「マスコミュニケーション」を含む日記 RSS

はてなキーワード: マスコミュニケーションとは

2024-03-27

JPOPが好きな人って、ただ単に単純接触効果マスコミュニケーションにやられてるだけだと思うんだが。

それは、意図して好き嫌い操作されてるわけで。

2023-09-03

ジャニーズタレントを知る他事務所タレントは彼らを「イケメンなのにすごく努力してるのにストイックだし気配りもすごい」的な称賛をする。

から、J喜多川が何をしてるか知ってたとしても(あの事務所と関わってて知らない奴はいないだろ)、でも所属タレントは頑張ってるからって擁護してるし、それはそういう教育をしているJ喜多川の功績でもある。

悪い点がはちゃめちゃに悪いのだが良い面も見ないとと。そこをT山下も言いたかったんだろうがキチガイヒステリーX(他)には通用しなかった。

少なくともここまで大事になって初めて知りました。許せません事件の再発防止を徹底します。なんていう。

吉本興業のYAKUZAとの癒着もそうだしな。

1番の悪はマスコミュニケーションであることには変わりはない。

ところで

努力の努と言う字は、女の又に力と書くが、彼らは、男の又に力ではあったものだ。それが日本のショービジネスのものだ。

2021-01-25

査読立ち位置

物理学Ph.D. を取ってドロップアウトして、しかしそれでもなおも文筆を続けている者として。

正直、現代においては査読立ち位置あんまり良く分かっていない。勘違いして欲しくないけれど、要らないとか価値が落ちたとか言いたいのではない。

査読アカデミズム価値担保されるとか絶対に嘘ですし。そもそも良い論文は良いし、その良さは適切な教育を受けた者なら分かる。グレゴリーベレルマンのかの論文アカデミズム価値がないとでも言うのだろうか。そうでなくとももはや arXiv 的なものに注目が移っている趨勢において、学術価値担保として査読必須であるというのは欺瞞を孕んでいると感じる。査読って性善説ですしね。

査読がなんで必要か?って言うと、研究費を貰うためとかポストを得るためとかそういうあれなんですよね。指標必要から指標を作っているってだけ。

そして分野を限らずに査読や賞の価値ってここ10年で本当に変化したと思う。少し前までにはマスコミュニケーションが大きな部分を占めていてその紙面はいつも限られていたから、査読や賞というもの必要だった。それを通過してはじめて紙面にスペースを割くことができた。でも今は学術論文なら arXiv があるし、小説や詩なら note やなろうに投稿すればいいし twitter でもいいし、もっと言えばどんなものでも Amazon Reading で自力出版すれば良い。費用負担がないか自費出版ですらないのだ。

2020-05-29

オルタナティブマスコミ

昨今のブコメなりニュースに対するインターネットの反応を見ていると、

マスコミジャーナリストという言葉アレルギー反応を示す人がいる。

マスコミとは

>>マスコミュニケーション(英: mass communication)あるいは大衆伝達(たいしゅうでんたつ)とは、マスメディア(具体的にはテレビラジオインターネット新聞雑誌書籍など)を用いて、不特定多数大衆(マス)に大量の情報を伝達すること。<<

wikipediaより抜粋

ジャーナリストとは

>>ジャーナリズム関係もつ人。新聞雑誌などの編集者記者など。<<

コトバンクより

ここでのジャーナリズムとは

>>新聞雑誌ラジオテレビなどにより、時事的な問題報道解説批評などを伝達する活動総称。また、その機関。<<

コトバンクより

つまるところ、前述のアレルギー反応を持つ人は、報道社会情勢の伝達を行う人々に対するアレルギー反応である

では、この人々がどのようにして情報アレルギー無く摂取するのか。

面白いことに、果物アレルギーの人が、加熱加工した食物が平気であるように、処理を加えた情報なら摂取できるのである

ここでの処理済みの情報提供する人々(主にインターネット上に存在する)の実態、全体はあまり良く分かっていない…と思う。分布インターネット全域に広がり、形態多種多様である

