はてなキーワード: 帰宅とは
死にたい。
4年前に知り合った彼氏がいる。
当時彼は既婚者であったが、わたしに惚れているのは周りから見ても明らかだった。
飲み会の帰り道で「好きだ」と告白された時、わたしは、「気持ちは嬉しいけど、わたしは不倫とかできるタイプではなくて。既婚者の方はごめんなさい」とお断りした。
「待たせてごめんなさい。大好きなんです。僕は君と一緒になりたい」
あの時の彼の顔をよく覚えてる。待ってないです、でも、ありがとう。努力に免じて、交際関係を受け入れた。
「でも、わたし、君を悪くいうわけじゃないけど、バツイチの恋人が務まるほど、器が大きくないかもしれない」
「大丈夫!君に嫌な思いはさせないし、大事にするし、幸せにする。不安や不満があったら、必ず言ってね。受け止める」
「離婚したばかりで今すぐは無理だけど、かならず一緒になろう。世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから」
そう言ってわたしを大切にするピュアな彼に、わたしも次第に夢中になった。
彼にプロポーズされウキウキのワクワクでご両親にご挨拶に伺ったら、元嫁に親権を委ねた彼の親から、「新しい嫁がきたら孫に会わせてもらえなくなる」と結婚に反対されたのが2年前。
彼氏は、「まだ早かったかもしれない。両親の説得にはまだ時間がかかる。でも、いつかかならず一緒になろう。だから、赤ちゃんはいまはおろそう。」そう言ってくれたので、わたしはまんまと信じた。
彼が前妻と建てた家で同棲し始めたのもその頃。
この家に住み始めた頃に、ベッドが処分されていないのを見てイヤな気持ちになった。
当然のようにそこに寝るよう進める彼に、「さすがに、ちょっと」と断ると、彼はあからさまにイラついた。
「お前の家のベッドだって、他の男と寝てきたベッドだろう」
「それはそうだけど、「わたしのベッド」に他の男も寝たことがあるのと、「あなたと前妻のベッド」にわたしが寝るのは、心持ちがちがうじゃない?」
わかってもらえなかった。
でも、イヤという気持ちは汲んでくれて、和室に布団を敷いて、寝ることにした。
彼は、最初、「この家に住むのも一時的なもので、ゆくゆくは手放すよ」と言っていたのに、「ダイニングテーブルはお気に入りだから、このまま使わせてほしい。ソファは、買い換えようね」と、心を変えた。
彼は、最初、「お箸とマグカップ買ってきたよ。2人の食器を増やしていこう」と言っていたのに、近頃は「どんぶり?あるのを使おうよ」「ほしいなら勝手に買っていいよ。でも趣味悪いのはやめてね」と、投げやりになった。
毎朝どちらかがあかちゃんにあげていた線香は、いつのまにかわたししかやらなくなった。
「親が来るから、少しの間出ていて」
そう言われることがあった。
ご両親には、この家でわたしも暮らしていることを言ってはいないんだなぁ。と思った。
「ご両親の説得は進んでいるの?」
と聞いてみたことがあった。彼はイライラした態度で、「お前が首を突っ込むな」と返した。
そのくせ彼は、「あ、親が来る前にトイレとキッチン、掃除しておいて。だらしない暮らししてるとおもわれたら、めんどうだからさ」とも言った。
付き合った頃、「バツイチの恋人が務まるほど、器が大きくない」と言ったのは本当のことで、
でも、彼は変わってしまっていた。
「面倒くさいな。お前、少しは黙れよ」
「気に入らないなら出て行けば?」
わたしの誕生日を祝わなくなった。翌々日に、あ、誕生日だったんだね。と言われた。
彼の誕生日の日は、昼間にラインが1通あった。「今夜は外食だから、俺の晩飯いらないからね」
セックスが雑になった。わたしに愛撫することは無くなり、奉仕することばかり求めた。やんわり拒むと勝手に口に突っ込まれた。口に出されることが増えた。「抱きたくはないけど射精はしたい」んだって。
彼は、横柄と傲慢を増していった。
「お前がいなきゃ離婚しなくて済んだ」
「お前のためにベッドを捨てたりソファを買い替えたりするような価値は、お前にない」
「妊娠したのも、お前の策略だろう。お前が勝手に孕って勝手に堕したんだろ。俺は何も悪くないし関係ない」
「お前との将来なんて俺は考えていないからな。早く出ていけよ」
なにがいけなかったんだろうな。
わたしは彼を愛してきたつもりなんだが。
お腹のあの子を殺したのは、彼とわたしとあの子の未来のためで、必ず未来でもう一度会うつもりだったから、なのだが。
