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2022-04-25

買ってきてほしいお土産

GWに旅をするならこれ買ってきて。回り回って会社の人に届けこの思い。

1位 雷鳥の里 信州おみやげ上品でウマイ。

2位 ままどおる 福島おみやげしっとりしててウマイ。

3位 博多通りもん 博多おみやげままどおるにも似ていてミルキーでウマイ。

これはいらない系

じゃがりことか市販お菓子限定フレーバーじゃがりこ大阪たこ焼き味とか。

遊びに行く人よろしく~。

嵐の前の静けさ

暴落来年GWで遊びになんて行けなくなる前に、海外行ける奴は行ってこいよ。

暴落後は税金が大きく上がるしな。

2022-04-24

[]4月24日

ご飯

朝:きゅうり。昼:きゅうり。とまと。夜:きゅうりトマトネギ山盛り納豆たまごかけご飯豚汁

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

散髪してきた。散髪すごい苦手なので、先週の残業量と相まってMPが擦り切れそう。

疲れたので横になってじっとしてる。来週もギリギリ日付が変わる前までに帰れる感じなので……

GW…… 休めないだろうなあ……

グランブルーファンタジー

お仕事忙しくて遊べてないけど継続して遊びたい気持ちはまだまだあるので、光召喚石スタレに課金

見事、メタトロン3凸目を引き当て金剛なしに完凸。

これで天司石の進捗は、風と光が4凸、火が2凸、水と土と闇が無凸。

金剛使用でこれは継続は力なりだなあ。

というか、金剛在庫が今9個だから、あと一個入手すれば天司石(ハーマー除く)コンプできるじゃん。やば。

anond:20220424051115

ワイはGW有休とって10連休にしたら上司に「海外行くんか」とか決めつけられたやで

2022-04-23

GW10連休何すればいいの?

