はてなキーワード: 観光地とは
トシのせいかもしれない。
こりゃイカン、ということで、たまたまカンブリア宮殿で『西川産業』が取り上げられていたこともあり、
『マットレスを変えてみたら?』と思い立ったが、さて西川がいいのか、エアウィーブがいいのか、素人にはさっぱりワカラン
こういうのは、西川の店に行ったら、当然西川を勧められるし、エアウィーブの店に行ったら、エアウィーブを勧められるに決まっている。
公平に『比較』することが、なかなか難しい。
『高反発マットレスがいいのか』『低反発マットレスがいいのか』なんて、実際に「睡眠してみて」(単に寝るだけではない)、脳波を測定しなきゃ、
その人の不眠に合うか否かなんて、判らない
⇒複数のマットレスを試してみて、それそぞれの寝心地を脳波測定して、最適なマットレスを紹介する、という有料サービスがあれば、受けるんじゃないか?
少なくとも自分は、有料であっても試してみたい
主要観光地、札幌東京京都那覇で、連泊者向けに脳波測定器を貸し出し、
どこにでもあるし、もう散々言われたような話。
ひとつは、そこの住民も普通に消費しており、気がつけば名物の座にのぼりつめていたもの。
そしてもうひとつ、土産の定番のように言われているが、当の地元民はわざわざ買ったりしないもの。
私の地元でも、両者は割とはっきり区別されている。後者は観光ガイドやらでやたらとプッシュされているが、
地元民はそこで紹介されているような店へは行かない。
そういうとこは得てして観光地価格であり、どうしても食べるにしても、安くてうまい店が他にあるからだ。
よくは知らないが、修学旅行で行った京都の八つ橋なんかもきっと後者のパターンで、
あの街中にやたらといた店主さんも、腹ん中じゃ
ニコニコ動画がドキュメンタリーを作るという。その第一弾が「タイズ・ザット・バインド~ジャパン・アンド・コリア~」。「BBCワールドワイドから推薦を受けたイギリスの制作会社 BLAKEWAY が
国際的な第三者の視点から「日韓問題」を描いたオリジナルドキュメンタリー」というのがウリらしい。
一体どういうものなのか期待してみたらびっくり。とんでもない作品だった。
第一弾は慰安婦や竹島問題。第二弾がヘイトスピーチや日韓関係の感情についてでした。その偏り方について、第二弾の内容を紹介しようと思う。
第二弾は、まずはヘイトスピーチについての内容だった。過激なデモは両国で行われ問題になっている。しかし番組内では日本側のスピーチが延々と流されていた。具体的に数えてみると、日本のデモやスピーチの場面は7分以上だったのに対し、韓国は1分も取り上げていなかった。
これでは日本でデモが起きているのに対抗して韓国でも対日感情が悪化しているという印象が持たれてしまう。
その後はインターネット掲示板で互いの誹謗中傷が飛び交っている話が出てきた。これも先ほどと同様の手法が使われていた。なんと、掲示板の映像がすべて日本語なのだ。また、炎上した例も韓国人が被害にあった例を紹介するものとなっていた。被害に遭っている日本人の話はないのだろうか……。
また、16世紀から日本にいるという韓国ルーツの陶芸家の話も韓国目線に感じた。
「当時日本の陶芸技術は発達しておらず」「技術を盗もうとして陶芸家が連れてこられ働かされたのでしょう」
「島国の日本には独自の文化があると思われがちですがそれは違います」
陶芸家については、豊臣秀吉が連れてきたのは事実だが、徳川家康が開放したと言われている。つまり日本に残るのは自分で決めたところが少なからずあるはずだ。
まあ陶芸家はさておきここで言いたいのは「日本の文化を否定している」ことだ。これは一番反感を覚えた。その後日本が反論するのかと思いきや、次の話題に移ってしまったのだ。あまりの偏りに目を疑った。日本で独自の文化が栄えたのは自明だ。逆に「これは韓国起源」と因縁をつけ、日本がうんざりしていることは多いだろう。このような事実を載せず、韓国の主張を一方的に載せるのはどうなのだろうか。
私は日本に独自の文化がなかったなどと世界の人に思ってほしくない。
日本は世界の観光地ランキングで1位になっている京都があるのに、独自の文化がないという主張を鵜呑みにしてしまうこの番組制作社のリテラシーが疑われる。
ニコニコ動画は今後新たなメディアとしての地位を確立したがっているように思える。インターネットの住民に媚びて日本に都合が良いものを作るのはもちろんいけないが、せめて中立の立場で番組を作ってほしい。
『英語なんか話せないけど海外行って勢いとジェスチャーで何とかなった』
『言葉が違っても心は通じ合う』
みたいなのさ、何なの?
