はてなキーワード: ウンチとは
うちのヨメはドン臭くて怖がりだから、「沐浴自分でやる自信がない」とのことで、退院初日から沐浴はオレの役目。
ガサツなので股関節のシワにウンチが残ってたりするのを指摘したら、ウンチの始末は基本オレの役目。
それでも布オムツにこだわりがあるけど、オムツの洗濯と漂白はオレの役目。
授乳後のゲップもうまくできないらしく、オレがいる時間はオレの役目。
オレ不在時にゲップさせられずにゲロったら、表面は拭いてても布団自体の交換と洗濯はオレの役目。
不器用だから深爪したら怖いとのことで、子供の爪切りはずっとオレの役目。
歯が生えてきたら「アンタの方が器用だから」子供の歯を磨くのもオレの役目。
「ボクのイクメンぶりを認めて!」って叫んでる連中、ウルサイぞ。
そんなの、ドン臭くて怖がりでガサツで面倒臭がりで不器用なヨメとの間に子供作ったら至極カンタンなこと。
オマエらヨメのことノロケてるだけということに気付け。
妊娠前は深夜帰宅のそこそこ激務なIT系ブラック企業に務めていて
学生時代にはスポーツをしていたから、心身の健康にはまあまあ自信があった。
私は健康優良妊婦だった。つわりは人並みにあったものの、血液検査の結果も尿検査の結果も毎回良好、血圧も正常。
陣痛は、予定日を3日過ぎた日の夜中にはじまった。
陣痛は、私のちんけな想像をはるかに凌ぐ、ものすごい激痛だった。
痛みの感じ方には個人差があるというが、私にとっては鋭いナイフで下腹部をえぐられているかのような痛みだった。
はじめは軽い腹痛みないなものなのだが、時間経過とともにどんどん痛みが増してくる。
脂汗が全身から吹き出し、痛さからなんとか逃れようと、体が勝手にのたうちまわる。
陣痛のピーク時には、あまりの痛みに気絶し、また痛みで覚醒する、というのが数十秒〜数分ごとに数時間続く。
本当に地獄だった。
見ていた実母が言うには、私は白目をむいていたらしい。
あとから見たら自分の腕が傷だらけだった。こぶしを握っていた手のひらからは、血が滲んでいた。
永遠に続くかと思われた陣痛を超えて、分娩台に移動し、死ぬ思いで我が子を産み落とした。
でも想像してほしい。8時間もの間、一昼夜を越して不眠不休だ。
食べ物は一切口にせず、激痛に体をこわばらせ、死に物狂いでお腹から3キロの塊を出すのだ。
産んだあとは骨という骨がきしみ、体中が鉛のように重く、分娩台から上半身を起こすことさえできなかった。
どこにも力が入らないのだ。
助産師の手を借りて体を起こすと、頭がふらふらとする。
自力ではとても歩けなかったので、分娩台から長い時間をかけて車椅子に乗せてもらった。
その後、入院する部屋のベッドに寝るまでの間、トイレで二度倒れた。
猛烈に体が疲れていた。こんなに疲れたのは生まれて初めてだと思う。指一本だって動かすのがおっくうだ。
体中が汗と血でベトベト、身をよじりまくっていたおかげで、髪の毛は鳥の巣のようだった。
股間は麻酔が効いていたが、鈍い痛みが続いていて、姿勢をかえることすら一苦労だった。
前日から何も食べてないし一睡もしてないし、とにかく疲れきっていて、ゆっくり寝たかった。
だけど、産んだ直後から、母子同室で3時間おきの授乳が始まった。
分娩台で1時間休んだあとは、すぐ個室で赤ちゃんと二人きりにされた。
ゆっくり寝ることも体を休めることもできないまま、ハードな育児の始まりだ。
こんなにボロボロに疲れているのに、すぐとなりに、かよわく、自分で首一つ動かせることもできない赤ちゃんがいる。
「私はゆっくり休んではいけないんだ」という暗い事実は、くたくたの私にとって絶望だった。
この体中の疲労に身を任せた瞬間、赤ちゃんに何かがあったら。この子の命は、この精魂尽き果てた自分次第なんだ。
体中の疲労とともに、ヒリヒリするような緊張感と責任感が重くのしかかった。
産んですぐに母乳がでるお母さんは、実は少ない。
赤ちゃんに吸われることで、それが刺激となって脳内ホルモンが乳房に働きかけ、母乳が出るようになるという。
だから、でなくてもとにかく3時間おきに赤ちゃんに乳首をくわえさせなくてはいけない。
でも、産まれてすぐの赤ちゃんは吸いつく力も弱く、「吸う」こと自体がとても下手くそだ。
赤ちゃんの位置、乳首との高さの調整、手の置所、クッションや座布団をいくつも使って、位置を調整しながら、汗だくで吸わせる。
まごまごしながら右の乳首をどうにかくわえさせる。吸い付いたと思うとすぐに口から外れてしまう。またくわえさせる。また外れる。
そのうち疲れて赤ちゃんが寝るので、起こす。
今度は左右逆のおっぱいだ。
左を吸わせて、おしめを替えて…これでもう一時間だ。
体中が悲鳴をあげていて、眠たくて眠たくて頭が割れそうに痛くて、貧血でふらふらするのに、寝る時間は二時間しかない。
横になる。
すぐには寝付けない。
三十分ほどでようやく眠りにおちる。これで一時間半。
さあ、もう一時間半たった。睡眠時間一時間半で、赤ちゃんが泣く時間だ。
これが朝まで繰り返された。
初日の夜を超えた時点で私の疲労はマックスをとっくに超えてた。
授乳の合間の2時間以下の細切れ睡眠しかとっていないまま、迎えた朝。
翌朝は6時に検温があり、9時に朝食があり、合間に授乳をする。
何をするにも体中が痛くて、だるくて、眠くてたまらず、すごく時間がかかる。
12時にお昼があり、見舞いにきた実母に子を見てもらってる間に急いでシャワーを浴びて歯を磨く。また授乳。
たまった洗濯物をランドリーで洗う。戻ると検診がある。担当の看護師が交代したとかで挨拶がある。また授乳。
赤ちゃんの顔を見に見舞い客がある。相手をする。帰る。洗濯物をとりに行く。
また授乳。
昼はまとめて寝るどころか、横になる時間もろくにとれない。
ねむい、ねむい、ねむい、ねむい…
横になりたい。ゆっくり、ぐっすり寝たい。お願いだから起こさないで。辛い。辛い。辛い。
横になれない。眠れないし休めない。
昼間はろくに眠れない。寝れなかったことに猛烈に焦る。そしてまた夜が来る。
