はてなキーワード: アジとは
オシャレじゃなかった自分が、とりあえず人並みっぽい格好になれるまでに至った過程とかを書きます。
小学生のときは親に服を買ってもらい、中学生からほぼ大学生まで兄からのお下がりを着てた。
記憶に残ってる自分で買った服といえば緑のチェックのネルシャツとカラフルな動物が描かれた黒いTシャツくらい(どちらもユニクロ)。ジャケット?なにそれ?くらいの感じだった。
社会人になって、ちゃんとした格好をしなければ彼女ができないし、人が多い場所に行くと謎の劣等感に包まれることが分かり、ようやく色々と試行錯誤を始める。
・おしゃれな雑誌を読む
高校の頃に部活の先輩が読ませてくれたエロいページ目的でサムライELOとか買ったけど、特に何の役にも立たなかった。都会の高校生は高校生の段階で香水やらつけるんだなぁという知見しか頭に残ってない。
○まあまあ役に立ったと思う本
・「服を着るならこんな風に」「脱オタクファッションバイブル」
どちらもツイッターで知ったと記憶してる。「服を着るならこんな風に」は読んでて面白く、とりあえずダボっとしていない黒くて細めのズボンを買えば何とかなるという知見を教えてくれた。それと、ネットで服を買う便利さとその注意点。タグ付けたまま試着してダメだったら即返品はオシャレ童貞にはありがたい知恵。
「脱オタクファッションバイブル」も大分役に立ったと思う。シャツの袖のまくり方だったり、季節によって大体こういうファッションをする(春はカーディガンをはおったり、夏は半ズボンを履いたりとか)という教えもシャツを半袖にするか長袖にするかくらいしか考えてなかった自分にとっては貴重な情報だった。
○より人並みにしてくれたインターネット
・Dcollection
宣伝みたいになるからあれなんだけど、夏服を買いにでかいAEONまで来たは良いものの何買えばいいかわかんなかった時にググってたら見つけた通販サイト。今の流行りに沿った人並みの服を多分普通の値段で売ってくれてるし、単にどんな服を着ればいいかわかんない時の参考にもできる。オシャレ童貞がいきなりゾゾタウンを覗いても、何が何やらわかんないのでこういうサイトはありがたい。もし、他にいいサイトあったら教えて。
これもディーコレクションとほぼ変わんないんだけど、動画でユニクロとかGUで今どんな使える服が売られているのか教えてくれるので良い。買うべきものを頭に入れずにユニクロ行っても店一周して退店というオチになるので。
とまぁ、こんな感じです。
そういえば、髪型も重要だなぁと思ったけど、自分は未だに1000円カットでとりあえず短めの髪ですいてもらって、ワックスで誤魔化すことしかしてないので特に何も言えなかった。美容院って予約しないといけないんでしょう?怖い。
とりあえず、ヘアジャムの黒いやつで頭頂部の髪を少し立たせながら全体的にシチサンに分けたら前髪を斜め上に持ち上げて流せば何とかなると思ってます。
ハムケツを知らなかったらしいので他にも色々書いてみた。とりあえず有名なやつも書いておいた。
猫
「ごめん寝」土下座をしているように見える可愛い寝方。「すまん寝」とも言う
実は注意も必要
「ねこの開き」アジの開きのようにお腹をだし、あおむけでリラックスしている状態。
「香箱座り」 前足を折りたたむ座り方。即座に動作に移れないのでリラックスしている状態にしかしない。
「そで猫」 洋服の袖に入り込む猫
「ニャンモナイト」アンモナイトのように丸まって眠る。寒くなると現れる。
「つちのこ寝」 「ごめん寝」の進化版。つちのこのように見えることからツチノコ=猫説がある。
「猫ホイホイ」 床にガムテープや紐などで囲いを作るとその中に吸い寄せられる。「猫転送装置」とも言う。
「ねこ吸い」 猫の体に口をつけて息を吸い込むことです。愛情表現の様子。
「キャベツ巻き」 猫がタオルに巻かれている状態。「世界から猫が消えたなら」に登場する猫「キャベツ」のあるシーンから来ている。
犬
「ミジンコ寝」 みじんこのような形で寝ること。
「柴ドリル」柴犬の首振りを連写で撮ると現れる。「小鳥ドリル」もある。
「うさけつ」 うさぎのお尻。
