はてなキーワード: 8月15日とは
「週刊文春」(2013年10月17日号)でCHAGE&ASKAのASKAは「シャブアス」騒動の顛末について語っている。
私がこれから書きたいことは、これまでの騒動の経過も含めて、この一連の騒動について客観的にどう理解すればよいのか、ということ一点に絞られている。それゆえ、既存の情報以上のハナシは一切存在しない。
まずはことの経過をまとめよう。
事件の前哨をなったのは、7月24日の「東スポ」であった。「超大物シンガー深刻な薬物中毒」という見出しをつけ、「超大物シンガーXの名前を公表すれば、日本中が大ショックを受ける」というスクープを掲載したことであった。そこには、そのシンガーのものと思われるシルエットも載せられ、2ちゃんねるをはじめとし、麻薬中毒とされた「超大物シンガーX」とは誰か、とおおいに波紋を呼んだ。しかし、宇宙人やツチノコの存在までも「発見」し、「スクープ」にしてしまうこの三流紙には、誰かを犠牲者にして盛り上がりたいという品性のものや、冷やかし半分の野次馬根性の持ち主しか、まともには反応しなかったであろう。
事件が大きく進展したのは、8月1日発売の「週刊文春」(2013年8月8日号)によってである。「シャブ&飛鳥の衝撃 飛鳥涼は「覚せい剤吸引ビデオ」で暴力団に脅されていた!」というあまりに衝撃的な見出しとともに、ASKAが暴力団から覚醒剤を手に入れ、それに完全に依存し、またその吸っている姿が盗撮され、その盗撮ビデオをもとに脅迫をうけているといった話が、圧倒的なリアリティをもって、書かれた。そこではまた、文春記者のインタビューに答えるASKAもあたかも中毒によって精神不安定であるかのように、揶揄的に誇張された姿で描写されていた。その記事は「Yahoo!Japan」や「MSN」のトップニュースにも載せられ、日本全国に「シャブ&飛鳥」というイメージが伝播された。
CHAGE&ASKAの事務所は、即日、その記事について、「事実に反しており、大変遺憾です。弊社としてはこれらの報道に対し、厳重に抗議いたします((なお、2013/10/9現在この事務所コメントは削除されている。))」と、これを否定した。
後追い記事もでた。東スポ((8月2日・3日・4日・5日・6日))やフラッシュ((「FLASH」(8/20・27号)・8/6(火)発売))がそれだが、それについてはまともに相手にする人は少なく((後者に関しては内容がそれ自体としてあまりに齟齬のあるオソマツなものであった。))、それは今のところは脇に置いておこう。
むしろファンたちに打撃を与えたのは当の事務所コメントであった。というのも、完全に事実に反しているのであれば、名誉棄損で訴えてもよいレベルの記事を書かれているのに、「厳重に抗議」だけで済まそうとしているからだった。さらに、ASKAが直接メディアに姿をあわらし、たとえば記者会見などをするなど、本人からの釈明がないことが、結果的にはさらなる不信感を募らせ、疑惑を深めることになった。
そこにあらわれたのがASKAの友人であるNAOMIのブログである。NAOMIは、ASKAとメールや電話などでコンタクトをとれる状態にあること、さらに「北海道時代に反社会的な友人など一人もいない」とASKAが述べ、ASKA自身はいたって普通の生活を送っていることを発信した。ファンクラブからまず発信されないことに憤りを感じるファンも少なからずいただろうが、しかしNAOMIの言葉はASKAが無実であることを信じるファンにとっては喜ばしいものであっただろう。
8月7月発売の「週刊文春」(2013年8月15日・22日 夏の特大号)では、スクープの第二弾を読んだものの、新しい情報や決定的な情報はほとんど存在しない、いわば前回のスクープの焼き増しのような内容であった。唯一見るべき内容といえば、チャゲアスサイドは事務所コメントに反して「抗議」などを全く行っていなかった、ということだった。
チャゲアスサイドのあまりに弱腰な対応に、ファンたちは、ASKAの無実を信じたい気持ちを持ちたいと思っただろう。「信じたい気持ちを持ちたいと思った」というこの言い回しは、しかしながら、維持されるべきものであるとおもう。ファンたちもまた心から何の疑惑ももつことなしに信じることが難しくなっていたのである。
膠着状態は長く続いた。twitterやblogを頻繁に更新していたChageも、ぱったりと更新をやめてしまっていた((しかし、8月25日にはBlogを更新した。鳩の飛ぶ様子を写したその写真は、ASKAの歌った「廃墟の鳩」をあらわし、「人は誰も悪いことを覚えすぎた」という冒頭の歌詞を示唆している、と推測する記事も出たが、むしろこれは「飛ぶ鳥=飛鳥」ということで、ASKAのことを暗示しているに過ぎないのではないか?))。8月中ごろから9月下旬まで、決定的な証拠がでてくることもなく、また無実の証明((だが、それにしても、なべて、無実の証明などどのようにして可能なのだろう!))になるものもなく、疑惑のみが独り歩きをしていた。
ASKAからの直接の否定コメントがでたのは、9月27日のことである。そこで語られたことは、「記事にあるような、違法なことは一切やっていない」ということ、「音楽関係者といって近づいてきた人」と金銭トラブルに巻き込まれていたこと、これが最も大きなものである。
9月27日に発表したのは、ファンクラブ会報発行の時期に併せてのことであろうが、この対応の遅さに「シャブ抜き」をしていたのではないかと訝しむものもあり、後味のわるい終結ではあるものの、これで、一応事件は終結するもののように思われた。しかし、10月9日発売の「週刊文春」(2013年10月17日号)で、事件の全貌についてASKAは告白することになる。
「週刊文春」(2013年10月17日号)によれば、文春記者を呼んだのはASKAだった、「男と男の話し合いをしたい」。
・「覚せい剤を売ってた」とされる山本が北海道時代の同級生というのは間違い。山本は北海道で仲間と飲んでる時に知り合った人。
・覚せい剤をふくめ、非合法とされる薬物を使用したことは生涯を通じて一度もない。
・ある時、寝起きが悪いASKAに山本がお土産として「アンナカ((正式名称は「安息香酸ナトリウムカフェイン」。ねむけ、倦怠感などに通常用いられ、医院で処方される薬である。))」を融通したことがあり、山本が薬事法違反に抵触する((「薬事法」第24条第1項および第84条がそれに該当するものである。なお、ここで違法とされるのは「買った側」ではなく、「売った側」すなわち山本である))
・盗撮ビデオは存在するが、それはガラスパイプなどを準備してきて、これを使えば少量の「アンナカ」で済むと言った山本に従ってガラスパイプを使って一度吸引したところを盗撮されたものである
・その盗撮ビデオをもとに、五千万円を貸してくれ、と言われていた((「貸してくれ」だからASKAは脅迫だとは思わなかったとあるが、盗撮ビデオをばらまくと言われ、金を貸してくれと言ってくる行為は立派な脅迫であり無理がある))
・今までこの事実を言わなかったのは、弁護士など身の回りにいる人々と相談した結果である
といったことである。
これらのことをASKAが「週刊文春」から告白したことは今現在、ファンも含めてネガティヴに大きな波紋を呼んでいる。次にそれらに対して答えよう。
Q.1)ASKAは覚せい剤をやっていたにも関わらず、今さら覚せい剤ではなく「アンナカ」だと嘘を言うのは白々しいのではないか?