何もやることなくて植物人間なっちまいそうだ。

2022-04-22

どっちにしよう

もうすぐGWじゃん。フェリー乗って1週間くらいバイクツーリングしてくる予定なんだけどさ

ちょっと早めに休みはいるわけ。具体的には27日から12連休

職業がらどこにいても仕事ができちゃうIT土方なのですが、ツーリングのお供には

・AmazonFireをカスタマイズした激安タブレット、私用、漫画閲覧可能、ややもっさり

会社から支給されたiPad仕事対応可能サクサク動く、ゲーム利用もOK

のどっちを持っていくべきか。

休みなのに支給端末かよと思うけどWeb系なのでトラブったら即対応なわけ。

スマホじゃMTGできても資料コード読めないし。うーん、やはりiPadかなあ。

身軽になる旅

毎年そうなんだけど3月くらいで忙しくなってきて気がついたらもうGWなんだわ

コロナのこともあったけどそれがなくてもいつもGWの過ごし方ってブレまくる

プラン立てるの苦手ってのもあるけど、コロナの前はだいたいいつも2~3泊で適当に知らない土地行って飛び込みで宿探したりしながらだらだら過ごしてた

こういう過ごし方もありよねって話なんですけど、似たようなことする人けっこういるんじゃないかとも思ってる

いつだったか特に目的なくたまにビジネスホテルに泊まるって人の話を見かけた記憶があるんだけど、それと近いかもしれない

まず前提としてこれはぼっち向きの話です

一緒に過ごす相手がいる場合はさぼらずサービスしましょうね

で、ぼっちな俺の過ごし方ですが

まず人が多そうなとこ避けるんでただの地方の町とか。GWに人が来るとこじゃなくて人が減ってるとこをなるべく狙います

本当は人口少なめの小さな島なんか一番いいけどわりと人はそこそこいるんだよな

あとそういうとこはちょっと景色が良すぎるかもしれない

GoogleMapで適当に気になる場所とかでもいい

とにかくまだ行ったことなくて、二度は行かないかもなってところに行く

ビジネスホテルや安宿って意外とそんなとこでもしっかり埋まってたりする

まあでもそれもうろうろしてたらなんとかなったりする

最悪移動してしまえばいいし

車でもいいんだけど、実際車でも何回かやってるんだけど

車だとねちょっと自由度が高くなりすぎる

ほんとに好きなとこ行けちゃうし最悪車内泊できたりするしね

自分場合そこまでいくと楽すぎてだめだった

それで思い出したけど一応身だしなみだけは気をつけるようにしている

最初のころ適当普段着で行って怪しいやつがいるって感じでかなり警戒とかされた

何冊か途中になってる文庫本数冊とカメラに軽い着替え

そんくらいの荷物で無計画電車に乗る

だいたい途中で思うんだわ「なにやってるんだ俺」って

カメラ持ってっても別に撮るもんなかったりして

宿で時間持て余してスマホネットみちゃったりして家と変わってねえとか

それで帰りとかけっこう虚しくなったりもする

寂しい気持ちになったり

帰ってから特にに充実感とか元気出てるとか別にないの

でもそんなことをね、何年か経ってからふいに思い出したりするんですよ

で、その時妙な安心感みたいな、ホッとするんだよね

あんとき一人で知らんとこ行って泊まって帰ったなあっていうだけの思い出

景色ぼんやりした感じでしか思い出せない

泊まった部屋の冷蔵庫まり冷えなかったなとかそういうのはやけに覚えてるけど

まあ夕焼けけっこうきれいだったなくらいはあるかもしれない

家族彼女と一緒に旅行いって、あのときしかったなあ的な思い出とは全然種類が違う

ちょっと笑える感じもあるし、うまく言えないけどそれは嘘じゃないって思うんだよね

そしてそれを思い出すと日々の積み重なるしんどさみたいなのを軽くしてくれる

なんでかはよくわからない

理屈で言えばそんな寂しいこと繰り返してるの?とも思ったりするし、そう言われてもそうなんだよねとしか言えない

でも理屈より先に気持ちが安らぐ


から別にそんなどっか行きたいと思わんなーと思っててもとりあえず行くんです

人生で今まで何回かかなり落ちたことあって

仕事なくしたりちょっとシビア病気になったり大事な人なくしたりとか

そういう時になぜかこういった旅のことを思い出すんだよ

なんにもなくなっちゃったって気分と重なるのかも

小説好きな人なんかからよく本を開けばそこはもう違う世界とか聞くけど

俺にとってはそれはあまりなくて

それより頭の中がどうであれ、とにかく体をいつもと違う場所に連れて行ってしま

これがいちばん実感として心を軽くしてくれる

GWなにする?※追記あり

俺は家族コロナ陽性中なのでこのまま大人しくネットフリックス見たり、オンライン英会話したりと自宅でゴロゴロ過ごす予定。

元気だったら琵琶湖家族旅行に行く予定だったんだよおおお

追記4/23

もれなくコロナ陽性になりました

濃厚接触者の隔離意味があるぞ…

2022-04-21

ぼうけんのたび

普段MacしかもiMac27/MBP13/mac miniの3台でプライベート仕事回してるんだけど、

2-3年前にベアボーンWindowsPC組んだやつが余ってる。Ryzen5 2400Gだったか。RAM16Gあるしライトゲーならいけるか。

しくじり先生FF14の回をみて、あら面白そう!って流れでベンチマークまわしたらフルHD

スコア4000ちょい、普通、って評価なので解像度落とせばFF14できるんじゃね、と。

目の前に迫るGW、これは旅に出るべきか、いやいやその低スペックでやるんじゃねーよ、なのか。

FF14っていまから初めて良いの?

anond:20220421192100

いったいどうすればコロナにかかるの?ってくらい俺の周りで陽性の話聞かない

もちろん田舎者だけど、住んでるとこの新規感染者数は相変わらず多い

症状が出なかっただけでとっくにかかってる気もするし、もしそうなら警戒するとか馬鹿馬鹿しい

からGWはお出かけするし、県民割は毎週使う予定

今週末に草刈りするかGWまで放置するか悩む

2022-04-20

Chim↑Pomのいう多様性って約束事を破っても許される自由ってこと?

4/19、16時少し前、Chim↑PomTwitterhttps://twitter.com/chimpomworks/status/1516309905828810753/photo/1)で改名のお知らせが出ていた。

まず、内容をざっとまとめよう。

Chim↑Pomは”際どい社会人である“間違ってもただの「健全」なグループだと勘違い”してはいけないグループだと自称している現代アーティスト

Chim↑Pom現在森美術館個展を2月から5月末まで開催中(開催真っ只中!)