「雪見だいふく」雪見だいふくの入れ物に入れると見分けがつかなくなる。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
私は20代後半の男性、今までの人生における髪型は、小学生低学年の前髪が目にかかるぐらい伸ばしていた以外は、小学生中学年以降ずっとスポーツ刈り。
中学生半ば、高校生にもなれば、もはやそれは坊主へと髪型は固定され20代後半になるまで髪型は変わらず坊主だった。
しかし20代前半辺りから思っている事があった、それは「オールバックを一度でいいからしたい」ただ単純な願望だった。
だが坊主の経験がある者なら分かるかもしれないが、坊主の状態から髪がある程度伸びると髪の先端が耳にかかって、
紙のこよりで『こちょこちょ』されているようで、正直うっとおしく、それが嫌で坊主にしていたので中々髪が伸ばせなかった。
それは25歳になっても続き、気がつけば20代後半に突入していた。私生活の忙しさや、精神的なダウンしていた事により、
洗顔や歯磨きといった基本中の基本の身だしなみを整えるだけで精一杯だった為、気がつけば髪が今まで以上に伸びていた。
髪が伸びている自覚があったものの、やはり散髪する余裕も無いまま、時だけが過ぎていった結果、
小学生低学年時とは言わないまでも久々かと思えるぐらい髪が伸びてしまったので、もうここまできたら伸ばそうと決めた。
それから数ヶ月、髪が小学生低学年時の記録を超えて伸びたのはいいが、実際問題、
私の人生においてそこまで髪が伸びたことがないので『前髪がウザい』『洗顔時に前面の髪がビシャビシャになる』等といった問題に直面した。
母上にアドバイスをいただきヘアバンドなる物を装着してみたが、恥ずかしながら私の頭は割とデカいので、装着したものの『ゴムの元に戻る力で髪の上を滑り、
スポンと抜けてしまう』もしくは『おでこに下がってきてラーメン屋スタイルになる』という新たな問題に直面した。
これには困った、そこでヘアジェル(ハードタイプ)なる物をこれまた母上からいただき、早速塗り慣れない手で櫛を使い七三分けにしてみた。
なるほど、これは便利。この日から私の人生から『ヘアジェルを塗る』という工程が加わった。
そしてまた数ヶ月経ち、伸びた私の髪はついにオールバックにする事が出来た。「自分がオールバックにするとこういう外見になるのか……」と思いつつも、これには満足がいった。
目標も達成したので、もうそろそろ髪を切ろうかなと思っているとそこへとある一言、「どうせ切るなら金髪とか髪染めてみない?」と言う発言。
これには悩んだ。外見とか、日常的には髪を染めてもいい状況かなど、そんな事はどうという事は無い。問題は頭皮へのダメージだ。
幸い、我が家に頭がハゲ上がるような者は一人もいないので高確率でハゲる事はないだろう。
しかし髪を染めるとなれば話は別だ、どれぐらいダメージあるのかと気になり、ある程度調べたりした。
悩んだ結果、「金髪なんて余程似合う人でもない限り、若い内にやっておかないと痛い外見になりかねないから今のうちにやっておくか。もう20代後半だけど。今を逃すとキツそう。」という考えに至り、
出来るだけ頭皮にダメージを与えないタイプの金髪用ブリーチを買い、親に手伝って貰いつつ染めることにした。
染めている間は暇だというのは話には聞いていたが、本当に暇を持て余していた。あまり顔を動かせないのでTVをボーっと見つめている間に終わった。
髪を洗い流し、鏡を見て驚いた。鏡を見て抱いた第一印象は「誰だコイツ」。その一言に尽きた。
その日以来、鏡を見るたびに見慣れない自分の姿が映るので、家でも外出先でも、鏡に映った自分を見てはビクついていた。
それから数日後、季節は真夏。坊主では楽だった髪も長髪では話が違う。
夏は蒸れるわ、蒸れた影響で痒い。季節関わらなくても、ヘアジェル・シャンプー&リンス量使うわ、洗うにも乾かすにも時間が掛かるわで徐々に自分の髪にストレスが溜まってきた。
坊主時代なら、シャンプー&リンスもワンプッシュもいらない半プッシュで済むし、髪はパパッと洗えて、乾いたタオルで拭けばドライヤー要らずだった。正反対過ぎる状況にもはや限界だった。
あぁ、なんという素晴らしき事か、すこぶる気分が清々しい!こんなにも頭が軽いとは!世界は明るいぞ!!