わたしは悲しくなって、先月ついつい、彼のご両親にお手紙をお出しした。
わたしと彼は一緒にはなれないから、せめて彼のお家で、供養してやってください。と。
お二人にそれをお願いすることが、殺してしまったこの子に、私がしてやれる最後のことなんです。と。
数日後に彼は実家に呼び出しをくらい、夜中に帰宅した時は鬼の形相だった。
「親に余計なことを吹き込んだな。もうお前なんか死んでしまえ」
そう言って彼は、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、馬乗りになって首を絞めた。
あー、わたしはこんな乗り換えクズの虚偽のプロポーズを真に受けて、堕胎までして、お腹を傷つけ、胎児を殺した愚か者だったか。と、遠のく意識の中で思った。
愚かにもわたしは、「困難な離婚をしてまでわたしと付き合いたいというくらいだから、相当の本気だろう」と思っていた。全く違う。
こいつは「結婚の本質も知らず軽んじているだけのガキ」というだけだった。
やけに離婚がすんなり行ったのも、今思えばおかしかった。このジジイが事故物件だったのだ。前妻は、このDVモラハラからアッサリ逃げられて、ラッキーとでも思っていたかもしれない。
わたしは気絶した。
多分だけど、それで流石に慌てた彼が119番だか110番だから通報したみたい。気づいたら救急隊に囲まれてた。布団の上で失禁していた。彼は警察に連れて行かれて、わたしは病院で検査を受け、問題がなかったので、警察と少し話した後、実家に連れて行かれた。
最後の恋だと信じて、かけたけど、大外れだったうえに、取り返しがつかない時間と若さを失い、傷をお腹と心に残した。
こんな男を信じて、夢だった結婚式も、ドレスも、ハネムーンも、注文住宅も、出産も、家族も、なにもかも、叶うことはなくなった。
じゅうぶんにがんばった。
できる限りのことはした。
でもダメだった。
もうやれることがない、
なんだか、こんなわたしが、この先誰かを愛しても、愛すれば愛するほど、一緒にいられない気がする。
全力で大切にした今の彼にもこんなふうに粗末に扱われる。
私の価値は本当にないのだなと思う。
仮にいつか、他の善良な男性と想いを通わすことができたとしても、愛されて良いわけがない。
そのような権利は私にない。
なんか、もう、死んでいいと思ってる。
首絞められて、意識が落ちる時、全然苦しくなかった。むしろ気持ちよかった。だから、死ぬのは怖くないんだ。
283プロのプロデューサーは、事務所の倉庫内の物の配置が変わっており、アンバランスに積み上げられていることに気づいた。
所属アイドルの芹沢 あさひに事情を聞くと、改造して基地にするために借りているのだと言う。
倉庫は他の人も使う場所なので専有されては困るが、あまりにも楽しそうな様子にプロデューサーは強くは言えなかった。
あさひとの地方での仕事が終わり宿泊先のホテルでフロントにアメニティを取りに来たプロデューサーは、あさひが無断で外出しようとしていることに気づく。
あさひが言うには、単なる外出ではなく窓から目撃した未確認飛行物体の調査だという。一人で行かせるわけにはいかずプロデューサーはあさひと一緒に外に出る。
早々に未確認飛行物体を見失ったあさひは、光る看板に惹かれて土産物屋が並ぶ通りに出る。
あさひは土産物屋で売られている「音に反応して動く花」や「本物のような100万円札」などの珍しい物を見て大喜びした。
土産物屋であさひはバットを購入する。未確認飛行物体が来たらこれで打ち返すのだという。
プロデューサーは自分も修学旅行等で不必要なものを買った経験があるが、帰宅したらすぐに忘れてしまうものだと語る。
夕方の事務所。空腹を覚えたプロデューサーは昼食用に用意していたコロッケを食べずに残していたことを思い出した。
すっかり冷めきっており美味しくなさそうだと食べるのを躊躇していると、あさひが事務所にやって来る。
あさひは、プロデューサーが食べないのであればコロッケを譲って欲しいと頼んだ。給食で出たコッペパンを持ち帰ってきたのでそれに挟んで食べたいのだという。
プロデューサーは自分にも1口食べさせてくれるのであればと、コロッケをあさひに譲る。
夢中になって食べるあさひを見て、プロデューサーは1口食べさせてくれるという約束を忘れられているのではないかと心配になるが、
