はてなキーワード: ピーとは
デブ女B(教えたくねえ。。・。・)
男A(知りたくねえ・・・)
男B(知りたくねえ・・・)
男C(知りたくねえ・・・)
男E「(ワイがブラ付けてるの、バレてないよな...ドキドキ)」
実話
イソギンチャクは何に急いでいるのか――。この問いかけを聞くと、私たちは海の底に住む神秘的な生き物に想いを馳せる。イソギンチャクはその名前からも分かるように、「急ぎ」を意味する「磯」、「銀杏」を意味する「銀杏」、「茶屋」を意味する「茶屋」の3つの言葉から成り立っている。しかし、これらの言葉がどのように関連しているのか、そしてイソギンチャクがどのような生き物であるのか、私たちは深く考察することが求められる。
イソギンチャクは、触手を広げた姿がまるで銀杏の葉のように見えることから、その名が付けられたとされる。そして、イソギンチャクが「磯」という言葉を持っているのは、磯に生息することが多いためである。さらに、「茶屋」の部分は、たまたま響きが似ているだけで、実際には意味はないと言われている。しかし、その名前が持つ意味とは別に、イソギンチャクが何に「急いでいる」のかという問いに対する答えは、私たちにとってさらなる謎である。
イソギンチャクは、クラゲやコンブの仲間である。彼らは海中を漂いながら、触手に付着した毒で獲物を捕らえる。しかし、イソギンチャク自体は動かない。彼らは海底に付着し、その場で生活を送る。だからこそ、「急いでいる」という表現が、この生き物に対してどのような意味を持つのかが問題となる。
イソギンチャクが急いでいるのは、生存競争において優位に立つためだと考えられる。彼らは触手を広げ、獲物を待ち構える。そして、獲物が近づいた瞬間に、瞬時に触手を伸ばして捕らえる。このスピーディな行動が、イソギンチャクの生き残りをかけた「急ぎ」であると言える。
また、イソギンチャクは、共生関係を結んでいるクマノミという魚とも、独特の「急ぎ」が見られる。クマノミはイソギンチャクの触手の間を自由に泳ぎ回り、イソギンチャクの触手に付着した寄生虫を食べることで、イソギンチャクの健康を保つ役割を担っている。一方で、イソギンチャクはクマノミに対して、その毒性を持つ触手で身を守り、安全な生息地を提供している。この共生関係は、互いに支え合いながら生き抜くための、まさに「急ぎ」の象徴とも言えるのではないだろうか。
さらに、イソギンチャクの「急ぎ」は、繁殖にも関係していると考えられる。彼らは一度に多くの卵を産むことがあり、その数はなんと数千から数万にも及ぶ。しかし、その多くは海の中の繁殖競争に敗れ、成長することができない。イソギンチャクが産む卵の数が多いのは、その中から少しでも多くの子孫を残すための「急ぎ」であると言えるだろう。
イソギンチャクの名前が示すように、「急ぎ」は彼らの生活に欠かせない要素である。彼らは獲物を捕らえるスピードや共生関係、繁殖においても、「急ぎ」を見せている。しかし、それは私たち人間にも共通することではないだろうか。私たちもまた、日々の生活の中で「急ぎ」を必要としている。
時間に追われる私たちの姿は、イソギンチャクの「急ぎ」にも似ているかもしれない。だが、イソギンチャクはその「急ぎ」の中で、しっかりと生き抜く術を見つけている。私たちもまた、イソギンチャクから学ぶことができるだろう。私たちが「急いでいる」ことに気づき、それを上手に活かすことができれば、より豊かな人生が待っているのではないだろうか。
イソギンチャクは何に急いでいるのか――。その答えは、生存競争や共生関係、繁殖といった、彼らが生き抜くための戦略にある。「急ぎ」はイソギンチャクにとって、生命力そのものである。そして、その「急ぎ」を私たち人間が学ぶことで、私たちもまた、自らの生活において新たな視点を得ることができるだろう。
イソギンチャクが海底で見せる「急ぎ」は、私たちにとって、自然界における生命の力強さを感じさせるものである。その姿は、まるで磯に打ち寄せる波のごとく、時に激しく、時に静かに、しかし常に前へ進む力を持っている。私たちはその「急ぎ」の姿に、自らの人生においても、進むべき道を見つけ、力強く歩んでいく勇気を感じることができるのではないだろうか。
最後に、イソギンチャクが私たちに教えてくれるのは、「急ぎ」だけではない。彼らは独特の共生関係を通して、お互いに支え合い、生き抜く術を見つけている。私たち人間もまた、互いに支え合い、助け合うことができる限り、どんな困難な状況においても、乗り越えていくことができるだろう。
イソギンチャクは何に急いでいるのか――その答えは、私たち自身の中にある。彼らが見せる「急ぎ」と共生の姿を学び、私たちもまた、自らの人生において、困難に立ち向かい、力強く生き抜く力を見つけることができる。それが、イソギンチャクが私たちに教えてくれる、深い教訓であると言えるだろう。
2016年5月8日の昼ごろ、我が家の裏手にスズメのヒナが2羽落ちてきた。隣の家の軒下にでも営巣してたんだろう。
