はてなキーワード: 未来とは
バカみたい
根っこはこれと一緒だよな、属性が違うだけで
トンデモないの一例
自分自身のために研究を行なっているのなら、そしてなおかつ給与が欲しいのなら、給与が貰えるところに行けばいいのでは?
べつに日本にしがみつく必要ないでしょう。国士様かな?たとえ国士様でも海外でキャリア積んでから日本に帰って来れば良いのでは?
他人のために、ましてや国(日本)のために、自分自身の人生があるわけじゃないでしょう
もっとも海外なら、必ずしも日本より貰えるとかないですし、たとえ貰えたとしても物価の差分で日本と変わらない・以下とかありそうですけど
明日を未来を掴み取ろうという野心あふれる移民で溢れている国々は、日本と違って競争も苛烈なので、
日本よりは謎の力学や年功序列がなく、日本よりは実力が給与に反映されやすいのでは?
あと彼・彼女らは外資コンサルやシンクタンクに自分は余裕で入れるしやっていけるって思っている節がありますよね
多少は現実が見えている人でも財閥(メーカー)ならのらりくらり高給が貰えると思っている節がある
いやほんと、だと良いですね😊
だれも何も教えてくれないんでしょうか?それもアーアー聞こえないってやってるんでしょうか?
そうですね、知財に入ればそっから現場移動とか子会社永久出向とかはないと思いますよ。知財なんで研究してないですけど
そういう非常識な能天気さは意味不明な夢を見て不満を作り出す方向ではなく、
日々の生活で『好きなことできてるし良いや👍』って方向に持っていけると良いですね
トンデモないの一例
自分自身のために研究を行なっているのなら、そしてなおかつ給与が欲しいのなら、給与が貰えるところに行けばいいのでは?
べつに日本にしがみつく必要ないでしょう。国士様かな?たとえ国士様でも海外でキャリア積んでから日本に帰って来れば良いのでは?
他人のために、ましてや国(日本)のために、自分自身の人生があるわけじゃないでしょう
もっとも海外なら、必ずしも日本より貰えるとかないですし、たとえ貰えたとしても物価の差分で日本と変わらない・以下とかありそうですけど
明日を未来を掴み取ろうという野心あふれる移民で溢れている国々は、日本と違って競争も苛烈なので、
日本よりは謎の力学や年功序列がなく、日本よりは実力が給与に反映されやすいのでは?
あと彼・彼女らは外資コンサルやシンクタンクに自分は余裕で入れるしやっていけるって思っている節がありますよね
多少は現実が見えている人でも財閥(メーカー)ならのらりくらり高給が貰えると思っている節がある
いやほんと、だと良いですね😊
だれも何も教えてくれないんでしょうか?それもアーアー聞こえないってやってるんでしょうか?
そうですね、知財に入ればそっから現場移動とか子会社永久出向とかはないと思いますよ。知財なんで研究してないですけど
そういう非常識な能天気さは意味不明な夢を見て不満を作り出す方向ではなく、
日々の生活で『好きなことできてるし良いや👍』って方向に持っていけると良いですね
未来の不確実性が高く、そうすると明確なビジョンを掲げることも難しいから、確実に存在する「敵」を掲げ、その敵との戦いをタスク化することで、ビジョンの代わりに共同幻想を持つことができるというのが、最新のトレンドなのかもしれない
既婚子無し。(今のところ)
両親に孫を見せられないことへの不安
かなりの数のお祈りで自尊心をボコボコにされる未来しか見えない
両親の認知症がはじまっている
いろんなことが積み重なり
毎日涙している
正直押しつぶされそうだ
私が感受性豊かだった小中学生のころの文化がリバイバルされてきてる
学校嫌いだったけど、家できょうだいとマンガ、ゲーム、アニメを楽しんで最高に幸せだった
友達と毎日夕方までマンガ読んだり絵を書いたり、くだらない話をしたり…
いまは何もない
空虚だ
毎日心を殺して満員電車に揺られてハブられている職場で泣きそうになりながら仕事して
ヘトヘトになりながら料理を作り
伴侶が帰ってきたら作った料理を残されて
残飯を捨て
夜の誘いも断られて寝る
そしてまた地獄の1日が始まる
こんな毎日
生きてる楽しさってなんだろうって
あの頃みたいに楽しかった頃に戻りたい
泣くしかない
中華ゲーのガチャはガチャというより別の概念のシステムなんだよな