あさひはプロデューサーが食べる一口分のコロッケパンを作っていたのだと言って、食べ終えた残りをプロデューサーに渡した。
昼の事務所。プロデューサーは事務所の屋上にあさひが居ることに気づいた。寝そべって写真を撮っていたので上から覗き込むと、プロデューサーの頭が大写しに撮れたと大笑いされる。
あさひはそこから見える限りの空の写真を撮っているのだという、プロデューサーは体冷やさないようにと声を掛けて、忙しそうなあさひを残して中に戻った。
プロデューサーが倉庫を訪れると、倉庫内は乱雑さを増し天井には空の写真がたくさん吊り下げられていた。
驚いていると外に面した窓からカメラを持ったあさひが入ってきて「また空を捕まえてきた」と嬉しそうに笑った。
倉庫は皆が使うものなのできちんと使って欲しいと伝えるが、あさひは飛行機が飛んで来ているから急いで撮影に戻る必要があると言って立ち去ってしまう。
プロデューサーは色々言いたいことはあるものの、この空を狭めるわけにはいかないなと呟いた。
ハンモック、望遠鏡、謎の本、缶詰にバット。倉庫はさらに物が増え基地として発展していた。
あさひが言うには、今の倉庫は「謎の無人島」という設定で、海にすごい船や魚が来ないか望遠鏡で監視をしているのだと言う。
プロデューサーは、その設定にロマンがあると認めつつも、あさひを諭すために例え話をした。
「ある日島に、島の所有者のおじいさんを乗せた船が来る。おじいさんは自分の島に知らない子が基地を作っていることを知ってひどく驚く」
あさひは、島にそんな設定はないと抗議する。
プロデューサーは、あさひの大切な基地を壊したりしたくないし誰かに壊されたりもして欲しくないと伝えた。
あくる日、プロデューサーが倉庫を訪れると基地はすっかり片付けられており、代わりに「家賃」と書かれた給食の「小魚とアーモンド」が残されていた。
倉庫の前を通りかかったあさひに事情を聞くと、自分の島が見つかるまで基地は解散することにしたと告げてすぐに立ち去ってしまう。
あさひを見送ったプロデューサーは、倉庫の隅にバットが置き忘れられているのを見つけて微笑んだ。
283プロの3人組アイドルユニット「ストレイライト」のメンバー。
常に面白いことを探し、じっとしていることがない、探究心の強い女の子。興味を持ったら一直線だが、飽きっぽい一面も持つ中学2年生。
・プロデューサーが実質主人公とも言えるストーリー。ノスタルジックな味わいが印象的
話数 | サブタイトル |
---|---|
第1話 | (基地、なんだろうなぁ) |
第2話 | (修学旅行みたいだ) |
第3話 | (見えるよ) |
第4話 | (合掌。いただきます) |
第5話 | (見つけような) |
娘と息子を連れて実家に向かう。
途中でいつもの店でケーキを買う。俺と息子はチーズケーキ、あとシフォンケーキ三つ。
行く途中娘はずっと歌ってる。息子はスマホをいじりながらずっとうるさいと文句言ってる。
息子のスマホはあるが娘はまだ持っていない。
息子にアドバイスする。お前のスマホを渡せば娘はおとなしくなる。
「絶対やだー」
40分ぐらいで実家に着く。
妻が用意したプレゼント渡す。瓶詰の花。
息子は早速、家にはない炬燵に潜り込む。
娘は体育館で親父と遊ぶ。
すぐに昼になり、予約してたファミレスに向かう。
親父は柔らかいご飯しか食べたくないので、外食はここの店と決まってる。
俺と息子、海鮮ちらしと天ぷら定食、娘お子様寿司セット、親父刺身定食、お袋焼肉定食。
親父がなぜか俺と息子の頼んだ天ぷらをうらやましそうに見てる。次はこれを頼むらしい。
娘と息子が代わる代わる添い寝しようとしてくるから、布団の外に転がす。
3時にケーキたべる。
やたらうるさい。
今日彼女がうちに遊びに来てなんか私体熱くない?っていうから熱はかってみたら38度くらいあったんだよ
彼女実家住まいなんだけど実は彼女の母親がつい最近コロナになってて、「えやばじゃあコロナの可能性高いじゃん今日は解散かな」
って言ったら帰りたくないってすげーごねられた
いや俺の家1Kだし隔離して看病とか無理だし実家なら自分の部屋あるじゃん無駄に感染拡大させてもアレだから的なこと言ってもあんま納得してもらえなくて
俺は逆にこのシチュエーションなら職場だろうと友達の家だろうと速攻帰宅して検査うけて感染拡大させないように務めるものだと思ってたんだが、
「コロナなんて気にしないよ」って言いながら抱きしめたらよかったの?