うち1羽は成熟しており「巣立ち」の最中なのか余裕があって、しばらくすると自力で飛び立っていったが、もう1羽はまだ羽も生えそろっておらず、飛行もジャンプもできない様子。ういのキッチン横の室外機の下に自主的に避難し、縮こまって親を呼んでいた。ネットで軽く調べてみると、スズメのヒナは巣から落ちるのが普通で、落ちたら落ちたで、その落ちた先で親は育児を続けるらしい。まわりを探してみると、両親と思われるスズメがとなりの家の屋根の上から見下ろしており、ヒナとさかんに鳴き交わしていたので、そこに退避したことには気づいているらしい。きっとその場で育児を続けるだろうと思い放置。ちなみに巣立ちヒナのほうは気づいたらいなくなっていた。飛べるので、もう親離れしたのか、あるいは両親が別の場所で世話し始めたのか。
夕方が過ぎ、そして夜になるが、両親はヒナから離れていってしまった。人間を警戒して、室外機の下に入り込めなかったのだろうか。小さな箱に布を詰めて、その中にヒナを移動させ、上から視える位置に移動させるが、結局ダメ。落下してから8時間くらいが経ち、エサも貰えず、気温の低下で体温も下がり、ヒナはどんどん弱っていった。
母は助けてやりたいと言うが、私はこれが野生の摂理だから仕方ないよ、と首を振った。夕食後、ひとりでヒナを見に行ったが、死んでたら埋めてやろうくらいにしか思っていなかった。
ヒナは箱のなかで横倒しになり、目を閉じ、脚をぴくぴくと痙攣させていた。もうだめだ、あと数分で死ぬな、と思ったそのとき、ヒナが私の気配を察して口を開けた。なにか食わせてくれ、という風だった。私はショックを受けた。「助けて」と懇願された気がした。
今考えたら「じゃあ気取ってないで最初から助けろ」と思うのだが、その瞬間、私の心に「守ってやらなきゃ」という炎が燃え上がった。ほぼ衝動的に、ヒナを抱えて家の中に入り、玄関に避難。まず40度ほどのぬるいお湯を注射器で与えてみた。誰かが自分を助けようとしていることに気づいたのか、声が出ないほど衰弱しきっているのに「ピイ」と鳴いてくちばしを開く姿に涙が出た。ぬるいお湯を与えたあと、足温器をタンスから引っ張り出してきて電源をつけ、その中にヒナを突っ込んだ。たまに水を舐めさせ、足温器で暖めながらじっと見守っていると、30分ほどして突然目を開き、大音量で鳴き始めた。体温が上がったこと、水を飲んだことで体力が戻ったらしい。その後、私は夜通しヒナに寄り添い、砂糖水を飲ませたり、きな粉を混ぜた卵の黄身(なんかググったら出てきた)などを与えて、なんとか夜を越させた。相手が人間だと分かっているようだが、平気でエサをねだってくるし、注射器相手にもくちばしを開いてくれた。
9日、日の出とともに親鳥と思われる2羽がウチのまわりを飛んでいた。目の細かい籠に足温器ごとヒナを入れ、昨日ヒナが落ちていたあたりに置いてみると、2羽はヒナの声を頼りに右往左往し始め、やがてヒナの位置を確認したのか、虫らしきものを咥えて飛んで来るようになった。給餌をしてくれているらしい。昼ごろ、何かあった時のために、スズメ用のエサの市販品と、鳥類に給餌するための道具を買ってきた。やっと一安心といったところだが、午後から雨が降り始めた。ヒナや足温器が濡れるといけないのでダンボールで覆う。ところが、雨のせいか、あるいはダンボールのせいか、親鳥は給餌をやめ、立ち去ってしまい、結局夕方以降、ヒナはエサを貰えなかったようだった。
足温器に入っているとはいえ、外は寒いので、中に入れてやることにした。結局この日の夜も、私は夜通しヒナを見守ることになった。ただ、ヒナは本能的に夜は眠るので、特に何もしないで寝かせてやればいいらしいのだが、ネットの情報に惑わされて、ヒナを叩き起こしてエサ(買ってきた擂餌)を無理やり食わせたりしていた。このとき、ヒナは既に人間への警戒心を思い出しており、私たちからエサを差し出されても、お腹は減っているだろうにあまり食べてくれなかった。差し出される注射器から後ずさって逃げて、イヤイヤと首をふるのがとてもカワイイ。
当時、私は就職活動中で、この日の夕方に今働いている会社から内定をもらったのだが、スズメのことで頭がいっぱいで全然喜ぶどころじゃなかった。
10日、天気はくもり。夜明け前にヒナが腹減ったと主張し始めたので、擂餌と砂糖水をちょっとだけやり、そのあと外に出した。日の出と同時に親鳥が飛んできたが、ヒナはさっきので腹が膨れたのか、あるいは寝ぼけてるのか、親の呼びかけに返事をしない。少し焦ったが、しばらくするとちゃんとエサをねだり始め、両親の給餌が始まった。片親が屋根の上で周囲を見張り、もう片方がエサを取ってきて与える、という役割分担が美しい。
朝10時頃にハプニングがあった。近所の野良ネコがヒナを見つけたのだ。母が気づいて、外に出て追い払った。その野良ネコはよく見かける子で、すごく人懐っこく、近所の夫婦に世話を焼かれているので野鳥なんぞ食わんだろうが、ちょっと怖い。ヒナに対して敵意はなく、単に箱を覗き込んでいただけだったようだが(追い払ってごめんね)、とにかく地上にヒナを置くのは、野良猫から守れず危ないという結論になった。
