はてなキーワード: 自然食とは
「マーガリンはプラスチックと同じだ」という荒唐無稽な風説は有名だと思うが、これへのカウンターとして「英単語plasticは樹脂製品を指すのではなく“可塑性の”という意味の形容詞なのに英語のわからぬアホが誤訳して騒ぎ出したのだ」という説があり、SNS等で人気が高い。
先日話題になった件(*1)への反応では非常に多く見られたし、1年ほど前にも「誤訳による日本ローカルな迷信」とするツイートがバズっていいねを2万近くも集めていたようだ。
だがこれは正しくない。margarine plastic とでも検索してみれば英語圏でやはり同じような迷信が普及しているのはすぐにわかる。つまり訳の問題ではなく日本ローカルでもない。
一例としてファクトチェックサイト大手のSnopesは2003年の記事で当時流行したチェーンメール「Butter vs. Margarine」の文面を掲載している(*2)。
Margarine is but one molecule from being PLASTIC(マーガリンとプラスチックは分子1つしか違わない)
Would you melt your Tupperware and spread that on your toast?(タッパーウェアを溶かしてトーストに塗りますか?)
実際にはこのネタの出どころは昔から判明しており(*3)(*4)、Fred Rohéというアメリカの自然食運動家が80年代に書いた「The Great Margarine Experiment」なる文章がそれにあたる。
プラスチック説と同じくらい有名な「マーガリンを野ざらしにしたのに虫が寄り付かなかった」という実験が出てくるのもこれ。
この中に「顕微鏡で観察すると水素添加された油脂の分子はプラスチックの分子そっくり」という趣旨の話があり、引用を繰り返されて世間に広まったようだ。
デマを疑うような人たちがこんな検索一発でわかる誤った説を信じてしまうのはちょっとお粗末に思える。
意地悪な見方をするなら、誤訳説を唱える人のツイートには「まったくこいつらはこんな簡単な英語もわからないのか」というトーンが含まれているようであり、
トンチキな相手を馬鹿にしたいが分子構造がどうとかの話は難しくてわからないから自分でも理解できる説に飛びついた…というところではないだろうか。
1 https://news.yahoo.co.jp/articles/f694fdbf2143684adebc45f6e7d5d602b5da2099
2 https://www.snopes.com/fact-check/the-butter-truth/
今回の内容をスピリチュアルに絡めた詐欺が必ず出現します。多分もうある。
多分「コロナウイルスは次元上昇の為の選別」的な内容で書かれ始めると思います。
変な話、それが真実である可能性を否定する事は、誰にもできないので。
それを利用して、例えば「この数珠を買うと選別を抜けられる」「このセミナーにいくといい」とかそういう話になった場合。
前者は金銭的な詐欺だし、後者もお金を取られたり、そもそも今人に会うなんておかしいですよねって話。
これぐらい露骨だと分かりやすいけど、「自然食を食べましょう、プラスチックをやめましょう、そうすると選ばれます」みたいなのもそう。
今そんな事してる場合じゃねーこと、頭のいい方ならお分かりだと思いますけど。頭の弱い人は分からないんです。
頭の弱い人が「他人の受け売りによる超理論」にハマりやすいのは、教養を身に着ける過程をすっ飛ばして他人より賢くなった気になれるからです。
普段からコンプレックスの有る人間はハマってしまいますが、こういう非常時、特に気を付けるべきです。
こういうの、殆どは「頭の弱いお母さんや奥さん」がハマっちまうのでこのタイトルになってます。
「頭の弱いお父さんや旦那さん」は同じ精神状態になった時、こういう超理論より、店員に暴言を吐くとかもっと実害的な方向に出る傾向にあります。
労研饅頭(ろうけんまんとう)は、愛媛県松山市内にある「労研饅頭たけうち」が製造販売している小麦粉を主原料とした蒸し菓子の
一種。和菓子の饅頭(まんじゅう)ではなく、蒸しパンまたは中華料理の甜饅頭(ティエンマントウ、tián mántou)に似る。
直径10cm前後、重さ60g前後の、小ぶりで甘みのある蒸しパン状の菓子である。
小麦粉をこねた生地を酵母で発酵させ、蒸し上げたものである。形状は種類によって円盤状のものと、楕円形のものがある。