・会場準備の設営費の一部に協賛金が必要になっていた(1000万円ほど)

・そんな協賛金のうち、Smappa!Group接客を伴う水商売ホストなど)の会社であり、Chim↑Pomと数々の協働もしてきている会社Chim↑Pomの一人であるエリイ」の夫が会長を務める会社でもある。)の金額のみ森美術館受理していない

受理していない理由は「六本木ヒルズという『まちづくり』における『ブランディング』」「森美術館ヒルズという『文化都市』の顔である」と森美術館は言っている

これに対してChim↑Pomは、

受理しないことは、”アートによる「多様性」と取るか「『多様性』の搾取」と取るかは、議論必要である

受理しないことは、クリエイティブ産業が街から「猥雑」なものを十把一絡げに職業属性により排除する「旧来のジェントリフィケーション」の典型だとも捉えている

社会全体、そして、特に多様性をうたう森美術館が”実態としては公共性よりもブランディングを優先し、いざ自身問題として直面すると排除する、という常套手段がまかり通ることに対しての違和感をここに強く示す”

そもそも、「スーパーラットポケモンピカチュウを模して渋谷の街で捕まえたネズミ黄色く、頬は赤くしたもの)」の美術館内での展示ができず、美術館内ではなく共同プロジェクトスペース内での展示という落としどころになっていたことも”「表現の自由」に議論余地ができた”ことだったから、水面下の交渉限界を感じ、発表した

・同時開催で別のイベントもするから遊びに来てね

でもって、森美術館

・全媒体広告物の「Chim↑Pom」の名前を「Chim↑Pom from Smappa!Group」に変更して今後は使用する(使用開始の期限はGW明け5/15)

・Smappa!Groupの協賛金受け取りとロゴ掲載検討

の2つを誠意を持って対応しろ

という感じだろうか。

改名、いいじゃないの、したらいい。意志表示、どんどんしたらいい。

でも、いくつかの点で、この声明文に物申したい。

おっと、その前に。まず、増田当事者でもないし森美術館および森ビル関係者でもChim↑Pomファンでもない。

そのため、すべてのことは想像しかなく、中には事実と反することもあるだろう。

それを踏まえて、聞いてもらいたい。

①”多様性””公共””ブランディングを優先””ジェントリフィケーション

キャッチーで、そうそう、そうなんだよ、反体制スピリット!と、どこかアナーキーアーティスト性に酔いしれたいファン応援したくなる巧みな言葉遣いうまい、うますぎる

⇒だけど、待って。多様性って「いつでも全てを無条件ですべてを認める」ということなのだろうか。幼稚園ロリコンの成人が混ざりたいといっても、幼稚園には幼稚園対象があり断られるように、NHK企業名を出さないように、R18のゾーニングをすることのように、男湯と女湯を分けることのように、さまざまな無条件ではない場合にも、そこに多様性がないわけではない。多様性とは、で調べると、「幅広く性質の異なる群が存在すること。」とある。そうだと思う。『群』だと思う。その『群』を否定してはいけないが、その『群』が完全に混ざり合う必要はないのでは。だから多様性の一つの解釈に「いたずらに何かを排除してはいけない」があるといえるだろう。今回は「排除」しているのかもしれないが「いたずらに」ではない。そもそも、”公共”の要素を持っているからといって、森美術館は『株式会社』だ。”ブランディングを優先”そりゃそうだ。株式会社だ。権威であろうと、体制であろうと、そこには日々の生活と日々の業務があり、誰かにとっての、そして企業にとっての小さな信頼と伝統を積み重ねてきた「商いの形」がある。そんな「商い」の中で、交渉をし、契約を結び、落としどころを見つけながら話していることは、「いたずらに」ではないのではないか。そこには企業としての意思がある。

ジェントリフィケーション、その通り。『都市開発』では『都市』を『開発』するのだから、そりゃあジェントリフィケーションが起きる。でも、それとこれとは別の話ではないか接客を伴う水商売を悪いものとしているわけでも否定しているわけでもなく、ただ「うちとは合わないよね」といっている話に、たいそうにジェントリフィケーションを持ち出されても、森美術館の言う通り「ブランディング」の内側の話を拡大解釈しすぎではないだろうか。

約束ってそんな簡単に破ってもいいの?

改めて、会期中、しかも会期残り2週間のためにすべてを修正しろっていうのは担当者のことを考えると辛すぎる

アートと商いは相性が悪いという話は、アートと商いがとっても相性がいいという話と同じくらいよく見受けられる。アートの中で、資本主義は時に否定され、時に資本主義と共に大きく幅を利かせている。

⇒会期残り2週間のために用意しているあらゆる媒体資料広報資料名前を『物理的に(印刷など)』修正し、デジタルであっても『修正依頼を(人力で)』ひとつずつかけて、すでに用意していた様々な資料もすべてをやりなおす。だれがその資金を工面するのだろうか。森美術館がするのか?商いを馬鹿にしすぎている。契約という約束事が軽すぎないか

