ。問題発言は、いわゆるキレ芸の中なので言葉が荒くなってる事自体面白くていいのだが… この差別語は未だ手付かずのようだ。ふつうに使って良い『バカ』の延長線上にある侮蔑語バリエーションの一つだと認識してるのでは、と思う。

ところで先に上げた解説ブログによると、この差別語擁護する論もあるようで、個人的には嘆かわしいと感じる。

ガイジ”擁護論には「勝手に傷つくほうが悪い」「言われるほうにも原因がある」「無意識差別しているから傷つく」「ジョークからそのぐらい流せ」などの詭弁が多いですが、「“ガイジ”があるから他の罵倒語が生まれずに済む」という必要悪説は少し興味深いです。

必要悪説の大筋はこうです。「昔は池沼・チテ・キチガイなど、キツい侮蔑語はいくらでもあった。それがよりキツい“ガイジ”の復活によって霞むなり希釈されるなりしてきた。“ガイジ”を消しても、より陰湿で野蛮な侮蔑語が生まれるだけ。必要悪として“ガイジ”という単語存在を受け入れるべき。」

anond:20240216103636

脱コルが女性弱者の性たらしめている要素(カギカッコつきの「女性」性)を脱ぎ捨てるのに対して

男らしさから降りるは男性強者たらしめている要素から降りることになるからまず方向性からして正反対

権力を得る運動 vs. 権力を捨てる(あるいは捨てさせる)運動なのだから

はいもののいわゆる大部分の「男らしさから降りる」はすでに持っている「強者性」を手放すのではないという皮肉があるのでもはや比較すべきものでもないかもしれない。

すなわち大半の「男らしさから降りる」と言っている人間はその実男らしさなるもの強者性を手にもしていないのに、

というか手に入らないのが分かっているのにそれを認められなくて「自分は男らしさから降りたのだ、強者性なんて最初からいらなかったのだ」

と思い込んで感情を慰撫するための嘘吐き言葉なことが多いので現象意味があまり1対1対応してない点にも注意が必要だ。

本来権力というものは他の人間の不幸や他の集団から搾取といったことを前提としているのは言うまでも無いが

それでも生存本能(≠実際の生存可能性)に従って無意識に死守してしまう類のものなので

女の脱コルは生存可能性と結びつくかは怪しいものの確かに権力を強固にするために邪魔な要素の排除を求めていくものであり生存本能に従った行動といえるが

男らしさから降りるは単に権力を手放すだけなので弱者になる or 弱者であることを再確認することになるだけの営みである

味の素を使わなくても料理はできる」

旨味調味料の話になるといちいち湧いてくるこういう主張、なんでわざわざ発言するんだろう?

味の素がなくちゃ料理ができないなんて誰ひとり言ってないのに、「俺は昆布いりこを使ってるけどね」となぜか少しマウント気味に自己主張する。

いや、みんなも使ってますよ。味の素肯定だって味の素以外の選択肢を持っていないわけではない。味の素昆布いりこ鰹節ほんだしめんつゆヒガシマルと同列の選択肢ひとつに過ぎない。

材木を使わなくても鉄骨鉄筋とコンクリートで家は建てられます!」って言ってるのと同じ。知ってますよと。あえて材木を使わない理由の方を言ってよと。

肯定派と否定派の違いは〈調味料選択肢味の素あるかないか〉でしかなく、ほかの条件はイーブンなのだから否定派は「味の素選択肢から排除した理由」だけを主張すれば十分なのだが、なぜかあえてそこは避ける。

理由簡単で、説明できないからだ。

味の素を使わない根拠あやふやからだ。

から言い伝えとか、ネットの噂とか、自然食品信仰とか、あるいはもっとぼんやりしたマイナスイメージとか、言語化するのが微妙根拠でなんとなく雰囲気的に遠ざけているだけだからだ。あるいは、無意識に避けてしまっていることに気づいていないかだ。「舌が痺れるから」「後味が悪いから」なんて主張もあるが、それは入れ過ぎです。

anond:20240215121441

「ツイフェミ」というのも「ネトウヨ」みたいなもので、まあ大体「ああいう感じ」というのは共有されているのかもしれないけど、それはそれとして「どちらかと言えば保守派だしなぁ」とか「どちらかと言えばフェミニストだしなぁ」くらいのネットにいる人をまとめて「ああいう感じ」と同一視してると視野は狭くなるよな。

実際、現代若い女性は無意識的にうっすら対人性愛を相対化する癖が染み付いているので、むしろフェミニストとしての意見として「フィクションケチつける前に対人性愛卒業しろよ」と思ってる人が多いと思う。

追記:ごめん、文体ちょっとフランクすぎたので男性に見えるかもだけど女性が書いてます

大丈夫だよー

ここで女がどうたら男がどうたらぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言ってる時点で

からはもうとっくに降りられてるよ!