深夜の授乳は鉛のように体が重い。
赤ちゃんは相変わらず上手に吸えないのに、乳首がめちゃめちゃ痛くなってくる。
例えるなら、尖った爪で皮膚をおもいっきりつねられているような痛み。
乳首が切れて血が出てくる。
それなのにそこを吸わせなくちゃいけない。
傷口に鋭い爪がたてられるよう。
授乳のたびに歯を食いしばって、息をのむ。叫びだしそうな痛さに耐える。
出がよくないからマッサージもされる。これがまたすごくすごく痛い。
赤ちゃんがゴクゴク、と美味しそうにおっぱいを飲んでるのが見える。
幸せそうに微笑んでそれを眺めているお母さん。
我が子はおっぱいを一滴も飲めず2日目。産まれてからまだ何一つ口にしていない。
何も飲まなくても3日は胎内にいたときの栄養が残っているから大丈夫だという。
でも、赤ちゃんは日々痩せてる。お腹がすいて泣いてる。まだ産まれてたった2日しかたってないのに、飢えて泣いてる。
大人だって2日くらい食べなくたって死なないけど、すごく辛いよね。
こんな小さな我が子が空腹に耐えてると思うと、切なくて切なくてたまらない。
隣の子はお腹いっぱいで満足して寝てるのに、私の子は空腹に泣き疲れて眠ってる。辛い。眠い。
体中がふらふらして頭がぼーっとする。見舞いに来た夫や実母にひどい態度をとって、ケンカをしてしまった。
看護師が心配して「何か悩み事があったら相談してくださいね」と言う。
「ただ寝たいんです。」
と言いたかった。でも他にもたくさんのお母さんが寝ずに赤ちゃんを見ていて、そんな情けないことどうして言えるだろう。
哺乳瓶でおそるおそるあげると、手をグーにして、目を大きく見開いて、必死に飲んでる。
飲んでる姿を見て涙がとまらない。
飢えさせてごめんねという気持ち。やっとお腹を満たしてあげられるという満足感。
おっぱいが出ない敗北感と屈辱と疲労と、いろんな気持ちがないまぜになる。
4日め、私はもうボロボロだった。見舞いにきた妹に顔を見て絶句された。
赤ちゃんにはミルクを与えることになったものの、母乳への刺激をなくしてはおっぱいが出なくなってしまうため、
つまりは今までのおっぱいとの格闘に、ミルク作りがプラスされて、授乳にもっと時間がかかるようになったのだ。
その分削られるのは眠る時間。ただでさえ1時間半しか眠れないのに、もっともっと眠れなくなる。
でもふらふらで、眠さとだるさは蓄積されて楽になるどころか、いっそう辛くなる一方だった。
とにかく体がしんどくて、ほとんど何も考えられなくなっていた。拷問みたい。
ただひとつ、「ねむい」という欲求だけが、こびりついて離れない。
鏡の中の自分は、真っ青で目の下にくっきりクマができて、10は老けたように見えた。
何もしてないのに、涙が出てとまらない。赤ちゃんがなんだか恐ろしい。かわいいのに、愛しいのに、何より恐ろしくてたまらない。
だって、まだたったの4日め。長く長くいつ続くともしれない育児の、たった4日めなのだ。
このしんどい日々が延々とこれから続く。こんなに疲れてるのに、ぐっすり眠ることの許されない日々が待ってる。
5日め。私は退院を迎え、自宅に戻った。
産後は実家で1ヶ月お世話になったが、こんな調子が2週間続いた。
むしろ、病院では哺乳瓶を洗ったり消毒したりするのは病院がやってくれたから、その分の仕事が増えてますます眠れなくなった。
赤ちゃんが泣く→起きてミルクの支度をする→ミルクを人肌に冷ます間におっぱいを吸わせる→
搾乳した母乳を与える→ミルクを与える→げっぷをさせる→寝かしつける→
たとえば寝かしつけに手こずったり、オムツからウンチが漏れて着替えさせたりなど
何かアクシデントが発生すれば、眠れずに次の授乳時間になることも珍しくなかった。
日に日に、赤ちゃんを見ても可愛いより何より、ただただ、怖い気持ちが蓄積されていく。
赤ちゃんが怖いのに、離れるのはもっと怖い。何かあったらどうしよう。
30分の睡眠は、いつも悪夢を見た。赤ちゃんを落とす夢、踏んでしまう夢、誰かに連れて行かれる夢。
今思うと完全な鬱状態だった。
生まれてから14日めの夕方。
赤ちゃんと二人きりになるのが恐ろしいと、実母の前で号泣した。
陣痛のあの夜から2時間以上眠っていないこと、眠くて眠くてたまらないこと、
夜になるとまた今晩も眠れないと思って焦りと不安で動悸がしてくること、
こんなに体中がふらふらなのに赤ちゃんに何かあったらどうしようかと想像すると恐ろしいこと、
かわいいより赤ちゃんがとてもとても怖い存在に思えること・・・・
泣いて訴えながら、睡眠不足がつらくて赤ちゃんが怖いなんて、自分は母親失格だと思った。
世間のお母さんがみんなできていることができないなんて。
母親なのに、情けなくて仕方がなかった。
その夜は両親が赤ちゃんを一晩みてくれ、私にゆっくり休むよう言ってくれた。
15日目の朝は、驚くほど気持ちが落ち着いていた。
その後の日々は、私の両親はもちろん、夫も毎晩仕事帰りに車を飛ばして会いにきてくれ、手伝ってくれた。
それから、母乳マッサージに通った結果、母乳が十分量出るようになって、
ミルクをあげなくてよくなったため、深夜に哺乳瓶を洗ったり、消毒したりということから開放された。
三ヶ月たった今でも、産後からの2週間のことを思い出すと、絶望感でいっぱいになる。
あのころ本当にただただ寝たくて、寝たくて、
それなのに「もしこの子に何かあったら」ときう緊張感で常に気が張っていて、目を離すのが恐ろしくてたまらなかった。
そのうち、「もしこの子に何かあったら」「病院に入院することになれば」
「そしたら眠れるな…」と考えたことがあって、ゾッとした。
もちろん、あくまでこれは個人的な体験だ。
でも、多かれ少なかれ多くのお母さんに共感できる部分も多いはずだと思う。
もし里帰りしなかったらどうなっていたことか。
私の出産は初産の平均時間12時間より短かったけれど、精も根も尽き果てた状態で育児がスタートしたのがよくなかったと思う。
病院によっては、出産したその日はナースステーションで赤ちゃんを預かってくれるそうだ。