生地によもぎやココアなどを練り込んだものや、豆類や乳製品を入れたもの、中に小豆餡を入れたものもあり、種類も豊富である。
太平洋戦争前から続く製法で作られており、素朴な味わいで、地元の一部の人に根強い人気がある。
昭和初期、松山市は深刻な不況に襲われ、夜学生が学資を確保することが困難であった。それを見かねた私立松山夜学校
(現在の私立松山城南高等学校)奨学会は、夜学生の学資を供給する事業がないか模索していた。
その頃、岡山県倉敷市にあった労働科学研究所が満州(現在の中国東北部)の労働者の主食であった「饅頭」(マントウ)を
日本人向けに甘くアレンジし、これを岡山県や京阪神の業者が販売していることを聞きつけた。
小麦粉で作る饅頭は安価に製造できるため、これを松山で製造販売し、学資を確保するとともに夜学生の主食にもしてもらうことを
こうして1931年に松山で「労研饅頭」の名で販売が開始された。「労研」とは労働科学研究所の略。また、饅頭を「まんとう」と
読むのは中国東北部の主食「マントウ」が起源だからである。なお、当時は4個で5銭、松山市内の学校や軍内で販売され、夜学生の
学資確保に貢献したという。
なお、労研はこれを、当時の女工の厳しい労働環境を配慮し、手を汚さず、素早くエネルギーを補給できる食品として開発した。
労研は、当時、クラボウの社長であった大原孫三郎が、労働者の環境改善のために設立した研究機関だった。
その後、労研饅頭は個人営業の竹内商店(現在の販売店「たけうち」の前身)が製造販売するようになったが、戦火の拡大により、
1943年には小麦粉も入手難となり、販売休止に追い込まれた。しかし、受け継いだ酵母は守り通され、1945年の終戦後には早くも
販売が再開されている。一方、岡山や京阪神では戦火によって労研饅頭の酵母が途絶えてしまい、京阪神では労研饅頭そのものが
復活することなく、消えてしまった。こうして、戦後唯一残った「たけうち」が1952年に「労研饅頭」の登録商標を取得した。
高度成長期には洋菓子などに押されたが、保存料などを使わない自然食であることが見直され、松山の名物菓子として定着している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E7%A0%94%E9%A5%85%E9%A0%AD
こういうエリアにはどういう訳か、ペンション経営者OR夫婦で経営などで、一定の割合でオーガニックおばさんが出現する。
説明しよう。
オーガニックおばさんの特徴
・亭主はペンション経営者おじさん、もしくは陶芸家崩れおじさん。
・髪の毛は染めない事が自然に逆らわない事でいいことだと思っている。
・化粧はしない、もしくはかなりの薄化粧。薄化粧といっても、都会のそれではなく、オーガニック化粧とでも呼びたい独特の自然の風合いを活かした化粧である。
・自然食を好むのは当然として、しまいには買ったほうが明らかに品質が良く安いものまで、自家製に凝りだす。
・子供達も自然派というと聞こえはいい自由奔放な教育。宗教にある程度の嵌まる人と対して変わりのないレベルに育つが、子供は意外と冷静でおとなになると自然と痛い両親から離れていく
左翼の人は自然派が多い気がする。自然食だとか自然に優しいエネルギーだとか自然保護だとか。
だが自然ほど弱肉強食の世界は無え。リベラルってのは、為政者だとか経営者の圧迫から弱者を助けるのがポリシーだろう。
一方自然はそんな生ぬるい世界ではない。この辺り矛盾してるんじゃないか? 自分の都合のいい「自然」イメージで語ってないか。
圧迫から人々を守る際には、時に科学的な手法が功を奏することだってあるんじゃないか。自然食ではなく、時に化学肥料が人を救うことだってあるだろう。
一応言っておくが俺は左翼だ。左翼批判をしたいのではなく、何となく矛盾してね? 左派と自然って実はイメージでは近しいところにあるけど、実態では距離があるのでは? 反自然こそが左派なのでは? ということを言いたいわけだ。
魔が差した。
また私の失敗が他山の石となれば、落命した諭吉も成仏できるだろう。
カーネルの変更、高解像度・マルチタッチへの対応、長期サポート。すべてがまぶしく映った。
UIは旧バージョンとほとんど同じだし、高価なディスプレイ持ってないし、Ubuntuでトラブったら基本自力で解決するしかなくてサポートもヘチマもない。
何も目新しいことはないのだが、恋は盲目というやつだろうか。
「中古PCにインスコしたい」という欲求がふつふつと湧いてきて、どうにも抑え切れなかった。
○ハードウェアのお得感
あれ、良くない。