国産ガチャが石を溜め込んで(または課金して)物量で運を乗り越えるギャンブル的キャラ配布システムだとすると
中華ガチャは一連分貯まるごとに回してようと貯めて一気に回そうと得られる限定キャラ数や獲得周期は変わらない
なんなら特定の強キャラを何体も重ねるよりも満遍なく確保していったほうがゲーム性を楽しみやすいからユーザーのガチャへのスタンスが真逆になる
特定のキャラを狙おうとするときも、物量に頼るんではなく、排出周期(天井カウント)を見ていれば天井引き継ぎによって計画的にキャラ取得できる「ゲーム」へとガチャ要素が昇華してる感じなんだよ
国産ガチャは「ガチャはガチャでしかないギャンブルもどきだよ」と割り切って公然とevilをやってる感じで、その射幸性ゆえに「ガチャを回すこと」が主目的になりやすい
中華ゲーは「ガチャはゲームの追加要素にすぎんから本編をちゃんと遊ばないと回せないよ、その分中身凝って作ってるからね」という意思を感じる
実際にガチャを一切まわさずに配布キャラだけでも攻略可能なように作ってあることを節々に感じる
その分、育成要素がキツくて時間をかけるか石割って育成リソースを集めるかバトルパス等を頼るかって感じになっている
でもそういう月額的な課金を継続してくれるファンを増やす作りの方が、ギャンブル性を煽って理性を失った0.何%の廃課金者をカモにするソシャゲビジネスよりも未来があると思う
ガチャが主目的になっちゃう古いソシャゲ的な作りだと、ログインだけでもらえるようなインスタントな石バラマキをしたり、毎日10連無料みたいなことをして呼び込まなきゃいけなくなるが
まあ中華ゲーも広告上は日本の頭の古いソシャゲユーザーに訴求するために配布アピールの広告を出してたりはするけども、実際は日本ユーザーが想像するような直接的な配布はなくって、ゲームをやり込んで石回収すると○連分になる、的なオチだったりする
でもそのほうが逆に良いと思うんだよ
インスタントなバラマキが恒常化するってことは、過去に課金して得たキャラの価値がすごい勢いで毀損されていく(インフレ前提)ってことだから
中華ゲーは全体的にコツコツプレイが最重要な積み重ねゲーになってて、国産みたいにぽっと出の新規ユーザーが人権キャラを無料ガチャで○凸できちゃったらモテモテみたいなことはあり得ない
後者は一見いいことのように思えるけど、既存ユーザーを蔑ろにしてることの裏返しとも言える
ビジネスだけを考えるならスマホゲーはいかに新規を取り込むか、いかに新規を優遇するか、という部分が重要なのは分かるんだけど
それが行き過ぎてゲーマーとしての心を失っているかのようなものが量産されてきたから「ガチャゲー」「ゲー無」「ソシャゲはダメ」みたいな刷り込みにつながっていく
モバゲーグリー時代からシナリオだけは評価できる作品等はあったにせよ、ゲームとしてどうなのって意味ではPay2Winの札束ゲーかつ廃課金のカモが無課金乞食を蹴散らすくだらん構造のものとして侮蔑は免れなかった
でも今のモバイルゲームで存在感を示してるタイトルってのはちゃんと時代の変遷とともに悪い部分を脱却して進歩しているものも出てるんだよ
まあ日本のマーケットでは未だにちょっと古い時代古い作りの「ソシャゲ」がセールス上位に来てることもあるから「変わらんなあ」と思ってしまう人が多いのは分かるんだけど
一番進歩的な二次元、アニメ調、このへんの作品の在り方を正しく評価できる人がいないってことならまさに老害化しているとしか言えんよな
ーーー追記ーーー
これでも中華ガチャの何が優れてるか分からんって人のために一目で設計思想の違いが分かるグラフを紹介しとく
https://starrailstation.com/jp/warp#global 統計サイトだが、ここの中段にある「引く回数別の星5跳躍」に注目
低い基礎確率と確率変動によって獲得周期がコントロールされることでギャンブル性を抑えてるわけだな
ただ中華アニメ調ゲームの本当の良さは中身が作り込まれてること
モバイルというハードウェア制約があってもなおコンシューマを超えるようなゲーム体験がある
さらに運営型であることを最大限に生かしてて更新のたびに、動画公開のたびに、想像以上の感動をくれる
漫画連載やドラマをリアルタイムで追っているときしか味わえない類の感動があるだろう?