私も、出産後1日でいいからゆっくり眠れていたら、その後に2週間は違ったものになっていただろう。
今は、子はあやすとニコニコ笑って、母乳も順調だ。夜は相変わらず3時間で起きるけど、体が慣れた。
やっと我が子がかわいく、愛おしく見える。
でも、我が子がとても恐ろしく見えた産後2週間のことが忘れられない。
息子がパンツの中にウンチを目一杯漏らして、慌ててトイレに行き、パンツの中のウンチを捨て、こびりついたウンチは拭きとったが、最早持って帰ることもできない状態で、そっとゴミ箱に捨てた。
帰り際に一言言っておけば、スタッフのかたはきっとニッコリ許してくれたと思う。
でも何も言わずに帰った。ごめんなさい。
http://www.mahoujin-lp400.jp/index.html
JR旧栃木駅舎の中にある魔法陣スーパーカーミュージアムは70年台80年台の懐かしいスーパーカーが展示され、息子よりスーパーカー世代の父親の方がハッスルしてしまう場所です。
柵も何もないので360度あらゆる角度からスーパーカーを眺められるよ。
おかげで3歳の息子に「絶対触るなよ」を連発しなければいけないほど。
ただ食べ物だけは持って行こう。
家の苗字と猫の名前と電話番号が記された首輪は、契約のしるしみたいなものだと思っていた。
契約内容は、こんな感じ。
わたしたち家族は、猫に対し適切な居住空間とご飯と愛情を提供すること。期限は、神様の定める時間まで。
猫は、同じ家に住んでくれればいい。期限は、神様の定める時間まで。
昨日の朝、よろよろとだけど歩いていて、母にいつにないくらいかわいい声で「にゃん」と言ったらしい。
そのあと、わたしが起きてきたときは、ちょっと歩いては床の上にじっと伏せっていた。
寒くないのかなと思っていたら、よろよろとコタツにかけてある布団のうえにたどりついて、横になっていた。
そこから何度か起き上がろうとして、なんとか前脚と頭は起こしたけれど
立ち上がることは出来なくて、パタっとまた横たってしまった。
そして、それから2時間もしないうちに、変なセキみたいなのを小さく何度かして脚をちょっと動かしたのを最期に
もう二度と動かなくなってしまった。
猫の体を拭きおわって、母が「首輪をはずしてやろう」というので、はずした。
猫をかわいがっていた、ジジババが迎えにくるといいなと思った。
インターネットで見たような、ペット葬儀トラブルが頭をよぎったけど、そんな心配は無用だった。
お別れ前に、なでた体は、当たり前だけど冷たくて、やっぱり死んだんだなと思った。
肉球も冷たくなっていたけど、ぷにぷにしていて、まだその感触を思い出せる。
家に猫がきたのは、高校に入学した年。そんなわたしも今は、結婚して隣の県に住んでいるんだけど
夫が数日家をあける予定だったので、たまたま実家に帰っていたこと。
父は、とくに予定がなかったからいいとして、母は予定があったんだけど
たまたま前日お風呂で椅子に座りそこねて、たいしたことはないものの
予定をキャンセルして家にいたこと。
たまたまかもしれないし、自己満足かもしれないけど、家族で見送ることができてよかった。
らんまの隙間から出てきたり、ふすまをサッと開けたり、ウンチはいつも埋めない、
台所に人がいるとゴハンを要求してくる、猫好きの親戚のおじさんのあぐらの上で寝たり、
ばーちゃんの股のあいだに寝たり、父の背中に乗ったり、シーチキンの缶を開けたら目をらんらんとさせたり、
なでていてゴロゴロいってると思ったら噛んでみたり、毛玉ゲロってたこととか、
他にもたくさん思い出すと悲しいんだけど、猫と暮らせた時間はすごく幸せだった。
眠くないし、ちょっと気持ちの整理に。
http://anond.hatelabo.jp/20130222222510
いや文章みるにつけ君の方がずっと稼いでるようではあり、そんな私が共感するのも変な話ですけど。
で、嫁さん妊娠中はそんな空気の中に私もいたんです。 まだ1年前くらいか
「まぁ生まれる前だが生命保険にも入っておいたし、いきなり死んでも大丈夫だよな。いやとりあえず死にたくはないけど」
が、生まれてしばらくすると「おぉっと」「あひゃー」な感じでした。
新生児のウンチって水っぽいんですけど、ウンチの海の中で足をばったんばったんしたりするんです。
「うわ、どこから手をつけたらー、あぁぁあ」とか
噴水のように母乳を吐き出したらとかでも「あぉあ?!わー!」とか声出したり。
自分はどちらかというと引きこもり傾向であり、理系で無口な人間なんですけど、
「あぉあ?!わー!」とか言う日が来るなんて思ってませんでした。 新鮮な自分の一面。
昔は「女に金つかうくらいだったらメモリ買った方がいいよね」って飲み屋で言うタイプだったのに。
それと男性にもよるのでしょうが、私は出産直後は父親になった感覚が全くありませんでした。
一方、嫁さんはというと出産直後からなんか妙な感じで、自分の変化にそわそわしてましたが。
男性は父親になった感が得にくいので、その辺の男女間ギャップはあると思っておくと良いかな、と。
出産直後は赤子観点でもあまり男女の区別がついてないんで、父親にもすがってくる(というか男と認識してない風である)のですが、
数週間たつと「母親にべったり」になります。 母親しか見てない、みたいな。
試しに「母親との間に入ったら視線もらえるかなー」と思って二人の間に入ってみたら泣かれました。
そんなに見たいの? と。 お前インプリンティング中か、と。
「この野郎、俺が男だと気づくようになったな」と。
父親観点では大変しょんぼりする期間ですが、母親を褒めたらいいかなと思います。
今の社会って結構いびつで、女性が「母親であるというだけで褒められる」なんて空気はなくなりました。
なんかこう男女共同参画社会基本法以降「母親かつ仕事も正社員で」みたいな風潮が作られてきました。
女性はそういうロールモデル観の中にいるので、育児だけだとなかなか自己肯定感が得られません。
「でもまぁ、赤ちゃんの体重が増えてれば成果として捉えていいんじゃない? 割と計測しやすい成果でもある。