A.1)やっていたという確証はどこにあるのか? やっていない確証をだすことはほとんど不可能に近いけれども、やっていたという確証は掴めるものである。また、疑惑だけで人を貶めることは私は正義だとは思わない。本人が「やっていない」と言うのだから、それに対して反論を唱える者は、まず、やっている証拠をださなければならない。
Q.2)ASKAは嘘をついていた!
A.2)「嘘」の具体的な内容とは具体的に何を指すのか? 「週刊文春」(2013年10月17日号)で語られたASKAの言葉が正しいのであれば、私見の限りでは、嘘は一切存在しない。ASKA本人は、事務所コメントに書いてあった通り、何一つとして違法なことをしていない。
Q.3)ASKAにはやはり「黒い交際」があったから、芸能界から追放されるべきではないのか?
A.3)そうではない。たしかに、山本は客観的には暴力団関係者であったけれども、それをASKAには話していなかった。それゆえ、その時、ASKAの主観的には山本は暴力団ではなかった。その時に客観的に知ることができないのであれば、それを客観的に知ることを要求することは人間の能力を超えており、神しか成し遂げることのできないことだ。それゆえ、暴力団と知りつつ交際している別の例との比較は成り立たない。また、ASKAはこの事件のうちで、主観的に悪をなしたことはほとんどなく、ASKAは誠実な態度を保っていると評価するべきであろう。唯一あるとすれば、それは山本の薬事法違反を容認していたことであり、もちろんそれについては反省をしなければならないであろうけれども。
Q.4)事件が収束したかに見えたのに、よりによって「週刊文春」に独断でインタビューを受けて、文春記事について一部認めるのは、よりイメージがわるくなるのではないか?
A.4)そのとおりであるように思う。もし記事にされることを承知の上でインタビューを受けていたのであれば、事務所などイメージ回復に努めようとしている周りの人びとに対しての配慮に欠けていて、またイメージ回復のための戦略的部分に関して致命的に悪い対応をとっている。戦略的部分においては、行為の動機ではなく行為の結果のみが通用する((「週刊文春」は今回の記事によって、事実上、前回の記事への自己否定をおこなっている。「週刊文春」は謝罪記事を乗せることなく、事実訂正に成功している。これを戦略的勝利とよぶのである))。それゆえ、ASKAは事務所などに対して謝罪をする必要があるように思われる。もし記事にしないことを条件にしてインタビューを受けたのであれば、あまりに人を誠実に信じてしまった「善人」である。イメージ回復という「戦略的部分」でしかない領域から見れば、やはりASKAは配慮に欠けていたと言わざるを得ない。しかしながら、人を誠実に信じる者と、誠実でない者の、どちらが「悪人」なのであろうか?
今回の憲法改正の話も、これは現実論として、憲法改正をしておかないと、日本のいま置かれている国際情勢は、少なくとも(現行憲法の)出来た昭和20年と――21年頃とはまったく違うんですよと。この状況は。だから、単なる「護憲、護憲」と叫んでいれば平和がくるなんて思ったら大間違いだし、これが仮に改憲できたからといって「世の中はすべて円満に……」ぜんぜん違います。改憲はたんなる手段だもの。したがってこの手段をどうやって現実的にするかっていうときに、いちばん最初に申しあげたように、ウワアーッとなったなかで、狂騒のなかで、狂乱のなかで、騒々しいなかで決めてほしくない。ちょっと皆さんよく落ちついて。われわれをとりまくこの環境はなんなんだと。この状況をよくみてください、というヨロン*というもののうえに、僕は憲法改正っていうのは成し遂げられるべきなんだと。そうしないと[●●●にとって]間違ったものになりかねんと、いうことを思うわけです。
最後に。
僕は、いま「(現行憲法の改正を発議するには衆・参両議院においてそれぞれ)三分の二(以上の賛成が必要である)」という話がよく出てきますけど**――じゃあ伺いますが、ドイツは、ヒットラーは、あれは民主主義によって、きちんとした議会で(賛成)多数を握ってヒットラーは出てきたんですよ。ヒットラーというのはいかにも軍事力で(政権を)取ったように思われる――ぜんぜん違いますよ、ヒットラーは選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒットラーを選んだんですよ。[●●●は]間違えんでくださいね、これ。そして彼は、きちんとワイマール憲法という当時最もすすんだ憲法下にあって、ヒットラーが出てきたんだから。だから、つねに、憲法はよくてもそういったことはありうるということですよ。だからここは、よくよく[●●●の]頭に入れておかないといけないんであって、私どもは「憲法はきちんと改正すべきだ」とずっと言い続けてきてますけど、そのうえで、これをどう運営していくかって、これはかかって皆さんが選ぶ――投票する――議員の行動であってみたり、またその人たちの持っている見識であったり、矜持であったり、そういったものが最終的に決めていくんだから。
私どもは、周りにおかれている状況は、きわめて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は――今回の世論調査でも、20代、30代の方がきわめて前向き。いちばん足りないのは50代、60代。ここにいちばん多いけど、ここがいちばん問題なんです、私らからいったら。なんとなくいい思いをした世代、バブルの時代でいい思いをした世代が。ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
この人たちの方が、よほど喋っていて現実的。50代、60代、いちばん頼りないと思う、喋っていて。おれたちの世代になると、戦前・戦後の不況を知っているからけっこう喋る。しかし、そうじゃない。
しつこくいいますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください、どこが問題なのか。きちっと書いておれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて作り上げた。そういった思いがわれわれにある。
そのときに喧々諤々やりあった。30人いようと、40人いようと、きわめて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。「ちょっと待ってください、違うんじゃないですか」と言うと「そうか」と。偉い人が「ちょっと待て」と。「しかし、君ね」と。偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選二回ぐらいの若い国会議員に「そうか、そういう考え方もあるんだな」ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、ワーッとなったときのなかでやってほしくない。
靖国神社の話にしても、なんの話にしても、みんな静かに……参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、みんなで――お国ために命を投げだしてくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わないほうがおかしいんだから。
静かに、きちっとお参りすればいい。なにも戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日もある。8月15日だけに限って行くから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって、といったおかげでえらい物議をかもしたこともありますが。
僕は、4月28日――忘れもしません、4月28日。昭和27年。その日から「今日は日本が独立した日だから」といって――月曜日だったかな――靖国神社に連れていかれましたよ。それが私が初めて靖国神社に参拝した記憶です。それからこんにちまで、まあ、けっこう歳くってからも毎年一回必ず行っていると思いますけれども、そういったようなものでいったときに、ワァワァワァワァ騒ぎになったのはいつからですか、これは。昔はみんな静かに行っておられましたよ。各総理大臣もみんな行っておられたんですよ、これは。いつから騒ぎにしたんですか。マスコミですよ。違いますか、みなさん。いつのときからか騒ぎになった、と私は思う。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから「静かにやろうや」というんで。憲法もある日気がついたら――ドイツの、さっき話してましたけども――ワイマール憲法もいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わってたんですよ。誰も気がつかないあいだに変わったんだ。あの手口、学んだらどうかね、もうちょっと。ワァワァワァワァ騒がねえで。ほんとにみんな――いい憲法ー―これがいいって――そういう――みんな納得してあの憲法は変わってるからね。だから、ぜひそういった意味で……僕は民主主義を否定するつもりもまったくありませんし、しかし私どもはこういったこれ、重ねていいますが、喧騒のなかで決めないでほしい。
* 輿論なんだか世論なんだかよくわからない。「納得」あたりをみるに世論か。
** 氏のこれらの発言は2013年7月29日に都内で行なわれた、国家基本問題研究所の7月月例会「日本再建への道」に於けるものである。同研究所の理事長は櫻井よしこ氏。
0.