ほんとのマチズモ男性ネットとかでそういうの書かないし

女どもが何言ってもじっと黙って耐えるのが男らしさだって言うんだから

そんなもの必要ないっしょ?

文句言いたいっしょ?

自分だってつらいんだそうやって責めてくる女なんかみんな死ねって言いたいでしょ?

いいんだよ。

願わくば

これからは男も女も今自分が突き当たっている生きづらさは一体何が問題なのか?っていうのを正しく言語化できる能力

どうすればいいのか?っていうことを落ち着いて話し合える能力を身につけていこうぜ。

性別限らずまだ我々にはその能力が乏しすぎる。

そんで今気づいたんだけど

そういうことから男の人たちを解き放ってあげられるのは、やっぱり女の人なのかもしれないって思った。

男らしくなくてもいいかちゃんと話を聞かせてくれる?

何が問題だと思っているのか、お互いにちゃんと話そう?って言い出せるのは

男はそんなことすべきじゃないって洗脳されてる男性よりも

もともと自由気持ちを話していい女性のほうなのかも。

まあでも多々覚えがあるけど、マチズモ呪いがかかってる男の人からそういう話を聞き出すのは難しい。

なんかテクニック必要なんだろな…

何に苦しんでるのか聞かせて?って言ってもマチズモ男性は口をつぐむ

そんで女は愚痴文句ばっかりだって怒るんだ…

違うんだよ、お互いどうしてもできないことがなぜできないのか

どうすればそれを解決できるのかもっと話し合いたかった

そういう言語化がとても苦手だったか無意識に避けてたのかな?って思うけど

そこをうまく聞き出すようなうまいやり方が

私にもうちょっとできるようになるといいんだけど…

2024-02-14

弱者男性って言葉二度と使うんじゃねーぞクソが

もういきなり本題から入っちまうし、なんなら全然日記じゃねえが「弱者男性」なんて言葉二度と使うんじゃねえぞクソが。なぜならお前の品位底なしに下げるからだ。

まあこんなことを言うとどこからともなくやってきたアホが

「ブフォwww そんなこと言ってるお主こそ弱者男性なのではwwww小生、噴飯が止まらないでゴザルwwww」

とか言ってくるんだろう。クソが!飯ちゃんと食え。

結論から言えば俺は、元々お前らが「弱者男性」として罵倒嘲笑の的にしていたイケてない男のうちのひとりだった。筋トレにはまってからは「すげえ筋肉の人」というレッテルを手に入れて無双状態の俺なわけだが、これでも「弱者男性」の辛さや苦しさは痛いほどに分かる。

からこそ俺が、今の時代を苦しく生きる弱者男性もの矢面に立って、「待った」をかけようというわけだ。傾聴しろ

まず、そもそも弱者男性」という定義がクソすぎる。

弱者」の定義は? ネットによればコミュニケーション能力がなかったり、恋愛に関して奥手だったり、あとはまあ容姿が……な人のことを指しているみたいだ。

かに認めよう。

俺たちにはコミュニケーション能力がない。俺のこれだって大胸筋が代わりに会話してくれてるみたいなもんだ。

しかし、コミュニケーション能力がないことについて生まれ弊害については、お前らに責任が一切ないとは言わせない。

例えば、弱者男性滑舌が悪い。しかしその滑舌を聞き取る努力をしなければ、お前たちだって損をするときがある。もちろん、俺たちだって滑舌をよくしようとする努力必要だが、そこは相互協力あってこそってものだろう。弱者男性勇気を出して発言しているときは、きちんと耳を傾けてあげてほしい。

恋愛に関して奥手である場合が多いという点についても、これは無論、コミュニケーション能力が皆無ゆえに誰とも恋愛をしてこなかった彼らのことだ、ちょっとやそっとの無礼は見逃してやって欲しい。恋に目覚めたてのころは、誰にだってそういう時期はあったはずだ。

もちろん、弱者男性が悪くないとは言わない。

ただ、誰にだって勘違いやすれ違いはあるだろう。それを「弱者男性がうんたら」「チー牛が勘違いしてうんたら」とか実体験みたいな漫画にしてツイッターに垂れ流して共感を集め出すのはさすがに酷くないか? なあ! 救いはないのか!?