みたいな感じで彼女の自己肯定感を増やしてあげられたらなー、と他人事ですが思ったりします。
「母親超ラブ期」は父親観点ではしょんぼりですが、女性の「母親としての自己肯定感」を増やすフェーズとして利用できて良かったな、と今では思います。
男女の違いがはっきり現れる時期であり、母親としての嬉しさ、誇りみたいなものを得やすいタイミングかな、と。
更にしばらくすると子供観点で父親は「なんか面白い/新しい事をやる人間のようだ」みたいな認識をしてきます。「お? またお前か。なんか新しい事する?」な目で見てきます。
「お母さんといると安心できるけど、お父さんといると楽しい」みたいな。
この段階になって、私は自分もまぁ父親になったのかね、って気持ちになってきました。
別に嫁さんに「俺は父親になった気がしないんだー!」と宣言する必要は全然ないのですが、まぁタイムラグありますよ、と。
「母親ではない者が、母と子にどう向かうのか」って観点で描いているマンガって少ない。
絵柄はアレなんですけど、これを読んでおいて良かったなと思いました。
産後の母子密着によって徐々に母親が壊れていく過程が良く描かれていたと思います。
(登場人物が姉妹なのは、男女の話にすると、描きにくいというか、汚いというか、四年生、五年生みたいな話になってしまうからかな、と)
http://anond.hatelabo.jp/20130124230959
「夫婦にとって子どもが一番大切なの? 」って言われると違う。
昔、深夜作業を終えてタクシー拾って帰るときにさ、私は良く運ちゃんと話をしてたのね。
タクシーの運ちゃんって、割と家庭的な人が多くて、家族のために仕事を変えたって人がいる。
そういう家族を大切にするような人に当たった場合には「いや、自分、最近結婚したんすよ。でもね、離婚とか多いですよね最近。どうすればいいんすかねー」的な話をぼんやーりとするようにしてた。
(もちろん、まったく話さない運ちゃんもいる)
会社でも既婚者男性に聞いていた訳だが、「新婚生活?そりゃ新婚旅行が終わるまでだ」とか、家庭内別居してるとか、×3だけど家を買っちゃった、とかノーフューチャーな話ばかりで参考にならなかった。
私は転職した。 その後、その会社は一部上場した。まぁ勢いがある会社って何かを犠牲にするもんかな、と思う。閑話休題。
ある運ちゃんの「なんかいい方法ないですかねー」的な質問の答えが面白かった。
「うちは3人、娘なんですが」「方法っていうと、子供より母親を優先する事でしたね」
「普通、子供が生まれたら、男だって子供見るじゃないですか、可愛いし」
「でもそれだったら『嫁さんは誰が見るんだ』って話ですよ」「誰にも見られないでしょ?」
「なんで私は嫁さんだけに集中することにしました」
「嫁さんと手を繋いで歩いてるじゃないですか。その時、子供は後ろを歩かせる。前だと危ないしねw」
「そうすると、後ろから私らの間に割って入ろうとする」「それはさせない」
「かーちゃんは俺のもんだって見せつける」
「もちろん、私がいない時は子供と母親だけなんだし、その時はたっぷり甘える」
「もうね。母親は子供の方ばっかみてました」「たぶん『育児するのは私しかいない』みたいなとこもあったと思うけどね」
私は「でも、あなたを見てくれる人はいないんじゃないですか?」って思ったけど、
まぁ、そんな事はどうでもいいよね。 私はオタクだし、見られるのはまっぴらごめんだし、どちらかというと見る方が好きだ。
それ以降、私は子供ができたら、嫁を優先すると決めた。
今はうまくいってる。 正直やっているのは家事ばかりであり(これは二人きりの時からしてた)、
育児参加してるかというと、時々、嫁がトイレに行く時などに遊んでるだけの様ではあるのだが、不思議と感謝されている。
(時々、オムツを替えたりもする。 でもウンチがついていると思われる場合、積極的に動きたくはない)
今時の男性が結婚を決めるのは、ほとんど狂気に近い。 今でも既婚者男性を見ると「あぁ、この人は、ちょっとした狂気を許容できる人なんだな」って目で見てる。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」みたいな。食われなくて良かったですね、と。
親権や養育費関連の離婚に関わる条件が、男性にとっては悪すぎる(フランスは離婚の点では平等なそうな)
子供をつくる上での覚悟だけど、別にパートナーが信頼できる感じだったら不安はないんじゃない?
ブコメどうもです。
enator 7か月育てた程度で結論出そうとしている時点でモグリですこの人
すみません。まだ結論は出ていないんですが「36歳男性 7か月男児あり そんな私の観点」という1サンプルとお考えください。
あと何かより良い方法がありましたらコメントいただけると幸いです。
おぉ信頼感重要ですね。
これはそう。 私は別に嫁さんがいれば子供はいらない派だったんだけどね。嫁さんの希望でして。
まぁできてみると子供も面白いね。とはいえ、私観点で「幸せが増えたか」というとビミョー。
嫁観点で増えたかというと(自己申告ではあるのだが)たのしいらしい。特に子供の変な顔が。
hidamari1993 両親はどう思ってたか知らないが、常に親の前か後ろを歩いて育った人間としてはやっぱやりきれない孤独感が残ってしまいました
uduki_45 これまかり間違うとむしろ家庭崩壊フラグに見えるんだけど・・・ 子供が育って思春期迎えるようになってもこの認識は危ないと思う
思春期は私にとって未知ですね。そして幼児期より思春期の方が難しい、というのはネットでもちらほら観測されますね。
なにか「こうした方がいいぜ」というのがありましたらツッコミいただけると幸いです。
osakana110 結婚して、母親と妻が対立したとき妻に味方した方がいいってのを思い出した。まぁ確かに子供ばかりみてると離婚するかも
どもども。あと子供もってみて思ったのは「嫁より子供優先だと、育児方法で喧嘩になりやすい」って思った。