それでも、マス(大衆)に情報を発信できることから、それらはオルタナティブマスコミと、もはや当て嵌めることができると思う。

そして、たしかに言えることは、オルタナティブマスコミに、悪名高きまとめサイトも含まれるということだ。

このマスコミの特徴の一つとして、「インターネットの反応」と言う、調味料を加えることがある。

なんでも、風の話に聞くところ、はてなと呼ばれるサイト提供するサービスの一つに「はてなブックマーク」というものがあるらしい。

これも、調味料を加える形のオルタナティブマスコミとして見ることが出来て、使用者の多くは、マスコミサイト情報摂取する時に、ブックマークと呼ばれる「インターネットの反応」を自発的ふりかけ摂取する。

もはや、インターネットでは、ジャーナリストマスコミという言葉アレルギー反応を起こす人が急増している。

これは、もはやインターネットにおける現代アレルギー花粉症」のようなものだろう。

オルタナティブマスコミ現在の特徴として、マスコミ存在しないと、存在できないことにある。

そこで、マスコミの方でも、これらのアレルギー反応を持つ人たちに対応できる、オルタナティブ化を打ち出し、現代の人々の体質に合わせる必要があるのかもしれない。

2019-07-07

東大テニス部飯沼です。

東大テニス部飯沼です。

田所先輩からバトンが回ってきたのでポスト

東大ライブラリーでは、50年前のニュースでも、

のもののように閲覧できることはご存知だろうか。

最近はまっているのが昔のニュース検索

ここでは50年前にどのようなことがニュースになっていたかを取り上げ、

彼らがどのような環境生活していたのかを考えてみたい。

吉本興行芸人の闇営業問題2019年6月6日ごろ)