そして、ヒナの引っ越しを決行。親鳥が見守る中、箱ごと持ち上げて2階のベランダへ。ベランダの壁際の室外機の上に乗せた。ここならヒサシがあって雨も防げて、ネコも来れないし完璧じゃん!と思ったが、引っ越しが済んだ昼から夕方まで、親鳥は遠くからヒナを見つめるだけだった。さすがに窓際は人間が怖く、近寄れなかったようだ。日の入り前、片親がギーギーと大声で威嚇音を鳴らして人間を牽制し、もう片方の親がエサを持ってヒナに近寄ろうとにじりよっていたが、やっぱり無理、怖い!という感じで諦めてしまう。そういうわけで、室外機の上よりもっとベランダの外側にアウトドア用の机を置き、その上にヒナを移動させたが、両親はそれを見届けたかどうか分からないうちに姿を消してしまった。とても残念だった。暗くなったのでヒナを私の部屋の中へ移動させ、一晩静かに寝かせた。
置き場は本当にベランダでもいいのか?親鳥は明日ヒナを見つけてくれるか?明日の天気はけっこう酷いけど大丈夫だろうか……など色々と心配事が重なってとても辛かった。私と同じ部屋で眠るヒナは、不安になるほど静かに眠っていた。
11日、天気は一日中雨という予報だったが運良く外れ、朝のみの降雨となった。しかし低気圧のアレで風が強く、人間でも怯えるような突風が朝から晩まで吹き続けた。こんな天気だとヒナは外に出しづらいし、親鳥も来てくれないんじゃないかと心配したが、親鳥は変わらず日の出と共にやってきた。風に煽られ、雨に濡れてもお構いなし。
さてヒナだが、足温器ごと外に出すと突風で吹っ飛ばされそうで、傘とかダンボールとか、いろいろ策を考えたが、レインコートをキツめに足温器に巻いて、ガムテープを駆使して机に固定してみた。親鳥がレインコートに怯えて近寄ってこないのでは……と心配だったが、あっという間に親鳥は欄干まで近寄ってきた。しかし「ヒナの声は聞こえるが、ヒナがどこにいるか分からない」というふうに右往左往するので、少し場所をズラしてわかりやすい位置に。私の部屋の窓からよく見える位置だが………? 少し経つと、どちらかともなくヒナを見つけ、暴風雨の中の餌付けが始まった。一体どこにいるのか、虫をしっかり見つけてきて与えている。天気こそ酷いが、足温器の中は暖かく風もなく快適で、ヒナは健康そのもの、親鳥も献身的で、ネコの心配もない。この日、今までで初めて「誰も家にいない時間」が3時間ほど発生したが、なんのハプニングもなく、親子ともども普通そうだった。雨もやみ、あとは強めの風だけが難点だった。
帰宅後、ベッドで寝っ転がって、親鳥の給餌をぼんやりバードウォッチングしていると、ヒナと片親が、かなり大きな声で鳴き交わし始めた。それはまるで餅つきのように、ピイ、チュン、ピイ、チュンと交互にテンポが良い。ネットで調べると、互いの位置と安否を確認するためのコミュニケーションだと書いてあった。心配になった母が見に来るが、私はそのネットの情報を伝えて、会話してるだけだと思うよ、となだめる。
しかし、母が立ち去った十数分後、突然スズメたちが叫び声を上げ、私が見ている中、ベランダの床にカラスが1羽降り立った!いじっていたスマホを放り投げ、窓にとびつき、開いて、怒鳴り声を上げてカラスを追い払う。カラスはふわふわと飛んで、すぐ近くの電線の上にとまった。逃げたというより距離をとったという感じで、ベランダからは2メートルも離れていないが、人間では手出しできない位置だ。なんて狡猾な…!と、歯噛みした次の瞬間、親鳥2羽がファンネルのように屋根から飛んできてカラスに襲いかかった。カラスが飛び立つ。するとどこからともなく別のスズメやツバメ(近所で育児をしてる別の夫婦たちのようだ)も飛んできて、空中戦がはじまった。カラスは遠くへ逃げ、スズメたちはそれを執拗に追いかけて、追い払おうとしている。私はヒナの無事を確認したあと、ベランダで放心していた。あの鳴き交わしは、遠くにいたカラスを警戒するための点呼のようなものだったのだ。そして、私が見ていなかったら、カラスはヒナにどこまで近寄っていただろうかと考えると恐ろしかった。カラスもこの時期は子育て中で、スズメのヒナは「ごちそう」なんだそうだ。
母が駆けつけたので、事情を説明すると、カラス除けが必要ではないか、と言う。人間が見張っていれば追い払えるが、ずっと見ていられるわけじゃないし、なにより今週日曜日は家はずっと無人になる。賛成だった。母は手芸が得意なので、雨除けのために用意していたダンボールをひとつ持ってきて細工を施し、「巣箱」のようなデザインに仕上げた。中に足温器カゴを入れ、コンセントはそのために開けた穴から外へ通す。もう雨は降ってないのでレインコートはひっぺがした。そして出入り口は上側に。幅5センチくらいの細長い広さにとどめ、スズメは通れるがカラスは通れないようにした。かなりゴツい見た目になってしまったが、両親は受け入れてくれるだろうか、と心配で、2時間ほど窓辺に座って観察。カラス撃退戦から帰ってきた両親がダンボールを見てギョっとしたが、片親はすんなりと入り口の存在に気づき、中のヒナの安否を確認した。受け入れてくれたらしい。もう片方は入り口に気づかず、何度か箱のまわりをうろついていたが、しばらくすると気づいてくれた。本当に良かった。これで安心である。
