コミケの売り手が欲しいのは、そうやってこっちから売り込んで得た売上げじゃなくて、何も言わなくても自分の本を読みたいと手にとってくれる相手なんだよ。
娘に聞いた話だが、今は面接時にはICレコーダーをONにしたまま
持ち込むのが常識らしい。iPhoneやAndroid等のスマートフォンの
インターネット生配信アプリや、音を出さずに映像や音を記録できる
護身の意味もあるそうだ。つまり、面接中に暴言や恥辱的な発言があったら、
直ぐに動画投稿サイトのYoutubeやニコニコ動画、Winny、Share、Perfectdark等
のP2Pネットワークに、記録した証拠データを暴露する準備の意味もあると。
投稿するときはヘッダー情報を偽装するソフトのProxomitronと
手軽に多段プロキシが使用できるソフトのTorを組み合わせて、
要約の練習として、http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20101229-OYT1T00726.htm を要約してみた。
総人件費が増大したり組織の活力が失われたりするようなことがあってはならない。国家公務員の定年延長自体は、基本的に妥当だろう。しかし、国家公務員の定年を延長するのであれば、民間側から批判を浴びることのないよう、総人件費を極力抑制した制度にするのが、大前提だ。
政府は、今年初めて、55歳以上の国家公務員に対し、給与を減額する措置を導入した。民間の対応に比べて遅すぎないか。55歳以上の給与を減額するだけでなく、給与体系の全般を見直さなければなるまい。さらに、人件費の問題に加えて、組織が活力を失わないよう、人事面での処遇の在り方を工夫することも不可欠である。優秀でなければ管理職に就けないようにするなど、厳格な運用を心がけるべきだ。
だが、実際、役職経験者に適切な仕事があるのだろうか。各府省側には、具体的にイメージしにくいとの声がある。民間から“高給窓際族”と非難されないような制度にできるかどうかが、定年延長導入のカギとなろう。
善と悪が
良と悪が
真と偽が
裏と表が
正は負と
矛盾は整合と
一致は不一致と
合理は不合理と
両立は破綻と
個人は集団と
秩序は混乱と
感情が理性と
統一は離散と
絶対は相対と
何もかも混ざってしまって、何かを定義付ければ何かが失われ、致命的に
何もかもが言葉遊びなのに、すべてが成り立ってしまって、あちらもこちらもご破算で
すべてが真実なら、すべてが虚偽でも良いじゃないの
すべてが正しいなら、すべてが間違っていても良いじゃないの
海外向け個人販売で売り上げを自慢するセミナー講師や情報商材業者は
売り上げ額は大声で言っても、具体的な利益額については語ろうとしない。
個人のネットショップでそんなに大きいモノを売るって発想が出来なかった。
http://anond.hatelabo.jp/20101230185658
ちょっと待ってね。はるか昔なんで、思い出すのに時間がかかるんだ。
夫とは喫茶店の常連同士で、会えば話すこともあるくらいの仲だった。
やはり、同じくらいの知り合い夫婦と夫が「映画に行こう」と話していて「この日、空いてるなら一緒に行かない?」と誘われた。私の好きなSF映画で喜んでOKした。
約束当日行ってみると、夫が一人で立っていた。
「ごめん、彼ら都合が悪くなっちゃったんだって。どうする? 映画見る?」
そりゃあ、こっちは映画を楽しみにしていたんだから見るよ。「ロボコップ」だったんで、映画館を出たとたんに、夫は「がしゃーん、がしゃーん」って言いながら歩き出したよ。「なんですか? それ」とつい、突っ込んだら、「ヤクザ映画見てから映画館を出るときって、なんとなく肩を怒らせて、いつでもケンカ買おうじゃんって感じになるでしょ。それと同じ。ロボットになったんだよ」だって。その日から付き合うことになったよ。
ポイント3・友人たちが来られない理由はきちんと考えておく。
成功を祈る。
他人の気持ちは、たとえそれが好き合ってセックスをする相手であれ、何となくしか分からん。他人なんだから。
個人の尊重とは、セックスができても他人は他人であって自分じゃないし、それでもよい、ということに他ならない。
分かる、と自信を持って言えるというのがすごいな。俺はそんなこと恐ろしくて言えない。相手を分かったつもりになるのって、相手からするとスゲーウザイと思う。
10歳年上なんて眼中にない別の世代の人、と思ってるか
それとも年が違っていてもカッコいいと見る事があるか。
男から見たら不思議なんだけど、後者の女の子は確かに存在するようだ。
何度か話しかければ女性は相手の気持ちに敏感だから気付くかもしれない。
いきなり特攻するのも男にとっては潔く見えるけど、女性からはどうかな。
頑張れー。
http://hamusoku.com/archives/3889507.html
これについて、めちゃくちゃ単純な計算をしてみる。
商品一個あたり1,000の利益が出て年中無休で営業したとしても
200,000,000/1,000/365=548
(少数は四捨五入)
一日に548個の物を売らなければならない。
一日に10時間働くとすれば、一時間に55個のものを売ってるはず。
仕入れから商品の発送までの作業を商品一個あたり3分でこなすストイックさが必要。