俺の心が狭い問題なのか
本当に何でもない日常の一瞬に、ふと聞いてみた。
その日、私が馴染みの美容院で「もう何年も同じオーダーしかしてないけど、あなたにすべてお任せするならどんな髪型がいいかな?」という話題を美容師さんに持ちかけて、「でも、そこまで変えるなら結婚式の写真とか撮った後がいいんじゃないか?」という流れになった。確かに、そういう記念的な写真を撮るなら私も一日でも若い方がいい。そう思ったら、何か「どうせいつか結婚するなら早いほうがいいかも!」となったのだ。
あと、以前、芸能人が事実婚をしているという報道をふたりで目にしたとき、彼が「オレたちはタイミング見てそのうちちゃんと入籍しようね」と言っていたので「そのうちっていつだろう」とその頃から何となく思っていたのもある。
交際期間は約3年。一緒に暮らし始めて約2年。独身を謳歌している人が比較的多いはずの私のコミュニティも、結婚して子どもがいる人がずいぶん増えた。学生時代からの親友は二人目の子どもを妊娠中だ。彼女だって、決して結婚が早かったわけじゃない。もう、結婚なんて相手さえいれば当たり前に選べる年齢なのだ。
ツヤツヤの髪になって帰宅して、遅くなったのでキッチンで晩ご飯をチンしながら唐突に「私たちって結婚するの?」聞いたら、彼は非常にプンスカしていた。「オレがずっと聞かれても交わしていたのにそんなにドストレートに聞いてくるなんて!!」「カップルと結婚の間に100mぐらい距離があったら、今のセリフで80mぐらい一気に踏み込んできたんだからな!!」めっちゃプンプンするやん。
「オレたちはそのうち入籍しようね」というセリフがまさかの交わしだとは思わなかったので、私もビックリだ。
なんか、彼の態度から察するに、多分だけどこの人プロポーズとか考えてたっぽい!!!!!「だ、だいなしにしちゃった!?」って聞いたら「そうだね!!!」とプンプンしていた。怒ってたっていうか、動揺しすぎて声が大きかったって感じかな。結婚の話を持ち出して、まさかこんな風になると思っていなかったので彼の前でシクシクと泣いた。
しかし、そんな散々な状況だったのに、その日から彼の態度が妙なのだ。
ものすごく、ハグの数とチューの数が増えた。ニコニコしながら近づいて、「ダイスキ!」という回数も増えた。
普段からハグもチューもダイスキの回数も多い方だと思うけど、満開になった感じ。彼の中にあった「この人オレと結婚するつもりあるのかな?」という疑問が完全に晴れて「この人オレと結婚するつもりなんだ!」に変わったのかもしれない。ニッコニコや。
そこからはちょいちょい「もう、市役所行っちゃう!?」「もう、(私の)実家行っちゃおう!?」「名字どっちがいい?そっちにする?どっちでもいいけど?」とか言ってる。完璧にソワソワしている。かわいい。ちょいちょいあまり名字のこだわりなさげな会話はあったけど、本当に名字私のになる選択肢あるんだ。ありがたき。
一度も顔を見せずに親族になるのもあれかなと思うので、次の長期休みで私の実家に来てもらうように話を進めている。
私は実家の家系の末代なのだけど、ご先祖様に「え、ワンチャン末代じゃないかも」と知れ渡ったら、彼らの魂が本気出して子宝を授けてくれるかもしれないね。
正直、結婚はしてもしなくてもどっち派だったんだけど、入籍するということが、この人とより長く仲良く過ごせる選択になればいいなあ。
その道はなだらかな坂になっており、高速道路の橋脚も坂に沿ってその部分だけ20mくらいの長さの壁のようになっている
信号で止まっているときに、たまに高速道路の橋脚を見上げることがある
橋脚のコンクリート肌は全体的に薄汚れていて、灰色が濃くなっているが、上部の方に弧を下にした半円が汚れを拭うように白い線を描いているのが見える
それが目に入るたびに以前の思考を忘れて、この半円ってなんでだっけかと考える
そして、半円の上にツタや木などの植物の枝が垂れさがっているのを見て、この植物が円を描いたのだと思い当たる