ひとまず思いついた順に書いていく。リストの補足は大歓迎。
1.靖国参拝
8月15日が間近に迫っているが、ここで安倍が靖国参拝を敢行するか否かが直近の大問題。
近視眼的キチガイ右翼から熱烈な支持を受けていることは重々承知の安倍にしてみれば、参院選で大勝した直後である今を除いていつ行くんだ?という話だが、実際に参拝した場合、当然ながら中国・韓国との関係を大きく損ねることになる。
なお、安倍本人が参拝を見送っても閣僚クラスに自粛させることはほぼ不可能だが、閣僚クラスが参拝した場合でも中韓は強硬な対応に出るだろう。朴槿恵の大統領就任式の折、名代として派遣された麻生が歴史認識に関して迂闊な発言をしたことに朴はおかんむりだったと伝えられ、この件で原則を曲げることは有り得ない。また直後の9月は柳条湖事件のあった月であり、中国も軽々には妥協しない。そして、いかに現在の安倍が「強い指導者」だとしても、8月15日まで3週間ちょっとで、参拝に向けての全方位的な環境整備など不可能だ。
さて、対中韓関係がこじれた場合、北朝鮮問題を解決するための6ヶ国協議も開催できなくなるため、米国からは相当な突き上げを喰らうことになるだろう。2期目に入って「有終の美」を遂げたいオバマは外交問題の懸案を解決したいわけだが、ただでさえ中東情勢が流動化しつつあるのに東アジア情勢まで(日本の独りよがりに過ぎない小児病的対応が原因で)こじれるのを座視する道理はない。場合によっては、安倍を見切って、もっと「聞き分けの良い」指導者に挿げ替えることも検討するのではないか。
2.世界経済
大きなリスクとなりそうなのは、「米国のQE3終了に伴う景気減速」と「中国のバブル崩壊」の2つ。
このうち、ネトウヨ御用達の産業経済紙などは後者のみに注目して「中国終了!」と今からはしゃいでいるわけだが、真に恐ろしいのは「米国の景気減速が中国のバブル崩壊の引き金になるケース」のはずなのに、なぜ誰も懸念を表明していないのだろうか(或いは、恐ろしすぎて予想したくもないのか)。
米中のどちらか、或いは両方の景気が冷え込んだ場合、日本の製造業に多大な影響が及ぶばかりか、特にアメリカ経済次第で一時的に円高方向に巻き戻される可能性は大きい。いずれにせよ、株価をはじめ各種指標へのマイナス影響は避けられない。
3.自然災害
日本列島全体が地震の活動期に入っており、また富士山の噴火リスクも刻々と高まりつつあると言われる。
東日本大震災の余震がそれなりの規模で襲ってきた場合、福島第一原発の復旧作業が破綻を来す可能性はかねて伝えられている。また東海地震や富士山噴火が起こった場合、少なくとも「浜岡原発への対応」「東海道の物流ストップ」「東海圏の生産活動ストップ」がまとめて襲ってくるという、非常に困った事態となる。
災害そのものの短期的な影響もさることながら、復興費用の調達には長期的に苦しむと予想されるため、長期金利が高騰するというリスクも無視できない。実際に金利が跳ねると、無論「アベノミクス」は詰む。
原発を早く再稼働させたがっているのは分からないでもないが、万一の自然災害や過酷事故に備えて確保しておくべきメンテナンス要員を福島への対応に割かざるを得ない現状をどう考えているのかも不明確。というか、リスク管理としては問題だと叫ばれ続けているのに、現政権は(前政権からではあるが)有効な方策を打ち出していないように見える。
4.ワタミ
「ブラック企業」問題のみならず、国会審議の場でフルボッコにされかねない程に数々の弱みを抱えているところへもってきて、今回の参院選で健闘した共産党がここぞとばかりに調査・糾弾能力を発揮しようと張り切るだろう。
そしてワタミのみならず、今回「勝ちすぎた」きらいがある自民党の当選者には、適格性に色々と疑問符が付きそうな人材がちらほら見受けられる。事前の身体検査が不十分だったツケに、後々まで苦しめられるのではないか。
1日だけそれっぽい気分になるだけでは不十分だと思って読むといいかもしれない本。
兵隊の目から見たいろいろの記録。落語家の話なのでいろいろ笑えて読みやすい。
戦争中に民間から出かけて山をさまよって終戦後は捕虜になって無事に戻れた人の現地記録。これを解説したのが山本七平の日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条でこちらから読んでもよい。
この時点で入手できた情報を全部集めて真面目に検討すれば勝ち目がなかったことはわかっていたという話。
戦争するには情報の集め方と扱い方を知らないとどうにもならないことを知るための本。
208 名前:ソーゾー君 投稿日: 2013/04/27(土) 20:14:02 ID:TiWDGx32
全てアメリカ=他人に依存する行為を「安全保障」と言うお前はキチガイだ。
アメリカか?
日本を守れなかった英霊は後世の俺達に自分達の不甲斐なさを詫びて日本を託したのに
何やってんの?
「日本を守れなかったお前らに託された覚えはねーよw
俺達はこのままアメリカの奴隷として生きることにしたんだよw」と言えよ?
「英霊も許してくれるよw」
「負けたお前らに言われたくねーよw何が後の日本に栄光あれだよw」と言えよ?
「英霊も許してくれるよ?w」
俺達は英霊に「負けて言うのは申し訳ないけど・・後の日本を託して良いですか?」と言われただけだからなw
選択権は君達に有る。
懐疑は毎年、靖国に行き英霊に「無駄な抵抗乙でしたw」と罵りに行くのです。
哀れな奴等だ・・一回負けただけで牙も爪も抜かれた腑抜けになったか・・
次やったら絶対勝てるぜ?
え?ビビってんの?