⇒人気も出てきた、会期も真ん中、なぜいま発表をする?別で準備しているイベントがまとまったからか?なんなんだ?Chim↑PomChim↑Pom契約同意し、うまみがあったり意義があったり面白味があったりいろいろな理由を超えて「森美術館でやりたい」と同意たから、会期が始まっているのに、なぜ、今なのだ?そんなに不快なら仕事を受けなければよかったのかもしれない。始まる前に話し合ったり声明文を出すのも手だったかもしれない。でも、今、すでに始まった中で後から手を翻し、ずっと怒っていたと一方的にきざな言葉で並べ立てるのは、いささか「商いを馬鹿にしすぎている」としか思えない。ひとりひとりのお客さまからお金をいただいて、ひとつひとつ企業さまからお金をいただいて、誰かのお金になるように、経済を回すこと、生活すること、権力だろうと権威だろうと体制だろうと、そこには人がいるし、そこには道理があるのではないだろうか。強者に対してなら何をしてもいいとでも思っているのだろうか?

そもそも、会場設営費の1000万円って・・・

⇒会場に行った方なら体感できるだろうし、行っていなくても写真を見たらわかるだろうが、今回の展示、かなりアグレッシブな展示方法も展示手法も含まれている。これは予算が…これは消防法…設営の順番大変そう…いろいろな制約を乗り越えられるよう、ひとつひとつアーティストと館の間を取り持ち、掛け合いながら進んだのではないか、と感じさせる会場だ。

⇒1000万円、通常の展示ではないことをたくさんする(=森美術館としては、新しさのあることにしたい&今までのChim↑Pom活動をそのまま紹介できるようにしたい)という意志もあって、「会社的にはこれ以上の設営費の負担ができないので、その形での展示は出来ないのですが、設営費をいただけたら、なんとか…」という落としどころをもって話した結果だったりはしないのだろうか。

⇒そのうえで、「受理していない」場合は、その「不足額」は誰が払っているのだろうか、「その協賛金を受け取れないのは森美術館側の話だから、その不足分は森美術館で持ちます、だからすみません」そんなやりとりがあったのではないだろうか。スーパーラットの展示を美術館内で出来ないと判断されても、展示の流れに組み込みたいという思いで共同プロジェクトスペースに設置しているのを思うと、ついついそんなことを想像してしまう。

物事多面的で、憶測でモノを申している立場で本当に申し訳ないが、

やっぱりこの声明文でChim↑Pom評価されていることに納得がいかない。

きざな言葉を並べて、弱いふりをすれば、もしくは本当に弱者立場であるからといって「弱さを盾にすれば、権威のことを後ろから殴ってもいい」そんなわけがないと自分は思う。

2022-04-17

常連

GWソロツーリングにいこうと思って準備のためにバイク用品店にいってきた。

店員在庫あるか聞きたくてレジのとこまで行ったら、50すぎてるっぽいおっさん2人が

店員雑談してる。まーすぐ終わるだろ、と思ったら終わらないの。10分以上。

やれ血圧がーとか塩分がーとか。スタッフのことを「〜さん」って呼んでたので常連なんだろう。

バイク屋ならまだしも、洋品店ですら常連蔓延ってコレか。

Amazon流れるわけだ。

2022-04-11

好きな人からの「GW暇ですか?」だけで幸せからもうこれだけでいいわ

2022-04-08

GWの予定

何も考えてなかった。

ロシアに行きたかったがもう無理だ。

ていうか海外行ったら隔離期間だけで終わりそう。

10人の部署で3人辞めて補充なし

なかなかの所業だな…と思ってたら、また1人、今度は休職するらしい

残り6人のうち先輩4人は出社したくない・在宅がいいって会社出てこないから、在宅したいけど1番下っ端だし…って毎日出社してくれてた一つ下の後輩

出社してこない先輩の出社しないとできない雑務自分仕事退職者でて増えた負担でいっぱいいっぱいのとこに在宅してるメンバーが「大した仕事してるわけでもないのに毎日忙しいアピール乙w」みたいなことをチームチャット誤爆したらしい

泣きながら「自分まで休んでまた負担増えて申し訳ない」って今日挨拶に来て休みに入ったけど、なんか自分ももっと面倒見てあげられたらよかったな…って罪悪感とか、自宅で悠々とクソみてえなチャット投げてる先輩への嫌悪感とかで自分病みそう

もうこんな職場見限った方がいいんじゃ…って気持ちと、この世情でまともな求人奪い合えるほどのスキルも気力も無いしな…って気持ちではやくGW来ないかな…ってずっと現実逃避してるわ 

プライム市場企業になりました〜!なんて華々しい社内報見ても、会社全体で見たらそうかもしれんけど自分現場がこんな調子なら先は怪しいし、他の企業も今よりマシな保証もないし

5000兆円あったらな〜〜〜辞めるのにな〜〜〜

お前ら聞いてくれよ

今年のGWさ!なんとなんと12連休取得したんだよ!