お前らがそんなことをして弱者男性をつるし上げて礫を投げつけるから弱者男性もっと恋に奥手になっちまうんだ。どうせ俺なんて、とな。

自分磨きをすればいいという意見もあるかもしれない。しかし、自分磨きをしようという気概さえも、この弱者男性集団でいたぶるムーブメントは削いでいるんだ。可哀想だとは思わないのか!?

これを見ている弱者男性がいたら、聞いて欲しい。お前らは常人が幼少期に通過する恥ずかしさやミスや手違いやすれ違いを、遅れて今、体験しているだけなんだ。恋愛結婚を諦めちゃだめだ! 俺と筋トレしよう。君ならできるさ。

さて。

ここまでは「弱者男性」の定義と該当する男性諸氏についての小言戯言をウダウダ並べたわけだけれど、ここからはターンチェンジ、お前らの話になる。



そう。



お前らだよ。



ネット不特定多数のイケてない男を「弱者男性」だの「チー牛」だの「新海誠が好きな元彼」だの「生魚のコスプレ」だの「V豚」だのとくくってるそ・こ・の!!!!!!!!

お前お前お前お前お前~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!

お前だ。

まず俺の経験から言わせてもらうが、お前らはひょっとするとお遊びで冗談オモシロだと思い込んでいるのかもしれないが、そうやってイケてない奴をネタ嘲笑しているとき、イケてない奴の心は数回死んでいる。冗談ではなく。

そしてお前らはイケてない奴を殺している。

冗談ではなく。

こういう奴はマジで自覚がない。無意識他人を傷つけているということにとことん無知で、他人を痛めつけているということに突き抜けて無自覚だ。

今のインターネッツの人々は弱者男性をいたぶることについて半ば了承的だが、これが俺には本当に理解できない。

お前たちがやっているのは弱者に対して石を投げる行為なのだ。老人を殴り、障がい者を蹴り、子供を突き落とし、病人ビンタしている。

これを聞いて「ええ~、言い過ぎでしょ笑」とか思ってるそこのお前。お前が一番危険だ。

なぜならお前は加害者側にいることに無自覚からだ。まさしく俺が言った通り、無知無意識無責任なのだ

そういう発言はお前の品位を下げている。どれだけ美人でも、どれだけ成績優秀でも、どれだけスポーツ万能でも、弱者を虐げ、嘲笑している時点でお前は「下品なのだ

何も「弱者男性批判するな」とは言っていない。

例えば、「運動部入ってない奴はマジで危機感持ったほうがいい」って動画でバズってた唇プルプルぱっちり二重男がいたな。

俺はああいうのは良いと思う。きちんと面と向かって、問題提議をしているからだ。しかも「危機感を持て」と提案までしている。

俺が「やるな」と言っているのは「嘲笑」と「罵倒」だ。

これらについては本当に、いいことが何一つとして生まれない。

まず弱者男性(に、該当すると意識的にでも無意識的にでも感じている男)は、これらを受けて自信を失い、世間から笑われるという恐怖を覚える。そのせいで成長が怖くなる。変化が怖くなる。よって変われず、世の中に怯えて暮らす。ひょっとしたら社会に牙を剥く奴もいるかもしれない。

そしてお前。お前らはこれについて、何も得るものがない。「ストレス発散になる」? 違うな。なぜなら弱者男性へのヘイトは、お前のストレスの原因の解決にはならないからだ。

そのうえ、お前は悪口を言うことに抵抗がなくなる。人を罵倒することに躊躇することをなくし、性格下品になっていく。ゆくゆくはクソ人間になる。一旦落ちた品位を取り戻すのは難しいぞ。何しろ自分否定しなくちゃいけないからな。お前の目の前にはありとあらゆる罵詈雑言無限中傷できる「弱者男性」という弱者がいる。そいついじめることでまたストレスを解消するか? いいだろう。ただしお前は一番否定しなくちゃいけない自分自身を顧みることは今後一生ない。いたちごっこはすでに始まってるんだよ。