欧州の銀行家は傀儡のアメリカを使って日本に原爆をプレゼントしてくれた。
仕上げはプレゼントしてくれた原発54基から放射能が垂れ流しになり
懐疑はどうしてもこのプレゼントが欲しいようだ・・
キチガイだろ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1358943673/
いじめで人格まで破壊されて、極端におどおどするようになりヒッキーでコミュ力0の人間不信者になり勿論どこにも雇われず
ワープアやブラックで雇われてもキョドリで揶揄の的になるか「あの人大丈夫?」とか言われてまたクビになりひきこもりニートに逆戻り
その内高齢ニートになり、養い切れなくなった親に殺されるか 追い出されて 野垂れ死に。もしくはそうなる前に自傷行為を繰り返し
「制度や組織がある程度はちゃんと機能していた」という結果が必要
その結果あってこそ人格が破壊された被害者もその後の惨めな人生を社会の一員として受け入れる事ができるわけ
制度や組織が被害者に我慢のみを強いて、加害者達ばかり擁護して見てみぬふりして怠慢してきたのがこれまでの教育現場
つまりは「喧嘩両成敗」「反撃して同じレベルに落ちるな」「大人になって見返せ」「被害者に転校を奨める」「学校なんか行かなくてもいい」
これ全部奇麗事いって被害者を丸め込み被害者に我慢させて何事も無かったように収める為の嘘
今度のいじめ事件でばれちゃったんだよ。ろくに制度や組織が機能しようとすらしていなかったのが
加害者は人権屋が擁護してくれるのに、被害者は被害届出してもなかなか受け付けてもらえない
まだ教師に洗脳されたいじめ被害者でマインドコントロールから抜け出せていない人がはてな村にもいるみたいだけど
そりゃ教育現場に丸め込まれてそのまま卒業しちゃって上記の人生辿るコースに乗っちゃった人達の中から教育現場に恨みを抱いて
で、8月15日に大津で教育組織が襲撃されるという事件が起こらなかったら、なぜかいじめ被害者が学校に退学奨められたというあの別の県のいじめ事件、学校側が退学奨めるの果たして8月17日に撤回しただろうかって考えちゃうね 襲った犯人のお陰なんてことは秩序ある社会の一員としては認めてはいけないことなんだけどさ
自主退学奨められて7月31日に自主退学してしまった被害者がその後正攻法で学校と裁判で争ったとしてその間の空白期間がその後の人生で就職活動などでもたらすデメリットにもなりかねなかったのに傷の付きにくい夏休み中に解決したことを考えるとさ
教育現場の襲撃者はその後の人生レール駄目にしても、他のいじめ被害者のその後の人生を結果的に1人救ったのかなって
殴られた人も公の場で元いじめられっ子達の反感煽りまくるような発表してヘイト値高めた挙句殴られてニュースになったことで
2年間学校に行くたびに廊下で後ろから、ボスからなぐられる様を見て調子に乗った男子達に代わる代わる殴られ飛び蹴りされつづけた元増田はつらつら考えてしまう
あの頃先生達は集団による暴力を止めてくれようとさえしなかった「喧嘩両成敗」「反撃して同じレベルに落ちるな」「大人になって見返せ」
とばかり言っていた 殴られた教育長みたいに殴られているときには誰かが助けてくれることさえなかった
それでいて「平和教育」「子どもを戦場に送るな」とかほざいていた 増田が無抵抗主義のサヨク嫌いな根源はここに尽きる
学校が戦場だよ 増田は8月6日は時々学校さぼった 集団で殴り続けられる痛みすら分からない教師に「平和」などぬかされると殴りたくて怒鳴りたくて
仕方なくなっていたから
ドラクエXのAmazonでの評価が異常に低いので、ライバル企業の嫌がらせじゃないかと疑われている。
8月15日正午時点で、レビューが610件あり平均が2.4と低調だ。
僕も、ドラクエXをプレイしているんだけど、かなり面白いのでアマゾンのレビューには正直納得できない。
そこで、Amazonのレビューの中で、Amazonで購入した人の評価のみに限定してみた。(2012年8月15日正午現在)
*全体の評価
★★★★★ 97人
★★★★ 99人
★★★ 68人
★★ 58人
★ 288人
平均2.4
*購入者のみの評価
★★★★★ 29人
★★★★ 23人
★★★ 11人
★★ 7人
★ 19人
平均3.4
購入者のみに限定してレビューを見てみると、平均が2.4から3.4まで上昇した。
さすがにここまで評価が変わると、どこかの業者が絡んでいるのではないかと疑われても仕方ないと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded
1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。
1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発
1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用
1916年2月16日~1916年12月20日 ベルダンの戦い
1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点
1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞
1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニのローマ進軍
1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行
1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)
1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日」
1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップ(ウルグアイにて)
1932年 ワイマール共和国崩壊
1934年10月27日 毛沢東の長征
1939年9月1日 第二次世界大戦勃発
1942年9月13日~1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い
1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦(オペレーション・オーバーロード)決行
1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判
1951年 朝鮮の人口?
1954年6月4日 西ドイツがワールドカップで西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」
1956年10月29日~1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争)
1959年1月1日 キューバ革命の勝利
1961年10月27日 チェックポイント・チャーリーでの対峙(ベルリン危機)
1964年8月2~4日 ベトナムでアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)
1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争)
1970年4月 カンボジア侵攻
1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件
1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争)
1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)
1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発
1985年3月11日 ミハエル・ゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任
1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)
1990年8月2日~1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争)
1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸
2000年1月1日 ミレニアム
2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件)
2005年8月29日 ハリケーン・カトリーナ ニューオリンズを破壊
2008年10月 金融危機
2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故
2012 ?
10分どころか、6時間くらいかかったorz
それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。
(調べてみたら、どちらもM7クラス)
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
目当ての一つは東2ホールO39aの「西理件」。私の愛読している「唐沢俊一検証blog」のサークルである。
スペースの近くまで行くと、男性が三人立っており、真ん中の人が大声で呼び込みをしていた。
「本物はあちら!」「連載は終了、雑誌は休刊、(以下よく思い出せず)」「書店で買うと送料がかかります!」一字一句覚えているわけではないがこんな内容のことを叫んでいた。
私はこういう呼び込みは大嫌いだし(以前これで嫌な思いをしたことがある)、その内容もちょっとまずいんじゃないかと思った。隣の島とはいえ唐沢本人のスペースも近くにあるのである。
本を手にとってちょっと中を見てみる。内容はブログとほぼ同じである。紙媒体でいつでも見られるのは捨てがたい……でも四冊全部買うと四千円で、ちょっと財布が厳しいなぁ……そんなことを考えつつ本をめくっていると、と書きたいところだが、耳元で呼び込みの人が叫び続けているので気が散る。「ちょっと静かにしてもらえますか」と言いたくなったがぐっとこらえ、vol.2とvol.0を買ってスペースを後にした。
24日、検証ブログに待ちに待った夏コミレポートがアップされた。
それによると、例の呼び込みをしていたのは「猫遊軒猫八」という人で、kensyouhan氏もその行為に驚きつつも止めなかったようである。
これは責められないことだと思う。今回の夏コミで氏は「高森圭」という人物から「トラップを仕掛けました」という脅迫メールを送られており、自分の身のみならず周囲に気を配らねばならない状況だったのだ。まして売り子もいない一人参加なら手伝ってくれる人がいるのはありがたい。
さて、その猫八氏の行為について、コメントで触れた方がいた。
>まりお 2010/08/25 15:43
>いつも楽しく読ませていただいております。
>
>大声で呼びこみをするタイプのサークルさんは迷惑と感じます。
>ちゃんと注意して止めるべきではなかったのでしょうか?
>お疲れ様でした。
>お役に立てたようでなによりです。
>
>>まりおさん
>10:30~14:00まで私が売っておりました。
>コミケットのスタッフさんや近在のサークルさんに何度も確かめたのですがなんとも言われませんでしたが……。
>何分、私が独断でやっていた事なのでご容赦ください。
>
>あと、面倒でなければ私のほうのブログにもコメントしておいて下さい。
>売っていたの私なので。
>http://d.hatena.ne.jp/london2008/
コメント歓迎のようだったので、猫八氏のブログに「るりるり」の名でコメントした。
>るりるり 2010/08/25 19:55
>
>コミケで検証ブログの呼び込みをなさっていたのが主様とのこと。
>申し訳ありませんが、正直「うるさいなぁ・・・」と思っていました。
>周囲のサークルさんも「やめてもらえます?」とは言いづらいと思います。
>(私はサークルでの参加経験があります。ただしこれは私個人の意見であり
>ジャンルによって呼び込みが普通であるところもあると聞きます)
ただ「うるさかったよ」と書くのはちょっとキツいかと思ったので、「個人の意見ですが」「それが普通なジャンルもあるらしい」と添えておいた。
「うるさい思いをさせてゴメンね」みたいなコメントが返されるのだろうと予想していたら……
>>るりるりさん
ハァ?
「 で は 普 通 で す 」?
「耳元で叫ばれてうるさかった」と言われて謝罪も無し?
こいつ(もうこいつ呼ばわりする)、私が「呼び込みは非常識です」と書いたら何て答えてたんだろう?