吉本興業株式会社所属タレント現在のYOSHIMOTO)が、

営業で大きな問題となっていたようだ。

営業というのは、事務所を通さずに、

仕事を受けることとされているが、

事務所というものいまいちからない。

調べてみたところ、2019年はTスコアの普及前で、

IDも割り振られていなかったとのこと。

友好関係S2、経歴などはどのように調べていたのだろう。

調べなくても、良かった時代なのかな。

で、これらのタレントテレビジョンに出演していたため、

影響範囲から大きな問題になったそうだ。

テレビの件は、多くの方がすでに取り上げられているので解説しないが、

2019年には大きな問題になっているところを見ると、

いまだに大きな影響力があったことが見受けられる。

まり企業宣伝コマーシャルコンテンツの間に宣伝映像を流す)も、

まだ有効というか、規制されていなかったのだろう。

Doorsも、今は終了した跳錦もサービスが始まっておらず、

誰でも自分の素性を隠すことができる時代だったのかも知れない。

今の価値観で言えば、考えられないくらい不便ではあるが、

日夜報道される様々な不幸などは起きなかったのではないかと思う。

一度、この時代に生きてみたかったな。

この闇営業問題については、各種メディアでも取り上げられていた。

おそらく、日本中の人たちが注目していたらしい。

まさにマスコミュニケーション全盛期ならではの光景だ。

TwitterというWEBサービスがあり、

これはユーザーが180字でポストするものであるが、

おそらく同一ユーザーではないかなり多数のIDから

この問題についてポストが見受けられた。

どれだけ暇なのか。何考えているんだ。

2022年の前なので、このようなことになっているとは思うが、

なんか、ユートピアだったんだなと笑ってしまった。

祖母にこの話を聞いても、全然覚えていなかったので、

かなり一過性話題だったのだろうが、

このことが日本を騒がせていた時代があったのかと思うと感慨深い。

どうでもよくないか?というか、君たちやるべきことがあるだろ。

まだまだ東大ライブラリー検索は止められない。

この記事面白かったと思う方は、RYコイン(@iinuma_jp073)か、

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次は、飲み会で犬のマネ鉄板佐藤バトン

2017-12-20

anond:20171220014932

実際には誰も気にしてないことですら大声でがなりたてることで「社会問題」にしでかすのが「声の大きい人」の基本であって

それが社会全体的に起こるのがいわゆるマスコミュニケーション的なムーブメントというものだろうし

広告業界なんざそのムーブメントづくりも大きな仕事からなあと

2017-08-05

マスメディアのことをなぜマスコミと呼ぶのか理解できない

メディア媒介であり、情報発信者と受信者媒介して伝える手段で、

ひそひそ話からマスメディア新聞テレビラジオ雑誌など)にまでその範囲は及ぶ。


伝言ゲームの喩え通り、その間媒介者たちによって情報の取捨選択が起こり、あるいは補足が行われ(尾ひれをつけるなど)

情報は当初のものから乖離、変容していくものである。これが大前提である


その間の取捨選択、要するにふるいにかける作業言葉をかみ砕く作業なども当然のように想定しなければならないし、現実もそうである


これらの行為マスコミュニケーション行為と呼ぶのであって、

この略語であるマスコミ当事者には、情報発信から信者まで全員含まれる。


このふるいにかけたり、かみ砕いた表現をとったり、外国語翻訳したり、あるいは不要修飾語を多用したり、

悪意ある場合には尾ひれをつけたり、推測や願望をこっそり忍ばせたりする行為を、どのように呼ぶかは自由である


ある人は偏向というし、またある人は報道しない自由というし、さらに別の人は編集などと呼ぶかもしれない。




では、下ごしらえしていない食材調味料を置かれ、お好きに料理してくださいと言われたらどうだろうか。

いやここでも、食材調味料選択恣意性排除できないという人もいるだろう。



では、森に連れて行って、お好きなものを収穫して、ご自由料理してくださいと言われたどうだろうか。

いや、わたし魚介類が食べたい、森へ連れてくるなど偏向していると主張する方もあらわれるかもしれない。


閑話休題、たとえば海外ニュース恣意性排除するにはどうすべきか。

翻訳に頼らないことである自分で読むしかない。

また人間誰しも文章を書くときには修飾語や過度の強調表現をとりがちであることも論を俟たない。

修飾や強調によって表現が豊かになり、多くの文学作品が生まれたはずである

では、文学から様々なレトリック技術を取り去ったら、どうなるだろう。

無味乾燥ものばかりで辟易するであろう。

一方論説や演説ではどうだろうか。できる限り避けるべきであるが、やはり頼りたくなる、人間だもの

2013-06-10

テレビ局は、

馬鹿視聴者でも理解できるよう噛み砕いて説明」しているのだと、

しろ胸を張って主張するだろう。

これは精一杯のサービスであり我々放送人真心なのだと。

誰が悪いというわけでもない。

テレビというマスコミュニケーションの道具において必然的に起こりうる悲劇だということだよ。

2011-09-14

マスコミは確かに腐ってるけど、勘違いしてはいけないのは、

漫画に登場するような分かりやすい巨悪が悪巧みしてるんじゃなくて、

マスコミを叩いてるおまえらもマスコミ業界に入れば似たようなことするに決まってんだよ、

ってことだよね。

マスコミに次ぐマスコミュニケーション能力を手に入れたインターネッターたちがやってることと言えば、

軽犯罪告白したリア充に過剰な私刑を加えることだからね。

軽い失言を取り上げて大臣を辞任に追い込むのとまったく変わりないよね。

2011-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20110606225328

横だが(しかも元のtogatter見てないが)、そういうの「皮相的なモノの見方」って言うんだよ。

一歩踏み込むと、マスコミュニケーションが作り出す消費文化と、非対称的経済構造による暴力的な仕組みだということがわかる。

つまり「大規模店舗好きな人達が多い」ということは継続しないんだな。短期的にはみんな喜ぶが、その非対称性が土地の養分(商業力)を吸い上げてしまい、土地を枯らせてしまう。