半分はソロツーリング九州行くんだよ!フェリー旅なんだよ!

奥さん子供実家帰省するってさ!お小遣い渡すよ!

もうテンション上がって仕方ない!うっひゃー!

2022-04-06

GW献血予約した

半年献血禁止だったから、行くの久しぶりだなー

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

 Permalink | 記事への反応(0) | 23:43

マスク

マスクとかウレタンマスクをみると

上京したばかりかなって思う

清潔感以前に衛生感がマイナスなので

GWの頃にはぼっちになってると思う

2022-03-29

今年の連休はさ

ここ数年コロナ騒動GWは満足にツーリングできてない。

今年は心の洗濯としてツーリングにいきたいと思ってる。当方神奈川在住。

数年前に行った北海道は感動しっぱなし、道民おっさんに「道東行かねえやつはモグリだ」と言われ、道東にいきたい。

横須賀から九州まで直通フェリーが就航したので九州ツーリングも熱い。

四国は数回フェリーで行ってるが、何度行っても美味しいうどん、そしてカルスト

オクサマの実家がある信州メジャー道路もあるのでツーリングには最適。

東北も捨てがたい。仙台から青森秋田山形をぐるっと一周も捨てがたい。

うーん、悩むなあ。どこがいいと思う?ちなみに5泊くらいのツーリングを想定してる。

金に糸目はつけないよ。

2022-03-27

GWまで休みがない😔

GW10連休開けの仕事きつそうだな😔

2022-02-12

実家子供を連れてく話で大揉めした件

30歳男だけど半年前に子供が産まれた。

嫁は出産育児休業を取得してもらってるがTwitterのマタアカさん(笑)情報育児書の内容よりも信頼できると言い張る情報取捨選択の出来ない残念なママになってしまった。

俺も産後1ヶ月は育休を取り、その後も平日定時で帰れた時は沐浴をしたり、出社前は子供の面倒をみる、土日は夜間も含めミルク飲ませたり、おむつ交換などできる限りの育児はしたが嫁の中では認められないようで

ワンオペ育児ガー!ワンオペ育児ガー!と延々と文句を言い続け、所謂産後クライシスに陥ってる。

ワンオペ育児って片親で育てているけど実家頼れないとかそんな人を指すと思うのだが。

そんな中、コロナ地元に帰れてないことから今年のGW自家用車帰省しようと言う話になった。

お互いの実家は近い(徒歩15分程度)ので休み中は私の実家と嫁の実家と交代で子供見ると言う提案をしたが、嫁の実家でずっと預かりたいと。

どうやら姑に子の世話をさせるのが嫌とのこと。

私の実家の両親にも孫に合わせてやって欲しいのだが、とお願いすると嫁が「ミルク飲ませてから昼寝するまでの間で30分くらいなら私が連れてくから、合わせてあげても良いけど?」との事。

なぜそんな短い時間なのか、と問うたところ、「普段、昼間世話してるのは私(嫁)だし、産んだのは私(嫁)なんだから実家で世話するのが当然だし、義両親とはいえ自分にとって知らない人には任せられない」

正直、自分の子供なのになぜ私の実家には「合わせてあげてもいい」などと言う謂れをしないといけないのか分からなかったし、今まで自分育児をしてきたのにワンオペワンオペと騒がれてたのもあって妻に対して「産んだのは貴女と言うのはわかっているが、私にとっても大切な子供であり、うちの両親も孫に会うのを楽しみにしている。なのにちょっと合わせてはい終わりってのはあんまりじゃ無いか、1日預けさせてとかは言わないがもう少し時間をとらせてくれ」と言ったがどうも納得いく様子ではなかった。

また、後で知った事だが嫁は子供と嫁母とGW旅行するための宿も予約してた模様。

普段コロナが怖いからと仕事終わりの私に対して

玄関先での着替えを強要してきたり、知人と会うのも控えるようにしてきたのに自分はいいのか…と不信感が増している。

子供って産んだ母親のもので、父親実家に連れてくってのはワガママものだろうか?

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