「子供が大事」って強すぎると、なんか嫁さんの育児方法で「こっちの方がいいよ」って小言がいいたくてたまらない、という。
(ただウチの嫁みたいな素敵な人はめったにいないかもしれないので、普通の嫁さんを持つ旦那であるならば、もう少し育児にコミットした方が良いのかもしれない)
どもども。 嫁さんの幸せが最優先事項ですよ。
で、更に言うと、嫁観点で幸せだと育児に専念できる、という点もありまして。
嫁観点で「自分を支援してくれる人がいる」「(育児の)結果に関して、素敵だと、素晴らしいと褒めてくれる」
という感じで、自己肯定感が持てると全力で対象に向かえると思うんだよね。これは職場でも同じではないかな。
flowerload 当面は離婚への不安を克服したいってのならそれもアリだけど、子供ってびっくりするような理由で「自分は親から愛されてない」と思い込む事もあるから、何年後かにはまたスタンスを見直すといいと思う
そうですね。数年後、もういちど考えたいと思います。
http://matome.naver.jp/odai/2135321398034940301
を元に各党の政策をまとめてみた
自民 = 維新 = みんなの党 = 新党改革>新党日本>緑の党 = 新党大地 = 社民党 = 共産党 = 公明
2週間くらい前の話。
隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュックと通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄の階段をのぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。
その翌日の話。
私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。
この頃、夫の帰りが遅くて家事も育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。
娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。
忙しかったけど、娘のごはんは栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。
自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。
色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。
いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。
1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険だから歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。
大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。
怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。
100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。
だから、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。
自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。
しかし、父子家庭で育った私にはドラマや映画や小説や育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。
変な話だが、母親もウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。
とはいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂の時間は楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。
ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。
アニメ、電脳コイルがBD-BOX発売記念で無料公開をしていると聞いて見てみた。
なかなかはまって、あの世界についていろいろ思いを馳せたりしたので整理してみる。
ネタバレ前提なので嫌な人は帰るか今なら間に合うから本編を見るのがオヌヌメ。
※1-13話が5日の正午まで
14話以降が11日正午まで
以下ネタバレ含む長文
今回本編を見るまで電脳コイルで知ってることといえばメガネの子供たちが出るアニメで、
なにやら近未来っぽい雰囲気というくらい。面白そうという印象はあるにはあったが、
金を払ってまで見ようという程の興味はなかった。無料だし見てみるかってレベル。
メガネをかけた子供たちが現実と仮想の入り混じった世界で日常を派手に暴れまわる。
話が進むにつれ伏線らしきものがいくつも出てくるのが次の話を見る気を起こさせて
くれるものの「早く次が見たい!」という気分には全くなれず。
登場人物は個性的なのだが、こちらがワクワクするような強烈なキャラクターが見当たらない。
ヤサコはもちろん、一匹狼イサコは厨二病持ちにしか見えないし、地元っ子たちは馬鹿ばかり。
不思議な電脳世界の描写は面白いが、けっこう危なそうなのに大人は無関心なのに違和感。
メガネの修理代をお年玉換算したり、ごっこ遊びを仕事と呼んだりするのは子供らしさが出ていて好印象。
何話か見たあとで、どうして気分が乗らないのか考えてみて、
登場人物の行動やその動機が抜けていて、そのくせ失敗にまるで懲りず、真面目にバカを続ける様子が滑稽だからか?