なんだか「斜め上を行く」とはこういうことか、とか、どこから突っ込んでいいのかわからない。
反論しようかと思ったが、脱力しすぎたのでやめておいた。
書いている途中で思い出したが、本を買うとき、「2000円です」と言われお金を猫八に渡したら「お金はそっちです」とkensyouhan氏のほうを指された(本をどちらから渡されたのかは記憶にない)。
猫八は「売っていたのは私」と言っていたが、金の受け渡しをしていなくても売っていたことになるのだろうか?
26日、検証ブログにコミケで隣のスペースだった「綾波書店」の代表者からコメントが書き込まれた。
内容は「呼び込みは迷惑だった」「確認はされていない」「コミケスタッフにも苦情を入れた」というもの。
それに対してkensyouhan氏はコメントと記事で謝罪した。
謝罪内容はまっとうなもので、氏はこれによってサークル代表者としての責任は果たしたと思う。
が、その後事態は混迷する。
「綾波書店」氏の過去の発言から、以前から検証サイドの人々を批判しており、唐沢俊一ファンであることが判明したのである。
で、唐沢スレにはこんな書き込みが……
>510 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:20:46
>コメ欄で猫八を嗜めていた「るりるり」とか「まりお」も綾波の配下のモノだろ
>532 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:45:00
>今となってはあやしいものだしね
>先に「まりお」や「るりるり」にコメさせ
>553 :無名草子さん:2010/08/27(金) 12:06:08
>ブログのコメ欄で苦情を言っているのは「まりお」と「るりるり」だけだしね
>こいつらも綾波の配下かもしれないし
私が誰かの配下だなど、馬鹿にするにもほどがある。こういうのを表現するために「下種の勘繰り」という日本語があるのだ。
だいたい、私のコメントに猫八がああいうコメントをするなんて誰が予想できたというのか?
「大変申し訳ございませんでした」とコメントしたらどうなっていたのだろう?
検証サイドに関係のある人に少しでも批判的なことを言うと「擁護派」とレッテルを貼る人がいる状況、何なんだ。
(綾波書店氏の正体が判明する以前だが、「穏やかに窘めていた」と言って下さった方もいた。ありがとうございます)
なんだかダラダラ書いてしまったが、私のことはどうでもいい。
猫八はmixiではなく自分のブログか検証ブログのコメントで謝罪なり釈明なりをすべきである。
※8/31追記
猫八は一旦ブログを閉鎖し、その後再開して「お詫び」を掲載した(閉鎖と再開の正確な日時はわからないが、お詫びの日付は8/27)。
>私はコミケについては経験が浅く、当日販売のお手伝いのつもりでやっていた呼び込み
>は、私の職業上の経験からすればそれほど五月蠅くはないという認識でした。
・周囲がやっていない呼び込み
・ある人物を揶揄するような内容
・客の耳元で叫び続ける
これらが「では普通です」な職業というのが何なのかわからないが(殺伐とした商店街の魚屋とか?)、世の中は広いから多分そういう職業も存在しているのだろう。
>>るりるりさん
>申し訳ありません。
(今更だが、「悪しからず」というのは「相手の意に添えず申し訳なく思う」という意味である)
>謝るのは大事だけど、
>自分の発言を削除して無かった事にするのは
>よろしくないのではないでしょうか。
それに対する猫八の回答は、
>>areさん
>以後、注意します。
わかるのは、削除した理由は、考えが変わったからでも、反省したからでもないということくらいである。
唐沢スレによると、一時閉鎖の前にコメントが承認制になり、ブログだかツイッターだかに「自らに厳しい罰を課す」という一文があったらしいが、私は見ていないので何とも言えない。
<追記ここまで>
<以下は私の思い出話的なもの>
綾波書店氏の発言内容には疑問もないわけではないし、「何で今頃言うのか」というのももっともだ。
コメントでもちょっと書いたことだが、隣のサークルへの苦情というのは言いづらいものである。
私は昔、とある小さいジャンルでサークル参加をしていた。ジャンル内は知り合いでなくとも名前を言えば「ああ、あの人」とわかるくらい狭い世界だった。
あるコミケでのスペース配置で、ジャンル内でやや大手と言えるサークルの隣になった。サークル代表者とは個人的にメール交換したり、コミケ後に飲みに行ったりして親しかったので、隣になれて嬉しかった。
が、そこの売り子がちょっとアレだった。そこのサークルのメンバーではなく、私も名前だけは知っているとある人なのだが、この人が私のスペースにはみ出して本を置く、この人を訪ねてきた人が私のスペースの前に居座って延々話し続ける、私のスペースの椅子(参加経験のある方はご存知だと思うが、コミケでは1スペースにつき2つ椅子が提供される。私は一人参加だったので椅子が一つ余っている状態だった)にものを置く、等色々やらかしてくれた。
私はそれに対して注意できなかった。それどころか「あ、いいですよ~」と愛想笑いした。狭い世界で揉め事を起こしたくなかったし、友人とはいえこちらは超弱小、あちらはやや大手である。
その友人も、自分が頼んで手伝ってもらった人に注意しにくかったと思う。
だから今回のことも「まあ、言えないよね」「もし『うるさいですか?』と聞かれたとしても、『いえいえ、大丈夫ですよ』と答えちゃうだろうなぁ」と思うのである。
祖霊信仰は日本を形作って来た文化の一つだけれども、基本的にはただの民俗信仰の一つだし、そもそも弔い方なんか家によって違うだろ。本家に集まって酒盛りするのがお決まりの家もあれば、仏壇にろうそくともして済ます家もあるし、あるいは表向きは何にもしない家もあるだろう。
それを○○するものだとか全国的規模で画一的に決めつけなんかするもんじゃない。民俗信仰のあり方としておかしい。
いや普通は8月15日がお盆のメインの日だから。終戦の日とかさんざんテレビや新聞や学校でやってるからたまたまみんな知ってるだけで、民俗的にはお盆のほうが遥かに重要。
終戦の日なんて本来、直接の遺族以外には何の関係もない話だよ。現政府の政治領域の話で、どうするのが正しいなんてのは存在しない。
8月13日は、お迎えの日。日本人なら誰でも知ってる。そんな日に遊んでいる連中にはご先祖様がいないのだろうか。
8月15日は、終戦記念日。日本人なら誰でも知ってる。そんな日に遊んでいる連中にはご先祖様がいないのだろうか。
こんな時期に、遊んでいられる連中っていったいなんなの?