焼畑商業、という揶揄もあるね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%95%91%E5%95%86%E6%A5%AD

アメリカはもっとひどい。

http://d.hatena.ne.jp/tanu_ki/20090411/1239418763

2011-06-01

最近騒がしい。みんながみんな主義主張を発言できる環境が整ったせいでうるさくてかなわない。

マスコミュニティが嫌いだ。マスコミュニケーションも苦手だ。

狭くていいからちっぽけでいいからそっと楽しんでいたい。

ライブ会場だとか党大会だとか、決まったひとつの方向に集団の意思が向かう関係性がいやだ。

祭り会場とか遊園地とか、たしかに群衆は作られているけれど個別の方向性を持った空間はすてきだと思う。

偏りが苦手なのかもしれない。ゆるい空間がすきなんだろうな。

優柔不断なんだ、結局。ありとあらゆる面において優柔不断なんだ。

2009-02-10

指摘ありがとー:)

マスゴミの反対の意味として、マスコミと使っていました。

直しましたー。

本来マスメディアにより実現される情報の伝達を「マスコミュニケーション」と表現するのは誤りであるが、日本国内では「マスコミ」として広く定着している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/マスメディア

http://anond.hatelabo.jp/20090210105338

2008-10-29

ネットでの発言と批判の仕方(「医療崩壊」に関する議論を例に)

この間の墨東病院の件で、病院側の批判あるいは産科医療崩壊を論ずるブログに関して。

はてなブックマーク - ぷにっと囲碁!なブログ | 東京の医療は既に崩壊してるのに…。現在は、消されているので、魚拓

http://punigo.jugem.jp/?eid=486 - 2008年10月24日 11:05 - ウェブ魚拓)で、各ブログの反応がたくさん引用されていた。はっきりいって気の滅入るものだった。いろいろな点で。

 ひとつには、ブックマークの数からもわかるように、たくさんの人が押し寄せたように、ここで挙げられていたブログのほとんどがエントリー削除あるいはブログごと閉鎖している。これは、bewaad氏が以前に指摘した「無防備な個人によるマスコミュニケーション - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com」という問題といえるのではないだろうか。

 また、もうひとつには、ここで挙げられているブログを「バカだなあ」と批判している人たちについても、今回の場合には当てはまらないとしても、一般にブログでの議論のようなものにおいては、自分は正しい知識を有しているぜとばかりに、他の人の議論における些細な点の誤りをあげつらい、その誤りが議論の本筋にどれくらい致命的かは測定することなく、論旨全体にダメ出ししてそれ以上の議論の展開を阻むような、ディベートの方法の悪い形での現れという危険性が少しだけ感じられる。

 こう書いたときに念頭にあるのは、たとえば、こないだの内田樹さんの「学校選択制 (内田樹の研究室)」というエントリでのキーボード配列についての事実誤認について、「良いこと言ってるのに「QWERT配列」の話でだいなし。」と言うコメントがあったけれども、ほんとうに「だいなし」になったのか? それから、「マックス・ウェーバー犯罪」の件も似たようなものかと思う。右にも左にも末人の跳梁。

 話を一段落前に戻すと、もちろん、

「いまのこの時期に「たらい回し殺人罪相当」ということを軽く書けるのは、情報摂取能力が高くないことは明らかであって、このような人をブログで説得することが難しいこと(説得して考えを改めるくらいに賢い可能性の低さ)は想像に難くないので、これを批判する場合には、とにかく罵倒皮肉・当てこすりによって、お前バカなんだから反省しろ、とSPAMのようにコメントをたたきつけるのを戦略として選んでいるのかもしれない」

という可能性は低くありませんが。

 もうすこしディーセントにいきたいのだけど、難しいですね。

 
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