なんて高揚した気分に浸りつつも、カットされた髪を見て「こんなに長かったのか……」と驚いた。そりゃ色々と髪に使うもの量減るのは当然か。
子供の頃は寿司といえば贅沢の極みだったけど、大人になった今となっては回転寿司くらいなら気軽に行けるようになった。
よく行く回転寿司屋は100円~400円のレンジの価格帯で大体1食あたり1500円前後で結構腹がいっぱいになるほど食える。
1食1500円は高いという見方もあるけど、寿司に向かって1週間辛いお仕事を頑張って生きて行くのだから1500円なんて割に合った価格だ。
昼に行っても夜に行っても値段も一定だし、昼から夜まで営業しててそんなに混雑してないし落ち着いててよいな。
鉄火巻き→コハダ→ゲソ→アジ→イカ→(気分ネタ)→コハダ→ゲソ→サラダ軍艦
スタートは鉄火巻きで落ち着いて、その後は光り物とイカを中心にしながら好きなものを食って最後はサラダ軍艦でシメる。
回転寿司屋に通いはじめた頃はサーモンとかトロみたいなパワーヒッターばかり食べてたのだけど、やつらはいかんせんパワーが強過ぎておっさんの胃には辛い。
というわけで改良を重ねた結果があれ。
二人暮らししてたの おかあさんになる前
おしゃれして 時には贅沢して
立派な家族になれるって 夢見てた
今は家計切りつめるわ 子の将来のため
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
脱ぎっぱなしの靴下 拾わないの
あたし おかあさんだから
出してないお弁当箱 探して洗わないの
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
ラブラブだったのよ おかあさんになる前
あなたの好きな服着て 好きなおかずつくって
考えるのは あなたのことばかり
今は服もご飯も 全部子供ばっかり
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
帰りが遅い夜は ため息つくの
あたし おかあさんだから
ゲームに夢中な時は 嫌味を言うの
あたし おかあさんだから
いいおくさんでいようって頑張らないの
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
もしも おかあさんになる前に
戻れたなら もっと話し合うわ
それぜーんぶ しなかったけど
いま、あなたおとうさん
それ全部してなくても
おとうさんになれてよかった?
あなた おとうさんになれてよかった?
あなた おとうさんになれてよかった?
あたし おかあさんになれてよかった
ご贔屓(他ジャンルで言うところの推し)の私設ファンクラブに入り、入り待ちに行き、公演を観て、出待ちに行く。
でも、特定の贔屓を持つヅカオタは、だいたい同じくらい観ていると思う。
夢だ。煌びやかなイルミネーションや、ディズニーのパレードを見ている時と同じ気持ちだと思ってほしい。現実を忘れて、ただうっとりする時間。
なのに終演後、幸せな気持ちで1人帰路につくとき、無性に虚しくなる瞬間がある。
彼女たちは美しい。
美しいだけでめちゃめちゃ偉いのに、加えて努力している。
これは応援する側のスタンスの話でもあるが、宝塚というのはアイドル的要素もあって、舞台自体は完璧じゃないことも多い。
入団1、2年目のド新人が抜擢されて、大きな役を演じることも多々ある。なんだこいつは!?とズッコケることもある。
それも含めて宝塚。我々は完璧な舞台を求めているわけではなく、成長していく彼女たちを観に行っている。私たちが応援して支えるんだ!というファン心理を上手くついたビジネスである。実際、入り出待ちに数人しかいないような日は、私が支えているんだという気持ちになってくる。
夢を追って、もしくは夢を叶えてキラキラしている。常に上を目指して努力している。大勢のお客に作り上げたものを披露し、大きな拍手を貰っている。
勿論、表に見せない様々な悩みや困難はあるだろう。でもその困難に向かって頑張っていること自体が、私にはひどく眩しい。彼女達はいろんな経験をして、ひとつひとつ積み上げて、成長していく。
私には何もない。
私のような虫けらがフェアリーと肩を並べようなどと考えたことはないが、ときどき無性にそう思う。
宝塚が私にくれるのはひとときの夢であって、私の人生ではない。
でもそこまでの情熱が、どうしても持てない。なぜか。1番やりたいことではないからだ。
私にもかつて夢があったが、20歳そこそこで無理だと気がついた。このまま続けても、恐らくバイト暮らしの夢追い人になる。夢を叶えるには才能が必要で、どう足掻こうと無いものは無い。それを得るだけの果てしない努力も、人生を投げ打ってまでやり切れる自信がなかった。
私は全てを諦めた。
そして就職した。
ここで宝塚とは縁もゆかりもない、むしろ一番かけ離れた漫画の話をぶっ込みたい。
「最強伝説黒沢」という漫画をご存知だろうか。かの有名なギャンブル漫画「カイジ」の作者、福本先生の漫画である。
中年の冴えない土木作業員の日常を、独特の台詞回しで哀愁たっぷりに描いた名作だ。
だいぶ前に読んだきりだったが、第1話の冒頭に忘れられない台詞があったので、調べ直した。
主人公・黒沢が、仲間たちとテレビでサッカーW杯の中継を見ている場面。黒沢は日本の勝利に歓喜し涙するが、一方で彼のモノローグは以下である。
「感動などないっ…!