だいたいそれ心が通じてるんじゃないからね?
アホな日本人が間抜けなジェスチャーしてるのを優しい現地の人がお情けで汲み取ってくれてるだけだからね?
『英語なんか赤点だったけど意外となんとかなったわ笑』みたいなのもメチャクチャだせえわ。
なんとかなってんじゃねえんだよ。
なんとかして頂いてんだよ、現地の人に。
特に中学英語なんか普通に授業聞いてれば全員が100点取れるようにできてるわけだし
全員が英語教室のCMみたいにベラベラ喋れるようになれって言ってんじゃないよ。
『水を一杯ください』とか『バス停はどこですか』とか
教育を全員が受けてることを忘れてない?
あと『言葉は単なるツール』っていうのはサバイバル英語以上の語学力を
持つ人が実感を込めて言ってこそのフレーズだし、
『言葉が違っても心は通じ合う』も決してこの文脈で使われる言葉じゃなくて
母語の異なる者同士で建設的なコミュニケーションが可能な状況で
言われて初めて重みを持つフレーズなんじゃないの?
この英語への徹底された不信と蔑みは何なの?
どうして素直に「英語ができたらもっと楽しかったんだろうなあ」って言えないの?
実際に言葉がなくても気持ちがわかるケースもあるのは認めるけど
そういうことじゃなくてさ、
観光地の観光客向けのレストランで身振り手振りで無理やり注文して
食べたいものと違うのが出てきてこれもご愛敬♪とか言って虚しくないの?
それでいいの?
アホか
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
インターネットは誰が管理しているか? ほとんどの人間はこれを気にしない。
インターネットが普及して80年ほどが経過した。無線による生体ネット接続が通用し、網膜に映して必要な情報を得ることが一般化した。
「昔の人間は、網膜の情報なくしてどのように車の運転をしていたのだろうか?」なんて話題が小学校の生活の授業で登場する。
観光地や官公庁の案内が、紙や吊るされた案内掲示板によって確認されていたという祖母の昔話に驚いた。
最近は微力な電力を提供することで、人間の動作の補助をネット経由で行なうことも多くなった。初めは介護施設で試験的に創められ、今では街を歩くときに障害物などに対応して移動の補助を行ないうるようになった。すでに老人だけでなく、生体ネットを持つ者の多くが、この動作補助アプリケーションをダウンロードして日々を送っている。視力を眼鏡で矯正した往時の人々と同様に、動作を矯正して正しい、より強い動作が可能になった。
かつてIPアドレスやドメインの管理はアメリカの民間団体であるICANNによって行なわれていた。インターネットの利便性が人間の身体性にまで及ぶようになった時、些細な、かつ歴史的に何度もあったような、単純な理由をもって、インターネットの支配権をめぐる争いが起こった。その結果、新たな管理者が現れた、ネットを管理している者の正体は複合的な国家とそれから委嘱された営利団体により巧妙に隠されて一般の人間には見えにくくなっている。そもそもインターネットは大変便利で使うに越したことは無いのだが、その仕組みを考えたり理解したりすることは、一般人には極めて困難だ。そしてネットの管理者はその点を突き、管理者の意に沿わない人のネット接続をはじくようにした。ネットは警察権と癒合したのだ。「犯罪者」は、ネットを外された瞬間、見事にぎこちなく、身体動作がガタガタになる。古典的表現で言うなら眼鏡や杖を外されるようなものだ。諸々の視覚情報も得られず、たくさんあるネット認証ゲートの使用もできない。
誰だかよくわからない管理者が露骨にその支配権を表明し、強制的な徴兵や労働を人民に課すようになった。逆らえばネット接続を外されてしまう。そうすれば生きてはいけない。ネットを梃子に人々はたやすく支配された。私はその状況を打破するために、1990年代後半に造られた「もう一つのネット体系」の復原を試み、ほとんど成功させた。直接のデータは紙媒体、それも感熱紙に印刷しており当局もそこまで情報をカバーしていなかったことは幸運だった。ほとんど歴史学者みたいなことを続けて、私はwwwに寄生する形で改良を重ねついに実用段階を迎えた。