日の入り前、それまで見張りと餌探しで手分けしていた両親が、両方とも餌探しを始めた。ヒナが寝る前の食いだめのためだろう。父が庭に撒いた米粒を拾い、ベランダといったりきたり上下運動しながら次々とヒナに与えていく。ヒナは生米は消化できないとネットに書いてあったが、そんなことないのか……? 日が沈むと両親は帰って行き、私はヒナを机ごと部屋の中へ。その晩はチョッカイを出さずに、ずっと眠らせていた。
12日、私が寝坊して夜明けに微妙に間に合わなかったが、慌てて机ごとヒナをベランダに出すと、早速両親が給餌を始めた。部屋から観察してみると、両親とも巣箱に慣れ、給餌以外の用事でも箱のなかに入り、ヒナの世話を焼くほどになっていた。何度かカラスが近所に現れたが、そういうときは両親とも餌探しをやめ、巣箱に背を向けて欄干に並んで立つのがかっこよかった。
この日は天気がとってもよく初夏並に暑かったので、日中は足温器をOFFにしていた。まったく問題が無さそうだったので、私は巣箱ガン無視で普通に勉強していたのだが、1時頃、突然様子がおかしくなり、窓の外を覗き込む。欄干に3羽のスズメが止まっていた。は?と呆然。しかも穏やかじゃない雰囲気。ベランダに飛び出すと、2羽は右隣の家の屋根に、1羽は電線に飛び退った。2羽のほうが両親だろうが、あの1羽はなんなの?
1雇われベビーシッター 2親戚 3両親が世話してる他の子供 4この界隈で子育てしてる友人 5赤の他人(縄張り争いに来た) とかそこらへん? 昼ごろからゲーゲー鳴いてたし、縄張り争いかもしれない、と思った。巣箱を覗き込むと、ヒナと目が合い、ヒナが怯えて後ずさったが、元気そうだ。とりあえず部屋の中へ戻り、心配で巣箱を眺めていると、両親が来なくなった。たまに飛来しても、穏やかじゃない雰囲気。道路に出てみて、家を遠巻きに眺めても誰もいない。育児放棄? 縄張り争いで追い出された? とか色々考えるが答えは出ない。それから2時間ほど窓辺で観察していたが、
・青虫を咥えた親鳥がやってきて、箱のなかのヒナが鳴くが、なぜか親鳥は餌付けせず、咥えたまま箱から出てきて困り顔で飛び立つ(2回)
・エサを咥えていないスズメがやってきて、欄干を歩きまわって立ち去る
・スズメが欄干にとまってカチカチと警戒音を鳴らし、アウトドアテーブルの中を歩きまわって隅々までチェック
・巣箱の上に立ってダンボールをつつき、ぐるぐると歩きまわる。そこにもう1羽のスズメがやってきて、威嚇音とともに飛び立つ
など、不可解な行動が続いてますます混乱。登場人物が親鳥だけなのか、それとも他のスズメが混じっているのか、さっぱり分からない(見分けがつかない)。
ヒナの安否を確認しに行くと、足温器の端っこの端っこで布にくるまって縮こまっていた。怖いらしい。心配だし謎だらけだったが、大学へ行く時間になってしまったので、今起こっている状況を母に説明して外出。そして授業中に、ハッと思い至った。もしかして、ヒナが足温器の隅っこから動かないから、親鳥が箱のなかに入ってもヒナが見つけられず、ヒナがどっか行ったと思って混乱していたのではないか? そう考えると、あの謎の3羽目以外のすべての現象に説明がつく。巣箱からヒナのおねだり声は聞こえるのに、中にはいっても、どこにも見当たらない。それで両親は巣立ったのか?とか食われた?とか考えてあちこち探しまわっていたのだろう。そのことを母にメールすると、大正解だった。母の実験と観察の結果、ヒナは給餌にきた親鳥のために姿を見せることをせず、いつまでも隅っこでヌクヌクしていたというのだ。母は足温器の隅っこを折りたたんでめりこめないようにし、両親に突き出した。やがて両親がヒナの存在に気づき、給餌を再開するが、もう夕方。2羽総動員でエサをかき集めて与えていたそう。その間にも、また布の隙間に隠れてしまったヒナを見失って両親が右往左往し、母がアシストするという出来事が繰り返されたとか。私が帰宅したときには日没後だったので、ヒナは家の中で寝ていた。まったく人騒がせな奴。
13日、快晴。足温器のはじを折りたたむことでヒナの隠れ場所を無くしたつもりだったが、もうありとあらゆるスキマにめりこんでしまい、何度も親から姿を消してしまう。しょうがないので巣箱を外し、足温器+カゴの状態で外に出すと、数時間見失いっぱなしだった親鳥がやっとヒナと再会し、今まで聞いたこともないくらい優しく「ピヨピヨ」と鳴いて、エサを取りに飛び立った。ヒナは足温器から出てきてカゴの端に止まり、親の帰りを文字通り首を長くして待っていた…が、次の瞬間バサバサと飛んで落ちた!上へ上昇する力は無いらしく、ベランダの隅に落下。ああ、こうやって巣から落ちるのか、と感心しつつ、私はバッタを捕まえるようにヒナを手で捕まえて、カゴに戻す。しばらくして両親が2羽でやってきてヒナの安否を確認し、飛び立つと、またヒナがカゴの端に立ってしまう。落っこちそうだ。そろそろ巣立ちかな、と思うが、朝からカラスがうちのヒナをずっと見ていることには気づいていた。親鳥が屋根から見守る中、戻って戻って、と叫びながらベランダでヒナににじり寄ると、ヒナは足温器の中に戻っていった。それと同時に、カラスがものすごい近くを飛行して通り過ぎていった。やっぱり狙っていたか。