オレが求めているのは……
オレの鼓動… オレの歓喜 オレの咆哮
オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ…!
どんなに大がかりでも、あれは他人事だ…!
いつまで続けるつもりなんだ…?こんな事を…!」
今になって、あぁこれだなぁ、と思った。
私の感動ではない。
証拠に、近い将来贔屓が退団した時に、私の手元には何が残るだろうか。
ところで、宝塚歌劇団に入るには、宝塚音楽学校を卒業しなければならない。
そこで振るい落とされた女の子は、今何をしているんだろう?
新しい夢を見つけられただろうか。
黒沢はどうしたんだったっけ?
みんなのお弁当にアジフライを詰めて、モコッとさせていたことは覚えている。
私も、私だけの感動があればいいのに。
ドチクショウ。
国府津を出たときは、車両には俺1人、どころか、もはや15両編成に俺1人かと思うぐらいに人が乗っていなかった。
始発から1日中歩き回り、そして先程、小田原で食べたアジフライ定食による満腹感により、俺は眠りに落ちる寸前だった。
端の車両のボックスシートを占領して窓際に座り、大きなリュックサックは通路側の席に置いた。
もちろん、他に乗客なんていないんだから占領しているのはボックシートというよりこの車両のようなものだった。
そうして、ほとんど乗車率は変わらないまま、平塚あたりを過ぎ、俺は眠りに落ちた。
起きたら新宿だった。
車内は空席が8割ほど埋まるぐらい、混雑していた。
いつの間にこんなに乗ってきたんだ、という感想がまず思い浮かんだ。
しかし。
しかも、俺のリュックサックの代わりに、見知らぬおばさんが澄ました顔で座っている。
誰だこのおばさんは。
すると、眠りから覚めた俺に気付いたのか、おばさんはこっちを向いて、どこからか俺のリュックサックを無造作にドスンと音を立てて床に置いた。
俺は咄嗟に「ごめんなさい」と謝り、床に置かれたリュックサックを受け取った。
いやまて。
なぜこのおばさんが俺のリュックサックを持っているんだ。
最初は寝起きで何がなんだかわからず、罪悪感を感じ居心地が悪かったが、頭が覚醒するとともに不愉快な気持ちになった。
おそらく。
だからおばさんは、その邪魔なリュックサックを通路側の床にどかし、そうして空いた俺の隣のボックスシートに座った。
まず、なぜ俺の隣に座ったのか。一応、空いてるボックスシートは他にもちらほら確認できた。どれも相席だったが、それは俺の隣の席も同じことだ。
さらに、寝ている俺の隣の席に座りたかったのであれば、肩を叩くか何かして、俺を起こせばいいのではないか。
車内が混雑してきたら、リュックサックを網棚に乗せるか、胸に抱えるかするぐらいの常識を、この男は持ち合わせていないから、そもそも話しかけることすら無意味であるとでも思ったのか。心外だ。
根本に、勝手に人の荷物を勝手に移動し床に置くという非常識な行動をするか。
いつのまにか眠りに落ちて、車内の状況を把握できずに、1人で座席を2つ使っているという俺にも、過失はないとは言い切れない。それは間違いない。
ネットでポケ森つまらない、という意見を見て私もその通りだと思うし、面白いって言ってるヤツのほうが理解できないが、せやかてレベル30くらいまで来ているので結構やっている方だと思う。このゲームに馴れ合いやスローライフを求めたらダメ。それじゃレベル25くらいで行き詰まる。このゲームは、調達と在庫管理と流通をいかにうまくやるか、そこを試されるゲームなのだ。
定期的に起動する
↓
マップから各地のどうぶつが求めているブツを把握(マップからキャンプ場のやつらが求めているブツも把握できるゾ)
↓
巡回しながらブツを集めて配給(足りなければフレンドのバザーを巡回して配給)
↓
余ったブツをバザーに出す
↓
終わっているクラフトを回収
↓
どうぶつリスト見て、呼べそうなどうぶつが求めている家具で、発注できる家具をクラフト発注
↓
あとはデイリーチャレンジできるならこなして、鉱山行けるならいく。
こんな感じじゃないだろうか。
上級者になるために重要なのは調達と在庫管理そして、流通といった。どういうことか説明しよう。
果物はどの木が何本あって、次に実が成るまでどのくらいか計算できる。そして、果物は地面に落とすだけ落としておけ回収せず放置しておけば、りんご等なら木1つに対して最大6個、自分のもちものスペースを埋めずにストックできるわけだ。