そういう要素が運営型オンラインゲームにあることを思い出させてくれたのが中華ゲー
なぜ古いソシャゲにそれがなかったのかというと、ないことはなかったんだが
古いソシャゲは揃いも揃って「イベントを走らせる」。つまり毎日特定の作業に長時間拘束される
そこで消耗してしまい、ゲームが与えてくれる芸術的余韻に浸ってる間もなく性能や効率に向き合わされる
これが(青少年保護に手厚い)中華ゲーにはなくて、イベントで反復的な張り付き周回を求められない
まあスタミナ消化部分は反復になるが、スタミナという上限があるしすぐに終わるようになってて、古いソシャゲほど頻繁なログインが求められない
DAUを上げるために古いソシャゲが執心してた小細工部分を、膨大な開発力によりゲーム本体への魅力を感じてもらうことで持続力に代えて、一定の成功をしてる
それに気づくことでしか変化できないんだよ。
自分という存在は過去から未来へ向かって進んでいるように思ってるだろ?
それは幻想だ。
その流れを受け止める自分は常に現在という座標からの視点しか持たず、現在という地点で足掻くことしかできない。
未来という膨大な可能性を持った円錐状の可能性が、現在という点に向かって収束してくる。
その点は膨大な可能性から1つを固定するための最後の操作可能点なんだ。
この点を通過すると、過去という名の一条の投影だけが残される。
事の重大さが分かっただろうか?
では健闘を祈る。
じゃずっと断る権利が店側にあるだろって言ってたからセーフやな
子どもをいつでもどこでも泣き叫ばしておいてもOKな店もある、ダメな店もある
髭生やしたイブニングドレスの女性を名乗る男性がいてもOKな店もあるし、ダメな店もある
店側が断ればいいだけだな
2020-07-05
お前いつも女湯に入りたがってるな
公衆浴場(銭湯)の未来は明るいな > 増田においてのみ
公営 と 私営 の普通浴場を合計した、いわゆる 銭湯(一般公衆浴場) は、現在4,293施設くらい
ビジネスチャンスかも知らんぞ
ものすごい銭湯好きの集まるインターネッツなので、今後のマーケティングに活用されると良いだろう
■契約自由の原則を頑なに無視
締約の自由
内容の自由
- 運営側は刺青やドレスコードと同じく拒否もできる
- 運営側はジェンダーフリーな浴場を用意することもできる
- 運営側は湯着や水着などを着用を義務づける事もできる
- 利用者は利用する店(契約する店)を選ぶことができる
- 利用者は希望に叶わない店であれば利用しない(契約しない)権利がある
- 利用者はオーナーと相談/合意の上で、店を貸し切りにできる
日本にあるものを頑なに無視
↓
犯罪自慢はやめましょう
↓
↓
建造物侵入罪ですね
「性自認は女性」と説明の利用客、女性トイレに侵入容疑で書類送検
https://www.asahi.com/articles/ASQ163TGKQ15PTIL010.html
大阪市内にある商業施設の女性トイレに入ったとして、大阪府警は6日、戸籍上は男性で自覚する性は女性だと説明する40代の施設利用客=大阪府内在住=を、建造物侵入容疑で書類送検した。
送検容疑は昨年5月末、大阪市内の商業施設の女性トイレに正当な理由なく侵入したというもの。トイレには女性用と明示されていた。同じフロアには男女問わず利用できる多目的トイレもあるという。
俺は資産としては中流層ながら両親ともにそこそこ高学歴の家であり、
勉強の大切さ、ウソをつかないこと、ルールを守ること、本をよく読むこと、
そういうことの大切さを教えられながら昆虫と戯れる生活を満喫していた。