横に長い橋脚の上の方、車道を仕切る壁からはみ出した部分は土が盛られていてそこに自然に木や草やツタが生えているのだ
そこから下に伸びる枝が風に揺られて、橋脚のコンクリート肌にこすり付けられて、可動範囲分の汚れをこそぎ落とす
植物の根を支点に枝の可動域を半径とした弧が風が枝を揺らす勢いで描かれて、跡が残るのだろう
その証拠にツタや枝の数だけ、その長さ分の半円が並んでいる
論文執筆の生産性を高めるための具体的な工夫について、対象となる生産性の高い研究者から得られたアイデアを共有します。以下は、論文執筆の効率化と習慣化に関するいくつかの具体的なアプローチです。
- 論文執筆の日を出張日と同じ感覚で捉える。実際は研究室にいるが、出張で終日不在にしている体裁で論文執筆作業のみを行う。
- 手帳に論文執筆の日を明記し、他の予定を入れないようにする。メールの確認頻度を減らし、集中度が高いときは電話にも出ないようにする。
- 早朝に論文執筆作業に充てる。学生指導を含めた業務時間を自他共に分かるようにし、指導学生には業務時間になってから相談して欲しい旨を伝える。
- 非常勤講師や超過コマを持たない。むやみに学会発表をしない。
- 書き上げる期限を徹底的に設定する(数カ月単位で)。最低でも一文を書いてから帰宅する。
- 構想から論文化までを一括管理し、何をどこまで書いたかを常に把握する(可視化する)。
- 大学に行く(まずは **やる場所** に行く)。良い流れや改善点、文章が浮かぶため、常にメモができる状態にしておく。
そういうときって誰にでもあると思う。
自分の場合は昨日で、金曜日ということもありテンションが上がって思わずダイソーでカレーポットとカレー皿を買ってしまった。
そこでまずボンカレーをレンジで温め完成させると、それをカレーポットに入れる。
次に買ってきたサイコロステーキを炒め、溢れ出た脂でエリンギをソテーする。
いい具合に炒めたらそれらを脂ごとカレーポットに入れる。
あとはカレー皿にライスを盛り、カレーポットからカレーをかける。
お味は非常に美味。サイコロステーキのジューシーさと染み出た脂の旨さはまさに悪魔的…!!
簡単な割には本気で美味かったので今夜もまた作ろうと思う。
生産性になぜ差異が生じる かの原因の 1 つは,おそらく文章を書くという作業があ る種のスキルであることに起因していると考えられる. すなわち,生まれつきの技能や特別な才能ではなく,地 道に練習をすればある程度までは論文を執筆するスキル は身に付けられるものであり「文章を書くという作業を 習慣化する(生活の中に組み込む)」ことこそが最も重 要なのではないかと思う.
自分自身を振り返ると,授業 や学内業務,社会活動をはじめ様々な日常業務がある中 で,いつも忙しいというのを言い訳にして「もう少しま とまった時間があれば,もっと論文が書けるのに」とい つも考えており,その改善策を考える上で,私の周りに いる生産性の高い研究者に教えを乞うことが有効だと考 えた.
そのため,論文執筆の生産性が高いと考えられる 研究者を対象に,執筆作業の効率化およびそれを習慣化 するための具体的な工夫等について聞き取り調査から明 らかにすることを試みた.対象者は,論文の生産性がかなり高い研究者 3 名(男性 2 名, 女性 1 名)であった.調査内容は, 1 )論文執筆作業を習 慣化するための具体的な工夫, 2 )論文執筆作業を効率 化するための具体的な工夫,の 2 点である.
論文執筆作業を習慣化するための工夫として,「タイ ムマネジメント」の一環として,論文執筆の日は出張に 行く日と同じという感覚を持つことが挙げられた.具体 的には,実際は自分の研究室にいるが,出張で終日不在 にしている体裁で論文執筆作業のみを行うというやり方 であった.特に,手帳に論文執筆の日であることを明記 し,他の予定を入れない,メールの確認頻度を減らす, 急用でないとメールは開かない,集中度が高いときは電 話にもでないという工夫をしていた.