という一応の結論を出した。
怪しげで危険そうな道具を買っては、不毛な争いや、探偵ごっこを繰り返す。
メタバグ、メタタグ、イリーガル。説明でどういうものかは理解できても子供がなぜそれに並々ならぬ情熱を注ぐのか?という動機がいまいちはっきりしない
そのため、どうも彼らのテンションに乗り切れない。
心が動かされた回数は片手で数えられるほど(世知辛ぇ…!)。
物語は夏休みが始まり、合宿の肝試しを舞台にした戦いが繰り広げられた。
イサコがイリーガルを捕獲吸収!ハラケンの過去!謎の数字4423!
だからぁ!得体のしれないものに熱上げ過ぎだぞお前ら!…置いてきぼりな僕を尻目に物語は加速するっっ!!?
イリーガルの魚…( ´_ゝ`)フーン(テクスチャ食って巨大化したら何なの…)
ここまで11話、日を跨いでいるとはいえ5時間以上…僕の頭は悶々とした気分に満ち満ちていた。
そして12話。予想外の形で、その悶々ダムが決壊した!それは放流という秩序めいた開放ではなく、事故的で唐突な決壊だった。
懲りないイリーガル探し…(ダイチ/ウンチには笑えるようになった)。
ダイチ父「ボッサボッサだったぞおおwwがははwww」( ´_ゝ`)
登校日『髭エエエエェェェェ!!!!』( ´_`)ソウイウ ハナシネ
全員感染( ^ー^)デスヨネー
ΩΩΩΩ<よ、余計なもん作ってんじゃねぇええ!!( ^∀^)ワロタwww ← テンポの良さに押されつつある
※ここで初めて経過時間をチェックした…内容濃すぎだろ!
ヤサコ「私はもう宇宙計画よ!」「あとちょっとでロケット-」ダム決壊(゜∀。)ウヒャヒャヒャヒャ
子供のセリフは今までにないくらい重いのに髭で台無しなのが可笑しい。
今まで蓄えた笑いを解放するかのように笑った!と同時に笑いとは別の充実感があった。
締めはまぁ普通だったが、この話のお陰でようやく視聴態度を体が理解した。
間違いなく神回。
12話の髭騒動でようやく初めて満足感が得られた。
リズムよく斜め上に展開するストーリーは間違いなくここまでで随一だ。
しかしそれとは別に子供の成長がわかりやすく描かれていることが、今までの話で蓄えた僕の苛立ちを解放してくれたようだ。
それを見ていてスカッとした側の気持ちとしては
「おぅ、ようやく賢くなってくれたじゃないか!」といった感じ。
頼りなくて何も出来ないと思っていた子供が見せた成長への喜びとでもいうか…。
続く13話を不思議と楽しく見終えた時、再び似たような気分になり、現実の親心ってこういう感じかもしれないなんてことを思った。
子供は大層に「仕事」なんて言いながら、てんで価値のないことに熱を上げている。
それを見て大人は馬鹿らしいと感じて、はじめのうち叱ったのかもしれない。
しかし冷める気配を見せない熱意を目の当たりにして、勝手にすれば?と
黙認という名の降参をし、以後は最小限のおせっかいをのぞき、無関心に転じる。
そんな毎日のなかで子供は自分の世界を必死に駆けまわり、大人が無駄と信じて疑わない仕事のなかで知らず知らず賢くなる。
同時に大人の気づかないレベルで心も豊かになっていく(僕の中での1-11話)。そしてある日突然、大人の目にも分かる形で驚くような成長を見せつけるのだ(12話)!