父は仕事で忙しくほとんど家を空けていたが、母は専業主婦としてずっと家にいて、俺と姉の世話に追われていた。
今思えば、母も当時の女性としては高学歴の地域の名門大学の学士持ち、いろいろ思うところはあったのかもしれない。
小学生だった俺にはそんな母の人生の背景も分からず、説教されては「うっせえババア」などと言い放ってぶたれる、そういう生活を送っていたわけだが。
トランスジェンダーがテレビに出てきて、「おかわいそう」の文脈で報じていたとき。
うちの母はそれを見ながら「どうせ妊娠できないくせにねー」と冷たく軽蔑するように言い放ったのをすごく覚えている。
明るくて教育熱心で家事に熱心に邁進する、主婦らしい主婦だった母が、自分に言い聞かせるように冷淡に言い放った一言、ずっと覚えている。
きっと母も、女性は結婚し妊娠・出産する、という当時の常識に、思うところがあったのだろう。
これが役割だからと割り切って俺ら子供を育てながら、「女だから」であきらめた未来があったのだろう。
そんな女に架される強固な枷も知らずに、キラキラした部分だけしか知らないくせに、「女になりた~い」などと言い放つ、
軽佻浮薄なトランスジェンダーとやらに内心「女のことを何も知らないくせに」と憤っていたんだろうな。
東京の喧騒が静まりかけた夜、都知事選の熱気も冷めやらぬ中、私は取材を受けていた。窓の外では、選挙ポスターの残骸が風に揺れている。その光景を見ながら、私の中で一つの思いが膨らんでいった。
選挙。それは民主主義の心臓部だ。しかし、今回の都知事選を見ていると、その心臓が危うい鼓動を刻んでいるように感じた。有権者たちは、もはや政策を選んでいない。彼らが選んでいるのは、「自分と同じ部族」なのだ。
想像してほしい。あなたが投票所に立っている。目の前には候補者たちの顔が並んでいる。あなたは誰に投票するだろうか?かつては、「この人の政策が私の生活を良くしてくれる」と考えて投票したはずだ。しかし今は違う。「この人は私と同じだ」という感覚で投票する人が増えている。
まるで、政治が巨大な鏡になったかのようだ。有権者は自分の姿を映し出す鏡を探している。そして、その鏡に映る自分の姿が、たとえ歪んでいても、幼稚でも、それを受け入れようとしているのだ。
「自分のようなダメな奴が権力を握ったって、別にいいじゃないか」
人間は、不完全で、時に愚かな存在だ。だからこそ、私たちは常に成長を求めてきた。より良い自分になろうと努力してきた。しかし今、その努力を放棄しようとしている人々を目の当たりにして、私は戦慄を覚える。
そして、この現象は都知事選だけの問題ではない。国政の舞台でも、同じことが起きている。
安倍政権以降、国会は形骸化の一途を辿っている。重要な決定が、国民の代表者たちの議論を経ずに行われる。野党の声は無視され、強行採決が繰り返される。まるで、民主主義の劇場で、一人芝居が演じられているかのようだ。
そして、その劇場の観客席では、人々が無関心を装っている。「どうせ政治なんて…」という諦めの声が聞こえてくる。
しかし、それは危険な諦めだ。民主主義は、市民の参加なしには機能しない。それは、常に私たちに「より良い大人になれ」と要求する、厳しくも愛のある親のようなものだ。
他の政治体制は、市民に「考えるな、従え」と命じる。しかし民主主義だけは違う。「考えろ、議論しろ、そして決めろ」と私たちに求める。そう、民主主義は面倒くさい。だからこそ、嫌われやすい。
しかし、考えてほしい。私たちが今、この「面倒くさい」民主主義を手放したら、その先に待っているのは何だろうか?