また,早朝の時間 を論文執筆作業に充てるという意見もあった.学生指導 を含めた業務時間を自他共に分かるようにし,指導学生 には業務時間になってから相談して欲しい旨を伝える工 夫を行っていた.
さらに,無駄な時間や作業を減らすた め,非常勤講師や超過コマを持たない,むやみに学会発 表をしないといった意見もあった.
一方,いつまでに書 き上げるかのタイムスケジュールを(数カ月単位で)徹 底的に組み締切を作る,最低でも一文を書いてから帰宅 する等の「目標設定」を上手に行っていた.また,構想 から論文化までを一括管理し,何をどこまで書いたかを 常に把握しておく(可視化する)といった「セルフ・モ ニタリング」,できる限り大学に行く(まずは **やる場所** に行く),ふと良い流れや改善点,文章が浮かぶため, 常にメモができる状態にしておく等の「環境整備」に関 する工夫がみられた.
論文執筆作業を効率化するための工夫としては,作業 過程を 5 段階に分類するという意見があった.具体的に は,
①先行研究の動向を把握する段階(雑誌の最新号目 次のメール配信サービスの活用),
②データを分析し, 結果を確定させる段階(シンタックスを自分で書き, 分 析手続きの記録を残す),
③論文構成を考え,まとめる 段階(「日本語で」「段落ごとに」執筆する内容や主な引 用文献を, 箇条書きに簡潔にまとめる),
④文章を執筆す る段階(数日程度, 執筆のみを行う時間を作り, 細部は気 にせず一気呵成に書き通す),
⑤文章をブラッシュアッ プさせる段階(冷静に見直すため少し日数を置き, 全体 の一貫性など細かな修正を行い, 仕上げる)であった.
また,書く→修正→書く→修正ではなく,執筆自体が止 まらないようとりあえず全体を書いてから修正する,上 手に気分転換を図る(同時に複数の論文を書き, 1 つが 行き詰まったら他の論文を進める)といった意見も挙げ られた
論文執筆作業を習慣化するとい うことは,自分が重要性を感じているその他の時間との 価値交換を行う場面が多々あるため,なぜ自分は論文を 書くのかということを改めて突き詰める必要があるよう に感じた
いつからだったろうか。
窓のカーテンを開けば外の豪奢な灯りが一面に飛び込んでくるような所に来たのは。
出来るだけ部屋は暗くしている。そうしたほうが、動く者の姿がよく目に入るから。
横一列に並んでる。
流すのは常に映画。でも何を流すかまでは決めていない。
帰宅後、家に足を踏み入れると音が聞こえる。
トントン、というものかもしれない。ドシュン、ドシュンとレーザーを飛ばす音かもしれない。
映画は暗闇の中で流れ続け、誰もない観客に映像を提供し続けている。
ひと段落ついて特等席のソファに座り、モニター三台が目の前に来る。
睡眠導入剤を温めたコンビニ弁当と共に胃に流し、ふわっと意識が次第に上昇してくるのを感じ得る。
それは意識が睡眠と覚醒の狭間を彷徨ているような感覚で、眠りに落ちる手前の崖に突っ立ち、そこで下を眺めているような状態。
飛び降りない。そこに留まって俺は映画を夢遊病のような状態で鑑賞し、次第に三つの映画がミックス、合わさり合って観えてくる。
映像は立体になりモニターの縁をぶらして揺らし、身体もゆっくり揺れては地震のような倒錯感。
次第にゆっくりと、ヨガの深呼吸のように緩やかに意識は沈殿していき端の崖から飛び降りる。
誰かが何かを言い続けていて、どこかで爆発が起こりもしながら夢に入り、夢の中でも引き継がれ、朝に起きると頭が痛くDVDは止まっていて無音。
ゆるやかな喧噪を感じながら目を覚ます。
都内の夜の交差点。誰もいない。信号機のみが呼吸する。ふいにオルゴールの音楽が流れはじめ、時計が針の音を軋ませ、オルゴールが鳴り止むと信号が全て青に変わった。
結論としては、まぁTwitterがあって良かったな〜ってくらいの話。
なので被災地のように大変な経験は全然してなく、安全圏で生活をしていた。
地震が起きたその日はテストが終わり、部活も休みなので普通に帰宅していた。
歩いていると揺れってなかなか分からないと思うけど(私だけかもしれない)、周りの方が「やだ地震?」って声で私も立ち止まった。