僕は今まで大人の目線で子供の世界を見せられ続けていたのだ。そりゃ面白くなくて当然だ。
大人はあまりメガネを使っていないか(作中の描写や、フミエが花屋を見てメガネ持ちだわというセリフ)、
電脳空間には無関心のようだ(関わるシーンがない)。
メガネで見える電脳空間でいきいきと走りまわる子供は一見とても危なっかしく見えるのに
先生や親、周りの大人はほとんど感心を払わない違和感は終始ついてまわっていた。
この関係が現実を生きる大人と子供の距離感によく似ていると感じるのは僕だけではなかろう。
そこまで考えると、この作品の「メガネ」やそれを通すことで見える世界は「色眼鏡」という言葉と似た意味の
子供と大人の見える世界の違いを示しているのではないか。という考えに至った。
メガネの役割がわかった所で、そこから見える世界と一般的な子供時代らしいネタを試しにヒモ付けしてみよう。
電脳霧 | 空き地や廃墟は好奇心を刺激する |
メガシ屋 | 言わずもがな |
メタバグ | 子供たちの流行アイテム。大人にはガラクタのようにしかみえない |
メタタグ、電脳ツール | 子供の遊び道具や遊び方 |
サッチー、キュウチャン | 怖い近所の大人 |
イリーガル | 野生の小さな生き物 |
などなど
そんな見方でストーリーを思い返すと、ヤサコが引越し先の遊びの文化を全く知らなかったのを、
最初はネットワークも発達してそうなのに独自の文化が形成できるんか?と思ったことも間違いだったとわかったり、
オバチャンなんて近所にいる面倒見のいい年上のお姉さんまんまじゃないか!とか、
大好きだった空き地が突然工事で入れなくなった時の気持ちとか、
近未来っぽいあれやこれにノスタルジーな要素をいくつも見出すことが出来る。
序盤に不満としてあげた要素もけっこう説明がつくんじゃないかな?
13話見終わってようやく本質に気付いた…遅すぎの部類だろうな。
最初のナニコレツマンネという大馬鹿な勘違いへの戒めで書いた。ホントどんくさくてすんません。
電脳コイル、かなり味わい深い作品でした。子供と大人とじゃ楽しみ方がてんで違う作品だ!
後半はどうなるんだろう?10話までに様々な謎が生まれ11-13話でイリーガルが
取るに足らないバグではないという流れになった。後半でどのようなドラマが
繰り広げられるのか全く想像はつかないが、楽しみ方を理解した上でみることができる残りの話がただ純粋に楽しみだ。
時間をかけて一話ずつじっくり楽しめたらいいな!
だいぶ長くなった。思いつくままなので冗長になるのは仕方ないにしても長い。
見て過ごしてしまった増田さん!いるかなぁ?少しはお役に立てていれば幸いです。
後半を見ても、今回のようなビックリはたぶん起きない気がするので
こんな長文はこれっきりでしょう。おしまーい。
いや、俺が通したいわけじゃねえよw
ヨーロッパ各国で既に通ってるんだろうがw
おいおいすげえこと言い始めたな。
というロジックなんじゃないの。
こんな、ロジックと呼んだらロジックへの名誉毀損に当たるような意味不明の言明が
「ヨーロッパ各国で既に通ってる」わけねーだろw
大体お前自身さっき
ヨーロッパのことはよく知らんが、
と言ってたくせに
自分の出来のよくもない頭からひねくりだした「ロジック」をよくもまあ
ヨーロッパ各国で既に通ってるんだろうがw
とか言い出すなあ。
記憶力もどうなってんだよ。
それらの法律が制定される際には、
当然ながら諸々の議論があったはずだし、
もう一回ハッキリさせておくけど
君が今さっき提出した「ロジック」は、
「ヨーロッパをよく知らん」君が、
「議論された」だの「様々な解釈がなされた」だの「既に通ってる」だの
そんな事実は一切ない。
悪い頭が切羽詰ってテンパったのかもしれないが
な?
>「親の教育の中身(塾とか大学に行かせる費用を出すとか)」は、
>分けようぜ、という指摘になりうるな、と勝手に解釈しました。
このあたり話が余計こんがらかって混迷してくるところです。
「親が施す養育・世話」と「親が施す教育」と「親がもってくれる金銭的負担」というのがあって、そのどれにおいても「親の苦労」は発生し得ると考えます。
といってもこの三者は子の成長に伴って連綿と連なって行くと思うので、分類自体あまり意味がないかもしれないです…。
養育・世話においては、例えば夜泣きをやめないミルクを飲まない熱を出すウンチおむつを振り回す、というような感じで、
それが大きくなると言葉が遅いおむつが取れない注意を引けない話を聞かない好き嫌いする、みたいな「養育」と「教育」の半々くらいに移行して、
さらに大人しくしてない大声で騒ぐ走る宿題しない、みたいなしつけ的な面での教育とか、
教室でお友達とトラブルになるとか弟妹を泣かすとかの対人的な教育を要するようになって…という感じですかね。いや対人教育はもっと早い段階でも出るか。
とにかくそんな感じで、はっきり言って親はどのステージでも苦労すると思います。いちいち現状はどうなのか見きわめて何が最適か検討して対処したり対処の仕方を教えてやらないとなりません。
しかも下手したら同じことを何度も何度もですから、疲弊することは容易に想像できます。
それらを「親の苦労」と一般的には呼ぶと考えられますし、実際これを耐えるのは尊敬に値するとも言えると思います。
しかし、それと「出来のいい子どもは親の手柄」とは直結しないんです。
「親の教育」として高等教育の例を出していらっしゃいますが、ちょっとちぐはぐな感じがします。
>「私は中卒です!家に帰ると好きなこと何もできませんでした。弟たちの面倒で手一杯でした!」
これなんて、親が関係ないとはとても言えないでしょう。弟たちの面倒は親が見るべきなので、「親は何やってたんですかね。大変でしたね」という話になります。
親のおかげで大学院まで出してもらいました、というのも、親が大学院で教えてくれたということではないと思われますので、親の影響というのが何なのかよくわからないです。
親の世話になって、ということですかね?