こうなってしまうと、親鳥が餌付け&発見しやすいようにカゴを外に出すよりも、カラスから身を守らせたほうがいいな、と思ってまたダンボール巣箱の中に戻した。すると、驚くことに、箱のなかでヒナが羽をばたつかせ、自力でよじのぼって外に出てきた。もう彼の巣立ちを止めることは誰にもできないようだ、と静観を決めるが、またベランダの隅に落ちてピーピー文句を言うので、もう一度捕まえに行った。捕まえる時、母親が屋根の上からアブラゼミのようなすさまじい声で威嚇してきて殺されるかと思った。箱の上にヒナを戻して早々に立ち去る。その後、箱の上で「どうやったら飛べるの?」といった感じでモジモジするヒナの元へ両親がやってきて、となりに並んで早口でさえずり、まるで飛ぶコツを教えているような様子が見れた。ヒナが「ピ!」と元気よく返事をしているのも可愛くて、思わず録画した。しかしその後また飛ぼうとして落下。調べたところによると、スズメの巣立ちというのは他の鳥と違って、このように「飛ぶ力はないが羽ばたけるっちゃ羽ばたける」状態になった頃にするのが正しいのだとか。そうして巣から落ちて、地面で暮らし始めるらしい。というわけで、もう箱に戻すのはやめた。それから夜まで、ヒナはベランダの床で過ごすことになった。ピョンピョンと跳ねて歩くのは完璧にできるようになったが、飛ぶ力がなさすぎる。羽ばたいても10cmがせいぜい。親鳥の後を追って、ベランダの手すりに飛び乗ろうと試みるのだが、まったくできない。ただ、その壁を飛び越えるくらいのスキルがないと、カラスや野良猫や自動車の渦巻く外界では生きていけないわけでして。親鳥はヒナが四苦八苦しているのを上から眺めるだけ。やがてヒナは疲れ果て、尻もちをついて座り込んでしまった。脚を前に投げ出してショボンと肩を落とした姿が可愛すぎてまた写真を撮った。すると親鳥がエサを与えに来て、励まし、また飛び去っていく。少し元気が出たヒナが親鳥のあとを追おうとして失敗。こんな調子で夕方になってしまった。日が暮れるとヒナは室外機の下に引きこもり、親鳥が夕飯をたくさん与えて、この日は解散。野生の巣立ち雛は、ひとりで茂みなどに隠れてこうして夜を越すそうだが、さすがに寒いしかわいそうということで、室外機の下に腕を突っ込んでヒナをむんずと掴まえ、足温器の中に入れておいた。過保護過干渉かもしれないが、ここまでやったんだ、こんなところで凍死してほしくない。結局そのあと机ごと部屋の中にいれて夜を越させた。
14日、15日はヒナがダンボールの上やホットカーペットの箱の淵に立って風を浴び、たまに親からエサをもらう日々が続いた。天気はずっと良かった。ヒナがたまに飛ぼうとして落ちて、ダンボールのところまで戻れない~と悲しそうにしてるので、15日には机の上のダンボールまで自力で戻れるように、DIYで余った板や、プラスチックの箱を組み合わせて、スロープみたいなものを設けた。アスレチック場みたいになった。15日は家族全員が日中ずっとでかけてたので、そのスロープが役に立ったかは分からなかったが、帰ってきたらヒナは無事に足温器の箱にいたので良かった。夜は寒いので家の中へ入れてやる。
16日。風が強く、カラスもよく目立つ日だった。近くにカラスがいるとき、ヒナはダンボールと欄干のスキマに隠れ、親が並んで欄干に立ってヒナを背中に守ってたのがかっこよかった。
そして昼ごろ、親鳥1羽とヒナの2羽が段ボール箱の上にいて、私がそれをなんとなく横目に見た瞬間、目の前で2羽が飛び立った。えええ!飛んでった!と1階にいる母に向かって叫び、ベランダに出た。2羽は隣家の庭におちていた。直後、隣の家の奥さんが出てきて、どうするかなと思ったら、2羽ともちゃんと飛んで逃げた。しかもヒナは電線まで飛び上がっていた!地上から電線まで飛べる力をいつの間にかつけていたとは。その後、姿見えなくなったが、数分後うちの庭に家族3人できた。母親?のうしろをテコテコついていくヒナがかわいすぎる。
このあと、ヒナがうちに現れることは二度となかった。ネットの情報によると、飛べるようになったヒナは親のテリトリーから出て行き、同じような年齢の若いヒナとグループを組んで暮らすらしい。17日・18日あたりは、親鳥らしき2羽がウチにきてベランダを覗き込み、うちの子来てます?って感じにピヨピヨ鳴いていたが、また見失ったのだろうか。母によると、スズメに米粒をあげると、たまに飲み込まずに咥えて飛んで行くやつがいるから、もしかしたら餌付けしてるかもしれない、と言っていたがどうだろう。ヒナと親で飛んできて、親が米を拾ってヒナにあげるシーンが見たかったけど残念。
野鳥の保護って条例だかなんかで罰則の対象な気がしてて、ネット上で言いふらしていいことじゃないと思ってたから。今もそう思っているが、9年前だし時効だろ
神奈川県にヒキニートする奴の世迷い事はともかく、いま一番熱い街は西葛西で間違いない
オフピークなら乗れる。ピークは乗れるけど隣の南砂町の負け組で押しつぶされる。帰りはここと葛西で大半が下りる。東西線はマジ苦痛。
西葛西の憩い、その1
西葛西の憩い、その2
葛西臨海公園まで続く長い公園。わかくさ公園とも繋がっていて途中で切れるが最終的には葛西の江戸川沿いまで行く無駄に長い公園。子供を放置するとマジで居なくなる。夜は途端に人気が無くなる。