とにかくお前ら気付け、「弱者男性をいたぶること」が常態化していることの異常さを。

そして気付いたらすぐやめろ。手遅れになる前に。

弱者男性筋トレしろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2024-02-12

anond:20240212140343

続き

しっかり気持ち悪いオタクやってると、オタクそれぞれ別方向に気持ち悪くて、元増田のような意見にはならない

はっきり区別できるわけではもちろんないけど、アニメ漫画市民権得なくても存在していたオタクのようなオタクから

好きは好きだけどコミュニケーション手段自己承認のためにもオタク文化を利用している人ら の割合とかバランスというか

後者ももちろんオタクから元増田意見にもなるのだけど

自分が得られない勝利代替というのはまあ非創作系の趣味全部そうじゃないか

創作だって現実では不可能からせめて夢小説内では、異世界では……って作り手側も代替要素もってるのもあるし

少子化とかも関係してるのかねぇ

多かれ少なかれ子供に夢を託してしまうのは(無意識でもごく一部でも)あって、子供っていう将来得られるかもしれない後継者存在

早い段階で諦めてしまって早めに推しに託すとか

色々複雑だねぇ

推され側の人らも実は似たようなもんでわりと夢から早めに降りてる

推し推し推しにしてることでもあるからみたいなのも増えて来てる

まだ自分限界攻めたり超えようという意識もあるから真っ当(意識しないと見えてこないけど、完全に降りてる人のほうが少ない)

推しにも貢ぐし、自分も磨く、自分も推されたい(無理なら能力とか創作物だけでも評価されたい)のバランスが今もう崩壊しかけで

でも徐々になんか変わってってるところもあるし、もう少し世界が生きやすくなったり希望を実感できるようになれば

推しを推すだけでもなく推されることもある程度意識して

っていうのもなんか違うな

自由に生きりゃあええ

anond:20240212125534

男性差別やめろ

なんでこういうやつって最終的に男性への無意識差別発言をし始めるんだ

子どもの頃の嫌な思い出で苦しむのが異常者なものかよ

2024-02-11

突然ご当地キャラ中の人になった

3連休初日のこと。

「あのさ、できたらでいいんだけど」

申し訳なさそうな声で旦那が続ける。

「突然なんだけど、明日◯◯ちゃん(市のご当地キャラ)の中に入れたりする?」

うちの旦那市役所職員なのだが、どうも祝日イベント対応する人が調整しきれなかったらしい。

うちのご当地キャラかわいい。めちゃかわいいのに、あちこちイベントに貸し出されては、ぼやーっと棒立ちしてるのをよく見かけていた。

中に入るのはプロではなく、イベント担当課の若手職員らしい。しょうがないよねとは思いつつ、◯◯ちゃん大好きな私としては、「◯◯ちゃんは、本当はもっとかわいいのに!」というモヤモヤを感じていた。そこにやってきたこんなチャンス!乗らない訳がない。

「いいよ!やるよ!」食い気味に返事をすると、「え?いいんだ?」と逆に旦那が驚いていた。

イベント明日である。すぐに「着ぐるみ、動き、かわいい」などのワード検索しまくり、イメージの◯◯ちゃんの動きを固める。着ぐるみに入ったことはないが、高校大学演劇部だったのだ、手は抜きたくない。

イベント当日、生まれて初めての着ぐるみ。上手く言えないが、着るというより装着するといった方がいいような作りである。パーツを、ひとつずつ身につけ固定する。最後に装着した頭は大きくバランスをとるのが難しい。視界も悪い。また想像以上に手足の可動域が少なく、身体との密着感も悪いため、動きも伝わりにくい。

突然着ぐるみになった妻を案じて、アテンドの旦那が会場まで丁寧に手をひいてくれる。こんなやさしくリードされるのは10年前の結婚式以来である

そしてやっとこ会場に到着したのだが、到着した瞬間から私の気持ちはもう完全に◯◯ちゃんである

身体を左右にはずむように揺らし、短い手をぶんぶん振り、頬に手をあて首をかしげる。小さなこどもと握手し、一緒にぷよんぷよんと飛び跳ねる。待機時間であっても棒立ちはせず、身体を左右にゆらしルンルン♪♪とかわいさを表現する。会場のあちこちからかわいい〜!」と歓声があがる。