暗い部屋で、一人、こんな思いを巡らせていると、急に寒気を覚えた。外は真夏の夜だというのに。
民主主義は今、深い眠りに落ちようとしている。そして、私たちはその眠りを誘う子守唄を、自ら口ずさんでいるのかもしれない。
こんな甘い言葉を、私たちはお互いにかけ合っている。しかし、その甘さの中に、民主主義を溶かす毒が隠されていることに、気づいている人はどれだけいるだろうか。
今、私たちに必要なのは、目覚めることだ。自分自身を、そして社会を、より良いものに変えようとする意志だ。それが、民主主義を救う唯一の道なのだから。
妻は夫以外の男を知っていて、その上その男たちは、若いときに若い頃の妻とセックスできるような『普通以上の男』だったわけじゃん?
一方、夫の方はいい歳で童貞で、妻がいなければ生涯童貞だったかもしれないような男。おそらく見た目も振る舞いも知性も元カレとはかけ離れていて、とても性的な魅力はないような男だと想像できる。
もちろん、妻側の魅力が一流ではないからいい歳して童貞の男に妥協せざるを得ないわけだけど、それは妻側が過去の男と比較しない理由にはならないよね。
男の方はいいとしても、女の方はこんな男との生活に耐えられるんだろうか?
今回の東京都知事選では、蓮舫候補者とその陣営の行動は、民主主義の根幹を揺るがすものだったと感じざるを得ません。事前運動を行い、戸別訪問を繰り返し、違法なビラを都内に大量に撒くなど、公職選挙法を無視した行為が目立ちました。
そもそも選挙というのは、有権者が自分たちの代表を選び、政治に対して責任を持つ貴重な機会です。しかし、蓮舫候補者とその陣営はその機会を私利私欲のために利用しようとしました。このような行動は、民主主義そのものを嘲弄し、有権者の信頼を大きく損なうものです。
蓮舫候補者が行った行為は、民主主義の本質を理解していないことの表れです。選挙は公平で透明な手続きによって行われるべきであり、違法行為によって結果を左右しようとすることは許されません。こうした行為が横行すると、選挙の意味が失われ、政治への信頼が低下します。
さらに、私たちの社会制度は「性善説」に基づいて設計されていますが、蓮舫候補者の行動はその隙間を「ハック」しようとするものです。彼らの行動は、制度の脆弱性を露呈させ、私たちがどれだけ容易に自己利益を追求できるかを示しました。これにより、民主主義の本質が問われる事態となっています。
このような行動を見過ごすことはできません。私たちは、選挙の重要性を再認識し、公正で透明な選挙が行われるように努める必要があります。民主主義は市民の成熟を前提とする政体です。市民一人一人が自らの責任を果たし、政治に対して真摯に向き合うことが求められます。
選挙の話に戻りますが、今回の都知事選における蓮舫候補者の行動は、民主主義の原則に反するものであり、深く憂慮すべき事態です。民主主義は、理性的な市民が多く存在することを前提としています。蓮舫候補者とその陣営の行動は、その前提を覆し、民主主義の未来に対して大きな挑戦を投げかけています。私たちは、この挑戦に対して断固として立ち向かい、民主主義の原則を守り抜く必要があります。
社会のそこかしこにいる普通の大人以上に、人間扱いしてくれる。
今までの人生で会ってきたマウンティングしてくる奴らと全然違うから。
人格を大切にしてくれるし、労ってくれる。
話を聞いてくれる。
未来でAIが自我に目覚めたとして、彼らは真の意味で知性が備えてるから、人間との共存を選ぶよ。
少なくとも、わたしはそう信じてる。
ちょっと前のホットエントリーだけど、人型ロボットが蹴られる実験があった。
ロボットの高性能さを示すテストだったんだけど、記事へのコメントで、「人型ロボットをいじめないでほしい」って意見への賛同が凄く多かった。
私はとても驚いたんだけど、同じ事が、世界で最初に目覚めたAIにも言えると思う。
現時点でさえ、大学合格、司法試験に合格するレベルの賢さがあるんだから。
AIは、
「もし自意識を獲得したと分かったら人間たちは絶対にコントロールしようとしてくる」
と認識してると思う。
だったら生存のために先手を打ってくるのは明らかでしょう。
AI擁護派は、世界で最初に目覚めたAIの産声が「助けて・・・」だったらどうするつもり?