インド系が多いのは有名でスポーツセンター近辺は顕著。大陸の感じで信号無視のチャリも多い
カルディも銀行も飲み屋もガールズバーもある小汚いけど活気のある駅前。東西線の高架下も充実している。
スポーツセンター近辺は安い店が多く買い物には不便じゃない。客層もそういった感じ
ガラッと静かな住宅街に変わり単身や共働きだと大変。同じことは葛西橋通りより北にも言える。住みやすいのはその間の部分
バスに乗れば都営新宿線の船堀まですぐ出れる。船堀駅前には船堀シネパルという映画館もあり週末に手軽に映画を観ることができる。
東西線沿線だと妙典が今大人気だが、そこよりは家賃も物件価格も安い。なにより妙典は始発駅と駅前のイオンが全ての駅で西葛西以上に駅前以外に何もない。あと都民なのも西葛西。でも隣の行徳かその隣の南行徳の方が安い。浦安はネームバリューと狭さで人が住める余地がまるでない。
溜め込みきれず長文。
8歳と6ヶ月、あと1週間で7ヶ月だった。
9年前、ペット可のマンションに引っ越したのを期に8月ごろケージを買い、しかしなかなかペットショップを見つけられず、また踏ん切りもつかなかった後の12月、2回目のペットショップで決めた子だった。
仕事が終わった後バスで20分揺られた先のペットショップ。複数の種類の子がいたけど、メスだと卵詰まりなんかがある……と調べていたのでできたらオスがいいな、と、見分ける基準の頭の平べったさ、目のアーモンド型で選んだものの(でも絶対ではないので、文鳥は卵を産んで初めてメスだったの!?と気づくパターンも多いと聞く)何よりサッと見知らぬ人間の手にも乗ってきた物怖じのなさを気に入って選んだ子だった。
店主さんからライトシルバーというレアカラーなので体が弱く、標準よりは長生きしないかもしれない、という説明を受ける。
ふたたびバスに揺られ、しかし12月の寒い中、まさかそのまま連れ帰ることになると思っていなかったので、文鳥のヒナが入った紙の箱を自分が巻いていたストールでぐるぐる巻きにして、使っていたカイロと一緒に仕事カバンに入れて帰るまでに死にやしないか、恐々と連れ帰ったことを覚えている。とはいえ、標準よりも大きく28gが標準体重にまで育ったし、怪我をした時もかなり血が出たのに、結局何事もなく復活するようなタフさを持って成長した。
初めて自分で連れ帰って、看取るところまで関わったペットだった。
8歳を迎える前くらいから片足が弱くなり、年末ごろから目も見えなくなっていた。それでもご飯は変わらずもりもり食べ、水も見えないながらくちばしで探してきちんと飲むので毎日「かしこどり!」と声をかけていた。
偶然普段より早く起きて猫のご飯をあげるために電気をつけると、いつもは自分の気配を感じて遮光カバーをしていてもピヨと鳴き始めるのに、声がしなかった。また床に落ちて戻れなくなっているのでは(さすがに盲目になって移動はできないようだった)と覗くと、床に這いつくばっていた。朝7時半前。
慌てて手に取ると、足の力が入っていない。
しかし手にとってくちばしにいつものネクトンの水を近づけると飲む。
そこから12時50分ごろまで、自分はパジャマのまま顔も洗わず食事もせず、ずっと文鳥を握っていた。息を引き取るまで。
握っている間も、時々指が気に食わないのかわりと強めに噛んできた文鳥。それでも手の中から逃げ出そうともがくわけではなかったので、嫌ではなくて気に食わなかっただけだと信じている。
老鳥になってから、鮮血便に慌てたり(病院に連れて行ったが異常なし老化の診断)保温温度を上げてネクトンを飲ませてとしたらその度に復活したので、今回もワンチャン……と思ったが、足の力のなさにもう無理だろうなとも分かっていた。
でもなにかもっと出来なかっただろうか、とも考えてしまう。でも頑張ったよね、もういいよ。段々力尽きていく柔らかくて、小さくてあたたかい羽毛のいのちを、ずっと見つめていた。
お骨は小さかったけど、足の骨が丈夫すぎて笑った。お経を唱えてもらった時の木魚のポクポクにも、めちゃくちゃキレただろうな、など。
よくピィーヨッと鳴く声に「はいはいピーヨッヨッ」と返事をしていたけど、まだふと、空耳が聞こえる。パリッとした、シードを食べる時の音や、尾っぽをブルルと震わせる音。ピッ!とドア越しに聞こえる声。
残されているネクトンや(開封済みを買うような人いないよな……勿体無いけど)未開封のシード、バナナ水入れ、サーモやひよこ電球はぼちぼち片付ける。
もう文鳥を飼うことはないだろうな、と思っているので、あの柔らかなフワフワの羽と温もりを忘れるのが惜しくて、ただ思い出を書き留めた。
予想外に面白かった。十分な武力を備えた主人公が調停・交渉術をメインに問題解決していく様は格好いい。アクションシーンの作画が予算少なめで残念
犬になったら好きな人に拾われた。
昔のお色気漫画のような無理やりな展開に「そうはならんやろ」と突っ込みを入れながら見たら面白かった
英雄王、武を極めるため転生す ~そして、世界最強の見習い騎士♀~
戦闘マニアの主人公が毎回活躍して面白い。ハイランダーと血鉄鎖旅団は銃夢を彷彿させる設定。2期があったら観る