途中、楽しさのあまりリアクションふなっしーに寄ってしまい「え!動きすごっ!!」ってツッコミが聞こえた。危ない。

また、◯◯ちゃん同化しすぎて、「なんかさ、ときどき「えっへへ♪」とか小さい声が中から聞こえるから」と注意された。完全な無意識である。怖い。

体力も相当使った。真冬だというのにぬいぐるみの中は暑い。毛皮着てダンスしてるようなものなのだ。ようやく脱がしてもらったときには、濡れたボブの髪から汗がしたたり落ちるような状態で、「うわっ、中から米津玄師でてきた!」と旦那が変な驚き方をしていた。

私のやった◯◯ちゃんは大変に好評で、「次回もこんな動きを期待されたらどうしよう。役場にそんな人材いない。」と心配の声が出るくらいのデキだったらしい。満足である

たくさんの人とたくさん遊んでもらった◯◯ちゃん。今は洗濯されて、我が家ベランダに干されている。偶然の機会がめぐってくることがあったら、また一緒に遊びたい。

anond:20240210150247

本能に沿って子作りした結果に対して無意識でそれらしい理由付けてるだけな気がする

2024-02-10

狂いつつある独身中年男性増田

https://anond.hatelabo.jp/20230311224417

俺も狂いつつある独身中年男性なので親近感が湧いた。

スペック

37歳170cm65kg年収620万 某国団体職員

資産 現金と株で1000万ほど 車ナシ家ナシ

前職は年収450万の弱小団体職員だったが、最近下記の勉強やら運動やら色々頑張って転職した。

加齢による衰えはある程度対処が効くよ、って話

 

・体力の低下

 自分はもともと慢性的に体力がなかったので35からジム筋トレ水泳を始めた。

 それとビタミンサプリアナバイト)やタンパク質アミノ酸タイムリリースプロテイン)等の栄養をかなり意識して摂るようにした。

 効果はかなり感じており若いから慢性的疲労感が消えた。

 もともと若い頃のほうが鬱で低体力だったため、今のほうが体力あると感じる。

 別に筋トレ信者ではないけど、やはり運動は心身の維持のためしたほうがいいと思う。

 

思考力の低下

 これについてもむしろ若い頃のほうが毎日ぼーっとしていた。

 ジムトレ以外にも頭脳サプリやら日々の食事睡眠見直しなどなど試して

 今は思考がだいぶクリアになった。

 仕事の後に資格英語勉強をしているが特に不都合は感じていない。

 俺はFitbitによる睡眠管理とDMAEなどのサプリを服用してる。

 

 一応、上記対処をすることで俺は36で自分の経歴からしたらかなりのステップアップ転職成功した。

 

・性欲の低下

 これについては正直かなりあった。

 今の増田と同じくらいの頃に悩んで病院血液検査をしてもらったところ、遊離テストステロン値が30代では通常6.5~17程度らしいのだが

 自分は3.9という低値で男性更年期障害に相当していた。

 そのためテストステロン注射療法を試したら、性欲と精神的な元気さはだいぶ回復した。

 謎の不安感や絶望感、焦燥感が明らかに減り、挑戦的な気持ちが湧くようになった。

 どうも若いから俺のテストステロン値は低かったようで

 恥ずかしながら俺はこの年でやっとこの注射で「世の男たちはこんなふうに世界が見えていたのか」という気持ちになった。

 一度、男性更年期障害を診てる泌尿器科血液検査してテストステロン値を調べてもらうと良いと思う。

 

趣味について

 俺も重度のオタク趣味があるのだけど、あるときそれに没頭することに危機感を覚えるようになった。

 自分若いから自分人生を生きることを無意識忌避しており、趣味への没入・忘我によって自我を滅却する快感依存している…ということに気づいたから。

 やりたいからその趣味をしていたはずが、いつの間にかやりたくないことから逃げるための趣味になってしまっていた。

 だから意識的にオタク趣味への傾倒を避け、体力作りや勉強時間を割くようにした。

 

 そうしたら、それでもどうしても「やりたい」と思うときがあり、たまにではあるが結局趣味を完全にやめることはできなかった。

 もう興味がなくなった、と思ってもあるときまたふっとやりたくなることはあるよ。

 趣味のいいところは仕事と違って続けなくてもいいところだ。

 むしろ趣味人であればあるほど、趣味から一度離れることも必要なんじゃないか

 趣味から離れることに罪悪感や喪失感を覚えることはないと思う。

 