普通は、仕事を休んで先祖を弔う日だよ?ブラックなのはどっちなのかと。
むしろ、ブラックな日本人、もしくは外国人じゃないと参加できないのがコミケなんだよ。子供だってまともな家の子はこれないでしょ。
こんな時期に何かをする為に会場借りたって、まともな人間は誰も来れない。だから会場空いてるんですよ。
誰でも休めるから、この時期にやるわけじゃない。誰も借りないから会場が空いてるだけ。盆に何かを開催した所で非常識扱いされるだけ。
まあ、紙媒体を販売するのだから、屋外ってのはどうしようもないのは解るし、ああいうモノを売るのだから、むしろ一般的な人が来れない時期にやるのが正解なんだろうけど。
50 名前:名刺は切らしておりまして[] 投稿日:2010/03/05(金) 15:34:23 ID:FrUj+DDQ
8月15日 11:40デジタル家電&エンタメ:最新ニュース
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000014082008
「iPhone初のポルノアプリ」でわかった、App Storeの脆弱性
http://wiredvision.jp/news/200906/2009062921.html
by Daniel Brusilovsky on 2009年9月7日
http://jp.techcrunch.com/archives/20090906how-much-does-an-iphone-user-spend-on-apps-80/
Mythical Millionaires
トニー・ダコプル
http://newsweekjapan.jp/stories/business/2009/10/post-625.php
http://www.inside-games.jp/article/2009/10/28/38448.html
朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー。
http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。
時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。
朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。
主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
参考文献
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
コピー終わり。
終わってた……
http://blog.arukikata.co.jp/tokuhain/hongkong/2009/08/post_125.html
発売直後は今までのドラクエと世界観が違ったり、難易度が子供向けに低くなっていたり、変なギャル妖精が登場したりと、かなり不評だったDQ9ですが、プレイしてみると意外と面白くてはまっています。
今回のDS版の最大の特徴は何といってもDSならではの「すれ違い通信」機能や「マルチプレイ」機能です。同じくドラクエを持っている人と一緒に冒険を楽しめたり、お互いの宿屋に呼び込んで滞在してもらったりして、宿屋を拡張したりできます。
日本では「すれ違い通信」を求める勇者たちのため秋葉原に「ルイーダの酒場」が設置された、とニュースで知って、1プレーヤーとしてとてもうらやましかったです。
というのも、ここ香港では「日本語版」であるゆえDQ9のプレイヤー数が日本に比べて当然ながら圧倒的に少ない!もちろん香港人の中には日本語の読める人もたくさんいますし、読めなくてもネットには中国語の攻略サイトが山のようにあり、専門用語の中国語解説や攻略法を事細かに解説しています。
中国大陸にも、台湾にも、そしてここ香港にも熱狂的なファンは多数存在します。
が、そうはいっても「すれ違い通信」ですれ違う確率は日本に比べて限りなく0。
現在のところ、わが宿屋の来客数は2名のみ。周囲の数少ないプレーヤー同士で細々とっやっています。
さて、前置きが長くなりましたが、ここで香港の数少ないDQ9勇者(この記事を読んでるからには日本人)に朗報です。
Facebook上の「香港 勇者鬥惡龍 同好會 dragon Quest Fans HK」で「DQ9すれ違い通信オフ」第2回を開催するとの告知がありました。
8月15日に開催された第1回集会は急な告知だったにもかかわらず40名以上が集結し、大盛況だったようです。そして開催を知らなかった人たちから「ぜひ2回目を!」との熱烈なリクエストがあったとのことで、今週土曜日に第2回オフを開催します。
詳細は以下。
日時:8月29日(土)19:30〜
場所:モンコック(旺角)の歩行者天国(西洋菜南街)にあるマクドナルド前
イベントは第1部すれ違い通信(19:30〜)、第2部マルチプレイ(20:00〜)。
事前申し込み等、一切必要ありません。
また、ファンクラブメンバーが日本に行ってあの伝説の「まさゆきの地図」をゲットしてきたので、当日参加者に配信するそうです!
香港のDQ9勇者たちと交流する絶好の機会です。ぜひお見逃しなく。
あなたの宿屋を拡大して、リッカを喜ばせてあげましょう。
どうもあたしの書いたことが一般論化されたり歪曲されたりしている気がするので、書いてもいいかなあ?
まず、この話は特定のシチュエーションで考えて欲しいわけ。
まあ、スカスカだったわけ。だったらちょっと我侭言わせてもらってもいいかしらと思ったのよ。
他のお客さんもいっぱいいるようなところで自分たちだけ特別扱いしてくれなんて言ってないし、言わない。
そこまで配慮の無い人間ではないと思ってるの。
コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
友達の店はもう閉まってたの。だからそっちには移動できなかった。
あたしが主催したら、チェーン店じゃ無いこじんまりしたところを探すんだけど、この時はたまたま他がなかったのよねー。
私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、
みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。
どうもこれが上から目線で気に入らないって受け取られてるみたいだけど、事実よ?
客商売だったら葱しょってる鴨は逃がさないでしょ。追っ払わないでしょ?だって金づるよ?
読んでる人からすると「なにその上から目線」って感じだけど、上とか下とかじゃやないの。
客としてどうなのかってこと。それだけよ?
店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。
そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
ね、おとなしいもんでしょ?そこで暴れたわけじゃないわよ。店長に無理強いしたわけでもないの。
あたし達はお店にも店長にも何も言ってないし、あたしは店名を出してもいない。
たまたまその店の店長がちょっと惜しいなあ、と思ったから、書いた。
人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。
それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」
「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。
これはチェーン店に総じてこんなことになってそうだなあ、と思ったことだからあたしなりの一般化ね。
人材こそが宝であり、客も人間。これが文章のコアなんだけど、どうもここは読んでもらえないみたいね。反省。寂しいわね。
いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。
そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。いいときの日本を知らないんだなあ。
たくさんの増田さんたちや、ブクマで言われていたように、チェーン店なんてそんなもんで、過度の期待をする方が間違ってる、
雇われ店長に熱意なんか求めるな、臨機応変という名の例外は規律を乱すだけで会社全体で見れば損失、などなど。
どれも同じように感じるわ。交流を求めない、規範からは外れない、全体の為に個性は殺して当然、みたいなことね。
これがとても気持ち悪いのよ。誰の顔も見えてこない。主張のある人なんていない。
既存のシステムとその内部からしか外を見ない。例外はありえない。
だいだいね、物書きの本音は最後の3行ぐらいにぽろっと出てるわけ。