「通常」のネットがある日突然使えなくなった。既に私の研究は当局に露見しており、ネットの不正使用ということで逮捕されると網膜に通告がなされた。25分後に警察が到着するという。
私の家は中山といい、代々貴族の家系で家格は羽林家(Urin‐ke)というレベルで中級の貴族だった。貴族制度などから恩恵を得る時代はとうに過ぎて、羽林家だからといって何か得するわけでもない。一つ変ったことといえば、随身(Zuijin)として古代(Ancient)から忍者(Shinobi)として仕える秦(Hata)という一族(Family)がいることぐらいだ。21世紀の今日び忍者なんて流行らず、一族の最後の生き残りであるくのいち(Kunoichi)珠洲子が一人仕えるのみだ。それが必要かどうかは措くが、彼女は先祖からの知識や知恵や武術を高いレベルで継承したという。私より4つ年上だから今年33になるのだろうか。栗毛の短い髪に大きな二重瞼の瞳。顔の造形は美しく、飲み屋でよくナンパされるという。高い運動神経は美しい身体曲線をつくる。足首がキュッとした美脚を30代でも維持していることが自慢なんだよー、とよく私に話しかける。
珠洲子を呼ぶ。「…ここに」時代劇じゃないんだからそんな台詞言わなくてもいいのだが。裾の短い、くのいちの装束を身に付けた珠洲子が現れる。本当にくのいちはこんな格好してたのか? 謎だ。「君に生体接続を試みる。別種のネットだ。」「?」「私は拘禁される。…が君は逃げのびて、支配的なネット規制の現状を打破してほしい」「…かしこまりました」「仕組み、多分使えば慣れるはずだ」「…かしこまりました、任務ということでよろしいですね」「そうだ、任務だ」任務といえば逆らえないのが随身の定め。酷い話だが、彼女を脱出させる唯一の方法だ。別れの際も、普段のように会話できれば良かったのだが。
田舎のバスの乗り方で不満がある方がいらっしゃる今日この頃ですが、簡単にご説明したいと思います。
前のドアから乗って後ろのドアから降りるパターンです。均一運賃のバスは、これです。乗るときにお金を料金箱に入れたり、Suicaでタッチして払います。均一運賃は、市内の中心部で設定されることが多いです。サッカーの試合やコンサートなどの臨時便も途中で止まらずに運賃が一定のため、この方式が多いと思います。
後ろのドア(最近のバスはバリアフリー方の影響で中扉がほとんどです)から乗り、整理券を取って、降りるときに料金を払うパターンです。乗った距離によって運賃が変化する郊外路線で使われます。前面窓の頭上に整理券ごとの運賃を現した表示機があり、そこに運賃が表示されています。[7] 290円とあれば、7番の整理券のバス停からは、290円払うということです。バスが先のバス停に行くと、表示機の運賃の表示が変わり、整理券ごとにいくら払えばいいのかがわかるようになっています。
最近だと整理券の代わりにSuicaでタッチして乗ったバス停の情報を保持する方式になっているので、降りるときに料金箱にタッチすれば、清算完了です。
さらに田舎に行くとトップドア車と呼ばれる前にしかドアがないバスが走っています。観光バスをチープにしたようなイスが後ろまで並んでいます。
この場合も、後乗り後払いと同じように乗るときに整理券を取って、降りるときに料金を払います。
このくらい田舎の路線になると、乗るときに一声かけて、どこどこまで行きたいと告げたほうがいろいろとスムーズにことが運ぶと思います。
ワンマンバスが登場する前は、中扉のみのバスで車掌さんが乗務していました。このころは、車掌さんに行き先を告げてお金を払っていました。今はあるのかどうか定かではありません。
空港行きのリムジンバスや観光地のバスでは、乗り場にきっぷ売り場があることがあります。そこで買いましょう。