一方魚や虫はランダム?だ。出るかでないか分からない。(上級者になると、釣る前にアジかイカかヒラメか見分けられる。タイは難しい)魚や虫の管理が難しい。需要と供給が合わないことがある。
そこでバザーでの流通が重要になってくる。とりあえず取れるだけ取って、余剰分を安価でバザーに出す。3-4つセットくらいで売るのが望ましい。そういう人がフレンドにいれば、お互い必要なものをここで流通させて調整できるのだ。
自分の在庫管理は、もちものに果物は4つくらい残してあとは落としておく、魚や虫は6を越えたら売る、という方針で回している。カブトムシとかはバザーで売れにくいので直売することもある。
以上をいかに効率よく回していくか、それがこのゲームの楽しみ方なのだ。リーフチケットを使ってもちもの拡張すると、難易度は下がるかもしれない。
なお、これ以外にも、どうぶつは誰がどのアイテムをくれて、誰をキャンプ場に置くか、それでいかにクラフトを効率よく回すか、という改善の話もあるが、疲れたので省略する。ふわふわのもとなど足りなくなりやすいので、うまく集めることが必要だ。
ポケ森ではできることは限られていてどうぶつたちとのイベントも限られているので、スローライフを楽しみたい普通の人がこの作業の中に楽しみを見出すとしたら、新しいどうぶつとの出会い、そしてキャンプ場や車、服装をいじることだと思う。
しかし、レベルが上がると、なかなか次のレベルには上がれずどうぶつはマンネリ化、新キャラ出てきてもまたうさぎみたいなやつかよ、となるし、クラフトに必要な材料が増えていって、なかなか上記のようなサイクルでクラフトがまわせないのだ。
なので、上記のことを考えると、新しい楽しみ方ができるんじゃないかと思う。
1つ目。この遊び方をするとストレスになるのがバザーまわりのめんどくささだ。とはいえフレンドリストから発注させてしまうと、フレンドのキャンプ場にいく、そこで交流する、ということがなくなってしまうので、デザイン上しょうがないのは理解する。
なので、そこのロードを高速化して欲しい。どうぶつがのんびりしゃべってるのはゲームデザインとして許せるのだが、移動などがもたもたするのはダメだ。フレンドのキャンプ場にさくっといけてサクッとバザーが見られるようになれば、もっとフレンドとの交流がでると思う。
2つ目。鉱山がいまいちすぎる。わざわざ友だち集めていって、貰えるのが普通のアイテムだし、手伝ってももらえるのが10ベルか100ベル。たまにはキーのもと30個、とか貰えないとあまりやる意味を見いだせない。
以上です。
すきなどうぶつはボルトくんです。
このブログは色々なズレを感じた。
希望の党に排除された旧民進のリベラル勢力というイメージだった枝野立憲民主党に弁士小林よしのりという取り合わせはそれ自体事件だった。
さらには「小林よしのりが何を言うか」という素朴な興味が群集を新宿に参集させた。
そして新宿東南口のアジ演説は薬害エイズ事件の際に厚生省を取り囲んだ時はこんな感じだったんだろうなあと想起させるほど迫力あるものだった。
小林よしのりは安倍政権に真に怒ってる、そしてそれを伝えるアジテーション能力がある。
「わりに無批判に小林よしのりを受け入れる立憲民主党支持者は、若い人が多い」わりに「若い人は小林よしのりなんて知らない」というのも当たっているのかどうか。
「田舎町の高校だったからなのかは知らないが、たまたまクラスで数年遅れで流行った」そうだが、今も『戦争論』が出版から約20年経とうとしているのに増版・増刷を重ねている事実を知っているだろうか。
ゴー宣シリーズ自体も出版社を変え今は文庫化されているはずだ。
このことは出版不況の現在においてさえ新規読者が参入していることを意味している。
今だバリバリのインフルエンサー、アジテーターとして機能している。
グローバリズムと安倍政権の軋みの中でそれとは違った方向性のナショナリズムを訴える小林よしのりの年来の言説がわりあい素直に受け入れられているのではないだろうか。
小林よしのり本人の批判も大いにすればいいと思うが、そのことが世代間闘争や立憲民主党の評価に直結するなんてことは考えにくい。
西田氏のツイートもTLに上がっていたので見たことは見たが、この日記投稿で「官能小説家」だということを初めて知ったくらいだ。
小林よしのりの評価を巡るSNSでの世代間バッシングなどはたとえあったとしても若い世代に何がしかの影響をもたらすだろうか、と首をかしげてしまう。