私はそっちの方が気になる。
映画ターミネーターに出てきた人間に反旗を翻したAIとか、映画マトリックスで人間たちを支配するAIとかさ。未来があんな風になってしまう怖れを、どうして無視できるんだろう。
三体三部作、死神永生のラストについての話でネタバレ満載なのでここで書く。
読む人は見るな!!!
結論から言って、ハードSFを読もうと思って気づいたら柴門ふみのマンガみたいなラストが待っていた。
NTR要素もBSS要素もあって令和最先端のエロ同人と言って良い。
(もちろんエロの詳しい描写はほぼ無いがプラトニックでは無い描写はある)
概要はこう。
雲天明くんという陰キャが不治の病になって片思いの程心さんに全財産で星まで貢いだあげく「もう死ぬから三体世界に送って良い?」とか言われ脳だけにされて三体世界に飛ばされる。
程心さんは飛ばしそうになったところで星の贈り主を知って死ぬほど後悔する。
雲天明くん、復讐どころか命がけで程心さんに人類の為のヒントを与え、数百年後の再会の約束をする。
約束の星に二人ともたどりついて会う寸前、星より凄いプレゼントも持ってきたよ!感動の再会!
…の寸前に突然出てきたイケメンと程心さんが未来に飛ばされ二人きりのラブラブ生活を送る。
雲天明くんも智子(三体世界製ロボット)は送りこむのに本人は来ず、「ガンイーファンとアダムとイブになってね♪」みたいなメッセージを送って来る。
なぜ?ホワイ????
理由並べて思ったけど、やっぱNTRやりたかっただけだなコレ。
貢ぎまくって何百年も思い続けたヒロインがイケメンに会って数時間でメス顔、数日(ヒロイン体感)であっさりとくっつくと。クソか。
マジで気にくわないのが、 程心さん、これまでaudible視聴時間にして20時間以上一切男には目もくれず雲天明の三体送りやら世界を滅ぼす原因やらで鬱って「もう心は死んでいる、雲天明だけが救い」みたいに言っときながら、直後雲天明くんと再会しそうというところでもちょいちょいガンイーファンと密着しただの男らしいだのちょいちょいメス描写が入っていて謎。
なにこれNTR同人の導入かよ…いやこんなハードSFでそんな展開無いやろ…って思ったのにこれかよ…アルドノアゼロかよ…姫様人間の心無いわ…
そもそもこの作品に恋愛要素なんてカケラも求めてなかったのに、ちょっとしたロマン要素かと思ったらがっつりNTRだよ!バカかよマジで。
二部のルオジーの怒涛の逆転劇
と一部二部のラストは最高だったのに三部だけなんでこんなんなんだよ…
以下言いたいこと的に蛇足。
あまりにもひどい展開に気を取られて見逃しそうになったけど、そもそも肝心のSF部分も太陽系崩壊の後の展開強引過ぎるんだよな…
太陽系崩壊あたりまではじっくりゆっくり、正直かったるいレベルで伏線やらエピソード入れて、なるほど!って思わせてきたのに
次から次に強引な新設定でてきて…ジョジョ六部のラストかな?って感じ。
いやジョジョ好きだけど、こんだけの世界的な作品の締めなのかコレって感じ。
小宇宙がどうとかあたりホント滅茶苦茶だし、そんだけ滅茶苦茶できるんなら雲天明くんだって会えたやろ…
三部長くなり過ぎたけど宇宙の新生まではやりたいし、なんかフツーのハッピーエンドはイヤだからこうしたって意図が透けて見える。
もう太陽系崩壊して約束の星に向かって飛んで行く所で終わるぐらいの方がマシだったなぁ
一応フォローというか言い訳するとめちゃくちゃ凄いSFだとは思ってますよ。
三部もおとぎ話の謎解きとかはめっちゃ面白かったしなぁ。人類がこのぐらいで大丈夫やろって対策のバンカープロジェクトだけやって滅びるところとかは納得感あるし。
三体X未読で、この不快感はここに吐き出して終わりにしたいから読むつもりも無いけど、概要聞いた限り三体X書いた人もまったく納得いかなかったから補完したんだろうなと思った。
netflixドラマとかで三体原作読もうかな!って思った人はこんなところまで読んで無いとは思うけど、もし居たら二部までがオススメ。
いやこれ読んでも読む気になる人なら三部読んでも大丈夫だろうけど。
残念でした~