バスがワンマンになったのは1960年代のお話です。昔からの話なので、戸惑う人がいることに驚きを隠せないのですが、ほとんどは、前乗り先払いか後乗り後払いのどちらかです。
今は多くの事業者がSuicaなどの交通系カードに対応しているので、それほど難しくないです。
わからなかったら、バスが信号待ちのときに運転手さんに質問しましょう。
Suicaが使えないくらいの田舎にいけば、乗客は減るので、別に質問したところで、嫌がられることはありません。
それでは、よいバスライフをお楽しみください。
もうずいぶん前から言われてることだし、今更いうなって感じもするし、なんだかんだいって自分でも慣れてきたつもりだったのだけれど。
先日、とある観光地の写真を見せたときに「うわ~、この世界観、ステキ~」とか言われたときに、このイラつきが再燃した。
別に、「世界全体を総体としてどうとらえるか云々」というヘーゲルだったかの用法に従えというつもりはないけれど、なんでもかんでも世界観でかたづけられても。
自分が世界観という言葉にイラつく理由の一つに、もっと別の言葉を使ったほうが正確に表現できそうなものを、なんでもかんでも「世界観」と表現して、なんかカッコつけたつもりになっている、というのがある。
せいぜい「設定」としかいえないようなものを「世界観」とか、ひどいのはそれ「作品の醸し出す雰囲気」ってレベルの話を「作品の世界観」とかいってるし。
「あの人の視点って、なんか面白いよね」で通じるものを「あの人の世界観」とか。
「作品の世界観」が、単なる「作品独自の設定」のことなのか「作品に投影された著者の世界観」のことなのか、よく分からないのとか。
ちなみに、自分が今までみた一番ひどい用例は、ゲームの説明で「圧倒的な世界観!!」とか言ってたやつ。
もはや、何を伝えたいのかわからなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20150711002502
CO2や地域を劣悪にする排ガスを一切ださない乗り物として再優秀な乗り物であり、環境的な乗り物のシンボルでもある自転車なんですが
CO2削減の約束文書、京都議定書の、あの京都に自転車終日通行禁止エリアがあるということ自体、一刻も早く、自転車全域通行可能にするよう正される必要があるんですよね。
諸外国の先進都市では、自動車をライジングボラードや通行禁止、市街地乗り入れ規制できっちりブロックして歩行者や自転車の安全と回遊性を高めることに尽力しているのに
大阪に行く度羨ましく思う。地下鉄網が必要な場所にしっかり整備されているからだ。
中之島辺りはまだ改良の余地があるし今里筋線は無駄だったかもしれないが、なにわ筋線という「本当に必要とされる線路」を具体化できるあたり京都とは違う。
京都市会議員ときたら「東西線の乗客が少ないから太秦天神川から洛西NT~長岡京と延伸し、六地蔵からも延伸して環状化しよう」などと宣うような連中である。
アホだと思いますか?そうアホなんです!
本当に必要なのは西大路・北大路・東大路・京都駅を繋ぐ地下鉄環状線なのに。
京都駅から出て東大路通を上り清水寺や祇園を通る206系統には朝っぱらから外国人観光客が並んでいる。積み残しなど日常茶飯事。
金閣寺・立命館大学方面の205系統も混雑が酷い。西大路通には阪急西院駅、地下鉄西大路御池駅、JR円町駅などがありそこから通学者や観光客が雪崩れ込んでくる。
にもかかわらず交通局は対策をほとんど諦めている状態で、むしろ東大路に至っては四条通のように一車線化する予定らしい。
その四条通は視界に5台のバスが常に映っているような状態でオンシーズンには完全に麻痺する。救いようがない。
京都観光をしたことのある人ならあの不快極まりないバスに恐らく一度は乗ったことがあるだろう。
運転は荒く道路状態は悪く愛想という概念が無い。扉が閉まらないうちに発車することすらある。時刻表っておいしいの?