好条件の商品を探すのに熱中し気持ちが高ぶり、要らんものを買ってしまう。
私「おぉ、XPマシンが即決6,500円じゃないか! 爆安だゾ!」
普段から中古パソコン相場をチェックしているわけではないから、本当は高いか安いか判断できない。
しかし、頭の中には『買いたい』という結論が先にある。
そこで暴走する私の物欲は、「買い替えによる中古XPマシンの増加で、今リユースパソコンが値崩れしている」という話をでっちあげ、理性をねじ伏せてしまった。
液晶モニター 1,500円
パソコンは20万円、液晶は「1インチ1万円」という時代を知っているから、自然食料品店の催眠商法で羽毛布団を買ってしまうお年寄りみたいなもので、迷いはなかった。
○なんだ普通に使えるじゃないか
幸か不幸か、衝動買いを反省する材料にならない。デュフフフw
Ubuntuで綺麗に上書きした。サポートが切れてるとはいえもったいない。
ピュアLinuxマシンが手に入り、私はホクホクである。デュアルブートしているWindowsに気兼ねしたり、クソ遅い仮想マシンやUSBにイライラする必要がないのだ。
衝動買いを正当化する材料がまた一つ増え、子供のような物欲は勇気りんりん。
○その他ハッピーなこと
省スペースで場所を取らない。あと、ストロークが深く打ち心地が良い。あまりにも素敵だからもう2個くらいポチりそうになった。
他方、Ubuntuは言うことを聞かない。
パッケージが足りない、競合している、見たこともないエラーメッセージ。つまずくたびにググらなきゃならない。
でも、その手間が楽しい。DVの共依存みたいなものだろうか。「氏ね! 動け!」とシャウトするごとに愛が深まるのである。
○懸案事項
『ソーセージの中身は肉屋と神様しか知らない』ではないが、『マザボと電源は修理業者と中国人しか知らない』
マザボ(というか電解コンデンサ)、HDD、電源はいつ逝去されてもおかしくなく、不安だ。
○今後の課題
一度、私の金銭感覚を山岳ベースに軟禁して総括する必要があるように思われる。
35,000円でNexus5を衝動買いしたり、米国AmazonからChromebookを個人輸入したり、私は累犯を繰り返している。物欲を粛清し、生産計画に見合った消費を心がけたい。
前のエントリー(午前): http://anond.hatelabo.jp/20130922123915
もう用事(昼食)は済んだ。帰りたい。
ただそういうわけにもいかず、激しい帰宅衝動を抑えながら、午後は小説家養成講座の体験入学に参加した。
小説にはあんま興味ないけど、声優やお笑いのコースは“実技”があるらしく、消去法で小説講座選んだ。
腹が膨れて眠くなり始めた頃、会議室みたいな部屋に呼び出された。
オジサン「みなさんの夢を叶えましょう!」
たぶん学校職員と思しき怪しげな(名乗りもしない)オジサンが、胡散臭い話をする。
自然食料品店にお年寄り集めてやる催眠商法や自己啓発セミナーみたい。
そのインチキ話を、頭の悪そうな若い聴講者が「うんうん」と聞いている。私はこの文章打ってる。この世界はおかしい。
学科の講師陣が紹介されるのだけど、知らない人ばかり。ああ、あかほりさとるは知ってる。
余談だけど、「あかほりさとる 今」ってサジェストするGoogle先生マジ鬼畜。
怪しいオジサンが消えたあと、ヨボヨボのお爺ちゃんが現れた。
お爺ちゃん「ライトノベルというのは……」
模擬授業が始まった……ようだ。
日本語がたどたどしい若い聴講者がよく分からないことを言って、お爺ちゃんの講師が聞き取れない返答をする。やっぱりこの世界はおかしい。
お爺ちゃん講師が『涼宮ハルヒの憂鬱』のあらすじを説明し始める。突然。なぜかは分からない。
途切れ途切れに聞こえてくるハルヒのあらすじを聞いて、若い聴講生が「うんうん」ってうなづいている。何に納得してるんだよ。
お爺ちゃんが「長門」っていうたびに戦艦のそれ想像しちゃって、笑うのこらえるのが大変だった。従軍経験あってもおかしくない御年。
と思っていたら、今度は『僕は友達が少ない』のあらすじの説明が始まった。やっぱり突然。もう驚かない。いっそ太平洋戦争の話してくれ。
ホワイトボードに震える手で何か書くお爺ちゃん。読めない。
英語のリスニングテスト並みの集中力を傾けて聞くと、お爺ちゃんはライトノベルの歴史を説明しているらしかった。
おい。新井素子は? 『ブギーポップは笑わない』は? ジジイすっ飛ばし杉。
私、キャンベルの神話の構造くらいは知ってるけど、お爺ちゃんの話全く分からなかった。こいつ、本当にただの古参兵じゃないのか?