反対車線にあった電線が少し揺れていて、確かに揺れてるかもと思ったその時、下から突き上げるようなズシンとした大きな揺れ。
立っているのが難しく、近くにあったフェンスに捕まった。
その時印象的だったのが、わたしの近くに自転車を押していたご婦人がいて、揺れの最中に「あああああああ」って言いながら道端に自転車をガシャンとぶっ倒してどこかへふらふらと歩いて行ってしまった。
人は自分よりパニックになる人を見ると冷静になれると感じる一件であった。
自転車は道の真ん中に倒されてたから他の人と一緒に端に寄せた。
3.11の事を思い出すと未だにあのご婦人はあの後大丈夫だったのだろうかと考える。
早く帰らなきゃと思いながら歩いていたら、近くの人が「東北で震度7だってよ」って話しているのを耳にしてゾッとした。
今思うとそこで情報を拾えたのは幸いだったと思う。通っていた学校が携帯持ち込み禁止であったのと、あの時は今ほどすぐに情報を拾えない。
(実際携帯がない人は何が起きてるか分からなかった人も多いと聞いた。
あと持ち込み禁止だけど普段はこそこそ持って行ってた。この日はテストなので不携帯でした。持ち物検査されてもいやだし)
家に帰り母親と合流。
幸い家の中はそこまでひどくなく、食器棚も倒れたりはしていなかった。
そしてもう一つ幸いだった事は、私がTwitter利用者であったこと。(てかツイ廃だった)
Twitterをみたらそれはもうありがたい情報がたくさん流れていた。何をしなければいけないとかね。
母親と共に近くのコンビニに行ったが食べ物はなく、少しだけあったカップ麺を買って帰り、お米を5合炊いておにぎりをつくり、浴槽やペットボトルにしこたま水を貯めた。
地震が起きたその日はリビングで母親と交互で寝ようと提案して夜を明かした。
テレビもずっと付けていたと思う。
当時16歳とかそんなもんの高校生がここまでできたのは情報をくれたTwitterのおかげだった。
父親は仕事で千葉におり、帰ってきたのは震災が起きた翌日の昼頃であった。道路は全く動かず、車で夜を過ごしたという。
メールが繋がらず、職場がわりと臨海地域なのもあり、帰ってきた時は安心したのを覚えている。
電車が止まっているので集まった人数はクラスの3分の1以下で、返却後すぐお開きとなった。
私はバスで通学していたため利用していなかったが、電車は駅への入り口がすべてシャッターで閉ざされていたのを覚えている。
駅を利用したいために並んでいた人に説明している駅員さんもいた。
連日被災地のニュースが流れ、計画停電もあったが私の住む地域は病院などの社会サービスを提供するような施設が集まっていたのもあり、計画停電は行われなかった。(実際の理由はわからないが)
そして徐々に日常に戻って行った。
そしてTwitterありがとう。あの時いっぱい情報をくれたから色々動けた。情報を得る手段を知っているのは強いね。
13年らしい。当時小4だった俺もいつの間にか会社員になってしまった
自分は東海地方に住んでいたのでこれといって何かあったわけでもないが、忘れないうちに当時どうしてたか、忘れられないことを雑に書き留めておこうと思う。
3月11日といえば当然年度末も年度末であって、通常授業は終わっていた。
当時は確かもう5限授業になっていたはずで、普段の教室のワックスがけをやる日だった。授業は半分自習で、普段使わない教室がある旧校舎で行っていた。
今ではすっかりデブ陰キャだが自分は当時まだまだ体力があったので、5限目の間ワックスがけを手伝うメンバーに加わっていた。
で、地震が来たのはワックスがけも終わり道具を片付けに歩いている間だったはず。遠かったのもあって揺れはわからなかった(近くにいた上級生が机の下に飛び込んでいたのはよく覚えている)
「デカい地震が関東東北地方でありました(要旨)」という校内放送が数分後にあった気がする。自習は普通に続行だった。
自分は揺れが分からなかったので「まだ揺れてたりしないだろうか」と教室の壁にかかっていた防犯ブザーを眺めていて、自習は全く進まなかった覚え。(時間的に10分も授業残り時間がなかったんじゃないかな)
当時集団下校ではなかったはずなので、帰路は一人で帰ったはず?帰宅は逆算する限りちょうど15時20分ぐらいだと思う