結婚

 俺も極度に人付き合いが嫌なタイプで異性の悪いところばかりが目についてしまい、まったく結婚する気が湧かずここまで来てしまった。

 婚活というものしたことがない。

 何人かの女性と付き合いもしたがすぐ醒めてしまった。

 社会的信用については独身というだけで見下されたことはあり、こればっかりは結構メンタルに来るものがある。

 自分健康趣味問題自分コントロール対策できるものだけど

 結婚世間の評判などは自分にはコントロールできない他人から問題から病むよね。

 こればっかりは正直俺も悩んでいる…今更婚活してもしなくてもろくでもない未来しか見えないんだよな

 増田は俺よりは若くてマシだよ

いずれ狂うにせよ、できる対処はしようぜって話

独身中年男性が抱える問題には自分対処可能ものとそうでないものとがあるが、前者についてはある程度取れる手段があると思う。

特に男性更年期障害の疑いはあると思うので、泌尿器科での血液検査を強くおすすめする。

デメリットや体質による可否はあるものテストステロン注射はかなり効く。

心療内科で薬をもらうのもいいが、増田が俺と同じく社会的生物的な「オス」としての役割自分とのギャップに苦しんでいるのであれば

それを埋めてくれるのは精神薬よりは男性ホルモンだと俺は思う。

まぁ自分でできることすべてやったとしても、結婚社会的信用といった他人が絡む問題については自分意志だけでコントロールできるものではないか

結局は俺も増田も狂うのかもしれないけどね。

いずれ狂うにせよ、まだ狂うには早いよ。

願わくば増田増田なりの幸あれ。俺もできれば幸せになりたい。頑張ろうぜ。

 

 

追記

https://anond.hatelabo.jp/20240211070942

一度テストステロン注射するといよいよ体内で作られなくなって一生お注射し続けることになるんじゃない?知らんけど。

 

3ヶ月とか1年とかで経過を見てやめる選択肢もあるけど、打つなら効果副作用トレードオフと割り切るしかないよね。

俺の場合は打つ前からもう体内でテストステロン全然作られてなかったようなので

打たずに低調のまま生きるか副作用を受け入れてでも打つかの二択だった。

で、転職活動転職先で頑張りたい時期なのもあって打つことを選んだ。

これからも定期的に打ってく覚悟。ちなみに保険適用で1回980円。

 

自分若いからずっと憂鬱感や性別違和があり、上記以外にも自己啓発カウンセリング哲学サプリ認知行動療法など色々と試してきたんだけど

ぶっちゃけこの注射1本のほうが遥かに効果があると感じた。

自分というもの気質注射1本、ホルモンバランスひとつで変容してしまうことへの拒否感や絶望感、今までの人生の苦労はなんだったんだ感はあるもの

もともと鬱々とした自分が大嫌いだったので正直この治療には感謝してる。

自分にないものは外から取り入れるしかない。

原作改変して面白くなるならドンドンして欲しい。つまらなくなるなら原作通りなんて目指さないで欲しい

なんの権限も持たない一消費者としての戯言なんで、世のクリエイター業界関係者の人は「無責任なアホだなあ」と思ってくれていいよ。

でもこれは一人の消費者としての本音だ。

俺は漫画版チート付与魔術が大好きだが、コイツ原作改変なのは間違いない。

原作改変がこの世になかったら俺はこの漫画を読めなかったので、原作改変を俺は支持することにした。

漫画版チート付与魔術師はナーロッパ舞台なのにドラゴンUZIを隠し持ち、半グレを倒すために黒塗りの乗用車が押し寄せる脅威の原作改変漫画だ。

中世風の世界だったはずなのにパチンコ存在し、文明の利器を使うと魔力がなくなるから使ってないだけで電気は街中に通っていることが明かされる。

現代中世が交差する異様な空間として漫画版チー付与インターネット大人気だが、これは紛れもない原作改変の産物だ。

この様子に原作者はどういう心情なんだろうか?

文筆家である本人でさえその内情を正確に吐露することが不可能なほどに混沌とした言語化不可能心理状態と察せられる。

本人の知覚さえ不可能無意識下でどれほどの愛憎が渦巻いているかなぞ無産階級の匹夫には想像する資格さえあるまい。

だが、漫画版チー付与面白い

少なくとも、俺はこの漫画メチャクチャ面白いと感じている。

そもそも原作改変は悪なのか?