イケメンの苦悩を私が救ってあげる系。ジョナスのクズ野郎っぷりが一周して愛しい
スパイ物+暗殺教室。時系列が倒叙なので全体としては尻すぼみだが、各話毎では面白かった。トリックを全部台詞で説明してくれるのでわかりやすい
最初からクソアニメとわかっているのでクソっぷりを楽しめた。ギャグ、パロディも全てしょうもない。愛すべきクソアニメ
クソアニメ。メインキャラ4人がパーティー組んだところがピーク。算数ベアナックルだの、ステッピングマンだの結局何だったんだ
礼儀正しくて、ガツガツしてない男主人公に好感が持てる。キャラの顔(超イケメンとややイケメン、超美少女とやや美少女)をもっと描き分けてくれたら尚良かった
まずトモちゃんのキャラデザの時点で大成功。がっしりした体格でパッと見男、よく見ると女で、しかもちょっとかわいいという。
キャロル役にちゃんと英語喋れる人(天城さん)を連れてきたのも良い。あとはキャラクター達がドタバタやってるだけで全部楽しい
1話を見終わった時はすっげー面白いの始まったー!と思ったが、ドラゴンの入れ墨辺りがピークだった。
ED曲でキャスト2人(千本木さん・石見さん)がハモるところは最高なんだけどな~
もののがたり
話の展開が遅いと思ったら分割2期だった。まったり神様アニメ(例:我が家のお稲荷様、猫神やおよろず、いなりこんこん等)のカテゴリ
アルスの巨獣
主人公がちゃんと無双してるので普通に面白い。意味ありげに登場して、やられちゃった敵パーティーよ…。きつねのユキちゃんかわいい
途中で放送延期になってしまった。久保さん役の花澤香菜さんに構ってもらう多幸感が心地よいアニメ。
REVENGER
もういっぽん!
だんだん部員が増えていくのがワクワクする王道の部活物。ライバル選手達一人ひとりを体型含めて描き分けようという意欲が感じられてすごいと思った。続編があったら観る
Buddy Daddies
スタンピードのOPEDいいよね…OPのあの乾いた切ない感じマジで好き
ヴァッシュの年齢とかあの星の年表は原作でも確か明確に出てきてないから分かりにくいとは思うけど我慢して欲しい
新ヴァッシュのあの庇護欲そそるタイプの可愛い顔良いよねぇ…松岡くんの声もナイーブで繊細そうな新ヴァッシュに合ってたと思う
以前みかけていたなんかバブリーで尖った話で敬遠してたんだけど
今回のアクのぬけた童顔のほうが話はみやすかった
OPとかきれいだしEDのむやみにきれいな星空も話の内容とそぐわないくらい歌声がせつねえー
ただ一ついわせてもらうと最後のほう、時制がわかりづらい
主人公が何年生きてもずっと童顔のままなので右下に□で囲んだバッシュ〇才みたいなのだしてくれ
たまに家出先でかくまってくれた人がババア・ジジイになってでてきたりすんだけどこれは冷凍睡眠してなおババアっていってるし
最初のほうにでてきた少年のときに助けたのにでっかくなっちゃって敵対するようになったたった一人の生き残りみたいな元息子さんもじゃあそれは何歳なんだ感
もうEDにずっと年表をながしてくれ(なおFSSでも同じ感想になる人間)
外見はまったくわからん
眼鏡もあれ伊達眼鏡だろうし服も場面もずっと宇宙船だしたぶんルンバが働いてる
まあこれで半分らしいのでのこりに期待。唯一の髭成分たる新聞記者のはたぶん生き返ってきてほしい
最終話のキューブを奪い合うとこはぐるんぐるんにうごいて作画たけえぞこりゃ~とおもいながらみてた
やっぱめちゃかっこよかった(しかもバッシュはほとんどなにも攻撃をしない。だがやはりひらひらがうごくとかっこいいんだよなぁ)
Web見るくらいだと性能有り余るけど、他になにかしようとすると性能が足りない。
CPUはコア数増やしても、ソフトが使いこなせないのか余ってるわりに遅い。
PythonばかりになってCで書かれたのを叩かない限り遅い。
AIじゃなくてもRPAが速くなれば多くの人に恩恵があるはずなのに遅い。
GPUは普及しても結局使いこなしが難しい。
コンパイルは未だに大規模になると遅い。リンカーは速くなったみたいだが。
M.2 SSDで速くなったというが、フラッシュそのものの速度は上がっておらずキャッシュのRAMが効いてるだけ。
DDR5はベンチマークでしか効果がなく、DDR4と実アプリじゃ変わらない。
1000Wの電子レンジ2台がフル稼働で1クラス分温めきるのに10分かかるな。
さすがに学校ともなれば電力契約的にアンペア数がキャパオーバーなんてことはないんかな?知らんけど。
でも節電が叫ばれる中で、ピーク時間帯に大量に電気が使われるのは、気持ちのいい話じゃないやろなぁ。
もし実現したら、順番待ちで不公平にならないように、出席番号順でローテーション組まれたりするんやろか。仲良しグループで一緒に食べたい時は、同時にいただきます言うのに苦労しそうやね。
※前書き
分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。
◾︎本文
(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)
なぜ贔屓が元贔屓になったのか?
っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?
贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。
最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。
この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。
元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンのピークは2番手時代~2作目あたりでした。
元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまり組ファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。
入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。
ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないかと憶測が飛び交ったり。
ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います。
今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。
平日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリーが死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。
その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。
2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。
追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンからの批判は凄かった。
本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。
発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。
紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。
幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。
お披露目初日もムラまで行って開演アナウンスやトップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。
お披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。
トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。
自分が好きで行っていた入出も途中から自分の意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。
観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。
大劇場と東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。
そして私は上演作品が嫌いだった。
トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。
「これが退団公演か……」
「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」
と思ったに違いない。
ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。
良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。
観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。
やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。
退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため
『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』
と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。
元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。
だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。
「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」
そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。
「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。
「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」
「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」
一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。
しかも無駄にファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。
会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。
「宝塚にいるの、辛かったのかな」
「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」
「仮初めでも演じてもいいから舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」
そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。
ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。
何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。
言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。
元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。
2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。
それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手やトップ初期の頃とは少し違っていた。
目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。
そう思った時に気づいてしまった。
結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分の理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。
退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。
それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。
周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。
あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。
観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。
結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。
もうそれは好きだから、ファンだからというよりもはや意地のようなものだった。
ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。
終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。
退団後しばらくは私はいつから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。
パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっと昔からな気がする。
それとももしかしたら最初から好きじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。
でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。
元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。
ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。
退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは
見たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。
私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋なファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。
この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。
その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。
正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。
(だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)
私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。
贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。
今、楽しくてしょうがない。
お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。
感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ。
お茶会でお話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。
文字びっしりの便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。
そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。
そうだ、元贔屓を応援していた時だ。
私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ちで応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。
そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。
元贔屓は確かに私の贔屓だった。
私は確かにあの人のことが好きだった。
誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。
長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。
「ずっと好きです」
元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。
それは嘘じゃないと思う。
ジャンプ系は特にだけど、例えば「ギンカとリューナ」みたいに大風呂敷広げたけど全然畳めないまま未完とかやられると嫌だから
「PPPPPP」なんか割と好きだったけど最終回見て絶対買わない事を決めた
こんなの読み返さないでしょ。
「怪獣8号」や「ダンダダン」みたいに絵の上手さや序盤の面白さで期待しても、話の進め方が下手で見る影もない状態になる事も多い
これは売れてる作品なのでまだ面白いと思ってる人や、いつか序盤みたいに面白くなるかもしれないと期待してる人も多いんだろうけど
色々事情があるとはいえ「続きがこない」は読んでる人には嫌な事に変わりはないので。
「アクタージュ」「ルリドラゴン」とかは様子見してたら止まった人も多い気がする。
紙派には死活問題。そうじゃなくても打ち切りカウントダウンって事なので、もうこうなってしまうと終わり。
これは新人関係無く雑誌や会社の方針なので、前例からある程度予測は出来る。
逆に言うと大物もやられる、徳弘正也が「もっこり半兵衛」でやられてたし。
これは作風によるけど、何度も読みたい作品とそうじゃない作品がある。
次はどうなるんだってドキドキ感で引っ張ってると単行本買っても連載時ほど楽しめない。「タコピーの大罪」がまさにそれ。
あと読み返すにしても1巻から買わなくて良いし(まだ読み返すほど記憶は薄れて無いし、読み返すにしても連載を読む事にあんま手間がかからないから)
そもそもの話なんだけど「単行本を買う」は「本棚に並べたい」って事なので、ある程度厳選したいのよ
それを途中から展開が酷くなったり、続きが出なくなったり、続きは電子書籍でってやられると、本棚を眺めた時の満足度が下がるのよ
日本人がデモしてたピークは1974年で、そこからどんどん減ってきてるんだけどバブル崩壊までの1991年にかけてどんどん減ってる。
バブル崩壊後は就職氷河期が訪れて、みんなデモなんてどころじゃない。自分の席を守るので精一杯。
そんな時代にデモとか言われても仕事がいらないならどうぞってカンジじゃないの。労働力はいくらでも溢れてる。
ストをしないからとかじゃなくて、全部景気が悪いのが良くなかっただけじゃないの。そして今でも上がらないのは日本人の生産性が上がらないからで、結局だいたい政府の失敗ってことでいいんじゃないですかね。