今の日本は穏やかな思いやりなんて通用しない、一期一会の客との邂逅を楽しめる店長もいないし、
思いがけないサービスにはっとさせられるような脚としての経験も無い。
寂しいはなしよねえ、ってのが本音。
それから、どこをどう読むとあたしのことを特別扱いしなかった店長は死ね、見たいな受け取りかたになるのかしらね、
そういう人たちの気持ちには興味があるわ。どこをどう読んだのか、だけでもいいわ。教えて欲しい。
さて、以上です。
お騒がせしてすいませんでした。
でもまた騒がせるけどね、きっと。
だって黙ってられないんだもん。おもったことは書くわよ。
8月15日0:54追記
タケルンバさんも来たわー。うれしい。
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
「オンラインで流せるテープ」 を提供していた muxtape が閉鎖して一月。昨日出た、運営者からのメッセージを勢いで翻訳する。
http://muxtape.tumblr.com/post/51762430 ←反応
僕は音楽を愛している。
音楽を愛している人にとって、そして音楽そのものにとって、音楽を共有するという欲望は、本質的でかかせないものだと信じている。
愛すべき音楽に出会ったとき、僕たちは友達をターンテーブルの前に集め、CDを貸し、カーステレオで鳴らし、ミックステープを作る。
僕たちは、音楽から感じるものを知っているから。他の誰かにも、それを感じてほしいから。
Muxtapeの物語が始まったのは、僕がオレゴンでやっていた、週一の大学ラジオ番組だ。
その番組で流した曲の記録のかたわら、そのプレイリストをウェブに上げていた。ひとつのブロックが、その週の番組を記録したカセットに対応するというものだ。
当時、ミックステープは斜陽の時代に入っていた。でも、あのプレイリストのページは、ミックステープと同じ役割を、そして多くの点でよりよい役割を果たすはずだ。僕は番組を終えてからも、そのことをずっと考え続けた。
ミックステープのように、プレイリストはある意図を持って集められたものであって、その価値は単なる足し算にとどまらない。
ミックステープとは違って、プレイリストには物理的に届けるための制約がない。でも同時に、そこには実際の楽曲がない。
誰かがそのページを見にきてくれても、知っている曲があれば共感してくれるだろうが、 本来リスナーである人たちにミックスを実際に編集する手間を押し付けるのは、もともとの目的をダメにしてしまう。
プレイリストのことをまた考えはじめ、ついにそれに命を吹き込んだのは、その頃のことだ。
僕の音楽を(ミックステープ的な意味で)共有するという欲望はなくなってはいなかった。
だけど、その行き場はなくなりつつあった。
大手のブログサービスは音楽ファイルを短期的に置けるようにしていたけれど、
そういう場は僕が求めていたものではない。
カセットテープを手に握ったときにうまれる、突き動かされるような感覚。
それを手にしただけで、プレイヤーを探してそいつの使命を遂げさせたくなる。
Muxtapeの設計の目標は、そういう実感ををデジタル世界に翻訳してやり、音楽が生命の火花を散らして、持つ人を聞かずにはいられなくするということだった。
最初のバージョンは僕のtumblrに載せた一枚のガジェットだったけれど、後の姿と本質的に変わりはない。
フィードバックはすごいものだった。
「俺の分も作ってくれないか」という質問が次々と来た。
でも考えが進むにつれ、それはひどくもったいないことだと気づいた。
ソースで配布すると、到達できる範囲はせいぜい自前のサーバーを持ったニッチなクラスタだけになってしまう。
音楽を発見するための、もっと大きな機会をすべて閉じてしまう。
ミックステープの抜け殻に見えていたそれは、すぐにミックステープの進化形に見えだしてきた。
作ってやらなければならない。
三週間の夜をけずった結果、僕はMuxtapeを公開した。
成功はすぐに目に見えて現れた。
24時間で8685人の登録があり、
1ヶ月で97748人の登録と1200万ユニークアクセスがあり、
さらに順調に伸びつづけた。
行き過ぎた予想。技術オタクは賛美するか、すぐに失敗すると断じるかに分かれた。
誰もがどきどきしていた。
僕はぞくぞくしていた。
Muxtapeは「レーダーの視界の下を飛んでいる」からなんとか生き残っているだけだ、という誤解は多かった。
いわく、メジャーレーベルに見つかれば、閉鎖させられるだろう、と。
実際には、レーベルとRIAAは普通の人と同じようにウェブを見ている。
僕も一週間かそこらで、連絡を受けた。
RIAAからの通告が、メールと書留郵便とFedEx夜間便(紙とCD)の三点セットで届いた。
彼らは、権利侵害に当たるらしい6つのmuxtapeを止めるように求めてきたから、僕はそうした。
同じ頃、あるメジャーの著作権問題(anti-piracy)担当者からの連絡を受けた。
電話をとって最初に聞いた一言は、「教えていただきたいんですが、召喚状と訴状は、どこに送ればいいんですかね?」
対話はそこから始まった。
召喚状は送られてこなくて、それは雰囲気を新規ビジネス立ち上げの会議にふさわしいものにしようとする彼の脅し戦術だった。
本当の狙いはビジネスだった。
同じ頃、別のビッグフォーの企画担当者からもコンタクトを受けた。
次の一月、僕は聴き続けた。
頭のいい法律家、この手の問題について傾聴すべき意見を持つ人々と話し、
Muxtapeの合法性について合意を得ようとした。
得られそうな合意は、合意がないということだけだった。
「Muxtapeは100%合法で何の心配もない」から「Muxtapeは違法コピーの宝庫。十億ドルの訴訟とライカー島(Riker's Island)での服役の覚悟はあるのか?」までのあいだで、二十以上のすこしずつ違う意見をもらった。
結局Muxtapeの合法性は法律的に曖昧(moot)だった。
正当性があろうとなかろうと、訴訟で戦う費用はない僕の上に、メジャーレーベルは斧を振りかざしていた。
僕はいつも、アーティストかレーベルが連絡してきて問題を訴えたなら、削除をすると、自分の中で決めていた。
でも、誰からもそういう疑義はなかった。
ひとつも、なかった。
逆に、僕が聞いた範囲では、どのアーティストもこのサイトのファンで、その可能性にわくわくすると言っていた。
そこの親会社は怒っているに違いない大きなレーベルのマーケティング担当から電話を貰い、最新の情報をホームページに反映させるにはどうすればいいかと訊かれたことも何度かあった。
小さめのレーベルからは、彼らのコンテンツを別のクリエイティブな仕方でアピールできないかと言われた。
明らかに、Muxtapeはリスナーにもアーティストにも、同じように価値あるものだった。
五月、メジャーレーベルのひとつ、ユニバーサル・ミュージックとの最初の会議をした。
僕は、最悪の扱いを覚悟して、一人でそこに行った。
この十年、インディーの界隈に片足を突っ込み、そこで大きなレーベルが彼らの利益になるものも知らず、頑固にラッダイトしているのをみたからだ。
ここで言っておきたいのだけど、レーベルは自分自身のビジネスを、ふつうの人が疑っているレベルよりはずっとよく知っている。
ただし、未来へのアプローチに関しては、個々のレーベルによって驚くべき違いがある。
ユニバーサルで僕が会った紳士たちはすごく柔軟で機転が効いていた。
僕は、彼らにMuxtapeが与える利点を売り込む必要はなかった。
彼らはMuxtapeの素晴らしさを知っていて、ただ、支払いを欲しがっているだけだった。
その点については同情する。
僕は、共同で提案を行うにはまだいくらか時間が必要だと伝え、決定を先延ばしした。
彼らは大きく違ったタイプだった。
僕は会議室に入り、8、9人と握手をしてテーブルの前に着くと、目の前に "Muxtape" と題された電話帳並のファイルがあった。
彼らは半円状になって左右の脳のように僕の回りに陣取った。片方は法律、もう片方はビジネス企画。
会議の相手は交互に切り替わった。
「貴方は意図的に権利侵害をしている、サービスを止めるまでに数時間の猶予は与える」という法律サイドのハードな尋問と
「仮にサービスを止めさせられなかったら、どのような協力がありえると思うか?」というおずおずとしたビジネスサイドとの議論。
僕は提案を作るのに二週間を求めたが、二日と告げられた。
決断をしなければならなかった。
僕がみるに、選択肢は三つ。
第一は、全てをやめること。これはずっと考えていなかったことだ。
第二は、メジャーレーベルのコンテンツを全て禁止すること。これなら、直近の危機を回避することができそうだが、二つ大きな問題があった。
ひとつは明らかなことだけど、ユーザーがミックスに使いたいと思う大半の音楽を禁止することになってしまう、ということ。