20年前とあるラノベアニメ版で発せられ、今も語り継がれるセリフに「メディアの違いを理解せよ!」というものがある。

貴重なスタートダッシュ第一話であろうことかこの言葉を皮切りとして映像化に向けた会議生徒会室で繰り広げられていたのを覚えている(その1話しか見てないので、他に覚えているのは聞き流してゲームWIKI更新しているキャラが居たことぐらいだが……あと主人公の髪がピンク……いや白……黒?あれ?髪の色も思い出せない。PSPをやっていたことは覚えている。DSだったかな……あれ……当時まだDSはない……アレ?セリフ以外に覚えてるものある?)

もちろんこんなセリフ原作にはない。

そもそもあってたまるだろうか?ラノベで初っ端アニメ化台本を書いてくる作品なんて。

映像化において原作とは改変されるものだ。

これは絶対だ。

キャラクターが一言目を発した瞬間からそれぞれの読者がイメージしていた声との差異について誰かがSNSで語りだす。

部屋の作り、主人公の佇まい、あらゆる所作小道具原作比較される。

どうあっても原作とは違うものになる。

似せることは出来るし、再現しようとすることは出来るが同じものにはならない。

絶対に変わるものだ。

メディアの壁を超える時、原作は必ず改変される。

良くも悪くも。

原作改変の善悪を決める権利原作者にあるというなら、権利者としての力を存分に振るってくれて構わない。

だが消費者からすれば、個人的好き嫌いや楽しめたかどうかだけが原作改変の良し悪しになる。

面白くなるならいくらでも原作改変して欲しいし、メディアの違いを理解せずに必死原作を維持しようとして駄作が産まれたなら単に見ないだけだ。

好きにして欲しい。

ただ、権利者の権利を守らないというのは善悪における悪だとは思う。

2024-02-09

anond:20240209184921

自由にカネを儲け

自由格差を作り

自由格差を固定し

自由無意識的な差別をする

それがリベラルってもんよ

この現象って名前ある?

テストとかの選択式の問題で同じ記号が多いと「そんなわけないよな?」と思ってしま心理

無意識に(問題作成者は正答の記号をある程度均等に散らしているはずだよな?)という謎の前提というか。

実際そうであることの方が多いんだけど、別にサイコロ確率じゃないんだから同数に収束する必要はない訳じゃん。

でも問題作ってる方としても、「イ、イ、ア、イ、イ、イ、エ、イ、イ、」みたいな答えになると、

「イ多過ぎじゃない?しかもウがない。バランスよく配置した方がいいな」ってなるのは何故なんだろう。

この心理、何か学術的に名前とかありますか?

anond:20240209174858

可能性1. 無意識社交辞令

可能性2. 星の意味を分かっていない

可能性3. 星5のハードルが高い

可能性4. "私が星5なんて判断するのはちょっと…" 無意味謙遜

可能性5. 皮肉

対岸の火事エンタメである

これそろそろ常識になってほしいんだけど

人は、というか動物は遠くで起こっている悲劇エンタメ化するもんなんだよ

草食動物サバンナで仲間が食われてるのを遠くで見物してるのとか知らない?

これってたぶんだけど、そうやって悲劇から情報を得ようとする者が生き残った結果だと思うんだよね

 

エンタメ化って言っても、分かっててやってる人と無意識でやってる人が居ると思うけど

 

これがSNS時代になっておかしくなった

エンタメ消費している人の声が届くようになってしまった結果

当事者は怒るし、その取り巻き不謹慎だと騒ぎたてる

結果「配慮」が必要になってしまったんだ

 

でもSNSだとしても何らかの距離存在するようで

配慮しなくても問題ない事象と、配慮必要事象に今度は濃淡が分かれてきた

それに、距離が変容することで、前は皆がワイワイやってたのに突然炎上みたいなことも起きるようになった

例えば昔のアメリカでは広島長崎核爆弾のことを「平和な核」とか呼んでたらしいじゃん

今やったら炎上するよね

 

エンタメ化は別にいいと思うんだけど

その濃淡がきれいに別れればいいが混ざった時どうなるかを想像して対策を打たなきゃならない時代なのかもしれない

ただやりすぎると息苦しくなるし困ったもんだね

やっぱ全部SNSが悪いのでは

anond:20240208211528

マクドナルドのセットでポテトを全部食べ切ってからハンバーガーに手をつける。

靴下履く時無意識に右から履くくらいの感覚でそうしてる。

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