その合間にショップとか帳簿とか在庫の管理、マーケティングなんかもやってるんだろうな。
http://koji-sato-0228.blogspot.com/2010/12/blog-post.html
「ホモ・サピエンス」と名乗ろうとしないのは何故なのか
この世界の物理的・論理的法則の中で、「自由意思」があると仮定する
つまり、自らの意思による行いによって、将来の事を思うように制御する事だ
制御という言葉を用いれるほど、正確な操作が出来るかどうかは別問題であるとして
これを人まず「人間」の根幹に置くとする
知恵の実である
少し話を進めてみる
「自由意志」を持つという事
それはすなわち、「自分は他者とは違い、他者は自分と違う」という事である
自由な意思を持つ限り、自分は他者の思い通りにならないし、他者は自分の思い通りにならない
「自ら考え、よって自ら行動する」事、つまり「自立」である
もう少し話を進めてみる
ある個人を守る為に、他の個人が集まる
他者を守る為に社会を作り奉仕すれば、自らもその社会を通して他者から助力を得られる
「巨大なリスクを回避する為に、全体に助力する」事、つまり「奉仕」である
では、少し掘り下げて粗探しをする
果たしてこれは、自ら廃棄できるのであろうか
違うと思う
「自由意志を持つ」と「自由意志を持たない」を選択出来ている時点で、自由意志を捨てることが出来ていない
そもそも「自由意志」とは「自分の意思で自分の行いを選び、思うように自分の状態を決定しようとする意思」だ
見た目での程度の差はあれ、自由意志はなくならないのではないか
言葉遊びであるが、「他者から命じられた事」に「従っている」という「選択」をしている時点で自由意志であるように思える
自由意志がなければ他者と全く同様に考え、同様に行動するはずである、選択の余地もない
そして、もしそうであるばそれは「自分」ではなく、「操作できる身体が二つある他者」に過ぎない
すべての動物はその手段によらず、自立している
1個体だけの種でない限り、個々体は全体へ、全体は個々体に、多かれ少なかれ奉仕をしている
なので、自立も奉仕も人間だけのものではなく、動物が必然的に帯びている性質ということになる
私は、これ以上に人間だけが備えている特別なものを見出す事が出来ない
タイトルに戻ろう
結局は、手段とそれを判断する者の物差しに過ぎないのではないか
言葉遊びで、奉仕と依存をすり替えた所で、自由意志がなくなることはない
また、真の意味で何も選択していないのだとするならば
それは「他者」であるか「動物」でない、つまり死んでいる=生きていないという事である
結論
「幸せとは何か?」なんて、
本来は個人の問題だし、各々が答えを見つけるべきだと思うね。
でも今のシステムで全員がそれをやり始めると世の中が回らないから
そういうことを請け負う仕事はやっぱり必要だと思う。
宗教が必要とされる局面は減っているのかも知れないけど。
母はテニススクールに通っている。時々そこのドロドロとした内情を聞くことになる。
テニスってのはどうしてもお金がかかる。ある程度お財産が無いと、時間もお金も捻出できない。
コーチと生徒(おばさん)の例
コーチ業はなかなか薄給で重労働らしい。どうもほっとけないらしく、なんだかんだと貢いでしまうのだ。
若いコーチともなると、セミプロみたいな人も多く、その人の試合を見に遠征する人もいる。
もちろんコーチなんてイケメンばかりでもないけど、もっぱらモテるんだそうだ。テニスはやはりうまいけどね。
まぁ酷いものだと、種違いの子供を両親に預けて試合に繰り出す、なんてのもあるらしい。夫はその間もちろん仕事に行ってるのだが…。
バレるとひどいもんだ。テニスも出来なくなるし、慰謝料も親権も取られて親元に帰るしかなくなる。そういう例はまだ少ないけど、
まわりの人間は大抵気づいているんだよね。コーチと付き合っているの、なんて自慢する人は問題外だが。
生徒と生徒の例
自営業やお医者さん、会社役員や定年退職者など、時間やお金に余裕がある人がテニスをしに来る。
そういう人が休みを見つけて練習をしに来るんだけど、上手になったらやっぱり試合に出てみたいって思うようになる。
シングルスもあるんだけど、中高年層にはダブルスが人気。体力的にもキツイし、ペアの人との連携が面白いし。
ミックスダブルスってのもあって、これは男女でペアを組むこと。たいてい男性がコーチ並に上手(あるいはコーチ自身)というのが典型例。
こういうのってやっぱり不倫の温床になるんだよね。不倫→ペアかもしれないけど。数的には上に遠く及ばないけど、割合としては10ペア中
9ペアがデキてるというのが現状のようだ。勿論夫婦のペアも多いよ、一応。
テニスに限らず、どこでもおんなじなんだろうね。小さいコミュニティーでも大きいところでも情事が絶えない。
学校もその例に該当すると思う。クラスで先生と付き合う例の多いこと多いこと。
これはひねた考え方かもしれないけど、この関係って他者に対する優越感を少なからず孕んでいるんだと思う。
コーチや先生って、そういった小さなコミュニティーの中で支配者とかヒーローに位置づけられているんだ。それを独占できることに
酔っているんだろうな。ただ、ちょっとコミュニティーを大きくすると、やっぱりそういう人は頂点でなくなって、ただのサービス業に従事する社員、
教師っていう肩書きに変わってしまうけど。