明らかに神話ではないのだが、お爺ちゃんは朗々と小説(何か分からん。タイトルぐぐっても出てこない)を読み上げ始めた。だから早く従軍体験語れよ。
「ロハス」好きな人には、そのほうが確かにウケるかもね。自然っぽかったり、仕組が体感できたり。
一方で、不特定の人が使う場所では
今の電気式に日本人みんな慣れてるから、速度とか変わらないほうがウケは良いと思うなぁ
市中の現行の自動ドアが変に高性能すぎるって面もあるとは思うけど。
たとえば自然食とかいろいろあるけど、マズかったりしたら幻滅する。
マズくても自然環境によいから食えってのを世間のみんなに求めるのはちょっと酷だからなぁ
いいとこ取りで
良い面だと思ってくれる人たちが多いところでなら、ゆっくり動くのはかえってアリになりそうね。
ホメオパシーについての最近の記事を読んで、日本ではカルト療法とまで呼ばれていると知った。
人が死んだり、患者が狂信的だったりで、あまりにもひどい。カルトといわれても仕方ないと思う。
長年イギリスのホメオパシー病院で治療を受けてきて、そういった印象を受けたことがないので、私個人の経験を語ってみようかなと思った次第。あくまでも私の行動範囲内で素人視点です。(子供の頃にイギリスに移住して30年近く。日本語を書く機会があまりないので不適切な表現があったら申し訳ない。言葉が足りないところは指摘して下されば補足します。)
私の通っているのは王立ホメオパシー病院。受診するには地域の受け持ちの医師に紹介状をもらう必要がある。(この国では自分の地域の医者に登録し、 どんな病気でも救急以外はその医者にまず見てもらう。必要であれば専門医のいる病院に紹介される。)ちなみに私は通常医療の専門病院にも通いつづけていて、現在は地元の医師、専門医、ホメオパシー医の3点を行き来している状態。医師同士の連絡もできている。
王立ホメオパシー病院はNHS(National Health Service)の一部なので、他の病院と同じく診察費は無料、処方箋代のみを支払う。この病院のホメオパスは医師免許を持っていて、通常の医師としての勤務経験がある。今までに受け持ってもらった医師達はホメオパシーは通常医療を補助する形で行うもの(Complimentary medicine 日本語で?)で、医療の代わり(Alternative)ではないという立場をとっている。私はホメオパシー病院で血液検査を定期的に受けているし、専門病院で処方される薬も続けている。
私の場合、地元の担当医が紹介してくれたので王立病院にいくことになったが、個人経営のクリニックに自費で通っている人も多くいるはず。個人経営のホメオパシークリニックにはいったことがないので詳しくないが、診察料は安くはない。そして医師免許がなくてもホメオパスの資格があれば開業できると思う。別にクリニックにいかなくても、全国にチェーンのある大衆向けの薬屋でさえ基本のレメディくらいなら揃っているし、自然食品屋でも買える。
ホメオパシー病院で処方されるのはホメオパシーレメディだけではなく、ハーブ系の製品(クリームやオイルなど)、通常医療の薬(抗ヒスタミン剤、消炎剤とか軽いステロイドとか)が出されることもある。病院内には栄養士、マッサージ師がいたり、痛み専門クリニックや、瞑想クラスがあったりもする。
詳しくは書かないが、私の病気は子供の頃に発症し、完治しないとされていて、西洋医学、漢方、民間療法いろいろ試してみたが良くなることはなかった。ホメオパシー病院に通いはじめても数年は何も変わりがなかったし、聞こえはよくても実際に効果のない治療には慣れていたから、大きな期待や失望を抱くこともなかった。専門病院での治療は今まで通り、症状を抑えるため薬を処方されるが、薬に慣れてくると効果がなくなるため、新しい薬を処方されることの繰り返し。