金沢を代表する観光地、ひがし茶屋街に健康食品会社が出店しようとして揉めている。
この問題を取り上げたのは、北國新聞(6月27日)と北陸中日新聞(6月28日)だ。それぞれの見出しは次の通り。
見出しは北國新聞が対立の図を示しているのに対し、北陸中日新聞は守る会も、市からも中止が求められていることを示している。
一方で北國新聞では、(ここでは本文の全文は転載できないが)3番目の「熊坂ノ庄スッポン堂商事から守る会に3回の出店申請があった」ことは書かれていない。
また北陸中日新聞には「業者側によると、健康食品の販売は行わず、うどんやかゆなどの軽飲食を提供する休憩所とする」と書かれており、北國新聞の見出し「ひがし茶屋街に健康食品店」とは話が食い違っている。
北國新聞の記事は、熊坂ノ庄スッポン堂商事が一方的で非常識な業者だと誤って読んでしまう良くない記事だ。
はてさてどれが正しいのやら、どうなることやら。
日本:空港や外国人の多い観光地ではわりと通じるし、積極的に話しかけに行くタイプもいるが、逃げる人も少なくない。聞き取れるが喋れない、喋れるが聞き取れない、のタイプが圧倒的。英語担当者がいない。筆談をすれば著しく事態が改善する。英語表記の場所が非常に多いが文章が間違ってる事例が大量に発生
中国:大都市の外国人の多い観光地や高級ホテルなどでは必ず英語が非常に堪能な人間が雇われているが、英語担当でなければ全く喋れない。アルファベットに馴染みがなく、go, eatなどの単語もわからないので筆談もできない。ただし漢字の筆談は非常に捗る。たとえまったく相手の言っていることがわからなくてもあれこれと世話を焼いてくれることは多いが詐欺の可能性も
フランス:大都市では英語を喋れる人も多いが、基本的に英語で話しかけられるとどうしようという顔をして首を横に振ることが多い。また英語の聞き取り自体はできるが、喋れない人が多い。フランス語で話しかけてからにすれば対応はよいが若い人なら英語で話しかけてもOK。ただしフランス人の英語はフランス語訛りがきついのでよくわからない。英語表記は少なめ
ドイツ:基本的に英語は通じているっぽいが、教育を受けていない人の場合はドイツ語しか喋れない
ポーランド:大都市の観光地もしくは高い教育を受けた人は英語を理解できるがポーランドなまりがきついので聞き取りにくい。筆談より絵のほうが通じる。
チェコ:プラハの観光名所なら英語が通じるが、小さい店に入るととたんに通じなくなる。筆談も無理なので絵やジェスチャーが必要。観光地以外は英語表記少なめ
ルーマニア:大都市の観光所くらいでしか通じない上にルーマニア訛りがきつい。筆談は意外に通じる
ハンガリー:ブダペストならだいたい通じる。英語表記がかなりすくない
クロアチア:有名な観光地なら英語でストレスを感じることはあまりないが、場所によってはフランス語のほうがよいようだ。首都でも英語表記が少ない。ブロークンすぎる英語は通じない
イタリア:だいたい英語は通じるし、わからなくてもノリで理解してくれる
ポルトガル:あまり英語は得意でなく簡単な単語でなら応じてくれる。発音がジャパングリッシュに近いのでききとりやすい。お互いに英語が得意でなくても意思疎通はしやすい
スペイン:大都市や観光名所を除きほとんど英語は通じない。ただなんとなく理解はしてくれるので波長が合えばうまくいく。スペイン語ができたほうがよい。
オーストラリア:大体通じる
イギリス:アメリカ英語は理解してくれるが、イギリス英語でしか喋らない。下町英語の場合はまったく意思疎通ができない。筆談を嫌う
アメリカ:イギリス英語は理解しているが、アメリカ流を押し通す
欧米で英語通じるよって行ってる人はガイドブックにあるような観光名所と有名店にしか行ってないんだと思います。あとフランス人がひとを睨むのは敵意を持っているからではなく、テンパってるだけです。