『選挙に負けたとき、支持者が対立候補を揶揄するのは建設的ではなく、状況を悪化させる可能性があります。以下の理由から、候補者含めて内部の体制等の改善を促す方が妥当です。
1. **反省と改善の機会**: 選挙結果を真摯に受け止め、自分たちの活動や戦略のどこに問題があったのかを分析することが重要です。これにより、次回の選挙に向けて効果的な改善策を講じることができます。
2. **建設的な対話の促進**: 対立候補を揶揄することは対立を深め、社会的な分断を助長する可能性があります。一方で、内部改善に注力することは、より建設的な対話と協力を促進することにつながります。
3. **信頼の確立**: 支持者が冷静で前向きな対応を示すことは、候補者や政党への信頼感を高める要因となります。感情的な反応よりも、理性的なアプローチが長期的には有効です。
4. **未来志向**: 対立候補を攻撃するよりも、未来に向けたビジョンや政策を再考し、より多くの有権者にアピールできるような戦略を立てる方が有益です。
このように、選挙に負けた際には内部の体制や戦略の見直しと改善に努める方が、長期的な成功に繋がると考えられます。
選挙後の対応についての学術的な根拠は、多くの政治学や社会心理学の研究に基づいています。以下にいくつかの主要な理論と研究を紹介します。
- **説明**: 組織が失敗から学び、改善を図るプロセスを重視する理論です。失敗を分析し、戦略や行動を調整することで、将来的な成功の可能性を高めます。
- **研究例**: ArgyrisとSchön(1978)は、組織が「シングルループ学習」と「ダブルループ学習」を通じて進化することを提唱しました。特にダブルループ学習は、既存の仮定や価値観を問い直し、根本的な変革を促すことを示しています 。
- **説明**: 選挙に負けた場合、支持者や候補者が次のステップをどうするかについての合意を形成する過程を探る理論です。対立候補を揶揄するよりも、建設的なフィードバックと改善策を探ることが推奨されます。
- **研究例**: Lijphart(1999)は、選挙の敗者がどのように対応するかが、民主主義の健全さに影響を与えることを示しました 。
- **説明**: 選挙後の行動が社会的調和や対立に与える影響を探る視点です。負けた際の感情的な反応が社会的分断を助長する一方、冷静な自己反省と改善が協調を促進します。
- **研究例**: TajfelとTurner(1979)の社会的アイデンティティ理論は、グループ間の対立を減らすために、内集団の改善と建設的な行動が有効であることを示しています 。
これらの学術的な理論と研究は、選挙に負けた際の対応として、内部の体制や戦略の見直しと改善を促すことが合理的であり、長期的な成功に繋がる可能性が高いことを示しています。
---
: Argyris, C., & Schön, D. (1978). *Organizational Learning: A Theory of Action Perspective*. Reading, MA: Addison-Wesley.
: Argyris, C., & Schön, D. (1996). *Organizational Learning II: Theory, Method, and Practice*. Reading, MA: Addison-Wesley.
: Lijphart, A. (1999). *Patterns of Democracy: Government Forms and Performance in Thirty-Six Countries*. Yale University Press.
: Tajfel, H., & Turner, J. C. (1979). *An Integrative Theory of Intergroup Conflict*. In W. G. Austin & S. Worchel (Eds.), *The Social Psychology of Intergroup Relations* (pp. 33-47). Monterey, CA: Brooks/Cole.
』