そのうちにホメオパシーの担当医が変わった。完治しない病気だということを受け入れて、この病気と共に生きるにあたって、どうすれば痛み(肉体的、精神的)を少なく、少しでも楽に生活することができるか考えてみようと提案された。それ以来、診察中の会話は私がどのように病気に向き合っているか、に重点がおかれた。
同じ症状でも気丈な時と死んでしまいたい時があったりして、そのムラに合わせてレメディーや薬が処方されたが、医者および医療をあまり信用していなかった私にとって正直に打ち明けることができるまでに随分と時間がかかった。痛みの具合とそれに伴う精神状態などを細かく聞かれる経験は今までになかったし、そういうことに医師が興味を示すこと事態初めてのことだった。そうするうちに少しずつ病気とのつきあい方に変化が出てきた。
長い経過は省略するが、10年経った今、比較的症状が軽い状態を保つことができるようになっている。およそ30年以上この病気と生きてきた私と家族にとって、想像もつかなかったほど温和な状態であるといえる。私の場合、この医師に出会えたことが大きな転機で、その医師がたまたま王立ホメオパシー病院に勤めていたということなのだと思う。だから私の経験談をもってホメオパシーに効果があるとはいえない。
だが、現在のイギリス医療システムでは医者が患者とじっくり話す時間などない。診察時間約5分のうちに、てきぱきと処方箋を書かなければならない。たとえ素晴らしい医師がいたとしても、有意義な診察時間を持てる可能性は残念ながらないに等しいと思う。
ここまで書いて、このエントリーを見かけてなるほどと思った。
私は、2歳の娘を持つ 31 歳の主婦です。
娘を生んだ時もお産をお願いした助産師さんに進められて K2 シロップの代わりに、ホメオパシー協会でも推奨されているレメディを与えていました。
その後も、自然食品を主体とした子育てをしていて、生まれた時から生物本来の力で生きている娘などは、風邪などひきませんし、ちょっと熱があったりしても、発熱のために処方されたレメディを与えれば、数日のうちには回復します。
幼い頃、化学物質漬けで育ってしまった私などは、未だに風邪をこじらせることがありますが、娘が羨ましいくらいです(笑)
ですが最近、K2 シロップを与えなかったことによって、乳児が死亡してしまったといういたたまれないニュースを聞きました。
非常に悲しい出来事で、自分の娘のことを思っても人ごとではありません。
私には 4 つ年下の従兄弟で、大学で生物学を研究している人がいるので、この話についてどう思うか聞いてみました。
すると、これまで知らなかったとてつもない話を聞かされたのです。
どうも最近、ホメオパシーの科学研究が進む中で具体的な成果があって、学会発表が行われたそうです。
それによると、レメディが人間に効く時には、必ず脳内で生成されるプラセボという物質が関与しているらしく、その物質の働きが色々と明らかになったという事でした。
(プラセボというのは何も新しい物質ではないのですが、これまでホメオパシー協会などでもホメオパスとの関連については知られていなかったそうです。)
そのプラセボですが、脳の発育段階、特に言葉の理解と大きく関連していると言うことで、だいたい生後 2 歳から 3 歳くらいにならないと生成されないという事が、この度の新発見らしいです。
発表をした海外の研究者 (イギリス人らしいです) は、「今回の研究によってレメディが有効に作用することが証明された反面、乳幼児には効果がないことも明らかになった。」と明言しているそうです。
これは大変だと思い、いつもレメディを処方して下さる先生にも相談したところ、「そういった研究は聞いたことがないが…」と歯切れの悪そうな感じでしたが、雰囲気が怪しかったので、本当は知っているんじゃないかと思います。
ホメオパシー協会に問い合わせても同じような回答だったので、グルじゃないでしょうか?