帰宅するや否や祖母に「凄いことになってるよ」と言われTVの前に座らされて、漁港に津波が届く様子を食いつくように眺めていた。あの映像は一生忘れないと思う
(余談だけどこの映像、毎年のように探しているが未だに見つかっていない。漁港から生中継だったはずで、地上に津波が登り始めてから海岸ぐらいに止めている車が流れだすまで。流される大量の青いカゴと複数台の軽バンが真横のアングルから映っていたはず)
その日そのあと何をしたかはもう覚えていない。もっと早く書き留めておけば思い出したかもしれん
ポポポポーンよりこだまでしょうかの方が怖くて印象深かった思い出。
以上。雑書き終わり
社会や世の中の全てを憎んでいる
一人称は「ワイ」語尾は「やで」
男性を憎んでいる
KKO「からあげクンのマスカットサラダ、テロリストソース味を買ってみたで。食べてみたら、なかなかうまかったやで。」
帰宅してからは、テレビでニュースを見た。ワイはいつものように、社会や世の中の不条理についてグチグチと文句を言っていた。
KKO「なんで世の中って、金持ちがいい目に遭って、庶民は苦労ばっかりなんやろな。せやからワイは、お金があったら全ての問題が解決すると思うんやで。」
フェミちゃん「ワイくん、男性は女性よりも優遇されていると思わない?」
KKO「そんなことあるかいな。男性も女性も、同じように生きてるやろ。」
フェミちゃん「でも、女性は職場で給料が低いし、性的なハラスメントも受けやすい。男性のほうが、女性よりも優遇されていると思うんだけどな。」
KKO「ワイは女性を差別したことはないけど、男性だって大変なことはあるんやで。女性にも男性にも、それぞれ大変なことはあるんや。」
フェミちゃん「でも、男性が女性に対してする暴力や性的な被害が多いのは事実だよ。女性は男性よりも被害にあいやすいんだよ。」
KKO「そんなこともあるかいな。でも、それは男性全員がそういうことをするわけじゃないやろ。女性だって、男性に対して暴力を振るうこともあるやんか。」
フェミちゃん「でも、女性が男性に暴力を振るうのは、男性が女性にする暴力とは違うんだよ。男性は力があるから、女性を傷つけやすいし、それが問題なんだよ。」
KKO「まあ、そういうこともあるかもしれんけど、それが男性全員の問題ってわけじゃないやろ。」
フェミちゃん「でも、男性が女性に対してする差別や暴力は、男性全員の問題なんだよ。男性がもっと女性を尊重し、平等に接するようにならないと、社会は変わらないよ。」
そんなこんなで、ワイの一日は終わったんや。明日もまた、同じような日々が続くんやろなぁ。
これ、ワンオペなら病んで当然だわ。
そう思った理由を書く。
もうすぐ産まれると言われて分娩室の外で待ってたら
後で聞いたら、「出産のとき股(会陰)がブチブチ裂けた」んだってさ。
こわすぎワロタ。
だから出産直後の嫁が選べるコマンドは「寝る」と「授乳する」だけ。
俺の嫁だけかな?と思って調べたら、会陰が割けるのは割とデフォらしい。
クソ仕様にも程がある。
嫁は帰宅して1週間は寝たきりだった。
2週目から少し歩くようになったけど、歩くたびに体力すっげえ減るのよ。
「演技か?」ってぐらい息を切らして蹲るのよ。
これで赤子の世話とか無理ゲーにも程がある。
③悪性悪寒こわい
②と重なるんだけど「悪性悪寒」ってやつがヤバかった。
2週目ぐらいに突然、嫁が「寒い」と言ってガタガタ震えて倒れた。
顔見たら、真っ青。唇の色も紫。
慌てて嫁をベッドに放り込んで、湯たんぽ作って、エアコンMAXにして、なんとか乗り切った。
俺は汗だらだら流してクッソ暑い部屋なのにさ。
④赤子の進化に対抗しなければいけない
赤子は日々進化してるけど、特に3週目あたりの変化はヤバかった。
もうね、昼夜逆転で夜になったら泣くのよ。
抱っこしたら泣き止んでくれたから、俺がずーっと抱っこして嫁は寝かせてた。
なんでもいいのよ。
「ウ〇コくさすぎ」とか「げっぷ出た」とか。
そういうとき「これで合ってる?」とか言い合えるといいよね。
というわけで、俺は育休を取って正解だった。
次は時短勤務にする予定だ。
使ったアプリとか工夫とかは機会があれば書きたいと思う。