院まで行かせてくれたということは親の理解と援助があったということにはなりますが、それで親の批判をするなんてずうずうしいとかいう話にはなりません。
親はカネ出さないけど院に行きたい場合、奨学金を取るか勉強しつつバイトするか、思い切って一度就職して院に入ることも絶対できないってことではないですので。
なお、文才自体はあまり高等教育と関係しない可能性もあります。
基本的に義務教育を終了すれば本は誰でも読めますし文章も一通り書けるようになります、という意味でも、大学出てても文章組み立て苦手な人はいる、という意味でも。
僕はボーと見惚れていると彼女がハンドバックを持ったままトイレへ行きました。
今行けば彼女の便臭が嗅げるかも!・・・と思い僕もトイレに入りました。
失敗かと思い念のため汚物入れを開けると。
あ り ま し た 。
温もりの残るナプ感激して広げると信じられない位の量の
その場で全部口に含み僕はまだ暖かい生レバーを全部、口に入れてしまいました。
こんなに大量のレバーを一度に入れた事はありません。
溜まっていた分が出たのか半端な量ではありません。
僕はナプキンをポケットに入れ出ました席に戻ると彼女はまだ居ました。
まさか僕の口の中に自分の生理が入ってるなんて思うはずがありません!
僕はゆっくりと彼女の顔を見ながらホカホカの生レバーを味わい食べました。
ズルッと喉を通りました。
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51683796.html
「日当貰って雪かきさせる」どころか
「こっちが参加費支払う、なんて非常識!!」と2ちゃんねらーの非難を受けている。
勿論、全ての雪かき労働ニーズを「都会人の観光気分の労働力」で
「体験させてやるから金払え」という倒錯ビジネスは成立する余地はある。
実際、ここの雪かきツアーも「今回が4回目」ということだから、
(というか、それなりにリピーターが付いているのでは?)
ということで、
「体験させてやるから金よこせ」と倒錯させるのは、ニッチ的には成立しうる。
例としてまず「介護」を考えてみた。
「特別擁護老人ホームの介護を1日体験できます、参加費1万円」
・・・しかし、シモの世話とか大変そうだし、気難しい老人相手だと、何だかなあ・・・
気を取り直して「保育」。
世の中には「赤ちゃん好き」という人はそれなりに存在するから、
ある程度のニーズは見込めそうだが、もう少し「お手軽感」を出したい。
「赤ちゃんの相手を10分~1時間できます、お手軽に母性欲(?)を満たせます」と
虫のいい企画があれば、
「子供が欲しいけど出来ない、母親ごっこしたい30代女性」とか
「嫁が孫に会わせてくれない、孫みたいな赤ん坊を世話したい60代男性」とか、
「猫カフェ」というのが世の中にはあり、「喫茶店に猫が徘徊していて、触れ合うことができる」
のがウリだそうだが、それをまねて「赤ちゃんカフェ」を作れば、
意外とヒットするかも。
「赤ちゃんを抱っこできるなら、1,000円払っても惜しくない」
ブックマークって、自分が気に入ったページにすぐにアクセスできるように記録しておく機能だとかつては思っていたんだけど、
最近は
こういう人たちが憂さ晴らしをするため便所になっている気がする。
コメント付のブックマークをして、その後自分のコメントにいくつ星がついているかを確認する以外の理由で、そのページを再度開く人間が何人いるのか。
星がつけばうれしいが、自分の出したウンチのとぐろがきれいな形だと皆が褒めているだけ。それに気を良くするとか、よく考えたら頭がおかしい。
斯く言う自分もそんな風になりつつある。
自分と違う人の考えを酌んで、成長することは出来ない。
ただ脊髄反射で100文字の吐き捨てをし、ネットスラングや知ったかぶりのボキャブラリーが増えるだけ。
呟きたければツイッターでもやれ。ツイッターはチラシの裏としては最適だ。
フォロワーに見られたくない呟きがあるなら、そんなものどこにも書くな。
人に見られたくないとあなたの心が感じたなら、それはつまり、ネットや匿名の関係を通じて出さえ、
人前で公開すべきでない考えだということだ。
悪いことを書くとネットでみんなから嫌われるぞと脅しているのではない。ネットに書くなとは言っていない。
反骨的な考えを書く人としてネットでの自分のキャラクターを確立し、いくらでも書けばいい。
ただどんな考えも、「私はこう考えています」と文章をしっかり推敲して発信すると、
いやでもソースを集めたり本を引用したりするから、読解力もつき立体的な思考力もつく。
そして、読んでくれた相手の心に良きにつけ悪しきにつけ何かを残したりあわよくば真摯な意見や反発が得られるんだ。
ネットは急速にジャンク化した。ほかならぬユーザーつまり私たちのせいだ。
でもそれを質の良いものに変えることもできるはずだ。それが出来るのも私たちだ。
子供が2人以上いる世帯で、きょうだいの歳の差が1~2歳しかない世帯があるが、
改めて「スゴイ」と思う。
これって、上の子が1歳とか2歳とかで、「最も手がかかるとき」に、
自分には真似できんわ・・・
その辺割り切って「うちは1人っ子しか作らない」という世帯もいて、
特に自分の回りには多い気もするが、
自分は「子供に対する最大のプレゼントは、きょうだいだ」との考えのもとで
第二子作りました。
きょうだいを残してやらないと、かわいそうな気がして。
で、上の子が「手が掛からなくなった」3歳過ぎてから妊娠させ、
4歳になってから出産させた。
道路を勝手に飛び出すわ、いたずらし放題だわ、ウンチ漏らし放題だわ、
非常に手が掛かる。
仮にこの状況下で妊娠とか出産のような重大事があるか、と想像すると、
ゾッとする。
3歳も半ばになると、それなりに言うことは聞いてくれるので、
かなり負担感は軽減される。
自分としては