最近、ニュースが明らかになって、これまでの責任を問われるのが怖くて無かったことにしようとしているのだと思います。
陰謀?とはまでは言いませんが、ちょっと怖いですね。
科学的に証明された研究があるなら、正しく処方するのが良いと思います。
いま、私のお腹の中には 2 人目の子どもがいますが、この子が生まれた時は、しばらくの間、レメディを与えずに様子を見ようと思っています。
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ばななは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の店長を除かなければならぬと決意した。ばななには経営がわからぬ。ばななは、村の物書きである。ほらを吹き、羊と遊んで暮して来た。けれどもサービスに対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明ばななは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此(こ)の居酒屋にやって来た。ばななには父も、母も無い。女房も無い。一時帰国していた友だちと二人暮しだ。この友だちは、もう当分の間外国に住むことが決定していた。送別会もかねていたのである。ばななは、それゆえ、ビールやらおつまみやらを買いに、はるばる居酒屋にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それからヨーロッパみやげのデザートワインを開けた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。歩いているうちにばななは、居酒屋の様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、居酒屋の暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、居酒屋全体が、やけに寂しい。のんきなばななも、だんだん不安になって来た。ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。路で逢った若い衆をつかまえて、グラスをわけてくれる?いいときの日本は、夜でも皆が歌をうたって、賑やかであった筈(はず)だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて、気のいいバイトの女の子に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。気のいいバイトの女の子はビールグラスを余分に出してくれた。ばななは両手で気のいいバイトの女の子のからだをゆすぶって質問を重ねた。気のいいバイトの女の子は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「なぜ説教するのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの客を説教したのか。」
「はい、こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。」
「おどろいた。店長は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。客を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、バイトの心をも、お疑いになり、御命令を拒めば説教にかけられて、叱られます。きょうは、六人叱られました。」
聞いて、ばななは激怒した。「呆(あき)れた店長だ。生かして置けぬ。」
ばななは、単純な男であった。それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。たちまち彼は、どう考えても年下の若者に捕縛された。調べられて、ばななの懐中からはデザートワインが出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。ばななは、店長の前に引き出された。
「このデザートワインで何をするつもりであったか。言え!」店長は静かに、けれども威厳を以(もっ)て問いつめた。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「どうしてもだめでしょうか?いくらかお金もお支払いしますから……」とばななは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」店長は、憫笑(びんしょう)した。「仕方の無いやつじゃ。こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです。」
「いったい何のきりなのかよくわからない!」とばななは、いきり立って反駁(はんばく)した。「客の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。店長は、バイトの忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。客の心は、あてにならない。場所はいいのにお客さんがつかない。信じては、ならぬ。」店長は落着いて呟(つぶや)き、ほっと溜息(ためいき)をついた。「わしだって、もうけを望んでいるのだが。」
「なんの為のもうけだ。自分の地位を守る為か。」こんどはばななが嘲笑した。「罪の無い客を説教して、何がもうけだ。」
「だまれ、下賤(げせん)の者。」店長は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに不況になってから、もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたって聞かぬぞ。」
「ああ、店長は悧巧(りこう)だ。自惚(うぬぼ)れているがよい。無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。ただ、――」と言いかけて、ばななは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。三日のうちに、私はちょっと異様な年齢層やルックスや話し方をする大勢のお客さんを連れて、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と店長は、嗄(しわが)れた声で低く笑った。「とんでもない嘘(うそ)を言うわい。逃がした客が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」ばななは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。それが成功する人のつかみというものだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、ここに三十四歳の男の子がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて店長は、残虐な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの持ち込みは、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。持ち込みが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
ばななは口惜しく、地団駄(じだんだ)踏んだ。ものも言いたくなくなった。
竹馬の友、三十四歳の男の子は、深夜、居酒屋に召された。店長の面前で、佳(よ)き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。ばななは、友にいちおう事情を言った。人にはいろいろな事情があるものだ。三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。みな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。初夏、満天の星である。
というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、ばななたちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だった。
これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。