もうひとつはメジャーレーベル以外に関して、楽曲の所有権と利用をどう扱うべきかという重い問題についてなにもやらないに等しい、ということ。
中規模のレーベルと独立アーティストにも、彼らのコンテンツがどのように使われているかについて、それほど圧力は使えないにしろ、大企業と同様の基本的な権利がある。
これは、ユニバーサルの人に会ってからずっと挑戦していたことだ。
他のサービスでライセンスを受けているものは、いろいろな理由でうまくいっていることを知っていた。
同時に、Muxtapeの場合は違うということ、少なくとも模索する価値はあることを知っていた。
レーベルがそこに価値を見出しているかどうかという疑問の答えは得られていなかったが、次の疑問は、それにどれだけの費用がかかるか、だった。
六月。
僕は五番街の法律事務所に、メジャーレーベルとのライセンス交渉の代理人をつとめることを求めて、彼らは承諾した。
そして、取引をするための遅々としたプロセスが始まった。
第一回は、堅苦しく複雑だった。だけど、思ったほど悪くはない。
僕は彼らを説得し、Muxtapeがこのままサービスを続けることが皆にとっての最良の利益になる、と納得させた。
これでうまく行きそうだった。
さらに二ヶ月、投資家と会合を持ち、サイトの次のフェイズを設計し、交渉を監督した。
困難が予想されたのは、Muxtapeが単純なオンデマンドサービスではない、という点で、オンデマンドよりは支払いが低くて済むはず、という点を考慮に入れてもらえるかどうかだった。
ライセンスの条件からはじめたかったのは、めずらしいwin-winになると思ったからでもある。
僕は、どんな通達があっても(at any given notice)、楽曲を検索して再生する機能を持たせたくはなかった。
一方、彼らもそういう昨日にあまりいい顔はしない(少なくとも、今の価格では)。
それまでは、すべての議論は数字に関するものだったが、
合意に近づくにつれて、掲載位置の販売とかマーケティングの方向性に話が移ってきた。
Muxtapeのモバイルバージョンを提案したが、否定された。
僕の柔軟性は身動きできなくなっていた。
Muxtapeに対して公正な取引をすることに心を割いてはいたけど、僕がずっと持ちつづけていた最大の関心は、サイトの統一性と使用感を保つことだった。
(それはライセンスを求めはじめた元々の理由のひとつでもある)
Muxtapeの経済面での各種の侵略に合意したのも、動かしたい(play ball)からだった。
だけど、編集と創作についてコントロールを手放すのはものすごくつらいことだった。
これと格闘している最中、Muxtape のサービスをホストしているAmazon Web Servicesから通告を受けたのが、8月15日。
Amazonの規約によれば、とんでもなく長い一覧に挙げられた楽曲を一営業日以内にすべて除去しなければ、
これはかなりの驚きだった。
RIAAからの連絡はずっと途絶えていたのだけれど、僕はこれをレーベルの理解が得られたためだと思っていた。
僕はライセンス交渉の最中にあること、これは事務的な間違いじゃないか、夏の金曜日の午後をとりもどせるようにするためにはなんでもしよう、ということを説明しようとした。
一営業日どころか、週末を越えて月曜日までやり続けても、結局、Amazonが要求する文書を作ることはできなかった。RIAAに電話で連絡したけれど、受けてもらうことさえできなかった。
これを解決できるはずだという、ほんとうに感じていたままの期待をそこにメッセージとして残した。
僕はまだ、これがなにかのひどいミスだと思っていた。
でもそれは間違いだった。
事態がすこし把握できてきた次の週。
RIAAの動きは、レーベルの親会社とは別の、自律したものだということ。
レーベルとの間で得た理解は、RIAAには継承されないということ。
どのレーベルも、僕を助けることに特に興味を持っていないということ。
彼らの見かたでは、交渉には影響しない、という。
僕は納得しなかった。
取引にはまだ数週間か数ヶ月(インターネット上では永遠に等しい)はかかる。
つまり、Muxtapeはすくなくとも年末までは止まったままということだ。
また、どうやって支払うかという問題も残っていた。
この変わりやすい世界では、急成長するウェブサイトがある場合でさえ、投資を受けるのは難しい。
ライセンスの取引すべてからの撤退。
どの取引も、単純さを信条とするこのサイトに対しては複雑過ぎるものになりつつあり、
僕がやりたい方向のイノベーションにとって、制約が強すぎ敵対的すぎるものになりつつあった。
開発にほとんど注意を向けられなくなってしまった結果、僕は自分のモチベーションに疑問を感じはじめていた。
僕は、すべてを犠牲にして急スピードで大会社を建てるために、これをはじめたんじゃない。
僕がこれをはじめたのは、音楽を愛する人たちのために単純で美しいなにかを作りたかったからだ。
だから、またそこからはじめたいと思う。
でも、いままでどおりのものではない。
ある、開発初期段階にある機能を取り入れるからだ。これからはその機能に中心的な役割を持たせたい。
Muxtapeは、バンドだけのためのサービスとして再出発する。
インターネットで活動するための、これまでにないシンプルで強力なプラットフォームとしての機能を提供する。
2008年のミュージシャンは、ウェブ開発者と手を組まない限り、オンラインで地位を確保する手段はほとんどない。
しかし、彼らのニーズは、実は共通の問題の中にあることが多い。
あたらしいMuxtapeは、バンドが自分の楽曲をアップロードして、それを埋め込みプレイヤーとして提供し、
もともとのMuxtapeの形式に加えてウェブのどこででも動かすことができるようになる。
魅力あるプロフィールを取り付ける機能、さらに、カレンダーや写真、コメント、ダウンロード、販売、あるいはニーズのある他の全ての追加機能のモジュールを提供する。
システムは0の段階から無限に拡張することができ、CSSデザイナーが使えるようなテンプレートシステムの層を設ける。
詳細は追って公開する。
ベータ版はいまところ非公開だけど、数週間以内に変更する予定。
これは機能の点でかなりの大きな転換だということは、意識している。
僕はいまも、音楽をオンラインで経験する方法を変革したいと思っている。
僕はいまも、相互接続された音楽のもっとも興味深い側面、新しいものをみつける、という側面を実現したいと思っている。
第一フェイズのMuxtapeをこれだけすごい場所にしてくれた皆さんに感謝します。
皆さんのミックスがなければ、ありえなかったことです。
音楽業界はいつかついてくるでしょう。ぜったいに、そうすることになるはずです。
Justin
靖国参拝問題について以前から疑問なのは、そもそもどうして戦争責任やら内政干渉やらといったことが主題になるのか、ということだったりする。だって、(乱暴な言い方をしてしまえば)善人だろうが悪人だろうが死んだら等しく一柱の神になるというのが日本古来の宗教観でしょう。自覚的にしろ無意識にしろ、そうやって日本人は祖先を祭ってきた。仏教やキリスト教の伝来とともに流入してきた天国や地獄の概念さえ、そのアニミズム的な死生観と混ざり合い、和風のカレーライスのようにマイルドになってしまった。死者はみな尊い――ここで「戦犯かどうか」などという些細な属性は無に帰す。
参拝に反対しない人々の心情としては、戦争に関して本当に責任がないって信じているとか国家のために戦った英雄だと考えているとかそういうこと以前に、単純に「既に死んでしまった祖先の墓を掘り起こすような真似はちょっと……」という感覚があるんじゃないかな。賛成も反対もない。つまり、問題はそうした宗教観の相違にあるわけで、大陸流の骨太の死生観を持つ人たちにどうやって有耶無耶の美徳を伝えれば良いのかという点を議論しないでいったい何を議論するというのか、と思う。日本が国粋主義に向かっているとか中韓が自国の政治問題を隠すために反日感情を煽っているとか、そんな表層の議題は取り上げれば取り上げるほど問題の本質から遠ざかる。
単なる国際政治や歴史認識の問題じゃない。これは宗教間の対立なのです。宗教戦争の経験のない日本は、はたしてこの問題に上手く対処できるんだろうか(というか、そもそも円満に解決した宗教問題って人類史上に存在するのかな?)。8月15日に閣僚がみんな公務で海外へ行っているよ不思議だねー、というのは割と上手い対応に思えるけれど。
「公務としての」靖国参拝にこだわった彼とか彼にしても、パフォーマンスとか権力の誇示を意図したというより「まつりごと(政治)」と「まつりごと(祭事)」を同一視する伝統的精神の影響大な気がしている。国家元首としてそうしないと気持ち悪かったんだろう。でも、それを言っちゃうと政教分離の大原則がピンチになるからね……